お気に召すまま

ー半島情勢を中心にー

キム・ヨナの芸術

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   目次 

  • はじめに
  • 様々なる舞踊
  • 傷だらけの雲雀
  • ヨナの覚醒
  • 珠玉
  • 哀しみの芸術
  • 結び

 

                はじめに

 

 昨年来の朝鮮半島危機はおそらく、90年代初頭から繰り返されてきた北朝鮮核・ミサイル危機の中でも最大のものであらう。2017年、北朝鮮は6度目の核実験を行ひ、十数発のミサイルを発射し、着実にその技術を向上させ「国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」と宣言した。

 その間、米国のトランプ大統領北朝鮮キム・ジョンウン最高指導者は互ひに罵詈雑言を浴びせあった。その応酬の一つ一つはまさに戦争に近づく足取りのやうにみえた。中国・ロシアは両者に自制を促し、韓国のムン・ジェイン大統領は「朝鮮半島で二度と戦争があってはならない」と言ったが、日本の安倍首相は憑かれたやうに「対話のための対話には意味がない、もっと圧力を」と繰り返した。憲法破壊を願ふ安倍首相にとっては東アジア情勢が緊迫してゐたほうがよい。だから危機を煽ってゐるのだ(積極的平和主義!)。

 危機収束の兆しが見えぬまま2018年になった。と、北朝鮮は突如として態度を軟化させた。南北対話を受け入れ、韓国で行はれるピョンチャン五輪への参加を表明したのだ。米国もこれを歓迎し五輪期間中の合同軍事演習延期を決定した。韓国政府はこれを機に南北融和を深化させ、米朝対話に結びつけたいと考へてゐる。

 昨日、ピョンチャン冬季オリンピックが始まった。

 半島危機は今小康状態にある。

 聖火リレーの最終走者を務めたのは韓国の至宝、キム・ヨナ。彼女は4年前のソチ大会で銀メダルを獲得して引退。その年のアイスショーを最後にリンクから離れ、ピョンチャンオリンピック広報大使を務めてきた。

 ソチ五輪の競技終了後、「バンクーバー金メダリストとして記憶されることを願いますか?」との質問に対してヨナはかう答へた。

 「ただ何の大会で金メダルを取った選手としてでなく、キム・ヨナという選手として記憶して欲しい」

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/16766.html

 素敵な言葉だ。

 フィギュアスケートはスポーツと芸術が一体となったものだ。スポーツを芸術化したものとも言へ、芸術をスポーツ化したものとも言へる。点取り競争のゲームに一喜一憂することもできるが、エキシビションアイスショーのやうに芸術及びエンタテインメントに特化した形式もある。

 「キム・ヨナといふ選手」はスポーツと芸術、その両面において突出したパフォーマンスを示した選手だった。主要四大会(グランプリファイナル・四大陸選手権・世界選手権・オリンピック)に全て優勝し、出場した全ての競技会で表彰台にのぼった。アスリートとしてこれ以上無理だといふくらいの成功だ。

 けれどかうした記録は彼女の偉大さを証明するものであっても、それは単に過去の記録であり事実に過ぎず、今生きているぼくらを感動させるものではない。

 が、彼女の芸術はさうではない。ぼくらはアーカイブの時代を生きてをり、幸ひなことにヨナの滑ったほとんど全てのプログラムはネット上で繰返し見ることができる。ヨナのスケートは今生きてゐるぼくらの魂を揺さぶり、熱狂させ、癒しを与へてくれるものだ。

 それはアスリートの勝利が与へる感動ではなく舞踊芸術が与へる感動である。

 ぼくはこの「キム・ヨナの芸術」において、彼女のスケートから芸術的側面を抽出し、その驚くべき豊穣と、それを見ることの愉悦について語りたい。

 だから、どの大会で世界記録を出し、誰に勝ち或いは負け、メダルの色は何色だったかといった類の事柄は必要最小限の言及にとどめる。

 勝ち負けも記録も重要ではない。大切なことは彼女のスケートからいかに多くの芸術的滋養を引き出せるかだ。

 いったい舞踊芸術がもつ魅力、又はそれが与へる本質的な感動とは何だらうか。踊る喜び、それを見る喜びの一番深いところには何があるのか。

 以下「様々なる舞踊」では、まづ、フィギュアスケートとは似てもにつかぬダンスを見ていく。似てはゐないが疑ひやうもなく全て舞踊芸術である。文字通り様々な舞踊を材にとり、舞踊芸術とはぜんたい何であるか、その本質に迫りたい。

 ヨナさんに辿り着くまでがけっこう長いですが、是非、みんな読んで、動画は大画面で見て頂きたいと思ひます。最高の舞踊を、ぼくは選んだ。(読んでられないよといふ方は「傷だらけの雲雀」からお読みください)

 なほ、仮名づかひは歴史的仮名づかひ(の変則形)、ニュース記事・書籍からの引用及び翻訳は現代仮名遣いで書いてゐます。

 

               様々なる舞踊

 

 人類は言葉を獲得する以前から踊ってきた。

 それは「踊り」ではなかったかもしれない。或いは「蠢き」や「ゆらぎ」であったかもしれず、無闇に踏ん張ったり跳ねたりするだけであったかもしれない。とにかく、そこに身体があった。

 おそらく声を発したらう。それはやがて「歌」と呼ばれることになる何かで、きっと「うー」とか「あー」といふ呻きに似た音の連続だった。

 言葉がないのだから、当然「喜び」も「哀しみ」もなく「怒り」も「祈り」もなかった。「この哀しみを表現しよう」といふ記述可能な思考そのものがなかった。

 はっきりしてゐるのは人間がゐて世界があったといふことだけだ。

 森の中を歩いてゐたら清水が湧き出てゐた。飲んだらうまくて飛び上がった、とか。猟に行く前、恐怖を鎮めるために仲間みんなで大地を踏み鳴らした、とか。なんでもいい、そんなとき、言葉を持たぬ古代人はその肉体を緊張させたり解放したりして内なる衝動を昇華させたのだらう。

 人が生きてゐて自然に生じる情念が、肉体を通して表出されること。人間が世界と衝突することによって生まれる化学反応。それが踊りの「原型」だ。

 つまり踊りとは人間と世界が出会ひ交はることで生まれる子供のことなのだ。

 舞踊に必要なのは「人間」と「世界」であり、それはつまりどんなものでも舞踊になりうるといふことであって、さうした性質が舞踊の定義付けを困難なものにしてゐる。といふよりも「純舞踊」なるものを取り出すことはほとんど無理だと言っていい。

 だから舞踊芸術は、その表現の力点をどこに置くかによって、容易に他ジャンルに接近し、また、越境したり融合したりする。或いは融合して出来上がった形式それ自体を何とか舞踊とか、何とかダンスと呼ぶ。

 舞踊と最も相性がいいのが「音楽」と「物語」だ。誰でも知ってゐるやうにオペラにもバレエにも歌舞伎にも、音楽と物語がある。

 言ふまでもなくフィギュアスケートは舞踊とスポーツの融合体であるが、振り子の振れ方次第で、又鑑賞の立場によってその性格を大きく変へる。

 選手みながもっとバレエレッスンに精を出せば、フィギュア全体がより芸術的なものになるだらうし、ジャンプ重視の結果誰もが4回転を飛ぶやうになり、しまひ5回転に挑戦といふことになればフィギュアはサーカスに近づくだらう。

 「人間が生きてゐて生まれる情念が、肉体を通して表出されること。人間が世界と衝突することによって生まれる化学反応。それが舞踊の原型だ」とぼくは書いた。

 その観点から見ると、全ての赤ん坊はダンサーだといふことができる。

 赤ん坊は一瞬一瞬、新しい現実に直面するわけだが、彼等はそれを「解釈」したり「分析」したりしない。手足をばたつかせたり、声をあげたり、不器用に肉体的な反応を示すだけだ。そこに原初的な人間と世界との衝突を見ることができる。

 赤ん坊はやがて言語を習得し、それにより世界を文節化し認識し始める。それに伴ひ世界は完全に外部となり、自意識が生まれ、かつては意識することもなかった自分の身体さへもが認識の対象となる。

 知らぬまに、彼の育つ文化特有の歩き方や走り方を覚える。さうした身体作法は生活の全領域、即ちくしゃみや咳、性愛時の喘ぎ声に至るまである民族・文化特有の型があり、一度身についてしまふとそれ抜きにはいかなる表出も不可能なものである。

 赤ん坊を見てゐると、こちらの体も緩んできて不思議な多幸感に包まれる。その時ぼくらは見るといふ行為を通じて自己を拡張し、その輪郭を打ち解き、赤ん坊と一体となってゐるのである。そして赤ん坊の感覚、言語も身体作法も獲得する以前の、世界と未分化であったときの感覚を思ひだす。だからあんなに気持ちがいいのだ。

 舞踊を「見る」際にはそんな風に見なくてはならない。ダンサーの動きを「見る」といふことは、それを通じてぼくらがそのダンサーに「なる」といふことなのだ。

 選ばれたダンサーは、赤ん坊のやうに生命力に溢れた肉体を持ち、生命そのものの輝きを放つ。

 例へばインド最高の女優マードゥリー・ディクシット(Madhri Dixit)はそんなダンサーの一人だ。

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  マードゥリー・ディクシットはそのダンスの見事さからインドではダンシング・グイーンと呼ばれてゐる。このパフォーマンスは2012年のテレビショウのもので、彼女がこれまで出演した映画のダンスシーンから特に有名なものを繋ぎ合はせたものである。

 ここで彼女が踊ってゐるのは完全なボリウッドダンスであって「芸術的」な要素は皆無と言っていい。ボリウッドダンス特有のコミカルな動きが多く、それら一つ一つの振り付けは並外れた筋力や柔軟性が必要とされるものではない。形を真似するだけならばさう難しいやうには見えない。

 ところがどうであらうか。彼女の肉体が放つ生命力、神々しさ、しなやかさ、気品は圧倒的だ。それは彼女が絶世の美女であるからではなく、踊ることを通じてより高次の美の世界に繋がってゐるからだ。

 あまりに完璧に、そして楽しさうに踊ってゐるから技術的な巧さなどちっとも感じさせないが、つぶさに見れば、彼女がいかに全身を精密にコントロールし、精妙な動きを構築してゐるかがわかるはずだ。

 とりわけ表情のダンスの素晴らしさは特筆に値する。彼女はパフォーマンスの最初から最後まで、口角のあげ具合、目を伏せるタイミング、眉の角度、視線、そして空間のどの一点をどの程度の凝縮力で見つめるか、その全てを完璧に統御してゐる。

 もちろん表情だけではない。バックダンサーと比べてみればよくわかるが、彼女はまったく異質の動きをしてゐる。

 後ろで踊ってゐる若く逞しいダンサーたちの動きからは「筋肉」や「骨格」の動きが見てとれ、いかにも「ダンサーが音楽に合はせて自分の体を動かしてゐる」といふ印象を受ける。つまりダンサーの意識と身体と音楽が別個のものとして存在してゐるといふ感じがする。

 一方マードゥリーはどうだらう。彼女の肉体からは「筋肉」や「骨格」といったごつごつした物体感は一切感じられない。全身を構成する60兆の細胞がキラキラと輝いて生きることの喜びに震へてゐるかのやうだ。

 彼女の肉体は赤ん坊のやうにしなやかで豊かだ。

 肉体がそこにあることの快。ぼくらが肉体を持って生きてゐることは、気持ちがいいことなんだといふことを感じさせる。これは舞踊芸術が与へてくれる喜びの中でも最大のものの一つだ。

 また、彼女はどんな振り付けでもそれに最高の解釈を与へ命を吹き込むことができる。「振り付けを自分のものにする」とは彼女が振り付けと、そして音楽と一つになってゐるといふことである。

 マードゥリーを見てゐると「肉体」と「振り付け」と「音楽」が一体となって迫ってくる。つまり彼女が音楽を聴き、それに合はせて体を動かすといった具合に、ダンサーが客体としての音楽と振り付けを自らのうちで融合させてゐるのではなく、あたかも、初めからひとつのものとしてこの世界に生まれたかのやうな印象を受けるのだ。

 そこではマードゥリーといふ人間の個性は消えてゐる。

 個性を超越した人間の美が宿ってゐる。舞踊芸術は自己表現ではないといふことがよくわかる。

 人間は美しい。生きてゐることは素晴らしい。

 マードゥリー・ディクシットはその踊りによって人間と、そして世界を祝福してゐるのだ。

 ところで、彼女のダンサーとしての才能はいかにして開花したのか。あの見事な表情のダンス、しなやかな動き、素晴らしいリズム感はどうして養はれたものなのか。

 実は彼女は三歳の頃からカタック(kathak)といふインドの伝統舞踊を習ってゐた。彼女の動きの秘密はそこにある。

  一つ、彼女が踊ったカタックを見てみよう。2002年公開の映画「Devdas」より。

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  豪華絢爛とはこのことだ。

 まづ、これほど整った顔の人がゐるといふことにぼくは驚くが、それはどうでもいいとして、まことに荘厳たる美の世界だ。

 伝統舞踊とはある民族、ある人間集団の美意識の結晶であり、そこにはその民族や集団が何を美しいと感じ、何を崇拝したか、どのやうに座ったり立ったりしたか、又、どのやうに女が男を誘惑し、男が女に愛を告白したか、即ち文化=生き方全体が息づいてゐる。

 このシーンでは女が自身の美しさを示し、男を誘ひ、じらし、いなし、また、誘ふといふことが繰り替へされてゐるが、それを表現するための振り付けは繊細を極める。

 カタックを見たことがある人は多くないだらう。けれど、その驚くほど洗練された表現に心が打たれるはずだ。なぜなら、幸ひなことに、人類には感受性と想像力といふたいへん有難い能力があるから。 

 ある民族、ある文化が洗練させた様式に触れることを通じて、その美意識を理解し、さらに普遍的な美にまでアクセスすることができる。

 この素晴らしい振り付けを行ったのはインドの生きる伝説、史上最高のカタックダンサー、ビルジュ・マハラジ(Birju Maharaj)。

 ここでは彼の「孔雀の舞」を紹介しよう。

 短いものだから出来るなら二度三度見て欲しい。ビデオからでも舞踊芸術がもつ最も根源的な「あるもの」が感じとれると思ふ。

 その「あるもの」とは何か。

 ずばり、聖性。

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 これほど聖性に満ちた表現を、ぼくは他に知らない。

 変な言ひ方になるが、およそ人間味といふものを感じさせない表現だ。見てゐるあひだ、彼の性別、年齢、体型、技術はもちろんのこと、これがカタックといふ伝統舞踊であるといふことさへ意識させない。

 カタックの身体運用を基に孔雀の形態模写を行ひ、それを舞踊に昇華させてゐるわけだが、それを通じて、彼自身が聖なる世界と俗なる世界を繋ぐ回路となり、彼のゐる時空を変質させてゐる。

 まさに具象化された聖性。聖性がたまたま人間の形になったといふ印象を与へる。

 舞踊は動物を模倣することから始まったといふ説があるが、これを見ると、きっとさうなんだらうなあと思ふ。繰返し見てゐるうちに、自分の中の原初的な感覚が呼び醒まされてくるのがわかる。

 それは例へば、万葉集の名歌を繰返し読んでゐるうちに、あるとき、ぞっとするほど理解が深まって、古人に繋がり、彼等と同じ世界に触れたやうな気がするのに近いだらうか。

「私自身は、踊ってゐるつもりはないんです。神が踊りを見たくて、私に宿ってゐるんです。私は、神のお気に入りだから」

 マハラジはかつてこんな風に語ったことがあるが、これは本心だらうと思ふ。

 彼の踊りを見ると、舞踊は本質的に神への捧げ物であり、舞踊家は聖職なのだと認識させられる。

 伝統舞踊でも、それがエンタテインメント化してくると、捧げ物としての意味あひが遠のき、聖性は薄らいでくるものだが、続いて、それとは正反対に、安易な「わかりやすさ」にまったく歩み寄らない、頑なに「儀式」としての形式を守ってゐるラーンナー王朝(現在の北タイ)の伝統舞踊&武術、フォンジューン(fonjerng)を紹介しよう。 

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  フォンは「踊り」、ジューンは「武術」を意味してゐる。フォンジューンはその名の通り、祝福と鎮魂の業である舞踊と、殺傷の術である武術が融合したものだ。

 この逞しい青年の動きはまさに、踊りと武術のあはひにゆれながら、自由自在だ。限りなく大地に近づく低い重心と、空中にゆったりと八の字を描く腕と手が、東洋的な一如の世界を作り出してゐる。

 さりげなく、手先の動きで花をつくり、糸を紡ぎ、布を晒す。子供達はかうした舞踊・演舞を見て、自分達の先祖がどんな生活を営んできたのかを知るだらう。

 いやいや、それだけではない、彼の肉体はもっとスケールの大きいものを示してゐる。具象的な表現とは関係なく、彼はまことに山のやうに力強く、水のやうにしなやかで、花のやうに美しい。華麗で、優雅で、威厳に満ちてゐる。

 それはつまり、人間の可能性であり、理想であり、美徳である。

 舞踊はある民族の美意識を示すとともに、その理想や美徳を示すものだ。これは舞踊の大切な仕事である。自分達の先祖が何を大切にしてきたのか、何を美しいと感じ、男或いは女がどうあるべきだと考へてきたのか。ぼくらはそれを知らねばならない。そしてそれを大切にせねばならない。

 なぜなら第一に、ぼくらのアイデンティティとは過去と繋がってゐるといふ意識によって支へられてをり、それを失へば自己を喪失してしまふからである。

 第二に、理想や美徳、そしてそれを大切にせねばならぬといふ規範が失はれた途端、人間はいとも簡単に堕落し、社会が壊れてしまふからだ。

 舞踊は、不思議なことに「勇気」とか「威厳」といった抽象的な観念をもはっきりとこの目に見える形で示すことができるのである。

 ここらへんで時間を現代に進めよう。

 伝統舞踊を通してぼくらは古人と繋がることができるが、結局のところ我々は現代人である。ほとんどの人が都市で暮らし、今様の服を着て、職場にでかけ、寝るために帰ってくるのだ。

 現代には現代の恋があり、男らしさや女らしさがあり、口説くマナーと口説かれる作法が必要になる。そこには当然新しい様式を持った舞踊が生まれなければならない。 

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 20世紀はアメリカの世紀だった。アメリカ文化の影響から完全に自由であった国や民族を探すことは難しい。

 自由・平等といふ理念のもとに建設されたアメリカは、大量の移民と資本を吸収し、史上類のない繁栄を達成した。彼等はその富を、これまた20世紀最大の芸術たる映画につぎこんだ。

 古き良きアメリカとはおそらく、ハリウッド最大のスターであるフレッド・アステアジンジャー・ロジャースが体現してゐた気品と優雅さのことを意味するのだらう。

 アメリカ独立宣言には、人間には「幸福を追求する権利」が与へられてゐると書いてある。

 幸福とは例へば、たくさんお金を稼いで、大きな家に住み、カッコイイ車に乗って郊外のレストランにランチを食べにいく、とかさういふことである。

 けれどもっと大切なことがある。「誰と生きていくのか」といふこと。

 人間の幸福は結局のところ、誰と出会ひ、誰と結びつき、誰と生きていくかにかかってゐる。

 そのためにぼくらは想ひを寄せる相手に言ひ寄り、気持ちを伝へ、自分が何者であるかを示し、また、相手を知り、相手にふさはしい人間にならなくてはいけない。

 つまり、恋愛、ダナ。

 アステアとロジャースは都市文明に生きる男女が、社交の場で出会ひ、互ひが想ひを寄せ合ふ様、「綺麗だ」と言ひ「ステキよ」とこたへる様をダンスによって示した。

 都会人の恋はかくも素敵で、優雅で、知的である。

 二人のダンスは、一応のところ男がエスコートするといふ形式はとってゐるものの、決して男が主で女が従といった、黙って俺についてこい式の古臭い関係性ではない。

 自立した二人が、互ひに敬意を抱き、節度を保ちながら、関係を深めてゆく有り方が示されてゐる。

 アメリカに敵対する国においてもハリウッド映画は大いに受け入れられ、アステアとロジャースのダンスを見て「素敵だ」と思った。それはつまり、二人が示す男らしさや女らしさ、男女関係、恋愛の形式を受け入れたといふことだ。

 「素敵だ」と感じてまったらもう引き返せない、「憧れ」といふ感情はしばしば、ぼくたちを今とは全然違ふ場所につれていくものだ。

 もちろん、彼等の形式を受け入れたと言っても、さう簡単に消化できるものではない。少なくとも本邦においては、ぼくらは洋服を着こなすやうには、うまく「恋愛」できてゐないやうに思へる。

 それはおそらく、日本人がまだ「自立した個人」といふものにピンときてゐないからだ。そして、人間は平等であるといふ観念が浸透してゐないからだ。

 さて。

 話をダンスに戻そう。

 アメリカ中西部インディアナ州のゲーリーといふ町に、アステアのミュージカル映画が大好きな少年がゐた。

 20世紀後半、彼は成長して「ポップ・ロック・ソウルの真の王(The true king of Pop,Rock and Soul)」と呼ばれることになる。

 ご存知、マイケル・ジャクソンだ。

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 ウィキペディアによれば、カッコイイといふ意味の「cool」はもともと、アフリカ系アメリカ人ブルーカラー層が使ってゐたスラングで、それが20世紀末になって非英語圏以外にも広がっていったものださうだ。

 日本語でも普通に「クール」と言ひ、中国語でも「酷(クー)」と言ったらカッコイイといふ意味だ。かなり一般化してゐる。

 私見では、といふかぼくの妄想では、「cool」といふ語感でしか表せない種類のカッコヨサを提示したのがマイケル・ジャクソンだった。つまり、こんなかっこいい奴を誰も見たことがなかったのだ。そして、彼のカッコヨサを表す語が必要になってしっくり来たのが「cool」だった。

 80年代、マイケルが「Off The Wall」「Thriller」「Bad」によって世界を制覇する過程はまさに、「クール」といふ語が非英語圏に浸透していく過程だった(根拠はありません!)。

 「ポップ・ロック・ソウルの真の王」である彼の音楽を聞くと、からだが勝手に動いてしまふ。踵でリズムを刻み、腰を振り、頭をゆらし、ああ、いい気持ち。うん、つまり誰もが踊り出してしまふのだ。

 人をして否応なく踊らしめてしまふ音楽の力。

 これを「グルーヴ」といふ。

 マイケルは、彼自身の音楽がもつグルーヴをその肉体で表現することができた。

 彼はグルーヴを視覚化してみせたのだ。

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  マイケル・ジャクソンは耳なじみのいいベースラインをひたすら繰り返すことでグルーヴを作った。

 「Billie Jean」において、ドラムスは最初から最後までシンプルな8ビートを繰返し、フィルらしいフィルも入らない。その上にベースがのり、これまたシンプルに「ドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥン」と決まったフレーズを繰り返す(二つ目の太字、裏拍のアクセントが効いてゐる)。ときどきギターが別のリズムを刻み、キーボードが和音を導入する。

 そして、さらにその上に、子音を強調したマイケルのボーカルと、「ダ!」「ウ!」「ア!」等のボイスパーカッションをのせることで、多層的なグルーヴを作り出し曲全体のテンションをあげてゆく。

 ベースラインに揺られながら、少しづつ、少しづつ、ちょうど、螺旋階段でも上がっていくやうに、聴衆のテンションもあがりはじめる。

 やがて、聴衆はエクスタシーに達し、何度も「イク」ことになるわけだが、彼等が一番感じてゐるのはどこだらうか、彼等は何をきっかけにイッてゐるのか。

 それはターンである。マイケルがクルっと回ってピタっととまる。そのあまりに完璧なターンに痺れてしまふのだ。

 シンプルな曲だから、聞いてゐる者はすぐに曲の構造を把握し一体化する。だから、マイケルのターンがいつやってくるのか、こちらも予想をしてゐる。

 くるぞくるぞ、回るぞ、と思って見てゐる、そこへ、今だ、ここしかない、といふタイミングでマイケルが完璧なターンを決める。そこでイっちゃう。これはたまらない。

 観客を自身の肉体に共鳴させ一体化させることにより、マイケルはターン一つで彼等を昇天させることができた。

 死の直前まで準備してゐたコンサート「This Is It」のリハーサル映像の中に、素晴らしい「Bellie Jean」を見ることができる。

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 1983年に初めて「ムーン・ウォーク」を披露して以来、「Bellie Jean」は、そして彼のダンスは進化し続けてきた。

 「This Is It」のとき、マイケルは50歳。当然のことだが、筋力は落ち、若い時分の瑞々しい肉体はない。が、それによりむしろ、彼のダンスの核のやうなもの、そしてその凄みが露になってゐる。

 リハーサルだから、ここで彼は何よりも音楽を聞くことに集中してゐる。いつどこに移動して、どんなステップを刻むのか、まだ厳密には決めてゐない段階だらう。そこで彼は自分が創造した音楽に没入し、体を揺らし始める。そのシンプルなノリ方やステップの何といふカッコヨサ。神々しさ。

 まさに、音楽と身体が出会ふ瞬間、グルーヴが具象化される瞬間だ。

 もしマイケルが生きてゐたら、本番でどんな「Bellie Jean」を見せてくれたのだらうか。われわれは繰返しこのリハーサル映像を見て、彼の目指したもの、彼が見せるはずだったものを想像するほかない。

 ところで、マイケルが世界中を熱狂させてゐた1980年代、「コンテンポラリーダンス」といふものが生まれた。その定義付けは難しい。

 先に、舞踊とは「人間と世界が出会ひ交はることで生まれる子供のこと」、「人間が世界と衝突することによって生まれる化学反応」であると書いたが、コンテポラリーダンスはその原点回帰といふべきものと言へるかもしれない。

 つまりかういふことなのだ。

 人類はこれまでに様々な舞踊を生み出し、それを「型」として誰もが学べるやうに形式化してきたわけだが、世の中がどんどん複雑になり、変化が早くなり、グローバル化とか言はれる世界に一人放り出された時に、もうこれまで創造されてきたいかなる「型」によっても、今生きてゐる人間が感じてゐる、この、のっぴきならないリアリティを表現することができなくなってきたのだ。

