キャプションに Riyaaz Video of Student of Avartan school of Kathak とある。Avartan school of Kathak はヌータン先生が主催してゐる舞踊教室の名前である。その生徒の Riyaaz 動画であるという。
Riyaaz(रियाज़)は練習という意味で教室でしばしば耳にする。例えば、ちょっとむづかしい振りを続けて三度繰り返した後に、息を切らした生徒たちに向かって先生が "This is waht Riyaaz is!!" 「Riyaaz とはこういうものだ」と言う。片仮名では「リヤーズ」でよいだろう。
ウィキペディアには Riyaz で項が立ってゐるが、デーヴァナーガリー文字の表記では रियाज़ であり、या は伸ばすアーだから Riyaaz の方がよいのではあるまいか。まあどちらでもよいのだが、ここではヌータン先生にしたがって、またラチナ・ラムヤ氏の「カタックー語り部たちのダンスー」にしたがい Riyaaz にしておいた。
以下、「カタックー語り部たちのダンスー」に解説が付されてゐるので翻訳する。
ムガル帝国の影響が北インドの音楽と舞踊におよぶにつれ、練習を意味するリヤーズ(riyaaz)という言葉が音楽家と舞踊家のあいだに普及した。riyaaz はアラビア語の riyazat(達成の過程という意味)から派生した語で、尊い知の泉を奥に秘めた聖なるこころの場所を、倦むことなく掘り続けることである。むろん深く掘らなければ水源には到達しない。そしてこの隠喩的な掘削には慎重さと専心が求められる。これに関して、インドの偉大なスーフィーのひとりであるハズラト・イナーヤト・ハーン(Hazrat Inayat Khan)は次のように述べてゐる。
掘るだけでは足りない。きっと愛と献身が、隠れた魂から力を引き出すことを助けてくれるだろう。誠実さ、感謝のこころ、寛大さ、そういったものが調和的な秩序をつくりわたしたちの人生を豊かにするのだ。しかし掘り進めた結果、泥にぶつかって意気がくじかれてしまうことがある。消沈し、不満に感じ、自己の探求をやめてしまうのだ。地下深くの水脈にわたしたちを連れていってくれるのは忍耐強い探求である。
第一段階は意志を固めること。これがダンサーの藝術旅程のはじまりである。第二段階は準備、これがリヤーズ(riyaaz)である。リヤーズすなわち練習は、集中し、意識を散乱させず、ある一事に照準して行なねばならない。内的な姿勢もまたリヤーズにおいては重要で、練習は練習にだけ奉仕し、そこから物理的な利益を得ようという考えがあってはいけない。このようなプロセスそのものがリヤーズの目的といえる。つまるところ、リヤーズには謙遜と忍耐がともなはねばならないのだ。 289-290頁
riyaaz はアラビア語に由来するというのは興味深い。カタックにはサンスクリット語はもちろんペルシア語起源の言葉が多くあり、この riyaaz はアラビア語であった。このように術語の由来をたづねてカタックの形成過程を想像するのはまことに楽しいことである。はるか昔の文明の交通に思いを馳せる。