手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「本居宣長」吉川幸次郎

本居宣長吉川幸次郎 筑摩書房 1977

また雨が降り始めた。ちかごろ週末雨が多い。洗濯物が部屋干しになるので困る。犬の散歩ができないのもつらい。午後から錦糸町オリナスとかいう複合商業施設で映画を見る。それから靴と帽子を買う予定。だから朝のうちにいろいろと家事を済ませておかねばならない。洗濯機が止まりそうだ。炊き込みご飯のいい香りがしてきた。

炊き上がるまで吉川幸次郎本居宣長」のノートを取る。次は「仁斎・徂徠・宣長」「論語」である。これは図書館で借りるのでなく購入しようか。迷ってゐる。夏、誕生日に、どうか。夏、誕生日、と書いて、ああもう夏なのか、もう三十七歳なのかと思った。季節のめぐり、年を重ねることの、なんとはやいこと。逝者如斯夫、不舎晝夜。

鈴舎私淑言ー宣長のためにー

仮名という語の由来について。事物の名前を意味する「ナ」という言葉は古来「文字」をも意味したという説。

(・・・)私の気にかかるものがある。仮名という日本語の由来についての宣長の説明である。事がらは、国語史の大きな問題に関係しそうであって、以下私のいうところは、穿鑿にすぎた思いすごしであるという不安を、私自身甚だもつが、またそれだけに、臆測をあえて書きとめておきたい衝動を、はらいのけにくい。

古事記伝」一之巻、総論の「文体(カキザマ)の事」において、宣長は「古事記」の表記も、原則としては「漢文の格(ママ)」であるけれども、歌のみは「此間(ココ)の語のまゝ」に、漢字の音を利用した仮名で表記されているのをのべたうえ、仮名という語の由来を、次のように説明する。

 仮名とは加理那なり、其字の義(ココロ)をばとらずてたゞ音のみを仮て、桜を佐久羅、雪を由伎と書くたぐひなり、那は字といふことなり、字を古へ名といへり、

 私がきにかかるというのは、右の引用のさいごの句、「字を古へ名といへり」である。

 もともと、事物の名称としてある言語、つまり単語を意味したナという単語が、古代では単語の表記である文字に対しても用いられた。それゆえに、音声のみを借りた漢字が、仮字(カナ)といわれるのだというのが、宣長の論証であるが、論証の前提となるところの、古代日本語では、文字をも名(ナ)といったということ、それについての実証は提示されていない。実証を提示しなくともよいほど周知の事実であり、したがって宣長以前からも、学者の常識であったのだろうかと、二三の人にうかがって見たが、どうもそうでもないらしい。 71-72頁

これは面白い。ドキリとした。これまで日本文字といったら仮名であるというのを当り前におもってゐて、なぜ文字が名と呼ばれるかを考えたことがなかった。宣長によれば「字を古へ名といへり」なのだが、その実証はなされてゐない。

ちなみに岩波古語辞典で「な(名)」を引くと、④に「字」とあり以下のごとく説く。

古代社会では、名は実体と区別され難かったので、みだりに自分の名を他人に教えなった、女が男に名と家を告げることは結婚の承諾を意味した。また、ナが文字という意を持つのも、文字と物の名称とが区別され難かったことを示している。

さて吉川の「臆測」はどのようなものか。吉川は、古代日本語で文字をナといった実証について二三の人に訊き、日本書紀に「字」の字にナという訓を与えたところが二箇所あると教えられたことを記したうえで、次のように書く。

 かく「書記」には、「字」の字がナと訓ぜられている場合がある。それは文字の意味であるに相違なく、それが「字を古へ名といへり」という宣長の、頭にうかんだ実証の一つであることは、たしかであろう。

 しかしそのときの宣長の頭には、また別のものがうかんだのではないか、というのが、私の臆測である。

 すなわち中国の古代語でも、後世ならば「字」というべきところを、「名」といっている例があることである、しかもそれはある時期の中国の古典では、大へん有名な事柄となり、古曰名、今日字、古は名と曰い、今は字と曰う、という六字が、古典学者の口ぐせとなっていた。宣長がそれをも連想したということは、なかったか。むろん事がらは、漢以後の中国語では字、今の大陸の表記では zi というべき場合を、中国の古代語では、名、ming ということがあったというにすぎず、あくまでも漢語の世界のことであって、皇国言(ミクニコト)の世界のことではない。しかし、「字を古へ名といへり」という断定的な語気は、異国語におけるこの相似への連想が、何ほどか作用していないか。 73-74頁

吉川は、「古曰名、今日字」は漢の鄭玄の語であると述べ、次々と実例を挙げてゆく。例えば論語の有名な文句「必ずや名を正さんか」。

(・・・)「論語」、その「子路」第十三、弟子の子路正字の要諦を問うたのに対し、孔子は、

 必也正名乎、

 必ずや名を正さん乎、

 と答え、ほれその通り先生は迂闊だ、「是れ有るかな子の迂なるや」と、子路がいうと、何という野蛮なやつだおまえは、「野なるから由や」、以下だんだんに子路が叱られるくだりのはじめの、「正名」の二字については、いろいろの解釈があるが、これについても、鄭玄の解釈は、