 そこで誠実なダンサーたちは、型をとっぱらって、生の肉体で世界と切り結ぶことにしたのである。

 例へばアクラム・カーン(Akram Khan)はたった一人でその絶望的なまでに孤独な戦ひに挑み、「人間以前」とか「生命の根源」といふ言葉でしか言ひ表せないやうな、深い深い場所に下りていく。

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 アクラム・カーンはバングラディシュ人の両親のもとに生まれたイギリス人。7歳から先に取り上げたカタックを始め、大学時代にコンテンポランリーダンスに出会った。2000年に自身のダンスカンパンニーを立ち上げ、2012年にはロンドンオリンピックの開会式でパフォーマンスを行ってゐる。現代を代表するダンサー・振付師だ。

 これは「Nameless(名前のない/名づけられない)」と題する彼の短いソロ作品。

 椅子から立ち上がった彼は、すっと音も無く舞台に伏す。と、そこから先、ぼくらはいかなる解釈も拒絶する、見たことのない動きの連続に驚くことになる。

 彼は肉体のあらゆる部位、普段人間が行ってゐるあらゆる動作、動きから、「意味」を丹念に剥ぎ取り、動きの「型」を見事に解体してゆく。

 ぼくらの意識にある「人はこんな風に立ちあがるものだ」とか「腕はこんな風に動かすものだ」と言った予断を全て砕ひてしまふのだ。

 彼の肉体が「人間ではないもの」に見えてくる。大きな一つの細胞でできた軟体の生物のやうでもあり。蠢いてゐる、わけのわからぬエネルギーの塊のやうでもある。

 ぼくはこれを見たとき「動的平衡」といふ言葉を思ひだした。動的平衡とは分子生物学者の福岡伸一博士が提唱する生命の原理である。即ち、生命は動的=流れのなかに平衡を作り出してゐる時間的存在だといふのだ。

 「Nameless」におけるアクラム・カーンはまさにそれだ。彼の肉体は安定と崩壊とのあはひにゆれながら、そのゆれてゐる姿そのものが平衡をつくり出してゐる。

 彼はここで「人間」を解体して「生命」そのものになってゐるのだ。

 続いて、彼の別の作品を紹介しよう。43分から48分過ぎまでを見てほしい。前段、スキンヘッドにペイントをすることで「父になる」のだと言っゐる。

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 第一印象でこれを「美しい」と思ふ人はゐないだらう。頭部に目と鼻らしきものをぞんざいに描き、前かがみになり、左手で自身の顔を隠す。と、人らしきものになった。ノートルダムのせむし男を思はせる、無様な造形だ。このひどく抽象的な「人」ははっきり言って、とても醜い。

 手をバタバタさせて舞台を左右に動きまわり、床に倒れ、身悶え、必死に何かを懇願してゐるやうに見える。なんだか惨めな奴隷のやうだ。

 ところが、この不恰好な「人」の切迫した、必死な姿はとても崇高なのだ。そして醜いと同時に崇高な姿に慣れはじめたとき、ぼくらはかう感じるのだ。「これは自分だ」と。

 人生は誰にとっても苦しいものだ。生きていくためには、意にそはぬことをせねばならない、自分を殺さねばならない。不当に虐げられることもあるだらう、それをただ甘受する他ないこともあるだらう。

 そんな惨めさに耐えながら、人は「明日はきっとよくなる」と思って生きてゐる。そして子が生まれ親になると「この子には幸せになって欲しい」と願ひ、さらに必死になって生きるのだ。

 アクラム・カーンは不恰好で醜い造形と、惨めで哀れなマイム表現により、生きることそのものの哀しみを表現してみせた。しかも彼は「父になって」それをやったのだ。結果、その哀しみは愛への道を見出したのだ。

 アクラム・カーンをもう一つ。

 これは上の二つのやうに「深刻」なものではない。彼のダンサーとしてのバックグランドであるカタックの動きを自由に拡張し、変化させて出来上がった、清らかなパフォーマンスだ。

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 ぼくの感覚では、「身体の使ひかたの見事さ」に関してこれほどの人は他に思ひ浮かばない。ちょっと飛び抜けて凄い人だと思ってゐる。

 もの凄く速く動いてゐるのに、すべての動線が驚くほどクリアで、一つ一つの動きに宿ってゐるイメージもまた、極めて明確だ。

 そして何より素晴らしいのが、彼の肉体含めた作品全体に横溢する澄明の気だ。 陳腐な言ひ方になるが、心が洗はれるやうだ。彼が大地を蹴り鈴を鳴らすたびに、又、勢ひよく腕を左右に広げるたびに、邪気が祓はれ、善きものが召喚されてくるのがわかる。

 「伝統を現代に生かすとはかういふことなんだ」といふお手本のやうな作品だ。かうした表現が大事なのは、それがぼくらの生き方に極めてポジティブなビジョンを示してくれるからだ。

「伝統を現代に生かす」それは舞踊においてとても大切なことであり、文化にとって、即ちぼくらの生き方にとってもまた、重要な課題だ。

 現代において、文化のない人々が「伝統」を捏造し、それによりかかり他者を排斥し、安物の一体感を作り出すことのいかに多いことか。「伝統」を盛んに連呼する人たちの内に、実際「伝統」が生きてゐたためしはない。彼等にとって「伝統」とは他者を操るための道具でしかないのだ。

 移民の子であるアクラム・カーンはそのダンスによって「伝統を生きる」とはどういふことなのかを教へてくれる。

 彼が自身のルーツであるカタックを発展させて優れた表現を生み出したやうに、ぼくらは過去に学び、伝統を生き、一人一人が自分の人生を創造せねばならないのだ。

 さて。

 「様々なる舞踊」は上掲の動画において、下手に座ってアクラム・カーンのソロを見てゐる女性、シルヴィ・ギエムのソロ「Two(Rise and Fall)」を紹介して終はりにしよう。

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 踊ってゐるのも振り付けたのもバレエの人だが、ここではバレエを連想させる動きは排除されてゐる。ここではバレエ的な動きを崩したり応用して新しい表現を生むといふことは指向してをらず、バレエの訓練でつくりあげた肉体によってそれとは関係のない、別種の肉体言語を創造しようとしてゐるやうに見える。

 例へるなら、日本語とか英語を使って何かを表現するのではなく、オリジナルの言語を創造しようといふ試みだ。

  作品半ばまで、動きの少ない状態が続くが、ここでダンサーは肉体が自律的に動きだすのを待ってゐるのだ。新しい言語の萌芽を捉へるべく意識を研ぎ澄まし、内なるエネルギーが凝縮するのを待ってゐるのだ。

 ぼくの感覚では、タイトルのTwo(Rise and Fall)とはこの内なるエネルギーの源泉、二つ相反する指向性を示してゐる。要するに、陰と陽だ。

 低音が細かなリズムを刻みはじめるとともに、ダンサーはエネルギーの源泉に近づき肉体を同調させることに成功する。打ち込みのドラムスとスネアが入ってくると、一気に加速し、固有のスタイルのやうなものが表れはじめる。

 まっすぐ伸びた手足が空間を切り裂く様が鮮烈だ。股関節・肩関節の可動域の広さに驚く。

 奇妙な動きに見えるかもしれないが、注意深く見ると「自律的な運動」が行はれてゐるのが見てとれると思ふ。かういふ動きをしたら、今度はかう動く他ない、といふ感じ。全ての動き、ポーズが必然性に貫かれてゐる。

 ビートが高まり、はっきりとしたモチーフが展開され、繰り返される。自信に満ちた、迷いのない決然たる動き。茫漠たる世界に一人立つ一個の人間。そこに孤独の影は露ほどもない。

 この時、この場所、この肉体に固有の言語が生み出されたのだ。

 先にコンテンポラリー・ダンスとは何かを説明する際に、ぼくはかう書いた。

 「世の中がどんどん複雑になり、変化が速くなり、グローバル化とか言はれる世界に放り出された時に、もうこれまで創造されてきたいかなる「型」によっても、今生きてゐる人間が感じてゐる、こののっぴきならないリアリティを表現することができなくなってきた」と。

 現代人は程度の差こそあれ、誰もがアイデンティティ・クライシスに苦しんでゐる。世の中の変化があまりにも速く、上の世代を見ても生き方のモデルがない。親が生きてきたやうなスタイルで、今日を生きることはできないのだ。

 アクラム・カーンの項でぼくは「伝統を生き、一人一人が自分の人生を創造せねばならない」と書いたが、それができる人、自身の内に帰るべき伝統が生きてゐる人はとても幸福だ。

 われわれの多くは過去から切り離された根無し草だ。どこかに答へがないかとキョロキョロと彷徨って、いろいろつまみ食ひしてみても満足しない。

 どうしたらいいのか。

 シルヴィ・ギエムがこの表現で行ってゐることをする他ない。内なるエネルギーが凝集してくるのを辛抱強く待ち、ここぞといふ時に、それをしっかりと掴み取るのだ。そのためには、自分の感受性を研ぎ澄ましておかなくてはいけない。

 この作品で彼女が固有の言語を創造したやうに、われわれは、手探りで自分のスタイルを見つけなくてはいけない。一人毅然として立たなくてはいけないのだ。

 ここまで、様々な舞踊、様々なダンサーを取り上げ、舞踊芸術とは何であるか、その見方、魅力、社会的意義について語ってきた。

 どうであらうか。

 ここまで読み、動画を見てきた読者が舞踊を見る眼を獲得し、その感受性がうるうると盛り上がってゐると、ぼくは信じたい。

 よろしいですね。

 はい。

 どうやら、やうやく、キム・ヨナについて語る段に来たやうだ。

 もう一度、お願ひいたします。動画は是非、大きな画面で見てください。

 どうぞご堪能ください。

 キム・ヨナの芸術。

 

             傷だらけの雲雀

 

 土曜日、家族でオリンピック公園に行ってアイスショー「アラジン」を見た。二つの部分に分かれていた。

 メガネをかけて行ってよかった。わたしは眼が悪いから、ぼやけてしまったらいけない。ショーが終わってわたしは心に決めた。がんばって練習して韓国代表選手になる。

                   1997年、小学一年時の日記

     キム・ヨナキム・ヨナの7分のドラマ』、中央出版社2010 

          (本邦未訳、引用は中国語訳から林が訳したもの)

 キム・ヨナは1990年9月5日、韓国プチョン市に生まれた。初めてスケート靴を履いたのは5歳の時。バレエもバイオリンも退屈で続かなかった彼女だったが、スケートの楽しさには夢中になった。

 小学校にあがり、上級クラスを修了した時、コーチはヨナの母にかう言った。「ヨナには天賦の才がある。フィギュア選手になれるかもしれない。」

 フィギュアはとても金のかかるスポーツだ。恵まれた経済状況にはなかったが、スケートの虜になってゐるヨナの姿を見て、両親はコーチの提案に従ふことに決めた。ヨナはフィギュアスケーターとなるべく特別指導を受け始める。

 1998年、長野オリンピックが開催された。ヨナはミシェル・クワンの演技に他の選手にはない特別なものを感じた。

 「わたしもあんな風に滑りたい!」

 ヨナはクワンの演技をビデオに撮り、繰返し見た。さうしてクワンの振りを覚え、表情を真似し「オリンピックごっこ」をして遊んだ。幼いながらの表現力は周囲を驚かせた。

 クワンはヨナよりちょうど10歳年長、伸びやかな滑りと豊かな表現力を持ち味とし、イリーナ・スルツカヤと共に一時代を築いた偉大なスケーターだ。

 幼いヨナが自らの資質に自覚的であったはずはない。しかし彼女に与へられた感受性は、確かに、やがて開花する自身の才能を呼び起すのに最も相応しいスケーター、クワンを見いだしたのだ。

 ヨナはこの後も、出会ふべき時に出会ふべき人に出会ひ、その巨大な才能を存分に開花させていくことになる。

 が、その前段、幼少期・ジュニア時代のヨナにとって、厳しい練習はただただ辛いものだった。引退後、ヨナは「選手生活17~18年のうち辛かった記憶が80%~90%」「幸せだと感じた記憶は数パーセントもない」と語ってゐる。

http://japanese.joins.com/article/709/203709.html

 2010年のバンクーバー五輪直前に出版された彼女の自伝を読むと、当時がいかに辛かったがよくわかる。スケート後進国であった韓国には専用の練習場がなく、彼女は朝早くか夜遅く、寒いリンクで厳しい練習に励んだ。

 結果、睡眠が不足する。休養が不足する。

 肉体が成長するためには十分な休息が必要だ。技術的はどんどん進歩する。が、過度の練習は、骨も筋肉も未熟である彼女の肉体が許容できる範囲を超えてゐた。足首が、膝が、腰が、悲鳴をあげる。

 かういふ場合、われわれ東アジア人はたいがい根性で乗り切ろうと考へる。痛みに耐えて精神を鍛へようといふのである。ヨナの母はさういふ教育方針だった。

 思春期には多くの人が自殺を考えるものだと思う。練習がうまくいかないとき、わたしも考えることがあった。けれど、それはとてもデリケートな言葉で、実際、死ぬのはとても怖かった。やはり生きたいと思った。はは!

 「もし、わたしが自殺しようとしたら母はとめるだろうか。きっととめない。死んだらすっきりする、くらいのもので、むしろ喜ぶかもしれない」あの頃のわたしは、愚かにも、こんな風に思ったりしたものだ。

                           ヨナ、前掲書

  国際競技会に出場するやうになり、ジュニアグランプリにも参戦し、好成績をおさめるが、彼女のスケートに少女らしい天真爛漫のきらめき、みたいなものはない。痛みに耐え、孤独とともに生きることに慣れた女の子の姿がそこにある。

 映画「ムーラン・ルージュ」から「One Day I"ll Fly Away」。

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I follow the night

Can't stand the light

When will I begin

To live again?

わたしは夜に生きている

光に耐えられなくて

いつになったら始められるの

新しい人生を もう一度

One day I'll fly away

Leave all this to yesterday

What more could your Love do for me?

When will Love be through with me?

いつか飛び立つの

すべてを昨日に残して

これ以上 あなたの愛は望まない

いつかわたしは自由になる あなたの愛から

 丁寧なすべりだ。一つ一つの動作を、振りを、愛ほしむやうにすべってゐる。肩の力の抜け方が見事で、腕全体の動きが常にしなやかで優雅だ。どこかで断絶が起こるといふことがない。ジャンプも大柄で着氷もやはらかい。

 One Day I"ll Fly Away

 自殺を考へるほどに、彼女が抱へてゐた痛みと孤独は巨大だった。しかしこの歌のとほり、彼女はやがて飛び立つことになる。苦しみや寂しさを作品の内に昇華させる日が来る。

 そのためには、まづ、稀代の名振付師デイヴィッド・ウィルソンとの出会ひが必要だった。シニアに上がった2006年~2007年シーズンから引退まで、ウィルソンはヨナのほとんど全てのプログラムを手がけることになる。

 ウィルソンは愉快な男だ。写真のとほりの、表情豊かなこのご機嫌ナイスガイが、おそらくヨナに最も影響を与へ、その芸術的才能を開花させた人物だ。

 2006年5月、15歳のヨナは新シーズンのプログラム作りのため、カナダのトロントにウィルソンを訪ねた。

 ウィルソンは前シーズンに振り付けを担当してゐたジェフリー・バトルから、ヨナについてこんな風に聞かされてゐた。

「彼女はとても才能があるけれど、幸福なスケーターとは言えないよ」

Choreographer Wilson regrets 'transformative' Kim's early retirement | The Japan Times

 当時のヨナは内気でおとなしく、笑はず、練習中も泣いてばかりゐた。ウィルソンは反対に、陽気で楽しいジェントルマンだ。

「はじめの三ヶ月、最も注力したのは彼女を笑顔にすることだったよ。毎日、どうしたら彼女を笑顔にできるか、いや、笑わせられるかって考えていたんだ」

 やがてウィルソンの努力は実を結び、ヨナは変はりはじめる。自伝にはかうある。

 ウィルソンのたゆまぬ努力のおかげで、わたしは少しずつ、心を開くことができるようになり、彼に会うと自然と笑顔がこぼれるようになった。彼と一緒にいてわたしの内向的な性格がゆっくりと変わり始めたのだ。彼は一度としてわたしに大げさな表現を求めたり、あるいは内気な性格を克服するようせまったりしなかった。ただ、静かにわたしの練習を支えてくれた。

 いつのまにか、わたしはごまかさず、自信を持って表現ができるようになった。わたしの心の深いところにある、恥ずかしくて表現できないものを、動きと表情に変える仕方を教えてくれたのは、たしかにデイヴィッド・ウィルソンだ。

 練習がうまくいかなかったり、傷ついたりすると、きっとウィルソンが微笑みながら現れた。彼に会うとわたしは安心した。ウィルソンはこんなことを言ったことがある。「毎日完璧ってわけにはいかないよ。ヨナ、うまくできるって自分でわかってるはずだよ。そこに自信を持っていればそれでいいのさ」

                           ヨナ、前掲書

 自伝の中でウィルソンに言及してゐる部分が一番いきいきしてゐる。ヨナが彼のことをどれだけ好きかがよくわかる。

  ではウィルソンは彼女の才能をどう評価してゐたのか、上のインタビューから拾ってみよう。

 「ヨナは生まれながらの表現者なんだ。カメレオンみたいだよ。ぼくは素晴らしいスケーター達と長いこと仕事をしてきたけれど、その学ぶことの速さときたらまずトップだね。こちらが見せたものを即座に真似できてしまうんだ」

「彼女は普通の人とは別の次元で音楽を聞いているようだよ。音楽から離れることがない、決してね。彼女の本能みたいなものなのかな。」

 ヨナとウィルソンが初めてタッグを組んだ記念碑的作品が、美しい、「揚げひばり(The Lark Ascending)」だ。

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 まだ身体ができあがってゐない。筋力も十分ではないし、脂肪が少なく女性的な肉体の美に乏しい。体力もまだまだで後半疲れてゐるのがよくわかる。明らかに腰を痛めてゐて、足が高くあがらず特に腰の反りが甘い。

 ヨナも自伝に「この曲を聞くと、当時の身体の痛みを思いだす」と書いてゐる。「一番辛かった頃のプログラムで、まっさきに思い浮かぶのが全身傷だらけだった記憶だ」と。

 彼女はまだ、この音楽が表現する雲雀の軽やかな飛翔を自分のものにできてゐない。しかし、確かに、きっと飛翔するであらう、大空を自由に飛ぶだらうといふ「予兆」を感じ取ることができる。

 ウィルソンの言ふとおり、ヨナは一瞬たりとも音楽から離れない。加速のための一歩にも、毎度お決まりの冒頭のジャンプにもしっかりと音楽が宿ってゐる。

 腕を上から下に、或いは下から上に移動させる、その時の動線のやはらかさ、肩肘手首がいかに一体的に動き、いかに優しく空間に触れてゐるかに注意しよう。かういふのを「ギフト」といふのだらう。

 5分22秒頃、また、5分40秒頃を見てほしい。ヨナが両手を胸の前で合はせて、ゆっくりと前方に押し広げる振りがある。ぼくの感覚では、ヨナが最も美しく見え、そして最も豊かな情感が宿るのがこの動作をするときだ。

 この振りに何を感じるかと言ったら、やはり「祈り」だと思ふ。祈りの姿は清らかで美しく、言ふまでも聖性に道を通じた営みだ。

 このモチーフは後に紹介するプログラムに繰返し、何度もでてくるから、是非覚えておいてほしい。

 さて。

 ヨナはウィルソンに会ひに行ったトロントで、もう一人重要な人物と出会ふ。やがて「金メダル請負人」と呼ばれことになるブライアン・オーサーだ。

 オーサーは84年(サラエボ)と88年(カルガリー)の2度オリンピックに出場しともに銀メダルを獲得、87年の世界選手権では金メダルに輝いた世界チャンピョンで、引退後はアイスショーを中心に活躍してゐた。

 2006年春、オーサーは友人トレイシー・ウィルソン(カルガリーオリンピック、アイスダンスの銅メダリスト)の誘ひを受けてトロントクリケット・クラブでヘッドコーチになることに決めた。彼はスケーティング・スピン・振り付け等それぞれの分野のプロフェッショナルを呼び集め「チーム・ブライアン」の結成にとりかかった。

 しかし、コーチ業に専念といふのではなく、プロスケーターとしてショウへの出演は続けてをり、彼自身、コーチとしてのスタイルを模索してゐる時期だった。

 そこへ、ヨナがやってきた。

 当時のオーサーにとっては、名前を聞いたことも、顔を見たこともない小さなアジア人の15歳の少女だった。

 ところが、ちょっと滑ってもらったとたん、私は腰を抜かしました。生まれ持っての才能、天賦の才というのはこれを言うんだなと思いました。しかし、彼女は不幸そうに見えました。笑顔がなく、とても辛そうにスケートをしていました。

     ブライアン・オーサー『チーム・ブライアン』講談社、2014年

  ヨナはオーサーの指導が気に入った。

 指導を受けてみて、彼と練習するのはとても心地がいいなと思った。彼は自分の優れた技術を相手に押し付けることはしなかった。ただ、わたしが失敗したときにそれを修正してくれた。また、彼は口数が多いばかりで生徒を混乱させ集中力を殺ぐタイプではない。

 わたしは彼の落ち着いた性格がとても好きだ。わたしの力を信頼してくれていて、次の進歩に必要な要素を見つけだしてくれる。

                           ヨナ、前掲書

 夏の間オーサーの指導を受けた彼女は、母にかう言った。

「オーサーと一緒にトレーニングできたらいいと思う。お母さんはどう思う?」

 母は同意した。そしてオーサーに、プロスケーターを引退しコーチとして専任で教へてくれるやう依頼した。最初は断ったオーサーだったが、ヨナ側のたっての願ひに、とうとう承諾することに決めた。

 オーサーは2007年4月の公演を最後にショーから引退しコーチ業に専念することになる。

 「腰を抜かすほどの才能」が「未来の名コーチ」をその気にさせたのだ。ヨナはスケーターとして、オーサーはコーチとしてそれぞれがダイヤの原石だった。ここからバンクーバーで金メダルを獲得するまで、才能と才能が互ひを触発しながら高めあってゆくといふ幸福な関係が続く。オーサーは自らのコーチングスタイルを確立し、ヨナはそれを吸収し、才能を開花させる。

 しかし私はいまだに不思議なのです。コーチとしての実績がまるでない私に人生を託すとヨナは決めたのですから。私たちは彼女たちに誠実に接し、彼女たちは私たちを信頼しました。そして彼女たちはチャンスをつかみ、私の人生を変えました。

                         オーサー、前掲書

 先に2006年~2007年シーズンのFSプログラム「揚げひばり」を見たが、ここで、SPを見てみよう。2001年の映画「ムーラン・ルージュ」から「ロクサーヌのタンゴ(El Tango de Roxanne)」。振り付けはトム・ディクソン。

 ちなみにヨナは2005年~2006年も同じ曲で滑ってゐる。「この曲をやることで、初めて表現力の重要性に気がついた」と自伝にある。

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 「揚げひばり」とは対照的な、情熱的な音楽だ。彼女のリズム感がいかに優れてゐるかが見てとれる。シニアデビューした初めてのシーズンだが、ここでもう彼女のトレードマークである冒頭の三回転×三回転ジャンプが完成されてゐるのがわかる。

 助走時のスピード感、無理のない踏み切り、空中時の安定した軸、着氷の美しさ、それらを総合して見てときの「大柄さ」。

 「大柄」とはのびのびとしてゐるといふことであって、窮屈さがないといふこと、「セーノ、エイ!」的な必死さがないといふこと、余裕があるといふこと、要するに見てゐて気持ちよく、大らかなな気持ちになるといふことだ。

 余裕があるから、踏み切りも着氷も音楽から乖離することなく、「表現」になってゐる。

 二年続けてこの曲で滑ったことでヨナは「どうしたら観客、審判との一体感を作り出すことができるか」がわかったと書いてゐる。

 素晴らしいプログラムだが、16歳の少女にタンゴが要求する官能を表現することはできない。 しかし、幸ひなことに、ヨナは2012年のアイスショーにおいて、更に洗練された技術と成熟した肉体をもってこの傑作プログラムを再演してゐる。それは後に紹介するので、是非、少女ヨナのタンゴを覚えておいてほしい。

  続いて2006年~2007年シーズンのエキシビション、1998年の映画「ムーラン」の主題歌、クリスティーナ・アギレラのボーカルが素晴らしい「Reflection」。

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 傑作だ。ヨナにはバラードがよく似合ふ。

 ぼくの感覚では、SP・FS・EXの全てが傑作であるシーズンはシニアにあがった2006年~2007年、バンクーバー五輪の2009~2010年、ソチ五輪の2013~2014年の3シーズンある。かうした節目の年に自分に相応しい傑作を揃へてくるあたりがヨナの凄いところであり「もってる」ところだ。 

Look at me

You may think you see

Who I really am

But you'll never know me

Every day

It's as if I play a part

わたしを見て

あなたはこれが本当のわたしだと

思うかもしれないけれど

それは違う

わたしは毎日

役割を演じているだけ

Now I see

If I wear a mask

I can fool the world

But I cannot fool my heart

気づいたの

仮面をつければ

世界を欺くことはできる

けれど 自分は欺けない

Who is that girl I see

Staring straight back at me?

When will my reflection show

Who I am inside?

わたしをまっすぐ見つめ返す

この少女は誰?

本当のわたしに

いつ出会えるの?

