手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

クリシュナ十話

ラーダとクリシュナの邂逅
Member of the first generation after Nainsukh, Public domain, via Wikimedia Commons

クリシュナ(Krishna)ノート を書いてゐる途中、クリシュナにまつわる小話をまとめる段になった。Top 10 Childhood Stories of Lord Krishna for Kids | Bedtime Stories がいい記事なのでこれをそのまま翻訳しようと考えた。おかしなことにタイトルには十の物語とあるが実際には八しかない。クリシュナの出生には八という数字が関係してゐるからそれに合わせたのかもしれない。

翻訳してゐるうちに楽しくなって、分量も増えたので、それだけを独立した記事にすることにした。「クリシュナ十話」というタイトルを思いついた。十の話には二足りない。それで九・十番目として、「バターを盗む話」と「牧女の服を奪う話」を追加した。このふたつは有名だから入ってゐるべきである。参考にしたのは主として 5 stories from Krishna’s childhood you can narrate to your kids at bedtime と Krishna and Gopis Story: Stories with Moral in English | Interesting Stories for Kids

クリシュナ物語は出典によって細部にさまざまな差異がある。上記記事もひとつの語られ方に過ぎない。教科書的には「バーガヴァタ・プラーナ」が最も正統なクリシュナ伝説と言えるかも知れないが、様々なヴァリエーションが生成され続けてゐることが生命力のあかしだろうし、そこにこそ民衆の想像力と生命力が宿るだろう。

翻訳は必ずしも逐語訳ではない。勝手に足したり引いたりしたところもある。訳してゐるうちにそういうことをしてもいいような気がしてきたから。クリシュナの最大の魅力は気ままで、いたづらな、遊び心である。この遊び心こそが、二千年以上もインド人がクリシュナを愛して倦まないゆえんであると、わたしは翻訳の過程で気づき、迂闊にも、感染してしまったらしい。

クリシュナ十話

クリシュナはヴィシュヌの化身です。ヴィシュヌは全宇宙をわづか三歩で闊歩してしまう巨大な神様で、四本の手にはチャクラ(円盤状の武器)、法螺貝、棍棒、蓮花を持ち、霊鳥ガルーダに乗ってどこへでも飛んでゆく。仕事のないときは大海の蛇王(シェーシャ)の上で眠ってゐる。

宇宙は永遠とも言えるような途方もない時間のなかで生成と消滅を繰り返してゐます。ヴィシュヌの仕事はその間の秩序を維持すること。ヴィシュヌは亀や魚などのいきものから、ラーマ王や聖人ブッダまで、さまざまな存在に化身して、悪魔に苦しめられてゐる生類を救います。ヴィシュヌの八番目の化身がクリシュナです。

地上を支配する王たちの暴虐に、大地の女神はいよいよ耐えられなくなりました。女神は宇宙の創造者であるブラフマーに助けを求めた。ブラフマーはヴィシュヌに祈り、彼の介入を請いました。ヴィシュヌはブラフマーの願いを容れ、人間世界に転生して人類と大地を暴君から解放することを約束しました。

クリシュナの誕生

いまを遡ること五千年前、マトゥラーという王国がありました(この都市は現在もウッタル・プラデーシュ州にあり、巡礼者と旅行者にとって最も有名な目的地のひとつです)。マトゥラーを治めるのは慈悲深い王・ウグラセーナ。ウグラセーナにはふたりの子がゐました。名をカンサとデーヴァキーと言います。

カンサは独裁的で悪辣な支配者でした。彼は父・ウグラセーナの王位を奪おうと企て、父をとらえて地下牢に閉ぢ込めてしまった。ヤドゥ族が支配する隣の王国へいくさを仕掛けることもしばしばです。カンサの治世を喜ぶ者はありません。ひとびとはウグラセーナの時代のように平和で静かな生活を送ることを願いました。

臣下の提案に従い、カンサは妹のデーヴァキーとヤーダヴァ族の王子・ヴァスデーヴァの結婚を認めました。妹がヤーダヴァ族の王子と結婚すれば、自分がヤーダヴァ国の実質的な支配者になれると考えたのです。婚礼の日にはマトゥラーの街全体が飾られ、壮大な挙式が行われました。

式が終わり、カンサは結婚したふたりを馬車に乗せ宮廷に向かいました。カンサは到着を目前にして、神の聲を聞きます。「カンサ、妹とヤーダヴァ族の王子の結婚によってお前の時代は残りわづかとなった。デーヴァキーとヴァスデーヴァの八番目の息子がお前を殺し、暴政を終わらせるだろう。」

カンサはこの予言に戦慄しました。同時に怒り心頭に発し、やにわに剣を抜いたかと思うと、殺意をもってデーヴァキーに向かいました。デーヴァキーが死ねば息子は生まれるはずもありません。ことを察したヴァスデーヴァは膝を屈しカンサに慈悲を乞います。「息子が生まれたらそのたびにこの手であなたに差し出します。あなたは赤子を殺せばよい。そうすれば予言の成就はあり得ません。」

カンサの怒りは鎮まり、剣をおさめました。しかし裏切りを怖れ、デーヴァキーとヴァスデーヴァを地下牢に幽閉し、厳しく見張るよう部下に命じました。ふたりの間に子供が生まれると、カンサは牢を訪れ、子供の頭を壁に叩きつけて殺しました。

幽閉から八年が経ちました。カンサはすでに七人の子供を殺してゐました。そして九年目、デーヴァキーの腹には八番目の子が宿ってゐます。彼女はひどく憂鬱で、惨めな思いを噛みしめながら牢にゐる。カンサはカンサで予言の成就を怖れてゐる。

