林広貴の「お気に召すまま」

ー半島情勢を中心にー

朝鮮労働党創建72周年

 10月10日、北朝鮮朝鮮労働党は創建72周年を迎へたが、憂慮されてゐたやうなミサイル発射等の追加挑発行為はなかった。党機関紙である労働新聞は社説で、“核と経済の並進路線”を繰り返し前面に掲げ核・ミサイル開発を加速させる方針を改めて表明した。

 ミサイル発射はなかったが緊張は少しも和らいでゐない。今後も米韓軍事演習が控へてをり、それに対抗するかたちで北がミサイル発射等で威嚇をする可能性は高い。

北朝鮮、労働党創建日の10日を静かに過ごすか : 政治 : ハンギョレ

 注目すべき米朝の発言・主張を追ってみよう。

 9月15日、北朝鮮は中距離弾道ミサイル「火星12」を発射した。ミサイルは北海道上空を通過、発射地点から約3700キロ飛行し太平洋上に落下した。

 朝鮮中央通信によれば、現地指導にあたってゐた金正恩朝鮮労働党委員長は以下のやうに述べたといふ。

「われわれの最終目標は米国との実質的な力の均衡を達成することで、米国の執権者の口からわが国に対する軍事的な選択だ何だのというざれ言が出ないようにすることだ」

「火星12」の戦力化成功を宣言 正恩氏が発射を現地指導

 9月19日、トランプ米大統領はニューヨークの国連本部で行った就任後初の一般討論演説において「米国は強大な力と忍耐力を持ち合わせているが、米国自身、もしくは米国の同盟国を守る必要に迫られた場合、北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」と述べた。

 それに反応した朝鮮労働党中央委員会は9月24日、「世界各国の政党に送る公開書簡」を発表した。

Naenara-朝鮮民主主義人民共和国

「すでに報道された通り、米国執権者トランプは、国際的正義を実現することを基本的使命としている神聖な国連の舞台を悪用して敢えて朝鮮民主主義人民共和国の最高尊厳を傷つけ、朝鮮の国家と人民の「完全破壊」について公言する前代未聞の暴挙を働きました。」

「全人類がはっきりと覚えているのように、米国は世界で最初に核兵器を作った国であり、核兵器を実戦に使って数十万の無辜の人民を殺戮した国です。

1950年代の朝鮮戦争の時期、原子爆弾を使用するとわが国を公然と威嚇し、戦後、朝鮮半島に初めて核兵器を搬入した国もほかならぬ米国です。

このような世界最大の核保有国の執権者の口から「火炎と憤怒」、「完全破壊」といった核威嚇暴言が毎日のように吐かれていることが今日の現実です。

朝鮮労働党の戦略的核武力建設構想は徹頭徹尾、世紀をついで続けられている米国の核脅威を根源的に終わらせ、米国の軍事侵略を阻止するための戦争抑止力を整えることであり、われわれの最終的目標は米国と力の均衡を保つことです。」

  ぼくはむろん核の拡散には反対であるが、「筋」だけを言ふならば、北の言ひ分のほうが筋が通ってゐるやうに思へる。核保有国が「核無き世界」に向けて動いてゐない状況で、米韓日が「軍事的抑止力」によって北の核保有を抑へこむといふ方針は説得力を持たない。

 軍事オプションを採用するのか、交渉を再開し粘り強く落しどころを探るのか。

 米国はことあるごとに「全ての選択肢がテーブルの上にある」と表明してきたが(安倍晋三はそれを全面的に支持してゐる)、現実的には、先制攻撃は難しいし、あってはならないことである。

 9月25日、米国のハーバート・マクマスター国家安保補佐官は「北朝鮮核問題を解くことのできる精密打撃は存在しない」「北朝鮮核問題を解くことのできる軍事封鎖も存在しない」と述べてゐる。

米安保補佐官「精密打撃では北朝鮮核問題は解けない」 : 国際 : ハンギョレ

 又、スティーブ・バノン前ホワイトハウス首席戦略官が8月に「軍事的な解決策はない。それは忘れてしまっていい」「誰かが(戦争開始の)最初の30分で通常兵器による攻撃で1千万人のソウル市民が死なないという方程式を解かない限り、軍事的な解決策はない」と述べたことも記憶に新しい。

“トランプ右腕”バノン氏「北朝鮮問題、軍事的な解決策は忘れていい」 : 国際 : ハンギョレ

 10月9日にはマーク・ミリー米陸軍参謀総長が「朝鮮半島での全面戦はいくら考えてみても恐ろしい」「容易で危険のない、いい(軍事)オプションはない。そのようなオプションは極めて困難で危険だ。誰もそのこと(危険)を過小評価してはならない」と述べた。

米陸軍参謀総長「危険のない対北朝鮮軍事オプションはない」 : 国際 : ハンギョレ

 さうだ。だから、何とかして対話の糸口を見つけなくてはいけないのだ。トランプは軍事的オプションをちらつかせ、安倍は「対話には意味がないから圧力を」と叫んでゐるが、本当に戦争になればソウルは壊滅し、日本が米国を支持した場合は当然攻撃対象になるのだからミサイルが飛んでくる。

 原発を狙はれたら終はりだ。拉致問題どころの騒ぎではない、今日本列島で生きてゐる人たちが何百万人も死ぬ。北朝鮮軍はゲリラ化し戦争が長期化してアフガン以上の泥沼となるかも知れない。だから何とか両者が矛を収めて対話を再開しなくてはいけない。

 安倍にはそのつもりはない。安倍は東アジアの平和も朝鮮半島の統一も望んでゐない。戦争が起こって「こんな憲法では日本を守れない」と大騒ぎして改憲できればいいくらいに思ってゐる。この積極的危機招来主義者が今度の選挙でも勝ちさうである。

 が、幸ひなことに安倍は半島情勢においては端役である。問題は米国の態度なのであって、彼らは対話への意志を示し続けてゐる。

 9月30日、中国を訪問したレックス・ティラーソン米国務長官は「われわれは北朝鮮政府との複数の対話手段を保持している。暗闇のような状態にいるわけではなく、北朝鮮に通じる2~3のチャンネルを持っている」「われわれは北朝鮮に話し掛けることができるし、実際にそうしている」と述べた。

米、「独自のチャンネル」で北朝鮮と直接接触 ティラーソン国務長官 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

 更に、ジミー・カーター米大統領が、朝米間の仲裁のために、北朝鮮への訪問を希望してゐるとの報道も出てゐる。

「カーター、北朝鮮側に訪朝意志を伝達…金正恩と対話希望」 : 国際 : ハンギョレ

 彼らの努力が実ることを切に願ふが、最大権力者たるトランプはどうも対話路線が気に入らないらしい。

 トランプは10月1日にツイッターに「ティラーソンはリトルロケットマンと交渉して時間を無駄にしてゐる」と投稿した。

 ティラーソンはその後、「不満はない」「辞める気はない」と言ったりしてゐるが、年内にも辞任するのではないかと観察する人もゐる。彼はこれまでトランプが過激な発言で北朝鮮を挑発する度に、対話路線を強調しバランスをとって来た人物だ。本当にティラーソンが辞任するやうなことがあれば彼が探ってゐるといふ交渉への道も途切れてしまふかも知れない。続報を注視したい。

 10月13日、トランプは演説を行ひ、米国・英国・ドイツ・ロシア・フランス・中国の6カ国が一昨年イランと結んだ核合意を「認めない」「不公平な合意である」と主張した。これを受けて英仏独の首脳は「影響を懸念する」との共同声明を発表した。

核合意への信頼揺るがない=英独仏:時事ドットコム

 さらに中国の環境時報は14日「イラン核合意をどうするか、米国が勝手に決めていいものではない」と題する社説を掲げ、その中で以下のやうに述べ、北朝鮮問題への影響に言及した。

「イラン核合意は確かに完全なものではないが、それは北朝鮮核問題等の政治的解決のための、一つの範例となるものだ。その歴史的な意義は、政治的交渉によって各方面の共通の利益を見出し、そうして多国間交渉により難題解決への道を作りだしたことにある。イラン核合意が一旦破綻してしまえば、当然のように北朝鮮核問題の政治的解決はより困難になる。ピョンヤンは、国際的な合意を気ままに覆す米国を信頼に足る交渉相手と見なさなくなるだろうから。」

社评:伊朗核协议怎么样,不是美国说了算_评论_环球网

 ぼくはこの社説に完全に同意する。

 かういふ動きに対して指南力のあるコメントを出すことができれば日本の国際的な存在感が増すはずなのだが、そんなもの安倍首相には・・・望むべくもない、か。

明日公示。

 第48回衆議院議員総選挙は明日10日公示日をむかへる。確認だが、これは安倍首相が国会における野党の追及から逃れるために衆議院を解散したことによる、大義のかけらもない選挙だ。

 政局を追ひかけて右往左往するのは純粋な徒労でしかなく、ほとんど中身のない、そして嘘だとわかってゐる政治家の言葉を理解しようと反芻してゐるとこちらの気がめいってくる。

 多くの国民はさうして政治への関心を失ひ投票率は下がる。低投票率の中で「大勝」を続けて政権を維持し、勝てば官軍とばかりに民主的なプロセスを踏みにじり、違憲立法を行ってきたのが安倍政権だ。

 トランプと金正恩が威嚇・挑発を続け、半島を巡る危機がエスカレートするなか、安倍はその危機が最高潮に達することを望んでゐるとしか考へられない言動をとってきた。

 彼は日本を戦争ができる「普通の国」にしたいといふ妄執につき動かされて、実際に日本が巻き込まれるやうな戦争を、あるいは参加せざるを得ないやうな戦争を切望してゐる。さうした本当の意味での国難になれば「こんな憲法では国を守れない」と言って彼の憎悪する平和憲法を捨て去ることができるからだ。

 森友・加計問題によって安倍への不信が高まる中、「安倍一強を倒す」といふ演出でメディアの話題をさらひ登場してきたのが小池百合子率いる希望の党だった。小池の起した「風」に乗りたいと思った日本維新の会希望の党にすりよった。

 メディアの提供する枠組みによれば「自民・公明」「希望・維新」「立憲民主・共産・社民」の三極構造といふことになってゐる。

 しかし事実は違ふ。「自民・公明」「希望・維新」は共に改憲勢力であり、日米同盟強化・及び重武装による抑止力強化といふ点で共通してゐる。彼らはそれが現実的な認識に基づくリアルな外交であると主張し、さうした立場を「保守」と言ってゐる。彼らは選挙後に協力して改憲発議をしたいんだらう。

 もうひとつ、極めて重要なことだが彼らは「民主的なプロセスは面倒だから独裁くらいが丁度よい」と考へてゐる点で共鳴してゐる。

 この5年の安倍自民党政治、そして小池が都民ファーストの会希望の党の運営で示したスタイルは明らかに独裁的である。

 さういふわけで、今回の選挙は実質三極ではなく次の二極の争ひと言っていいだらう:

安倍/小池的な国のあり方及び政治手法を信任する→自民・公明・希望・維新

それに反対し、民主的なプロセス・多様性を重んじる→立憲民主・共産・社民

 政治的立場を表明する際、あるいは相手のそれに標識をつける際に「保守・リベラル」「右翼・左翼」といふ言葉が慣用されてゐるが、現在の状況を鑑みるに、それらの言葉と現実とが完全に乖離してをり使用する者が任意の意味を与へることができ、正しい機能を果たしてゐないやうに思へる。

 安倍と小池は「保守」を自称しまた他称されてゐるが、戦後レジームからの脱却をかかげる安倍や、日本をリセットすると言ふ小池をどうして「保守」と呼べよう。ぼくの目には護憲を掲げる日本共産党のほうがうんと保守的に見える。

 現実を正しく表す言葉が出てきてほしいと思ふが、ぼくはさしあたって「良識派」と「アンチ良識派」といふ大分類を採用して整理の補助線にしてゐる。

 「良識派」とは理念・ビジョンをかかげ、その理念に基づいて現実を動かしていかうとする立場。理念と現実との二元論。

 「アンチ良識派」はその反対で現実に密着して、そこから離れずに発想する現実だけの一元論。

 この「保守・リベラル」「右翼・左翼」といふ枠組みが無効化してゐることは個人的にはけっかうな大問題だと思ってゐる。政治的立脚点を示すふさはしい言葉がなくては議論は空転するばかりではないだらうか。

 半島情勢についても書くつもりだったが時間がなくなったので次回。

カオスの時代へ

 9月28日衆議院が解散された。

 安倍首相は25日官邸で行った記者会見で「この解散は『国難突破解散』だ」と述べてゐる。国難を突破するために国会を解散するのださうだ。まったく意味不明だ。彼の言葉が意味不明なのはいつものことで、意味不明な言葉を発し続けたせゐで、彼の知力・思考力はもう正常な活動ができなくなってゐるやうにみえる。

 会見によれば、安倍のいふ「国難」とは「急速に進む少子高齢化」と「緊迫する北朝鮮情勢」である。

 その「国難」を「突破」するために衆議院を解散し「消費税の使ひ道の見直しについて」と「北朝鮮問題への対応について」国民に信を問ふのださうだ。

 そこで持ち出してきたキャッチフレーズは「生産性革命」「人づくり革命」である。ちょっと前までは「仕事人内閣」が「一億総活躍」「働き方改革」を実現するといってゐたやうに思ふがぼくの記憶違ひだらうか。

「改革」が「革命」に変はったのは、ここ何十年か政治家達が「改革」を叫びすぎたせゐで「改革」といふ言葉がほとんど何の意味ももたない「イケメン」みたいな「ゼロ査定していい枕詞」と化してしまったからで、より大げさな言葉をもってくる必要が出てきたからだらう。しかし「革命」は「保守」を自称する政党が掲げる言葉ではないだらう。それは安倍の大嫌いな「左翼」が目指すものであるはずだ。が、彼にはそんな言葉の厳密な使用などどうでもよいのだ、きっと。言葉をぞんざいに扱ふことは、そのまま現実をぞんざいに扱ふことなのだが。 

 北朝鮮問題への対応については、

拉致・核兵器・ミサイル問題の解決なくして、北朝鮮に明るい未来などありえません。北朝鮮に、その政策を変えさせなければならない。そのための圧力であります。

「圧力の強化は北朝鮮を暴発させる危険があり、方針転換して対話をすべきではないか」という意見があります。

世界中の誰も、紛争など望んではいません。しかし、ただ対話のための対話には意味がありません。

拉致問題の解決に向けて、国際社会でリーダーシップを発揮し、全力を尽くしてまいります。

 と、相変はらず圧力強化の一点張りだ。「対話のための対話」を継続して行ふことが「有意義な対話」に至る唯一の道だとぼくは考へる。対話を否定し続けて一体どうやって拉致問題を解決するつもりなのか。

 中国とロシアは、北には核ミサイル実験の中止を、米韓には合同軍事演習の中止を求め平和的解決を訴へてゐる。その米韓も対話を促すメッセージを送り続けてゐる。

 北朝鮮にしたところで(彼らの特殊な言明はいつも分かりづらいが)対話を完全否定してゐるわけではない。彼らはずっと「米国とその追従勢力による核の威嚇がやまない限り、核・ミサイル開発を続ける」と主張してゐる。要するに条件が整へば対話に応じるといふことである。

 その中で「対話の試みは無に帰した。今は圧力だ。」と対話そのものを否定してゐるのは日本だけだ。米朝が和解すれば日本は孤立するだらう。

 安倍は積極的に危機を招来してゐる。結局のところ、外交能力がないから惰性的に強硬姿勢を取り続けてゐるだけのことだ。

 彼は上記二つの「国難」を「突破」するために衆議院を解散したさうだが、これはもちろん嘘である。こじつけである。

 少子高齢化など何十年も前からわかりきった話であり、消費税の使ひ道を変へるからといっても、そもそも10%に上がるのは2019年の10月のことなのだから今解散してどうこういふ筋のものではないだらう。

 北朝鮮情勢に関しては、誰もが思ふやうに、本当にそれが危機であるならば解散して政治的空白をつくるのはお門違ひも甚だしい。

 安部は「むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応によって、国民の皆さんに問いたいと思います。」と語ってゐる。

 彼は「むしろ」といふ副詞と「こそ」といふ係助詞によって強調している感じを演出してゐるが、前提である北朝鮮の核・ミサイル開発と、それを突破するために衆議院を解散するといふ結論がそもそも論理的に繋がらないため(といふか国難を突破するといふ語彙の組合せがそもそもをかしい)、やはり意味不明な言葉となってゐる。彼の頻用する「まさに」と「いはば」もただ強い語感を求めてのことで「意味」と「論理」はどうでもよいのである。

 安倍はどこかの時点で「論理的思考力」を―あるいは自ら進んで―失ってしまったのだと思ふ。それは、意味不明な言葉を際限なく述べて時間をかせぐことが論争に又政局に有利に働くといふ成功体験を彼がもってしまったからだ。

 ジャーナリズムの機能不全と有権者の無関心がそれを支へてきた。結果、政治言説は死に体となった。言葉が死に体となったために、現実もドロドロと融解をはじめ、ぼくらの足下にはじっとしてゐれば沈んでゆき、どこに足を踏み出してもぐにょりと撓んでぐらついてしまふやうな頼りない現実しかない。

 何が正しくて何が間違ってゐるのか。世界はどうあるべきであり、わたし達はどのやうな社会をつくり、そこでどう生きていくべきなのか。本質的な問ひ、ビジョン、理想、理非曲直は一顧だにされない。あるのは政局といふ名の浅ましいマウンティングの取り合ひだけだ。

 安倍が解散に踏み切った真の理由はいふまでもなく森友・加計問題への追求から逃れるためだ。野党がガタガタである今なら選挙に勝てると彼は踏んだらしい。それを多くの国民は「ズルイ」「卑怯だ」「姑息だ」「汚い」と感じた。

 この国民感情に敏感に反応したのが小池百合子東京都知事だった。

 9月25日、小池都知事は自身が代表を務める国政政党「希望の党」結党を宣言。そして驚くべきことに民進党の前原代表が希望の党との合流を独断で決定し、実質、野党第一党が消滅することになった。

 メディアは北のミサイルも安倍も忘れて小池報道一色となった。

 小池は常に「受けさうなこと」だけを言ってきた人だ。オバマ旋風のときにはカメラに向かってニッコリ微笑んで「チェンジ!」と言ひ、トランプが「アメリカ・ファースト」を掲げて大統領になった昨年、都民ファーストの会を立ち上げて都知事となった。

 関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者に対する追悼文送付を拒否した小池は、外国メディアから極右の政治家と評されることが多いやうに思ふが、安倍のやうなイデオロギー的極右といふよりは受け狙ひのファッション極右といふ感じがする。

 小池は民進党の議員受入れに関して「リベラル派は排除します」「選別します」と満面の笑みで述べた。その踏み絵が2015年に安倍自民が強行採決した違憲立法の安保法制、そして改憲だ。「この二つに賛成する者でないと希望の党には入れてあげないわよ」と宣言したのだ。彼女は前原をうまく騙して「わたし、冴えてる!」くらいに思ってゐるのかも知れない。

 しかし彼女の傲慢な笑顔が有権者に対して「嫌な感じ」を与へたこともまた確かだらう。「参ったか!」といはんばかりの小池の微笑みに、ぼくはいかなる希望も抱くことができない。もしこの「嫌な感じ」が拡散されれば、希望の党の票が存外伸びないといふ可能性もあるだらう。

 民進党のリベラル派が結成するであらう新党の出方次第によって、即ち野党共闘の如何によっては、「安倍も小池も負ける」といふことだってあるかも知れない。

 ぼくは日本が半島情勢の平和のために尽力し、韓国と協同で米国からの独立を果たし、日中韓の友好を深めるべきだと考へてゐる。安倍も小池も御免蒙りたい。野党共闘を応援する。

 どう転んでも日本は長期的なカオスとなる他ないやうにみえる。この国には聡明で志の高い人がたくさんゐるにもかかはらず、彼らは政治家にはなりたがらずまたなれない仕組みとなってゐるのかも知れない。良識を持ち続けることがキレイゴトだとして馬鹿にされる時代だ。こんな現実にどっぷり浸かってゐては気が変になってしまふ。

 ぼくは日本人を半分降りたつもりでこのドロドロの現実を生きたいと思ふ。さうでもしないと良識も正気も保つことができないから。

翻訳 北朝鮮核問題:過去、現在、そして未来―中国の視点から―

 北朝鮮核問題に関する論文及び記事を二編翻訳したのでアップします。

 一つ目は元中国外交部副部長の傅瑩女史が今年5月3日、米ブルッキングス研究所に発表した論文「北朝鮮核問題:過去、現在、そして未来―中国の視点から―」https://www.brookings.edu/wp-content/uploads/2017/04/north-korean-nuclear-issue-fu-ying.pdf

 原文は英語ですが、ぼくはどちらかと言へば中国語のはうが得意なので(そちらも怪しいが)以下の中国語訳を参考にしました。

朝鲜核问题:过去、现在和未来 - 四维金融-把握宏观经济大势 ,评析金融市场风云

 論文ではありますが、中国の立場を英語圏の人に伝へることが趣旨であり、一般向けの啓蒙的な内容となってゐて、講演の書き起こしでも読んでゐるやうな感じがしたので「です・ます調」で訳しました。

 中国の視点から論じたものですから当然中国寄りのものとなってゐます。ですから例へば以下の防衛研究所が昨年開催した安全保障国際シンポジウム「北朝鮮をめぐる将来の安全保障環境」の報告書などを読むとバランスが取れるかと思ひますので参考にリンクを張っておきます。http://www.nids.mod.go.jp/event/symposium/pdf/2016/j_09.pdf

 もう一つは今年4月25日英フィナンシャルタイムズ中国語版に掲載された鄧聿文氏の記事「朝鮮半島の統一を推進することが中国にとって最大の国益である」です。

主动推进半岛统一是中国最大的国家利益 - FT中文网

 題名の通り、北朝鮮が中国の先兵を演じてくれる時代は終はったのだから、半島の統一を推進したはうがよいと論じてゐます。日本の論調を見ますと「中国は、北朝鮮には戦略的緩衝国として現行体制のまま存続してゐて欲しいと思ってゐる」みたいな考へが支配的ですが、少なくとも鄧聿文といふ知識人はさうは考へてゐないやうです。

 もう少し前書きを続けます。

 北朝鮮が核・ミサイル開発を止めないので、各国の要人達の中にも苛立ちを隠せない人がちらほら出てきてゐます。たとへば6月29日、自民党二階俊博幹事長は「もうこのごろは地元にもあまり帰れない。なぜかと言うと、よく変なものを打ち上げてくる気違いみたいな国があるでしょう」と述べました。酷い言ひ方です。が、どうでせうか。実際北朝鮮を「気違いみたいな国」だと思ってゐる日本人はたくさんゐるのではないでせうか。

 けれどそれは困ります。傅瑩女史の論文が指摘するやうに、北朝鮮は自国の安全を保障して欲しいから、その交渉材料のために核・ミサイルの研究を続けてゐるだけです。止めて欲しいとは思ひますが、北朝鮮の不安は理解できますし、相手に共感しようと努めなければ対話は始まらないでせう。