「揚げひばり」の項で紹介した「両手を胸の前で合はせて、ゆっくりと前方に押し広げる振り」またはそれに類する動きが何度も登場したがお気づきになられたであらうか。

 もう一つ、それに近い動きにも言及しておきたい。右手か左手、どちらか片手を頭の後ろ、或いは首の横あたりにもってゆき、体に触れるか触れないかといふ距離で輪郭にそって這はせながら胸の前におろし、優しく握りしめ、前方の空間に開放する、といふ動き。これがまた素晴らしい。本当に優雅だ。

 例へば1分4秒、2分18秒あたりに右手で、3分8秒秒あたりに左でこの動きをつくってゐる。これもまた以降のプログラムで何度も出てくるモチーフだ。

 ヨナはこんなシンプルな動作に舞踊の美を宿すことができる人だった。ウィルソンはヨナと組んだ初めてのシーズンで早くも、彼女が最も美しく輝く所作を発見したのだ。

 ヨナが本格的にオーサーの指導を受けるやうになったのは2007年に入ってからのことだ。オーサーによれば、ヨナの唯一の欠点は「練習をしすぎること」だった。

 私が引き受けたとき、ヨナは15歳でした。オリンピックを19歳で迎えるという、まさに成長期です。私から見るとヨナはスケートのしすぎでしたし、彼女がいつもケガを抱えているのは、まちがいなくこのためでした。

                         オーサー、前掲書

 オーサーは「苦しくて辛い練習が多いほうがよい」と考へる東アジア的なガンバリズムからヨナを解放し、スケートを滑る喜びを伝へようとした。

 そのためにはとにかく「痛みに耐えることが常態」といふこれまでの量を重視した練習から、短時間でも質のよい練習をするといふやり方に方向を変へる必要があった。

 しかしその際、オーサーは決して自分の考へを押し付けることはしなかった。オーサーはヨナとの間に主従関係を作らなかった。いつもヨナの気持ちを尊重し、話し合ひ、彼女にあったスタイルをつくっていった。

 小さかった頃の韓国での練習と、ブライアン・オーサーコーチとの練習にはたくさんの違いがある。一番の違いは、コーチが選手に教える、選手がコーチから習う、という関係ではないことだ。わたしたちはいつでも互いの考えをもちよって話しをする。表現したいこと、感じたこと、意見をあわせて、共に道を歩いてゆく。わたしの英語力は少しずつ、そうした話ができるくらいにまで上達してきた。子供のころのやり方はその時の自分には合っていたかもしれないけれど、今のわたしにはブライアンのスタイルがいい。彼はわたしの気持ちや状況を理解し、わたしの意見を聞き、わたしと一緒に今後の方針を決める。だから信頼も深くなって、楽しさも増す。こんなあたりがブライアンの素晴らしいところで、わたしの好きなところだ。

                           ヨナ、前掲書

 練習量を減らすといふオーサーの方針が、すぐにヨナに理解されたわけではない。

 ヨナは長時間の激しい練習をやめなかった。疲労が蓄積されて筋肉はパンパンになる。十分な休息をとらぬままに、また、滑って転ぶを繰り返す。当然、痛みは消えない。

 さうして向かへた2007年~2008年シーズンはオーサーによれば「ヨナが一年間泣き続けていたことしか印象にないシーズン」だった。腰痛が悪化し、2008年の2月には世界選手権の直前に三週間の休養をとらなくてはならなかった。

 このシーズンのプログラムは、前シーズンが傑作揃ひだったのに比べるとずいぶん見劣りする。

 SPの「こうもり(Die Fledermaus)」,FSの「ミス・サイゴン(Miss Saigon)」ともに、正直に言って退屈な作品となってゐる。続けて見てみよう。

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 ヨナはとてもキュートだし、丁寧に振り付け通りに滑ってゐるけれど、作品としてはつまらない。

 一番はやはり音楽だ。SP、FS両方とも、ヨナに合ってゐない以前にスケートに合ってゐないのかも知れない。さう思ひたくなるほどに、曲想に統一感がなく、ひどくまとまりを欠き、散漫だといふ印象を受ける。デイヴィッド・ウィルソンの振り付けも精彩を欠いてゐる。それは音楽がいまいちなのだから当然のことではあるけれど。

 以下の言葉から明らかなやうに、コーチのオーサーもこの二つのプログラムにはさしたる評価を与へてゐない。

 いつも課題になるのは、毎シーズン違うタイプの曲をやってみることでした。オリンピックシーズンに最高のプログラムにたどり着くためには、さまざまな方向をすべて経験する必要があったからです。第一印象で気に入らないと思ったものでも、こんな曲は難しすぎると思ったものでも挑戦の時期が必要です。振り返ってみれば、2007-2008年シーズンのショート「こうもり」のワルツやフリーの「ミス・サイゴン」、2008-2009年シーズンの「シヘェラザード」を経験していたからこそ、何がやりたいのか、何が最適なのかが見えていったのです。

                         オーサー、前掲書

 怪我が完治せぬままに、ヨナは世界選手権に出場した。銅メダルを獲得したものの、世界チャンピョンのタイトルが欲しかったヨナにとっては満足のいく結果ではなかった。この時の悔しさがヨナを変へ、次の2008~2009年シーズンにヨナは覚醒する。

 その前に、2007~2008年シーズンのEXプログラム、映画「ウォーク・トゥ・リメンバー」の挿入歌「Only Hope」をどうぞ。

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There's a song that's inside of my soul   

It's the one that I've tried to write over and over again

I'm awake in the infinite cold

But you sing to me over and over and over again

わたしの心の中に歌があるの

何度も繰返し 書きたいと思った歌

果てしない寒さの中に わたしは目を覚ます

でもあなたは 何度もわたしに歌いかけてくる

So I lay my head back down

And I lift my hands

And pray to be only yours

I pray to be only yours

I know now you're my only hope

だからわたしは横たわり

両手をのばして祈るの

あなただけのものになりたいと

あなたはわたしの唯一の希望だから

 前シーズンに続いてEXはバラード。ヨナは本当に内省的な祈りの表現が得意だ。腕の動きのしなやかさは言ふにおよばず、スピンや足下の技術に顕著な向上が見てとれる。技術が向上したことによって、自然とそこへ舞踊的な美が、情感が宿ってゐる。

 例へば、1分30秒頃のつま先を左右180度に開いて足下に円弧を描くモーション。これなどは氷上でなければ絶対につくることのできない動線であるが、体重を氷に落とし、すっとスピードをつけて弧を描き、氷から帰ってきたエネルギーを全身に行きわたらせて次の動きにつなげる。そこに緩急が生まれリズムがうまれる。

 この振りもヨナが得意としたもので、後のプログラムで多様されることになる。もちろん、その精度を驚くほど向上させて。
 それから3分15秒あたりのレイバックスピンも素晴らしい 。このあたり、チームブライアンでスピン専門のコーチから受けた指導がはっきりとした成果として出てゐる。本当に、息を呑むほど美しい。

  が、ヨナはこんなものではない。

 ヨナの才能は彼女自身が「自分のスケート人生で最も大事なシーズン」と語る2008~2009年シーズンに爆発する。

 

                                       ヨナの覚醒

 

フィギュアスケートは誰かと戦いではなく、

国同士の戦いでもなければ、選手と選手の戦いでもない。

果てしなく孤独な自分との戦い、ではなおさらない。

わたしの考えるフィギュアスケートとは、

舞台上で、音楽と観客と一つになることで生まれる映画のようなものだ。

その短い時間に、わたしは自分の全てを表現する。

演技を通して、喜びや幸せを観客と共有する美しいスポーツだ。

                           ヨナ、前掲書

 2008~2009年シーズン。ヨナは怪我に悩まされ続けた前シーズンの反省から、やうやくオーサーの言を聞き入れる。練習量を減らし、質を重視した1日に2時間程度の集中した練習に切り替へた。

 結果、成長期である18歳のヨナの身体は大きくなり、体力がつき、痛みが和らいでいった。臀部から背中の筋肉が見違へるほど発達し、女性らしい脂肪がそれを覆った。力強く氷を踏むことができるやうになり、スピードが格段にアップし、ジャンプはさらに大柄になる。

 もう一つ、或いはもっと重要なことはチーム・ブライアンの指導を受けはじめてから2年が経過し、コーチ陣達との関係が親密になったことだ。チームとヨナとの間に信頼感が生まれ、オーサーによれば2008年末頃には「何も言わないでも意思が通じる関係」になった。

 かつては泣いてばかりゐたヨナから自然に笑顔がこぼれるはじめた。

 チーム・ブライアンがヨナの心をほぐし、ストレスをやはらげ、自信をつけさせるために行った努力は実に感動的だ。

 才能は努力だけでは開花しない。

 おそらく何よりも「自信」をつけなくてはならない。自信は一人では獲得できない。周囲の人間の、長期間にわたる、丁寧なサポートが必要だ。

 チーム・ブライアンの全メンバーがヨナの孤独を埋めました。振付師のデイヴィッド・ウィルソンもジェフリー・バトルも、他のスタッフもみんな、ヨナは特別に可愛い生徒なんだと、つねに伝えていました。「あなたの帰る場所があるのよ」と言ってあげることが、厳しい戦いを続けている選手にとって必要なのです。それを私は現役時代に痛いほどわかっていました。どんなことがあっても、結局最後はそこに帰ってくる、という安心感が大事なのです。

 そのためには、みんながヨナのありとあらゆることに気を配りました。ジャンプだけでなく、ヨナの手の振り方、膝の使い方、目線の使い方など、あらゆる細部について、全員が意見を出しました。「私がこのリンクの主役なのだ」と感じることがヨナにとって必要だったのです。

 私たちは4年間かけてヨナの喜びを彼女の外に引き出そうとしましたが、それはタマネギをむくようなものです。真ん中にたどり着くまでに、すべての皮をむかなければならず、結局、3年近くかかったのでした。文化の変化やトレーニングの違いに適応し、ヨナが完全に変化するには、それだけの時間が必要だったのです、でもそれは興味深いプロセスでした。私はそのすべてを楽しみました。私たちは素晴らしい関係を築きました。シーズンを追うごとに彼女はうまくなり、私たちもコーチとしての腕を上げたのです。

                         オーサー、前掲書

 2008~2009年シーズンのSP「死の舞踏(Dance Macabre)」は歴史的傑作だ。

 この曲は振付師のウィルソンがもってきた。ヨナはすぐにこの曲を気に入り、一発でこれに決めたといふ。オーサーによれば、この曲に出会ったときに、自分達がオリンピックの金メダルに向かって大きな角を曲がったと確信したのださうだ。

 この作品によって、そして体力、意気ともに最高度に充実した状態で迎へた2009年の世界選手権によって、ヨナは完全にこれまでとは別の次元に飛躍する。こんなことがあるのか、と絶句するほどの、とてつもない飛躍を。

 ヨナは真夜中の墓地、激しく、怪しく、踊り狂ふ、死神になる。 

 「死の舞踏」

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  古代におけるシャーマンとか、巫女とかいふ人たちはひょっとしたらこんな感じだったのではないだらうか。彼女は完全に異界への扉を開く依り代となってゐる。ここでヨナが到達した音楽との一体感、そして憑依力は、まことに、空前絶後だ。何度見てもあまりの完成度の高さに衝撃を受ける。

 表現力は感じる力と、イマジネーションと、技術により生まれる。

 第一に感じる力とは、まづ音楽をきちんと理解してゐるかといふこと、リズム・メロディ・ハーモニーを全身で感じとる力。そしてその音楽と自分の身体に合はせて作られた振付を内面化する力。

 第二にイマジネーションとは、音楽と振付と身体、衣装、メイク、そして観客、それら全てを一体のものとして具象化するための構想力。自分は今、この瞬間、このやうに動かねばならない。そこに美が宿り、それが舞踊になるのだ、といふ確信。

 第三に技術とは、イマジネーションと身体を結びつける触媒であり、才能を表現へと導く道のことである。

 ヨナはこれら全てを十全に兼ね備へた、疑ひやうのない天才だ。

 フィギュアスケートのプログラムは高い点数を取って勝つために、計算づくで作られる。だから毎度冒頭には三回転×三回転のジャンプを入れて、スパイラルはこれで、スピンはこれで、できたら後半にもジャンプを・・・ごにょごにょごにょ、といったシロウトにはよくわからないモロモロとイロイロがあるのだらう。ぼくもよくわからん。

 ヨナのスケートの凄いところは、さうした点取り競争的背景をまったく感じさせないところだ。

 冒頭のコンビジャンプも、最後のスピンも、いつも同じことをやってゐる。しかしヨナは同じムーブメントを様々な表現にすることができる。それぞれのプログラムに合はせて一つ一つの要素を全体の構想の中にはっきりと位置づけ、また、意味づける。バラバラのまま提出する、といふことがない。それはヨナのイマジネーションが強力だからだ。

 音楽が、振付が、身体が、衣装が、メイクが、すべてが強烈に主張しながらも、それらが渾然一体となって一つの世界を作ってゐる。

 「死の舞踏」はおそらく、作品の完成度といふことに関しては、これがヨナの最高傑作だらうと思ふ。何もかも完璧で、どこか取り出してここがすぐれてゐる、などと言ふことが野暮に感じる。再び、空前絶後の奇跡的パフォーマンスだ。

 続いてFSの「シェヘラザード」を見てみよう。

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  先に引用したオーサーの言葉にもあった通り、「シェヘラザード」は取り立てて言ふところのないプログラムで、「こうもり」「ミス・サイゴン」と同じく、どういった曲がヨナを最も輝かせるのかを知るための試験的な作品としては見る価値があるかもしれないが、実際、その程度のものであり、たいした作品ではない。

 オリンピックシーズンに最高のプログラムを作り出すためには、どうしてもこれらパッとしない作品が必要だった、といふことだらう。

 さて、ヨナは2009年の世界選手権で優勝し、悲願であった世界チャンピョンの座を手に入れた。

 オーサーは世界選手権後のヨナについて面白いことを言ってゐる。

 2009年3月の世界選手権で優勝したあと、突然、ヨナが少女から女性に成熟しました。いまでもそのときのことをはっきりと覚えています。世界選手権が終わって、韓国で行われたショーに行ったときのことです。デイヴィッドと私はホテルのロビーで彼女が来るのを待っていました。ヨナはスポンサーについている会社の講演会があったのです。彼女はビジネススーツを着て、髪をおろし、歯列矯正器を外していました。自信にあふれ、堂々と歩いてきた美女を見て、デイヴィッドと私は顔を見合わせて言いました。

「ああ、僕たちの小さな女の子はすっかり大人になってしまったね」

 彼女は完全な自信を手に入れ、世界女王の貫禄を身につけたのです。歯列矯正器を外したとたんに、突然といってもいいほど美しい女性になりました。しかも性格まで変わってしまったのです。とてもくつろいだ、柔らかい笑顔が見られるようになりました。

                         オーサー、前掲書

  世界女王となり完全な自信を手に入れたヨナに死角はなかった。チーム・ブライアンの布陣は磐石であり、相互の信頼も厚い。体の痛みは完全に消えた。

 そして、最高のプログラムを用意して2009~2010シーズンに突入した。

 ヨナが落ち着いて、普段通りのパフォーマンスをすれば必ず金メダルがとれる。オーサーはそのために綿密なスケジュールを組んだ。

 いつ、どの程度の力を入れてどの競技会に出るのか。どこで休息をとるのか、何日前に会場に入り、どのやうな準備をしたらいいのか。2月のオリピック本番に最高のコンディションに持っていくために、チーム・ブライアンとヨナは完璧な準備をした。

 バンクーバーにいる間中、彼女はとてもリラックスしていました。私はずっと彼女を見ていましたが、気になる部分はなく、問題が起こる気配はりませんでした。彼女は「そんなに緊張もしなかった」と後になって言いさえしました。彼女はとても落ち着いていた。

                         オーサー、前掲書

 最高のプログラム、最高のスケジュール、最高の人間関係に囲まれて、ヨナは、最高のコンディションで本番を迎へた。ヨナには自分が完璧な演技をする、その様がはっきりと見えてゐたに違ひない。ありありと見える明確なビジョンを、自分は現実化できる。不安要素はない。失敗するわけがない。

 果たして、ヨナは本番でSP・FSともに完璧な演技をし、ともに世界最高得点を更新し、金メダルを獲得する。

 まづ、SPは「007ジェームズ・ボンド・メドレー」。YouTubeで見てください。

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 ヨナが滑った全プログラムのなかで一番楽しく、痛快な作品だ。女性として成熟したヨナが持ち始めた色気、怪しさ、大胆さ、ずる賢さ、小憎らしい感じ、ひっくるめて小悪魔的な魅力が存分に発揮されてゐる。ウィルソンの振付が憎らしいほど素晴らしい。2分10秒頃の足下から銃を取り出す振りなど、本当に秀逸だ。

 いつものことだがヨナのリズム感、緩急のつけかたには唸らされる。例へば、2分24秒頃、曲調が変はってスパイラルに入る瞬間、それから3分8秒頃にステップシークエンスに入る瞬間。ここしかない、といふタイミングで足をあげ、テンションを変へてゐる。かういふタイミングの取り方が出来るかどうかで観客との一体感が決まってくる。

 つまり世界感がどこかで中断することがないから、観客はずっとヨナの表現に没入してゐることができ、一瞬も「醒めた」状態にさせない。

 ちなみに、自伝によれば、ヨナはウィルソンから007の映画のDVDをプレゼントされて見たのだが、字幕がなくて筋がわからず、雰囲気を知ることはできたが、あまり面白くなかった、とのことである。

 続いて、FSはガーシュウィンの「ピアノ協奏曲(Concert in F)」。

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 「キム・ヨナと言へばこれ」といふプログラムで、おそらく多くの人の記憶に一番強く残ってゐるのがこれだらう。テレビでヨナがとりあげられるときにちょっと流れるVTRなどもたいがいこのオリンピックパフォーマンスだ。それほど鮮烈で完璧で、あるスポーツライターは「わたし達の世代のコマネチ体験だった」などと書いてゐる。

The Sad, Perfect End of Kim Yuna's Figure-Skating Reign - The Atlantic

 ヨナも自伝のなかで「これまでで一番すぐれたプログラムだと思う」と書いてゐる。確かにこれは他の作品とは違ってゐる。たいへん、不思議な、異色のプログラムだ。

 何がこのプログラムを他とは違ふ傑出したものにしてゐるのか。その特殊さはどこからくるのか。

 それはおそらく、この作品が、他の全作品がもってゐるあるものをもたないないことによる。あるものとは「物語」「情念」「キャラクター」、即ち「テーマ」だ。

 SP・FSを問はず、他の作品は、はっきりとしたわかりやすいテーマを持ってゐる。オペラや映画の曲であれば当然その物語とキャラクターをなぞることになるし、物語がなくても、求愛であったり、祈りであったり、空翔るヒバリであったり、必ず何かを演じたり、情念を表現をするといふテーマがある。

  そしてヨナは憑依の名人であるから、キャラクターになりきったり、情念に共鳴するのが得意なのだ。

 ところがこの「ピアノ協奏曲」にはそれがない。キラキラした感じ、豪快な感じ、しっとりした感じ、チャーミングな感じ。等々、あるのは、ピアノとオーケストラがポコポコポコと提出する断片的なモチーフの数々。ヨナは何も演じてゐない、いかなる情念も代弁してはゐない。

 だからこのプログラムを見ると一種不思議な感じに囚はれる。一瞬、どんな風に見たらいいのかな、と戸惑ふのだ。ひょっとするとコンテンポラリー・ダンスを見る感覚に近いかもしれない。

 このプログラムほど「生のヨナ」が全面に出てゐるものはない。10代最後、とびっきりの女の子が放つ輝き、何にも奉仕しない完全に無意味なエネルギーの放出がこのプログラムの魅力だ。

 このオリピックでの演技において、ヨナの身体には自身の才能、チーム・ブライアンの情熱、そして韓国国民の夢が宿ってゐる。ヨナはそれらを完全に受け止めて、この4分間に一気に昇華させた。神々しく凄烈な光を放ち、しかも最高にエレガントだ。

 あまりに偉大な達成に、溜息をつくほかない。

 EXプログラムは「タイスの瞑想曲」。敬虔な祈りに満ちた、解説不要の傑作。

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  シーズンを終へた2010年春。ヨナは悩んでゐた。

 四大大会(グランプリファイナル・四大陸選手権・世界選手権・オリンピック)で全て優勝し、SPの最高得点もFSの最高得点も自分が持ってゐる。

 ヨナは目標を失った。辛い練習に耐えられたのは明確な目標を持ってゐたからだった。

 彼女は今後の進路を考へながら、のんびりと練習してゐた。

 引退も考へた。けれどまだ19歳、引退するには早過ぎる。もう少し負担の少ないやうな形で選手を続けてみよう。

 5月末、ヨナは会見を開いて現役続行を宣言した。

 「これからは負担なく競技を楽しむのが目標になりそうだ。シェヘラザードから007まで多くの演技をしてきたが、まだ見せられなかったものが多い。今後もさまざまなキャラクターを演じたい」

<フィギュア>キム・ヨナ「選手生活を続ける」 | Joongang Ilbo | 中央日報

 そして8月、トロントで次のシーズンのための準備を始めてゐたヨナは、謎めいた決断を下す。

 ブライアン・オーサーとの決別である。

 

              珠玉

 

 ヨナと一緒にいた3年半で、私は彼女に何を与えることができたのか。彼女がこう答えてくれたら嬉しいですね。「スケートを滑る喜びを、ブライアンが発見させてくれた」と。金メダルなどよりも、そのほうがずっと大切な宝物になります。もし彼女がそう感じられたなら、私もデイヴィッドもトレーシーも、彼女の人生を豊かにしたことになります。光栄なことです。彼女がどう答えるかわかりませんが、でも私はヨナにスケートを滑る喜びを贈ったのだと信じています。

                         オーサー、前掲書

 ヨナとオーサーとの決別は2010年の夏、さかんにメディアを賑はした。とても唐突で、不可解で、その経緯は素直に言って、見てゐて気分のいいものではなかった。

 オーサーによれば、8月2日、ヨナの母から「これ以上ヨナを教へないで欲しい」と言はれ、契約解雇通知を受けた。理由を聞いたが教へてくれなかった、とのことだ。

 一方、ヨナのマネージメント会社によれば、「オーサーが浅田真央サイドからコーチの依頼を受け、思案中」といふ報道があった5月頃から関係が不穏になりはじめ、ヨナは一人で練習してきた。ウィルソンと新プログラムの準備を進めてゐたが、8月23日にオーサーから、これ以上ヨナのコーチはできないといふ通告を受けた。

 二人は同じトロントクリケット・クラブにゐながら直接話をすることなく、メディアを通じてそれぞれの主張を繰り返した。 

 ヨナは自身のホームページに「その経過を公開したくもないし、公開する必要もない。あくまでも我々だけの問題だ」と書いた。

「もう我慢できない」金妍兒、オーサー・コーチを批判 : 東亜日報

 本当のことはわからない。

 いろいろと憶測を述べることはできるが、それは「キム・ヨナの芸術」の趣旨から逸れることになるから何も書かない。

 とにかく、ヨナとオーサーは決別し、振付師ウィルソンとの関係は継続することになった。もし二人が決別することなく、ヨナ&オーサーのコンビがソチ五輪まで続いてゐたら彼女のスケートはどのやうなものになっただらうか。

 ぼくにはまったく想像ができない。

 なぜなら、決別後、引退までに発表する彼女のプログラム、彼女の成熟した表現があまりに素晴らしく、これ以上の達成がまったくイメージできないからだ。

 オーサーと決別した後のヨナの成熟を思ふと、遅かれ早かれ、いづれ別れはきたのだらうと感じる。方向性を共有することが、どこかの時点でできなくなったはずだ。

 冒頭に「バンクーバー金メダリストとして記憶されることを願いますか」といふ記者からの質問を紹介した。ヨナはそれに「否」と答へたが、やはり、そこはメディアの宿命、フレーズとしては「バンクーバーで金をとったキム・ヨナ」と紹介されることが多いし、その時の映像や写真が出る、といふことになってゐる。

 それは仕方のないことだが、ぼくの考へでは、ヨナが本当に凄いのはバンクーバー以後である。少なくとも「キム・ヨナの芸術」の観点から言へば、断然バンクーバー以後である。

 ぼくはほとんどこの一事を言ひたいがためにこの長い文章を書いてゐる。

 フィギュアスケートはスポーツと芸術が融合したものであり、二つの側面を持ってゐる。と先に述べた。

 融合してゐるから、なかなか截然と分かつことのできないものではあるが、便宜的に「スポーツ的な発想」と「芸術的な発想」があると仮定しよう。

 スポーツ的な発想とは数値化可能な目標を重視する。大会を連覇すること、メダルを一つでも多くとること、一点でも高い点数をとること、ジャンプの回転数をあげ、回数を増やすこと・・・等である。

 芸術的な発想は動きの質、表現の豊かさを重視する。それはここまでに繰返し述べてきたことだ。肉体があることそのものの喜び、聖性、美、人間の理想や可能性、音楽との一体感。点数は重要ではない、ジャンプの回転数も重要ではない。三回転ジャンプより四回転ジャンプが偉い、とは考へない。スピンは速いほうがよい、とは考へない。

 ヨナはバンクーバー五輪で金をとるまでは両方をバランスよく持ってゐた。どうしても優勝したいと思ってゐた。金メダルが欲しいと思ってゐた。当然のことだ。競技会に出るのだから。

 もしヨナがスポーツ的発想の強い人、或いはほとんどスポーツ的発想しかない人であれば、バンクーバー後の目標は「オリンピック連覇」であったらう(或いはあっさり引退か)。しかしヨナにとってそれはモチベーションにならなかった。

 ヨナはスポーツ的発想の分かりやすさが誘発する人々の期待に辟易してゐた。大会に出るたびに世界記録を期待され、ライバルと同じ大会に出ると、メディアは勝った負けたを大騒ぎしてナショナリズムの捌け口にされる。

 ヨナはそれが嫌だった。

 ヨナは芸術的発想の強い人だからだ。

 かと言って、引退してアイスショーに専念しようとも思はなかった。なぜなら、韓国国民がヨナの引退を望んでゐなかったからである。ヨナ自身にも他にやりたいことがあったわけでもない。彼女にはスケートしかなかった。ヨナは国民の期待に背くことができなかった。

 同時に、スケート後進国である祖国にスケート文化を根付かせたいと思ってゐた。自分の子供のころのやうな劣悪な環境を次世代には経験させたくないと願ってゐた。後進世代のために、ヨナは現役続行を決めた。

 ソチオリピックまで現役は続ける、しかし連覇が目標ではない。金メダルは目標ではない。

 競技会には出るがどうしても優勝したいといふわけではない。これは矛盾だ。どうもしっくりこない。だからヨナは最後までモチベーションの維持に苦しんだ。

 面白いことに、結果として、まさにこの矛盾を抱へ続けたことが引退まで傑作の数々を生むことにつながる。

 即ち、競技会といふ舞台、スポーツといふ枠組みにおいて芸術性を極限まで高めることに成功する。

 図らずも、である。

 彼女はおそらく、ぼくがここに書いてゐるやうにスポーツと芸術を分離させて考へてはゐなかった。「ようし、記録はもういいから、これからは芸術面に専念するぞ」などと割り切ってはゐなかった。

 高得点が出たら嬉しいし、金メダルがとれたらいいけれど、かつてのやうな闘志はない、バンクーバーの時は「死んでもいい」と思へるほどの狂気に近い情熱があった。けれどそんな状態には戻れない。

 そこで何が起こったか。アスリート的な闘志が喪失したところに、図らずも、ヨナの芸術的側面がこれまで以上に強く湧き出ることになったのである。

 闘志をなくしたヨナの表情はまったく別物になる。選ぶ曲も、表現の質もまったく別物になる。

 その作品群はまさに、珠玉、といふほかない。

 では、能書きはこれくらいにして、2010~2011年シーズン以降の作品を一気に見ていこう。

  2010年10月、オーサーの後継コーチはミシェル・クワンの義兄、カルガリーオリンピックの銅メダリスト、ピーター・オペガードに決定した。

 FSはアリランをはじめとする韓国の伝統音楽を編曲した「オマージュ・トゥ・コリア(Homage To Korea)」。ファンと祖国に対する感謝の気持ちを込めた作品だ。

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  このシーズン、出場した競技会は世界フィギュア選手権のみであり、引退するまでグランプリシリーズには出なくなる。大会に出るのは最小限に抑へて、オフシーズンにアイスショーに出演する、といふスタイルを引退まで貫く。

 この「オマージュ・トゥ・コリア」はその挨拶状だ。どう考へても試合で勝つためのプログラムではない。

 この曲はスケートに合ってゐないし、振りを付けるのはかなり苦労しただらうと推測する。朝鮮の民族音楽にバレエ系統の動きを合はせるといふ試みは見事に失敗に終はってゐる。ヨナも作品をまとめるのに苦労してゐるやうに見える。

 優れたプログラム、とは言へない。

 が、「勝つ」ことだけを基準にしてプログラムを選ぶのはやめましたといふ宣言として、そして、ここで分かりやすい形で祖国への感謝を示すことにより、ナショナリズムを呪鎮し、そこから距離をとる試みとして、たいへん意義深いプログラムだと思ふ。

 FSは「ジゼル(Giselle)」。

 病弱な村娘ジゼルは村人になりすましたアルブレヒト伯爵に恋をする。彼が婚約者のゐる貴族の息子だと知ったとき、ジゼルは正気を失ひアルブレヒトの剣で自死する。

 アルブレヒトの前にウィリ(幽霊)となったジゼルが現れ、死に誘ふ踊りを踊る。ウィリたちは通りがかった男達を死ぬまで躍らせるのだ。

 しかしアルブレヒトを愛してゐたジゼルは彼を励まし守ろうとする・・・

 やがて夜明けを告げる鐘が鳴り、ウィリたちの魔力は消えアルブレヒトは助かるのだった。

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 ヨナのジゼルは心臓が弱そうにはまったく見えないが、気のふれた狂乱演技は凄い迫力だ。アルブレヒトは真っ青だらう。

 彼女の憑依力が遺憾なく発揮された傑作だ。

 EXプログラムはラ・ルー(La Roux)の「Bulletproof」。

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 民族音楽、バレエの古典、ときて・・・エレクトロポップ!