 名を正すとは、書の字を正すを謂う也。古者は名と曰い、今の世は字と曰う。孔子は時(よ)の教えの行われざるを見、其の文字の誤りを正さんと欲せしなり。 76頁 

この鄭玄注論語の原書は伝わらないが、梁の皇侃の「論語義疏」は存在し、その中に「鄭注に云う」として引用されてゐるそうだ。

 以上の資料のすべてを、宣長が知っていたとまで、私はいわない。「論語義疏」は、当時、評判の書であり、ことに徂徠学の重視する書であったから、これは必ず読んでいる。「子路篇」「正名」の条の「古者曰名、今者日字」という鄭玄の語も、その記憶にあったとしてよかろう。 76頁

 要するに、古曰名、今日字、類似の現象が異国にもあるという連想が、宣長をして、「字を古へ名といへり」という句を、より容易に吐かせたのでないかというのが、私の臆測である。 78頁

吉川には当代自分ほど漢籍を読んでゐる人間はゐないという自負がある。たぶん実際そうで、「古曰名、今日字」の六字は彼にとっては「口癖」だが、20世紀の日本語学者にとってはそうでない。宣長の漢学の素養はさっそく現代の学者の比ではなく、この六字が頭にあったはずだ。そのことに自分だから気づけた。

吉川は興奮してゐる。「臆測」と謙遜、あるいは韜晦してゐるが、腹では確信してゐるはずである。吉川の挙例を見るに、彼の臆測にはかなり説得力がある。こちらも興奮した。それにしても、おそるべき博覧強記。

本居宣長の思想

吉川による宣長思想の解説。現実は無限に複雑であるのに対し人間の知性は有限である。だから人がこしらえた法則によって現実を説明あるいは規制してはいけない。儒教、仏教、その他外国の思想はすべてこの誤謬を犯してゐる。

神は存在する。神がこの不思議な捉えがたい世界をつくった。その次第をもっとも正確に記すのは古事記日本書紀、ことに前者である。それは人間の知恵、個人の力によって書かれたものではない。神々の時代からの伝承をそのまま記したものである。法則らしきものは書かれてをらず、神々の事蹟を記すのみ。

世界は善と悪、幸福と不幸が、永久に継起し且つ交錯するようにつくられてゐる。そのなかで、人間は凶悪(マガコト)を嫌悪し、吉善(ヨゴト)を行おうとする。これも神の意思としてそうなのであり、法則や教訓によって強制されるものではない。生きとしいける物はみなみづからの生き方を知ってゐる。だから日本の古代には倫理とか道徳とかいう言葉がなかったのだ。

ではあるがまま、なすがままでよいのか。そうではない。人間は道を求めなければならない。

 しかし今は、神の意思として人間はあり、万物はあるという原理、それを「道」と呼ぶならば、人間はその原理すなわち「道」の中に居、またそれによって生きていることを、自覚しなければならない。「そもそも人としては、いかなる者も、人の道をしらでは有べからず」。学問をするものはことにそうである。「殊に何のすぢにもせよ、学問をもして、書をよむほどの者の、道に心をよすることなく、神のめぐみのたふときわけなどをもしらず、なほざりに思ひて過すべきことにはあらず」。「うひ山ぶみ」注ヤ、全集一巻二九頁。つまり人間は究境において哲学的人間でなければならない。

 そうして、自覚された哲学を実践にうつして、「道」の拡充につとめなければならない。いかにもすべては神の意思である。しかしそれゆえに人間は努力を怠るべきではない。「然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打捨おきて、人はすこしもこれをいろふまじきにや、と思ふ人もあらんか、これ又大なるひがことなり」。すべてを神にまかすのは、誤謬である。「人も、人の行ふべきかぎりをば、行ふが人の道」である。ただしそれがうまくゆくかゆかないかは、善神の意思と悪神の意思とが交錯するゆえに、人間の力の及ぶところではない。無理押しはさけるべきではある。けれども、「たゞなりゆくまゝに打捨ておくは、人の道にそむけり」。「玉くしげ」、全集八巻三二〇頁。 233-234頁

では道は、いかにして知り得るか。法則らしきものが記された儒学や仏教の書を読んでもだめである。法則が先にきてはいけない。道は現実の事蹟のなかに示唆されてゐる。複雑な現実に単純な法則をもって当たっては、必ず意識的な曲解におちいる。まづ詩を学び、言語を探求し、物のあはれを知り、しかるのちに「道」の書を読むべし。

 要するに、哲学的人間であろうとして、ただちに哲学を求めるときは、必ず誤謬におちいる。この誤謬におちいらないものとして、宣長はその方法を提示する。すなわち、感情の感動によってものの本質に接触すること、それが哲学への必須の前提となる。彼の言葉ではそれを「物のあはれを知る」という。その修練のためには、感情の言語である詩、また小説こそ、まず読まるべきだとする。またみずからも歌を作る。それを彼の言葉では「雅の趣を知る」という。この準備を必須としてのちに、「道」の書を読んでこそ、「道」は把握されるとする。また以上の主張には、言語表現の様相、ことに感情的言語におけるそれが、人間精神の直接的な反映であり、人間の現実として重要なものであるとする主張が、並存する。 235-236頁