 1910年に日本は朝鮮を併合し半島を支配下におきました。1945年日本の敗北により半島の占領は終はりましたが、すんなり独立とはいかず1950年、ソ連及び中国が支援する北朝鮮と米国が支援する南朝鮮の戦争が勃発しました(朝鮮戦争)。1953年に休戦協定が結ばれましたがあくまで休戦協定であり戦争は終はってゐません。

 最大の問題は「朝鮮戦争が終はってゐない」ことにあります。それが60年前の戦争であるために、今の私達には毎月発射されるミサイルの恐怖に関心がいきがちですが、この「朝鮮戦争は終はってゐない」といふ事実を常に頭においておく必要があります。

 現在、韓国と日本には米軍基地があり両国は「核の傘」に入ってゐます。中国もロシアも核を持ってゐますが、北朝鮮はどちらからも「核の傘」を提供されてゐません。その中で米韓日が圧迫をかけてくるわけです(もちろん金大中太陽政策のやうに平和的なアプローチもありますが)。米国は非核保有国に対しては戦争を仕掛ける国ですから、北朝鮮が核保有を目指すのは狂ってゐるとは言へないでせう。

 北朝鮮がミサイル発射実験を行ふと我々は「威嚇」「挑発」と言ひます。それに対して米韓日は軍事演習を行ったり空母を派遣したりTHAADを配備したりして「牽制」するわけです。しかし北朝鮮からすれば米韓日が「威嚇」「挑発」してゐるやうに見えるのではないでせうか。

 北朝鮮のミサイル発射を「威嚇」「挑発」ではなく「懇請」と捉へる必要があります。彼らは「攻撃しないでくれ」「何の前提も条件も抜きで交渉してくれ」と言ってゐるのではないでせうか。

 7月4日と28日、北朝鮮大陸間弾道ミサイルICBM)の発射実験を行ひました。それを受けて先にも取りあげた二階俊博氏は「地方、地域で大きな防空壕を造ることができるかできないか、対応していかなければならない」と述べ、安倍晋三首相は「日米双方にとって北朝鮮の脅威が増したことが現実のものとなったことを明確に示すものだ」と語りました。

 ぼくは彼らの言明を「煽ってゐる」とは言ひませんが、彼らがその発言通りの現実認識をしてゐるならばけっかうな問題だと思ひます。

 まづ、ICBMの発射実験成功の意味するところですが、これは「ミサイルがアメリカに届くか」といふところがポイントなのであって、日本を射程に入れたミサイルはとうの昔に開発済み且つ配備済みですから、ICBMの開発が日本にとって脅威の増大になるかといふと違ふでせう。ICBM開発の成功はアメリカにとって脅威なのです(もちろんミサイル発射実験においてその通過点である日本に落下するといふ危険はある)。アメリカにとっての脅威が増大した結果、アメリカは何がしかの反応をせざるを得ず、そのリアクションによっては日本に危険が及ぶ可能性があるといふのが本当でせう。アメリカがここまで追い込まれたといふのは明らかに北朝鮮政策の失敗であり、だからこそ大急ぎで国連決議にもちこんだ。アメリカはとても焦ってゐる。

[ニュース分析]安保理制裁…韓米軍事演習間近「朝鮮半島、非常に重大な時期に突入」 : 政治 : ハンギョレ

 北朝鮮が先制攻撃を行ふ可能性は極めて低いでせう(絶対無いとは言ひ切れないですが)。その上で、日本が北朝鮮の攻撃対象になる状況といふのは二つの前提を満たした場合に限られると思ひます。一に、米国が北朝鮮に先制攻撃を行った場合。二に、それを日本が支持した場合(支持しなくても米軍基地は攻撃対象になるでせうからこの二はあまり意味がないかもしれませんが)。米国が先制攻撃を行った場合、安倍政権は間違ひなく支持するでしょう(強く)。ですから、なんとしてでも「米国に先制攻撃させない」といふことが東アジアの平和にとって最重要課題であるとぼくは考へます。

 だから当然対話が再開されなくてはいけない。そのために、中国と韓国は対話再開に向けたビジョンを示してゐます。

 中国の提案は傅瑩女史の論文にも言及されてゐる“双中断”即ち北朝鮮の核・ミサイル試験と韓米の大規模軍事訓練を同時に中断するといふものです。

対北朝鮮制裁に賛成した中国「今度は米国が北朝鮮と対話せよ」 : 国際 : ハンギョレ

 又、韓国の文在寅大統領は「ベルリン構想」を通じて北朝鮮に対話を呼びかけてゐます。

「いつになく対話が切実」…文大統領、平和協定・南北交流などすべてのカード取り出す : 政治 : ハンギョレ

 が、今のところ北朝鮮は韓国の呼びかけには応じてゐません。その理由は「米国と連携して圧力をかけてゐるから」とのことです。

南北外相、マニラで接触=北朝鮮、対話提案拒否か:時事ドットコム

 では、どうしたら北朝鮮の核・ミサイル開発を停止させることができるのでせうか。答へは極めて単純で、それはアメリカが「ありのままの北朝鮮」を認めた上で対話に乗り出すことです。ぼくにはそれしか方法がないやうに思へます。これ以上圧力をかけ制裁を加へ、石油を止めてしまふのは危険すぎる。

 ぼくの知る範囲で最も現実的な提案を行ってゐるのは米国のロバート・ゲーツ元国防長官です。

ゲーツ元米国防長官「北朝鮮に10~20の核を保障…朝鮮半島軍事力の変更も」 : 政治 : ハンギョレ

 上記記事によればゲーツ氏は「北朝鮮を攻撃する良い軍事的選択はなく、朝鮮半島における全面戦の破壊と危険のため、軍事的選択は交渉テーブルから排除されなければならない」と述べ、更に「北朝鮮核兵器を放棄させることはできないと思う」とし、「北朝鮮の核保有を制限的に“保障”(insure)する査察を行おう」という大胆な提案をしてゐます。「米国は中国を通じて、いかなる外交的解決策においても、10~20個の核兵器を超えない限られた核の保有を保障すると共に、これ以上の核兵器やさらに進展した運搬能力を開発しないことを明確にする査察に、北朝鮮が同意すべきだと伝えなければならない」とのことです。

 北朝鮮情勢が完全に膠着してゐるのは端的に言って「10~20個の核兵器を超えない限られた核の保有を保障する」といふ提案をどの国も吞む気がないからではないでせうか。しかし、過去の経緯を振り返ると北朝鮮は核保有を諦めるつもりはなささうですし、時間が経つほど北朝鮮保有する核弾頭数は増えてゆくのです。だから限定的な核保有を認めた上で(ちょっと矛盾するやうですが)非核化を目指す他ないのではないでせうか。

 筋論だけを言ふならば、核保有国が非核保有国に対して「お前は持つな」と言ふのは通らないでせう。米国の「核の傘」に入ってゐる日本においてさへ核保有論者はたくさんゐます。例へば先日辞任した稲田朋美防衛大臣がさうです。要するに中国・北朝鮮が脅威であるから日本も核武装して抑止力を高めようといふのです。その稲田朋美安倍晋三は寵愛してをり当初は次期総理に推薦するつもりだったと言はれてゐます。 

 安倍首相にしろ稲田前防衛大臣にしろ「日米同盟の強化で中国北朝鮮に対抗しよう」といふ発想以外に現実認識の枠組みがないやうに見えます。

 安倍晋三拉致問題によるナショナリズム昂進を利用して総理になった人であって、北朝鮮に対しても強硬姿勢を取りづづけてをり、拉致問題はまったく進展してゐません。核問題に関しても、上記の通り中国韓国は対話の提案をしてゐますが、安倍は「今は対話のときではない」とか「(六者会合に関して)再開できる状況にない」とか「対話のための対話では意味がない」とか言ふばかりで平和のための提案を一つもしてゐません。

 安倍にとって「日本の誇りを取り戻す」とは「米国に追従しアジア諸国に対して偉さうな態度を取る」といふことです。彼は2006年刊行の「美しい国へ」で北朝鮮に対する制裁に言及し以下のやうに述べてゐます。

 一見もっともらしく聞こえるが、覚悟が必要なのはこちらではなく、北朝鮮のほうなのである。あなたたちが誠意ある回答を示さなければ、日本は最終的には経済制裁をしますよ。生活が苦しくなるし、政権がゆらぐかもしれない。これを受けて立つ覚悟があなたたちにありますか―日本のほうがそう彼らに突きつけているのであって、けっしてその逆ではない。

(中略)

 だが過去におこなってきたように、かれらはまたミサイルの試射を行う可能性がある。しかしミサイル攻撃をする可能性は、きわめて少ない。なぜなら、日本をミサイル攻撃すれば、安保条約によってアメリカがただちに反撃するからである。湾岸戦争イラクの要人を狙ったときがそうであったように、おそらくピンポイントで狙うだろう。

 凄い文章です。引用文の行間には「へっへーん。凄いだろ~アメリカについて行けばこっちのもんだぜ~」といふ小児的万能感が溢れてゐます(おそらくピンポイントで狙うだらう!!)。

 又彼は、2013年文藝春秋1月号に発表した「新しい国へ」では以下のやうに述べてゐます。

 集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです。それにより、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要がなくなる。これが日本の安全保障の根幹を為すことは、言うまでもありません。

(中略)

 今回の総選挙で自民党は「日本を、取り戻す。」というスローガンを掲げています。

 これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません。敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります。

  再び、凄い文章です。「戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す」のださうです。おそらく彼の頭の中には日本国憲法があるのでせう。安倍首相は日本国憲法のことを「占領期に押し付けられたみっともない憲法」だと認識してゐる人です。その憲法のもとで戦後復興をとげた戦後の歴史そのものを「なかったことにしたい」のでせうか。

 日本国憲法は自由・平等・平和主義・法の支配といった普遍的な理念を謳ったものですから「みっともない」ものではないわけで「米国が押し付けた」といふのなら対米自立に転じてさっさと米軍基地撤退に向けて動き出したらよささうなものです。でも彼はさうしない。彼の憎悪は米国には向かはずに米国が提供した普遍の原理とその原理を有難がってゐる市民に向けられてゐます。

 彼は2017年1月20日の施政方針演説ではかう言ひました。

これまでも、今も、そしてこれからも、日米同盟こそが我が国の外交・安全保障政策の基軸である。これは不変の原則です。

 日米同盟は不変の原則!

  普遍の原理を謳ふ日本国憲法はみっともなくて、沖縄に米軍基地を押し付ける日米同盟は不変の原則だと言ふ。正気の人間の言葉とは思へません。

 安倍晋三朝鮮半島の平和など望んでゐません。ごく普通に考へて朝鮮半島のそして東アジアの平和の実現とは朝鮮半島の統一であり、日中朝鮮がそれぞれ友好関係を築くことです。ところがさうなった場合、米軍が日韓に駐留する根拠は無くなってしまふ。東アジアの平和を構想することは「米軍のゐない日本」を構想することであり、安倍やその支持者には、それだけはどうしてもできないのです。なぜなら日本が中国・朝鮮と友好関係を築くためには過去に日本が行った侵略と向き合ふ必要があるからです。安倍及びその支持者はそれが死ぬほど嫌なのです。米国に隷属することより嫌なのです。だから「日米同盟は不変の原則」と高らかに宣言するのです。

 が、彼らがどう言はうと日米同盟は不変の原則ではありません。数十年以内に中国は米国を抜き世界第一の経済大国になる。中国の勃興も米国の没落も止まらないでせう。米国は今後何十年かかけて世界中の基地を少しづつ撤退させることになるのではないでせうか。

 ドイツのメルケル首相は2017年5月、G7サミット後に「ドイツが他国に頼れることが出来た時代はある程度終わった」と述べました。日本も同じはないでせうか。

 日本が目指すべき外交政策ははっきりしてゐます。それは「End The Cold War , Make The East Asian Peace Without America」即ち「冷戦を終はらせ、アメリカ抜きの東アジアの平和を構築する」これでせう。別に今すぐアメリカに出て行けといふのではない。ビジョンの話です。この発想は目下まったく現実的ではなく、ぼく自身イタいことを言ってゐるといふ自覚はあります。けれど、50年、100年先のことを考へたら、アメリカ抜きの東アジアの平和を構想しておく必要があるのではないでせうか。

  前書きが長くなり話もずいぶんとっちらかってしまひましたのでまとめます。北朝鮮核問題に対して、また広く半島の統一に対してどのような態度をとるかによって今後の日本の立場が決定されると思ひます。東アジアにおいて、いつかアメリカが去り中国が唯一の大国となる日が来る。日本は一刻も早く韓国との関係を改善し、韓国と協調し、米国に対して北朝鮮との対話に応じるよう説得すべきだと考へます。

 それでは以下に、翻訳した記事を掲載いたします。例によって誤訳・悪文はぼくの浅学菲才のせゐです。誤りが見つかればその都度修正していくつもりですので、どうかご容赦ください。

 なほ、仮名づかひは「現代仮名遣い」で書いています。

 

 北朝鮮核問題:過去、現在、そして未来―中国の視点から―

                 中国全国人民代表大会外事委員会主任委員 

                 中国社会科学院グローバル戦略研究員 傅瑩 

                  2017年5月3日 米ブルッキングス研究所

 朝鮮半島の核問題は東北アジアの安全保障において最も複雑で最も不安定な要素です。そして現在、アジア・太平洋ひいては国際社会において高い注目を集めています。この問題がヒートアップするに随って、多くの人がこんな質問を投げかけるようになりました。「中国は北朝鮮核問題においてより大きな責任を果たし、核開発をやめさせることはできないのですか?」

 中国は2003年以来、アメリカの要請に応じて朝鮮半島の核問題において仲介を行い、また会合を主催してきました。発展途上国として、中国は平和五原則をかかげています(訳注:平和五原則とは領土主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)。半島の核問題という地域の安全に密接に関わる問題に対して、中国は核の拡散に断固として反対という立場をとっています。仲介の任を担うようになって以来、中国は朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と略)に対して核開発を中止するようはっきりと要求を行い、また関係諸国―とりわけ米国―に対し、北朝鮮が抱えている安全上の不安にしっかりと向きあうよう説得してきました。

 しかしながら米朝両国の間に横たわる深刻な相互不信は、長期の会合の末に到達した合意や協定の履行を困難にしています。中国は自らの責任を果たすため、懸命に仲介を続け、また国連安全保障理事会の決議に基づき、北朝鮮の核・ミサイル開発に対する制裁にも参加しています。しかし中国が米朝両国に対しそれぞれが責任を果たすべきだと説得してもそこに強制力はありません。

 中国は北朝鮮の安全上の不安を解く鍵をもっていませんし、彼らに核計画の停止を納得させるほどの強い影響力はないのです。そして北朝鮮から安全上の脅威と見なされているアメリカは、彼らが要求している安全の確保というこの核問題を解決するための前提を考慮する気がないように見えます。

 双方の主張が交わらないとき、半島の核問題は膠着し、北朝鮮は核開発プログラムを前進させます。彼らは2005年以来5度の核実験を行い、数えきれないほどの弾道弾発射実験を行ってきました。その間、国連安保理は制裁を強化し、北朝鮮を牽制するための米韓の大規模な軍事演習も耐えずスケールアップしてきました。結果、半島の緊張は高まり、平和的解決を目指す会合は再開されず、事態は危険水域に達しています。

 国際社会において主体となるのは国家であり、その国家は国際法により主権を賦与されています。強国は一般に強い影響力をもちますが、同時に自らの言動が引き起こした結果に対して責任を負はなければなりません。そして小さい、或いは弱い国が強国の圧力に対抗的なアクションをとる場合はそれなりの代価を払うことになります。

 国際情勢とは各国がある問題に対してとった行動とそれに対するリアクションが引き起こすうねりであるわけですが、そこに生まれた緊張はしばしば制御困難なものとなり我々を予期せぬ方向にひきずりこみます。ですから中国は対話による核開発問題の平和的解決こそが“パレート最適の選択”であると認識しているのです。関係者全員が望む最高の結果には到達できませんが、各方面が最小の代償を払うことで現実的な利益を最大化することができます。当然、アメリカ含む全関係者はそれぞれが担うべき責任を要求されますし、妥協も必要となります。目下、会談からは所期の成果が出てきていないわけですが、それはまさに合意事項がしっかりと履行されなかったからであり、その結果協議は停止してしまいました。

 地域の平和と安定を維持するため、過去においても未来においても、中国は朝鮮半島の非核化という立場を堅持します。そして半島の核問題は対話によって解決されるべきであると考えます。南北朝鮮は地理的に地続きであり共に中国の隣邦です。ことに北朝鮮とは1300キロの国境線を共有しています。半島で武力衝突が起これば地域全体の平和と安定を損ない、多くの無辜の犠牲者をだし、事態は収拾困難な方向に進むでしょう。過去数十年、この世界で行われた軽率な武力行使が与える教訓は極めて深刻です。

 本論考では北朝鮮の核問題を巡る近年の協議の経緯を整理してみたいと思います。それは三者会合から六者会合、協議の決裂を含み、そのうちのいくつかの出来事はわたし自身が当事者として関わったものです。

 読者諸兄が北朝鮮核問題の起源、そして関係諸国が行ってきた努力について理解するための一助となれば幸いです。なぜ状況はここまで悪化してしまったのか。なぜ、そしてどのように平和的解決への道が閉ざされてしまったのか。その経緯を回顧することが未来におけるより賢い選択につながって欲しいと願います。

 中国にこんな諺があります「鈴をはずせるのはその鈴をつけた人だけだ」。北朝鮮核問題という錆びた錠を開けるには、正しい鍵を探し出す必要があります。

 米朝枠組み合意”と第一次核危機

 北朝鮮核問題における中国の役割という観点からみれば、2003年は一つの分水嶺でした。それ以前、この問題はもっぱら米朝二ヶ国によって交渉が行われており、それは“米朝枠組み合意”に結実しました。2003年以降、中国が重要な斡旋の任を担い、多国間交渉の枠組みができあがりました。

 ではその2003年2月の米パウエル国務長官の訪中から物語を始めましょう。わたしは当時、中国外交部アジア局局長として応接にあたりました。パウエル氏の訪中には二つの重要な背景がありました。一つは2003年1月10日、北朝鮮が“核不拡散条約(NPT)”からの脱退を宣言し、第二次核危機が発生したこと。もう一つは、中東情勢の緊張が高まり、米国のイラクに対する軍事攻撃が目前に迫っていたことです(訳注:2003年3月20日、米英軍はイラクへの攻撃を開始した)。当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は中東と極東という二つの地域で同時に軍事的圧迫が高まることを避けるために、パウエル氏を派遣し中国に北朝鮮問題に関して協力を要請したのです。

 人民大会堂において、当時の胡錦濤国家副主席がパウエル国務長官一行と面会しました。パウエル氏は半島の核問題について中国による仲介を求め、又、北朝鮮を信用することはできないと言いました。そして多国間交渉での解決を探るために、中国が米朝両国を北京に招くというかたちでの協議を提案してきたのです。

 パウエル氏の訪中は第二次核危機を受けて行われたものですが、その危機がなぜ起こったかといえば、相当程度“米朝枠組み合意”が履行されなかったことが原因です。これが両国の関係を悪化させました。米国は、2003年を目標年として北朝鮮黒鉛減速炉及び関連施設を二基の1000メガワット軽水炉に置き換えるという合意を守りませんでした。北朝鮮も合意における全項目を履行したわけではありません。その背景には半世紀以上にわたる朝鮮半島の政治的動揺及びこじれもつれた関係国の利害があります。

 “米朝枠組み合意”という名称が示すとおり、米国と北朝鮮がこの問題の主役です。北朝鮮の核問題を根源から理解しようとするならば、法的にはまだ終結していない朝鮮戦争にまで遡って考えることが必要です。

 1953年7月27日板門店において、朝鮮人民軍最高司令官と中国人民支援軍司令官を一方に、国連軍総司令官を他方に、“朝鮮戦争休戦協定”と“休戦協定に関わる暫定補足協定”が署名されました。しかしこれはあくまで休戦協定であり、平和条約ではありません。つまり停戦はしているけれど戦争状態は続いているということです。これが、半島情勢が長期的に不安定である原因の一つです。

 休戦協定署名後、朝鮮半島北緯38度線軍事境界線として南北に分断されました。南の大韓民国(以下、韓国と略)は米国を主とする西側諸国の支援をうけ、北の朝鮮民主主義人民共和国のバックにはソ連を盟主とする社会主義陣営がつきました。朝鮮半島は冷戦、すなわち米ソ覇権争いの最前線となったわけです。米ソの力関係が拮抗していたときには、半島の情勢は比較的落ち着いていました。

 しかし半島の勢力関係は総じて南側が優勢を占めていました。韓国には米軍が駐留し、1957年からは戦術核兵器を含む攻撃用兵器が配備されました。前世紀90年代初頭の米ソ間核軍縮交渉の結果、米国はすべての核兵器朝鮮半島から撤去し太平洋軍の司令部が核による防衛を担うようになりました。

 冷戦初期において、外部からの巨大な危機にさらされていた北朝鮮は主にソ連に依拠し安全、経済、及びエネルギーの確保を図り、ソ連の支援のもとで限定的ではありますが核開発を進めていました。1959年、北朝鮮は核の平和利用を目的として寧辺(ニョンビョン)原子力研究センターを建設し、1965年には初めて2000キロワットの出力を有する小型の軽水炉を持つにいたりました。その後ソ連の専門家は帰国しています。

 ここでソ連には北朝鮮核兵器開発を支援する意図はなかったことを指摘しおいていいでしょう。彼らは核物理の知識を教授しましたが、ウラン濃縮技術やプルトニウムの生産方法などは提供しませんでした。

 80年代の初頭、北朝鮮は天然ウラン核燃料を使用する5メガワットの黒鉛減速ガス冷却炉の建設を開始しました。この反応炉が完成すれば1年に6キロの兵器級プルトニウムを生産することが可能です。

 米国が北朝鮮の核開発に注意するようになったのはこの頃からです。そして1985年、米国はソ連に圧力をかけ、北朝鮮に“核不拡散条約(NPT)”に加盟させました。それと引換えにソ連北朝鮮と経済、科学、及び技術協定を結び、新しい軽水炉を提供することを約束しました。ところがその後ソ連はその協定を履行せず、NPT加入後の北朝鮮も条約の規定には従わず、国際原子力機関IAEA)の核査察を拒否しました。

 90年初頭のソ連の凋落と解体そして冷戦の終結により、半島の勢力均衡は壊れます。後ろ盾を失った北朝鮮は極度の不安に陥り、“系統的な苦境”に面することになりました。ソ連からの経済援助を失った北朝鮮は工業生産も農業生産も大打撃をうけました。一方、韓国は70年代に発展軌道に乗り長期間にわたる高成長を維持していました。