 その表現の幅の広さは驚くばかりだ。この「Bulletproof」でヨナはアニメーションダンス系、ロボットダンス系の振りに挑戦してゐる。器用なもので、こんなものちょちょいのちょいヨってな感じだらう。

 ヨナの感受性がいかにどんな音楽にも対応できるか、そしていかに体の使ひかたがうまいかがよくわかるプログラムだ。

 2011~2012年シーズン、ヨナは競技会には出場せず完全な休息にあてた。この時点ではまだ選手生活を続けるかどうか悩んでゐた。

 その中で、とても素敵なEXプログラムを一つ発表してゐる。

 ビヨンセの「Fever」。

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 10代から色気のある人だったが、大人になり、競技のストレスから解放されたヨナはどんどん艶っぽさを増していく。臀部の肉付きが素晴らしく、匂ひたつやうな女体の美を表現してゐる。

  ウィルソンの振付けが実にエロティックだ。

 2012年7月、ヨナは記者会見を開き「有終の美のために新たに挑戦をする」と述べ、2014年のソチオリンピックまでの現役続行を発表する。

<フィギュア>キム・ヨナ「ソチ五輪まで現役続行」 | Joongang Ilbo | 中央日報

 10月には新コーチとしてシン・ヘスクと、リュ・ジョンヒョンの二人が発表された。ともに小学生時代のヨナを指導してゐた人だ。

 2012~2013年シーズンは嬉しいことにEXプログラムを3曲も見せてくれた。

 まづ、シニアデビューした2006~2007年シーズンのSPで使用した「El Tango de Roxanne」。少女ヨナのタンゴを思ひだしてほしい。あの頃はまだ体もできてをらず、腰も悪く、思ふやうな表現ができなかった。

 あれから6年たち22歳になったヨナは円熟の表現を見せる。

 これが、タンゴだ。

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 眼福である。 

 続いてマイケル・ブーブレの「All of me」。粋なジャズナンバーに合はせて、ヨナは男装の麗人を演じる。ぼくはこの作品から感じられるヨナの「含羞」が大好きだ。素敵すぎる。

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  当たり前のことを今更言ふが、スケートは氷の上を滑るわけだから、氷の上でしかできない表現が魅力なわけだ。つまり地上では出せないスピードを出せたり、くるくる回り続けたりできるといふ特性をいかして表現する。

 さて、そこでだ。滑るといふのは、スーと流れていくわけだから、当然滑らかさであったりしなやかさの表現に向いてゐると言へる。滑るから、突然加速したり突然止まるといふことには向いてゐない。

 何が言ひたいのかと言ふと、スケートではリズム表現が難しいといふことだ。だって「滑る」のだから。

 したがってスケーティングの巧さはリズムがどれだけ表現されてゐるかに如実に現れる。

 「All of me」はジャズである。「ザンガ、ザンガ、ザンガ、ザンガ」と三連符の跳ねたリズムの曲だ。このザンガザンガでルーズな感じ、瀟洒な感じを出してゐる。お洒落で知的で、ちょっとドレスアップしてワインでも飲みますかってな具合だ。

 ヨナはこの感じを実に見事に表現してゐる。

 例へば1分20秒からのスピン、立ち上がって速度をあげて、今度は段階をふんで速度を落とすところ。この速度の落とし方など天下一品であって、その変化の付け方によってジャズの洒脱さをはっきりと形にしてゐる。

 それから1分47秒からのステップ。ステップと言っても氷から足をあげず、氷上に円を描きつつ、回転しながら進んでいく。その弧を描く際の緩急と重心の転換によりザンガザンガを表現してゐる。

 どちらももの凄く繊細な身体コントロールが必要なはずだが、ヨナはそれをいかにも軽やかにやってゐる。エレガントだ。

 もう一点指摘しておくと、このプログラムにはジャンプが一度も出てこない。ジャンプがフィギュアの華のやうに言はれることが多いが、ジャンプがなくてもこれだけ素晴らしい作品ができあがる。ジャンプ偏重はフィギュアの発展を偏頗なものにする、とぼくなどは思ふ次第である。

 「All of me」は大変な傑作だと思ふ。

 と、書いたところで、実は次に紹介する作品がぼくの考へるヨナのEX最高傑作だったりする。

 アデルの名曲「Someone Like You」。

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  ぼくは繰返し「体の使ひ方がうまい」といふ表現をしてきたが、この作品はその極致とも言ふべきもので、その超絶的なうまさによって現出する美の世界に恍惚となるばかりだ。

 ここでヨナは完全に氷と一体化することに成功してゐる。自身の手や足の延長のやうに「氷を感じてゐる」のがはっきりわかる。ここまで身体の拡張に成功してゐる作品は他にない。

 「身体の拡張」といふ言葉がわかりにくいかもしれないが、そんなに難しい話ではない。例へば、料理人にとっての包丁、野球選手にとってのバットはあきらかに身体の拡張である。

 水泳選手にとっては水が、武術家にとっては相手の身体が、ダンサーにとっては大地がそれにあたる。

 そして、言ふまでもなくスケーターにとっては氷だ。

 「Someone Like You」は全篇にわたって、氷と身体が一つになることで生まれるエネルギーの受け渡し、ヨナと氷との交感が視覚化されてゐる。

 身体には重さがある。重さとはエネルギーである。ヨナはそれを氷に伝へる。ここに一つ動きが生じる。今度は氷からエネルギーが返ってくる。ヨナはそれを足の裏から膝、股関節、背中、を通し頭、腕、指先にまで伝達する。その入力・出力の微細な変化によってヨナの動きが変化する。

 どこを取り出したらいいのか困るが、例へば35秒~45秒にかけてのシークエンス、それから1分31秒~1分50秒にかけてのシークエンスなどは特にわかりやすい。

 ある動きが次の動きを生み、その動きがまた次の動きを呼び込む。恐ろしく高度で精妙な動きが自律的に生成してゐる。

 もはやここではヨナが主体的に自分の体を動かしてゐるやうには見えない。さうではなくて、かういふ動きをするエネルギー体がたまたまヨナの身体といふ形をとってゐるといふ感じを与へる。

 おそらく、フィギュアスケートが到達しうる美の極北がここにある。

 天衣無縫の境地である。

 さて。

 2012~2013年シーズンのSPとFSプログラムをまだ紹介してゐない。FSの「レ・ミゼラブル」は次の「哀しみの芸術」で取り上げるので、ここではSPの「吸血鬼の接吻(KIss Of The Vampire)」をどうぞ。

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 これは明らかな駄作であり、10代の「こうもり」「ミス・サイゴン」「シェヘラザード」と同じく残念ながら退屈な作品だ。言ふべきことは何もない。

 続いてこれは2014年、ソチオリンピック後の最後のアイスショーで発表した作品だが、これも「珠玉」の中で紹介しておきたい。

 プッチーニのオペラ、トゥーランドットから「誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)」。

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 圧巻である。

 ヨナが本当に凄いのはバンクーバー以後である。と、書いた意味がお分かり頂けたと思ふ。

 まだ紹介してゐない作品が4つ残ってゐる。

 2012~2013年シーズンのFS「レ・ミゼラブル」。

 2013~2014年シーズンのSP「哀しみのクラウン(Send in th Clowns)」、FS「アディオス・ノニーノ(Adios Nonino)」、EX「イマジン(Imagine)」だ。

 ぼくは次に最後の「Imagine」を除いた三作品をとりあげ、それらが「キム・ヨナの芸術」の粋であり最大の達成であることを述べたいと思ふ。

 

 

             哀しみの芸術

 

「点数や結果に関心が偏る雰囲気が続いていて、私の涙の理由もその方に解釈されているようですけど、100パーセント正直言って、私の涙に悔しさとか心の痛みとかいうことは全くありません。信じて下さってかまいません」

          ソチオリンピック競技終了後の涙の理由を問はれて

             http://japan.hani.co.kr/arti/politics/16803.html

 バンクーバー以後の珠玉の作品の中でも、ここから紹介する三作品は突出した傑作であり、また共通の主題を扱ったものであるため別枠を設けてしっかり見ていきたい。

 共通の主題とは見出しの通り「哀しみ」である。哀しみに打ちひしがれた人間の姿、人がいかに哀しみと付き合ふのか、をヨナは引退直前の2シーズン・3作品かけて追求した。

 まづ、2012~2013年シーズンのFS「レ・ミゼラブル」。

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 「レ・ミゼラブル」は、ぼくにとっては「ああ無情」の題が馴染み深い。最近あまり使はれなくなった気がするが、なかなかいい邦題だと思ってゐる。原題は「悲惨な人々」「哀れな人々」を意味するさうだ。この文豪ユーゴーの大長編は題名の通り、悲惨な運命に翻弄される哀れな人々の物語だ。

 けれどただ悲惨で哀れなだけではない。ユーゴーは、悲惨で哀れな生を生きる彼等が、高貴な精神を失ふまいとする健気な姿を英雄的に描いた。

 そして、ヨナの「レ・ミゼラブル」は人間の英雄性を、気高い精神を完璧に表現してゐる。荘厳である。

 われわれはフランス革命の時代を生きてはゐないが、人生の苦しさについては誰でも知ってゐる。

 われわれは弱く、脆く、貧しく、孤独であり、人生の大半は負け戦を強いられ、幸福は長続きせず、苦労はさかんに降ってくるのだ。油断してゐるとすぐに卑屈になって、幸福に見える人間を妬んでは彼等をひきずり下ろすことに熱中しはじめる。

 平凡人はそんなものだ。

 しかしどんな平凡人の中にも「それぢゃ嫌だ」といふ気もちがあるだらう。「善く生きたい」「もっと自分を好きになりたい」といふ気持ちがあるだらう。

 苦しみの中にあってさういふ気持ちを持ち続けることができるかどうかに人間の品位が現れる。気高い精神を守るための戦ひに、勇気を出して挑まねばならない。それは美しく英雄的な営みである。

 「気高い精神」「勇気」などと書くと、すぐにポエム化してしまふのが冷笑の時代である現代の哀しさだが、はっきり言って、さうした美徳が失はれたら、或いはそれらが美徳であるといふ認識、何としてでも守らなくてはいけない態度であるといふ認識が失はれたら、世界は闇だよ、ホントに。

 続いて引退を決めて望んだ2013年~2014年シーズンのSP「Send in th Clowns」。

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 天上的な美しさだ。

 4年前「ボンド・ガール」で最高のエンタテインメントを披露し観客を熱狂させた彼女は、最後のオリンピックにこのしっとりと美しいバラードを選び、静謐で聖性に満ちた宗教的作品に仕上げてきた。

 「レ・ミゼラブル」では哀しみに打ち勝つ英雄的な人間を描いたが、ヨナはこの「Send in th Clowns 」では哀しみに対する全く別のアプローチをしてゐる。

 哀しみに寄り添ひ、哀しみと共に生き、そしてその生を愛ほしむ。そんな人間のありかたを表現してゐる。

 「レ・ミゼラブル」とは反対に「英雄的な精神」や「勇気」を守りきれない人間の弱さ、気高い精神を売り飛ばしてしまふ人間の弱さに、優しく寄り添ってゐる。

 それにしても、何といふ美しさ。この美しさは「優しさ」の美しさだ。哀しみに寄り添ふ心の美しさだ。

 最後。

 FSはアストル・ピアソラのタンゴ「アディオス・ノニーノ」。ノニーノはピアソラの父の愛称で、この曲は亡くなった父に捧げられたものだ。さようなら、ノニーノ。

 競技生活の最後にヨナが選んだのは情熱的な鎮魂曲だった。

 ぼくはここまで「空前絶後の傑作」とか「美の極北」とか、法外な賛辞を連発してきたが、一番好きな作品は何かと聞かれたら、迷はず「アディオス・ノニーノ」と答へる。

 愛する人を失った哀しみ、激情、愛が主題だ。

 ヨナ個人にとっては、これが自分のスケート人生との別れでもある。選手生活の間、辛い時間がほとんどだった。幸せな記憶は数%もなかった。けれど、やはりそれが自分の人生だった。自分にはそれしかなかったし、さういふ人生を生きると自ら決めた。運命を受け入れ、それを主体的に選びとった。辛かった選手生活を確かに自分は愛してゐる。

 そして、必ず別れはやってくる。ヨナはこの4分間に、これまでのスケート人生を思ひかへし、さよならを告げる。

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 「死の舞踏」、バンクーバー時代のヨナとはまったく違ふヨナがここにゐる。10代後半のヨナはそれこそ神がかって、強烈な巫女性をまとってゐた。韓国国民の期待を一身に背負ひ、完璧な演技を行ひ、巨大なカタルシスとともに歓喜を生んだ。

 しかし今は違ふ。ヨナは普通の人だ。脆く、弱く、傷つきやすい肉体をもった普通の人になってゐる。普通の人として、彼女は「愛と別れ」といふ普遍的な主題をこれ以上ないほど優雅に表現してゐる。

 2分50秒頃のイナバウアー直後の表情、また、2分58頃の三連続ジャンプ直後の表情を見て欲しい。間違ひなく、ヨナ史上最も美しく、柔和で優しさに満ちた表情をしてゐる。穏やかな「至福」の微笑みだ。

 演技終了後、ヨナは控へ室で泣いたといふ。多くの人はそれが疑惑の採点のために銀メダルに終はってしまったことに対する悔し涙ではないかと想像した。

 しかしそれは全然違ふ。

 涙の理由をヨナは「これまであまりにも辛かったので、ずっと溜まってきたものが一度に噴出した涙だった」と説明してゐる。

 これまで書いてきたやうにヨナがソチオリンピックに出場したのは五輪連覇といふ栄光のためではない。彼女は「終はらせるため」に来たのだ。

 競技後のヨナの言葉をいくつか拾ってみよう。

 「再び五輪に挑戦する時、最も難しかったのは、明確な目標がなかったことだ。バンクーバー五輪は金メダルのために自分の命をかけることができたが、金メダルを取った後は当時のような切実さはなかった。練習でモチベーションが十分でなかったのが難しかった」 

本当に、終わったということに満足しています」

私は2連覇には全く関心がない。ただ私の最後の競技をうまく終えたかっただけであり、結果はどのように出てきても後悔しないようにしたい」

「私が準備してきた全てのものを見せることができて満足だ」 

「ひたすら金メダルを取るために来たのではないので気にしなかった 」

「私は本当にかまいません。自分が満足しているのでそれで十分です。より切実に望んでいた人に金メダルがいったと思います。すべての荷物を下ろしたということだけで幸せです」

「気が楽だ。苦労したものをすべてお見せした。終わってとても幸せ」

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/16803.html

http://japanese.joins.com/article/071/182071.html?servcode=600&sectcode=670

http://japanese.joins.com/article/103/182103.html?servcode=600&sectcode=670

http://japanese.joins.com/article/138/182138.html?servcode=600&sectcode=670

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/16766.html

 ヨナは繰返し「終はり」といふ言葉を使ひ、「終はらせかた」が問題であったと言ってゐる。いかにきれいに終はらせるか、さういふ問ひの立て方ができるといふことがとても立派だと思ふ。

 これはスポーツに限らず、何においても大切な視点ではないだらうか。いいかげんな終はらせ方をして、きちんとした省察を経ぬままに、安っぽい美談として消費してしまふことのいかに多いことか。さういふ態度は結局のところ過去を冒涜することになり、結果として未来をけがすことになる。愛とは正反対の態度だ。

 ヨナがモチベーションに苦しみながら、悩み続ける中で問題にしたのは、結果ではなく「終はらせかた」だった。その過程で、ヨナは先に紹介した珠玉の作品群を生んだ。そして最後に見せたのが、「哀しみに寄り添ふ優しさ」と、「愛と別れ」だった。

 ぼくはその人生に対する誠実な姿勢、自分との向き合ひ方に深い敬意を抱く。人として本当に尊敬する。

 同時に、その芸術的な成熟に感動する。疑惑の判定も金メダルを逃したことも、正直言ってどうでもいい。ヨナはソチでの二作品においてオリンピックを連覇することよりも、もっと偉大なことを成し遂げた。ヨナは哀しみの表現によって、舞踊芸術としてのフィギュアスケートを完成させたのだ。

 キム・ヨナの芸術は哀しみの芸術。

 哀しみを表現すること、そしてそれを感じとることが何故大切であるのかと言ったら、それは、人は一人では生きていけないからだ。

 人と人はいかにして結びつくのか。

 「哀しみの共有」によって、である。当然ではないか。哀しみや痛みを共有できたときに人と人は結びつくのだ。

 ヨナは競技スポーツの枠の中で、人間生活の根底に横たはるこの哀しみといふ問題をとりあげ、芸術的に昇華させたのだ。これ以上の「終はらせかた」はない。

 彼女はなぜ哀しみに辿り着いたのか。なぜ哀しみが彼女に宿ったのか。

 それはヨナが朝鮮人だからだ。ヨナの感受性が、朝鮮半島の人々が背負ってきた哀しみに反応しないわけがないではないか。

 1910年、日本は韓国を併合し植民地化した。半島の人々は名前を奪はれ、言葉を奪はれ、強制的に「日本人」にされた。そして「日本人」として「大日本帝国」のために働かされた。兵士となって戦場で死んだ男がゐた。従軍慰安婦として性奴隷にされた女がゐた。日本人は今でもその歴史と向きあはず、歴史を捏造し戦前を賛美する者達が最大の権力を握ってゐる。在日韓国・朝鮮人の人たちは今でも差別されてゐる。

 日本が戦争に敗れ半島から去ったあとも、半島の人たちは統一朝鮮をつくることができなかった。悲惨極まる朝鮮戦争が行はれ、結果、南北に分断された。一時休戦から65年経過した今も半島では「冷戦」が終はってゐないのだ。

 バンクーバーにおいて、ヨナは韓国人の期待を背負ひ、見事に金メダルを獲得した。四年後、彼女が体現してゐたのは半島の人々がかつて経験し、今も終はらない、この哀しみだったのだ。

 だから最後のEXプログラムは「イマジン」なのだ。

 

               結び

  

「風前のともし火を守るように、対話を守って発展させていくのに、力を添えてほしい」

        ピョンチャン五輪を控へたムン・ジェイン大統領の言葉

             http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29575.html

 冒頭に戻ろう。

 ピョンチャン冬季オリンピックが始まった。半島危機は今小康状態にある。

 開会式では約180人の南北共同選手団が統一旗を掲げて入場し、ムンジェイン大統領はかう述べた。

「この機会を使って、コリアの人々から歓迎と友好のメッセージをお伝えしたい。1988年のソウル夏季五輪は、冷戦の壁を壊し、東西和解の道筋を開いた。あの夏季五輪の開催から30年たって、平昌五輪は世界中の人の平和の希望と共に始まる」

「世界で唯一分断された民族、コリアの人間は、冬季五輪の主催を熱望していた。平和の追求はオリンピック精神を鏡のように映し出す」

http://www.bbc.com/japanese/43007498

 トーマス・バッハ国際オリンピック委員会委員長は演説で「共同入場は平和を知らせる強力なメッセージ」と延べ平和五輪の開催を祝福した。

 更に式典には、北朝鮮からキム・ヨンナム北朝鮮最高人民会議常任委員長とキム・ジョンウン労働党委員長の実妹であるキム・ヨジョン労働党第1副部長が参加し、ムン・ジェインと笑顔で握手を交はした。

 北朝鮮の五輪への参加が決定して以降、日本の政界から出てくる反応、大手メディアの論調は否定的なものがほとんどだった。南北対話の再開を歓迎するどころか、「北朝鮮の時間稼ぎだ」「五輪の政治利用だ」「日米韓の連携を破壊するものだ」といった台詞を冷笑的な口調・文体で伝へてゐた。

 小池百合子東京都知事は「平昌大会というより平壌大会になりつつあるのではないかというくらい、北朝鮮の攻勢が巧みという印象を受けている」と揶揄した。

https://this.kiji.is/327007871706023009

 開会式には安倍首相も参加し、式典の前にムン大統領と会談を行った。安倍首相はそこでムン大統領に何を伝へたか。安倍は「対話のための対話には意味がない」「微笑み外交に惑はされてはいけない」「米韓合同演習は延期すべきではない」と言ったのだ。

http://japanese.joins.com/article/502/238502.html?servcode=A00&sectcode=A10&cloc=jp|main|top_news

 メディアの論調、小池都知事の言葉、安倍首相の発言を総合して見たとき、日本人が半島の人々に抱いてゐる嫌悪と侮蔑がはっきとわかる。今日本を風靡してゐるこの「朝鮮憎し」の感情は劣等感の裏返しである。他者を貶めることで相対的に自らを優位に立たしめようといふ心理操作だ。しかし、誰かを憎んだり軽蔑したりしても日本人の自尊心は回復しないだらう。

 「日本システム」が機能しなくなり、あらゆる領域にほころびが生じ、先行きが不安でどうしたらいいのかわからなくなってゐるといふのが、今の日本の実態だ。日本人はそれに対してイライラしてゐるのである。そのイライラの安易は捌け口が「朝鮮憎し」であって、恐ろしいことにその捌け口がまた安倍政権の求心力となってゐる。まことに暗澹たる気持ちになる。

 ムン大統領はオリンピック開幕の前に「風前のともし火を守るように、対話を守って発展させていくのに、力を添えてほしい」と語った。南北融和の実現、米朝対話の実現がいかに困難であるかが腹の底から分かってゐる人の言葉だ。絶対に戦争を起させてはいけないと心に誓った人の言葉だ。「平和ボケ」してゐない人の言葉だ。

 聖火台への点灯者を務めたキム・ヨナの引退前、最後のEXプログラムは「イマジン」だった。これを見て終はりにしよう。

 ぼくはヨナと共に平和への祈りを捧げたいと思ふ。

 風前のともし火を守るやうに、対話を守って発展させていくのに、力を添へたいと思ふ。

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文在寅さん、それはちょっと・・・。

 年末入ってきた重要ニュースを確認しておく。

 日本政府が敵基地攻撃が可能な巡航ミサイルの導入を決定したといふニュース。

https://mainichi.jp/articles/20171222/ddm/003/010/077000c

 政府は航空自衛隊の戦闘機に搭載する長射程巡航ミサイルを導入する方針を決め、22日に閣議決定する2018年度予算案に関連経費約22億円を計上した。新たなミサイルは日本から北朝鮮に届く性能を持ち、敵基地攻撃にも転用が可能。来年の通常国会で、国の基本政策である「専守防衛」との整合性を問われることとなる。