その夜はいつもと違ってゐました。すべてをなぎ倒すような激しい風雨が襲ゐました。いつもは静寂をたたえる聖なるヤムナー川が今夜は荒れ狂うようです。堤防が決壊し、川が海のように見えます。

零時ちょうど、デーヴァキーはついに八番目の息子を産みました。その瞬間、牢屋は明るい光で満たされました。まるで暗い部屋に千もの息子たちがいちどきに降臨したかのようです。ヴァスデーヴァはその輝きのために目を醒ました。

彼は妻が深い眠りに落ち、小さな赤子が横にゐるのを目にしました。そこでヴァスデーヴァは神の聲を聞きました。「ヴァスデーヴァ、立ちなさい。新しい息子をお前の友人、ゴーパ族の長・ナンダのゐるゴークラ村へ連れてゆき、彼の家に預けなさい。そこなら安全だ。」

聲は続きます。「今夜、ナンダの妻・ヤショーダもまた娘を産むだろう。彼らに気づかれないように、お前の息子と彼らの娘を交換しなさい。お前は彼らの娘を育て、彼らはお前の息子を育てるのだ。」

聲が終わると光も消え、牢が再び闇に戾りました。ヴァスデーヴァは小さな男の子を一度しっかりと抱きしめました。それから籠に入れ、誰にも気づかれずに地下牢から脱出する方法を考え始めました。と、前触れもなく鉄の扉が開きました。

見張りたちはみな呪文にでもかかったように眠ってゐます。ヴァスデーヴァは籠を頭に乗せて地上に上がり、ゴークラ村へ向かいました。ヤムナー川の土手まで来ると、ヴァスデーヴァは川が豪雨のために膨れ上がり、海のようになってゐるのを発見しました。

ほかにすべはありません。彼は歩いて川を渡ることにしました。うまくやらなければ息子もろとも大きな波に呑まれてしまいます。牢を出る前に雨から守るために布で籠を覆っておきましたが、ちいさな布は弱まる気配のない雨を防ぐにはおよそ効のないものに感じられます。

渡り始めると、双頭の蛇がふたりの方へ近づいてきました。ヴァスデーヴァは恐怖を感じましたが足を止めません。すると蛇は雨を防げるよう頭部の拡がりでヴァスデーヴァと籠をすっぽり覆いました。この蛇こそはアーディー・アナント・シェーシャ(第一の、永遠の、竜王)です。

(ヴュシュヌ神はアーディー・アナント・シェーシャの上で眠ります。アーディーは始まり、アナントは終わりない、そしてシェーシャは残ったもの、を意味する。シェーシャは宇宙の始まり以前から存在し、すべてが消滅したあとにも残るとされます。アーディー・シェーシャはまた人間に化身してクリシュナに従います。弟・バララーマとして。

ヤムナー川を渡るヴァスデーヴァ
Master at the Court of Mankot, possibly Meju, Public domain, via Wikimedia Commons

ヴァスデーヴァは首尾よく川をわたりゴークラ村にたどりつきました。彼はまっすぐに友人・ナンダ王の家へ向かいました。戸は開いてゐます。居間に入ると、ナンダとヤショーダが眠ってゐる。赤ん坊はまるで彼を待ってゐたかのように、ヤショーダの横で起きてゐました。

ヴァスデーヴァは息子に口づけしてさよならを言い、ヤショーダの娘と取り換えました。そうして振り返りもせずナンダの家を後にしました。ヴァスデーヴァは自分の魂の一部と別れたように感じました。彼はそそくさと地下牢への道を帰ります。途中、ふたたびアーディー・シェーシャが絶え間ない雷雨からヴァスデーヴァを守りました。

牢に戾って女児をデーヴァキーのそばに置くと、赤子は大きな泣き聲をあげました。それを聞いて牢の見張りは目を醒ましました。予言とは異なり女の子です。彼らはすぐさまカンサを呼びに行きました。カンサは地下牢へ急ぎます。予言は八番目の子が自身の死の原因となることを告げた。男であろうと女であろうとその子を消さねばならない。カンサはいきり立ってゐます。

カンサが到着しました。デーヴァキーは懇願します。「兄さん、どうか我が子にお慈悲を。この子は女です。男ではない。あなたはなにも怖れることはない。予言はまちがいだったのです。この子を助けてください。」

カンサの気持ちは変わりません。彼は赤子をデーヴァキーから取り上げると、思い切り壁に投げつけました。ところが赤子は壁には当たらず、宙に浮かび、八本の手をもつ女神に変身しました。八本の手をもつ女神とは、ライオンにまたがりそれぞれの腕に異なる武器を持つ、ドゥルガーです。

カンサはおののきました。対照的にデーヴァキーとヴァスデーヴァは尊崇と服従の念をもって女神を見つめてゐます。ドゥルガーにはまばゆい後光がさしてゐる。この夜二度目の光が牢を満たしたのです。

ドゥルガーは叫びました。「カンサよ、お前に死をもたらす者が誕生した。その子は安全な場所にゐる。いつの日かお前を訪れ、罰するだろう。今日よりさきお前に安寧の日はない。避けられぬ死を思いつづけよ。わたしがここでお前を殺すこともできる。しかし、お前は定められたときを待たねばならない。」

語り終わると女神は姿を消しました。カンサはひとり沈思します。「わたしを殺すであろう男児はおそらく、ここで殺されるのを怖れて別の場所に生まれたのだ。つまり、予言は形を変えた。」

男児が自分の牢に生まれてゐれば必ず殺すことが出来たであろうという確信がカンサにはありました。カンサはデーヴァキーとヴァスデーヴァを解放して別々の場所に住まわせることにしました。しばらくして、ヴァスデーヴァはデーヴァキーにその夜起こったことを話しました。デーヴァキーは息子が、たとえ遠くにゐるとしても、無事であることを知り安堵しました。