 1991年9月17日、第46回の国連総会において北朝鮮と韓国の国連加盟が全会一致で承認されました。1991年はソ朝友好協力相互援助条約の期限でしたが、ソ連の継承国であるロシアは条約の自動更新を表明しませんでした(1994年に条約の廃棄が宣言されました)。1991年10月5日、北朝鮮金正日(キム・イルソン)国家主席が訪中し中国側の指導部とソ連崩壊以降の国際情勢及び対応策について議論しました。その時鄧小平はこのように述べました。中国は現下の情勢に対しては“観察に重点を置き、力を隠して、冷静に対応する”と。“目立たないようにする”ことが中国外交の基軸となりました。当時の中国はとうにソ連陣営から離脱しており、ソ連の崩壊を、かわって中国が社会主義陣営の代表となる機会だとは考えていなかったのです。

 続く1992年8月、中国と韓国は国交を樹立しました。当時中韓両国のあいだでは民間交流が急速に拡大していましたから国交樹立は自然の勢でした。しかし北朝鮮にとっては不満だったようで、失望と更なる孤立感を抱いたようでした。このときから中朝の高レベルの外交交流はほとんど途絶え、1999年8月最高人民会議常任委員会委員長の金永南(キム・ヨンナム)氏の訪中により回復しました。

 今日、当時の北朝鮮が感じていた深刻な危機感を十分に理解することはとても難しい。しかし90年代初頭の世界情勢の変化が、北朝鮮が“自分達の道を目指す”という方向へ導いたことは認識しておくべきです。その道の先に安全保障のための“核保有”という選択があるのです。ひとつ、軽視できない事実を指摘しておきます。ソ連/ロシアと中国が1998年のソウル五輪後、時勢に対応して韓国との関係を改善・発展させたということです。それと対称的に、停戦のもう一方の当時者であった米国は北朝鮮との関係を改善するためのはっきりした措置はとりませんでした。同盟国である日本も同じです。そうして相互承認と外交関係の樹立の好機を逸したわけです。

 1990年前後、米国は衛星写真を根拠として、北朝鮮が秘密裏に核開発を進めていることを発見しました。国際原子力機関IAEA)は核不拡散条約(NPT)に基づいて北朝鮮に対して核査察の受け入れを要請しました。1992年5月から1993年2月までの間に北朝鮮IAEAの不定期査察を6度受け入れましたが、検査の目的にも結果にも同意しませんでした。1993年3月、米韓は1992年に中止した合同軍事演習(チーム・スピリット)を再開し、さらにIAEA北朝鮮に対して特別査察を要求しました。二重の圧力に逢着した北朝鮮はNPTからの脱退を宣言し、これが第一次核危機の契機となりました。同年4月1日、IAEA北朝鮮の査察受け入れ問題を国連安全保障理事会に付託しました。しかし北朝鮮側は、この核問題の本質は北朝鮮IAEAとの問題ではなく、北朝鮮と米国との問題と認識していますから、米国と交渉して解決するとの立場をとることになります。

 1992年米国では、民主党ビル・クリントン氏が大統領となりました。米ソ二大陣営が対抗する冷戦が終結した今、核兵器、及び大量破壊兵器の拡散こそが最も現実的かつ直接的な安全保障上の課題である。米国はそのように考えました。こうした文脈において、北朝鮮の核問題をいかに解決するかということがクリントン政権のアジア太平洋政策における最重要課題として浮かびあがってきたのです。米国は半島の情勢に対して再考を開始しました。

 米国では、圧力をかけて強硬姿勢をとるべきだとの考え方が支配的になったことがあります。1994年6月16日、米上院は議決を行い、クリントン大統領に行動を起すよう促しました。すなわち米軍は北朝鮮を抑止するための、又場合によっては撃退するための準備をすべきだというのです。しかし評価の結果米国は、北朝鮮に対して軍事行動をとれば韓国への報復攻撃を受け市民のうちに大量の犠牲者が出るとの認識にいたりました。まさに軍事オプションを検討しているその時、カーター元大統領がピョンヤンを訪問し、当時の最高指導者金日成と面会しました。カーターは北朝鮮側が核問題に関して米国との対話を望んでいるという意志を確認し持ち帰りました。この訪問はクリントン政権が態度を変え対話への道を選ぶきっかけとなりました。

 1993年6月から米朝両国はニューヨーク及びジュネーブにおいて、計3ラウンドの高官協議を開始し、協議は最終的に“米国と朝鮮民主主義共和国間の合意枠組み(米朝枠組み合意)”に結実しました。その主要な内容は以下のとおりです:北朝鮮は建設中の二基の黒鉛減速炉の建設を凍結する。引換えに米国は、国際事業団を組織又主導し、可能な限り早い時期に40億ドルに相当する2基の1000メガワット発電量の軽水炉を提供する。軽水炉が完成するまでのエネルギー補填のために、米国は北朝鮮に対して毎年50万トンの重油を供与する。

 上記のプロセスはほとんどが米朝二ヶ国の直接交渉であり、中国を含めその他の国は参加していません。

 “米朝枠組み合意”署名後、半島情勢は小康を得ました。しかし合意事項の履行は緩慢にしかすすみませんでした。米国はまず朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を設立し、国際社会から資金を募り、北朝鮮のエネルギー不足改善のために重油提供を始めました。そして寧辺原子炉の8000本の使用済み核燃料棒が除去され封印されました。

 しかし米、日、韓協同の黒鉛減速炉の廃炉軽水炉の建設は遅々として進まず、結局実現されませんでした。

 クリントン政権は一期目において第一次核危機をうまく収束させたと言っていいでしょう。二期目に入ると政権はより接触を密にすることで核問題の根本的な解決を目指すようになりました。1999年10月、米政府は“米国の北朝鮮政策に対する評価:成果と提案”と題するレポートを発表し、その中で“包括的、統一的な方法で北朝鮮の核及び弾道ミサイル開発に対応する。二者協議を主とし、日韓を含めた三カ国が協同する”と述べました。ところが具体的に事態を進展させる段になると、いずれの国も十分な意欲と行動力を示さず、合意事項のほとんどの項目は実現されていません。

 クリントン政権の終盤、米朝関係の正常化への扉がわずかに開きました。2000年10月9日、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会第一副委員長の趙明禄(チョ・ミョンロク)が金正日の特使として訪米し、つづく10月23日、当時のオルブライト国務長官北朝鮮への二日間の歴史的な訪問を行い、北朝鮮の最高指導者金正日(キム・ジョンイル)と面会しました。オルブライト国務長官は滞在期間中、北朝鮮の指導部に対してクリントン政権米朝関係改善への意向を伝え、核問題及び北朝鮮を“テロ支援国家(訳注:テロ支援国家に指定されることは経済制裁の対象となることを意味する)”リストから削除する可能性について話し合いました。また連絡事務所の設置及びそこから外交上の代表機関に格上げしてゆくプロセス、そしてクリントン大統領訪朝の可能性などについても協議を行いました。

 オルブライト国務長官の帰国後米国はクリントン大統領の訪朝、さらには金正日の訪米に関して調整を進めましたが、その時期の米国は大統領選挙に突入していたために、レームダック状態にあったクリントン政権にはその構想を実現する時間がありませんでした。オルブライト氏の回想録によれば、ホワイトハウスを離れる前日、クリントン大統領は彼女に、ホイワトハウスに残って中東和平のために最後の力を注ぐよりも北朝鮮を訪問すべきだったと語ったそうです。何年かして私は彼女と意見を交わしましたが、あの時が核問題解決のための大きなチャンスだったのかもしれないと意見の一致をみました。惜しくも機会を逸することになりましたが。(訳注:クリントン大統領は任期終了直前、中東和平交渉に尽力していた。が、奔走は稔らず交渉は決裂に終わった)

 第二次核危機から三者会合、六者会合へ

 クリントン政権は自分たちが切り開いた対北朝鮮交渉の新局面を次期政権が継承することを望んでいましたが、2000年の大統領選挙の勝者共和党ジョージ・W・ブッシュ新保守主義者に包囲されていました。彼は選挙期間中から繰り返し“米朝枠組み合意”を批判し、又その矛先を北朝鮮政府にも向けていました。北朝鮮に歩み寄ろうとする政策は、かの政権を崩壊から遠ざけることにつながるのだという考えです。

 明らかに、米国の対北朝鮮政策において“核放棄”と“政権の崩壊”の混合が見られます。結果、一体究極の目標は何なのかということがしばしばぼやけてしまうのです。この変化は平壌政府にとっては理解し難いものでした。したがって彼らは、米国は当初から合意の履行に不熱心であったと結論付けることになったのです。

 ブッシュ新政権は対北朝鮮政策を見直し、クリントン政権が模索してきた関係改善への道を閉ざします。そして8ヶ月後の2001年9月11日、米国で同時多発テロが発生し、米国政府は“対テロ戦争”を宣言しました。

 ここで特記しておきたいのは、“9.11”後に北朝鮮外交部のスポークスマンが以下のような声明を発表しているということです。即ち:今回の事件は悲しむべき悲劇であり、国連加盟国として北朝鮮はあらゆる形式のテロリズムに反対する。この立場は不変である。

 この北朝鮮の反応は以前の強硬姿勢とは正反対のものでしたが、ブッシュ政権はそうした変化には一顧もあたえず、2002年1月の一般教書演説において北朝鮮をイラン、イラクと共に“悪の枢軸”国として名指して批判しました。

 2002年10月、アメリカの情報機関は北朝鮮が秘密裏に進めている核計画を発見したと発表しました。北朝鮮が国際マーケットにおいて技術及び設備を購入したという証拠を掴んだとして、北朝鮮パキスタンとの秘密核貿易の証拠を暴露しました。ブッシュ政権はジェイムズ・ケリー東アジア・太平洋担当国務次官補を急遽北朝鮮に派遣します。彼は当時の姜錫柱(カン・ソクジュ)第一副外相との会談で、ウラン濃縮技術用設備を輸入した“証拠”をつきつけます。姜は隠そうともせずに一切が事実であることを認めました。

 この件はワシントン政府を驚かせました。北朝鮮プルトニウムを原料とする核開発の停止を宣言しながら、裏ではウランを原料とする核兵器を開発していたのですから。ブッシュ政権北朝鮮が“米朝枠組み合意”を違反したとして二者協議の停止を発表します。他方、北朝鮮は、米国側も合意事項のすべてを履行したわけではないとみていました。

 こうした両国の関係の悪化がそのまま第二次核危機へとつながっていきます。

 時を同じくして、米国は同盟国を率い東シナ海黄海、インド洋においてPSI(拡散に対する安全保障構想)海上阻止訓練を開始しています。2002年12月、イエメン近海でスペイン海軍の臨検を受けた北朝鮮籍の貨物船“小山号”からスカッドミサイルが発見されました。イエメン政府がミサイルの国内のみでの使用と、以降の不購入を保障したことで最終的に貨物船は開放されました。これが“小山号事件”です。

 同年11月14日、米国主導による朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は北朝鮮向けの重油提供の停止を決定しています。北朝鮮は米国の重油供給停止を合意違反であると認識し、12月12日、“米朝枠組み合意”に基づいて凍結していた核開発を再開すると発表します。そして2003年1月10日、北朝鮮は核不拡散条約からの脱退を正式に宣言しました。

 核不拡散条約の締約国として、中国はいかなる形式の核兵器の拡散に対しても断固として反対し、一貫して核兵器の全面禁止と廃絶を主張してきました。同時に、隔たりや齟齬の平和的解決を訴えてきました。“米朝枠組み合意”が破綻し、その上で米国が中国の仲介を希望し、助力を求めてパウエル国務長官を訪中させたという経緯を鑑み、半島の非核化は中国の国益に資するとの判断に至り、中国政府は米国の要望を引き受けることを決定しました。

 われわれの案は米朝両国を中国に招き三者会合を行うというものでした。パウエル訪中後の2003年春、中国は北朝鮮に特使を派遣します。北朝鮮との交渉は決して簡単なものではありませんでしたが、三者会合への参加をとりつけました。しかし北朝鮮の態度は基本的には変化がなく、やはり米国との直接交渉を望んでいました。それはピョンヤン政府が、この核開発を米国の脅威に対するリアクションであると認識し、解決のためには直接交渉による合意に至る必要があると考えているからです。

 中国は北朝鮮の考えと要求を米国に伝えました。米国は二者のみでの会合はできないとの立場を譲らず、いかなる会合も中国立会いの場でなくては行わないと主張します。米朝双方の要求はまったく噛み合いません。中国は“対話”を根本原則としてかかげ、粘り強い交渉を続けました。そして米朝両国が中国へ代表を派遣し会合をもつという合意に至ることができました。両国は三者会合という枠組みの中で相見えることになったのです。

 2003年4月22日、中国外交部は以下のような声明を出しました:“中国は一貫して北朝鮮核問題の対話による平和的解決を主張してきた。これは関係諸国及び国際社会のコンセンサスとなっている。こうした認識に基づき北朝鮮と米国の代表団を中国に招き会合を行う運びとなった。”

 中国の積極的な働きかけにより関係諸国が交渉のテーブルに戻ってきました。2003年4月から2007年10月にかけて1ラウンドの中国、米国、北朝鮮による三者会合が、又そこに韓国、日本、ロシアを加えた6ラウンドの六者会合が開かれました。その過程は曲折に富んだものとなりましたが、概して北朝鮮の核開発状況をコントロールの範囲内においておくことができたと言えるでしょう。六者会合において成立した三つの文書―2005年の“9.19共同声明”、2007年の“2.13共同文書”及び“10.3共同文書”―は対話による平和的解決に向けた重要な政治的基礎となりました。しかし残念なことに、問題解決に対する希望を抱かせたこの合意は様々な事情から履行に到らなかったのです。ではなぜ、又どのように交渉は決裂し、時の経過とともに解決から遠のき、互いが緊張を高めあうような局面に陥ってしまったのでしょうか。その経緯を以下に述べたいと思います。

 三者会合

 2003年4月23日から25日にかけて、中米朝による三者会合が北京で開催されました。筆者は当時中国外交部アジア局局長の位にありましたので中国側の代表団を率いて会合に参加しました。北朝鮮は李根(リ・グン)外務省米州副局長氏が、米国はジェイムズ・ケリー東アジア・太平洋担当国務次官補がそれぞれ代表を務めました。

 しかし会合の正式な開始の前に早くも難局を迎えることになりました。ブッシュ大統領は米国の代表団がいかなる形式においても北朝鮮側と二者のみで会ってはならないとの命を下したのです。一方、北朝鮮側は米国との二者会談の機会をもちたいと願っています。三者会合の前夜は中国主催の夕食会があり、米朝の代表が共に出席しました。宴席上で北朝鮮代表の李根氏は献酬の機会をとらえてケリー氏に近づき、直接話を切り出しました。北朝鮮はすでに使用済み核燃料棒の処理を行ったと伝えたのです(訳注:使用済み核燃料の処理とはプルトニウムの抽出を意味する。プルトニウム核兵器の原料)。

 ケリー氏はその話をわたしに伝え、動揺した様子で、対応方法についてワシントンの指示を仰ぐ必要があると言いました。翌朝、米国代表団は北朝鮮側と単独での接触はもたない、中国臨席のもとでなければ協議を行わないと宣言しました。北朝鮮側はこれをうけて三者会合への出席を取りやめるとの意志を示しました。中国側の再三の説得により、北朝鮮側は翻意し会合は実現しましたが、その内実は中国が米国及び北朝鮮と別々に話をするというかっこうになったのでした。

 三者会合は稔り豊かなものとはなりませんでしたが、それでも米朝両国が協議の席に戻ってきたことで、国際社会に対話の可能性を示すことができ緊張が和らいだのは確かです。北朝鮮は核及びミサイル開発の放棄と引換えに経済援助と体制の保障を得るという“一括妥結方式”による解決案を提示しました。この案は北朝鮮の基本的な立場と思考法を体現しており、実際、以降の会合において持ち出される案の基礎となりました。

 韓国と日本も、そして国際社会も三者会談に高い関心をよせました。米国は多国間交渉を望み韓国と日本を協議に招きいれようとしました。中国はさしたる支障も感じませんでしたが、ロシアも参加したほうがよいと考えました。中国は注意深い外交を展開し、各国の要望を聞き、仲介活動に尽力しました。

 核問題に関して、北朝鮮の立場は一貫しています。即ち、北朝鮮はもはや米国は信用できないと考え敵視政策をとり、核兵器の開発によって自国の安全を保障しようとしているのです。中国は北朝鮮の核保有に断固として反対します。しかしながら彼らが感じている安全上の不安は理解できます。したがって多国間交渉によって平和的交渉を進めることを支持し、積極的に斡旋の任を引き受け多くの会合を提供できるよう責任を果たしたいと考えています。

 ソ連の解体以降、中国は北朝鮮の最も重要な同盟国且つ支援国となっています。北朝鮮は両国の友好関係を維持したいと考えており、中国からの提案を断ることは容易ではありません。しかし米国はとても頑なでありブッシュ政権の方針は、軍事オプションは保持しながら協議における北朝鮮の出方をみようというものでした。中国は米国に対して北朝鮮の希望を伝え、また我々自身の立場もはっきりと説明しました。即ち、中国は軍事的解決を目指すいかなる試みにも反対であり、平和的対話を通じて核問題の解決及び妥協案を模索すべきであるとの立場です。

 ここからわかるように、米朝ともに二つの方向性があるわけです。米国は、対話してもいいが、成果がなければ攻撃。北朝鮮は、対話して見返りが欲しい、それが不可能ならば自国防衛のために核開発。そして中国は全力で対話を支持促進し、両国がとりうる別の方策には断固として反対です。

 筆者がかつて米国を訪れた際、米国側がこんな表現をしていたのを覚えています。“対話は行う。しかし軍事オプションもテーブルの上にある(We agree to talk, but the military option is also on the table.)。”中国側は、米国が軍事オプションを手放さないならば、北朝鮮は核保有を決して諦めないだろうとの認識から同意できない旨を伝えました。その後、米国は文言に若干の修正を加え、“軍事オプションはテーブルから離れていない(The military option is not off the table.)”との表現に変えてきました。修正前の表現と大きな差はないように感じられましたが(英語を母語としない人にとっては特に)、米国側はこれが大統領の意志であると言って譲りませんでした。筆者はかつてアメリカ人の同僚に向かって冗談でこう言ったことがあります。「テーブルから離れておらず、それでいてテーブルの上にはないとすれば、いったいどこにあるのかしら?」同僚は「想像力を働かせよということでしょうかね」と答えました。この話を北朝鮮の交渉相手である李根氏に伝えたところ、彼は大きく眼を見開いてこう言いました。「で、どこにあるのですか?」

 2003年7月、長らく北朝鮮と外交交渉を行ってきた戴秉国(タイ・ヘイコク)外交部副部長が特使として北朝鮮と米国を続けて訪問しました。彼は米国の対話への意志、又それを六ヶ国に拡張したいという希望を北朝鮮側に伝えました。長時間に及んだ高官協議の末、彼は金正日に接見しました。そのとき金正日は以下のように語り同意を表明しました。「友人である中国が協議参加をすすめるなら、わたしたちももう一度挑戦してみようとおもう」

 この訪問の結果、米国はできるだけ早く対話のための代表団を北京に派遣することに同意しました。形式として米国は韓国と日本の参加を望み、又ロシアも参加させるべきだという中国の提案に対しても反対しませんでした。又、米国は北朝鮮が望むなら三者会合の機会を改めて設けてもいいとも言いました。ただし続けてすぐに六者会合を行うことが条件でした。この提案に対する北朝鮮の回答は速やかでした。北朝鮮は会合の拡張はまったく問題がない、直接六者協議に入ろうと提案してきたのです。

 しかしながら、核問題というデリケートな問題をあつかう場であること、また米朝の真っ向から対立した立場などから具体的な会合の設定は極めて難しく、会場のデザインや座席の按配にも慎重な注意を払う必要がありました。北京の釣魚台迎賓館が会場に選ばれました。六ヶ国の微妙な関係を考えると長机に対面に座ることはできませんから、六角形の机を用意しそこに席を並べることにしました。

 更に気を使ったのは、いかにして米朝の二者が協議を行える場を設定するかという問題でした。北朝鮮米朝間の直接対話を重視しており、独立した部屋で接触することを望んでいます。一方の米国は離れた場所で会うことは拒否し、他国の代表と同じ屋根の下にいる状況でなければ接触しないという立場です。最終的にわたしたちは、会場の角に喫茶用の休憩スペースをつくることにしました。屏風と観葉植物とソファーで空間を区切り、米朝代表団のための隔離スペースをつくりました。

 北朝鮮と米国の大使館員にこの隔離スペースをチェックしてもらい了承を得たことで最後の障碍がクリアできました。

 結果を申しますと、この試みは成功し、六者会合も後半に入ると米朝間の対話は深く且つ重要なものとなり、彼らはすすんで別室に入るようになりました。

 六者会合

 2003年8月27日から29日まで、第一回六者会合が北京で開催されました。当時の李肇星(リ・チョウセイ)外交部長が開会の宣言を行い、王毅(オウイ)副部長が代表団長を務めました。各国の代表者は以下の通りです:米国はジェイムズ・ケリー国務次官補。北朝鮮金永日外務次官。ロシアはアレクサンドル・ロシュコフ外務次官。韓国は李秀赫(イ・スヒョク)外交通商部次官補。日本は藪中三十二外務省アジア大洋州局長。

 北朝鮮は“一括妥結方式”による4段階の解決案を改めて提示しました。それぞれの段階はすべて米国の“同時行動”を求めるものでした。しかし米国はそれに同意せず北朝鮮がまず第一歩を踏み出すべきであり、体制の保障を議論するのは“完全かつ検証可能で逆戻りできない核廃棄(Complete,Verifiable and Irreversible Dismantlement=CVID)”が実現してからだと主張しました。

 ここでその年の暮れリビアが発表した声明に言及しておきたいと思います。これは後の六者会合に大きな影響を与えたと考えられるからです。2003年12月、リビアの最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーはすべての大量破壊兵器を放棄しIAEAによる査察を受けいれると発表しました。リビアは核開発の全研究成果を引き渡しました。米国はそれに応じて対リビア制裁及び“テロ支援国家”指定から解除し、外交関係を樹立しました。

 一時、リビアは西側諸国にとって核不拡散の模範生となりました。米国はこの経緯が北朝鮮に影響をあたえることを願っていたのかもしれませんが、8年後のリビア内戦及びその結末は、北朝鮮の核開発に対する態度に深い影響をあたえました。(訳注:2011年リビアにおいて、反政府デモから内戦が勃発。米英仏を中心とした多国籍軍が軍事介入を行い、40年以上続いたカダフィの長期独裁政権が崩壊した。核を放棄すると攻撃されるということを北朝鮮は学んだ。)