 安倍政権は「戦争できる国になるたい」といふ悲願のために北朝鮮危機を利用し、東アジアの危機を煽り、日本をどんどん戦時モードに改造しつつある。彼とその支持者達は日本人のアイデンティティ・クライシスを「軍事力を背景として他国に対して毅然とした態度で望むこと」により克服できる、又、したいと考へてゐるらしい。

 さういふ人たちにとっては北朝鮮危機は好都合であり、中朝露VS米韓日の溝が深まることが自身を高揚させる劇薬のやうな効果を発揮するのだらう。

 が、彼等の弱い自我とそのろくでもない世界認識は東アジアの平和には一切寄与しない。南北朝鮮は分断されたままであり、冷戦構造が存続する。

 日本は沖縄に基地を押し付け、軍事的な属国であることから目をそらしながら、米国との一体化(と称する自主的隷属)を深化させることになるのだらう。さうして国内の良識派に対して「反日」といふレッテルをはり多様性を圧殺しにかかる。それが現在進行中の安倍政治である。

 ぼくは彼等とはまったく別の考へを持ってゐる。

 日本は南北朝鮮の平和的統一に尽力すべきである。そしてその誠実と献身を通じて、かつて日本が犯した過ちへの償ひとすることができるはずだ。

 朝鮮統一への機運が高まれば、必ず在韓米軍撤退の話が出てくる。いや、そもそもそれが前提条件となる可能性が高いが、ぼくはその際、在日米軍も同時に撤退或いは縮小するといふ方向で交渉すべきだと思ふ。

 つまり朝鮮統一に尽力することで、日本と南北朝鮮が真の友好関係を樹立し、日韓協働で米国のアジアにおけるプレゼンスを低下させることを通じて、現在の隷属状態を終結させる。さうして日本と統一朝鮮が緊密に連携しながら米中両大国の間でうまくその身を御してゆく。

 長期的なスパンで見れば中国の勃興と米国の衰退は止められないやうに見える。そしてその過程はおそらく進んだり戻ったりが繰り返される、ジグザグの道となるだらう。とすれば、両大国に挟まれた中規模国家である日本と南北朝鮮は、米中の間にあって互ひに協力してバランスを取ってゆく必要があるぢゃないか。

 さうすべきだ。さうして東アジアの冷戦構造を終はらせて新秩序を構築するべきなんだ。日本人がアイデンティティ・クライシスを乗り越えられるのはその時だとぼくは思ってゐる。

 さて、米国のティラーソン国務長官から嬉しい発言があった。

japanese.yonhapnews.co.kr

 ティラーソン米国務長官は12日、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮との対話と関連し、「米国は前提条件なしで北朝鮮との最初の対話をする用意がある」と述べた。首都ワシントンの討論会で講演した後、北朝鮮との対話の条件を問われて答えた。

 トランプ米政権はこの間、米朝対話の条件として北朝鮮が非核化の意思を示すことや核実験・ミサイル発射を停止することを求めていたが、ティラーソン氏はこれらの条件をいったん引っ込め、交渉着手に向けた無条件の会合が可能だと「破格の提案」をした格好だ。

 ひとまず米朝が対話のテーブルに着き、それから「非核化ロードマップ」をつくって北朝鮮核問題の解決策を講じようというもので、この提案は北朝鮮の核戦力完成を目前にした危機状況の解決において重大な分水嶺(れい)になりそうだ。トランプ政権発足後、米国が公の場で前提条件なしの米朝対話に言及したのは今回が初めてとなる。

 この発言のあと、国務省の報道官が「長官は新たな政策を打ち出してはいない。われわれの政策は、これまでと完全に同じままだ」と述べて火消しを行った格好だが、ぼくは米国内部から「前提条件無しでの対話」を訴へる声があがったことを純粋に喜びたい。 

 次も喜ばしいニュース。

japan.hani.co.kr

 韓国が平昌(ピョンチャン)冬季五輪が終るまで韓米連合軍事演習を延期しようと米国に要請したと、ファイナンシャルタイムズが11日報道した。

 同紙はワシントンの消息筋4人の話を引用して、韓国が来年度の韓米合同演習であるキーリゾルブ演習・トクスリ(鷲)演習を、来年3月18日に終わる平昌パラリンピック以後に延期することを望むと明らかにしたと報道した。消息筋のうちの2人は、米国もこれを受け入れそうだと伝えた。

  続いて、米国が新安保戦略を策定といふ記事。

japan.hani.co.kr

 ドナルド・トランプ米国行政府が18日(現地時間)、発足11カ月ぶりに新しい国家安保戦略報告書を発表した。北朝鮮とイランを「ならず者政権」と規定しながらも、「先制攻撃」や「予防戦争」に関する明示的言及はしなかった。

 ホワイトハウスは同日発表した報告書で「我々は北朝鮮の侵略に対応して圧倒的な力で対応する準備ができている」としながらも、「朝鮮半島の非核化を導くための方策を発展させていく」と明らかにした。北朝鮮が先制的に米国や同盟国を攻撃する場合に限り、自衛権のレベルで武力を使用し、そうでない場合は制裁と対話など、様々なオプションの可能性を残していく方針を示したものと見られる。

 特に今回の報告書が、ホワイトハウスのハーバート・マクマスター国家安保補佐官が「外交が失敗すれば予防戦争または先制攻撃が必要かもしれない」と言及したにもかかわらず、「先制攻撃」と「予防戦争」という言葉を使用しなかった点にニューヨークタイムズは注目した。ブッシュ政権時代に発表された2002年の国家安全保障戦略報告書は、「予防戦争」を含め先制的な軍事行動を正当化する内容を盛り込んでおり、それから6カ月後のイラク侵攻の根拠となった。

 そして以下がそれに対する北朝鮮の反応。

http://www.naenara.com.kp/ja/news/?0+100689

 朝鮮外務省のスポークスマンが、米国が18日にいわゆる「国家安保戦略報告書」なるものを発表したことで22日、それを糾弾する談話を発表した。

 談話は、トランプ行政府が作成、発表した「国家安保戦略報告書」はそれこそ全世界を米国の利益に徹底的に服従させようとするヤンキー式ごう慢さの代表的所産であり、火の元をつついてそれから漁夫の利を得たりするトランプの強盗さながらの本性がありのまま盛り込まれた犯罪的な文書であると暴露した。

 また、これを通じてトランプ一味が唱える「米国第一主義」がすなわち、世界を自分の好みに合わせて意のままに治めるという侵略宣言であることが如実にさらけ出されたとし、次のように強調した。

 米国で行政府が交替され、それによって外交安保政策がいろいろと変化するが、力で世界制覇を実現し、特にわが国家を圧殺し、全朝鮮半島をそのための前哨基地につくろうとする米国の戦略的目標には少しも変わりがない。

 われわれは、朝鮮半島の平和と安定を守り、米国の核威嚇・恐喝と敵視政策に終止符を打とうとする意図から、過去の20余年間、米国と双務会談も行い、4者会談、6者会談など複数の形態の多者会談も行って幾つかの合意文も採択した。

 しかし、歴代米行政府はわれわれが「崩壊」するという愚かな想定の下に、われわれとの全ての合意を弊履のごとく捨て、はては「ならず者国家」「悪の枢軸」「暴政の前哨基地」「核先制攻撃対象」に仕立ててわれわれを圧殺するための全方位的な核威嚇・恐喝と制裁・圧迫策動に狂奔してきた。

 米国の増大する敵視策動と核威嚇・恐喝に立ち向かってわれわれは、自主権と生存権、発展権を守るために核を保有する道を選択するようになったし、朝鮮半島恒久平和保障のための唯一の方途は米国と実際の力のバランスを成す抑止力を備えることにあるということを確信している。

 国際社会は、朝鮮半島であくまでも核戦争の火の元をつつき、力でわれわれを併呑してみようとするトランプ一味の企図に警戒心を高めるべきであり、自分の腹黒い下心を覆い隠して世界を愚弄しようとする対話うんぬんの真意をはっきり見抜くべきであろう。

 トランプ一味が世界の超大国のように威張っているが、米国こそ墓に行く屍である。

 続いて、米国が対北朝鮮軍事作戦の策定を急いでゐるといふ記事。

www.jiji.com

 21日付の英紙デーリー・テレグラフは、トランプ米政権が核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対する限定的な軍事作戦計画の策定を急いでいると報じた。北朝鮮問題の解決に外交的手段は機能しないとの懸念が強まる中、米政権は一般的に考えられている以上に軍事行動の可能性に傾いており、そのための準備が過去数カ月間で「劇的」に進んだという。
 複数の元米当局者、現職の政権関係者らの話として伝えた。新型ミサイルの試射が行われる前に発射施設を破壊したり、武器の貯蔵施設を標的にしたりすることが想定されている。 
 軍事行動の狙いは、米国が北朝鮮による核開発の阻止に「本気」であることを示し、北朝鮮を交渉の場に引き出すことにあるとされる。

 一方、安倍首相は15日、防衛政策の基本方針を示す防衛計画の大綱について、「従来の延長線上ではなく、真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めていきたい」と述べ、年明けから見直しの議論を始めることを示した。以下はそれに対する北朝鮮の反応。

http://www.naenara.com.kp/ja/news/?19+4740

 日本当局が「周辺脅威」に取り上げて2018年の年明けから「防衛計画の大綱」見直しのための論議を本格化すると公言した。

 首相の安倍と防衛相の小野寺は、「北朝鮮が核・ミサイル開発を大きく進展させ、中国は軍事力を増強し、ロシアも北方での活動を活発化させている」とし、「真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めたい」と言った。

 言わば、われわれと中国、ロシアの「脅威」から「国民を守るために」防衛計画を全面見直し、修正すべきだということである。

 やはり、島国一族特有の意地悪な気質はどうしようもない。

 国際社会が罵倒するように、他人に食い下がって自分の利益をむさぼるのは日本の悪習である。

 人類に非難されている20世紀の血なまぐさい侵略蛮行についてまで西欧帝国主義からアジアを解放するためであったと強弁を張る破廉恥な日本であると思うと、どんなほらでも吹くであろう。

 日本が追求する究極の目的は、敗戦国、戦犯国として交戦権はもちろん、軍事力も持てないようになっている「特殊の国」から戦争を行える「普通国家」になってまたもや海外侵略に出ようということである。

 その実現のための「合法的名分」に「周辺脅威」云々を持ち出している。

 安倍一味はすでに、2013年末に日本を取り巻く安全保障環境の悪化を云々し、「安全保障」の重点を国内安全から「国際安全」に拡大した「防衛計画の大綱」を作成した。

 ここでわが国を「重大な不安定要因」に規定し、朝鮮の「弾道ミサイル」に対する「対処能力の総合的な向上」を図り、「自衛隊」武力に機動展開能力と共に海兵隊の機能を付与するということなどを明記した。

 これによって軍国化と再侵略の道に障害となる政策的、法律的障害物を一つ一つ除去して軍事費を大幅増強し、「自衛隊」の海外軍事作戦範囲を拡大した。

 朝鮮半島有事の際に介入する名分と軍事的条件も完備した。

 最近は、「敵基地攻撃能力」の保有と地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入に狂奔する一方、中国とロシアの縦深地域まで打撃圏内に入れた射程1000~5000キロの中距離弾道ミサイル保有について騒ぎ立てている。

 問題は、今後10年程度の防衛力整備指針になるとしていた「防衛計画の大綱」をなぜ繰り上げて修正する劇を演じるかということである。

集団的自衛権」行使の容認と米国産兵器購入の増加、日米協力などの問題が今回の見直しの焦点になるという事実が日本の下心を如実に見せている。

 これは今後、日本がわれわれと周辺諸国にかこつけて侵略準備をいっそう促すということを宣言したこと同様である。

 日本が折に触れて騒ぎ立てる「周辺脅威」云々は、軍事大国化へ突っ走る自分らの犯罪的正体に「合法」のベールをかぶせて海外膨張に公然と乗り出すということとして、再侵略の前奏曲に違いない。

 過ぎ去った歴史は、列島で「周辺脅威」云々が引き続き響き出るほど、それだけ日本の右傾化、軍国化が急速に進められ、再侵略熱気が高まるということを示している。

 国際社会は、他人にかこつけて侵略の刀を研ぐ日本の動きを警戒心を持って対すべきであろう。

 いつもながら見事な文章で唸ってしまふ。後半「侵略準備」のくだりは誤りだがあとはだいたい同意せざるを得ない。「やはり、島国一族特有の意地悪な気質はどうしようもない。」には笑ってしまった。なんといふか、その文才が別の方向に生かされればいいのに・・・と、思ふ。

  さて、ここから先は慰安婦問題・日韓合意に関して。

 27日、韓国外交部直属の「慰安婦合意検討タスクフォース」が、2015年に韓政府が結んだ慰安婦合意は被害者中心ではなかったという要旨の報告書を出した。

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 康京和(カン・ギョンファ)外交部長官直属の「韓日日本軍慰安婦被害者問題合意検討タスクフォース(TF)」が27日、合意の過程に問題があると指摘したうえに、政府が将来「被害者の意見聴取」を重要な手続きとして提示することで12・28慰安婦合意の運命もめどが立たなくなった。 


  TFはこの日、報告書を通じて「協議の過程で被害者の意見を十分に聴かず、政府の立場を中心に合意を妥結させた」として「今回の場合のように被害者が受け入れない限り、政府の間で慰安婦問題の『最終的・不可逆的解決』を宣言したとしても問題は繰り返されるしかない」という結論を下した。 


  前日、康京和外交部長官は記者会見で「TF結果を十分に受け入れる一方で、この問題の直接的な当事者である被害者、支援団体との疎通を通じて(政策を)確立することになるだろう」としながら「すべてのオプションを開いておいて被害者の方々と疎通しなければならないと考える」と話した。康長官が言及した「すべてのオプション」には合意の補完や破棄も含まれるほかはない。被害者の意見が最も優先されなければならないという現政権の方針を考慮するなら、排除することはできない選択肢でもある。 

 翌28日、上記報告書を受けて文大統領は「この合意で慰安婦問題が解決されないという点を今一度明確にする」と述べた。

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 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は28日、旧日本軍の慰安婦問題を巡る2015年末の韓日合意について「政府間の公の約束という負担があっても、私は大統領として国民と共に、この合意で慰安婦問題が解決されないという点を今一度明確にする」と述べた。合意を検証してきた外交部長官直属のタスクフォース(TF、作業部会)による前日の検証結果発表後初めての立場表明を、青瓦台(大統領府)の朴洙賢(パク・スヒョン)報道官が会見で伝えた。合意で慰安婦問題は解決されないと明言したことで、合意の再交渉または破棄の可能性を示唆したといえそうだ。

 文大統領は「慰安婦問題に関する2015年の韓日政府間の交渉は、手続きとしても内容でも、重大な欠陥があることが確認された。遺憾ではあるが、避けて通ることはできない」と述べた。この合意を「歴史問題の解決において確立された国際社会の普遍的な原則に反するだけでなく、何より被害当事者と国民が排除された政治的な合意だった」とし、「現実であることが確認された『非公開合意』の存在は国民を大きく失望させた」と指摘した。

  ぼくは安倍政権を歴史改竄主義集団だと認識してをり、この問題に関しても誠実に向かひあってゐないと考へてゐる。

 2015年の日韓合意以降の経過において、韓国国民を最も傷つけたのは安倍首相の「毛頭ない」発言であらう。

 2016年、首相は衆議院予算委員会において慰安婦問題に関する日韓合意以降、韓国政府が安倍首相からのお詫びの手紙を求めてゐるやうだが、この件についてどう考へるか」との野党議員からの質問に対し、「我々は毛頭考へてゐない」と答へてゐる。

 この発言は韓国メディアで大きく報じられた。「毛頭」といふ語彙の選択から安倍が慰安婦問題に対して抱いてゐる嫌悪感を知ることができる。安倍は「ウルセエ」「いつまで文句つけんだよ」と思ってゐるのだ。

 本質的な問題はさうした態度にあるだらう。日韓合意には以下の文言がある。

 慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

 慰安婦は「心身にわたり癒しがたい傷」を負ったのである。その方々に手紙を書く気は「毛頭ない」と言ふ。心から反省してゐる人間の言葉ではない。

 結局のところ、日本に慰安婦問題を「ウルセエ」と思ってゐる人がたくさんをり、さういふ人が政権を握ってゐる以上、この問題は解決しないやうに思ふ。

 以上のとほりぼくは安倍政権に批判的なわけだが、今回の韓国政府の発表は頂けない。

 これは単に朴政権が慰安婦と意思疎通してゐなかったといふこと、そして外交交渉能力の欠如を示すだけではないだらうか。そして前政権の行った政府間合意の再交渉及び破棄を示唆することは、文政権の国際的な信頼を損ねることになるのではないだらうか。

 ぼくは中央日報の社説に同意するものである。

japanese.joins.com

 2015年締結された韓日両国の旧日本軍慰安婦合意を認めないという文在寅(ムン・ジェイン)大統領の昨日の発表に深い懸念を隠せない。廃棄、または再交渉を具体的に明らかにしたわけではないが、おそらく合意破棄の可能性を示唆したものだからだ。文大統領は「両国首脳の追認を経た政府間約束という負担にもかかわらず、この合意で慰安婦問題が解決されることができないという点を明らかにする」とした。これは前日、河野太郎外相が「民主的に選ばれた首脳の下ですべてのレベルの努力の末に実現した合意」だったことを強調した談話に対する回答で、今後国家間約束を破ったすべての責任を韓国が負うと自ら認めることに他ならない。 

  青瓦台(チョンワデ、大統領府)側が来年初めに発表すると話した追加措置が何かによって、ただでさえ冷え込んだ韓日関係はより一層厳しくなるだろう。河野外相はすでに数日前「合意を変更するなら、両国関係が管理不能になるだろう」と警告し、安倍晋三首相も「合意は1ミリも動かないだろう」と話した。外交街では「今後最低限2年間は韓日両国の間に何も実現されることがないだろう」という嘆きが聞こえる。 

  慰安婦問題は日本がいくら謝罪をして、いかなる代価を払っても国民的怒りがすべて消えることは難しい過去だ。そのため、朴槿恵(パク・クネ)政府もこの問題解決を韓日首脳会談に結びつけて4年近く会談ができないほど韓日関係は冷え込んでいる。そうするうちに、北朝鮮による核・ミサイル危機が深刻化し、両国の連携が切実だという判断の下で両国が一歩ずつ歩み寄って合意に至ったわけだ。日本が拒否してきた首相の公式謝罪と日本政府の予算としての慰安婦財団の設立も初めて実現された。「日本側に一方的に偏った合意」というのがTF(タスクフォース、作業部会)の判断だというが、手続き的欠陥を理由に合意を覆し、未公開文書を公開して世論を刺激する行動は相手国の不信を招くのに十分だ。その上に、TFが強調している「被害者中心主義」の基準が何か、TFはもちろん、政府をも明らかに答えていない。また、慰安婦合意は当時、韓日間対立が高まっていた状況を懸念した米国が斡旋した側面もあり、ややもすると米国と不快な関係につながる可能性もある。  

  合意そのものを再交渉したり破棄することは難しい。今年の5月に来日した韓国特使の文喜相氏は「第3の道が必要」と語ってゐた。

www.nikkei.com

 韓国大統領府は15日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が与党「共に民主党」の文喜相(ムン・ヒサン)議員を特使として日本に派遣すると発表した。文議員は当選6回の党の重鎮で2004~08年に韓日議員連盟の会長を務めた。日本政府と調整して日程を決める。

 KBSテレビによると、文議員は従軍慰安婦問題に関する15年の日韓合意について「破棄や再交渉ではない『第3の道』が必要だ」と述べた。具体例として、慰安婦問題への旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の河野洋平官房長官談話を挙げ「韓日は『河野談話』のような大きな政治的合意で懸案を解決してきた」と指摘した。

 安倍政権が歴史と真摯に向き合ってゐないのは間違ひないにしても、再交渉も破棄もできないだらう。両国民が時間をかけて「第3の道」を模索するしか方法はないと、ぼくは思ふ。

トランプ乱心す。

 トランプ大統領はつひに乱心してしまったらしい。突如としてエルサレムイスラエルの首都に認定し、商都テルアビブにある在イスラエル米大使館を移転すると宣言したのだ。

エルサレムの帰属はイスラエルパレスチナの和平交渉で決める」としてきた歴代政権の方針を覆すものであり、アラブ諸国はもちろん世界中から反発・非難の声があがってゐる。

www.asahi.com

 米国のトランプ大統領が中東のエルサレムイスラエルの「首都」と宣言したことを受け、国連安全保障理事会は8日(日本時間9日未明)、緊急会合を開いた。普段は米国に歩調を合わせることの多い英仏など欧州の理事国も「一方的だ」などと批判に回り、米国の孤立ぶりが浮き彫りになった。

 英国のライクロフト国連大使は、エルサレムの帰属は「イスラエルパレスチナの交渉で決めるべきだ」とし、「最終合意の前にエルサレムイスラエルの首都と一方的に認める米国の決断に反対だ」と明言。これらの決定は中東和平の展望の「助けにならない」とも述べた。

 フランスのデラットル国連大使は、エルサレムの帰属は和平交渉で決定することが「全ての和平努力の土台だった」と指摘。今回の決断が、それらとどう整合性がとれるのか説明するのは「(米国の)責務だ」と述べた。

 ログイン前の続きスウェーデンのスコーグ国連大使も米国の決断に「明確に反対」と述べ、1980年の安保理決議エルサレムの帰属変更の試みは「無効」と宣言したことを指摘した。普段は北朝鮮など、他国の決議違反を痛烈に批判する米国を牽制(けんせい)した格好だ。常任理事国の中国とロシアも懸念を表明した。

  各国の非難も当然だ。現実的に、トランプの宣言によって人が死んでゐるのである。

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 イスラエル軍は8日夜、パレスチナ自治区ガザ地区Gaza Strip)から行われたロケット攻撃への報復として、同地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスHamas)の軍事施設に対する空爆を行った。同軍が発表した。

 ガザ地区の保健当局によると、この空爆により14人が軽度から中程度のけがをした。イスラエル軍によれば、同日夜にはガザからもロケット攻撃があり、イスラエル南部の町スデロット(Sderot)に着弾。同軍は、このロケット弾による死傷者の有無についてはコメントを拒んだ。 

  まったく驚かないが、日本政府はトランプの宣言に対してはっきりとしたコメントを出してゐない。

https://mainichi.jp/articles/20171209/k00/00m/030/125000c

 トランプ氏は日本時間7日未明に、エルサレムイスラエルの首都と認定する方針を発表した。これに対し、英独仏の首脳は直ちに反対を表明。国連欧州連合(EU)も米国を批判している。

 一方、河野太郎外相は7日午後、外務省で記者団に感想を求められ、「トランプ氏の中東和平促進への努力を評価する」などとまず前置きし、その上で「情勢悪化を懸念している」と述べた。記者に「米国の発表に対する賛否を日本政府として示す考えはあるか」と重ねて問われ、外相は「日本は大使館を移動するつもりはない」と語った。問答はかみ合っていないが、賛否表明は避けつつ、米国と異なる日本の立場を言外ににじませた。

 これに先立ち、菅義偉官房長官も同日午前の記者会見で「米国が発表したばかりで予断を持って発言することは差し控えたい」と賛否を避け、米国などと緊密に意思疎通を図るとの考えを示した。8日には、自民党二階俊博幹事長が国会内で記者団に「日本は日米同盟を結んでいる」と語り、事態を慎重に見守る姿勢を強調した。

  二階幹事長の「日本は日米同盟を結んでいる」といふコメントが現政権の同盟認識をよく表してゐる。彼らにとって日米同盟とは「ついていきます、捨てないで」といふことなのだらう。だから馬鹿にされるんだよ。

 トランプ大統領の乱心ぶりを見れば、対北朝鮮政策に関しても、平和的解決を探るための忍耐力に期待することは難しいやうに思ふ。その米国と100%一致することが安倍のいふ「国民を守り抜く」ことなのだから哀しくって涙が出るぢゃないか。

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 ドナルド・トランプ米行政府の事情に精通した消息筋は3日(現地時間)、「米行政府の中でも『先制攻撃』が絶えず議論されるほど」だとして、内部の雰囲気が悪化したと伝えた。北朝鮮の長距離ミサイルが、理論的にはワシントンに到達しうるという評価が出てきて緊張が高まっているということだ。

 ホワイトハウスのハーバート・マクマスター国家安保補佐官も2日、カリフォルニアで開かれた「レーガン国防フォーラム」で「北朝鮮との戦争の可能性が日増しに高まっている」として緊張水準を引き上げた。彼は「武力衝突によらずにこの問題を解決できる方法はあるが、あまり時間が残っていない」と付け加えた。ただし彼は、具体的な軍事オプションと関連してソウルを狙った北朝鮮の在来式ロケット砲やロケットを考慮すれば「リスクのない軍事行動の方法はない」と認めた。

 マクマスター補佐官は4日、フォックスニュースの「サンデー」プログラムに出演し、北朝鮮核問題は「(中国とロシアに対して)直接的な脅威であるだけでなく、日本や韓国、および他の国家が自主的に核武装する可能性という脅威をも提起する」と述べた。北朝鮮核問題を放置すれば、中国が最も敏感に考える韓国、日本、台湾の自主核武装を容認することになりかねないというメッセージを投げて、中国に対北朝鮮原油製品供給の縮小と海上遮断への参加を引き出す圧迫と見られる。

  トランプの乱心及び安倍の愚鈍と対照的なのが韓国・文在寅大統領の踏ん張りだ。彼は立派だ。パク・クネ後の最悪の政治状況で就任し、よくこれだけ建て直したものだ。

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 韓国の文在寅大統領は6日、「北朝鮮の核問題は必ず解決しなければならず、圧力もかけなければならない」と述べる一方、「軍事的先制攻撃で戦争が起きることは断じて容認できない」と強調した。また、「『われわれの同意なくして朝鮮半島での軍事行動はあり得ない』と米国にはっきりと伝えている」と語り、平和的な解決策を模索する考えを改めて示した。
 大統領府が宗教界代表者との懇談での発言を公表した。文大統領は「今は緊張が高まっているが、この状態が続くことはあり得ない」と楽観。「結局、(対話は)時期の問題だとみられる。その過程に平昌冬季五輪がある」と述べ、五輪をきっかけとした対話局面への転換に期待感を表明した。 

  国連最高位の要人が訪朝したといふ。けっこうなことだが、ちょっと遅くないかい?

