生活の芸術

ぼくはここで踏ん張る

ブログの全体像&自己紹介

はじめまして。

林広貴です。ご訪問いただきありがとうございます。

ここではブログの全体像の説明と、簡単な自己紹介をさせていただきます。
なお、仮名づかいについては「正しい日本語の書きかたー表語仮名づかい宣言ー」(執筆中)をお読みください。

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年表       第二次安倍政権年表」を作成中です。   
国政選挙まとめ  2012年11月の衆院選以降の国政選挙についてまとめてゐます。
 
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雑文        上記カテゴリにおさまらないものを。
 

「生活の芸術」とは 

 
 タイトルの「生活の芸術」は林語堂(1895-1976)という作家の英文著作「The Importance of Living」(1937)の中国語版タイトル「生活的芸術」からとりました。日本語では「人生をいかに生きるか」という題で出版されてゐます。ぼくはこの本を学生時代に古本屋で見つけて読みました。
 
 タイトルの通り、「人生をいかに生きるか(楽しむか)」という大問題について、古今東西の哲学文藝を自在に援用しながら、書、画、詩、食、茶などなど諸事万端を縦横に語った痛快な本です。作家の底知れぬ教養、批評精神、ユーモア、そしてそれらを統合する大きな人格に触れて、当時のぼくは感激しました。彼のような自由闊達でおおらかな精神をもって生きたいと思いました。
 
 彼は自身の人生態度について「Nonconformist」という言葉で語ったことがあります。日本語では不羈。「羈」とは馬のおもがい・たづなのことで、最近はあまり使われない言葉ですが「独立不羈」とか「不羈の精神」などの用法があります。漢語を使わずに言うと「とらわれない」「こだわらない」ぐらいの意味になるかと思います。
 
 もし「学問の目的」というものがあるとしたら、結局のところこの「とらわれない」「こだわらない」人格を作り上げることが一番になるのではないでしょうか。もちろんそれは「何でもどうでもいい」という放埓な態度とは違ってゐて、むしろ反対のものです。
 
 林語堂は自由闊達な精神を抑圧するものに対して抵抗した作家でした。生没年から明らかなように、彼の青年期から壮年期は日本の帝国主義時代と重なってゐます。彼はその時期、中国人の生き方・歴史・文化を紹介する評論(中国=文化と思想)や、義和団事件から日本軍による占領までの動乱を背景とした小説(北京好日)を英文で書き、いづれも世界的ベストセラーとなりました。執筆の背景には帝国主義の圧制に苦しむ中国人を鼓舞し、民族の自立を促すという意志がありました。
 
 ぼくは林語堂のように自由闊達な精神をもって人生を楽しみ、とらわれない人格をつくり、それらを抑圧するものに対しては抵抗したいと思ってゐます。そしてそのためには、やっぱり、学問をするしかないんぢゃないかと思ってゐます。
 
 「生活の芸術」はぼくの学問(読んだり書いたり、踊りや武術の稽古をしたり)の経過を示すものです。その経過をネット空間という公共の場に提示することで、こころざしを同じくする人々の役に立てたらと思ってゐます。
 

「踏ん張る」

 
 上にブログタイトルの由来を述べましたが、ここまでに登場した「自由闊達な精神」とか「人格」とか「学問」とか「こころざし」とかいうことばに、ちょっと引いてしまった人も多いと思います。「真面目か!」というツッコミが聞こえてきそうです。
 
 たしかに上に挙げたような「真面目」な言い回しは当今はやらないし、けむたがられる気味があります。しかしぼくはそれに抵抗したいのです。大げさな言い回しになりますが、資本主義とか、市場原理とか、国家の圧制とか、そういう巨大なものから自分を守りたい。あるいは自分が大切だと思うものを守りたい。
 
 そのためには個々人がそれぞれの持ち場で「踏ん張る」ほかないのだと思ってゐます。そういうわけでブログ説明には「ぼくはここで踏ん張る」と記しました。
 
 「踏ん張る」とは端的に言って「正しいことをする」ということだと思います。実際をかえりみれば正しいことばかりできないのが人間ですが。そうであっても「正しいことをすべきである」という価値または規矩を捨ててしまったら社会は崩壊します。
 