さて、いっぽうのゴークラ村では祭りが行われてゐます。男の子を祝福するために村ぢゅうのひとがナンダの家を訪れました。ナンダとヤショーダはその子をクリシュナと名付けました。クリシュナの瞳は不思議な輝きをたたえ、決して泣かず、いつも静かに微笑んでゐる。クリシュナのそばにくると誰もが心の平穏を感じることができます。

このように、クリシュナは生まれた。クリシュナの幼少期はひとなみではありません。これからさまざまな危機が襲い掛かるでしょう。

クリシュナを抱くヤショーダ
Raja Ravi Varma, Public domain, via Wikimedia Commons

クリシュナとプータナー

かくしてクリシュナはカンサの魔の手から逃れることが出来ました。カンサはもちろん諦めてはゐません。予言によればいつかクリシュナがカンサを殺すでしょう。とすればカンサはクリシュナを殺さねばなりません。しかしカンサはクリシュナがどこにゐるか知らない。そこでカンサは怖ろしい羅刹女・プータナーにクリシュナ殺しを依頼することにしました。

プータナーは森の奥の洞窟に暮らしてゐます。カンサが洞窟に来たとき、プータナーは黒魔術を営んでゐました。ざんばら髪、長く巻かれた爪、大きな歯が口から飛び出し、舌は血のように紅い。動物の毛皮をまとったプータナーは成体のラクダのように巨大です。

カンサの来訪に彼女は礼を以って応じました。カンサは予言とクリシュナの逃亡について語り、クリシュナの正確な居場所が分からないことを伝えました。いっそのこと王国で十日以内に生まれたすべての子供を殺してもかまわない。無慈悲なカンサはそう言いました。

冷酷なプータナーは喜んでうけがいました。王国を公然と恐怖させてよいという誘いに彼女は興奮しました。領地に住む者みな怖れおののくに違いない。名を聞いただけで震え上がるだろう。想像するとプータナーは嬉しくてたまりません。カンサはそこでひとつの注意を与えました。クリシュナはただの人間ではない、ヴィシュヌの化身であると。

プータナーはすぐさま仕事に取り掛かりました。王国の赤子を次々と殺し始めたのです。勢いに乗じて隣国の子供まで殺す無道ぶり。苦も無く家に入ると、親が寝てゐるか家事で忙しいのを見計って赤子を連れ去ります。親が野仕事に出てゐる隙をついて幼児をさらいます。マトゥラーと隣国のひとびとは子供たちを次々と失い、悲しみにくれました。

やがてプータナーはクリシュナが暮らす村にたどり着きました。誰にも気づかれないよう日が沈むのを待ってから彼女は村に入りました。いたるところからヤショーダとナンダに生まれた子の話が聞こえて来ます。どうやらみな幼児の神々しい姿に魅了されてゐるらしい。プータナーはその子こそが長く捜し求めてきた獲物であることを了解しました。彼女は村の外で夜を越し、明朝クリシュナの家に行こうと算段しました。

プータナーはさまざまな魔術をあやつる悪魔です。怖ろしい姿を見られては村人の攻撃を受けるかも知れません。それを避けるためにプータナーは美しい娘に化けることにしました。そして蛇の猛毒を乳首に塗りました。

彼女が村に入ると、美しい乙女の登場に村人たちは目を奪われ、ヤショーダの息子を祝福するために女神が天上から降りてきたのだと考えました。プータナーがナンダの家を尋ねると、すっかり騙された村人はあっさりその場所を教えてしまいました。

プータナーはナンダの家に侵入しました。クリシュナが揺り籠で眠ってゐます。ただの人間ではなく神の化身であることがプータナーには一目で分かりました。彼女はカンサの忠告を慎重に反芻しました。クリシュナは部屋の中で女達に囲まれてゐます。プータナーは自己紹介をして、クリシュナに自分の乳を与えたいとヤショーダに伝えました。ヤショーダもまたその美しい娘を女神だと思い、許しました。

プータナーはクリシュナを抱き上げて裏庭に出ると、胸を出し、クリシュナの口に乳首をふくませました。ほどなくしてクリシュナは生気を失うはず。ところが思いきや、反対にプータナーは自分の力を吸い取られてゐるような気がするのです。

驚いたプータナーは急いでクリシュナを引き離そうとします。けれどもクリシュナはしっかと抱き着いて離れない。プータナーはクリシュナを脅かそうと変身を解いて本当の姿に戾り、空高く飛び上がりました。それでもクリシュナはどこ吹く風という様子、やっぱり乳首を吸ってゐます。やがてすべての生気を吸い尽くされ、力を失ったプータナーはあえなく地上に落下しました。

村人たちは予期せぬ事態を恐怖とともに見てゐました。ヤショーダは我が子の身が心配でほとんど卒倒せんばかりでした。そろってプータナーが落ちてきた場所へ向かうと、果たしてクリシュナは無事でした。それどころか悪魔のからだに乗って楽しそうに遊んでさへゐるではありませんか。

このとき村人たちもまた、クリシュナが普通の人間ではなく神のような存在であることを悟ったのでした。

プータナーの生気を吸うクリシュナ
The Death of the Demoness Putana, Public domain, via Wikimedia Commons

クリシュナと果物売り

ある日のこと、クリシュナはヤショーダが牛の乳を撹拌してバターをつくる様子をそばに座って見てゐました。出来あがったらきっと食べさせてくれると思って楽しみに待ってゐる。クリシュナはバターが大好きなのです。

ヤショーダはクリシュナの考えが分かるので、我が子を愛おしく思いながら静かに微笑みを浮かべてゐます。こちらの気をそらせてバターに手をつけようといたづらをしかけてくるのを、ヤショーダは密かに楽しんでゐました。そのとき外から果物売りの聲が聞こえてきました。「マンゴー! 取れたてのマンゴー!」