 2004年2月25日から28日まで、第二回六者会合が北京で開催されました。協議の焦点は核問題の解決と第一段階の措置でした。協議中、米国は北朝鮮リビアと同じく、まず核計画を放棄しIAEAの査察を受け入れるべきだとの主張を行いました。中国、ロシア、韓国は“ウクライナ方式”を提案し、北朝鮮が核放棄に動きだすならばその主権と安全を保障しなくてはいけないと主張しました。(訳注:ウクライナ方式。ソ連崩壊後、ウクライナには大量の核兵器が残され、一時は世界第三位の核保有国となった。ウクライナは米英露と協議を行いNPT加入と全廃を決め、代償として自国の安全保障体制の確立を求めた。各国は領土含め国家の安全を保障し、1996年までにウクライナ核兵器を全て廃棄した。が、2014年プーチンのロシアはクリミア半島を併合した)

 第二回会合では初の文書として議長総括が発表されました。総括では各国が半島の非核化を目標とし、対話を通じた平和的解決を目指すことが強調されました。又、すべての参加国が平和的共存を願い、核問題に対して協調して対処してゆくことに同意しました。

 同年6月23日から26日まで、第三回六者会合が開催されました。北朝鮮は“凍結及びそれと引換えの補償”という立場を崩しませんでしたが、初めて最終的な核廃棄を目的とした凍結であることを表明しました。米国も一定の柔軟性を見せ、五段階の核廃棄案を提案しました。第三回会合では実質的な合意には達しませんでしたが、最後には“漸進的に協議を進める”“約束対約束”“行動対行動”の原則で核問題に対処するという共通認識を確認することができました。これは中国が六者会合の開始以来主張し続けてきたことです。米朝両国は互いに、同時に、一歩を踏み出すべきであると。

 第四回六者会合の開催は第三回から十三ヶ月も間隔があいてしまいました。会合が中断してしまった主たる理由はブッシュ大統領の再任選挙でした。彼はより強硬な姿勢をアピールしたいがために北朝鮮の指導者を“暴君”と呼び、ピョンヤン政府を“圧制の拠点”であるとしました。ピョンヤン政府は米国の変化を懸念しました。もう一つの理由は2004年9月初め、韓国が秘密裏に兵器級プルトニウムの抽出とウラン濃縮を行っていたことを認めたことです。そしてIAEAはこの韓国の挙動に対して何のアクションもとりませんでした(訳注:2004年9月13日、IAEAエルバラダイ事務局長は“深刻な憂慮”を表明している)。北朝鮮はこれに対して強い反応を示しました。2005年2月10日、北朝鮮核兵器保有を宣言し、六者会合への参加を無期限に中断すると発表しました。これに対して米国は6月末、初めて経済制裁に踏み切りました。

 中国のシャトル外交等による外交努力が功を奏し、北朝鮮は六者会合への復帰に同意しました。第四回六者会合は二つのフェーズにわかれて北京で開催されました。第一フェーズは2005年7月26から8月7日、第二フェーズは同年9月13日から19日までです。長丁場の会合は大きな収穫をもたらしました。9月19日に発表した“第四回六者会合共同声明(以降、9.19共同声明)”がそれです。

 これは参加各国の認識を反映した極めて重要な文書であり、ここにおいて北朝鮮は初めて核兵器及び現行計画の放棄を約束し、韓国もまた核兵器開発を行わないことを表明しました。米国は適切な時期に軽水炉の提供に関して協議を行うことに同意し、又米国と日本は国交正常化のための措置をとることを約束しました。そして朝鮮半島及び北東アジア地域全体の平和と安定の構築について初めて言及がなされました。

  “9.19共同声明”は問題解決へのロードマップとして、一筋の光明であったかに思えたのですが、声明発表後まもなく米国によってなされた北朝鮮に対する経済制裁の強化によって、その光はあっけなく途絶えてしまいました。

 2005年9月23日(訳注:これは9月15日の誤りではないかと思われる)、ということは六者会合と同時期に、米国財務省は事前の警告なく、マカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)が北朝鮮の複数の口座を介して“マネーロンダリング”及び“偽札流通”に関与した疑いがあると批判しました。発表によればその資金は“テロ支援”のために使用されていたとのことです。少し前の9月9日、米国はBDAに対して2500万ドルの北朝鮮関連口座を凍結するよう要請しています。米国は10 月21日には北朝鮮の8企業をブラックリストに登録し在米資産を凍結しました。表面的には核問題とは直接関係があることではありませんが、これは核問題の協議に対して大きな影響を与えました。

 11月9日から11日まで第五回六者会合の第一フェーズが北京で開催され、北朝鮮も約束通り参加しました。しかし第一フェーズ終了後の12月、米国は更なる金融制裁を実施しました。米国による制裁の強化をうけて、北朝鮮は公式に、米国が経済制裁を解除しない限り、六者会合には復帰しないと宣言しました。しかし米国は手をゆるめず、2006年4月米国財務省は逆に更なる制裁を追加しました。

 事ここに至って、六者会合による合意が実現に至る可能性が潰えてしまいました。まさに、現在の我々がよく知るところの“制裁、核実験、追加制裁、再核実験”という悪循環がはじまったのです。米国がいくら制裁を加えても、北朝鮮の核開発を止めることもスローダウンさせることもできませんでした。2006年7月5日、北朝鮮日本海に向けて7発の弾道ミサイルを発射し、また、10月9日北朝鮮は地下核実験に成功したと発表しました。

 2006年10月14日、国連安全保障理事会は米国の提出した決議1718を全会一致で採択しました。決議は全国連加盟国に対して、北朝鮮への核兵器、核技術、大型兵器に関わる物品、奢侈品の禁輸を要請しました。そして北朝鮮に対しては、核実験の停止と、弾道ミサイル開発に関するあらゆる活動の停止を要求しました。

 2006年10月、中国は国連加盟国と協調しながら、平和的解決へ向けて調停の道を探り続けました。そして11月、北朝鮮は六者会合への復帰を宣言しました。同時に、米国では中間選挙が行われ上下両院において民主党過半数を獲得、これによりいわゆる新保守主義勢力は退潮をはじめ、ブッシュ政権北朝鮮への強硬姿勢を軟化させます。

 2006年12月18日から22日に第五回六者会合の第二フェーズが、そして2007年2月8日から13日に第二フェーズが開催されました。協議の最大の成果は“共同声明の実施のための初期段階の措置(以降、2.13共同文書)”を採択したことです。この文書では多くの措置が平行してとられることが表明されました。即ち、北朝鮮は核の廃棄を最終目標として寧辺の核関連施設の停止及び封印を行い、核開発プログラムの放棄を宣言すること。米国と北朝鮮は協議を行い、テロ支援国家指定からの解除を行う。ここにおいて、北朝鮮が全核開発プログラムの放棄という項目が入ったのはとても大きな前進でした。

 “2.13共同文書”の署名後、朝鮮半島情勢は少し落ち着きをみせ、北朝鮮と韓国のあいだで閣僚級協議が復活し、2007年3月1日には国際原子力機構のモハメド・エルバラダイ事務局長が訪朝し、寧辺の核関連施設の停止及び封印に関する詳細について協議を行いました。同日、北朝鮮の金桂冠(キム・ゲグァン)外務次官が“雪解け”の訪米を行い、米朝国交正常化のための協議に出席しました。このようなことはこれまでありませんでした。

 しかし、北朝鮮に対する制裁が“9.19共同声明”と“2.13共同声明”の履行の障碍となりました。北朝鮮寧辺各施設の閉鎖は制裁の解除が前提であると主張しましたが、米国は拒否しました。

 2007年3月19日から22日まで、北京で第六回六者会合の第一フェーズが開催されました。米国は凍結されているバンコ・デルタ・アジア銀行(BDA)の北朝鮮資金を中国銀行に移すことに合意し、北朝鮮はその資金を人道主義・教育のために使用すると表明しました。残念なことに、いくらかの“技術的問題”のために、その資金の中国銀行への移動は行われませんでした。北朝鮮は、自分たちは義務を完全に履行しているが、米国側は合意の一部を実施しなかったと認識し、BDAの資金問題が解決されない限り“さらなる合意の履行はない”と宣言しました。6月25日、この資金問題は解決され北朝鮮は再度“2.13共同文書”の履行を開始しました。7月14日には寧辺の核施設が閉鎖され、韓国の提供による6200トンの重油北朝鮮に到着しました。同時にIAEAの監査員が監督及び閉鎖の確認のために寧辺に入りました。ここにおいて、北朝鮮の核問題解決のためのとても意義深い一歩が踏み出されたのです。

 2007年9月1日、米国と北朝鮮の作業部会がジュネーブにおいて会談を行いました。そこで北朝鮮は全ての核計画の中止と原子炉の無能力化をする意志があることをはっきりと表明しました。米国は“テロ支援国家”リストからの削除を承諾しました。しかし9月25日の国連総会においてブッシュ大統領は演説を行い、北朝鮮含む数ヶ国を“残酷な体制(brutal regimes)”として批判し、米国の北朝鮮への敵視政策が続いていることを示しました。

 2007年9月27日から10月3日まで、第六回六者会合の第二フェーズが開催され、六ヶ国は“共同声明の実施のための第二段階の措置(以降、10.3共同文書)”に署名しました。この文書では“核施設の無能力化”と“全ての核計画の申告”に主眼がおかれ、北朝鮮に二点の要求がなされました。一、寧辺の5メガワット実験炉、寧辺の再処理工場(放射化学研究所)及び寧辺の核燃料棒製造施設の無能力化を行うこと。二、2007年12月31日までに、2月13日の成果文書に従って、すべての核計画の完全かつ正確な申告を行うこと。さらに文書には米朝、日朝関係に関して改善を目指すべきことが明記されました。11月5日、寧辺各施設の無能力化作業が開始されました。

 しかし2008年に入って、北朝鮮はまた躊躇しはじめました。核反応炉の無能力化は75%まで進展していましたが、それに応じた他国から見返り、すなわち重油、設備、援助物資が提供されなかったからです。2月に入り北朝鮮は無効化の速度を緩めました。

 ここへきて北朝鮮の行いがまた論争の焦点となりました。米朝の主張の違いは主に以下の点にありました。プルトニウム保有量、ウラン濃縮計画の有無、そして核開発に関するシリアとの協力。これらの点に関して紛糾した議論が障碍となって、北朝鮮は期限であった2008年1月1月までの核計画の完全な申告を履行しませんでした。

 各国は再び協議を始めました。又米朝二国は2008年の3月及び4月にジュネーブそしてシンガポールで会合をもちました。そこで北朝鮮は核開発計画の申告と停止に、米国は“テロ支援国家”指定の解除に同意しました。北朝鮮は合意の通り、寧辺原子炉の稼動記録を米国にわたしました。これに基づいて米国はプルトニウムの抽出量を算出することが可能です。米国はこれを“重要な一歩”だと評価しました。米国側の義務は、45日以内に北朝鮮を“テロ支援国家”から解除することでした。

 しかし北朝鮮が記録を提出したまさにその日、米国のライス国務長官ウォール・ストリート・ジャーナル紙上において、“核申告内容の検証”の問題を取り上げました。これに対して北朝鮮は“10.3共同文書”には“検証”に関するいかなる項目もないとして強く反発しました。期限である45日を過ぎても米国は北朝鮮を“テロ支援国家”指定の解除を行いませんでした。これを受けて北朝鮮は“原子炉無能力化の過程を暫時停止し、寧辺の核関連施設を現状に戻すことも視野に入れる”としてIAEAの監査官を追放しました。半島情勢の緊張は10月の初め、米国のクリストファー・ヒル国務次官補が北朝鮮を訪問するまで続きました。彼の訪朝によって両国は以下の合意に達しました。すなわち、米国は北朝鮮を“テロ支援国家”指定から解除すること。そして、北朝鮮は原子炉の無能力化を再開し、その検証についても受け入れる意志があることを表明しました。

 このように六者会合は数多くの難題を抱え様々な障碍に直面しながらも、少しずつ前進してきたのです。確かに朝鮮半島は安定に向かっていました。参加国は半島の非核化を目的とするという点において一致しており、問題は平和的に解決するという方向性を共有していました。

 しかし不幸なことに、このプロセスは頓挫してしまうのです。

 深刻化する北朝鮮核問題―2009年から現在まで―

 2017年の5月までに、北朝鮮は5度の核実験を行いました。1度目は2006年の10月、BDA問題と米国の制裁があり六者会合が中断したあとのことです。残りの4回はいずれも2009年以降に行われました。この期間は六者会合が停止し、事態がエスカレートをはじめ、完全に悪循環に陥ってしまった時期にあたります。

 2009年1月20日、米国でバラク・オバマ新政権が発足しました。その前年に韓国では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏に変わって、北朝鮮に対して強硬的な政策を掲げる李明博(イ・ミョンバク)氏が大統領に就任しています。これまでと同じように、指導者の交代は朝鮮半島に新たな不安定要素をもたらしました。

 米国の新政権は、ブッシュ政権二期目において北朝鮮は合意文書に規定された事項を履行してこなかったと考えていました。米国を欺き騙すというやり方を許してしまったと。米国と北朝鮮が関係を結ぶことに反対することがワシントンにおいて“ポリティカリ・コレクトネス”となったのです。ことに軍と議会ではそうでした。オバマ大統領はリベラル主義者であり、選挙中には繰り返し米国の国際社会におけるイメージを改善する必要性を訴え、“核無き世界”を宣揚していました。そして就任後、彼は世界の非核化と核安全保障の構築を優先課題にあげました。これが彼の政権をぎこちない立場においやりました。ブッシュ政権の後期のような妥協の道を歩むこともできず、かといって徒に武力の誇示を行うこともできないからでず。

 オバマ大統領は就任演説において“米国の敵”に対して“あなたが、握りしめた拳をすすんで解くなら、私たちは手を差し伸べよう”と述べました。これは印象的な言明です。また、国務長官就任前のヒラリー氏は上院聴聞会の席で、オバマ政権の北朝鮮政策は前ブッシュ政権よりも柔軟且つ開放的なものとなることを示唆しました。

 しかし北朝鮮はこの米国の態度に対して好意的な反応を示さず、後に起こるいくつかの出来事は緊張をエスカレートさせることになりました。3月、北朝鮮は取材のために中朝国境付近を訪れていた米国人女性記者2人を、不法入国したとして拘束しました(8月にクリントン元大統領が訪朝したことで2人は解放されました)。4月5日、北朝鮮は実験用通信衛星光明星テポドン)2号の発射を宣言、23日には六者会合からの離脱を表明しました。4月25日、北朝鮮外務省は実験用原子炉から取り出した使用済み核燃料の再処理プロセスを開始したと発表します。続く5月25日、北朝鮮は2度目の核実験を行いました。

 どうやらピョンヤン政府は分析の結果、強硬姿勢に出ることを決定し、核保有の道へ大きく舵を切りはじめたようです。北朝鮮がなぜ態度を硬化させたのか、難しい問題です。韓国の政権交代のせいかもしれませんし、単に六者会合への信頼を失ったからかもしれません。

 2009年6月12日、安全保障理事会において決議1874号が全会一致で採択されました。決議は北朝鮮によって行われた核実験を“最も強く非難”し、決議1718号の規定を完全に履行するよう要求しました。さらに武器輸出入の禁止、北朝鮮に関連する船舶及び北朝鮮を出入りする船舶に対する検査も要請されました。これは外貨が流入し核・ミサイル開発に使用されることを防ぐための規定です。

 2009年10月4日から6日、中国の温家宝首相が訪朝し金正日と協議を行いました。それから緊張が和らぎ2010年1月、北朝鮮は制裁の解除を前提として、六者会合の枠組み内で米国と平和条約を締結したい意志を表明しました。しかし米国は制裁を解除する前に六者会合を再開し、そこで平和条約に関して協議すると主張します。

 2010年3月26日、乗組員104人を乗せた韓国の軍艦“天安”が黄海に浮かぶ白翎島(ペンニョンド)と大青島(テチョンド)の間で沈没し46名が亡くなりました。船尾に原因不明の爆発が起こったのが原因ですが、米国と韓国はこれをいち早く北朝鮮による魚雷攻撃によるものと非難しました。ロシアはその後の国際調査に参加しましたが、中国は参加していません。北朝鮮は認めませんでしたが、韓国は南北間の交易を禁止する措置をとりました。疑いようもなく、この事件は北朝鮮と米韓の間の緊張を高め、不信と対立を深めました。

 5月12日、朝鮮労働党の機関紙“労働新聞”は北朝鮮核融合反応に成功したと報道しました。米国と韓国は外交部・国防部長官による“2+2”会談の後、北朝鮮の大量兵器製造を支援したとして、5つの団体と3個人に対して新しい制裁を課しました。

 この間中国は継続して六者会合再開のための斡旋を行っていました。そして2011年3月15日、北朝鮮の外交部長官は無条件で六者会合に復帰すること、そしてウラン濃縮に関して協議を行うことに同意しました。10月に入り、北朝鮮側は米国、韓国、ロシアとそれぞれ会合をもち、無条件で六者会合に復帰する意志があることを伝えました。

 そして12月17日、金正日が突然世を去りました。

 もう一つ、2011年の国際社会では注目すべき事件が起こりました。2月、“アラブの春”がリビアに波及し、カダフィ政権に対する民衆のデモ行進が開始され、それはすぐに内戦へと発展しました。3月17日、国連安全保障理事会は決議1973号を採択し、リビア上空に飛行禁止区域を設定しました。3月19日、仏・英・米を中心とした多国籍軍カダフィ政府軍への空爆を開始します(リビアは2003年に大量破壊兵器を放棄しています)。10月20日、カダフィスルト市において反政府軍の手に落ち惨死しました。カダフィは公の場での最後のスピーチで金正日に言及してこう語りました。「彼はきっとわたしを見て、微笑んでいるだろう。」実際、北朝鮮リビア情勢を注意深く観察していました。4月18日の労働新聞は書いています。「近年アメリカの圧力によって核兵器を道半ばで放棄してきた国々の末路を見ると、我々の選択がいかに賢く正確なものであったかがわかる・・・これが民族国家の自主独立と安全を守る唯一の道なのだ」

 リビア内戦アラブの春がもたらした結末が北朝鮮の核保有の選択に影響を与えたことは否定できませんが、それでも対話を完全に放棄したわけではありませんでした。金正日はその死に至るまで“無条件で六者会合に復帰する”と言っていましたし、後継者である金正恩も当初は父が作った方向性にそって交渉にあたることを認めていました。

 六者会合再開の目処が立たないなか、2012年2月23日と24日、北朝鮮と米国は北京において三度目の高官会議を行いました。両国は再度“9.19共同声明”を履行することを確認し、平和協定に先立つ朝鮮戦争休戦協定が朝鮮半島の平和と安定の基礎である旨を表明しました。又両国は関係改善のため、相互信頼を構築するための措置を協調してとっていくことに同意しました。

 2月29日、米国と北朝鮮は別々に“2.29米朝合意”を公表しました。内容には相違がありましたが、項目は両者の基本的な共通認識を反映したものとなっていました。骨子は以下の通りです:北朝鮮は核実験と長距離ミサイル発射実験、ウラン濃縮活動を臨時中断し、IAEAの査察と監督を受入れる。米国は北朝鮮に対する敵視政策をやめ、関係改善に務め交易を拡大する。又、米国は北朝鮮に食糧24万トンを供与する。

 その後の数ヶ月、この合意に“衛星の発射”は含まれるのかという解釈を巡って多くの主張及び反論の応酬が行われました。北朝鮮は、長距離ミサイル発射実験の中断には衛星発射は含まれないと訴えました。他方の米国は含まれると主張しました。残念ながら、結局のところどのような合意であったのかははっきりしませんでした。(訳注:宇宙ロケットとミサイルは技術的には同じもの。搭載されるのが衛星であるのか爆弾であるかの違いがあるだけ。)

 2012年4月13日の朝、北朝鮮は初の実用衛星“光明星3号”の打ち上げを行い、これを受けて米国は合意事項である食料の援助を行わないことを決定しました。5月2日、国連安全保障理事会北朝鮮制裁委員会は制裁リストを更新し、新たに三つの北朝鮮の団体を制裁リストに追加しました。5月13日(訳注:これは4月13日の誤りだと思われる)、北朝鮮最高人民会議の第12期第5回会議において憲法改正を行い前文に以下の文言を追加しました。“金正日同志はわが祖国を不敗の政治・思想強国、核保有国、無敵の軍事強国にされ、社会主義強国建設の輝かしい大路を切り開かれた。”

 6月18日、オバマ大統領は北朝鮮が米国にとっての脅威であり続けているとして、制裁期間を1年延長することを宣言しました。12月12日、北朝鮮人工衛星光明星3号2号機”の打ち上げに成功したと発表しました。これは一般的にテポドン2号ミサイルだと信じられているものです。2013年2月12日、北朝鮮は三度目の核実験を行いました。3月7日、国連安全保障理事会は全会一致で決議2094を採択、北朝鮮による核実験を譴責し、新たな制裁を課すこととなりました。4月2日、北朝鮮原子力機関のスポークスマンが、2007年以来停止・封印していた寧辺の5メガワット黒鉛減速炉を再稼動させたと発表しました。

 2014年、2月24日に米韓が合同軍事演習“キーリゾルブ(Key Resolve)”を行って以降、北朝鮮は繰り返し様々なタイプのミサイル発射実験を行うようになりました。

 2015年5月20日、北朝鮮は“核攻撃の手段の小型化及び多様化に成功した”と発表しました。

 2016年に入ると事態はさらにエスカレートしていきます。1月6日、北朝鮮は四度目の核実験を実施しました。1月13日、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は記者会見で弾道弾迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)の導入を検討すると発表しました

 2月7日、北朝鮮は長距離ミサイルを使用して人工衛星を打ち上げたと発表しました。

 3月3日、国連安全保障理事会は全会一致で決議2270号を採択し北朝鮮に対して新たに系統的な制裁を加えることを決めました。

 2016年の3月から4月にかけて、米韓両国は大規模な合同軍事演習“キーリゾルブ”及び“フォールイーグル”を実施しました。演習には30万の韓国軍兵士、1万7千の米国軍兵士が参加し、空母打撃軍・戦略爆撃機といった戦略兵器が投入されました。そして、演習には“斬首作戦”の訓練も含まれていました(訳注:斬首作戦とは米軍の作戦概念“Decapitation Strikes”のことで敵指導部を除去する作戦を意味する)。米韓両国は70年代からほとんど毎年のように“キーリゾルブ”、“ウルチフリーダムガーディアン”、“チームスピリット”等の軍事演習を行っていますが、近年その規模は拡大傾向にあり標的性も増しています。それに対する反応または準備として、北朝鮮は軍民を動員し戦時体制を敷き、軍隊の再編成を行い、場合によっては歩兵の増強のために予備兵を徴集したりします。こうした演習は半島に緊張を生み出すだけでなく、北朝鮮に人的、物的、経済的資源の損耗を強いることになり、北朝鮮経済ひいてはそこに住む人々の命に対し直接的な圧力をかけることになります。

 その後北朝鮮は更に5度“ムスダン”ミサイルを発射しました。6月1日、米国財務省北朝鮮を“マネーロンダリングの主要懸念先”に指定し、続く6月6日には指導者である金正恩氏を初めて制裁対象者のリストに明記しました。北朝鮮はこれに対して、7月8月、500キロ先の海上にミサイルを打ち込むことをもって応えました。