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 国連の最高位級要人の1人であるジェフリー・フェルトマン政務担当事務次長が4日間の日程で5日に北朝鮮を訪問した。フェルトマン事務次長の訪朝は6年ぶりの国連最高位級訪問で、先月29日の北朝鮮大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星-15」型発射以後に再燃した朝鮮半島「強対強構造」の緩和に大きく寄与するものと予想される。
(中略)
 国連の高位級要人の訪朝は、2010年2月の当時リーン・パスコ政務担当事務次長と、2011年10月の人道主義業務調整局(OHCA)バレリー・ エイモス局長の訪朝以後、6年ぶりだ。それだけに異例であり、金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮労働党委員長が政権を継承した後、国連高位級の初の訪朝だ。長官級要人である政務担当事務次長は、紛争地域の軋轢解決という国連本来の任務を総括するという点で、多くの事務次長の中でも核心要人だ。
 特に彼の訪朝は、北朝鮮との「公式議論」の性格を帯びているという点で重量感がある。ステファン・ドゥジャリク国連報道官は定例ブリーフィングで「フェルトマン事務次長がリ・ヨンホ北朝鮮外相とパク・ミョングク外務省副相などに会う予定」と明らかにした。米国の民間専門家と北朝鮮当局者が非公式に会う「半民半官対話」(1.5トラック)より公式性や格式の面ではるかに水準が高いと言える。
 フェルトマン事務次長の訪朝は、北朝鮮招請で始まったという点で、北朝鮮が探索的対話を模索し始めたのではないかという見方が出ている。ドゥジャリク報道官は、北朝鮮が9月の国連総会期間にフェルトマン事務次長を招請し、先月30日に訪朝が最終確定したと説明した。
 訪朝が最終確定した時点を見れば、北朝鮮が29日未明にICBMを発射し、正午に「政府声明」を通じて「国家核武力が完成された」と主張した時点に近接している。北朝鮮金正恩労働党委員長のいわゆる「核・経済並進路線」が完成されたとし、交渉局面への転換を試みているという分析の根拠だ。韓国政府当局者もこの日、北朝鮮の意図と関連して「初歩的な水準ではあるが、対外的にドアを開け始めている」と説明した。

 トランプの乱心が恐ろしい。痴呆の初期症状だとか、精神が崩壊し始めてゐるといった危なっかしい話も出てきてゐる。そしてティラーソンは辞めるのか?

 危機の2017年、混乱極まる師走、ぼくは来週、ダンスイベント出場のため台湾に行く。

金正恩委員長は、新型の大陸間弾道ロケット「火星15」型の成功裏の発射を見守りながら、今日ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現されたと誇り高く宣布した。

今週の気になるニュース。

 まづ原発関連ニュース。ここではほとんど半島関連の報道を追ってきたが、これは大きなニュースだと思ったから例外的に載せておく。廃炉が決まってゐる高速増殖炉もんじゅ」だが、なんと「放射能を帯びたナトリウムの抜き取りができない設計」になってゐるといふのである。つまり「廃炉の仕方」がわからないらしいのだ。

https://mainichi.jp/articles/20171129/ddm/001/040/162000c

毎日新聞の記事を抄録する。

 廃炉が決まっている高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、原子炉容器内を満たしている液体ナトリウムの抜き取りを想定していない設計になっていると、日本原子力研究開発機構が明らかにした。放射能を帯びたナトリウムの抜き取りは廃炉初期段階の重要課題だが、同機構が近く原子力規制委員会に申請する廃炉計画には具体的な抜き取り方法を記載できない見通しだ。

 通常の原発は核燃料の冷却に水を使うが、もんじゅは核燃料中のプルトニウムを増殖させるため液体ナトリウムで冷やす。ナトリウムは空気に触れれば発火し、水に触れると爆発的に化学反応を起こす。もんじゅでは1995年にナトリウムが漏れる事故が起き、長期停止の一因になった。

(中略)

 原子力機構幹部は取材に対し「設計当時は完成を急ぐのが最優先で、廃炉のことは念頭になかった」と、原子炉容器内の液体ナトリウム抜き取りを想定していないことを認めた。炉内のナトリウムは放射能を帯びているため、人が近づいて作業をすることは難しい。

 原子力機構は来年度にも設置する廃炉専門の部署で抜き取り方法を検討するとしているが、規制委側は「原子炉からナトリウムを抜き取る穴がなく、安全に抜き取る技術も確立していない」と懸念する。

 もんじゅに詳しい小林圭二・元京都大原子炉実験所講師は「設計レベルで欠陥があると言わざるを得ない。炉の構造を理解している職員も少なくなっていると思われ、取り扱いの難しいナトリウムの抜き取りでミスがあれば大事故に直結しかねない」と指摘する。【鈴木理之】

 「都合の悪いことは起こらない」ことにしてあらゆる問題を「先送り」にする、といふ原則が日本中枢を毒してゐる。最も愚鈍で倫理の欠如した人たちが、この国を動かしてゐる。ただ、辛い。

 続いて半島ニュース。

 北朝鮮は11月29日、大陸間弾道ミサイル「火星15号」を発射した。ミサイルは青森県西250キロの日本海上に落下した。北朝鮮の発表は以下のとほり。

Naenara-朝鮮民主主義人民共和国

朝鮮政府が新型の大陸間弾道ロケット試射の成功に関連する声明を発表

朝鮮民主主義人民共和国政府が新型の大陸間弾道ロケット試射の成功に関連して29日、次のような声明を発表した。

朝鮮労働党の政治的決断と戦略的決心に従って、新しく開発した大陸間弾道ロケット「ファソン15」型の試射が成功裏に行われた。

大陸間弾道ロケット「火星15」型の武器システムは、米本土全域を打撃できる超大型重量級核弾頭の装着が可能な大陸間弾道ロケットとして、去る7月に試射した「火星14」型より戦術的・技術的諸元と技術的特性がはるかに優れた武器システムであり、われわれが目標としたロケット武器システム開発の完結段階に到達した最も威力ある大陸間弾道ロケットである。

朝鮮労働党と共和国政府の委任に従ってキムジョンウン委員長が指導する中、大陸間弾道ロケット「火星15」型はチュチェ106(2017)年11月29日2時48分、首都ピョンヤンの郊外で発射された。

ロケットは予定された飛行軌道に沿って53分間飛行し、朝鮮東海の公海上の設定された目標水域に正確に着弾した。

試射は、最大高角発射システムで行われ、周辺国家の安全にいかなる否定的影響も与えなかった。

大陸間弾道ロケットは、頂点高度4475キロメートルまで上昇して950キロメートルの距離を飛行した。

金正恩委員長は、新型の大陸間弾道ロケット「火星15」型の成功裏の発射を見守りながら、今日ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現されたと誇り高く宣布した。

大陸間弾道ロケット「火星15」型試射の大成功は、米帝とその追随勢力の悪らつな挑戦と折り重なる試練の中でもいささかの動揺もなく朝鮮労働党の並進路線を忠実に支えてきた偉大で英雄的な朝鮮人民が獲得した高価な勝利である。

朝鮮民主主義人民共和国の戦略武器の開発と発展は全的に、米帝の核恐喝政策と核威嚇から国の主権と領土保全を守り、人民の平和な生活を防衛するためのものとして、わが国家の利益を侵害しない限り、いかなる国や地域にも脅威にならないということを改めて厳かに声明する。

朝鮮民主主義人民共和国は責任ある核強国であり、平和愛好国家として、世界の平和と安定を守るための崇高な目的の実現のために自分の努力の限りを尽くすであろう。

「われわれが目標としたロケット武器システム開発の完結段階に到達した最も威力ある大陸間弾道ロケット」「今日ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現されたと誇り高く宣布した。」と言ってゐる。

 ぼくはこれを読んで「ああ、完成したのか。ならもうミサイル発射実験はないのだな」と思った。が、よく読むと核弾頭の再突入技術に関しては言及されてゐない。だからまだ実験はするのかもしれない。

 北のミサイル発射を受けて米国が「さらなる制裁」を叫び、中露が「制裁ではどうにもならぬ」と自制を促すといふいつも通りの展開となってゐる。

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ロシアのセルゲイ・ラブロフSergei Lavrov)外相は24日、北朝鮮による大陸間弾道ミサイルICBM)発射を受けて同国との関係を断ち切るよう米国が求めたことについて、これを拒否する意向を表明した。

 複数のロシアメディアによると、ラブロフ氏はベラルーシの首都ミンスクで記者会見に臨み、「われわれはこれを否定的に見ている。繰り返し述べているが、制裁による圧力は使い果たされている」と述べた。

 ラブロフ氏はまた、米国が金正恩キム・ジョンウンKim Jong-Un)政権を刺激しようとしていると非難。「米国の最近の行動は意識的に北朝鮮政府を別の過激な行動へと仕向けているかのようだ」と述べ、「米国人は自分たちの狙いが何か説明する必要がある。もし北朝鮮を滅ぼす理由を探しているのであれば率直にそう言うべきであり、米国の指導者もそれを認めるべきだ」と語ったという。(c)AFP

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 中国官営環球時報はこの日、北朝鮮の核・ミサイル問題で中国はやるだけのことはやったから、これ以上(米国と国際社会が)中国に強要することをやめてほしいと促した。共産党機関紙人民日報の姉妹紙である環球時報のこのような論調は先月末、北朝鮮の「火星15」大陸間弾道ミサイルICBM)の発射にともなう米国の追加対北朝鮮制裁の動きに対する中国政府の拒否感を示したと分析できる。 

  環球時報はこの日の社評で「中国は北朝鮮に友好的な政策を展開してきた少ない国家の一つだが、国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁に参加した」とし「中国は依然として北朝鮮の最大の貿易相手国であり、数回にわたって安保理から北朝鮮の立場を弁護し、対北朝鮮制裁が北朝鮮人民を狙ってはならないという点を指摘した」と明らかにした。また「米国に対しても中国はやるだけのことはやった」とし「中国は安保理決議の履行過程で中朝関係を傷つけるなど、すでに代価を払っている」と主張した。この新聞は、特に「北朝鮮が一層発展されたICBMを発射したとすれば、これに対する制裁を甘受するのは当然だ」としつつも北朝鮮がいかなる間違いをしようが、全面的な貿易運送禁止など北朝鮮を孤立させる行為も間違っており、中国は米国のこのような非現実的な構想に協力する義務がなく、米国が中国と安保理を統制する指揮権を持っているとも言えない」と批判した。 

 ハンギョレ社説の説くとほり、韓米は対北朝鮮政策の全面的見直しを行ふべきだと思ふ。日本もさうだが安倍政権に願ふことはただ退陣のみである。

[社説]北朝鮮「核武力完成」、韓米は対北朝鮮政策の全面再検討をすべき : 社説・コラム : ハンギョレ

冷静に見るならば、今回の発射を全く予想できなかったわけではない。ドナルド・トランプ米大統領のアジア歴訪と、習近平・中国国家主席の特使である宋濤・中国共産党対外連絡部長の訪北でも明確な突破口を用意できなかったうえに、トランプ米行政府は9年ぶりに北朝鮮をテロ支援国に再指定した。北朝鮮の今回のミサイル発射は、「核武力完成」に向けた自国の時刻表に従ったものと見られるが、「テロ支援国再指定」が北朝鮮に一定の名分を提供した側面もあるだろう。

 今後当分は、北朝鮮と米国は競走する汽車のように激しい“強対強”対決の様相を見せることが明らかだ。トランプ大統領はこの日、「制裁と圧迫」という米国の対北朝鮮アプローチ方式を変える意思はないと明らかにした。29日(現地時間)に緊急招集される国連安全保障理事会は、制裁の強度を一層高める方案を議論する予定だという。問題は、制裁水準をどのように高めるのか、また、制裁水準が高まれば北朝鮮がこれに屈服して対話に出てくるのかがきわめて不透明だという事実だ。トランプ行政府は、中国に向かって原油供給中断または大幅縮小を強く要求すると見られるが、中国がどこまで呼応するかは未知数だ。米国の武力示威回数が増え、その強度も高まると予想される。北朝鮮に対する強力な警告が目的だが、その過程で韓国が甘受しなければならない経済的・軍事的負担は侮れないだろう。

 米国は北朝鮮に対して、バラク・オバマ行政府では「戦略的忍耐」という名前で、トランプ行政府では「強力な制裁」で一貫してきた。北朝鮮がミサイル試験をするたびに強力な糾弾と制裁宣言が「機械的慣性」のように続いてきた。しかし、制裁局面でも北朝鮮は一貫して核・ミサイルを開発してきたし、今は「核武力完成」を主張するに至った。少なくとも現在のところ、「最大の関与」が抜け落ちた制裁一辺倒の対北朝鮮圧迫政策は事実上失敗したと言える。

 韓国の文在寅大統領は「火星15号は完成してゐない」との立場を明らかにした。

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 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が先月30日、ドナルド・トランプ米大統領との電話で北朝鮮の「火星-15」型ミサイルについて、「開発の完成段階ではない」という趣旨で説明した背景に注目が集まっている。基本的には大陸間弾道ミサイル(ICBM)の技術的完成度に疑問を示したものだが、米国と北朝鮮に状況判断を誤って極端な衝突に突き進んではならないというメッセージが含まれているものと見られる。

 文大統領は同日の電話会談で、火星-15型について「これまでのミサイルの中で最も進んだものであることは確かだが、再突入と終末段階の誘導分野の技術はまだ立証されておらず、核弾頭の小型化技術を確保したかどうかも定かではない」と述べた。文大統領は「北朝鮮のミサイルをどのように見ているか」というトランプ大統領の質問に答える過程で、このように説明した。「大陸間弾道ミサイル開発が完結の段階に到達し、核兵力の完成を実現した」という北朝鮮政府の声明を認めない立場を示したのだ。 

  北の立場は一貫してゐる。「核保有国として認めて欲しい。そこから交渉しませう」といふものである。

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 北朝鮮が、核保有国としての地位が認められれば米国と交渉する用意があるという立場を明らかにしたと、訪朝したロシア下院議員が伝えた。核保有国地位の認定は北朝鮮の一貫した立場だが、先月29日の「火星-15型」ミサイル発射を「核武力の完成」と宣言した状態で、対話の意思を伝えたものと見られる。

 同僚議員らと一緒に訪朝したビタリ・パシン議員は「キム・ヨンナム最高人民会議常任委員長(国会議長に当たる)が、北朝鮮は交渉テーブルにつく用意ができていると明らかにした」と伝えたと、「インタファクス通信」が1日付で報じた。パシン議員は、北朝鮮が今回の発射で目標を達成して米国と交渉する準備ができたとしたうえで、交渉に出る条件として核保有国としての認定を掲げたと話した。彼は、北朝鮮が今回のミサイル発射を米国に交渉しようというシグナルを送ったものとみなしていると付け加えた。ロシアの議員たちは発射翌日の30日、キム・ヨンナム常任委員長と面会した。

 12月4日、韓米軍事演習始まった。

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訓練には、韓国軍航空機約80機と米軍航空機約150機など合わせて230台機が参加する。米軍側から「ステルス機F-22」6機や「F-35A」6機、「F-35B」12機、電子戦機「EA-18Gグラウラー」6機、戦闘機「F-15C」約10機、「F-16」約10機、長距離爆撃機B-1B、早期警報機E-3などが参加し、韓国側側は戦闘機F-15KとKF-16、F-5、韓国製軽攻撃機FA-50、国産戦術統制機KA-1、空中管制機E 737などが参加する。


 北朝鮮は、前日の外務省報道官の声明に続き、「労働新聞」を通じて訓練を強く非難した。労働新聞は3日付で、「ただでさえ緊張した朝鮮半島情勢を、核戦争勃発の局面へとさらに深く追い込む危険な挑発妄動」とし、「合同空中訓練は我々に対する公然の全面挑戦であり、あっという間に核戦争の火種を爆発させる引き金となりかねない」と主張した。 

 米国には「在韓米軍家族の退避」を訴へる議員が出てきてゐる。

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共和党のグラム上院議員は3日、CBSテレビのインタビューで、北朝鮮との軍事衝突が近づいているとの認識を示し、「在韓米軍の家族を韓国国外に退避させるべき時が来た」と訴えた。グラム氏は「北朝鮮が米本土に届く大陸間弾道ミサイルICBM)の技術と核兵器の融合を進める中、われわれは軍事衝突に近づいている」と発言。

「時間はあまり残されていない」と繰り返し、北朝鮮と戦争になれば大きな被害を受けるとされる韓国から米軍兵士の妻や子供を退避させるべきだと訴えた。韓国には米兵約2万8500人が駐留している。

 本当に戦争が始まるのだらうか。朝鮮半島で。あってはならないことだ。中露が提言してゐる「双中断」すなはち北も米韓も同時に挑発をやめて対話を始める。それでいきませうよ。

習近平の特使、金正恩に会へず

今週の気になるニュース。

 例によって朝鮮中央通信から。安倍政権が北朝鮮の核・ミサイル開発を利用して国の形を変へようとしてゐることを軍国主義の復活として批判・威嚇してゐる。「お前が言ふなよ」といふ話ではあるが、書いてあることはけっこうその通りでもあるので「的確な評言」だなあといつも関心してしまふ。11月21日の記事である。

http://www.naenara.com.kp/ja/news/?0+100480

わが共和国に対する日本反動層の軍事的挑発妄動が、日増しに甚だしくなっている。

11月11、12の両日、日本の海上自衛隊」が米空母打撃団と共にわれわれを狙った大規模な合同軍事演習を強行した。

米原子力空母のロナルド・レーガンセオドア・ルーズベルトニミッツ海上自衛隊護衛艦のいせ、まきなみ、いなずまなどの参加の下に行われた合同軍事演習について日本防衛相の小野寺は、日本と米国の決意をより確固と示したきわめて効果的な訓練だったと強弁を張った。

一方、日本はわれわれの弾道ミサイルに対処するという美名の下、新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の秋田、山口の両県への配備を急いでいる。

先日、トランプと安倍の共同記者会見で日本が米国からSM3とF35A追撃機、イージス戦闘システムを装備した軍艦を購入することにしたと発表された事実も黙過することができない。

諸般の事実は、海外侵略野望の実現に狂った日本反動層の危険な軍事的妄動が度を超えているということを如実に示している。

われわれの「脅威」を口実にして朝鮮半島に日本の「自衛隊」武力を主動的に投入するための名分を立て、ひいてはアジア太平洋地域に対する再侵略を正当化して「大東亜共栄圏」の昔の夢をなんとしても実現してみようとするのは、日本反動層の変わらぬ野望である。

敗北後70余年の歳月が流れたが、日本の軍国主義野望は決して変わっておらず、その後えいによって甚だしく復活している。

現日本支配層は、2016年3月、「安全保障関連法」を発効させて「自衛隊」に「集団的自衛権」行使を付与し、「自衛隊」の海外活動範囲を大幅に拡大した。

特定機密保護法、組織犯罪処罰法をはじめとする悪法を次々とつくり上げて、国内のファッショ化を急速に進め、最近は海外侵略野望実現の最終の段階と言える現行憲法の改悪にヒステリックに執着している。

今、日本がわれわれの自衛的正当防衛措置にいわゆる「脅威」と言い掛かりをつけて有事の際、朝鮮戦争に投入される米帝侵略軍の基本武力を駐屯させて合同軍事演習に熱を上げているのは、米国と共に新たな朝鮮戦争を起こそうとする戦争狂気である。

しかし、誇大妄想症に浮ついた日本は無分別にのさばらない方がよかろう。

いったん、朝鮮半島で戦争が起これば日本も絶対に無事ではない。

日本にある米国の侵略基地と共に戦争に動員される日本の全てのものがこっぱみじんになりかねない。

日本が軍国主義の馬車に乗って暴走するほど、自滅のどん底にいっそう深く陥る結果しか得られない。

 関心してしまふ、などと書くと「お前は北朝鮮を擁護するのか」と言はれさうだが、決してさうではない。ただぼくは上の文章を読んで「巧いなあ」と感じる。そのレトリックに知性を感じるのだ。たいへん激しい威嚇の言葉が並んでゐるが、本気で書いてゐるやうには思へない。純粋に技術的に書いてゐるやうに思ふ。この文章の作者は醒めてゐる。この「醒めてゐる」といふ感じは安倍政権及びその支持者からは全く感じられないものである。

 安倍政権の求心力は「反(嫌)中国・朝鮮」である。彼らは口では「日本の伝統」とか「国柄」とか言ってゐるが、中身は何にもない。文化・教養でつながることのできない彼らは「あいつら嫌い」で浅ましい一体感を得て、その一体感に脆い自我を丸投げするのだ。「あいつら」とは彼らの一体感を損なふもの全てである(彼らはそれを「反日」といふ)。即ち「あいつら」とは多様性のことである。

 まったく狂気の沙汰ではないか。ホントに気がめいるよなあ。

 安倍政権は「日本版トマホーク・ミサイル」の開発を計画してゐるといふ。専守防衛はどこへ行ったのか。要するに憲法9条を破棄して「戦争できる国」になりたいといふことなんだらう。けれど安倍の方向性が結局自己欺瞞でしかないのは、その「戦争できる国」といふのが「アメリカの属国として」といふ条件付のものであることを彼は直視しないからだ。その抑圧された憤怒は国内の弱者に向かふ。気がめいるぢゃないか。

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 読売新聞は20日、防衛省が2018年から開発する予定の対潜水艦巡航ミサイルに地上の目標物に対する打撃機能を追加する計画だと報道した。巡航ミサイルは飛行機のように翼とジェットエンジンを使い、水平飛行をするミサイルだ。米軍のトマホーク・ミサイルのように、レーダー探知を回避して精密誘導機能を備える予定だ。射程距離は300キロメートル以上で、車両、護衛艦、哨戒機からも発射できるようにする予定だ。

 日本版トマホーク・ミサイル開発の主目的は、中国を念頭に置いた離島防御にあるとされる。日本が領有権を主張する島に、中国の軍艦や潜水艦の接近を阻止するために開発するということだ。防衛省は来年度予算案に「島嶼防衛用新対潜水艦誘導弾」研究費という項目で77億円を計上すると発表し、2022年までに試作品を完成する目標だ。

 だが、これに地上目標物の攻撃機能が追加されれば、この機能を活用して北朝鮮のミサイル基地を直接攻撃することができる。防御用武器ではなく、攻撃用武器として使えるという話だ。日本が以前まで保有していたミサイルは、ほとんどが対潜水艦、または対艦ミサイルであり、日本版トマホーク・ミサイルの開発が確定すれば、日本が本格的に開発する最初の対地巡航ミサイルになると同新聞は伝えた。

 日本政府は、専守防衛原則のために敵基地攻撃能力の保有についてはまだ公式に検討していないとの立場だ。だが、最近与党の自民党を中心に、北朝鮮脅威論を名分に攻撃用武器を導入しなければならないという意見が噴出している。安倍晋三首相の側近である河井克行自民党総裁外交特別補佐官は9月、インドのニューデリーで行った講演で「個人的には自衛隊が中距離弾道ミサイル(IRBM)や巡航ミサイルを持つ可能性を真剣に検討しなければならない時期だと考える」と話した。

 20日、習近平・中国国家主席の特使として北朝鮮を訪問してゐた中国共産党の宋濤・中央対外連絡部長が帰国した。金正恩には会へなかったらしい。

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 専門家らは、すでに朝中関係が史上最悪だという診断を下してきた。北朝鮮の核・ミサイル実験によって、国連安全保障理事会(安保理)の対北朝鮮制裁決議が相次いで採択されるたことをめぐり、北朝鮮は拒否権を持った中国が決議に参加したことに対する不満を滲ませてきた。何よりも核兵器を放棄しないという考えを強調してきた北朝鮮と、対話を通じた非核化を強調する中国の隔たりがあまりにも大きい状況だ。新華社通信が20日付で、宋部長と北朝鮮の指導者たちが「両党・両国関係、朝鮮半島問題など共同関心の問題について意見を交換した」と言及しただけで、「北朝鮮の核または朝鮮半島の核問題」という用語を使用しなかったことも目を引く。

 北韓大学院大学のヤン・ムジン教授は「北朝鮮の核問題をめぐる朝中の立場の違いが大きいため、会ってもあまり役に立たない。不快な思いをするだけという判断の下、会わなかった可能性もある」と話した。ヤン教授は、金委員長との面会が実現しなかったのが事実なら、最近の中国の対北朝鮮圧迫・制裁に対し、北朝鮮が遠回しに不平不満を示したものかもしれないと分析した。

 国立外交院のキム・ハングォン教授は、後に面会の事実を確認する発表が出る可能性が残っていると指摘した。しかし、「対北朝鮮制裁局面でも一定レベルの戦略的連携を維持することが朝中双方に有利な状況だが、特使としてきた宋部長が金委員長に会うのが難しい状況まで行ったのは、核心メッセージである北朝鮮の核問題とそれによる朝中関係において双方の利害関係の違いが大きいためと見られる」と話した。

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中国共産党習近平(シーチンピン)総書記(国家主席)の特使として北朝鮮を訪れた宋濤・党対外連絡部長は金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と面会できなかったと、中国政府が関係国に説明した。中韓関係筋が25日、明らかにした。中朝両政府は宋氏が正恩氏に面会したかを明確にしていなかった。

 宋氏は17~20日の日程で北朝鮮を訪れた。同筋によれば、北朝鮮は当初から正恩氏との面会を確約していなかったが、最終的に面会を認めなかった。宋氏は17日に崔竜海(チェリョンヘ)党副委員長と会談した際、正恩氏への贈り物を託しており、この席で面会を断られた可能性が高いという。

