手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「福翁自伝」福沢諭吉

福翁自伝福沢諭吉 岩波文庫

それからまた、一度やった後で怖いと思ったのは、人をだまして河豚を食わせた事だ。

長い事更新してゐなかったのにあまりに面白いのでつい手が動いてしまった。新しい時代をつくる人物というのはこれくらい猛烈で知的で行動的で破天荒なものかと感慨を得た。

あまりに激しいのでいまの世であればさっそく弾かれてゐるかと思う。

当時においてはその種の若者がたくさん私塾に集まり、刺激し合い、盛んに活動してゐたのである。それを許す時代であった。

というのは無論良くも悪くもであり、良く言えば自由闊達の気風があり世間もヘンテコな奴らをあまり気にしなかった。悪く言えば秩序の大転換を迫られた混乱期でテロやら暗殺やらが珍しくなかったのだ。

親爺に代って豚を殺す。

こっちはさすがに生理学者で、動物を殺すに窒息させればわけはないということを知っている。幸いその牛屋は河岸端であるから、そこへ連れて行って、四足を縛って水に突っ込んですぐに殺した。そこでお礼として豚の頭を貰って来て、奥から鉈を借りて来て、まず解剖的に脳だの眼だのよくよく調べて、散々いじくった跡を煮て食ったことがある。これは牛屋の主人からえたのように見込まれたのでしょう。 67頁

祈願の封書を勝手に開ける。

その築地の入口の角に地蔵様か金毘羅様か知らん小さな堂がある。なかなか繁昌の様子で、そこに色々な額が上げてある。あるいは男女の拝んでいるところが画いてある、何か封書が額に貼り付けてある、または髻が切って結い付けてある。それを昼のうちに見ておいて、夜になるとその封書や髻のあるのを引っさらえて塾に持って帰って開封してみると、種々様々の願が掛けてあるから面白い。

「ハハアこれは博奕を打った奴がやめるというのか。これは禁酒だ。これは難船に助かったお礼。こっちのは女狂にこりごりした奴だ。それは何歳の娘が妙なことを念じている」

などと、ただそれを見るのが面白くて毎度やったことだが、兎に角に人の一心を籠めた祈願を無茶苦茶にするとは罪の深いことだ。無神無仏蘭学生に会っては仕方がない。 71頁

ひとをだましてフグを食わせる。

それからまた、一度やった後で怖いと思ったのは、人をだまして河豚を食わせた事だ。私は大阪にいるときさっさと河豚も食えば河豚の肝も食っていた。あるとき芸州仁方から来ていた書生三刀元寛という男に「鯛の味噌漬を貰って来たが食わぬか」と言うと、「有難い、なるほどいい味がする」と、悦んで食ってしまって二時間ばかり経ってから、

「イヤ可哀そうに、いま食ったのは鯛でも何でもない、中津屋敷で貰った河豚の味噌漬だ。食物の消化時間はたいてい知っているだろう、いま吐剤を飲んでも無益だ。河豚の毒が嘔かれるなら嘔いてみろ」と言ったら、三刀も医者のことだからよくわかっている。サア気をもんで、私にむしゃぶりつくように腹を立てたが、私も後になって余り洒落に念が入りすぎたと思って心配した。随分間違いの生じ易い話だから。 74-75頁

塾には枕がない。

ふと思いついた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、ときは何時でも構わぬ、ほとんど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、しきりに書を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば、机の上に突っ伏して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない、その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はないはずだ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。 80頁

苦学する動機。

これを一言すればーー西洋日進の書を読むことは日本国中の人に出来ないことだ、自分たちの仲間に限ってこんなことが出来る、貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活潑高尚なることは王侯貴族も眼下に見下すという気位で、ただむつかしければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる。たとえばこの薬は何に効くか知らぬけれども、自分たちよりほかにこんな苦い薬を能く呑む者はなかろうという見識で、病の在るところも問わずに、ただ苦ければもっと呑んでやるというくらいの血気であったに違いない。 92-93頁

上野戦争のさなか経済を講釈。

明治元年の五月、上野に大戦争が始まって、その前後は江戸市中の芝居も寄席も見世物も料理茶屋も皆休んでしまって、八百八町は真の闇、何が何やらわからないほどの混乱なれども、私はその戦争の日も塾の課業をやめない。上野ではどんどん鉄砲を打っている、けれども上野と新銀座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済の講釈をしていました。だいぶん騒々しい様子だが煙でも見えるかというので、生徒らは面白がってハシゴに登って屋根の上から見物をする。何でも昼から暮れ過ぎまでの戦争でしたが、こっちに関係がなければ怖いこともない。 202頁

でかしてみたい三ヵ条。

されば私は自身の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快なおとばかりであるが、さて人間の欲には際限のないもので、不平を言わすればマダマダいくらもある。外国交際または内国の憲法政治などについて、それこれと言う議論は政治家のこととして差し置き、私の生涯のうちにでかしてみたいと思うところは、

全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥づかしくないようにすることと、仏法にても耶蘇教にてもいづれにてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすることと、大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすることと、およそこの三ヵ条です。

人は老しても無病なる限りはただ安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身にかなうだけの力を尽す積りです。 317頁

これが自伝最後の段落。わたしが興味深いと思ったのは、余生を捧げる三ヵ条のひとつに仏教でもキリスト教でもいいからこれを引き立てて民心を和らげるのを挙げてゐること。

青春期には神も仏も信じずに他人の願掛けを勝手にあばいて楽しんでゐた福沢が、特定の宗教を引き立てることを主張してゐる。心を安らかに保つためには宗教が必要であると考えてゐたわけだ。

同意する。