 そして今の日本では「正しいことをすべきである」という発想そのものが失われつつあるように思います。つまり規矩の喪失が進行してゐる。
 だから理性も倫理も欠けた、ためらいなく不正をなす人達が日本の中枢に居座ってゐられるのでしょう。日本は理非曲直のまるでない国になってしまった。
 
 では「正しいことをすべきだ」という発想のない人はどういうふうに社会と向き合ってゐるのかというと、おそらく「うまく適応すべきだ」でしょう。家族・学校・労働・政治、ぼくらはいろんな制度やシステムに適応して生きていくわけですが、本邦ではとにかく「適応しろ」というメッセージばかりが発せられる。
 
 制度やシステム、既存の枠組みに対して「これに適応していいのか?」「適応すべき制度なのか?」と問う懐疑や批判的思考は「和を乱す」として、むしろ疎んじられる傾向が強いように思います。根源的に「正しいかどうか」を問うことなく、現状に適応し、体裁を保つためにガンバル力(コミュ力)が異常に高く評価されてゐる。
 
 空気を読み、流れに棹さし、和を以って貴しとなす。なるほどこれらは和気靄靄とした共同体をつくるためには必要かもしれません。けれど、これらが美徳として成立するためには、さらに別の美徳が背後に控えてゐなくてはいけないと思います。
 
 それは「空気の性質」「流れの方向」「和の内実」を問う懐疑精神、正邪善悪を判断する力、不正に対して否という勇気です。これらが根本にないのならば、「和を以って貴しとなす」は「黙って言うことを聞け」と同義になってしまう。
 
 けれど今の日本では「従順」は美徳であっても「勇気」は美徳ではない。子供たちに「人に迷惑をかけるな」と言っても「正しいことをせよ」とは言わない。
 
 これでは「正しいことをすべきだ」という発想のない人がマジョリティなるのも当然だと思います。批判をすると「悪口」と言われ、理想を語ると冷笑されるのですから。こうなると、傍観者でゐることが一番賢い処世術だということになる。 
 
 ぼくがここで何を書いても社会は、システムはピクリとも動かないでしょう。しかし完全に無力だということは重々承知の上で、やはり書いて考えることが必要だと思ってゐます。それが「踏ん張る」ことだから。そしてそれが「正しい」ことだから。
 

自己紹介

 林広貴といいます。

 1986年生。生まれも育ちも奈良県奈良市。いまは東京品川区の中延という町に住んでゐます。

 仕事は「会社員→ホテル従業員→タイ古式マッサージ師→ハンバーガー屋店員→日本語教師→コールセンター→短期派遣いくつか」と転職を繰返し、2017年春から中国特許文書の校閲をしてゐます。
 
 趣味は舞踊と文学です。
 2012年からフォンジュン(fonjerng、 北タイの武術・舞踊)、2016年からカタック(kathak、北インドの伝統舞踊)を習ってゐます。
 
 習ってゐるのは伝統舞踊ですが、舞踊芸術全般が好きです。
 好きな舞踊家・ダンサーはMadhuri Dixit, Pandit Birju Maharaj, Nutan Patwardhan, Shantala Shivalingappa, アクラム・カーン,キム・ヨナマイケル・ジャクソン,原田薫・・・etc.(敬称略)です。
 