新鮮で果汁たっぷりのマンゴーを売りに来たのです。クリシュナの父・ナンダは果物売りを呼び止めました。女は歩を止めて玄関にやって来る。そこでクリシュナは彼女が取れたての美味しそうなマンゴーをふた籠もってゐるのを目にしました。

果物売りが中に入ると家ぢゅうが熟れたマンゴーのいい香りで満たされました。家のものみな見事なマンゴーを見て嬉しい気持ちになりました。とりわけすでにお腹を空かせてゐたクリシュナにはたまりません(だって彼のすぐそばでバターをつくってゐるのです)。

その頃はまだ貨幣経済ではなく物々交換が行われてゐました。品物は小麦などの穀物と交換して手に入れます。ナンダはひと籠分の小麦を用意し、果物売りに尋ねました。「この小麦ひと籠とマンゴーひと籠を交換できるだろうか。」

果物売りは喜んで応じ、ひと籠分の小麦を受け取るとひと籠分のマンゴーをナンダに渡しました。「ほとんどのひとはこの量のマンゴーに対して籠半分の小麦しかくれません。あなたは実に太っ腹です。喜んで交換しましょう。」

クリシュナは父と果物売りが物と物を交換する様子を注意深く見てゐました。そして幼いながらにマンゴーが小麦と交換できることを理解しました。クリシュナは急いで穀物が保管してある部屋に向かいました。

そうして自分の手でつかめる限りの小麦をつかみ、一粒もこぼさないようにきつく握りしめると、果物売りのところに戾って手の中のものを見せました。彼女がクリシュナを意識して見たのはこのときが初めてでした。

彼女は途端にクリシュナの黒い眼と純真な笑顔、そして孔雀の羽で飾られた長く黒い巻き毛に魅せられてしまいました。世界全部がなくなってしまったように、クリシュナから視線を離すことが出来ません。

「ぼくにもマンゴーをくれない?」クリシュナは無垢な聲で言いながらにぎった小麦を彼女の手に移しました。小さな手にはほんの少しの小麦しかにぎられてゐませんでした。自分の手にあった小麦が意外にも少なかったことに気づくと、クリシュナはこれではマンゴーは手に入らないと思いしょんぼりしました。

果物売りは悲しそうなクリシュナの表情をあわれに思い、いくらもない小麦を自分の袋に入れると、クリシュナの腕いっぱいにマンゴーを持たせました。クリシュナの喜びようと言ったらまさに手の舞い足の踏む所を知らずです。そばで見てゐたナンダもヤショーダも幸せで胸がいっぱいになりました。

そのとき突然、ナンダからもらったひと籠分の小麦が籠いっぱいの金と宝石に変わりました。果物売りは目を疑いました。クリシュナの方を見ると、あいかわらず微笑みながらこちらを見つめてゐます。そのとき彼女もまた、自分がいま、あたりまえの人間ではない神そのものであるような存在と一緒にゐることを理解したのでした。

バターをねだるクリシュナ
Cleveland Museum of Art, CC0, via Wikimedia Commons

クリシュナとアリシュタスラ

カンサは次に悪神・アリシュタスラにクリシュナ殺しを依頼することにしました。

アリシュタスラはクリシュナを探すために雄牛に姿を変え、ヴリンダーヴァン村に向かいました。村に着くとたくさんの子供たちが遊んでゐます。アリシュタスラは、クリシュナを見つけるために大混乱を起こしてやろうと考えました。木々を根こそぎにして家々を破壊すれば村人は逃げ出すに違いない。そうなればクリシュナが自分に立ち向かってくるだろうと。

そのときクリシュナは牛と牛飼いたちとともに離れた場所にゐました。と、村から叫び聲が聞こえました。目を向けると野生の雄牛が暴れ廻ってゐます。クリシュナは仲間の制止を無視して暴れ牛の方へ走り出しました。近づくと、それがふつうの牛ではなく悪魔が化けてゐるのがクリシュナには分かりました。クリシュナは勢いよく雄牛の前に飛び出し、道をふさぎました。

「可愛らしいバケモノめ。お前は強さをひけらかすために、罪のない村人たちの質素な家を壊して廻る。まるで教育が足りてゐないと見える。ひとつ、わたしがしつけをしてやろうぢゃないか」そう言ってクリシュナはおおきな笑い聲をあげました。

アリシュタスラは嘲笑されて面白くありません。クリシュナの余裕たっぷりの態度がいかにも癪に障ります。雄牛はおおきく唸ると地面を強く蹴ってクリシュナに突進しました。尾を振り回すと雲が吹き飛んでしまうほどの物凄い風が起こり、村人も仲間たちも思わずのけぞりました。

ところがクリシュナは直立して動きません。雄牛が近づくと両手で二本の角をつかみ、突進をぴたりと止めてしまいました。それから十八歩後ろへ押し返してから脇へ投げ飛ばした。アリシュタスラはクリシュナの攻撃に唖然とするほかありません。バケモノは起き上がり、渾身の力でもう一度突進を試みます。

こんどはクリシュナは雄牛の片方の角をつかんで空高く放り投げる。落下した衝撃でバケモノの角は終れてしまいました。雄牛には立ち上がる力がもはや残ってゐません。口から大量の血が流れてゐる。悲痛な鳴き聲を残し、雄牛は死んでしまいました。