 8月22日、米韓両国は毎年行っている合同演習“ウルチフリーダムガーディアン”を実施しました。これに対して北朝鮮は、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を8月24日に発射し、9月3日にはさらに3発の弾道ミサイルを発射し、9月9日には5度目の核実験を行いました。それから82日後の11月30日、国連安全保障理事会は決議2321を全会一致で採択します。注意すべきは、決議において北朝鮮最大の輸出品である石炭の輸出に制限を設けたことです。中国は関係諸国に対して、問題を平和的・外交的そして政治的なマナーで解決するためにできるだけ早く協議を再開するよう呼びかけました。

 オバマ政権の8年を振り返ってみると、米国は北朝鮮の核問題をその体制に対する不承認と関連付けて扱ってきたようにみえます。実際、広く伝えられる北朝鮮の“残虐な体制”は国際社会にとって頭痛の種であり続けています。オオバマ政権は“戦略的忍耐”を掲げてきましたが、その内実は北朝鮮がどのような態度を示そうとも、米国は彼らの安全上の不安に対して真剣な考慮をもって対応しないというものです。北朝鮮が交渉を望むならそれに応じはするが、進展させる気はない。威嚇してくるなら制裁を強化する。結局のところ、目的は継続的に圧力をかけて体制の崩壊を待つというものでした。

 米国はニューヨーク、ピョンヤン、クワラルンプールにおいて、水面下の或いは半公開の交渉を北朝鮮と続けてはいましたが、北朝鮮は核開発計画の放棄を呑みませんから、この接触の効果は限定的なものでしかありませんでした。つまり、オバマ政権の“忍耐”という名の強硬姿勢と北朝鮮の核保有に対する強い意志がぶつかったわけです。両国が互いに反発を醸成しあった結果、半島の情勢は悪循環の螺旋の中に入ってしまいました。

 北朝鮮の核・ミサイル開発が進展を続けるにつれて、米国の“忍耐”も限界に近づいてきます。ワシントンは北朝鮮の米国に対する潜在的危機を評価しなおすと表明しました。北朝鮮が本土攻撃能力を獲得するのは時間の問題というところまできているようです。そして、米国内の反北朝鮮感情が高まり、北朝鮮に関する真偽不明の雑多な情報が広がりました。議会ではオバマ政権の対北朝鮮政策を“弱腰”“無能”だと譴責する声も大きくなってきました。

 トランプ政権は発足後、北朝鮮の核問題をアジアにおいて優先的に対処しなければならない脅威と位置付けました。米国が同盟国と共に北朝鮮へのピンポイント攻撃に向けて動いているといったニュースも軍方面から伝わってきています。そうして朝鮮半島は不確定要素の雲に覆われているという状況です。

 新たに、中国が深く懸念する事柄もでてきました。2016年7月8日、米韓両国が韓国にTHAADシステムを配備することを宣言したことです。THAADシステムに使用されるXバンドレーダーAN/TPY-2は最大・最新の地上移動式レーダーであり、その探知距離は1200~2000キロと言われています。又、分離前の中・長距離弾道ミサイルに対する探知距離は2000キロ以上であり、580キロの距離から弾頭または偽弾頭の正確な着弾点を算出可能とされます。

 もしこれが韓国に配備されるとすれば、レーダーの放射は最も低く見積もっても渤海黄海そして北東及び北中国の一部にまで及ぶでしょう。それは中国の戦略的抑止力が弱まることを意味し、現状不均衡である地域のパワーバランスをさらに悪化させることになります。米国は既に十分なミサイル防衛システム西太平洋に展開しています。THAADを韓国に配備し、それに日本にある2機のXバンドレーダー、さらにグアムに配備済みのTHAADを合わせ情報の共有を行うならば、中国の安全保障にとっては大変な脅威となります。

 中国はまた、韓国へのTHAAD配備が、米国のアジア太平洋における安全保障のゼロサムゲームの追求の再出発にすぎないのではないかと懸念しています。米国が日本やその他東アジアの国へのTHAAD配備を検討しているといった報道も出ています。もしそれが現実になれば、中国と米国は深刻な戦略的均衡の問題に直面することになり、アジア太平洋地域は軍事力競争に押し出されることになるでしょう。

 結論

 さて、残るはこの北朝鮮核問題がどこへ向かうのかということです。三つの可能性が考えられます。

 第一の可能性は米国・国連による制裁、北朝鮮による核・ミサイル実験、そしてまた制裁、という悪循環が続きやがて“臨界点”に達するというものです。北朝鮮のように閉鎖的で孤立した国にとって制裁は大変な圧力となります。しかし彼らは持ちこたえるでしょう。そして核放棄は遠のくでしょう。事実を言えば、北朝鮮が核実験を開始したのは制裁が始まった後のことなのであり、5度の核実験は度重なる制裁の強化という背景のもとに行われたものです。したがって、こうした状況が長期化すると事態は泥沼に入りこみ、制裁と実験が繰り返された先に北朝鮮の技術力が“臨界点”に達するであろうことは、想像に難しくないでしょう。そこまでいけば、北朝鮮の核保有に反対する勢力は極めて困難な選択を迫られることになります。予測不可能な結果を招くであろう“極端な行動”に出るのか、核保有を容認するのか。

 この循環から抜け出すことは二つの理由によって困難なものとなっています。一に、北朝鮮は国家の安全確保のために核を保有することを固く決意しているらしいこと。それが彼らの国策でしたし、近年その方針はより強固なものとなっています。北朝鮮は長年安全上の脅威にさらされており、様々な会合に参加しましたが安全の保障は確保できていません。そしてリビア等の外国の末路もピョンヤン政府の思考に影響を与えました。二に、米国が妥協する意志をいささかも示さず、北朝鮮との交渉を拒否していること。それが政治的に正しい見解ということになっています(特に軍と戦略部門で)。同時に、この危機を利用して東北アジアにおける戦略的配備や軍事活動を強化したいという意図もあり、核問題の解決そのものには照準をあわせていないように見えます。こうした政策上の惰性を考慮すると、交渉への方向転換は大きな抵抗を受けることでしょう。トランプ大統領は果たしてこの旧習から抜け出し活路を開くことができるのでしょうか。いずれ分かる日が来るでしょう。

 米国ではしばしば軍事オプションが議論になります。深刻な考慮を踏まえた分析の結果、毎度次のような結論に至ります。朝鮮半島に展開されている巨大な軍事力を鑑みれば、軍事アクションは(その大小に関わらず)膨大な市民の犠牲を生み、半島はコントロール不能な状態に陥るであろう。

 軍事オプションがテーブルの上にあるということそれ自体が安定を脅かし、関係諸国間の不信の源泉なのです。情勢が“臨界点”に近づくほどに、次のステップに向けて協調していくには、米国がその言動を注意深く検討することが重要になってきます。もちろんこれは米国だけでなく、中国含めた関係諸国全てにあてはまることです。

 第二の可能性は北朝鮮の崩壊です。米国と韓国はこれを望んでいます。米国は北朝鮮に対して不承認・敵視の政策をとってきました。その最終目標は体制の転換です。これはまたオバマ政権がとっていた“戦略的忍耐” の基本原則の一つでもあります。誇張して言いますと、米国の“忍耐”とは制裁を強化し交渉のチャンスは与えず、北朝鮮内部から変化が起こるのを待つというものでした。米国内では、北朝鮮との対話に応じることは、しばしば彼の国の政体を助け変化を遠ざけるものだと見なされます。そうであるから北朝鮮は、米国は敵視政策をやめないだろうと固く信じ、より強く対抗せねばならぬと考えるのです。

 現実的に、北朝鮮の経済はすでに最悪の状況を脱しています。金正恩氏が最高指導者になって以降、国内は安定しているのです。確かに北朝鮮の内政やふるまいは国際社会の反感を招いてはいますが、少なくとも短期的には、核問題の解決として北朝鮮の崩壊を期待することは非現実的です。

 第三の可能性は真剣な対話と交渉を再開するというものです。これは緊張を緩和し、核問題の解決につながります。もちろん、すぐには難しいでしょう。米国と北朝鮮は互いに深い不信を抱いており、多国間協議も挫折してしまい協議に対する関係国の信頼は損なわれたままです。しかし過去の経験は対話のメリットをはっきりと教えてくれます。第一に、対話は情勢を安定化し、協調して問題にあたるための足場をつくります。第二に、対話は合意に至る道を切り開きます。“9.19共同声明”“2.13共同文書”“10.3共同文書”これらは六者会合の成果であり、参加国の共通認識を反映し、北朝鮮核問題の政治的解決に向けたロードマップでもあります。会合が挫折したのは合意の履行が不完全だったからあり、核問題は会合が中断している間にエスカレートしていったのです。

 ここで注意すべきことは、北朝鮮の核・ミサイル技術が進展したことによって状況は大きく変化し、対話の立脚点も六者会合が始まった2003年からは遠いところにあるということです。

 協議を再開する場合、私たちがこの変化した現実を受け入れられるのか、何の条件もつけずにオープンに対話に臨めるのかが重要となってきます。言いかえますと、もしどこかの代表団が変化を認めず過去に戻ろうなどと考えた場合には協議の成功は難しいものとなるでしょう。現状、一つの現実的な方策として“双方停止(double suspension)”があります。

 中国の王毅外交部長は2017年3月8日、記者会見で以下のように述べました。

 “緊張高まる半島情勢への対応策として、中国は次のように提案したいと思います。ファーストステップとして、北朝鮮が核・ミサイル実験を一時停止すること。そして米韓も合同演習を見合わせること。この“双方停止”は我々を安全保障のジレンマから開放し、交渉に席に戻ることを促すでしょう。次に私たちは一方で半島の非核化を目指し、他方で平和体制の構築を進めるという“並行推進(dual-track approach)”をとる必要があります。協調しながら各国が対等に問題に当たることによってのみ、永続的な平和と半島の安定に至る根本的な解決策を見出すことができるのです。”

 つまり、中国は各国が平行して核問題及び安全上の不安に対処すべきだと提案しているのです。

 2017年4月、フロリダで中米首脳会談及び初の外交・安全保障対話が開かれ、北朝鮮核問題を巡って両国は突っ込んだ意見の交換を行いました。中国は半島における非核化と平和と安定にコミットしてきたこと、そして対話と協調による問題解決を重ねて主張しました。また、安全保障理事会北朝鮮に対する決議を引き続きしっかりと履行することも表明しました。中国は更に、半島非核化のための“双方停止”及び“並行推進”について説明し、協議再開のための突破口となりうることを強調しました。又THAADシステム配備に反対することも再度伝えました。

 会談において両国は半島の非核化を最終目標とすることを確認し、緊密な連携をとっていくことに同意しました。会談は中米双方にとって、また関係諸国にとっても信頼醸成につながるものとなり、また東北アジアの包括的平和に向けての希望を示すことができました。

 結論です。中国の利益は半島の非核化を実現すること、そして北朝鮮及びアジア太平洋地域の平和と安全の崩壊を阻止することにあります。中国の責任は上記目的の平和的実現のために積極的な役割を果たしていくことであり、和平合意を促進し地域の永続的な平和と協調を目指すことです。同時に、中国は朝鮮半島に大規模な動乱が発生したり衝突が起ったりすることを断固として阻止します。対話だけが相互の安全を担保します。こうした方向性において、私たちは半島情勢が悪循環から抜け出せるよう努め、東北アジアが“黒暗森林(訳注:中国のSF小説)”とならないようにしたいと考えるのです。

 

 

朝鮮半島の統一を推進することが中国にとって最大の国益である

          英フィナンシャルタイムズ中国語版 2017年4月25日 鄧聿文

 わたしは4月14日に発表した「北朝鮮が平和的転換を失う可能性」の中でこのように述べた。北朝鮮がいずれ崩壊することは必然であって時間の問題にすぎない。北朝鮮に対してこうした認識をもつとき中国がすべきことは,歴史の流れに従い、韓国主導の半島統一を積極的に推進することを通して,北朝鮮崩壊にともなう国家利益と人民福祉の損失を減らすことである。

 朝鮮半島に対する中国の態度には間違いなく三つの選択枝がある。一に半島の統一を推進すること。二に現状維持。三に永久に分断させておくこと。表面的に考えればうしろの二者が中国に有利にみえる。ことにアメリカがアジアに回帰し“リバランス”を志向し,中国周辺での駐留を強化している状況を考えれば,北朝鮮外交カードとすることで最大の戦略的利益を得ることができる。実際、中国はずっとそうしてきた。しかしそれは北朝鮮がまっとうな発展の道を進んでいくこと、そしてすすんで中国の“手先”でいてくれることを前提としている。ところが明らかに,北朝鮮はもはや中国の“手先”でいるつもりはない上に,見境なく軍事オプションをちらつかせ核武装に突き進み,それによって政体の安定を確保しようとしている。ピョンヤン政権の崩壊が不可避のものであるとすれば,崩壊後核兵器は韓国の手にわたることになる。受身の統一を強いられた朝鮮半島は中国に対して敵対心をもつだろう。それは中国の安全にとって大きな危機となる。

 そのとき韓国は中国に対する“新旧の借り”を一挙に返そうとするだろう。“旧い借り”とは朝鮮戦争のことであって,南北朝鮮はともにもし中国が出兵しなければ朝鮮戦争は韓国の統一で終わっていた,そしてその後数十年にわたる民族分断はなかったと考えるだろう;“新しい借り”とは韓国が半島を統一できない責任を中国に見出し,中国が半島統一を妨害していると認識することである。そうなるよりは,中国は半島統一の促進へと政策転換し,国益の最大化を目指したほうがいいであろう。

 半島統一の問題に関して,朝鮮研究者含め多くの中国人はぼんやりとした認識をもっている。すなわち,北朝鮮を中国の戦略的な緩衝地帯とみなし,ピョンヤン政権が安定しており崩壊することはないと考えている。そして崩壊論が何十年もささやかれているにも関わらず現状崩壊がおきていないことを指摘する。

 こうした認識のもとで,中国が半島を統一することもできないし,もちろん韓国に半島を統一させることもできない。一旦統一すれば,中国にとっては巨大な脅威であり,あるいは領土的要求を行ってくるかもしれず,中国国内に住む朝鮮族に離反傾向が生まれてくるかもしれないなどと考える。

こうした観点からみれば,北朝鮮を支援し半島を永久に分断状態に置くことが中国の最大利益である。

 まったく反駁に値しない見方である。なぜなら歴史がすでに答えをだしているからだ。60年前の朝鮮戦争が中国の発展方向を変えたことはひとまず脇に置くとして,その後の数十年のあいだに中国がいわゆるイデオロギー的な又地政学的な利益のために北朝鮮に対して行ってきた援助は天文学的な数字である。

 経済的不振にあえいでいるときでさえ,中国は全力で北朝鮮を支援してきた。ある程度という限定付ではあるが,中国の援助があってはじめてピョンヤン政権は今日まで生き延びてこられたのである。

 しかし援助によって中国が得たものは何か?北朝鮮核兵器を開発し,北京政府に対してもころころ態度を変え,中国の外交環境は悪化し信頼は傷ついた。半島の分断を維持するために,これからも北朝鮮に対して耐えまなく援助を続けるとしよう。中国にそんな金はあるか?金はあったとしてもこの“恩知らず”な巨額の援助に対して民衆は大反対するだろうし,合法性を確保したい共産党にとってもよいことではないであろう。

 またピョンヤンの“ゆすり”のことも考えておかなくてはならない。なぜならピョンヤンは自分達を中国が米日に対抗するための“鉄砲玉”だと認識しているからで,中国が援助するのは義務であってお恵みを受けているなどとは思っていないからだ。もし中朝関係が悪化すれば,ピョンヤン核兵器を盾に北京政府に対して“脅し”をかけてくるだろう。専制的な政権にとっては信用など一番どうでもいいものである。ピョンヤン政府は核爆弾でアメリカに対応しながら,必要とあれば中国を脅すこともできる。

 もう一つ考慮に入れておくべきことがある。もし北京政府が留保なしに北朝鮮を支持し続け,半島を永久に分断させておくという戦略をとるならば,それは中国が半島において米日韓と対峙し,かつての“冷戦”状態に戻ることを意味するということだ。問題は,中国がアメリカと地球規模の“冷戦”を行う準備はできているかということである。一歩譲って仮にそのような実力があり,アメリカとの“冷戦”を望むとしよう。そのときピョンヤンは中国による無条件のコントロールを受け入れるだろうか。わたしは懐疑的だ。金正恩は自身の命を中国の掌に預けることはしないだろう。だから中国がアメリカと冷戦を行う過程において北朝鮮を効果的にコントロールすることは無理なのであって,少なくとも半島での対抗は無意味なものとなるだろう。

 そうなってくると,中朝関係の目指すべき道は自ずから決まってくるではないか。

 実際,もし中国がすすんで韓国主導の半島統一を推進するとすれば,それが韓国の国益を大いに増大させることであるが故に,韓国の中国に対する返礼も極めて大きなものとなるだろう。半島統一は韓国にとって最大の国益だ。それと比べればその他の事案は相談可能,場合によっては譲渡できるようなものなのだ。

 まず,在韓米軍はその法的正当性を失う。米軍が韓国に駐留しているのは半島がまだ戦争状態にあり南北の分断が続いていることが前提なのであり,もし南北が統一すればその前提は消滅し米軍もいられなくなる。韓国人のあの強烈な民族性を考えてみたまえ。米軍の継続的駐留を認めるはずがないではないか。在韓米軍が撤去されるなら当然“THAAD”問題も解決する。

 反対に,中国が半島統一を妨害していると韓国が認識するならば,統一後の抗中国のためという理由から米軍は継続して韓国に駐留することが可能となる。

 次に,南北統一後,東北アジアに中国主導の巨大市場が形成され,経済的な結びつきはさらに緊密なものとなり,中国は持続的な経済成長を確保できるだろう。反対に,中国が半島統一過程の蚊帳の外におかれてしまった場合は,中国は朝鮮再建に参加できず,東北アジアの経済構造ひいては中韓貿易そのものも影響を受ける。中国経済には利益にならない。

 そして,中国人が憂慮する領土問題も朝鮮族の離反問題も消えてしまうだろう。半島統一にあたって中国の助けが必要な状況であれば,ソウル政府は愚かしくも“長白山”(訳注:中朝国境にある山。〈参考〉Wikipediaの白頭山)を要求したりはしないだろう。要求されても断ればよろしい。統一されたとしても朝鮮には中国に領土を要求するような力はない。又,ソウル政府が中国国内の朝鮮族の分離運動を支持することもできない。

 中国と同じく,韓国は北の核保有と崩壊という危機に向き合っている。ピョンヤン政権がどのようなかたちで崩壊するにしても,半島情勢は深刻な混乱をきたし中韓に人道的困難をもたらすだろう。韓国はさらに北の核拡散と核攻撃にも向き合っている。だから中韓ピョンヤンの威嚇に対して協調して対応することが可能であり、協調しなくてはいけないのだ。もし中国が半島統一を主導できたとしたら(韓国には願ってもないことだろう),どうして反中勢力となりえようか。

 中国が大国を自任するならば,世界が信頼するにたる道義性を発揮しなくてはならない。中国は朝鮮問題を引き受けた以上,積極的な姿を見せなくてはならない。韓国・アメリカと協調し,解決のためのタイムテーブルとロードマップを示すべきだ。中韓が先んじて半島統一に関して協議を開始する。その過程でアメリカとロシアを招きいれ四カ国で統一へ向けた移行案を策定する。原則は:自主統一・韓国主導・四カ国協調・同時に中米露の半島での利益を損なわないこと。韓国主導が原則であるのはまず、半島の統一は結局のところ韓国の問題であるからで,またアメリカの牽制があっては,中国だけの力では半島統一へ導くことは無理だからだ。四カ国が力を合わせてピョンヤンに改革開放を迫り,もし応答がないようなら軍事的オプションを検討してもいいだろう。

 そこへ至るまでの過程において,ピョンヤンの核実験に対する制裁のために,北京政府は単独で「中朝友好協力相互援助条約」を破棄し,石油供給を停止してもいいだろう。これはピョンヤン政府には致命的な打撃だ。彼らに理性を回復させなくてはいけない。

 近代史を振り返れば,中国の衰退は半島を失うところから始まった。そして中国の大国としてしての地位は半島での影響力を新たに獲得することから始まるのだ。しかし近年は逆方向へ向かっているように見える。中国は国際世論から勃興を加速していると見られる一方で,半島での影響力は低下している。これは歴史の発展がみせる一段階に過ぎないのか,あるいは中国の勃興は頂上に達しこれからは坂道を降りていくのかは分からない。しかし,韓国主導の半島統一を推進し,半島での影響力を回復させることが,国際社会の道義にかなうことであり,また中国の国益にも合致するのである。

現代中国を理解するのための翻訳二編

 中国理解の参考となる記事を二編翻訳いたしました。

 まづ、2017年5月14日のニューヨーク・タイムズの記事「習近平の“一帯一路”政策 中国を新経済秩序の中心に位置づける」

Xi Jinping Positions China at Center of New Economic Order - The New York Times

 そして、2013年4月13日、人民日報に掲載されたプロパガンダ記事「“中国の夢”とは何か、いかに“中国の夢”を理解するか」http://theory.people.com.cn/n/2013/0426/c40531-21285625-2.html

冷溶:什么是中国梦,怎样理解中国梦--理论--人民网

 訳文の前に少しぼくの感想を。

 アメリカと中国のあひだで生きていかなくてはいけない日本にとって、現代中国を理解することは極めて重要な課題だと思ひますが、どうもメディアにも国民にもさうした気運が乏しいやうに見受けられます。

 5月半ばに中国で開催された「一帯一路サミット」には日本からも自民党の二階幹事長が出席しましたが、この中国の世界戦略の中心プロジェクトに関する報道は少なかったように思ひます。

 安倍政権はTPPによる「中国包囲網」を狙ひ「地球儀を俯瞰する外交」を展開してきたやうですが、トランプ大統領が就任直後にTPPからの離脱を表明し安倍首相のもくろみはあっけなく挫折しました。

 現政権は今後の外交戦略に関して本当に困り果ててゐる印象を受けます。およそ今後の世界秩序がどのやうなものであるべきか、アジア諸国がどのやうに協調していくかといったビジョンはないやうです。「中国包囲網は無理かも」と考へたのでせうか。安部首相は先日「一帯一路」への参加をほのめかしました。

平成29年6月5日 第23回国際交流会議「アジアの未来」晩餐会 安倍内閣総理大臣スピーチ | 平成29年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

 一方で、日本はその「一帯一路」への対抗プロジェクトであるインドの「アジア・アフリカ成長回廊」構想への協力を表明してゐます。

東アジア~アフリカ、日印で成長回廊構想 中国の「一帯一路」に対抗も:朝日新聞デジタル

 あちこちへ「いい顔」することは悪いことではないしリスクヘッジとしては当然のことかと思ひますが、現政権の行動には背後に「ビジョン」や「筋」が何もないためどうしても「リスクヘッジ」には見えず、不安でたまらず「どないしよ」ときょろきょろあたふたしてゐるやうに見えてしまひます。さういふ政権にとっては北朝鮮の挑発は本当に有難い「脅威」であるでせう。