 好きな作家は福田恒存夏目漱石井上ひさし斉藤茂吉中島敦等。最近はあまり文学を読む時間がなくて困ってゐます。
 
 今、ぼくの問題意識として大きいのは「日本人のアイデンティティ・クライシス」と「朝鮮半島の平和と日本の独立」で、ざっくり言うと以下のようなものです。
 
 冷戦終結とバブルの崩壊以降、日本及び日本人は長いアイデンティティ・クライシスに陥ってゐる。その反映として現在の似非愛国・排外主義の興隆がある。「日本はこんなにスゴイ」と叫びながら、中国人・朝鮮人の悪いところを血眼になって探してゐる。結果として日米同盟(対米従属)以外の選択肢が消え、沖縄に基地を押し付ける。こんな自己欺瞞をしてゐて自尊心を回復できるはずがない。
 ここから抜け出すには米国からの独立を果たすしかない。そのためには朝鮮半島の平和に尽力し南北朝鮮と真の友好関係を築くことが不可欠だ。その上で韓国と緊密に連携しながら日米同盟の質を変え、米国から自立することが可能なのではないか。
 
 本当を言えば、踊りの練習にもっと時間をそそいで、人に教えられるところまでいきたいのですが、上記した問題に関連するものを読んだり書いたりするのに時間をとられて焦り気味です。
 「悠々として急げ」という開口健のことばを拳拳服膺して日々生きてゐます。

 

2017年衆院選 「国難突破解散」ー北朝鮮のおかげー

第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日

 

投票率:53.68%

自民党のキャッチコピーは「この国を、守りぬく。」

立憲民主党のキャッチコピーは「まっとうな政治。」

Japanese General election, 2017 ja.svg出典:wikipedia

 定数465のうち自民党284議席 公明党29議席、与党合計で313議席獲得。自民党の絶対得票率は小選挙区で24.98%で議席占有率が74.39%。比例代表では、絶対得票率が16.99%、議員占有率が37.5%。(参照 

 投票率は戦後最低だった前回の衆院選に次いで低い53.68%だった。投票率がこれだけ低くなったのは選挙当日が大雨だったからだろうか。違う。前回の選挙と同じく、およそ大義というものがなかったからだ。

 一つ前の国政選挙である2016年夏の参院選から1年と少しどんなことがあったろうか(詳細はこちら)。

 

 2016年8月8日、天皇生前退位のご意向を表明した。ご意向表明のビデオを公表する前、陛下は知人に「将来を含めて可能な制度にしてほしい」と伝えていたことが明らかになってゐる(こちら)。また世論調査でも制度の恒久化に賛成が多数を占めてゐた。

 しかし安倍政権は陛下のお気持ちも国民の願いも、「静かな環境で議論を」などと言って完全に無視。健全な議論を封殺し2017年6月、一代限りの退位を認める「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」を成立させた。

 それから自衛隊の日報隠蔽問題があり、辺野古の護岸工事が開始され、共謀罪法案が強行採決された。

 そしてもっとも国民の関心を集めたのが森友・加計問題だった。これにより安倍政権の支持率は急落。2017年6月に通常国会が閉会し、翌7月には内閣支持率が35%にまで落ち込んだ(こちら)。

 国会で野党の追及をうければさらに支持率が下がり、政権は持ちこたえることができない。だから安倍政権は野党から提出された臨時国会開会要求を無視することに決めた。これは国民からの要求を無視したのと同じである。

 そして98日間無視した末の、9月28日、ついに臨時国会が召集された。と、所信表明演説も行わずに安倍首相は衆議院の解散を宣言してしまったのである。明らかな解散権の乱用だ。

 安倍首相は「国難突破解散だ」と言った。

 森友・加計問題からの追求からの逃れるために、それより巨大な「国難」をでっちあげ、国会での議論の機会を潰してしまおうと考えたのだ。それで勝利すれば「信任を得た」と言って森友・加計問題を幕引きにすることができる。そう考えた。

 安倍首相に「勝機」を確信させた「国難」とは何であったか。

 「少子化」と「北朝鮮」である。

この解散は、国難突破解散であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様と共に突破していく決意であります。こちら

 少子化も高齢化も30年前から分かってゐることである。日本は2011年から人口減少に突入してゐる。今さら何を言い出すのか。

 そして北朝鮮の脅威。そんなに脅威なら選挙なんかやってる場合ぢゃないだろう。

 しかし安倍首相によれば「民主主義の原点である選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはなりません。むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応について国民の皆さんに問いたいと思います。」とのことだ。