すると死体から魂が出てきて男のかたちになりました。クリシュナの前にこうべを垂れ

「わたしは別の生において名をヴァラタントゥと言った。ブラフマナスパティを訪れ弟子になりたいと申しました。ブラフマナスパティは受け入れてくださいました。ある日のこと、わたしは我知らず自分の足を師に向けて座ってゐました。師はそれを無礼で牛のふるまいのようだとお怒りになりました。そうしてわたしを雄牛の悪魔に変えました。わたしはすぐに謝罪し赦しを乞いました。怒りが鎮まると、ブラフマナスパティは、呪いを解くことは出来ないのでとうぶんのあいだ牛の姿で過ごさなくてはならないと言いました。しかし師はわたしに解脱の機会を与えてくださった。ここであなたに殺されるという、解脱の機会を。」

言い終わると、男はもう一度クリシュナに頭を下げて恭順の意を示し、跡形もなく消えてしまいました。

バケモノ牛を退治するクリシュナ
https://tamilandvedas.com/category/religion/, Public domain, via Wikimedia Commons

クリシュナとケシ

プータナーに続きアリシュタスラまで殺されてしまい、カンサはいよいよ不安です。この調子ではクリシュナが自分を殺すという予言が成就してしまうのではないか。甥であろうが関係ない、なんとしてもクリシュナを殺さねばならない。

アリシュタスラ殺しのあとに、ブラフマーの息子・ナーラダがカンサのもとへ行き、予言のたしかに真実であることを伝えました。ナーラダによればクリシュナは間もなくカンサを殺しにやってくる。ナーラダの宣告にカンサは俄然恐怖し、長毛の悪魔・ケシを呼びました。

ケシは並外れて巨大な力を持つ悪魔です。カンサはケシにヴリンダーヴァン村へ行ってクリシュナを殺すよう命じました。ケシは狂暴な暴れ馬に変身してヴリンダーヴァン村へ向かいます。ケシは思考の速度で移動することが出来る。ケシが駆けると大地に亀裂が走りました。

クリシュナはケシの来襲などつゆ知らず牛飼い仲間と遊びに夢中です。親友のひとりマドゥマンガラがクリシュナに言いました。「友よ、ヴリンダーヴァンの者はみなあなたを愛してゐる。誰もがラドゥー(インドのお菓子)を供しにあなたを訪れる。ひとつ頼みがある。髪に差した孔雀の羽を貸してもらえないだろうか。わたしも余沢に浴したいと思うのです。」

クリシュナは孔雀の羽を少しのあいだマドゥマンガラに貸すことにしました。マドゥマンガラは羽を身に着けると、喜んで村の方へ歩き出しました。そこへケシがやってきました。頭に孔雀の羽を差した少年がクリシュナのはず。

ケシはマドゥマンガラの姿を見てそれがクリシュナだと思い定め、躊躇なく襲い掛かりました。マドゥマンガラは助けを求めて叫びます。あわやケシの攻撃が当たろうかという刹那、クリシュナがあいだに入りました。怒ったケシは鋼のように硬い蹄でクリシュナを踏みつける。ところがクリシュナは頭上に下りてきたケシの足を手でつかんで逆に中空へ放り投げてしまいました。

ケシが落下すると大地が揺れました。鼻息荒く、起き上がってもう一度襲い掛かります。クリシュナは再び返り討ちにします。それが何度も繰り返され、その度にケシの傷ばかりが増えました。もう力が残ってゐません。追い詰められたケシは最後の手段、クリシュナを丸のみにしてやろうと大きく口を開いて突進を開始しました。

そこでクリシュナは両腕をケシの口に突き刺すと、一気に腹のあたりまで押し込みました。そして腹の中で腕を大きく拡げましたから、悪魔はもう息が出来ません。ケシの運命はここに尽きました。巨体が地に倒れた。口から魂が出てきてひとの形をとり、次のように言いました。

最高神クリシュナ。わたしの名はクムダ。かつてインドラに随い、インドラの傘を持ってゐた。インドラはヴリトラスラを殺したあと、その罪を贖うために、馬を生贄に捧げる儀式を行うことにした。馬は凄まじい力を持ち、至高の速度で走ることが出来た。わたしはどうしてもその馬に乗ってみたくなり、盗んで冥界に連れて行った。しかし途中でインドラの従者に捕まり、彼の前に突き出されました。インドラはわたしに呪いをかけ馬の身体の悪魔にした。ああ、しかしクリシュナよ、今日、あなたはその呪いを解いてくださった。感謝します。」

言い終えたクムダの魂は天界へと旅立ちました。

ケシを殺すクリシュナ
Krishna Killing the Horse Demon Keshi, Public domain, via The Met

クリシュナ、カーリヤ竜を手なづける

ラマナカという島にカーリヤという怖ろしい毒をもつ多頭の竜が住んでゐました。カーリヤはガルーダ(ヴィシュヌが乗る神鳥であり邪蛇たちの天敵)から逃れるために島を離れ、家族とともにヴリンダーヴァンを流れるヤムナー川のほとりに暮らすようになりました。ガルーダはかつて聖仙の呪いを受けヴリンダーヴァンでの死を予告されてゐました。カーリヤはそのこと知ってゐたのです。

カーリヤの猛毒は凄まじく、ヤムナー川は湧きたち泡だち、それがために黒く変色しました。だから村人とたちは川に近づくことが出来なくなりました。

ある日のこと、クリシュナは仲間とヤムナー川の岸でボール遊びをしてゐました。カーリヤの住処のそばです。もののはずみでボールが転がり川に落ちてしまった。ボールを追って川に飛び込もうとするクリシュナを、仲間たちは恐ろしい蛇がゐると言って止めました。けれどもクリシュナは制止を無視して川に入ってしまいました。

大勢の村人が心配して様子を見に来ましたが、毒を怖れて誰も川に入ろうとはしません。しばらくすると川の中からカーリヤが現れクリシュナに襲い掛かりました。カーリヤは牙を突き立てようとしましたがクリシュナは俊敏に身をかわします。牙は空を切り、水面を打つ。