 「一帯一路」構想はすでに多くの国々、多くの識者から不安・懸念が提出されてゐますやうに、それが成功裡に進んでゆくかは不透明です。おそらく大成功することも大失敗することもないでせう。外からは失敗寄りに見えても中国はそれを認めないでせう。

 その行方は今後の展開を注視する必要がありますが、ぼくの感覚では中国は今後、現在指摘されてゐる様々な問題(経済格差・環境問題・高齢化の進展等)が益々深刻になり、国内統治は困難さを増し、明らかなほころびとほつれを露はにしながらもやはり拡大と膨張へ猛然と進んでゆくのではないかと思ひます。

 ぼくは「“中国の夢”とは何か、いかに“中国の夢”を理解するか」を翻訳しながらそのやうに感じました。これを読んだ多くの日本人はそのあまりの古臭さにギョっとするでせう。「同志」「中国特色社会主義」「共産主義」「民族大復興」といった前世紀的且つイデオロギー的な言葉にアレルギー反応を生じ嫌悪感をもよほす人もゐるでせう。

 しかしこの文章を書いてゐる冷溶氏もこれを読む中国人も、これを一つのプロパガンダとしてある程度距離をおいて理解してゐると思ひます。

 彼らは中国共産党プロパガンダを一つのフィクションとして理解してをり、結構醒めた目で見てゐると思ひます。それでゐてこのフィクションはとても大きな力を持ってゐるし、実際彼らの魂はこのフィクションに共鳴するのではないでせうか。

 1840年アヘン戦争以降中国人が経験した「屈辱の歴史」を、共感力をフル稼働させて思ひかへしてみれば、この古臭いプロパガンダを笑へないはずです。彼らの自尊心は西洋列強と日本に徹底的に踏みにじられ、21世紀に入りやうやくそれを取り戻しつつあるのです。「民族復興」への強烈なエネルギーは「屈辱の歴史」から来てゐる。このエネルギーを侮ってはならないとぼくは思ふ。中国がそこここに破綻を見せながらも勃興をやめないと考へる所以です。

 彼らが経験した「屈辱の歴史」に寄り添ふことができなければ中国を理解することはできないし、真の意味で日中両国が友好関係を築くこともできないとぼくは思ひます。そして日中両国が友好関係を築くことができないといふことは、日本の外交オプションを決定的に減らしてしまふことを意味します。

 要するに「戦後」は永遠に終はらず、沖縄に基地をおしつけ、うなされたやうに「日米同盟の強化」だけを言ひ続けることになる。

 昂ぶってきたところで前置きを終はりにいたします。それでは以下に、翻訳した記事を掲載いたします。例によって誤訳・悪文はぼくの浅学菲才のせゐです。ご容赦ください。

 なほ、仮名づかひは「現代仮名遣い」で書いています。では、どうぞ。

 

ニューヨーク・タイムズ

習近平の“一帯一路”政策 中国を新経済秩序の中心に位置づける

                             2017.5.14

  北京――中国の習近平国家主席は日曜、広域の新経済秩序を発表した。トランプ政権下のアメリカが内向き傾向にあるなかで、習近平は自らの国をその代替として位置づけようとしている。

 習氏は北京での会議において、ロシアや中央アジアの独裁的リーダー達に囲まれ、中国国家開発銀行に1000億ドル以上を拠出すると宣言した。アジア、欧州、アフリカのインフラ建設に対する大規模な援助の先鋒とするという。注目すべきは、主要な西側民主国のリーダー達が出席していないということである。

 習氏は何の留保もなく、この“一帯一路”として知られる企てを「世紀のプロジェクト」と呼ぶ。計画の基礎は橋梁、鉄道、港、エネルギー分野に対する60カ国以上への中国主導の投資であり、中国の経済的、地政学的戦略の支柱となっている。

 習氏によればこのプロジェクトは被援助国の貧困を解消するものであり、これまで世界銀行から社会問題への取り組みを懐疑的に見られていた中国にとっては新展開となる。彼は緊急食料援助を約束し、中国が“100の貧困プロジェクト”を開始することを表明したが、詳細は述べられていない。

 彼はこの計画を「オープンで、包括的で、バランスのとれた、誰にとっても利益のある経済のグローバリゼーション」と説明する。中国は世界銀行やその他の国際機関に対し参加を呼びかけ、発展途上国及び先進国の需要を満たすと彼は述べた。これは新市場の建設と中国的な国家主導拡大モデルの輸出を模索していることを意味している。 

 習氏はアメリカの同盟システムと中国主導の通商圏との違いを強調した。

「わたしたちには安定性を破壊するような小グループを形成しようという意図はありません。調和と共生にもとづく大家族をつくりたいのです」会場の最前列に座る彼は述べた。ロシアの大統領のウラジーミル・プーチンが同列に並んでいた。

 これまでに、中国が四年前に発表したこのプロジェクトに投資した金額はわずか500億ドルであり、国内の膨大な投資計画と比べれば小額である。

  しかし習氏は聴衆(20数ヶ国からの指導者、100以上の国からの使節、そして様々な金融機関と企業の代表者達)にこう語った。彼は今、中国の主要な政策銀行が融通できる資金を増加しているところであると。

 中国国家開発銀行と中国輸出入銀行はあわせて550億ドルの融資を行い、又シルクロード基金は追加として140億ドルを得る予定だと彼は述べた。500億ドル以上は、金融機関の海外での人民元基金の業務拡大のために使用されるとのことだ。 

 中国政府は今度の会議のために数ヶ月にわたる準備をおこなってきた。国営のニュースメディアにおいて広範囲にわたる宣伝活動を行い、批判的な学者や無駄遣いを憂慮する国営企業の幹部らの、別角度からの意見を排除してきた。

 中国はプロジェクトの公認を得るために西側諸国とアメリカの同盟国に対して指導者を派遣するよう要請してきたが、その多くは拒否し、下級官吏を送り込んだ。 

 参加者にはイギリスの財務大臣フィリップ・ハモンド氏、アメリカ国家安全保障会議のアジア上級部長マシュー・ポッティンジャー氏がいる。

  会議での発言においてポッティンジャー氏は、プロジェクトの始動にあたって中国政府がその斡旋における透明性を維持するよう訴えた。「透明性こそが、私企業の公正なプロセスにおける入札を保障します。そして入札参加者のコストが価値あるものとなるのです」 

 アメリカの企業はプロジェクトへの参加を熱望している、と彼は語った。 

 インドのナレンドラ・モディ首相は出席しなかった。敵対関係にあるパキスタンに中国から大量の資金が流入することを懸念したためだ。そのパキスタンのナワーズ・シャリーフ首相は(パキスタンは長期にわたって中国の同盟国である)“協力する(shoulder to shoulder)”ことを誇りに思うと北京で述べた。 

 インド政府は会議前夜、「受入国にとって維持不能の債務負担となる可能性がある」と表明した。プロジェクトを研究したある西側の経済学者もこうした憂慮を示している。すなわち中国は援助するつもりはなく、各国に中国の銀行から、インフラ建設のための借金をさせようとしているとの見方だ。

 アメリカと西欧の官吏達は、中国は海外に向けては支出し各国に対しては仲間に入るよういいながら、国内の最も巨大な市場をもつ領域から海外の投資者を締め出している、と主張する。

 「外国企業に対する中国の開放性はまだ僅かである」と中国の欧州商工会議所のイエルク・ブトケ前会頭は指摘する。

 習氏が演説を行う数時間前、北朝鮮が中距離弾道ミサイルを発射した。

 ある代表団はこの韓国新大統領誕生後初となる発射実験を、習氏を難渋させるため意図的に行われたものだと解釈した。

 中国の記者によれば、習氏が演説を始める一時間前、ミサイル発射に関するニュースを報道しないよう命令されたとのことだ。そしてある匿名希望の韓国外交官の語るところによると、習氏が話しはじめる30分前に、南北朝鮮の代表者は短い会合をもったということだ。

  それはごく当たり前の手続きだとその外交官はいった。そしてこの面会は、アメリカ含む関係諸国の北朝鮮をめぐる対話を設定したいという中国の意図を象徴しているようにみえる。

 韓国の聨合ニュースの報道によると、韓国民主党の幹部であるパク・ビョンソク氏は北朝鮮の代表団に対して、韓国政府がミサイル実験に「強く反対する」ことを伝えたとのことだ。

 出席していた対外経済相キム・ヨンジェ率いる北朝鮮代表団は、この念入りに作りこまれた会議の場において駐北京アメリカ大使からの批難を受けた。 

 トランプ政権は中国に対して北朝鮮への圧力を強めるよう要求しているが、今のところ中国が北朝鮮との経済的つながりをどの程度弱めたかについてははっきりしていない。

 ムン・ジェイン韓国大統領は習氏の招待に応じてパク氏を派遣した、と韓国大統領のスポークスマンは語った。

 ムン・ジェイン大統領当選数日後の木曜日、両国首脳は電話会談を行い、緊張関係を改善するための足場をつくった。

 韓国サイドは、パク氏が月曜日北京で唐家璇(せん)元中国外交部長と会談する予定であると発表した。 

 おそらくその会合は二つの話題に集中するだろう。一つは中国が強く反対する、韓国に配備されたアメリカのミサイル防衛システム(THAAD)。もう一つは、ムン氏が今後、その安全保障者であるアメリカと最大の貿易相手である中国との間で、どのようにふさわしい道を歩んでいくかということ。

 中国外交部は公式発表の中で、北朝鮮のミサイル実験に関して、国連安保理決議違反だと批難し自制を求めた。 

 

   “中国の夢”とは何か、いかに“中国の夢”を理解するか

                                  冷溶 

                          人民日報 2013.4.23 

 習近平同志は「復興の道」展を視察した際に(訳注:2012年11月29日),「中華民族の偉大な復興の実現」を提示した。そして彼は第12期全国人民代表大会第一回会議の演説(訳注:2013年3月17日)において体系的な思想を表明し,ロシア、アフリカ諸国歴訪時,又ボアオ・アジア・フォーラム出席時にも踏み込んだ解説を行った。今や中国のみならず世界中がこの“中国の夢”に関心を注ぎ,そこから利益を引き出そうとしている。習近平同志の言葉のとおり,われわれは“中国の夢”を実現しなくてはならない。それは中国人に幸福をもたらすだけでなく,世界の人たちに幸福をもたらすことなのだ。

 “中国の夢”は海外の同胞、世界の華人を含めた全中国人の共通のこころ、共通の願い、共通の意志を映し出す。それは全党・全人民の認識の粋であり,中国人の国家の発展・民族復興に対する情熱を強く鼓舞するものである。

 “中国の夢”はどこから来たか、そしてその意味するものとは?

 (一)

 “中華復興”という言葉は、早くは孫文先生が提唱したものである。彼は1894年の中興会設立時の綱領にこう書いている:“本会設立の目的は,中華復興を専とす”。われわれ共産党は設立後、人民を率い中華を復興させるという神聖な使命を引き継いだ。毛沢東、鄧小平、江沢民胡錦涛同志らはみな民族復興に関して大部の論述を残した。改革開放の初期,“共に立ち上がれ、中華を復興せよ”というスローガンは最も輝いた文句だった。周恩来氏の“中華の崛起のため、勉強しよう”は人口に膾炙し,学問に励む青年達にとって激励の言葉でありつづけている。

 “中国の夢”“民族復興”はなぜ中国人・中華民族を一つにできるのか。

 外国人は往々にして,なぜ中国の発展がこれほど速く、又なぜ発展に対するエネルギーがこれほど巨大なのかを理解できない。ここでまず,中国の歴史に目をむける必要がある。中国史はかつて光輝に満ちたものだった。しかし近代以降このかたは悲惨であり,屈辱を受け,その落差は極めて大きい。この歴史に思いをいたすとき,すべての中国人は心痛する,と習近平同志は述べている。だからこそ,中国人には民族復興に対する結束と力がある。それはある種の精神的なエネルギーである。“中国の夢”の実現のためには中国精神が必須であり,ここでとても重要な精神は愛国主義である。人の運命は国家・民族の強盛と離れることはできない。“中国の夢”で人々を一つにし、激励することは,まことに正しく,まことに有効である。

 中国史の輝かしい時代といえばまず、漢代・唐代が挙げられるだろう。漢代と現代は2000年の時を隔てているが,今でも中国語を表す文字を漢字と呼び、中国学のことを漢学と呼ぶことからもその影響がわかるだろう。唐代は最も発展した時代であり、強大で親しみやすいイメージがある。強大で親しみやすい,それは毛沢東同志が述べたことだが,治国の理想的境地である。当時の天下は太平,文明の光は遠方にまで及んだ。

 中国の凋落は明代中葉に始まる。鄧小平同志もかつてその歴史を語ったことがある。曰く“明代中葉から数えた場合,アヘン戦争まで300年以上にわたって国を閉ざしていたことになる。康熙帝から数えたとしても200年近くになる。この長期の閉鎖性が中国を落後させ,無知蒙昧にしたのだ”明代中葉はおよそ1500年前後である。1449年に土木の変が起こり明の英宗はオイラートの捕虜となった。これは明朝が繁栄から衰退へとむかう転換点とされている。歴史学者の黄仁宇もその著作「万暦十五年」の中で明朝没落の風景を描いている。彼は巨視的な歴史観から,それが明朝にとってのみならず中華民族の転換点であったとの認識を示している。当時西方ではすでに文芸復興をむかえ資本主義的な生産力と生産関係が発達しはじめていた。1492年にコロンブスは新大陸を発見し資本主義のグローバル化がはじまり、西方世界での発展は速度を増していたことに注意すべきだ。マルクスエンゲルスも「共産党宣言」の中でこの歴史に言及している。それはまさしく明代中葉のことだった。L・S・スタヴリアノスもまた、彼の著作「全球通史:先史時代から21世紀まで」の中で世界史を1500年以前の歴史と1500年以降の歴史にわけ,それが歴史的大転換の時期であったことを述べている。明朝初年、鄭和が西洋に下ったのはコロンブスより100年早かったが,二人の目的と理念はまったく別のものだった。こうして、中国の衰亡がはじまったのである。

 清朝康熙帝の時代は,国家としてはとても強大であったかに見えるが,実際のところは落日の光輝だった。当時、イギリスはすでに名誉革命を経験し先頭を走っていた。フランスは宗教革命を経て啓蒙運動を始めていた。当初遅れていたロシアは1698年に改革を開始して世界の潮流に追いついた。エンゲルスピョートル大帝のことを、時に応じて変化することができたとして“真の偉人”と称えている。しかし清朝はこの世界の変化を理解していなかった。自らの巨大さに恃み、思想は硬直し保守的だった。康熙帝は洋学を好んだが,しかし国を強くする法としてではなかった。彼はその中の新思想を理解せず、やはり自分たちの旧式の文物を墨守し、西方のものはただ奇天烈なだけだと考えた。中国の当時の落魄は,国力の欠如ではなく,理念の落魄であり,生産力の質の落魄だった。大清帝国と欧州先進国は認識・視野・勢いにおいて比較にならぬほどの差ができていた。清は巨大であったが世界の一隅に安住していた一方、その清が“取るに足らぬ小国”とみなしていた西方の国々は,早くも全世界に目を向けていたのである。

 1840年アヘン戦争以降,中国は少しずつ半植民地へと没落してゆき,屈辱の歴史が始まる。そしてそのとき同時に民族復興の歴史が,そして“中国の夢”の歴史が始まった。

 (二)

 とても長いあいだ,中国人は出口のない夢を見ていたのだ。毛沢東の詩に曰く「長夜難明赤県天,百年魔怪舞翩施」(訳注:1950年の作。赤県とは中国を指す。1840年アヘン戦争以降、西洋列強の魔物がうごめき、長い夜が明けないと歌っている)。170年以上に及ぶ闘争を経て今、もうすぐわれわれの夢が実現するというところまできている。習近平同志はこう語っている。“わたしたちは歴史上のどの時代と比べても,中華民族の大復興に最も近い場所に立っています。最も自信にあふれ、それを実現する能力をもっています。”

 それでは“長い夜”から“夢の実現”へは,いったいどのような道であったのだろうか。

 近代史を振り返るとき,はっきりとわかることがある。孫文は“中華復興”のスローガンを掲げ努力したが活路を開くことはできなかった。中国共産党が成立後,人民を率いて不断の奮闘を経たのち,ようやくその夢は現実の形を取り始めたのだ。この過程は“二つの100年”及び“二つの使命”に集約される。

 いわゆる“二つの100年”とは、“中国の夢”を実現する二つの歴史的段階を意味する。第一の100年は1840年アヘン戦争から1949年の新中国成立まで。この100年はまったくのゼロから復興への道を見つけ出し,独立を成し遂げ,民族解放を達成した歴史である。これが民族復興の第一段階だ。第二の100年は1949年の新中国誕生から今世紀の半ばまで。新中国成立から100年をむかえるときには鄧小平同志の提出した現代化第三ステップの戦略目標を達成し,強く豊かで文明的且つ民主的な社会主義国家を建設し、中華民族の大復興を成し遂げるのである。今、わたしたちはまさに第二の100年の完成期を生きているのである。

 この二つの100年は、最も早くは毛沢東同志が提出した。第一の100年に関して,彼は「新民主主義論」において言及があり,第二の百年については,1961年イギリスのモンゴメリ元帥に接見した際に述べている。曰く:“わたしたちの国に強大な社会主義経済をつくらなければならない。おそらくそのために100年以上を要するだろう。”またこうも言っている:“先進的な資本主義国に追いつき、追い越さねばならないが、100年もの時間はない。それではいけない”この思想に基づき、後に鄧小平同志は“3ステップ”の発展戦略を提出し,第二の100年の目標を具体化し明確化したのである。彼はこう述べている。第一ステップは20世紀80年代の「衣食足りた生活の実現」,第二ステップは20世紀90年代の「小康社会の実現」,第三ステップは50年の年月を費やし基礎的な現代化を達成すること。

 後に第一・第二ステップが達成されたことをうけて、中国共産党は目標をさらに具体化し、新たな“3ステップ”の発展戦略を打ち出した。まず、新世紀の始めの十年で国民総生産を倍にすること。そして次の10年でさらに倍にし、全方位的な“小康社会”を実現する。そして今世紀半ばの偉大な目標のために歩んでゆく、という計画である。

 “二つの100年”は“中国の夢”の実現が長期的且つ持続的な奮闘の歴史過程であることをあらわしている。我が党は一貫して粘り強くこの目標のために努力してきた。第十八回党大会において提出された小康社会建設という目標はこの“夢”にもとづいてデザインされたものである。

 第十八回党大会(訳注:2012年)でも“二つの百年”に関する言及があった。即ち、建党100年(訳注:中国共産党の設立は1921年)と新中国建設100年である。これと前述の“二つの100年”は矛盾するものではない。第二の100年は同じだが、第一の100年には重なりがある。第十八回党大会では建党100年の目標が述べられ、現段階でのわたしたちが目指すべきは2020年の小康社会実現であることが強調された。これは“中国の夢”実現の過程における、極めて意義深い段階的目標であって、まさに今わたしたちが為している事である。同時に、建党から始まる100年も重大な意味をもつ。なぜならまさに中国共産党の成立後,ようやく“中国の夢”の実現が可能となったからだ。建党と新中国建設,これは“中国の夢”実現へいたる歴史的な転換点だったのだ。

 それでは“二つの使命”は何を指すか。まず、民族復興が第一の使命だ。そして、我が党の観点からもう一つの使命がある。すなわち社会主義、それも“中国特色社会主義(訳注:一般的には中国式社会主義と訳されることが多い)”の実現である。

 この“二つの使命”は密接に関わりあっている。周知の通り、19世紀の半ばに二つの大事件がおこった。ひとつは1840年アヘン戦争,もう一つは1848年の「共産党宣言」発表、マルクス主義の誕生である。この二つの事件は当時

関連があるようには見られなかったが、後の中国の発展にっとては大いに関連する事件だった。アヘン戦争により中国は半植民地となり,またそこから民族復興の使命が生まれた。そしてそこへマルクス主義があらわれ、われわれに民族復興実現のための正しい道を示したのである。我が党はマルクス主義の指導のもと、まず新民主主義革命を経て独立と民族解放を成し遂げ,続けて社会主義革命による現代化の実現をおこなってきた。歴史は教えている。中国を救い、中国を発展させるためにはマルクス主義を、又中国化したマルクス主義を土台としなければならないのだ。よって、民族復興がわれわれの夢であるように社会主義建設ののち共産主義を実現することもまたわれわれの夢なのである。この二つは分かつことのできないもので、実際それは一つの夢なのである。ことに共産党員にとっては社会主義の実現は忘れてはならない使命であり、崇高な理想なのである。

 習近平同志は“中国の夢”について触れたとき強調した。“中国の夢”実現のためには中国の道を歩かなければならない。すなわち“中国特色社会主義”の道である。彼は言う。“中国特色社会主義”は近代以来中華民族の最大の夢である民族大復興の凝縮であると。つまりこういうことだ。“中国の夢”は中国の道の先にあり、この道を進んでいけば、われわれの夢が偉大で輝かしい現実となるのである。

 (三)

 “中国の夢”は国家と民族の夢であり、それぞれの中国人の夢でもあり、畢竟ずるに人民の夢である。中国の夢、中国の道は最終的には庶民の生活のうえに描かれるものである。習近平は強調してこう述べている。“中華民族の大復興という中国の夢を実現する。それは国家を強くし,民族を奮い立たせ,人々を幸福にすることである”

 “中国の夢”はただの理想ではなく目標であり,現実であり,一人ひとりの中国人の生活の中に宿るものである。そうであって初めて,大衆はこの夢の優れた点を理解できる。それは誠実で、実現可能で,自分たちと関係深いものだということが分かり,夢の実現のためにすすんで力を尽くし,奮闘するようになる。これによって,この夢が疑いもなく人民を一つにし、人民を激励する現実的奮闘目標となるのだ。鄧小平同志が当初“小康”という概念でわれわれの目標を表現し,第十八回党大会において全面的な小康社会の建設を唱え,すべての庶民がより豊かでより高いレベルの小康社会を生きられるようにしようといったのは,まさにこうした認識に基づいていたのである。

 誰もが胸に夢を抱いているものだ。幸せな生活を求め、幸福に生きる権利が欲しいと思う。庶民の夢とは何か?習近平同志は中央委員会総書記に選出された後、初めての演説でこの問題に触れこう述べた。“人々は生活を愛し,よりよい教育を、より安定した仕事を、より満足のいく収入を、より信頼できる社会保障を、より高いレベルの医療を、より快適な居住環境を望んでいる。そして彼らの子供達が健やかに成長し、気持ちよく働き、豊かな生活を享受することを望んでいる”彼の言葉のなんと誠実で具体的で心のこもっていることか。

 共に豊かになること、正義と平等、民主と法治、自由と平等、誠実と正直、友愛精神、発展と調和、美しい国土、世界平和・・・・第十八回党大会においてこうした新目標、新要求が提出されたが,これらはみな庶民の願いを反映したものである。

