手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

トゥムリ(Thumri)ノート

ここふたつきほどトゥムリ(Thumri)を習ってゐる。ビンダディン・マハラジ(Bindadin Maharaj 1980-1918)がつくったトゥムリらしい。ビンダディン・マハラジはいちばん有名なビルジュ・マハラジ(1938-2022)の祖父の兄。祖父の兄を指す呼称はなんというのか、中国ならありそうだが日本にはないかな。まあいいや。

ビルジュ・マハラジの公式ウェブサイトに家系図がのってゐる。

http://www.birjumaharaj-kalashram.com/pt-birju-maharaj.html

ビンダディン・マハラジについては次のように記されてゐる。

ビンダディン・マハラジは幼少期から厳しい訓練をはじめた。彼は一日12時間のタッカルの練習を毎日、何年もおこなった。彼は3000のトゥムリを作詞および作曲し、それにより素晴らしいバーヴを創造した。彼はトゥムリの歌唱を多くの著名な歌い手と宮廷舞踊家に教えた。

ヌータン先生はビンダディン・マハラジのトゥムリだといった。作詞作曲がビンダディン・マハラジで、振付はビルジュ・マハラジらしい。ヌータン先生がその場で若干のアレンジ加えてゐるようにもみえる。思うに、振付は、例えばステップの順番や腕の高さなどは、固定的なものではない。

Sab Ban Than Aayi Shyam Pyari Re というのが曲名。曲名という言葉がふさわしいのかわからない。現代商業音楽のように固定的なタイトルを付ける風習がそもそもないのかもしれない。Sab Ban Than Aayi Shyam Pyari Re は詞の一節で、「素敵な夜のためにおめかしする」という意味らしい。ラーダのクリシュナへの愛を表現した歌だ。トゥムリをはじめに習うならこれというような定番曲と思われる。

たいへん美しい曲と振りで、ヌータン先生が見本をみせると生徒たちはみなうっとりして、オンラインではあるが、クラス全体が幸福な気分でみたされるのがわかる。ここに貼り付けできないのが残念である。

☟はトゥムリではないが先生がわりと最近投稿したもの。優雅で気品があり、且つ、強く逞しい。素晴らしいですね。

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Rachna Ramya(仮名でどう表記したらいいか、ラチナ・ラムヤでいいか)氏の「カタックー語り部たちのダンスー」は222頁から228頁まで6頁をさいてトゥムリについて詳述してゐる。

トゥムリ(thumri)は「優雅な揺れ」「可愛らしい踊るような動き」を意味する thumak から派生した語とされる。バクティ主義の詩人たちが書いたラーダとクリシュナの愛情物語が素材とされることが多い。

起源については諸説あり一定しない。15世紀頃に歌唱音楽としてのトゥムリ(の原型)が誕生し、18・19世紀の藩王国時代に現代に直接つながるようなかたちに洗練されたと考えられる。

トゥムリは19世紀に絶大な人気を得ることになった。アワド太守のワージド・アリー・シャー(1822-1887)と宮廷音楽家のサディク・アリ・カーン、そして彼ら共にあった多くの音楽家舞踊家がトゥムリ発展の功労者と信じられてゐる。ふつう、サディク・アリ・カーンがトゥムリを創造し、ワージド・アリー・シャーが普及させたといわれる。

ワージド・アリー・シャーは政治よりも技術、音楽、舞踊、詩歌に関心を示した藝術的な統治者だった。彼自身すぐれた表現者でもあった。ワージド・アリー・シャーはアクタル・ピタという筆名で多くのトゥムリを制作し、演奏した。 223-224頁

そのワージド・アリー・シャーとほぼ同時代に生きたのがビンダディン・マハラジだ。上に引用したビルジュ・マハラジのHPに記載には「3000のトゥムリを作詞および作曲し」とあるが、「カタックー語り部たちのダンスー」には「1500を超えるトゥムリをつくった人物として知られる」とある。とにかく多いということなんだろう。

トゥムリは愛とロマンスを表現するのに適した形式である。詞や振りが具体的で通俗的なものであっても、最終的な目標はその表現が霊的な次元に達することである。インド古典舞踊はみなそのような性質をもってゐる。

トゥムリで描かれるシュリンガル・ラサ(Shringar Rasa)の多くは日常的でありふれたものに見える。しかし歌と踊りによって表現されたとき、それは霊的な領域に転位する。愛し合うふたりの人間がそのまま魂と高次における存在となるのだ。トゥムリにおいて詞は非常に重要である。言葉と節が何度も繰り返され、そのたびにひとつの感情の隠れた次元が魔法のように現れ、しばしば無数の異なる感情が生み出される。 225頁

トゥムリはふつう技巧的および緻密な構成をもつレパートリーの後に演じられる。これはインド舞踊の究極的な目標が観客を興奮させることではなく、彼らのこころに触れ、なんらかの深い情動的体験を残すことにあることを示してゐる。 226頁

繰り返すたびに表現の位相が変化する/させるというのは、トゥムリのような表現的ダンスのみならずティハイのような抽象的ダンスにも共通する、これもまたカタックのあるいはインド舞踊の基本技法である。ティハイは同じリズムパタンを三度繰り返すことで、霊的次元へと階段をのぼる。それはまた別のノートに書こう。