怒ったカーリヤはクリシュナに巻きつくと、川深くに引きずり込みました。しかしクリシュナは神力をつかって巨大化し、巻きつきをたやすくほどいてしまいました。カーリヤは体力を消耗してゐる。そこへクリシュナ、尾をつかんで水面へと引き上げ、カーリヤの頭を踏みつけた。

カーリヤは全宇宙が自分の頭に落ちてきたような物凄い重さをクリシュナの足に感じました。クリシュナは尾をにぎったまま、もう片方の手をフルートを吹き、カーリヤの上で踊り出しました。カーリヤはクリシュナの重さに耐えかね、大量の毒と血を吐きました。

それを見てゐたカーリヤの妻たちはクリシュナに慈悲を乞いました。カーリヤは自身の行いの誤りであったことを認めました。そしてクリシュナがただの子供ではなくヴィシュヌの化身であることを悟りました。

カーリヤは二度と誰にも危害を加えないことを誓い、クリシュナに赦しを乞いました。クリシュナは警告を与え、カーリヤを赦し、家族とともラマナカ島に戾るよう言いました。カーリヤはクリシュナの言に従い、二度とヴリンダーヴァンに近づくことはありませんでした。

カーリヤを懲らしめるクリシュナ、慈悲を乞う妻たち
Krishna Subduing Kaliya, Public domain, via The Met

クリシュナ、ゴーヴァルダナ山を持ち上げる

インドラは雨と雷を自在に操ることができる、すべての神を統べる王です。ふだんは天界のメル山に住み、そこで神々を差配してゐます。インドラには激しやすいという悪癖がありました。自分より力のない神や不死身でない生き物や悪魔たちの行いにふれ、ときに狂喜し、ときに激昂するのです。

またインドラは大酒飲みで、酔うとしばしば神々にもみなカルマ(業)のあることを忘れてしまう。インドラの物語は、人間はもちろんのこと、神々であっても、力に慎みがともなってゐなければむしろ有害であることを教えてくれます。

ヴリンダーヴァンの人々は農業と畜産によって自立して暮らしてゐました。ふさわしい時期に充分な雨が降ることが彼らの生活にはとても重要です。それゆえインドラは崇拝すべき神でした。旱魃の年には何か罪を犯したのだろうと考え、インドラを喜ばすために犠牲祭をおこない、供物を捧げました。

その年は雨がたくさん降りました。村ぢゅう緑のないところはありません。村人たちは村長のナンダと相談してインドラを祝福する感謝祭を催すことにしました。祭りの日、人々は早起きして家を清め、あちこちを花と灯りで飾りました。そのことを知らなかったクリシュナは、朝目覚めると、いたるところで祭りの飾りつけをしてゐるのを見て嬉しくなりました。

クリシュナは祭りの理由が雨を与えてくれるインドラへの服従と感謝であることを知って驚きました。クリシュナはみなを呼び寄せて、「雨を降らせるてゐるのはインドラではなくあのゴーヴァルダナ山だ。豊作は山の恩恵なのだから、インドラではなくゴーヴァルダナ山に感謝すべきだ。」と言いました。

村人は反対しました。インドラの性格を知ってゐますから、怒らせるようなふるまいは考えただけで怖ろしかったのです。その様子を見て、クリシュナは続けました。

「わたしたちが第一に考えるべきは大地と家畜に水を与えることです。水を含んだ雲がゴーヴァルダナ山に近づくと山にぶつかって雨を落とす。川と池が水で満たされる。その水がわたしたちの生活水となる。では、インドラとゴーヴァルダナ山と、生活維持のためにはどちらが大切でしょう。」

クリシュナに論理に抵抗できる者はゐませんでした。ナンダもしぶしぶ同意しました。ゴーヴァルダナ山を祝福する祭りに変更することになりました。ナンダはしかし、インドラがこれを不快に感じてヴリンダーヴァンの人々を罰するのではないかという懸念を捨てることが出来ませんでした。

ナンダの不安は的中しました。村人たちが自分ではなくゴーヴァルダナ山を祀ろうとしてゐるのを知り、インドラは怒り心頭です。ただの少年の思いつきからそうなったという事実がことに不愉快です。インドラはまだクリシュナがヴィシュヌの化身であることを知りません。インドラは雲を呼び集め、ヴリンダーヴァンに大洪水を起こすよう命じました。

ヴリンダーヴァンに大雨が降り始めました。雨脚はどんどん強くなる。やがて洪水となり村はきっと呑み込まれてしまうでしょう。村人たちは不安です。やはりクリシュナの提案を受けるべきではなかったのかもしれない。

彼らはナンダの家へ行き、クリシュナに助けを求めました。クリシュナには大雨がインドラの仕業であることが分かってゐます。クリシュナは村人に、このような危急の時にこそゴーヴァルダナ山が助けてくれるに違いないと言い、みなと連れだって偉大な山のふもとへ向かいました。

さてゴーヴァルダナ山に到着すると、クリシュナはやおら山の下に手を入れて山全体を持ち上げ、まるごと左の小指に乗せてきれいに平衡を取りました。そうして人々に荷物と家畜を連れてきてこの傘のしたに入るよう言いました。また村人たちの不安を鎮めるために、もう片方の手で笛を吹きました。聖なる音色に人々は憂いを忘れ、踊り出す者さへゐました。

その様子を見てインドラは驚愕しました。けれども傲慢の鼻はまだ折れてゐません。クリシュナと村人にもっとひどい仕打ちを与えないと気がおさまらない。そう、インドラはまだクリシュナのことをただの男の子だと思ってゐるのです!

