どういうわけか学生時代以来に中国熱が再燃してゐる。今年に入って吉川幸次郎の本をいくつか読んで、どれも本当に面白く、冗談抜きで全集を揃えたいと思うくらいだ。読みたい本、学びたいことが多くて困る。能力にも時間にも限りがあるから。
「古典について」は主に江戸時代の儒者がいかによく中国のことを学んだかを語ってゐる。伊藤仁斎と荻生徂徠の論語解釈が画期的かつ先進的であったこと。彼らの方法論を日本の古典に応用したのが本居宣長であったこと。よく分かった。最高だ。
吉川幸次郎は「仁斎・徂徠・宣長」という本を書いてゐる。ぜひ読みたい。けれどそのまえに、やはり彼の「論語」を読まねばなるまい。
しかし江戸時代における中国系学問の盛行は、家康の政策、およびそれを継承した幕府の政策のみによるものでは、もとよりない。より大きな原因は、そのころの日本人が、人間いかに生きるべきかを、より真剣に考え出し、新しい価値の基準を求めて、それを中国の文明に見いだしたことにあるとしなければならぬ。 82頁
徂徠は、子不語怪力乱神という文章の、「語」の字に着目していう、「語」の字の本来の意味は、誨言、つまり教訓の言葉ということである。したがってこの条の意味も、孔子は、超自然的な事柄を、絶対にしゃべらなかったということではなく、弟子への教訓としては口にしなかったというにすぎない。何となれば、聖人もある意味では凡人である。気楽な茶ばなしとしては、おばけの話もしたに相違ない。聖人も何んぞ凡人に殊ならん。平日の閑談にも、何んぞ嘗つて一たびも之れに及ばざりしこと有らん。
ではなぜ、それらを「語しなかった」かといえば、怪異、勇力、悖乱の事は、先王の典の尚ぶ所に非ざる故に、以って「語」と為さなかったのであり、また鬼神の道は微妙にして、人に喩うる所以に非ざる故に、亦た以って「語」と為さなかったのである、云云。 139-140頁
ーー子曰く、民は由らしむ可し、知らしむ可からず。(泰伯)
儒家の政治説の独善性を示すものとして、よく問題になるこの章を、仁斎は次のように説く。君主は人民のためにその経由利用すべき文化施設を整備すべきだが、かくすることの恩恵を知れとおしつけてはならぬ。しかく恩にきせるのは、覇者の政であり、王者の政ではない、と。
仁斎のこの解釈は、徂徠がここぞと指摘するのを待つまでもなく、「論語」の解釈としては、誤解であると思われる。しかし「過ちを観て斯に仁を知る」という見方に立てば、仁斎の人がら、又その思想のあたたかさを知るには充分である。 142-143頁
また古人の「言」を知るためには、みずからも歌をよめという宣長の主張は、まったく閑却されていいものであろうか。創造の意欲を満足させんが為に歌を作る人はある。しかし自己の歴史認識を完成させんがために歌を作る人はない。鎌倉時代を研究しようとして、新古今風の歌をよみ試みる人があってもよさそうに私は思う。しかし私は、そういう人のあるのを耳にしない。文学の神に仕え、創造の意欲を満足させることも、人生を完成する道であろう。しかし自己の歴史認識を完成することも、一つの人生の道である。その道を生きぬくためには、文学くらい冒瀆してもいいではないか。 195-196頁