手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「インド神話 マハーバーラタの神々」上村勝彦

インド神話 マハーバーラタの神々」上村勝彦 ちくま文庫 2003

インド神話は複雑だ。まづ紀元前1500年頃にインド亜大陸に侵入したアーリア人による「リグ・ヴェーダ」がある。そしてその背景となる神話が忘れられたところに、首尾一貫した物語を再構成するかたちで「ブラーフマナ」の神話が誕生した。

仏教やジャイナ教の興隆によってバラモン教はいちど衰えるが、土着の民間信仰を吸収してヒンドゥー教として復興する。これが現在にいたるまでインドの最大宗教の地位を保つ。

その代表的な文献がヴィヤーサ作とされる「マハーバーラタ」とヴァールミーキ作とされる「ラーマーヤナ」である。いづれも現在のかたちにまとまったのは5世紀頃と推定されてゐるが、原形の成立がはるか以前にさかのぼることは確実。

ヒンドゥー教はシヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマンの三位一体といわれるが、前二者が絶大な信仰の対象となり、主要二派をかたちづくってゐる。ブラフマンヴェーダ時代後期に興隆したウパニシャッド哲学の最高原理であり、一神教的な強い抽象度をもつゆえに、民衆の愛情の対象にはならなかったのだろう。

このような多層的な構造のなかでそれなりの整合性をとり一貫性をもたせるために、「AはBから生じた」「AはBの化身」という設定が異様に多い。ちょっと多すぎるのではという感じ。そこに独特のおかしみがある。無理やり感が実にチャーミングである。

全体をきれいに整理したかたちで理解しようとするとたぶん無理で、混乱するだけだと思う。インド人にまじってカタックを学んでゐて感じるのは、彼らだって全体を把握してゐるのではなく、そこから切り出され、比較的きれいまとまった、かつ面白い物語を偏愛してゐるということ。

カタックはヴィシュヌ派のクリシュナ信仰の影響が強いため、やはりクリシュナの話をよく聞く。ぼくもいつのまにかすっかりクリシュナファンになってしまった。本書でも最後の章でクリシュナ神話が集中的に紹介されてゐる。

赤ん坊のときから無茶苦茶な強さを発揮し、いくたびも悪魔が襲ってくるがそのたびに返り討ちにしてしまう(その残虐さ!)。大雨が降ると片手で山をもちあげて傘代りにする。牛飼い女が川で水浴びしてゐると彼女たちの服をうばって樹のうえに逃げ、恥ぢらう女の姿をみて楽しむ。

どのエピソードもおもわず微笑んでしまうようなチャームにあふれてゐる。かわいらしく、セクシーで、強い。これは推したくなる。

さて、このクリシュナはバラタ族の大戦争に参加した実在の人物なのだそうだ(紀元前7世紀以前とのこと)。興味深いことに、かれは新宗教創始者であった。彼の説いた宗教が勢力を拡大し、これをバラモン教が吸収したことで、クリシュナがヴィシュヌの化身とされるようになった。

危機の時代に新興宗教が生まれ、それを既存の宗教が吸収して権力の維持をはかる。時代がくだり、かつての新興宗教が民衆にもっとも愛されるようになった。

人間と、信仰と、権力について、考えさせられる。

(・・・)クリシュナはヤーダヴァ族の精神的指導者であり、新宗教創始者でもあった。それは、その神をバガヴァットと称し、主としてクシャトリヤ(王族)階級のために説かれた通俗的宗教で、実践的倫理を強調し、神に対する誠信の萌芽をも含んでいたと想像される。

 クリシュナはその死後、自ら説いた神と同一視されるにいたったようである。この新興宗教は次第に勢力を拡大したので、バラモン教の側もこれを吸収しようとして、バガヴァット(クリシュナ・ヴァースデーヴァ)を太陽神ヴィシュヌの一権化と認めた。やがて、ヴィシュヌが最高神の位置を確保するにおよび、クリシュナ・ヴァースデーヴァは一種族の最高神から向上してバラモン教の主神と同化した。その後さらにウパニシャッドにおける最高原理ブラフマンも、ヴィシュヌ・クリシュナの一面とみなし、バーガヴァタ派のバラモン教化は完成した。 295-296頁