雨は七日と七晩のあいだ続きました。その間ずっとクリシュナは山を小指で持ち上げてゐます。村人はクリシュナに休んでもらおうと山を支えるためのつっかえ棒を持って来ました。クリシュナは彼らの思いやりを嬉しく思い、静かに微笑みました。ところがクリシュナが指を離したとたん、用意した棒は山の重さに耐えらえず折れてしまいました。そこで村人は考えを変え、クリシュナに山を離れずにゐるよう頼みました。

一部始終を見てゐたインドラは、ゴーヴァルダナ山を持ち上げてゐる少年が人間の男の子ではなく、ヴィシュヌの化身であることをついに理解しました。インドラは雲に雨を止めるよう命じ、五頭の象(アイラーヴァタ)を駆って天界から降りて来ました。そうしてクリシュナの前にひざまづき、自身の傲岸不遜のふるまいについて謝罪しました。クリシュナは赦しました。

ヴリンダーヴァンのひとたちはこの顚末にほとんど恍惚としながら家路についたということです。クリシュナが村に来て何年かが経過してゐましたが、神とともにある喜びをこれほど深く感じたことはなかったからです。

ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ
Wingedtree, CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>, via Wikimedia Commons

クリシュナ、泥を食べる

クリシュナがまだ小さい、歩き始めた年頃のはなしです。クリシュナは兄のバララーマとその友達と一緒に果樹園の果物を採って遊んでゐました。小さなクリシュナは彼らのように木に成った実に手が届かないので、地面の泥を丸めて口いっぱいに詰め込むのでした。

それを見た他の子がすぐにクリシュナの母・ヤショーダのところへ行き、クリシュナが泥を食べてゐることを伝えました。ヤショーダは駆けつけると本当かどうかを確かめようとしました。

しかし口を見せなさいと言ってもクリシュナは頑として口を開けようとしません。クリシュナは口の中を見せたら怒られるのが分かってゐるので、ぎゅっと口を閉ざしてゐます。ヤショーダは今度は少し厳しい調子で、口を開けるよう言いました。

仕方なく、クリシュナはしばらくヤショーダを見つめ、ゆっくり口を開けました。ヤショーダが覗き込むと、そこには全宇宙がーー地球も月も、星々も銀河も、動的なものも静的なものもーーそれらすべてがありました。ヤショーダは驚いて言葉を失いました。そして新たな敬意とともにクリシュナを優しく抱きしめたのでした。

クリシュナが口を開けると・・・
Rajasekhar1961, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

クリシュナ、バターを盗む

クリシュナはバターが大好物で、機会を見つけては母親や村の女たちからバターを盗んでこっそり食べてゐました。村の母親たちはそのことを知ってから、バターが盗まれないようさまざまな工夫をするようになりました。

例えばバターの入った壺を天井にくくりつけ、クリシュナと仲間たちが届かないようにするというのがそのひとつです。小さなクリシュナたちは手を伸ばしても力いっぱい飛んでも壺に手が届きません。そうなると盗む方でも考えて、屋根に登って天井の瓦を動かして壺を落としたり、何人かでひとのピラミッドを作り、それに乗って盗んだりしました。

このように、大人たちの工夫に対抗して、クリシュナと仲間たちもまた知恵を絞ってバターを盗むのです。どうしてもうまくいかないと、小石を投げて壺を割り、落ちて来たバターを口を大きく開いて食べるといった乱暴なこともやりました。

村の女たちは母親のヤショーダに訴えました。ヤショーダは謝り、クリシュナを叱るために紐で縛ることにしました。しかし紐の長さが足りません。そこで次々と紐を長くするのですが、その度にどうしても二指ほど短くなる。クリシュナは母が不思議がってゐるのを気の毒に思い、進んで縛られてあげることにしました。

果たしてヤショーダはクリシュナを臼に縛り付けることが出来ました。けれどもその程度ではクリシュナのいたづら心と並外れた力を抑えることは出来ません。クリシュナは縛られたまま臼を引きずって外に飛び出すと、友人たちを探しに森へ向かいました。

途中、二本の巨木に臼が引っかかって動けなくなりました。ところがこれもクリシュナがえいと力を入れると巨木は根こそぎに倒れてしまいました。この二本の木は聖仙ナーラダの呪いによって木に変えられてゐたナラクーバラとマニグリーヴァでした。クリシュナは図らずもふたりの神を助けたのでした。

クリシュナの手を縛るヤショーダ
Yashoda Binds Krishna’s Hands, Public domain, via The Met

クリシュナ、ゴーピーの服を奪う

青年となったクリシュナは女たちの愛情の対象となりました。特に秋の季節にクリシュナの吹く笛の音は村のゴーピー(牛飼女)たちを夢中にさせました。誰もがクリシュナの夫になりたいと願いましたが、クリシュナの方はあいかわらずのいたづら好きで、且つ移り気です。

青年クリシュナのいたづらは、いまやバターを盗んで食べるといった茶目っ気な子供らしいものではありません。女たちを恥ぢらわせまた喜ばせるような、豪胆で危ういものに変わってゐる。

ゴーピーたちはヤムナー川で沐浴するのを日課としてゐました。ある朝、服を脱ぎ身体を浄めたあと、遊びごころを起こして戯れはじめました。クリシュナと仲間たちは女たちが水遊びに夢中になってゐるのを見つけると、川岸に脱ぎ捨ててあった衣服を奪って木の上に登りました。

それに気づいたゴーピーたちは、なぜそのようなことをするかとなじります。クリシュナの返事は、「もちろん君たちを悦ばせ、そして悦んでゐる君たちを楽しむためにさ。さあ、一人づづでも、みんな一緒にでも、ここまで来てごらん。」