 いったい、彼は何を言ってゐるのだろうか。本当に頭がおかしいのではないかと思わざるを得ない。記者は「意味のとおる日本語を話してください」と言わねばならないはずだろう。

 「左右されることがあってはなりません」て、任期途中の衆議院を解散したのは自分ではないか。つまり事実と言明が合ってゐないのだ。

 そしてその次には「こういう時期にこそ選挙を行う」べきだと続く。いや、だからそれって「左右されてる」ってことだよね。つまり、前の文と次の文との論理性が壊れてゐる。

 また「むしろ、こういう時期にこそ」と強調して何かを説明したかのような体をといってゐるが、何の説明にもなってゐないではないか。

 まさか安倍首相は「北朝鮮の脅かしによって選挙が左右されることがないということを証明するために、あえて衆議院を解散し、必要のない選挙をしよう」というのだろうか。

 首相の説明が意味不明であるのは、もちろんこの国難がでっちあげだからだ。

 しかしでっちあげでも「勝てば官軍」である。

 選挙が無意味であるほどに投票率は下がる。投票率が下がれば固定票の大きい与党が有利である。しかも北朝鮮が核・ミサイルの開発をすすめてゐる。国民が政権後退などさせるはずがない。だから、解散だ。

 正当な理由なんかなくっていいんだ。どうせ国民は忘れてしまうのだから。

 

 2017年は米朝の対立が本当に戦争直前にまでいった年だった。北朝鮮が米国本土のまで届く大陸間弾道ミサイルICBM)を完成させ、核実験を行った。米国のトランプ大統領と、北朝鮮キム・ジョンウン委員長が罵倒のことばを投げあってゐた。

 そこで関係各国はどういう対応してゐたか。

 中国とロシアは、北には核ミサイル実験の中止を、米韓には合同軍事演習の中止を求め平和的解決を訴えた。

 韓国のムン・ジェイン大統領は「二度と朝鮮戦争があってはならない」「韓国の合意なしにアメリカの先制攻撃はありえない」と強いメッセージを世界に向けて発信する一方で、米朝両国のあいだをとりもつために必死の外交を行った。

 米国ではトランプ大統領が「こっちの核のボタンの方が大きいぞ」などと挑発する一方で、政府や米軍内部から「常に交渉の可能性はある」「戦争はない」という意見が絶えず出てきてゐた。

 北朝鮮にしたところで(彼らの特殊な表現はいつも分かりづらいが)対話を完全否定してゐたわけではなかった。彼らはずっと「米国とその追従勢力による核の威嚇がやまない限り、核・ミサイル開発を続ける」と主張してゐた。つまり条件が整へば対話に応じるというメッセージを送ってゐた。

 そんな中、日本政府だけが対話の必要性をほとんど完全に否定するような態度を取り続けた。

 安倍首相は9月に、ニューヨーク・タイムズ紙に次にような文章を寄稿してゐる(こちら)。

北朝鮮の場合には,問題解決のために,外交的手法を優先し,話し合いを重視する本来のやり方では効果をもたない。国際社会の一致した圧力が伴うべきことを歴史が物語っている。

北朝鮮は,これらの対話での約束の一部の履行に着手して,支援,制裁解除などの「対価」を得,その上で約束の大宗をことごとく反故にした。こうした歴史や,北朝鮮がなお弾道ミサイルの発射や核実験を続ける実像を前にすると,今,仮に対話を呼びかけても無駄骨に終わるに違いない。

 同じく9月の国連演説では次のように述べてゐる(こちら)。

対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
何の成算あって、我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
北朝鮮に、全ての核、弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。

そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。

 このように日本政府は2017年、世界に向けて「日本は東アジアの平和と安定のためにいかなる貢献もするつもりがない」というメッセージを送り続けたのだった。

 日本は「朝鮮戦争終結と南北統一、そして冷戦構造の終焉と東アジア新秩序構築」という大きな歴史の流れに完全に逆行した態度を取ってゐた。「戦後レジームからの脱却」が聞いてあきれる。安倍首相がやってゐるのは、むしろ「戦後レジーム=冷戦体制」への固執である。