 米中両首脳は11月、朝鮮半島の非核化を改めて確認。中国はそれに先立ち、国連安全保障理事会の制裁決議に従う形で、北朝鮮への石油精製品の輸出制限や繊維製品の禁輸、北朝鮮が中国で設立した合弁企業などの閉鎖にも踏み切っていた。北朝鮮は核開発の継続を主張しており、双方の主張の隔たりが大きいことから、正恩氏と宋氏との面会を見送ったとみられる。

 一方、北朝鮮労働新聞(電子版)は25日付で米国によるテロ支援国家再指定を批判。「正義の核の宝剣を更に強く握りしめなければならない」と訴えた。(ソウル=牧野愛博)

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中国では北朝鮮核問題における自国の役割は制限的という主張が立証されたという声も上がっている。カーネギー清華研究所の趙通研究員は「面会が実現していないなら、北朝鮮が中国の圧迫をこれ以上望んでいないという意味であり、これで北朝鮮に対する中国の直接的影響が限られていることが分かる」と話した。中国のある研究者は「北朝鮮が中国ではなく、米国と対話するという意志を明確に示したもの」だと評価した。

 ただし、チェ・リョンへ政治局常務委員とリ・スヨン副委員長に会って党大会の結果を通知したことで、特使の当初の訪問目的は達成されており、これで長い期間中断された北朝鮮と中国の高官級交流が再開したのは成果と評価すべきという見解もある。成均中国研究所のヤン・ガビョン教授は「公式的に中朝交流を始めたという点が重要だ」とし、「断絶された交流が再び再開され、今後、交流がさらに多くなるものと見られる」と分析した。

 冷却期に留まっている朝中関係が、北朝鮮の核問題の解決には負担になりかねないという見方もある。キム・フンギュ所長は「米国は引き続き圧迫を加えており、中国も現在としては圧迫のほか方法がない。韓国が独自で対北朝鮮接触をすることも難しい」とし、「強対強の局面で私たちにできることは、北朝鮮が核・ミサイルを完成させた場合どうするかに関する『プランB』を準備することだ」と話した。

 21日米国政府は9年ぶりに北朝鮮を「テロ支援国家」に指定した。

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米国が21日、北朝鮮テロ支援国家に再指定したことに対し、韓国と日本は異なる反応を示した。 

  韓国外交部はこの日、「今回の米国の措置は強力な制裁と圧迫を通じて北朝鮮を非核化の道に引き出すという国際社会の共同努力の一環とみており、北朝鮮核問題の平和的な解決に寄与するものと期待する」と明らかにした。 

  反面、日本は積極的な歓迎の意を明らかにした。日本メディアによると、安倍晋三首相は21日午前、都内の首相官邸で記者団と会い、今回の北朝鮮テロ支援国家再指定について「圧力を強化するものとして歓迎し、支持する」と述べた。 

  米国政府は2008年、北朝鮮と核開発計画の検証方法に合意してテロ支援国家から北朝鮮を外したが、当時、日本は強く反発していた。したがって今回のテロ支援国家再指定に対し、日本の歓迎は予想されたことだったが、韓国が「期待」にとどまったことは北朝鮮への国際的な圧迫共助に影響が生じるのではないかとの指摘が出ている。  

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トランプ行政府の北朝鮮テロ支援国再指定は、「北朝鮮には対話の意思がない」という米国側の情勢判断に従ったものと見られる。米中両国は9日の首脳会談を通じて、宋濤特使を通じた北朝鮮の交渉意思の打診に合意したことが分かった。トランプ行政府が北朝鮮のテロ支援国再指定を事実上決めた状態で、発表時期を一時先送りしていたのも、宋濤特使の訪北を通じて北朝鮮の“最終意志”を確認するための手続きだったとみられる。

(中略)

米国の北朝鮮テロ支援国再指定は、北朝鮮を交渉のテーブルに復帰させるテコの役割をするよりは、北朝鮮の強い反発を呼び情勢を悪化させる可能性が高い。北朝鮮は2008年のテロ支援国指定が解除される前にも“テロ帽子”をかぶって交渉の場に出て行くことはできないという論理を展開した。ワシントンカトリック大学政治学科のアンドリュー・ヨ教授も、ウォール・ストリート・ジャーナルに「米国との関係復元に追加の障害物を設け、外交的介入の門を閉ざした格好」と批判した。

(中略)

トランプ行政府の対北朝鮮政策の主導権も、テロ支援国再指定を契機に強硬ムードのホワイトハウスに完全に移った。交渉派のレックス・ティラーソン国務長官の立場が狭まり、彼の去就も一層不透明になった。ティラーソン長官はこの日午後、ホワイトハウスのブリーフィングで「依然として(対北朝鮮)外交に対する希望はある」と明らかにしたが、国務部が独自の力で契機を用意することは当分容易でなく見える。平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを目前に控えた韓国政府の立場としては、情勢管理の負担が一層大きくなったと見られる。 

 中国の対北朝鮮経済制裁の効果が出てゐる。

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北朝鮮の長距離弾道ミサイルICBM)級「火星14」ミサイル発射と6回目の核実験の後、中国が対北朝鮮制裁に積極的に参加し、北朝鮮の対中国輸出が急減したことが分かった。 

  中国の海関(税関)が23日に発表した国別貿易統計によると、10月の北朝鮮の対中国輸出額は9000万ドル(約98億円)と、前年同月比で62%減少したと、ボイス・オブ・アメリカが24日伝えた。前月(1億4580万ドル)比でも38%減となった。  

 北朝鮮の立場は変はってゐない。「米国の敵視政策・核による威嚇がやまない限り、核・ミサイル開発を続ける」といふのがそれだ。

 米国は譲歩する気がないやうだ。

 中国の特使も会ってもらへない。

 安倍は危機を政権安定と憲法破壊に利用する。

 韓国は米国に同調する一方、戦争が起これば最大の被害を蒙るために平和的解決を訴へてゐる。

 北朝鮮は米国しか相手にしないと言ってゐる。頑なだ。そのわがままは非難されて当然だが、非難してゐるだけでは物事は解決しない。

 北朝鮮が核・ミサイル開発を始め、今のやうな頑なな態度になったのには歴史的な背景がある。開発をストップしていた時期だってある。彼らの側だけがいつも合意を反故にしてきた、といふわけではない。

 彼らを一方的な悪者・悪役として扱ふ態度からはいかなる平和的構想も出てこないだらう。

 きつい状況が続く。年内に弾道ミサイルを発射する可能性があるといふ。注視。

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韓国の情報機関・国家情報院(国情院)が北朝鮮のミサイル研究施設内の活発な動きを捉え、年内に弾道ミサイルを発射する可能性を念頭に動向を注視していることが20日、分かった。国会情報委員会の委員長と与野党の幹事への報告で明らかにした。

 

中国、北朝鮮に特使を派遣。

 今週の気になるニュース。

 11月15日、朝鮮中央通信は「軽々しい追従行為の結末は悲劇だけだ」と題する論評を発表し、トランプに媚び諂ふ安倍外交に対して激烈な痛罵の言葉を浴びせた。

Naenara-朝鮮民主主義人民共和国

トランプの日本訪問期間、日本首相の安倍が演じた醜態が世人の非難を受けている。

安倍はトランプとの会談後に行った記者会見で、朝鮮に対する全ての選択案がテーブルの上にあるというトランプの立場を一貫して支持すると言いふらしながら、朝鮮問題において日本と米国の立場が100%一致するということを再度強く確認するという繰り言まで言った。

上司の対朝鮮敵視政策実現の先頭に立って軽々しく振る舞っている忠犬のずる賢い行動は実におぞましさをかき立てる。

米国であるなら、しゃにむに追従して神頼みにする政治いびつである日本特有の体質はほかにはなりえない模様である。

安倍が面映ゆいほどに上司をおだてながら北侵核戦争熱を積極的に鼓吹したことには自分なりの下心がある。

それは、もうろくした老いぼれトランプの虚勢をあおり立てて情勢を引き続き激化させ、その中で漁夫の利を得ようとすることである。

事実上、日本は朝鮮半島の情勢緊張を誰よりも切実に願っている。

朝鮮半島の緊張激化を憲法改正と軍事大国化実現のよい口実と見なしている安倍一味は、核戦争の危機を高調させているトランプの「狂人戦略」をもろてを挙げて支持している。

誰それによる「安保脅威」カードを掲げて執権の危機を免れることで面白みを覚えた安倍は意気軒昂として、上司の核戦争騒動を露骨にあおり立てている。

トランプの訪問を契機に、「国際社会全体に対する重大な威嚇」と「最大の圧迫」を大げさにけん伝しながら奔走したのも、このような腹黒い下心の発露だと言うべきであろう。

米国を後ろ盾にして大陸侵略の道にまたもや踏み出そうとするのは、島国一族が変わることなく追求してきた野望である。

前日本外交官が「現世界の各国指導者を見ると、国連総会で武力の威嚇をうんぬんするのはトランプだけ、各国指導者の中で追従するのは安倍だけ、この二人の会談が国際的にどんなに醜悪であるのか」と言ったことを注目する必要がある。

6日、米紙「ワシントン・ポスト」はトランプと安倍が朝鮮に対する共通の敵対感によって同じ方向に立ったが、彼らの関係は戦略的奴隷関係であり、トランプが安倍を包容する方式はまるで助手に対する態度だと評した。

結局、安倍が唱える「毅然として強力な外交」なるものは米国に追従する屈従外交にすぎない。

このような外交によっては「日本国民の生命と平和な生活を守る」どころか、むしろ禍根になるだろう。

日本は、張子の虎にすぎない米国にへつらって軽々しくのさばっていては悲惨な終えんを迎えることになるということを銘記すべきである。 

 まったく酷い言ひ様だが、その安倍理解には同意せざるを得ない。トランプ大統領は自らに進んで隷属する安倍首相を真に馬鹿にしてゐる。驚いたのは訪日時のゴルフの際、安倍がバンカーで転んで後ろに一回転してしまったことに対するトランプのコメントだ。以下の記事によればトランプは「私は見ていないが、ヘリコプターが上空から(転ぶところを)撮っていた。私は感動した。今まで見てきたどの体操選手よりも素晴らしかった」と述べたさうだ。

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 安倍の追従ぶりも酷いが、トランプのコメントもまた頗る非礼だ。

 北朝鮮のミサイル迎撃のために導入される「イージス・アショア」の配備候補地が決まったさうだ。

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 政府は北朝鮮の相次ぐ弾道ミサイル発射に対抗するため、新たに東西日本に1基ずつ配備する迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の候補地を秋田市山口県萩市の2カ所に絞り込み、地元と調整に入った。2023年度に運用を始める方針。

 政府関係者によると、政府は新型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」搭載のイージス・アショアを2基配備すれば、日本列島全体をカバーできると想定している。政府は運用主体となる陸上自衛隊の既存施設の中から、新屋(あらや)演習場(秋田市)、むつみ演習場(山口県萩市)の2カ所を有力候補地として選び、関係する地元国会議員に今月上旬、設置の意向を伝え、協力を要請した。政府関係者によると、陸自が警備しやすい利点があるという。

 政府は当初、地元の電波障害などの懸念を軽減するため、既存の航空自衛隊のレーダーサイト基地である加茂分屯基地秋田県男鹿市)や佐渡分屯基地新潟県佐渡市)などを配備場所とする可能性を探ったが、「十分な敷地面積を確保する必要がある」(政府関係者)との判断から見送った。

 イージス・アショアの導入の閣議決定は来月で、米ロッキード・マーチン社製のイージス・アショアの本体費用は1基あたり800億円、計1600億円が見込まれる。政府は来年度当初予算には調査費を計上し、地質や電波障害の有無などを調べるほか、米国から専門家を招いて導入に向けた検討を進める方針だ。

 イージス・アショアの運用に必要な要員数について防衛省は当初、1基あたり100~200人、2基で計200~400人を見込んでいた。ところが複数の防衛省関係者によると、陸自は「施設の警備なども含めて1基あたり600人、2基で計1200人が必要」と要求しているという。装備計画などをつくる内部部局が「人員の純増は厳しい」と陸自の要求に難色を示しているものの、本体の取得費や維持費に加え、人件費についても巨額のコストが膨らむ可能性が出てきている。

  2基で1800億円とはとんでもない買物をしたものだ。これが使用される日が来ないことを祈るが、それにしても今年運用を決定して運用開始が2023年度といふことにぼくは驚く。そんなに先になるのか。

 日本を射程に入れるミサイルを北朝鮮は既に開発済みであったが、今年に入って北朝鮮ICBM(アメリカ本土が射程に入る)の開発成功が近いといふことになってアメリカが騒ぎ出し、それに合はせて日本も騒ぎ始めた。それで安倍は「国難」だと喧伝し、ミサイル防衛システムの導入を決定しその運用開始が6年後だといふ。

 何だかなあといふ感じである。

 国際社会の中で安倍だけが「対話・交渉」の訴へを行ってゐない。その言葉に強い抵抗でもあるやうな印象を受ける。最初は「対話のための対話では意味がない」「今は対話ではなく圧力だ」だったのが選挙の頃から「政策を変へさせるために、圧力を更に強化する」になった。が、「対話・交渉」といふ言葉は安倍の口から一度も出てきてゐない。少なくともぼくが報道を追ってゐる限りではさうである。対話を始めなければ当然拉致問題も解決しない。

 以下の記事に米国の軍事専門家の発言が載ってゐる。そもそも「ミサイル防衛は不可能」ださうだ。

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  9日、外国特派員協会で、宇宙関連事業のコンサルティング会社社長のランス・ガトリング氏が「北朝鮮のミサイルと核」をテーマに講演した。ガトリング氏は、米陸軍で北東アジア地域の軍事問題について米国と日本の連絡担当を務めた軍事専門家でもある。
 トランプ米大統領は、6日の日米首脳共同記者会見で「(米国からの)軍事兵器購入が完了すれば、安倍首相は北朝鮮のミサイルを撃ち落とせる」と胸を張っていたが、ガトリング氏は講演でこう語った。
北朝鮮大陸間弾道ミサイルを日本は迎撃できるのかと問われたら、答えは“ノー”です。(迎撃するには)どこからどこへ発射されるのか『正確』に捕捉しなければなりませんからね。加えて、北朝鮮が日本の上空に向けてミサイルを飛ばすときは、ほぼ真上に発射するロフテッド軌道になります。高高度を飛翔し落下スピードが速いため、通常軌道よりも迎撃が難しい。迎撃にセカンドチャンスはありません。当然ながら、推測ではどうにもできないのです」

  韓国も中国も米国も「対話のための圧力」「平和的解決」を繰返し訴へてゐる。

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 レックス・ティラーソン米国務長官も10日、中国の北京からベトナムのダナンに向かう飛行機の中で、記者団に「結局、互い(米朝)が『良い』と言う日が来るだろう。その時が初めて『非公式の対話』(conversation)を行うのに良い時期」だと述べたと、「ブルームバーグ通信」が報じた。

 ティラーソン長官は「これは、交渉(negotiations)を始めるのではなく、非公式の対話を持つということ」だと強調した。しかし、「探索的対話」や「非公式の対話」は交渉の結果による政治的負担が大きい場合、公式交渉に先立って行われる手続きで、事実上の交渉の開始と見ることができる。

 ただし、彼は朝米間の「非公式の対話」のためには「北朝鮮が(米国)と話し合いたいという意思表示を、金正恩(キム・ジョンウン)自らがしなければならない」とし、北朝鮮最高位層のシグナルを待っていることを示唆した。これと関連し、匿名を求めたある消息筋は「北朝鮮は『非公式の対話』で制裁の解除問題などを議論すべきという立場を米国政府に要求していると聞いた」として、まだ水面下で神経戦が繰り広げられていることをほのめかした。

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 北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議の韓国首席代表を務める李度勲(イ・ドフン)外交部朝鮮半島平和交渉本部長と米国首席代表のジョセフ・ユン国務省北朝鮮担当特別代表は17日、韓国南部の済州島で1時間余り会談した。双方は、北朝鮮はここ2カ月余り核実験やミサイル発射を控えているものの挑発を中断する意思を明確に示していないとして、当面は北朝鮮を非核化交渉に導くための圧力に重点を置くことで一致した。

 李氏は会談後に記者団に対し「韓米首脳は(7日の会談で)北の核問題の外交的・平和的な解決に合意した」とし、会談ではこの原則にのっとったアプローチ方法を重点的に話し合ったと伝えた。

 北朝鮮は9月15日に日本上空を越える中距離弾道ミサイル「火星12」を発射して以降、軍事的挑発をしていないが、李氏は「北はまだ(挑発を中断するという)意思を表明しておらず、(米国は挑発を中断した日と)カウントしていないと聞いた」と述べた。北朝鮮が「対話のために挑発をしない」ということを表明すべきだと米国側は考えているとも伝えた。挑発を控えている理由については「分からない」とした。

 一方、現状での北朝鮮に対する韓米共同の対応については「対話の場に呼び出すための制裁と圧力を続ける」と説明。北朝鮮が非核化交渉に臨む姿勢がないため、今は制裁と圧力に重点を置くが、北朝鮮を対話の場に引き出すことが韓米の基本的な目標だとした。

 かうした状況の中で中国の習近平国家主席が自らの特使を北朝鮮に派遣した。これは重要な動きだ。記事によれば、特使は習近平の親書を金正恩に伝へるといふ。

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 宋部長は初日、北朝鮮権力序列2位のチェ・リョンヘ労働党中央委員会副委員長に会った。二人は同席者とともに会談したが、内容はすぐに伝わってきていない。空港ではリ・チャングン労働党国際部副部長が宋部長を出迎えた。

 宋部長は昨年5月、北朝鮮労働党第7回党大会後に特使として送ったリ・スヨン党中央委員会副委員長に会っている。しかし、彼が対北朝鮮経験が豊富ではなく、政治局員の身分で2012年に特使として派遣された李建国に比べ格が低い中央委員級であるという点は、両国間の絆が弱体化されたというシグナルとして受け止められる。

 とはいえ最近2年間にわたり中朝間の高官級交流が事実上中断された状態で訪問したため、その意味は決して軽くない。中国外交部はこの日、宋部長の訪朝について「主要目的は第19回中国共産党全国代表大会の結果を通知し、北朝鮮側と両党、両国の共同関心事について意見を交換すること」と話した。儀礼的訪問だけではないことを示唆したのだ。

 宋部長は金正恩(キム・ジョンウン)労働党総書記に習主席の親書を伝えるものとみられる。2007年の第17回党大会での劉雲山特使や、2012年の第18回党大会での李建国特使は、それぞれ金正日(キム・ジョンイル)総書記と金正恩委員長に会い、胡錦涛主席(当時)の口頭親書と習近平主席の親書を伝えた。今回は中国が党大会を経て新たに樹立した「新型国際関係」などの対外政策や、最近の米中首脳会談などを通じてまとめた北朝鮮核問題に対する立場が届けられるものとみられる。

 状況と時期のために中国でも期待をかける声がある。官営「チャイナ・デイリー」は社説で「宋部長の訪問は、北朝鮮核問題の解決策に対する関連国の見解の相違が接近する時期に行われた」と話した。同メディアは、首脳会談で文在寅(ムン・ジェイン)大統領と習主席が朝鮮半島の平和・安定に意見をそろえたことを想起させた。

 特に韓米、米中首脳会談まで開かれた直後であり、北朝鮮がこの日で63日間ミサイル発射など“挑発”をしていない状況なので、米朝の対話局面への転換に宋部長の訪朝が何らかのきっかけになるかが注目される。いつを起点にするかは不明だが、ジョセフ・ユン米国務省北朝鮮政策特別代表が「60日間の挑発の中断」を対話再開の信号にすることができると言ったことが伝わりもした。一方、宋部長の訪朝がたいした成果がなく終われば、緊張の持続や悪化につながる蓋然性も多分にある。

  その中、米国のマティス国防長官が「北朝鮮が兵器の試験を中断すると共に開発を止め、輸出もしなければ、会談の機会があるだろう」と述べた。

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 中国の宋濤共産党対外連絡部長が習近平国家主席の特使として、17日から北朝鮮を訪問している中、ジェームズ・マティス米国防長官が北朝鮮に会談開催に向けた三つの「前提条件」を提示した。

 マティス長官は16日(現地時間)、米コロラド州コロラドスプリングスに位置した北米航空宇宙司令部に向かう空軍機で記者団に、「北朝鮮が兵器の試験を中断すると共に開発を止め、輸出もしなければ、会談の機会があるだろう」と述べたと、ロイター通信が報じた。マティス長官が言及した兵器とは「核およびミサイルプログラム」を指すものと見られる。マティス長官の発言は、中朝間の協議を控えた状況で、米国の要求事項を中国と北朝鮮に公開的に伝えると共に、圧迫する性格を帯びている。

 マティス長官が提示した公式交渉の再開条件は、レックス・ティラーソン国務長官などが最近、「非公式対話」の前提条件として示唆したいわゆる「挑発の中止」に、凍結と不拡散を加えたものだ。特に、トランプ政権の高官が核・ミサイルプログラムの輸出を禁止するいわゆる「不拡散」条件を提示したのは、今回が事実上初めてだ。しかし、トランプ大統領は韓国国会での演説で「ミサイル開発中止と完全かつ検証可能な非核化」を対話再開の前提条件として掲げるなど、トランプ政権内部に精巧に調整された「非核化プロセス」がないと指摘する声も上がっている。

 一方、ランダル・シュライバー国防部アジア太平洋担当次官補指名者は同日、上院軍事委員会の承認聴聞会で、理論的には韓国と日本の同意がなくても北朝鮮と戦争を開始できるとしながらも、「韓日の支援がなければ、米国がこの地域の軍事基地を使用できないため、対北朝鮮軍事行動を続けるのは不可能だ」と述べた。米軍単独で対北朝鮮軍事行動を遂行するのが難しいという点を認めたものと言える。彼は韓米日3カ国間の軍事協力について、北朝鮮の脅威が韓国と日本が協力し合うようにしているとし、「任命が確定されれば、これに力を入れたい」と話した。

 11月17日、中国環境時報は社説で宋濤の北朝鮮訪問に過度の期待をかけすぎてはいけないと主張した。

社评:对宋涛访朝鲜外界不应抱过高期待_评论_环球网

 即ち:結局のところ重要なのは米国の態度である。北朝鮮の安全を保障することが核問題解決の前提となるだらう。それは歯磨き粉を押し出す如き小出しにするやうなかっこうではいけないのだ。宋濤は魔法使ひではない。宋濤が米朝間の扉を開く手助けをできたとしても、双方それぞれが自らのロジックに固執してゐるならば、その扉はまた閉ざされてしまふだらう。ってなことが書かれてゐる。

 特使と北朝鮮との接触がどのやうなものになったのか。来週には何か報道が出るかも知れない。注視する。

 以下、核・ミサイル問題から話がずれるが気になったので備忘のために抄録しておく。

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 韓国の産業通商資源部と関税庁は17日、1月からの輸出額の累計(暫定)が5012億ドル(約56兆4000億円)を記録したと伝えた。1956年に貿易統計を開始して以来、最短期間での5000億ドル突破となった。

 輸入額は4166億ドルで、産業通商資源部は今年の貿易額が1兆ドルを達成する可能性が高くなったと見通した。

 同部は最短期間での5000億ドル突破の理由として、輸出品目と地域が多角化し、品目別と地域別にバランスの取れた成長を見せたと分析した。

 主力品目のうち半導体石油化学、鉄鋼の輸出が大きく伸び、ほとんどの品目で輸出が善戦した。

 中国、東南アジア諸国連合ASEAN)、インドなど大部分の地域で輸出が増加し、特にASEANベトナム、インドなど新興市場への輸出の活性化により米国、中国などに対する依存度が低下した。

 産業通商資源部は、韓国が自由貿易協定(FTA)を締結した主要国への輸出品目が多角化し、これらの国の輸入市場で韓国のシェアが上昇傾向にあると説明した。

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 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は13日、フィリピンのマニラで開かれた東南アジア諸国連合ASEAN)ビジネス投資サミット(ABIS)で演説し、「(韓国とASEANの関係を)共存共栄する共同体を超え、危機時に力になる『平和のための共同体』に発展させていくことを提案する」と述べ、韓国政府のASEANとの協力ビジョン「未来共同体構想」を発表した。 

 最後は毎日新聞の記事「野党の質問時間削減 大政翼賛会への道、歩むのか」

https://mainichi.jp/articles/20171116/dde/012/010/004000c

 もしかしたら日本の運命を大きく変えることになるかもしれない。開会中の特別国会で、与党・自民党が、野党が国政をただす場である委員会審議の質問時間を削ってしまったのだ。「与党議員の質問機会が少ないから」が理由らしいが、それは事実か。大政翼賛会へと歩んだ戦前の国会でも、同じ動きがあったのだが……。【吉井理記】

 「国会が自ら、国会の権能を低下させる愚挙です。日本を破滅させた戦争の時代にも、国会の力を封じる動きがありました」と怒りが収まらないのは、「国会質問制度の研究」などの著書がある千葉商科大の田中信一郎特別客員准教授だ。

 歴史を振り返る前に、おさらいしておこう。問題になっているのは、衆議院の委員会審議などで、与野党の質問(正確には質疑。決められたテーマに限り問いただすこと)時間をどう割り振るか、ということだ。

 国会法や衆院規則、実務手引きである「先例集」にも明示がないが、野党の時間を多くするのが長年の慣例で、この特別国会まで「野党8、与党2」の割合だった。ところが自民党衆院選での大勝を背景に野党の反対を数で押し切り、まず15日の文部科学委員会で「野党2、与党1」とした上で、国会審議の中心となる予算委などでも配分を見直す方針なのだ。

 「2対1」なら一見野党が多そうだが、「それは錯覚です」と田中さん。

 「注意すべきは、この時間は質問だけでなく、首相や閣僚ら政府答弁の時間も入っている点です。与党から政府閣僚が選ばれるのですから、事実上は政府=与党です。するとどうなるでしょうか」

 例えば、野党の持ち時間を4時間として、質問2時間に対し、政府が答弁を2時間したとしよう。「2対1」だから、与党の持ち時間が2時間で、質問1時間、政府答弁も1時間とする。発言時間を単純計算すれば、野党の2時間に対し、与党+政府の発言は4時間、つまり「2対4」と逆転する。

 政治学が専門の明治大教授、西川伸一さんも嘆息する。「そもそも、国会は野党のためにあるといっても過言ではありません。なぜなら国会で議論される予算案や内閣提出法案は、全て与党が事前承認したものしか提出されないからです。だからこそ国会質疑を通じた野党のチェックが重要なのですが、その野党の質問封じは、国会の否定です。少数意見を聞かず、多数決ですべてを決めれば、国会の意味がなくなりますから。議論が政府協賛の与党色に染められ、『大政翼賛会』『戦前回帰』という指摘も、あながち絵空事とも言えなくなってきます」

 帝国議会ではゼロの時も

 では、その戦前の国会である帝国議会で、何があったのか? 田中さんが解説する。

 「帝国議会では最初、議員が政府に国政全般をただす『質問』は制限されていました。それでも田中正造自由民権運動を率いた先人の努力が、政府をただす機会を広げていったのです。しかし軍国主義が高まる時期から、議員が政府に質問する場が再び制限され、国会の力が失われていきました」

 当時は書面質問が原則だったが、議員は内容や理由を議場で演説することが慣例になっていった。田中正造はこうした質問を通じて足尾鉱毒事件を社会に問うことができた。

 慣例は「先例集」にまとめられ、国会運営のマニュアルとなっていたが、1935年前後に慣例が改められ、議員の演説時間や、政府答弁に対する再質問を制限する改定がなされた、という。残された「先例集」からは、改定を誰が言い出したかわからないが、議会多数派(当時は立憲政友会)の可能性が高い、という。

 「この時期は、満州事変(31年)で国際的孤立が深まり、天皇機関説事件(35年)など、思想弾圧が激しさを増す時代です。そんな風潮を反映し、国会で議論することに疑いを持ったり、政府批判は許せないと考えたりする議員が増えたための改定でしょう。つまり国会自ら、国会の力を弱めたのです」

 この結果、政府への質問そのものが国会から消えていく。田中さんによると、大正デモクラシー期の第31回帝国議会(13~14年)では衆院で計100件の質問があったが、各政党が大政翼賛会に合流した後の第76回帝国議会(40~41年)では18件。日米開戦後は質問ゼロという国会もあり、43年6月~44年9月の4回の国会は、1件の質問もなかった。国会が、政府の追認機関に堕した結果である。

 「国会の監視機能が働いていれば、無謀な戦争をしたり、続けたりすることはなかったかもしれない。でも結局、国会が機能しないがために、国を滅ぼす政策を止められませんでした」

 そもそも今回の問題は、自民党の若手議員が「自分たちの質問する機会が少ない」と訴えたことが発端とされるが、この理由には裏付けが乏しい。

 なぜなら、本当に政府をただしたいなら、時間もテーマも制限されない書面質問(質問主意書)が可能だからだ。例えば、「森友・加計(かけ)学園問題」で揺れた今年の通常国会では、衆院で438件の質問主意書が出されている。さて、与党分はどれだけか?