女たちはしぶしぶ恥部を手で隠しながら水から上がりました。一糸まとわぬ姿を見られてゐる羞恥心と、自分の羞恥心がクリシュナを楽しませてゐる悦びが、こころのうちでせめぎ合ってゐました。やがて後者が克つであろうことはクリシュナにも女たちにも分かってゐました。

クリシュナはゴーピーたちに自分に向かって手を合わせ頭を下げるよう求めました。女たちは言われたとおりクリシュナを礼拝しました。すると潮が引くように恥づかしさは消え、巨大な悦びで満たされました。クリシュナは静かな微笑みを浮かべ、それぞれに服を返してやりました。

ゴーピー(牧女)を恥づかしめるクリシュナ
Walters Art Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

感想

ぞろ目問題

クリシュナ(Krishna)ノート」に記したように、クリシュナは八という数字に縁付けて神話化されてゐる。クリシュナはデーヴァキーとヴァスデーヴァがカンサに幽閉された八年後、満月から新月へ向かう八日目に、ふたりの八番目の息子として、生まれた。そしてヴィシュヌの八番目の化身である。

八という数字そのものに何か意味があるわけではないだろう。重要なのは揃ってゐることだ。人間は意味から逃れることが出来ないから、同じ数字が次々出てくると、人知を超えたなにかの意志なのではないかと考えたりする。ここにも○○、あそこにも○○、、、、ということは! というやつ。いわゆるひとつのぞろ目問題である。

ぞろ目を利用して神秘性を演出する手法は古今通じて利用されてゐる。日本の物語では「竹取物語」がそうである。かぐや姫は身長三寸で生まれ、三か月で成人し、その祝いの宴会は三日間続き、名付けの親は三室戸斎部(みむろどいんべ)、帝と歌の遣り取りをするのは三年。見事な三づくしである。

(「トイレの花子さん」もそうだ。あれは校舎三階のトイレの三番目の戸を三度叩き、花子さんの名を呼ぶという結構になってゐる。)

思うに、異なる文脈に同じ数字が出てきたときに、人間の脳はそれらを強引にひとつの物語につなげようとする。ここに認知的跳躍が生じる。この跳躍が霊的次元との接続を予感させる、あるいはいまの言葉でいえば、スピリチュアルな感覚を呼び起こすのではあるまいか。

Naughty ということ

書物や記事を読んでゐてクリシュナの魅力をあらわす言葉として出てくるのは、なんと言っても「naughty」である。ヒンディー語にはよりふさわしい語感の言葉があるのだろうが、英語では断然「naughty」らしい。

「naughty」を辞書で引くと、いたづら、わんぱく、言うことを聞かない、が第一義として出てきて、二番目にはわいせつな、下品な、とある。なるほどクリシュナ物語を読んで受ける印象にぴったりである。いたづらでわんぱくで、ときにわいせつでさへあるようなクリシュナが、かわいい。

クリシュナはインドでいちばん人気のある神様と言われてゐる。神話はひとりの人間の創作物ではなく、民族の集合意識が数百年かけてつくりあげたものだ。とすると、クリシュナが体現する性質はインド人の人格形成のひとつの目標でもあれば欲望の対象でもあると言えるだろう。

むろんインド人もいろいろに決まってゐるわけだが、わたしのわづかなインド人との交際から推しても、たしかに彼らが「naughty」を愛し「naughty」であろうとしてゐるのを感じる。実際彼らが「naughty」であるときは非常にかわいいのである。

映画など見ても、しばしばわたしの理解を越えて「naughty」である。

ひとりの人間は全宇宙である

クリシュナ十話のうちでわたしが一番好きなのは「クリシュナ、泥を食べる」である。泥を食べるクリシュナ、口を開けなさいと言うヤショーダ、いやいやするクリシュナ。短い話を構成するすべての場面が日常的な愛嬌に満ちてゐて、眼前に浮かんでくるようだ。

クリシュナがついに口を開けるとそこには全宇宙がひろがってゐた。この話はアン・リー監督の映画「ライフ・オブ・パイ」でも冒頭で印象的に紹介されてゐる。映画の内容ともシンクロしてゐて、要は、ひとりの人間は全宇宙に匹敵するほどの内的世界をもってゐるということを教えてゐる。

この思想は民族や宗教を越えた普遍的真理のようにわたしには思える。ひとりの人間が全宇宙であると真に悟ることは、人間が目指すべき成熟のきわめて重要な階梯のひとつであろう。それをこのようにかわいらしく小さなお話として語るクリシュナ物語を、わたしは愛おしく感じる。

価値の顚倒

「クリシュナ、ゴーピーの服を奪う」はクリシュナのわいせつで下品な個性がよく出た話だ。水浴びをしてゐる女達の服を奪い、返して欲しかったら服従しろと言う。現代的な感覚から言えば犯罪的な「いたづら」である。しかしこれは昔の物語なのだから、いまの男女平等思想や政治的正しさから離れて、人間の欲望の本質を示した話として読むべきであろう。

この「いたづら」話が教えてゐるのは、『マクベス』の魔女が歌うところの「きれいは汚い、汚いはきれい」、すなわち価値の顚倒である。性愛においてはいちばん恥づかしいことがいちばんの快楽となる。いやなことを相手に強いたり、逆に強いられることを望んだりもする。価値が顚倒し、自他は融合する。

クリシュナはわざとゴーピーたちのいやがることをする。けれどその「いや」は本当の「いや」ではなく「いい」に転換する「いや」であるという了解が、すでにクリシュナとゴーピーたちの間にある。「いや」が「いい」に変わる快楽を最大化するために、両者はいわば、あえて演技をしてゐる。

いたづらされて、言うことを聞けと言われる。いやだ。けれど服従する。するとそこに快楽を見出してしまう。このような心理の機微は性愛のみならず、しばしば悪用されて、人間社会のいたるところに見い出されるものである。