手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「街とその不確かな壁」村上春樹

街とその不確かな壁村上春樹 2023 新潮社

やっと村上春樹の新作が読めた。いやあ、どうしよう、つまらなかった。時間が経つと印象が変わるかもしれないけれど、読み終えた直後の感想を書くと、これまででいちばん退屈な長篇だった。いや違う。退屈と感じた初めての作品だ。

村上の作品は長篇をすべて、中短篇は8割くらい、その他エッセイも半分くらい読んでゐる。長篇は「1Q84」がピークと思う。宗教団体の形成から変貌を描く筆致には感嘆したし、その教祖と鍼師(青豆)との対決の場面の緊張感は凄まじかった。

次の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は久しぶりにファンタジー要素が弱く、軽妙なミステリーのようで楽しかった。「騎士団長殺し」はまた異世界物で、スケールダウンの感は否めないが、免色さんというたまらなく気持ち悪い人物を造形した点において、嫌いになれない。

そして本作「街とその不確かな壁」は、村上エキスを10倍に稀釈した1200枚という印象。薄めすぎたカルピスを飲んでゐるようで頼りなかった。村上作品に親しんで来た者からすると、読んだことのある展開と台詞ばかりで、これどうするんだろうと不安な気持ちで読み進めた。

17歳のときの恋人が忘れられない40代半ばの男が30代半ばの女性にパスタをご馳走していいムードになり、抱擁すると17歳のときの恋人を思い出し勃起してしまい相手の女性に「なにを考えているの」と訊かれる。

 でもそれはいったん硬直してしまうと、意志とは裏腹になかなか元通りに落ち着いてはくれない。いくら綱を引っ張っても、言うことを聞いてくれない元気いっぱいの大型犬のように。

「ねえ、何を考えているの」と彼女が私の耳元で囁いた。 583頁

こういうの、まだ書きたいのだろうか。困惑した。過去作の翻案だから仕方ないのかもしれないが、にしても、内側から湧き出てくる物語りたい衝動みたいなものが、実はあまりない状態で、本当に技術的に書いたのではないだろうか。

技術的に綺麗にまとまってはゐるけれども、精神の緊張が感じられず、魅力的ではない。というのは、本作もあちら側の世界とこちら側の世界を行ったり来たりする話なのだけれど、あれとこれが繋がってゐて、これをこうするとああなってみたいな説明台詞が多くて、寓話感がないというか、ハルキワールドが陳腐化してゐるんだ。

「ええ、それを嚙んだのはぼくです。あちら側の世界であなたの右の耳たぶを嚙むことによって、ぼくはこうしてこの街に入ってこられたのです。そしてこちら側の世界で左側を嚙むことによって、あなたと一体化することができます」 620頁

とか。この台詞を言ってゐるのは図書館で出会うサヴァン症候群の少年。「街とその不確かな壁」は30代半ばの主人公が図書館長の仕事を幽霊館長から継承し、「夢読み」の能力をサヴァン症候群の少年に継承する。その継承の軸に入ることで17歳のときに恋人を失った喪失から恢復される(はず)という話。

で、思うに、この主人公はその継承関係に入るために特になにもしてゐない。主人公がする決断/行動はせいぜい会社を辞めて図書館長の職に応募することと、喫茶店を営む30代半ばの女性をデートに誘うことくらいのもので、継承(相手との関係構築)についてはすこぶる受動的だ。幽霊館長とサヴァンの少年がみんなお膳立てをしてくれる。

幽霊館長は「ああしなさい、こうしなさい」と言ってくれて、サヴァンの少年は「街の地図」の話を盗み聞きして、勝手に失踪してくれる。そして上に引用したような説明までしてくれる。その間、自分は10歳年下のバツイチ女性にパスタをご馳走して帰り際にホッペにチューしてもらえる。こういうのをご都合主義と言うのではないか。

で、ホッペにチューしてくれる喫茶店の女性、17歳のときの恋人を思い出して勃起した主人公に「ねえ、何を考えているの」と訊く女性は、名前も与えられず、ほったらかしのまま終ってしまう。「彼女を手に入れなくてはならない。なにがあろうと」くらいの決意を示すべきではないだろうか。可哀そうだよ。

なんかすごい批判してしまった。次回作に期待します。