アマゾンで調べてみると、山田篤美さんは本書でデビューしたあとは「黄金郷(エルドラド)伝説 スペインとイギリスの探険帝国主義」「真珠の世界史 富と野望の五千年」といった本を書いてゐる。非常に長い時間軸での文明の交流に関心がある方のようだ。
そういう著者の書いた本だから「ムガル美術の旅」もすごくスケールの大きな「旅」で、中世インドはもちろんのこと、源流をたどってスペインやローマまで移動する。楽しい。冒頭でムガル美術について次のように述べる。
文化面でも、優れた芸術センスを発揮して、タージ・マハルに代表される華やかなインド・イスラム文化を作り上げた。ムガル美術はイスラムの要素とヒンドゥーの要素が融合したとよく言われ、ムガル美術の中にヒンドゥーの影響を求めようとする学者は数多いけれど、私はイスラム文化の特質を最後まで引きずっていった美術だと思っている。それどころか、イスラム美術のもっとも魅力的な部分がもっともきれいな形で現れたのが、異教の地インドに咲いたムガル美術だったのではないだろうか。 6頁
私はムガル宮廷で誕生したカタックというダンスを学んでゐるのだが、カタックには「イスラム美術のもっとも魅力的な部分がもっともきれいな形で」あらわれてゐると思う。
北インドに元々あった舞踊形式が、ムガル宮廷に入ることによって、イスラム藝術の特徴である抽象性と様式美を獲得した。カタックの源流である北インドの舞踊はムガル帝国以前にすでに長い歴史をもってゐたが、イスラム藝術の影響を受ける、あるいは規制を受けるなかで、イスラム的な要素が異様に発達した。私はそのように理解してゐる。
それは空間的には幾何学模様の美しさと回転の多彩さであり、時間的には細緻なリズム分割およびその反復による複雑な構成である。もちろん抽象表現は他のインド舞踊にも存在する。しかし、カタックは明らかに突出してその方面に進化し、洗練されてゐる。
そもそもほぼずっと直立した状態で踊るのはインド舞踊のなかでカタックだけである。他のものは膝を曲げたり腰を落としたりするものだ。概して西から東を移動するにつれて重心は低くなる。カタックの直立姿勢は明らかに中央アジアや中東の身体感覚との共鳴を示してゐる。直立してゐなければ、連続して高速でターンすることができないし、また足で細かく早いリズムを刻むことができない。
☟などは非常にわかりやすい。
ハーモニウムが16拍で一巡する大きなメロディーを反復してゐる。ダンサーはこの16拍のなかで自由にリズムを分割する。どれだけ面白く分割するかという遊びである。様々なリズムパタンを聞く、見ることになるので、途中で頭がふわふわしてくる。そのふわふわした感じがキモチイイ。ときどき拍の頭の「ター」で総括がなされ、決めポーズがくる。ここにカタルシスがある。
形にもリズムにもまったく意味がない抽象舞踊。形は美しく、リズムは楽しい。嗚呼、そして、なんて気持ちのいいターンだろう。
カタックを紹介する文章を構想中である。まだだいぶ先になると思うが、ここに簡単に書いたようなイスラム藝術の影響による抽象表現の発達というところを強調して書きたい。異教徒に侵略統治されることによって生れた形の美しさとリズムの楽しさについて書きたい。