 “中国の夢”の実現は“庶民の夢”の実現である。“人々の豊かな生活への憧れ,それこそがわれわれが奮闘する目的である” 習近平同志はわれわれにはっきりとした要求をだしている:“人々の幸福のため弛まず働くべし”すべての人々に“輝く人生を手に入れるチャンスを”“夢を実現するチャンスを”“祖国と共に進歩・成長するチャンスを”。われわれは“中国の夢”を希求する気持ちを、一つ一つの仕事へのエネルギーに変えてゆかなくてはならない。謙虚に、倦まず弛まず,うぬぼれず、怠けることがあってはならない;現実にしっかり足をおろし、勇猛果敢に一歩一歩進んでゆくのである。中国特色社会主義という事業を前進させよう。中華民族の偉大な大復興という中国の夢のために努力奮闘しようではないか。

  “中国の夢”を実現することは,すべての人々の生活がより豊かになることである。その任は重く道は遠い。不屈の精神と一致団結のエネルギー,そして一人ひとりの艱難に挑む努力が必要だ。なべて人の世の幸福とは,懸命な頑張りによって生み出されるものである。われわれは心を一所に集め、焦点定めてやりぬくのである。13億人と知恵と力を集めて強盛なエネルギーを生み出すのである。これこそが中国の精神,これこそが中国の力,これが中国各民族の人民が団結したパワーだ。この精神と力があればいかなる困難にも打ち克つことができる。中華民族は中国の夢を希求する過程において,幾代もの努力を経て,百万千万の命をささげ,数え切れない栄光を築いてきた。われわれは確実に偉大な目標に近づいている。この歩みをとめず奮闘しよう。中国の夢はもはや夢ではない,今わたしたちが作りつつある幸福で豊かな生活なのだ。

 中国はすでに屈辱の歴史に別れを告げ,国際社会の中で自立し,世界からの尊敬を得ている。しかし,中国をより強く、より文化的にし,中国人がもっと敬意を受け,中華民族が世界の平和発展と人類の進歩に貢献したいと願うならば,われわれはこれまで以上の努力をする必要がある。中国の夢、二つの100年。第一の100年の使命はすでに達成し,第二の使命もその道半ばを超えた。「百里を行く者は九十を半ばとす」「九仞の功を一簣に虧く」われわれはその身に歴史的な責務を負っている。各々の党員が,各々の中国人が自身の責任を理解し,国家のため、家庭のため、子供達のために,着実に自らが為すべき貢献を行おうではないか。

翻訳:英フィナンシャルタイムズ中国語版、鳩山由紀夫インタビュー

 鳩山由紀夫元首相へのインタビュー記事がフィナンシャルタイムズに載ってゐたので翻訳しました。 

 誤訳・悪文はぼくの浅学菲才のせゐです。ご容赦ください。

 なほ、仮名づかひは「現代仮名遣い」で書いています。では、どうぞ。

 

http://www.ftchinese.com/story/001072600#adchannelID=1300

フィナンシャルタイムズ(以下FT) あなたと午後の茶を:鳩山由紀夫(日本元首相)           

2017.5.19 徐瑾

 評価は分かれるにしても,日本の元首相、鳩山由紀夫は歴史的な人物である。

 2009年に民主党を率いて1955年以来二度目の(一度目は1993年)政権交代を成し遂げたこと、その後失意のうちに辞任し日本の政治的動揺を明らかにしたこと、そして近年提唱する東アジア共同体、これらは日本の内外で大きな注目を集めてきた。

 日中両国には情報の差や偏向があり、鳩山に対する評価もその一例である。中国人からみれば鳩山由紀夫はなじみ深い人物ではないが、日本の元首相であり、中国と韓国に謝罪した人物である。2015年、鳩山はソウルの“西大門刑務所”歴史館を訪れた際、跪いて祈りを捧げた。彼は釣魚島(日本では尖閣諸島と称す)、アジアインフラ投資銀行(AIIB)等に関する発言に関して、国内でしばしば「中国偏向」とみなされ、極端な人達は「国賊」とさえ呼んだ。沖縄の米軍基地移転問題に対する不手際から、就任当初は高かった鳩山の支持率は20%を割り込み辞任に追い込まれた。今日においても、鳩山と沖縄基地問題の話題となると少なからぬ日本人が釈然としない気持ちになるのである。

 FTファイナンシャルタイムズの「あなたと午後の茶を」では、鳩山は胸襟を開いて東アジア共同体、沖縄基地問題だけではなく、日本の右傾化、尖閣諸島等のアジアの領土問題について進んで語った。彼によれば右傾化する社会においては、いわゆる「政治的正しさ」は「政治的誤り」である。彼はそうした空気を読むことはなく(“空気を読む”とは日本の人間関係において、集団の雰囲気を壊さないことをいう、中国語の“察言観色”に近いか)、東アジア共同体の理念はまだ死んでいないと信じている。

 東京、午後二時五分。ザ・キャピトルホテル東京三階のカフェ。

 カフェの角、ここなら人の視線も逃れられるし、窓の外の景色を見るのにも好都合だ。このホテルはかつてビートルズ等の名士も訪れた、日枝神社などの名所に隣接し、国会議事堂や首相官邸もすぐそばにある。政界人脈の愛顧を受けているとのこと。ホテルの最新の設計は日本の著名な建築家、隈研吾の手になる。隈研吾は中国において、近年少しづつ有名になりだした感があるが、日本に来てみると「そこここにある」という感じがする。

  隅研吾のスタイルの特徴は木材などの天然素材を好んで用いることだ。このホテルも例外ではなく、大広間は原木を使い、エントランスの人の高さほどの生花にも木が添えてある。屋内のレストランとカフェは竹のカーテンで仕切られていて、他にもたくさんの植物があり窓の外の日本式庭園と呼応しているようだ。全体的にゆったりしていて優雅であるが、モダンさを失ってはいない。

  あれもこれもいい具合で、もし何も用事がないなら、こんなところで半時ばかりの休息をとりたいところだ。しかし本日のお客様、FT「あたなと午後の茶を」の主役、日本の元首相鳩山由紀夫氏はまだあらわれない。この企画のルールは同じくFTの「ランチをご一緒に」と似たようなもので、どちらも相手の指定した場所で会い、支払いはFTがもつというものだ。

 こういった条件での遅刻は多くない。FTコラムニスト、ルーシー・キャラウェイが最近コラム上で統計を出した。FT「ランチをご一緒に」において遅刻した人と時間通りに来た人の比率はおおむね1:5だったそうだ。どうやらインタビュイーにとって時間はメディアよりもずっと大事で、スケジュール管理はよくできているようだ。最近の有名な遅刻者はエドワード・スノーデンラッセル・ブランドだ。ルーシーに言わせればこれは不思議なことではなく「この二人のしたことは多くの人を失望させた。遅刻してもっと失望させたって、不思議でもなんでもないじゃないか」とのことだ。

 失望と不思議といえば、東京で遅刻は少し奇異だ。一般に日本人は時間をよく守る。とくにフォーマルな会見では5分前に来るのが基準になっていて、逆に10分も前に来ると失礼になってしまうから、だいたいちょっとぶらついてから所定の場所に行くのである。ホストとして、また道に迷った場合の余裕を確保するため、わたしは15分前に到着した。時間ができたわたしは、鳩山家の歴史を写した鳩山会館の写真を再度とりだし、元首相の人生をふりかえることにした。

 鳩山会館は美しい庭園に80種以上のバラを有する英国式建築で、各部屋には色彩鮮やかなステンドグラスが備えられ、その面積6000平方メートルを超える和洋折衷様式の建物だ。竣工は1924年で、当時一世を風靡した建築家岡田信一郎の設計である。ときの主人は鳩山由紀夫の祖父である鳩山一郎、日本の52、53、54第首相だ。鳩山一郎は戦後日本の最重要人物で55年体制の基盤をつくった人物と言われている。その後の日ソ共同宣言も保守政党の合併もここからはじまったのだ。90年代に入り鳩山会館は改修され一般に公開された。現在鳩山由紀夫氏が館長を務め、多くの日中友好事業が挙行されており、中国の企業人や観光客の自撮りスポットとなっている。

 ここからも鳩山家の光芒を見ることができる。海外メディアがしばしば「日本のケネディ家」と形容するように、確かに日本近代史における鳩山家の影響力は甚大だ。日本に議会が誕生した瞬間から、鳩山家と近代史は切っても切れない関係にある。日本に議会が誕生したのは1890年。江戸末年の美作勝山藩の武家に生まれた鳩山由紀夫の曽祖父鳩山和夫は1896年に衆議院議長に就任している。祖父の鳩山一郎は戦前すでに文部大臣等の職を経験し、戦後には首相を三期務めた。彼の父、鳩山威一郎はさほど政治に関心を示さなかったが、それでも外務大臣を務めている。鳩山由紀夫氏まで一族四代にわたって政治に携わっていることになる。鳩山家は裕福ではないが高貴である。鳩山の母はブリヂストン創業者の石橋正二郎の長女であり、鳩山と弟の政治活動に大きな財政支援を行ってきた。

 鳩山一族の信条は友愛(fraternity)であり、鳩山和夫の時代から中国との深い関係がはじまっている。鳩山和夫早稲田大学の前身である東京専門学校により多くの中国人留学生を受け入れるよう促し、外交においては「長崎事件」にあたって清朝と交渉を行い、その解決に対して清朝から叙勲を受けている。鳩山も弟の邦夫も、ともに日中友好に関わる機構での在職経験をもつ。鳩山家は名家ではあるが、“鳩山”はよくある名字ではない。京劇「紅灯記」において日本の憲兵隊長の姓は“鳩山”だが、皮肉なことに、ネット上の流言によると、現代の抗日京劇では“鳩山”の姓を使うことは禁じられているそうだ。

 この権力の中枢である“バラ園”に育って政治から逃れることはむずかしいだろう。鳩山自身もスタンフォード大学理学博士であり大学で教職を務めながらも、最終的には政治に向かった。昨今日本社会で世襲政治がますます関心を集めているが、鳩山一族だけでなく現在の安倍晋三首相も、麻生太郎小泉純一郎福田康夫といった元首相達もすべて政治一家の出だ。 

 鳩山の人生のピークは2009年8月30日、民主党政権を率いて自民党を打ち砕き、戦後の自民党一党体制を打倒した瞬間だろう。このとき、鳩山は民主党初の首相となり、また1996年以降で初の非自民党の首相となったのである。

 しかしこれは挫折の始まりにすぎなかった。就任して数ヶ月で鳩山は沖縄米軍基地の移転という公約を実現できなかったため失意のうちに辞任した。わずか265日の在任だった。その後の三年間、首相の頻繁な交代が続き、海外メディアからは「朝に首相と握手をして、午後になると別の首相と握手をする」とまで言われた。2012年の選挙で民主党は惨敗し、鳩山もその年に政界を引退した。そして2006年に首相経験のある安部晋三が首相に返り咲き、民主党は2016年、維新の党と合流し民進党が誕生した。

 こうして混乱を極めた日本政治は変動から安定を志向するようになり、自民党の一極支配が復活し、現状では総理に匹敵する力をもった人物は自民党内にも見当たらない。こう言ってもいい。民主党政権は日本国民を失望させ、自民党と安倍以外の選択枝を消滅させてしまった、と。 

 明治維新以来、日本は脱亜入欧とアジア本位とのあいだで揺れ動いてきた。戦後、鳩山一郎安倍晋三の祖父岸信介等が自民党を設立し自民党は1955年に議会の過半数を獲得、この趨勢は90年代まで続いた。いわゆる“55年体制”である。鳩山由紀夫は鳩山家の後継者であるが、民主党の党首となった。これは家族政治の継承において、ある意味では政治理念による反逆的色彩をもつ。

 こうした背景のもと、鳩山が提示した東アジア共同体の理念、および日米中それぞれに対する態度は日本国家が転換してゆく、そのひとつの模索だったと言えるだろう。わたしは2017年初頭から東京大学の客員研究員となり、中日経済の比較研究をしているものであり、もともと政治とは関わりのない人間だ。しかし日本の“失われた20年”を理解するためには社会の変化は必要不可欠の座標軸だ。鳩山由紀夫と彼が代表する思想はまさに、日本にかつてあり、そして今も続く移行期における、変革への努力のひとつだ。彼の考えを知る必要がある、とわたしは思う。

  このとき店員がわたしの思考をさえぎり、声をかけてきた。店員は慇懃にそして少し決まりが悪そうに「注文はお決まりでしょうか」と聞いてきた。これで三度目だ。腕時計を見るともう2時10分だ。まさか鳩山は道に迷ったのだろうか(わたしはそれでしばしば遅刻する)。そんなはずはない。ここは鳩山の秘書が指定した場所で、日本の政治家が集まる永田町にある。ホテルの正面には首相官邸があり、国会議事堂も隣にある。かつて永田町の主であった彼にとっては地元みたいなもので、当然熟知しているはずだ。

 あるいは鳩山氏はこのインタビューのことを忘れたのだろうか。これもあり得ない。たしか彼は首相在任中“宇宙人”と呼ばれていた。彼の白眼が妙にくっきりとしていることと、その発言がしばしば日本人を驚かせるというのがその理由だ。――驚かせる。これは日本ではいい評価とは言えない。日本人は安定を好み、驚きは往々にして困惑を意味する。そして日本語の“めんどう”“じゃま”に対応する中国語の一つが“迷惑”だ。これはただの文化的偏見だとも言えない。聞くところによると、江戸時代、死罪となる罪状のひとつに“人を驚かせるようなことをした”というのがあったそうだ。そして今日の日本人の習慣の多くは――魚の生食から米食まで――江戸期に形成されたのだ。(訳注:“驚かせる”の原文は“感到意外”、つまり意外に感じるという意味だが、そんな罪状が果たして江戸時代にあったのか、訳者は強く疑問に思う)

 2時15分、鳩山が悠揚迫らぬ態度であらわれた。わたしは半時間ばかり思索にふけったことになる。

  彼は濃紺のスーツを身につけ、そのスーツは仔細に見れば細かい縦縞が刻まれている。180センチに近い背丈は日本人にしては高いほうだ。肌の色もどちらかと言えば濃いほうかもしれない。髪は真っ黒だ。しっかりとワックスで固めていて、後ろになでつけている様はきっちりとした性格を思わせる。外見から言えば、引退してなお仕事を続ける多くの要人達と同じく、鳩山も実年齢より20歳は若く見える。わたしは彼の容貌をさっと観察してみたが、“宇宙人”と噂されるような特徴は見出せない。白目にしてもかつて見た写真ほど大げさではない。しかし表情の変化はとぼしく、微笑みもぼやけた印象だ。そのわけはのちに判明することになる。

 彼は第一声、中国語で“ニーハオ”と言った。声は低い。一同腰をおろすと、彼はインタビュー時間が1時間であることを強調した。わたしは少し驚いた。もともと一時間半の予定だったからだ。慌しい東京では1時間の面会や食事は珍しくないが、今度の“あなたと午後の茶を”ではもう少し長い時間が欲しかった。けれど相手がそう言う以上しかたがないことだ。フィッツジェラルドは「金持ちはおれたちとは違う」と言っている。それなら裕福で且つ高貴な人なら、われわれとはもっと違っているのでは?

時間は少ない。お茶を飲もう。鳩山は英国式ミルクティーを注文し、わたしは午後にさわやかな紅茶を飲むのが好きだから、ダージリンティーをたのみレモンを添えてもらった。 

 わたしはちょっとした中国の贈り物を彼に渡した。入っていた袋には中国風の花鳥画が描かれている。鳩山は袋のほうに関心をもったらしく指でその絵柄に触れるといかにも興味深いといったふうに「鳥ですね」と言った。このときわたしは気がついた。彼の淡い紺色のシャツに鮮やかな色で丸柄が刺繍されているほかに、黒のネクタイには銀灰色の鳥模様の刺繍がある――“鸠”はもともと鳥の意味をもつが、日本語でもハトを意味する。これは鳩山も南京で話していたことだ。

 鳩山の面貌が温かくなり、わたしに東京大学で学んでいるのかと聞いた。東京大学東京帝国大学の後身の最高学府、とりわけ行政機関に多くのエリートを送り込んでいることで知られる。試験は簡単ではないが、鳩山家は五代にわたって東京大学に入学している。聞くところによると鳩山の息子は、東京大学を卒業後、父の初期キャリアと同じく、今は学者になっているそうだ。

 わたしは現在東京大学に客員研究員として在籍していることを説明し、あわせて質問を投げた。なぜこの場所を指定したのか。前述のようにこのホテルは永田町にあり、首相官邸は目と鼻の先だ。政界を引退した以上かつての職場で懐旧に浸る必要もないように思えた。わたしは重過ぎない質問から始めようと考えていたが、内心、朝何を食べたかといったことを聞いたほうがよかったかもしれないと思った。なぜなら鳩山自身、かつて国会質疑において当時の小渕恵三首相にそんな質問をしたことがあるからだ。多くの日本人は理解し難いものだったようで、これも鳩山がしばしば変わったことをするという一例だ。

 彼は事務所がここから近いのだとこたえ、それから思い出したように補足した。わたしたちが事務所まで来ると思ってずっと待っていたから遅刻したのだと。なるほど。少し空気も和んだようだ。彼がここに入ってきたときのあの無表情の下には、多少の驚きと不愉快があったのだろう。

 わたしは説明した。FT「あなたと午後の茶を」はカフェのような場所が選ばれること多い。リラックスした空気が好まれるからだ。わたしは鳩山が自宅の近くを指定するだろうと思っていた。FTはかつて“At Home with the FT”

という企画で取材に伺ったことがある。そのときは鳩山夫妻入魂のデザインになる家とコレクションを見せていただいた。それは鳩山会館とは違い、高級住宅街として名高い調布市に、夫婦自ら建てた私宅である。「家とコレクションを拝見しましたが、とても美しいものでした」と恭しく述べると、鳩山はうなづいて「ありがとう」と言った。

 事務所の話がでたのでわたしは名刺を見た。住所は確かにこの近くだ。白地に黒い字ではっきりと“世界友愛”といった字が書かれてある。そして東アジア共同体研究所という言葉が目立つようにマークされている。これは彼が政界引退後にはじめた事業のひとつだ。わたしは説明を求めた。

 鳩山は話しはじめた。首相辞任後すぐに東アジア共同体研究所をつくった。なぜなら彼の夢は東アジア共同体を実現させることだからだ。彼は一貫して戦争によって平和な世界をつくることはできないと考えてきた。「では平和はいかにして実現されるか」彼は自問した。「対話と協調によってです。いかにして東アジアにおいて対話と協調を根付かせるか、わたしはずっと考えてきました。わたしにとって“友愛”ということばが鍵になります。それを世界に広げていきたいと思っています」そして彼は力をこめた。「一番このことばを理解しなくてはいけないのは日本かもしれません」近年彼は1年に7、8回は中国を訪問するほかに、ベトナムなどの国にも赴いている。今日はネパールから帰国したばかりだという。

 わたしは笑って、自分が上海からきたこと、そして上海でお会いしたい旨を伝えた。鳩山の表情にも笑顔がうまれた。「ありがとうございます。わたしの妻は上海で生まれました。とても行きたいと思っています」

 その話は知っていた。幸(みゆき)夫人の人生はとても興味深いものだ。上海で生まれ、後に宝塚俳優になり、それからアメリカへ渡り結婚したのだが、今度はカリフォルニアで鳩山と出会い恋に落ちた。現在でも二人のおしどりぶりは有名だ。

 挨拶もそこそこに本題に入ることにした。わたしはインタビューの前にSNSに情報を流したのだが、多くの中国人が鳩山への挨拶を希望し、また現在の日中関係について語ってほしいと言った。

 鳩山は手をあわせ身振りで感謝をあらわした。中国人の彼に対する関心についてだ。中国人から比較的大きな支持を受けていることをずっと感じていると彼は言った。「今、日中関係はよくないですね。まず政治がよくない。そして以前は“政冷経熱”と言われていましたが、今は政治が経済交流にも影響をあたえています。これはよくない傾向ですね。問題はどこにあるのでしょうか。一番は現在の首相でしょう。彼は中国を脅威とみなしています。これは彼の個人的考えであるわけですが、それを対外的に宣伝もしています。これは国内の支持率を得るためには有用かもしれませんが、両国の関係にとっては違います。こうしたシグナルを発することは世界にとってもいいことではありません。首相は考えを改める必要があるのではないでしょうか」

 鳩山は自ら安倍首相の話題をもちだした。自然に眼前の永田町のことがまた脳裏にのぼった。ここ永田町は政治家の象徴だ。ちょうど霞ヶ関が官僚の象徴であるように。日本社会の権力構造において、政治・経済のほかに官僚の力は絶大だ。現在でも官制社会と呼ばれるような面がある。わたしは来日前に多くの人に聞いてみた。本当に政策を決定しているのは誰なのか。多くの人が政治家ではなく官僚と答えた。

 永田町と霞ヶ関の力学は日本政治の一大特徴だ。二者が協力することもあれば微妙にバランスをとりあうこともある。ならば鳩山に聞いてみよう。わたしたちは今永田町にいますが、実際は多くの政策において霞ヶ関官僚の影響が大きいことはみんな知っています。では、外交はどうでしょうか。首相は大きな力をもっていますか?

