手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

ダシェラ(Dussehra)ノート

教室仲間のウマ(Uma)さんがシェアしたもの。

クリシュナ(Krishna)ノートがまだ終ってゐない。書いてゐるうちに話がひろがってしまいそんなつもりなかったのに構成なんか考えだしていたづらに長くなる。これはいけない。ダシェラ(Dussehra)ノートはもう本当に短いものにする。

今日インドではダシェラ祭りということで授業が休みになった。だからその時間をつかってメモしておく。

南アジアを知る事典によれば「ダシェラ」は以下の通りである。

ヒンドゥー教の祭の一つ。アーシュヴィン月(9~10)の満月に向けて10日間行われる。秋の始まりを祝う祭で、秋まきの小麦の予祝を含み、またそれぞれの家業で用いる道具を供養する仕事納めの要素ももつ。初めの9日間はドゥルガー・プージャーと呼ばれ、人々は断食し、ドゥルガー女神に賛歌、音楽、舞踊をささげる。最終日には神像を川で沐浴させる場合もある。

これはドゥルガー女神が、あらゆる男神たちから武器を贈られて、神々をも苦しめた水牛のマヒシャ Mahisa を殺した故事によるという。またこの時期はラーマが鬼神ナーヴァナを倒した時ともいわれ、9日目のしめくくりの日には、ラーマを記念した祭を行う場合が多い。この日は〈ラーマリーラー〉と呼ばれ、《ラーマーヤナ》を朗読し、素人劇団によるラーマ劇が演じられ、夜にはラーヴァナとその弟の巨大な人形が焼かれる。いずれにせよ魔に対する神々の勝利が祝われるわけである。

なるほど。続いて「ドゥルガー」項も引いておこう。

ヒンドゥー教の大女神。シヴァ神の妻。パールヴァティー Parvati、ウマー Uma、ガウリー Gauri、カーリーなどの別名をもつが、これらは元来別の女神であったと考えられている。ドゥルガーは〈越え難い女性〉という意味で、悪魔たちを殺す恐ろしい女性戦士とみなされている。特に、ライオンにまたがり、10本の腕に武器を持って水牛(マヒシャ Mahisa)の姿をとった悪魔(アスラ)を殺す場面は、しばしば絵画や彫刻の題材となっている。彼女が血なまぐさい狂暴な姿をとるときはカーリーと呼ばれる。

上掲の画像は教室仲間のウマ(Uma)さんがシェアしたものだ。きっとその名はドゥルガーの別名から取られたのだろう。ウマさんはドバイ在住のインド人ですごく明るくエネルギッシュなひとである。ダンスもすごく上手で、いつもああとっても才能のある方だなあと思って見てゐる。

ヌータン先生の娘さんのキタキ先生が教室の掲示板に熱い投稿をした。

過去の影に覆われ、遠い記憶に沈潜し、私達はいくども同じことを繰り返す。

悪しき者達による、権力の重さに押しつぶされ、屈辱のうちに生きることを恐れてゐる。侮辱の響きが頭の中を駆け巡り、私達は立ち上がることを忘れてしまう!

今日、このダシェラ祭りにおいて、私は祈ります。

恐れに克つ意志を持つことを。善を信じ、私達が善であれば、やがて善が私達に起こることを。嫉妬、力、欲深さといった灰色の思考を捨て去り、穏やかで純粋で平和な道を歩むことを。

そしてなによりも、私達が正義の力を信じ、その力が道を拓いてくれることを!

キタキ先生の言葉は人間がなぜ神話を学ぶか、なぜ神話を踊るか、神話を生きるかを見事に説明してゐると思った。嬉しくなった私は以下の投稿で応じた。

かつて私はもっぱらカタックのヌリッタ(抽象舞踊)が好きでした。抽象表現なので外国人にもわかりやすいダンスです。いま、先生の教室に参加するようになり、私は神話や伝説にもとづいたヌリティヤ(物語舞踊)の魅力を知り、愛するようになりました。先生、ありがとうございます。神話の登場人物は人間のさまざまな感情や徳を象徴してゐます。今日の世界は私達が豊かな感情を養い、徳を育てることを求めてゐます。

これを読んだヌータン先生から「ありがとう、ヒロキ。あなたが私達の指導を愛してくれてゐること、とても嬉しく思う。私達もあなたを愛してゐる」とメッセージが来た。自分の理解が深まってゐることが嬉しい。そのことが先生に伝わってゐることが嬉しい。この喜びは深い。

カタックはイスラーム偶像崇拝の禁止)の影響を強く受けた北インドの舞踊だからヌリッタ(抽象舞踊)が、他のインド舞踊と比べて、突出して発達した。そこは重要である。私はヌータン先生に弟子入りする前はそちらにばかり関心が向いてゐた。

ところがヌータン先生のレッスンを受け、先生の動きを見て、自分も練習し、勉強が進むにつれて、ヌリティヤ(物語舞踊)の魅力にも目覚めてしまった。ヌータン先生のダンスは本当に素晴らしい。ヌリッタは明瞭で力強く、ヌリティヤは優雅で気品がある。

このノートを継続し、いつかまとまった文章を書きたい。三部構成だ。第一部はインド舞踊全体に共通する背景を紹介する。第二部はカタックの抽象舞踊を、第三部はカタックの物語舞踊を論じる。果てしない道だ。少年老い易く学成り難しやで。

ところで、感情を養い徳を育てること、すなわち情操教育が舞踊の役割のひとつであるということは「キム・ヨナの芸術」にも書いた気がする。キム・ヨナさんのスケートを知ったとき自分はカタックなんて知らなかった(そうかな)。ひとは自分の求めてゐるものを見つけ出すものなんだな。

そう言えば、一昨日はキム・ヨナさんの結婚記念日だった。おめでとうございます!

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