 「ゼロ」である。政府をただすのは与野党を問わず、国会議員の責務だ。質問主意書が出されれば、答弁書を作る各省庁の職員の負担は増えるから、主意書の乱発は論外だが、本来なら与党議員も出すべきものだ。実際、旧民主党政権時代は民主党議員も出していた。

 立憲民主党川内博史衆院議員もその一人だ。旧民主党議員時代の2010年、鳩山由紀夫政権に官僚の天下り規制のあり方を問う主意書を出した。

 「規制のあり方が甘いと感じ、政府をただしました。政府をチェックし、政策を良いものにするために、必要と思えば出すべきです。自民党の若手議員の活躍の場がないというなら、もっと政府内に若手を登用すればいい。そもそも与党は、自分たちが国会に提出する法案を自分たちで承認しておいて、国会で何を問うつもりか。『安倍1強』と呼ばれる状況で、政府のチェックがきちんとできるのか」

 その自民党のベテラン議員によれば、かつては与党議員の依頼で、各省庁が質問を作り、答弁も書く「自問自答」が横行していたらしい。さすがに最近は少ないようだが、この議員は「今でも『貴重な質問の機会を頂いて』とか言いながら、『○○大臣のご決意をお聞かせください』『××に行かれたご感想は』なんて、恥ずかしい質問をする若手がいる。時間をくれと言う前に、質問力を磨くべきだ」と首を横に振るのだ。

 では、野党の質問時間を削ることは何を意味するのか? 田中さんがまとめた。

 「今のまま質問時間を減らせば、国権の最高機関として政府をチェックする機能は確実に低下する。これは間違いない。厳しい監視にさらされてこそ、健全な政権や政治が実現するんです。国会が機能しないことが、この国に何をもたらすか、72年前に私たちは経験済みです。与野党の政争とか、そんな小さな話ではないんです」

 自民党の選挙スローガンは「この国を、守り抜く。」であった。今からでも遅くはない。この国を守るためにこそ、野党の声に耳を傾けるべきだろう。

トランプ大統領のアジア歴訪

 不愉快なニュースが続いた一週間だった。 

 トランプ大統領は5日、アジア歴訪の最初の訪問先として日本にやってきた。降り立ったのは日本の主権が及ばない横田米軍基地だった。彼は軍服を来て在日米軍に訓話を行った。

 その前日である4日、トランプ大統領はハワイ真珠湾を訪れ「リメンバー・パールハーバー」とツイートしてゐる。

Thank you to our GREAT Military/Veterans and @PacificCommand.

Remember #PearlHarbor. Remember the @USSArizona!

A day I’ll never forget. pic.twitter.com/CMkB0kTkSc

— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) 2017年11月4日

 トランプ滞在中の6日、沖縄辺野古の新基地建設に向けた新護岸工事が始まった。

ryukyushimpo.jp

 11月に入って新たな造成工事に着手したことは、トランプ大統領の来日と無関係ではなかろう。
 日米首脳会談の日に造成工事に着手することで、新基地建設が着々と進んでいることを、トランプ氏にアピールする狙いがあるはずだ。
 トランプ氏から褒めてもらいたいといった安倍晋三首相の卑屈な考えが、はっきり見える。安倍首相が優先すべきはトランプ氏ではない。過重な基地の負担を強いられている県民でなければならない。
 安倍首相はこの間、「政府として基地負担軽減のため、一つ一つ確実に結果を出していく決意だ」などと述べてきた。沖縄の米軍基地負担軽減に取り組む姿勢を強調するが、やっていることは逆である。安倍首相の言葉を信用する県民はいまい。
 そもそも、民意を踏みにじっての負担軽減などあり得ない。何が沖縄にとって負担軽減になるのかは、県民自身が決めるものである。そのことを安倍首相は全く分かっていない。 

 安倍首相はゴルフ接待の末に武器購入を約束、それに対してトランプは「日本の首相、安倍との友好関係は偉大な我が国に大きな利益をもたらすだろう。つまり、莫大な軍事・エネルギー契約さ!!」とツイートした。

My visit to Japan and friendship with PM Abe will yield many benefits, for our great Country. Massive military & energy orders happening+++!

— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) 2017年11月6日

  翌日の安倍のツイートは以下のとほりである。

トランプ大統領による、初の、歴史的な日本訪問は、間違いなく、日米同盟の揺るぎない絆を世界に示すことができました。

本当にありがとう、ドナルド。そして、アジア歴訪の大成功をお祈りしています。@realDonaldTrump pic.twitter.com/8m3MFbAkNK

安倍晋三 (@AbeShinzo) 2017年11月7日

  米国にコケにされ、貢物を送り、それをメディアは「親密さアピール」と大騒ぎし、沖縄で基地建設を進める。日本の属国性と欺瞞と狂気を満天下にさらした一週間だった。我慢ならない。

 以下、気になった記事を備忘のために抄録する。

japan.hani.co.kr

 安倍政府は昨年11月トランプ大統領当選後から緻密にトランプとの関係構築を進めてきた。トランプ大統領当選後、世界指導者の中で最も早く彼が住んでいるニューヨークのトランプタワーを訪れ、54万円のゴルフクラブをプレゼントした。安倍首相はこの日もトランプ大統領と共に、東京五輪の際にゴルフの試合が開かれる予定の埼玉県のゴルフ場で、共にゴルフを楽しんだ。今年2月、フロリダのマララーゴ・リゾートに続き、2度目のゴルフ外交だ。

 トランプ大統領に対する世界の世論が冷ややかな時、安倍首相が力を入れたことが、その後の電話会談まで合わせて20回の首脳会談(直接会談4回・電話会談16回)を行うほどの蜜月関係を構築できる契機になったと日本では評価されている。欧州やカナダなどではトランプ大統領の人種主義的態度を批判する人が多いが、日本国内の世論はこのような問題について比較的無関心である点も、安倍首相とトランプ大統領の密着を可能にする背景となった。過去にも「ロン・ヤス関係」(中曽根康弘首相とレーガン大統領が互いに名前を呼ぶほど親密という意味から出た言葉)のように、両国首脳の親密な関係が浮き彫りになったことはあるが、安倍首相とトランプ大統領ほどの蜜月関係ではなかった。

 安倍首相がこのように、日米を結び付けようとするのは「米中ビッグディール」による外交的孤立の可能性を低くするためだが、尖閣諸島の領有権争いで凍り付いた日中関係を改善するための交渉カードとしての性格も同時に帯びている。「インド太平洋」戦略も長期的には中国を牽制するための安全装置作りだが、短期的には交渉に備えた“勢力拡大”の側面もある。

japan.hani.co.kr

日本を訪問したドナルド・トランプ米大統領が6日、日本の安倍晋三首相と首脳会談を終えた後に行った共同記者会見で、北朝鮮の核・北朝鮮問題と関連し、当初の予想に反して原則的な従来の立場を再確認する様子を見せた。強硬な対北朝鮮発言の基調は主に安倍首相の“口”から出た。「蜜月」関係を誇示してきた米日首脳は、この日北朝鮮の解決策をめぐる“温度差”を覗わせた。

japan.hani.co.kr

共同通信は、トランプ大統領が8~10月に東南アジア国家の首脳らと会った時や電話会談をした時にこういう発言をしたと匿名の複数の外交消息筋を引用して報道した。トランプ大統領は「自国の上空をミサイルが通過するのに(日本は)なぜ撃ち落とさなかったのか」 「(日本は)サムライの国なのに理解し難い」として不満を表したという。 

mainichi.jp

 トランプ氏は6日の記者会見で「日本が大量の防衛装備を買うことが好ましい。そうすべきだ」と訴えた。7日には「訪日と安倍(晋三)首相との友情が、我々の偉大な国に多くの利益をもたらす。軍事とエネルギーで莫大(ばくだい)な発注があるだろう」とツイッターにつぶやいた。

 近年、米国からの装備品購入は大幅に増加している。ほとんどは米政府が提示する条件を受け入れなければならない政府間取引の有償軍事援助(FMS)だ。FMSによる購入額は、2008~12年度の5年間で計約3647億円だったが、安倍政権が予算編成した13~17年度は、計約1兆6244億円と約4.5倍にはね上がった。ステルス戦闘機F35、垂直離着陸輸送機オスプレイ弾道ミサイル防衛対応のイージスシステム(イージス艦搭載)など高額装備品の導入が増えたためだ。トランプ氏が「世界最高の戦闘機」と言及したF35は計42機の購入が決まっており、陸上配備型の新型ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」の導入も決定済みだ。

 来年末には次期中期防(19~23年度)を策定する。政府内にはその際に「トランプ氏の機嫌を損ねない程度に対応する必要はある」(外務省幹部)として、米国からの購入を一定程度増やすべきだとの声が出ている。将来的に導入することを想定している装備品について、購入時期を早めることも含めて検討する見通しだ。

↓は今年9月の記事。

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北朝鮮は昨年12月、外務省傘下の日本研究所を設立。「将来の日朝交渉が念頭にある」(北朝鮮関係筋)とみられているが、宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使は今年4月、拉致問題には「誰も関心がない」と冷淡な姿勢を示した。その上で残留日本人問題には「取り組む用意がある」と表明。在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)機関紙・朝鮮新報も6月、生存する残留日本人が1人になったと伝え「日本が責任を負うべき戦後処理事案である残留日本人問題は人道的立場から解決が急がれる」と訴えた。

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 ノートランプ共同行動は、集会で「米国の覇権政策を撤回させることが朝鮮半島の緊張を緩和する道なのに、THAAD配備地域の住民の声に国会と政府は耳を傾けようとしなかった」として「トランプは平和を破壊し、人種差別的で戦争狂であるため国会で演説する資格がない。トランプの国会演説に断固として反対する」と主張した。

 集会参加者は両手に「トランプ国会演説とは何事か」、「トランプ、我々はお前を歓迎しない」などと書かれたプラカードを持ち、「戦争煽るトランプに反対」、「武器押し売りトランプを追い出そう」、「韓米FTA通商圧力トランプに反対」などのスローガンを叫んだ。

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 ドナルド・トランプ米大統領は8日午前に行った国会演説で、朝鮮半島の南と北をそれぞれ善と悪と規定し、激しい表現で北朝鮮を非難した。また、「力による平和」を強調し、北朝鮮体制を徹底的に孤立させることで北朝鮮がこれ以上耐え切れず非核化を選択せざるを得ないように圧迫する意志も示した。息子のブッシュ政権時代の「ネオコン」の認識とあまり変わらないものと見られる。

 同日の演説で、トランプ大統領は「休戦ライン」の象徴性を特に強調した。彼は、休戦ラインが「今日の自由な者たちと弾圧を受ける者を分ける線」だと規定したうえで、「繁栄はそこで終わり、北朝鮮という監獄国家が始まる」と述べた。また、「平和と戦争、品位と悪行、法と暴政、希望と絶望の間にひかれた線」とも語った。休戦ラインの南と北をそれぞれ「自由と正義、文明と成功」の世界と「圧制とファシズム、弾圧と邪悪さ」の世界に分ける宗教的二元論だ。ブッシュ政権北朝鮮を「悪の枢軸」であり「暴政の前哨基地」と非難したことと軌を一にしている。この場合、政策の焦点は“北朝鮮の核問題”ではなく、“北朝鮮”自体に当てられことになる。

 「最大の圧迫と関与」を対北朝鮮政策基調として提示したトランプ大統領が、同日の演説でもっぱら「圧迫」だけに集中したのも、このような脈絡と言える。彼は「責任ある国家が力を合わせ、北朝鮮の残酷な体制を孤立させなければならない。いかなる形であれ、北朝鮮を支援したり、受け入れてはならない」とし、「中国とロシアを含めたすべての国家に、北朝鮮との外交関係を格下げし、すべての貿易と技術関係を断絶することを求める」と述べた。

 北朝鮮が最も敏感に反応する「最高尊厳」も直接非難した。彼は北朝鮮金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長を「北朝鮮の独裁体制指導者」としたうえで、「あなたが獲得している兵器はあなたを安全にするのではなく、体制を深刻な危険に陥らせるだろう」と警告した。また、「北朝鮮はあなたの祖父が描いた楽園ではない。誰も行ってはいけない地獄」だと話した。トランプ大統領は「残酷な独裁者や暴政、軍事的カルト集団、監獄国家、地獄」など激しい表現を数多く動員したが、「炎と怒り」や「北朝鮮の完全破壊」など軍事的行動を暗示する言及は避けた。

 前日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と行った共同記者会見で、「米朝直接対話」の可能性について「ある種の動きがある」と言及したトランプ大統領は、同日もごく僅かな対話の可能性に触れた。ただし、それには条件が付いている。彼は、金委員長に対し「あなたが犯した犯罪にもかかわらず、我々はより良い未来のための道を提供する準備ができている」とし、「我々は光と繁栄と平和の未来を望んでいる。核の悪夢が過ぎ去り、美しい平和の約束が来る日を夢見ている」と述べた。ただし、「その出発点は攻撃を中止し、弾道ミサイル開発をやめ、完全かつ検証可能な総体的非核化」だと強調した。北朝鮮が先に非核化することが対話の前提条件ということだ。

 仁済大学のキム・ヨンチョル教授は「演説を通じて確認できるのは、トランプ大統領が『北朝鮮崩壊論』に基づいた対北朝鮮認識を持っており、対北朝鮮政策も『最大の圧迫→北朝鮮が屈服→関与(対話)』につながる点」だとし、「すでに失敗した政策の組み合わせで(トランプの対北朝鮮政策が)構成されている点で、米朝間の関係について楽観的見通しを示すのは難ししそうだ」と話した。

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 文大統領は同日の首脳会談の後に行われた共同記者会見で、「トランプ大統領が厳重な防衛公約を再確認し、トランプ大統領と私は堅固な合同防衛態勢をより強化していくことにした」として、このように述べた。ユン・ヨンチャン大統領府国民疎通秘書官は記者会見で、「両首脳は先端偵察資産を含めた大韓民国の最先端の軍事資産の獲得・開発と関連した協議を直ちに開始することを担当官吏に指示した」と発表した。ユン首席はまた、「11月7日付けで、大韓民国のミサイルの弾頭重量制限を完全に解除する2017年改正ミサイル指針を採択した」と付け加えた。

 これにトランプ大統領は「韓国側が数十億ドルに達する装備を注文すると言った」としたうえで、「韓国にも十分そうすべき理由があり、米国でも多くの雇用を創出できる部分だと思う」と述べた。文大統領が軍事力増強の協議内容を尋ねる記者の質問に「米国が保有している軍事的戦略資産の獲得に関する韓米間の協議を開始することにした」と答えたことに対し、トランプ大統領は「米国は全世界的に最も強力な軍事資産を持っている。戦闘機であれミサイルであれ、世界最高のものだ」として、このように述べた。今回の首脳会談を通じて韓国に対する莫大な米国産兵器の販売を成功させたことを誇示したのだ。

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 今回の会談では、両首脳が最近、韓国と米国で論議になった「韓米日3カ国安全保障協力」または「3角同盟化」に対し、どのような立場を示すかも主な関心事だった。文在寅(ムン・ジェイン)政権がトランプ大統領のアジア歴訪の直前、米国が敏感に受け止めかねない、いわゆる「3NO」(3カ国軍事同盟、THAAD追加配備、米国のミサイル防衛システムの編入に否定的)立場を再確認したことに対し、ホワイトハウスのハーバート・マクマスター国家安保補佐官などの否定的な反応が相次いだからだ。

 しかし、両首脳は共同記者会見で「韓米日3カ国協力」については言及しなかった。ただし、首脳会談では「北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対する抑止力を増進し、実効的に対応するため、韓米日3カ国間の安保協力を持続していくことにした」と、ユン・ヨンチャン大統領府国民疎通秘書官が伝えた。

 また、保守陣営で「米国と中国を天秤にかけている」と非難された文大統領の「バランス外交」発言と「中国の役割」に対する質問に対し、トランプ大統領は「習近平主席も(北朝鮮核問題の解決に)多くの努力を傾けている」と言及し、注目を集めた。文大統領は「バランス外交は米国と中国の間でバランス外交を行うようなものではない」と釈明した。大統領府関係者は「トランプ大統領が『韓国と中国の関係改善が北朝鮮核問題を解決するのに役立つ』とし、韓国が多様な関係増進を進めることについては同意するという立場を示した」と伝えた。文在寅政権が最近、中国との関係改善に向けて「3NO」などメッセージを送ったことと関連し、トランプ大統領が“異論”を唱えなかったものと見られる。

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就任後初めて中国を訪問したドナルド・トランプ米大統領のために、習近平中国国家主席が準備したのは“皇帝儀式”だった。明国の永楽帝が1403年に首都を定めた後、一部の時期を除いて“中国”という天下の中心だった北京で、帝国の皇宮だった紫禁城をまるごと空けてトランプ大統領を迎えた。

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 9日、米中首脳会談の白眉は会談後に続いた各種貿易協約の締結だった。全体規模は2500億ドルを超える。

 ドナルド・トランプ米大統領習近平中国国家主席は、二者首脳会談および拡大首脳会談の後に企業らの協約締結行事に参加した。二人は壇上に座り、両国の企業家がそれぞれ5人ずつ3回に分かれて出てきて契約書に署名した。中国の鍾山商務部長はこの日の企業家対話に参加して、トランプ大統領訪中期間に両国の経済協力規模が2535億ドルに達するとして、両国経済協力の新記録であり史上類例のないことだと話した。

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 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は9日、ユン北朝鮮担当特別代表が先月30日、オフレコの会合で、北朝鮮が核・ミサイル実験を60日間停止すれば、米国は直接対話に向けたシグナルと見なす考えを示したと報じた。発言が事実なら、トランプ政権が北朝鮮核問題の外交解決に向けた対話再開の条件を提示した形だ。

 国務省のナウアート報道官は9日の会見で、報道内容の確認を避けた上で、「今は交渉の時ではない。北朝鮮は(非核化に取り組む)真剣な兆候をまだ示していない」と述べるにとどめた。
 北朝鮮は9月15日以降、核・ミサイル実験を行っていないが、ポスト紙によると、米政府筋は、60日の停止期間を数える前に北朝鮮が停止の開始を米側に通告する必要があると指摘。まだ停止期間は始まっていないとの認識を示した。

[コラム]ゴルフ、武器商人、そして皇帝 : 社説・コラム : ハンギョレ

 日本と韓国を経て、中国を訪問中のドナルド・トランプ米大統領のアジア歴訪「三国志」の輪郭が明らかになりつつある。

 日本では手厚いおもてなしを用意した安倍晋三首相との蜜月ゴルフと“友情”が話題になったが、トランプ大統領が去ってから残ったのは冷静な評価と期待に及ばなかった貸借対照表だ。ワシントンポスト紙は、安倍首相が「トランプの忠実な助手」であり、「同盟関係に対するトランプの支持を得るために、戦略的奴隷状態に甘んじている」として、安倍首相が誇ってきた「ドナルド・晋三の蜜月関係」の実体に冷ややかな評価を下した。

 安倍首相は自分のロールモデルであり英雄である母方の祖父、岸信介元首相が1957年に米国を訪れた際、アイゼンハワー大統領とゴルフをしながら友情を深め、結局、日米安保条約改正を成し遂げた思い出を誇らしげに語ってきた。それをモデルにして、トランプが大統領に当選した直後、ニューヨークのトランプタワーに飛んで行き、540万ウォン(当時の為替レート約50万円)のゴルフクラブをプレゼントすると共に、米国と日本で相次いで一緒にゴルフを行っただけではなく、数十回の電話通話をする間柄だということを自慢してきた。韓国の保守勢力は、(十分に親米的ではない)文在寅(ムン・ジェイン)大統領が安倍首相に先を越されて「コリア・パッシング」(韓国排除)を受けていると声を高めた。

 しかし、トランプ大統領は決定的瞬間には結局カネの論理で動いた。「米国はかなり長い間、日本による巨大な貿易赤字に苦しんでいる」としたうえで、「米国の先端兵器をさらに購入すれば、北朝鮮ミサイルを迎撃できる」としながら、請求書を突き付けた。

 韓国でもトランプ大統領は指導者というよりも事業家または武器商人の姿だった。首脳会談後の主なメッセージも「韓国が数十億ドルの軍事装備を注文すると約束した」、「韓国側が米国の多くの兵器を購入したことについて感謝する」だった。

 メッセージは明らかだ。トランプの米国やアジア諸国の関係は、同盟ではなく取引関係に変わっている。安倍首相は「助手」、「奴隷」と呼ばれる恥辱を甘受してまで、日米同盟を中心に韓国やインド、オーストラリアなどを引き入れ、中国を牽制しようとする戦略を練って緻密な外交を展開してきたが、トランプの関心が戦略よりは“商売と取引”にあるという根本的な限界は超えられなかった。トランプの12日間にわたるアジア歴訪が終われば、アジアで米国のソフトパワーと信頼は薄れ、各国政府は“米国以降”のアジアについて考えざるを得ないだろう。  

[社説]李明博元大統領、もう“真実の法廷”に立たなければならない時 : 社説・コラム : ハンギョレ

 李明博(イ・ミョンバク)元大統領が、自身に対する検察捜査と関連して最近側近に「国が過去に足をとられた」と話したという。李明博政府時代に軍サイバー司令部のオンライン世論操作活動を指示した疑いを受けているキム・グァンジン元国防長官に対する検察調査で、李元大統領が一部報告を受け指示した情況が明らかになり捜査網が狭まっており、これに強く反発したと解釈できる。しかし「真実の広場」に立たなければならない当事者がこうした反応を示すことは、国民から見れば到底許されない。

 今回のサイバー司令部捜査では、かなり具体的に李元大統領の関与があらわれた。キム・グァンジン元長官は検察の調査で「李元大統領にサイバー司令部の活動内容と人材増員について報告した」と述べたという。また「徹底的に私たちの側の人物を選ばなければならないという趣旨の『VIP(大統領)強調事項』が記録された文書も発見された。サイバー司令部コメント工作の上層部ラインが李元大統領だという端緒が確保されたわけだ。こうした情況であれば、ウォン・セフン元院長の国家情報院コメント事件にも李元大統領が関与した可能性がある。検察の捜査が李元大統領の喉元まで上がってきたということだ。

 李元大統領のダース実所有主疑惑も再び捜査対象に上がった。李元大統領の長兄イ・サンウン氏が代表を務めている自動車部品会社ダースに対しては、検察が先の捜査で李元大統領との関連性を確認していながら覆い隠したという疑惑が絶えず提起されてきた。検察はまた、国家情報院が大企業を圧迫し、保守団体を支援させた事件に対しても、李元大統領の介入有無を調べているという。

 このように多くの疑惑がますます具体化する状況では、もはや真実を避けることはできない。もう李元大統領をめぐる核心懸案に対して、白日の下に真実を解明するほかはない。そのようにして正義が生きていることを見せるのは当然のことだ。

 元大統領に対する検察の捜査が繰り返されるのは、国家としては不幸なことだ。また、現在の捜査が李元大統領にまで及ぶかは、現時点では速断し難い。ただ証拠と実定法の規定により進行されるのみだ。重要なことは、元大統領の刑事処罰の有無ではなく、過去10年間にわたり権力によって強行されてきた反憲法・反民主的行為の真相を逐一明らかにして国民の前に示すことだ。