 結果的に翌年の南北会談・米朝会談のころには東アジア外交の蚊帳の外に置かれ、当然のごとく拉致問題の解決も遠のいてしまった。

 あたりまえだが、対話をしなければ拉致被害者の状況はわからない。ここまで相互不信を煽ってしまえば、対話の再開は極めて困難になるだろう。

 要するに、安倍首相は拉致問題ナショナリズム起爆剤として都合よく使おうとしか考えてゐないのだろう。

 

 話を選挙に戻そう。

 選挙演説において、安倍首相は森友・加計問題には一度も触れず、北朝鮮危機を大きく取り上げ「この国を守る」と連呼した。「この国を守る」のは当然だ。誰が反対できようか。

 そうして始めに書いたとおり、53.68%という低投票率の中で与党は「圧勝」した。つまり、臨時国会開会の要求を無視し、解散権を乱用して「国難」をでっちあげて衆議院を解散し、「森友・加計問題による支持率低下」という「危機」を見事に突破したのだった。

 その勝因について、麻生太郎副総理兼財務相は10月26日、自民党議員のパーティーで次のように述べた。

明らかに北朝鮮のおかげもありましょうし、いろいろな方々がいろんな意識をお持ちになられたんだと思って、特に日本海側の遊説をしていると、つくづくそう思って、声をかけられる話が、そういう声をかけられるのがすごい多かったのが、遊説をしていた私どもの正直な実感です。 

 副首相によれば、首相の言う「国難」であるところの「北朝鮮」の「おかげ」で選挙に勝てたらしい。

 彼らは「したたかに選挙を戦った」あるいは「政治は結果がすべて」「これが政治だ」くらいのことを言って勝利に微笑んでゐるのかもしれない。

 しかし、このような「北朝鮮の政治利用」によって、日本は多くの国益を損ねたのである。

 繰返しになるが、北朝鮮との交渉が難しくなり拉致問題の進展が困難になったのは間違いない。

 「朝鮮人」に対する差別心・敵愾心を煽ることは、当然韓国との関係にも悪い影響を与える。マスコミも記事のビュー数が増えるからだろうが、南北朝鮮に対する嘲笑的な調子の記事を量産してゐる。

 これではいざ朝鮮両国との関係改善が必要になったときに、朝鮮蔑視的な国民世論が邪魔をすることになる。

 朝鮮両国と友好関係を築けないということは、東アジア新秩序に参加できないということであり、それは「米国の属国」から抜け出すことを困難にするだろう。

 いったい、「米国と100%一致してゐる」ことが自慢の国に、どこのだれが敬意を示し意見を求めてくるだろう。

 

 最後に野党の再編について略述しておく。

 安倍首相が解散に踏み切ったそのやり口について、多くの国民は「ズルイ」「卑怯だ」「姑息だ」「汚い」と感じた。

 この国民感情に敏感に反応したのが小池百合子東京都知事だった。

 9月25日、小池都知事は自身が代表を務める国政政党「希望の党」結党を宣言。そして驚くべきことに民進党の前原代表が希望の党との合流を独断で決定し、野党第一党である民進党が消滅することになった。

 小池は民進党の議員受入れに関して「リベラル派は排除します」「選別します」と満面の笑みで述べ、2015年に安倍政権が強行採決した違憲立法の安保法制、そして改憲に賛成であることを受け入れのための条件として提示した。

 マスコミは小池報道一色となり、一時は野党第一党になること間違いなしという空気が作られたが、上記の「排除します、うふふ(ニッコリ)」で露になった小池百合子のあざとく、えげつない人格に空気は一気に冷え切ってしまい、結果は惨敗。「排除」されたリベラル派を糾合して枝野幸男がつくった立憲民主党野党第一党となった。

 小池百合子の政治生命が事実上終わり、明確なリベラル路線を標榜する立憲民主党が出来たことがこの選挙の唯一よかったところだろうか。