  質問を終えたときには茶が来ていた。白磁で机がいっぱいになり、植物の緑とのコントラストがいい具合だ。

 「否定はできません。確かに官僚の影響力はとても大きい」鳩山は官僚の影響力を認めた。しかし外交に関してはこう述べる。「官僚がもっとも重要視しているのが日米同盟です。日米関係が良好でさえあれば彼らは昇進のチャンスを得ることができます。彼らが出世したいと考えたとき、日中関係を良くしようとはならず、日米関係を良くしようとなりますから、日中関係はあまり重視しません。それは彼らの昇進蓄財にはあまり関係がない。今日米関係が良好であればそれでオーケーなのです。外務省の官僚には大きなエネルギーを割いて日中関係を好転させる、その動機がありません。こうした官僚の思考が日中関係を改善困難にしている主要な原因です。

 流行している見方がある。近年のみの傾向ではなく、日本は戦後一貫して日米外交を機軸としてきたという見方だ。日本外交は総じて日中関係に重きをおいてこなかったと鳩山は総括するが、これはその重要な背景だろう。「官僚と安倍首相の方向は一致していますが、安倍首相はさらに一歩進んでいます。中国脅威論をとても強く主張しますね。官僚は黙っています。なぜでしょうか。首相が官僚の人事権をしっかりと握るようになったからです。彼らが立ち上がり公式に反対したり、首相は極端であると言ったりすれば、その先は続けられなくなります。あるいはそこで首を切られるかもしれない。官僚は首相の意思に随うほかありません」

 鳩山が語ったのは政治家の官僚に対する人事権掌握についてだ。この種の話を聞くのは日本に着てから初めてではない。政界において政治家と官僚の力関係はシーソーに似たところがある。今官僚は下にいて、政治家が上にいる。官僚に対する社会的評価も低い。高級官僚が引退後に関連企業に天下りすることも難しくなってきている。東京大学はエリート官僚の“供給商”として、官僚システムのメインストリームで重要な位置を占め続けているが、ある先生がこんなことを言っていた。最も優秀な学生が、以前のように官僚になりたがらなくなっている、と。

 鳩山も在任時に打倒官僚のスローガンを掲げていたが、官僚の権力が縮小傾向にある現在、彼はどう考えているのか、わたしは興味があった。「こんなふうに言うこともできます。バブル経済のあと、政治家は官僚から権力をとりもどそうとしてきた。90年代の橋本龍太郎の時代にもそうした傾向があり、鳩山先生の在任時にも官僚を大いに攻撃しましたね。現在安倍首相はこうした歴史の上で、官僚に対して勝利したと言えそうです。しかしこうした状況をあなたは憂慮しているのではないですか?」

 質問の前提に対して、鳩山は一部訂正をおこなった。彼によれば官僚と政治家の対立の歴史はそこまで長いものではない、冷戦期には政治家は官僚の書いた答案を読んでいればそれでよかった。その時代には大きな変化はなかったからだ。冷戦が終わり、世界は大きく動きはじめ、それからずっと転換期にあるという。彼はこう評した。官僚システムは既にあるものを守ることには適している。平穏な時代には大きく干渉する必要もなく国会を率いて前進することができるが、現在官僚システムはあきらかに不調をきたしている。政治家が主導しなくてはいけない。民主党政権の前、自民党はこれに関してはさほどの努力をしてこなかった、と彼は強調した。民主党政権から政治主導の訴えが始まったのだ、と。

 鳩山は民主党のために弁解しているのだと思っていたら、驚いたことに彼は続けて正直にこう語った。「しかし民主党の試みも成功したとは言えません。失敗したと言ってもいいくらいです。当時官僚から強い反対の声があがりました。メディアも財界も賛同してはくれませんでした。安倍政権は民主党の失敗を教訓として、あなたのおっしゃるとおり、勝利したと言えるでしょう。安倍政権は人事権を掌握し政治主導を実現したのです」鳩山は続いて不安を口にした。「けれど危険がないわけではありません。もし政治家が誤った判断を下したらその国家は道を誤るでしょう。そのとき官僚はたちあがって、これは間違っていると言い、正しい方向に戻さなくてはいけません。官僚にそうした能力があるのか、そして声をあげることができるのか。これは重要なことです」

 われわれは話しながら、ときどき窓の外に目をやった。庭園の面積はさほど大きくない。一方には鬱蒼とおいしげる草木の中に紅い花が鮮やかに映える丘、そして波光のゆれる池があり、もう一方には黒と白を組み合わせた抽象的な高い壁がある。日本式の独特なスタイルだ。小さな空間の中に風雅をつくりだし、簡潔で大柄だ。

 前述のように、外交に話が及んだとき鳩山は、自身の首相在任中に東アジア共同体のアイディアを提出したにもかかわらず、現在外務省では誰もそれをとりあげないことを遺憾そうに語った。日中両国を含めて、多くの人が関心をもっている話題だ。東アジア共同体、あるいは汎アジア主義は日本の政界ではもう死に絶えてしまったのか?この質問は少し直接的すぎるかもしれなかったが、時間の制限から、わたしは回り道せずにはっきり聞いた。

 わたしは質問をして頭を垂れて茶を飲んだ。白磁にはすべてうっすらと金の縁取りがなされていることに気がついた。雅なものだ。日本の家屋にしばしば金色が使われるが、多くはしっくりと場になじみ、俗に流れない。聞くところによると、日本の金色に対する愛好は古代朝鮮からの影響があるそうだ。朝鮮半島は歴史上、日中交流において無視できない役割を果たしてきた。東アジアの歴史ついて話しだすとまったくこんがらがってくる。 

 これに関して鳩山は軽々しく首肯しなかった。東アジア共同体は確かに進展しなかったが、政界において死に絶えたとは言えない。「現在の民進党民主党の衣鉢をついでいるわけですが、外交はだいたい日米関係を強調しますね。自民党とさしたる差はありません。けれどそのことは政界全体がこれに関心を失ったことを意味しません。東アジア共同体を基礎とした自由貿易協定には日本はやはり興味をもっています。たとえば東南アジア諸国連合10カ国に日本、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国が参加する東アジア地域包括的経済連携などです」

 彼は経済的な連携が深化すれば、その地域において共同体的な概念が発展してくる可能性があると考えている。「海外でのほうがこうしたアイディアに関心がもたれているようですね。たとえば習近平氏の類似概念です。海外で注目が集まれば、いづれ国内でも新たに政治家の関心をひくようになるでしょう。今多くの人は関心を失っていますが、決して死に絶えたわけではありません」

 「日本社会がどんどん保守的になってきているという考えかたもありますね。あるいは自分のことにほうに関心があると言ったほうがいいでしょうか」日本とアジアとの関係は簡単にはまとめられない。ある面では、日本にアジアへの視座は欠けていないし歴史的な基礎もある。しかし別の面では、近年アジアを疎んじるような態度になってはいないか、これも日本で議論される重要な案件である。

 鳩山の熱量もあがってきた。日本はただ自国のことを考えているというよりは、アメリカの後ろにひっついていると言うべきで、視線は日本海ではなく、太平洋を向いていると言う。「こうしたやり方には賛成できません。特にトランプ政権は多くの要求をしてきます。それらにすべて応えることは本当に日本のためになるのでしょうか。わたしは違うと思います。日本はアメリカだけに眼をむけるべきではないのです。ところが日本社会のアメリカ重視は歴史上最高の域に達しています。これを保守と言っていえないこともないですが、それは日本第一主義、日本を最も重視するのとは違い、アメリカの行く路に従うことを意味します」

 アメリカの話になると、鳩山の話も密度を増してくる。2009年、民主党が政権を獲得する前、ニューヨーク・タイムズは鳩山の論文「日本の新たな道」を掲載した。鳩山はその中で、地域の一体化を進めることでアジア諸国の間の分裂と衝突はなくなり、それが日本の国益になると主張した。鳩山は外交において、一貫して日本の方向性を批判してきた。だからわたしは過去の論文のことも話題にだした。そのときから10年経ったがアジア一体への状況は後退したようにみえる。日本以外に深層レベルでの原因があるとすればなんだろうか?

 この話題になって鳩山の語調は明らかに速くなった。彼は言う。この論文はもともと日本の雑誌「voice」上に日本語の全文がのったものだ。これも彼が反米とみなされるようになる原因となった。アメイカ人はニューヨーク・タイムズを読んで彼が日米同盟を破棄しようとしていると思ったようだ。政権内部の彼に対する認識もここからはじまったのだ。

 この論文は大きな波紋を引き起こした。多くの場合、この論文は鳩山がニューヨーク・タイムズに寄稿したものだと認識された。わたしは補足として確認した。「これはあなたが寄稿したものではなく。ニューヨーク・タイムズが転載したものだったのですね?」自分は寄稿していないと鳩山ははっきり答えた。あれはニューヨーク・タイムズが“勝手に転載したのだ”と。

 続けて鳩山は執筆の経緯を説明した。「あのとき論文を書いたのは、もうすぐ首相になるところでしたから、自身の主張を発表したかったのです。みなさんにわたしの考えを知ってもらいたかった。はっきりとした目的がありましたから、力を入れて書きました。わたしの考えだけでなく、論文ではアメリカ主導のグローバリズムへの批判も行いました」鳩山は、これも彼がアメリカから嫌われた原因だと考えている。今でも彼は自分の批判は理にかなったことだったし、時代錯誤ではなかったと感じている。主張も変わっていない。そういえば、鳩山家とアメリカとも深い関係がある。曽祖父の鳩山和夫は文部省派遣の第一回アメリカ留学生としてコロンビア大学とイェール大学で学んだ。鳩山由紀夫スタンフォード大学で博士を取得している。

 しかし鳩山は、自身は反米ではないと言う。そして彼は東アジアが和解することは可能だと考えている。彼によれば、まず日本が過去の侵略戦争、中国と韓国にあたえた傷に対して反省し真摯に謝罪する必要がある。そして領土問題の解決も難しくないと言う。彼は日中間で争いとなっている尖閣問題をとりあげた。この問題への対応により彼はかつて手痛いダメージをうけたことがある。「周恩来田中角栄の時代、明文化はされていませんが、たしかに棚上げ合意が成立していました。それが領土問題となってしまった原因は、主として日本側が現状を変更しようとしたことにあります。それは一種の挑発でした。そして中国側はそれに反応したのです。ですから、この問題は日本側にそもそもの原因があるわけです。中国、韓国側に何か問題はあるでしょうか。もし日本が挑発しても、中国、韓国が過剰に反応せず軽くスルーしたとしたら、問題解決につながる可能性はありますね」

 アメリカに話がおよんで、どうしても聞いておかなくてはいけない質問をする機会がきた。沖縄の米軍基地問題だ。沖縄の米軍基地は一貫して日本社会が頭を痛めている問題だ。沖縄の面積は日本の1%に過ぎないが、そこに在日米軍の70%が集中している。鳩山は首相就任前、米軍基地の県外移転を主張していたが、最終的には米国との折衝がうまくいかず、かえって鳩山が退任するきっかけとなってしまった。現在でも、この問題を日本の友人と話しをしていると、その多くは頭を振る。鳩山は約束を破った、能力不足であると。では、もっといい方法はなかったのだろうか?わたしそう聞いて茶を口にいれ、ひそかに息をついた。

 鳩山は珍しく数秒沈黙した。感情はおもてに出ていないが、語調はあきらかにゆっくりになった。「わたし自身遺憾に思っています。個人としては普天間基地を県内の別の場所にではなく、最低でも県外に移転すると主張していました。しかし首相になっても実現することはできませんでした。今からおもえば、もっとふさわしいやりかたがあったのかも知れません。一番は直接オバマ大統領と一対一で交渉することでしょう。それを繰り返すことができれば状況は違っていたかもしれません」

 彼は茶を飲み、窓の外の庭園を眺めた。そして回想を続けた。「基地問題を解決できなかった大きな原因は、当時協議にあたったのが日米双方の行政官僚で、わたしは直接参加することができなかったことです。ただ報告を受けるだけでオバマ大統領と直接話しをする機会をもてませんでした。ウィキリークスによる暴露からもわかるように、当時の日本の官僚はわたしの指示通りには動きたくなかった。対米迎合を志向していました。ですから当初から官僚は基地の県外移転を望まなかったのです」彼は自分が間接的にしか協議に参加できず、そのためにミスリードされたのだと強調した。彼自身は当時、外務官僚に対して直接アメリカの大統領と交渉する機会をつくれないかと問うている。しかし官僚からの助力はえられず、両国の首脳がこの件に関して直接交渉するにはいたらなかった。「官僚が障碍でした。あのとき官僚が背後で何をしていたかわかっていたら、状況は違っていただろうとおもいます」

 午後の東京、日の光が温かみを増し、窓の外の湖面を斜めからなでている。微風が吹いて波紋が広がり、小さな渦ができる。

 難しく敏感な対外問題を語り終え、話は国内問題に戻る。鳩山はおそらく中国人が最もよく知り親しみを感じている政治家の一人だろう。しかし日本人は違った見方をしている。わたしは鳩山に、多くの中国人はあなたのことがとても好きだと言った。「けれど、中国や韓国に対するあなたの謝罪方法は、日本国内において、それも多くの普通の日本人にとって、理解しがたい、あるいは不愉快なもののようですね」

 鳩山は自分もよくわかっていると言った。そしてそれは日本が右傾化しているからだと説明した。自分は間違っていない、と。「右傾化した結果、今の日本は外交上アメリカに追随しています。アメリカを日本の上位においていますね。そこには上下関係があるのです。アメリカに追随して東アジアにおいて中国・韓国よりも上に立っていたいと願っているのです。当然、中国・韓国とは外交上の衝突が生じます。また別の方向から見れば、右傾化の結果多くの人の考えがこんなふうに変化しました。すなわち、戦争が終わってもうだいぶん時間がたつのに、なぜわたしたちは謝らなくてはいけないのか?と。わたしはこう考えます。傷を受けた国家あるいは国民がわたしたちを赦し、もう謝らなくてもよいと表明するまで、わたしたちは絶えず反省し謝罪する必要があります。それは戦争における加害国の責任です。――それはある意味、無限責任だということです。こうした責任は、相手側が謝罪の必要はないと完全にみとめるまで終わらないのです。このような発想は日本国内ではあまり受け入れられません。これも右傾化の表れです」

 鳩山は続けて言う。こんな状況がずっと続くはずがないと。「たしかに現在、多くの人が批判し、反対しています。実際わたしだって面白くはありません。けれどわたしは未来に希望を抱いています。なぜならいつかきっと日中韓が手を取り合う日がくるからです。そのときわたしの主張が再評価されることでしょう。互いに衝突・対立していては、手をとりあうことはできません。衝突・対立を解決するためには、わたしの主張は効果的です。だからわたしは日本人として、中国・韓国に謝罪をするのです。わたしは間違っていません。現在の日本社会が問題なのです」

 間をおかず、鳩山は補足をした。「簡単に言えば、アメリカに追随しているために、日本人はアメリカに対して劣等感を抱えているわけです。では心理的平衡はいかにして保たれるでしょうか。それなら中国などアジアの国々に対して優越感をもてばいい。しかし中国も韓国も経済は立派ですね。中国経済はすでに日本を越えています。それで日本人は心のバランスがとれなくなるのです。こうした心理があるために、右寄りのイデオロギーが容易に受け入れられてしまうのです」

 見方によっては、世界全体が右傾化しているとも言える。そして日本には“空気を読む”という言葉があり、周囲にあわせない人は“空気読めない”と言われてしまう。それが実に社会的な正しさを求める言い方でもあるのだ。わたしは続けて問うた。「鳩山先生はこの理屈をおわかりでいらっしゃるかと思いますが、それでは日本でコミュニケーションをするときに、人にあわせてものを考えますか?それとも空気を読んだ上で、それでもその社会的な正しさに従いたくないと考えますか?」

 鳩山はきっぱりと答えた。「わたしは空気を読みません、なぜならその空気が間違っていると考えるからです。日本の政治的正しさは政治的な間違いです。社会全体が右傾化している、それがおかしいのです。わたしは空気を読んで従うのではなく、読んだ上で空気を変えたいのです。政権だけではありません。メディアはほとんど安倍首相を批判しません。安倍首相への批判は自己検閲の過程で捨てられてしまうのです。安倍首相を批判できないメディアばかりになって、自分の頭で考えたくない人たちは彼らの報道を信じるものです。メディアがつくりだした空気を信じてしまうのです。そうして社会全体がますます偏っていくのです」

 彼は続けて言った。「それは間違っている。人は考えることを止めてはいけません。日本人として、間違った空気・間違った環境の中でこそ、自分でしっかり考えてゆっくりと糾していかなくてはいけない。それがまっとうなやり方というものではないでしょうか。わたいは空気を読んでどうこうするという発想はしません。空気が間違っているなら、自分で考えて、自分で変えてゆくだけです。ことに外交面では、日本はアメリカに追随していますが、これは危険です。なぜならアメリカは戦争に向かう可能性があるからです。中東だけでなく、朝鮮半島でもそうです。もし自衛隊が巻き込まれたら、多くの人が戦争で命を落とすでしょう。日本は二度と戦争をしないと誓った国なのですから、これは大きな間違いではないですか?危機は眼の前まで迫っていて、このような状況はそんなに遠いものではないのです。みなさんがよくよく自省して、目を醒まし、周りの空気に呑まれないようにしなくてはいけません」

 戦争の話となると改憲は避けて通れない問題だ。「改憲も日本で大きな論争となっています。多くの人が日本は“普通の国”にならなくてはいけないと叫んでいます。あなたはどうお考えですか?」鳩山はまず“普通”という言葉が“normal”という意味であることを確認した。少し沈黙して彼は言った。「戦争できる国が普通の国であるならば、日本は普通ではない国であればいいではないですか。安倍首相が改憲したい理由の一つは、国家はときに戦争をせねばならぬ、普通の国としては戦争ができないのは問題である、ということです。この観点から言えば、日本が普通ではない国であるというのは不幸なことではありません。日本が真剣に普通でない国であろうとすることは、とても素晴らしいことではないですか」

 「憲法改正に関して言いますと、安倍首相の方向は国家権力を強化し、国民の権利を制限しようというものです。これは立憲主義の原則と矛盾します。なぜなら憲法の存在意義はまさに国家権力を制限し、国民の権利を守ることにあるからです」鳩山は補足した。自身も憲法改正に反対はしない、これに関して本を書いたこともある、しかし自分の考えは安倍とは完全に逆である。人権をさらに強化する。これが正しい、と。

 わたしたちの対話を引き立てるように、うしろから星付きホテルにおきまりのBGMが聞こえてくる。それは男達の商談の声、女たちのたおやかな笑い声、そしてグラスの触れ合う音が重なった不思議なシンフォニーだ。

 すでに一時間は越えてしまったが、鳩山の落ち着いた口調はかわらない。わたしは最後の時間を経済にあてることにした。わたしは彼に、自分が日中経済の比較研究を行うために来日していることを説明した。日本の“失われた20年”が中国にとってどのような意味をもつのかを探りたいと思っている。成果は本にするつもりだ。鳩山自身は日本の経験はどのような啓発的意味をもつと考えているのだろう?

 鳩山はわたしがこのような質問をするとは思っていなかったようだ。彼は思考の整理のため少し言葉を保留し、やがて整然と三点を述べた。一に、経済政策に関しては日本を反面教師としなくてはならない。経済を刺激するためにバブルを発生させ、抑制のために引き締めを行う。「この過程の中に多くの誤りがありました。バブルが発生し弾けた。軟着陸はできませんでした。引き締めを行うという決定は間違いではなかったかもしれませんが、その過程での経済政策が失敗だったのです。日本のバブル発生と引き締め過程における失敗は、今の中国が学ぶべきものだと思います。その中での経験と教訓、とりわけどこに誤りがあったのか、中国が日本と同じ轍を踏まないための優れた反面教師となるでしょう」

 彼は続けて二点目を述べた。彼によれば中国の主要都市、例えば北京・上海・広州といった都市の地価はすでに高騰しすぎており、ほとんどの市民にとって買えもしない、借りられもしないというレベルにまで達している。これは当時の日本と似ていると言っていい。「中国は当然政策を打ち出して、価格を正常に戻そうとするでしょうが、その過程に危険があります。引き締めを行うときにどのような経済政策をとるのか、日本の真似をしてはいけません。少なくとも日本が失敗したやり方というのはわかっているわけですから、中国政府は同じことはしないでいいでしょう」中国と日本で違っているのは、中国にはまだ発展の潜在力があるということだと彼は補足をした。その意味で、中国はやはり新しい経済体だから、日本とは違っているようだ。日本のバブル崩壊と同じような危機には陥らないのはないだろうか。

 彼は最後に指摘した。社会保障制度の観点から述べると、日本では年金や介護保険といったしくみがすでに出来ており、運用実績もある。これも中国が参考にすべきものだ。鳩山は中国が急速な高齢化局面にあり、国家がより包括的な社会保障制度をつくり必要があると認識している。日本の制度が完全であるわけではないが、中国は日本を手本とすることができるし、制度の不備を補うことでよりうまく将来の高齢化社会に対応できるはずだ。

 すでに一時間十五分が経過した。わたしは急いで最後の質問をした。鳩山はまだ落ち着いてお茶を飲んでいるが、きっと次の予定が入っているはずだ。何気なく時計を見ていたように思う。「あなたは政界を引退なさって、年齢はもう70歳になりますが、これからどんなことをしたいですか?学者にならなかったことを後悔していませんか?」鳩山家を継ぐのはもともと弟である邦夫氏であったという話もある。二人の政治スタンスは違っていて、邦夫氏は自民党の中核を担ったが昨年世を去った。

 鳩山は笑って、後悔はしていないとはっきり言った。首相になって大きな成果を残せたとは言えないが、政治の世界に足を踏み入れ、政治家となったことに関してはまったく後悔していない、と。「もう離れてしまいましたから、政界に戻ることはないでしょう。ただ同時に責任も感じています。なぜなら民主党政権が続かなかった責任はわたしにあります。そして民主党政権の失敗が安倍長期政権を生み、結果野党の力を弱めてしまった。安倍政権一強で野党の劣勢が続くこの状況に危機意識を持つべきですし、わたしは自分の責任を果たしたい。政治家として正面から挑戦することはできませんが、それなら傍らから手を貸したい。状況が変わって、二大政党がしのぎを削る好循環が回復することを期待します。今後の人生はおそらくこういった方面での活動になるでしょう」言い終わってきっと彼は、わたしが東アジア共同体構想は日本の政治から消えてしまったのかと聞いたことを思い出したのだろう、こう補足した。東アジア共同体構想は続いてゆく。政治の世界においても完全には死んでいない。今後その活動も行っていきたい、と。

 わたしは鳩山に日中関係を題に何か書いてくれるようたのんだ。彼は少し考えて“雨天こそ友愛が輝く、中日の未来に期待する”と書いた。おおよそ、雨天にこそ友愛精神の輝きが増す、中日の未来に期待する、というような意味だ。サインはとても特徴的な“鳩山友紀夫”。南京でのサインと同じく、目的は“友愛”の顕揚だ。

 時間もわずかとなった。窓の外の池が、ぼつぼつと点灯しはじめた五重塔を映し、夕日の波光とともに反射している。忙しい東京で鳩山は気前良く一時間半もの時間を割いてくれた。わたしはホストとして門まで彼を送った。広間を出ると、彼は再度わたしたちに挨拶をした。一人で帰っていく後姿を見て、わたしはFTの同僚が彼にインタビューした後の評価を思い出した。曰く:彼は科学者として、大衆が聞きたくない話を語りすぎた。しかし政治家として、彼はまた沈黙に過ぎた。

 ホテルを離れ、首相官邸を通る際、わたしはついでに何枚かの写真をとった。入り口の警備員は好奇そうに何度かまばたきをしただけで、問い詰められることはなかった。わたしはこれから赤坂で別の会合に出席する。中国関係の仕事をしている日本の友人達と会うことになっている。日本の業界用語ではこういうのを“中国塢”(訳者註:このような符丁或いは隠語を訳者は調べ出すことができなかった)と言う。

 わたしが鳩山と会ってきたばかりだと言うと、彼らの内の一人、元駐中国外交官の津山俊哉はこう言った。鳩山は自身の国内での評価を犠牲にして、日本の国際的な評価を高めたのだ、と。多くの中国人が、日本にはまだ鳩山のような人がいるのだと感じている。いつか日本に何かが起こったときには、日本もこう言えばいいのだ。「わたしたちの国はかつて、鳩山のような人をもったことがあるのだ」

 鳩山とかつて彼が率いた社会とは、どこかそりが合わなかったのかもしれない。しかし見方を変えれば、やはり期せずしてぴたりと噛み合っていたようにも思えるのである。