手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「ドーキンス博士が教える「世界の秘密」」リチャード・ドーキンス

ドーキンス博士が教える「世界の秘密」リチャード・ドーキンス 早川書房 2012

物質を極限まで細かく小さくしていくと、ほとんど「空白」になってしまい、その水準では「個体」とか「形」という概念が意味をもたなくなる。この説明は別の本でも読んだ記憶があるが、やっぱりわからないな。実に不思議だ。

どんなに硬くてしっかりしていても関係ない。鉄や鉛もそうだ。ものすごく硬い木でも同じ。個体物は原子が「集まって」できていると話したが、ここで「集まって」と表現するのはかなり妙だ。原子そのものがほとんど空っぽの空間なのだから。原子核はひどくまばらに並んでいて、それをサッカーボールに拡大したとすると、隣との感覚は15キロもあって、あいだには数匹の蚊(引用者註:電子)しかいないことになる。 85頁

それならなぜ鉄はあのように硬く感じられるのか、なぜ木は透明でないのか。空っぽなら通り抜けることも出来そうだ。なぜ?

科学者は「力」や「結合」や「場」の話をする。3つはそれぞれのやり方で、「サッカーボール」どうしを引き離しておくと同時に、各「サッカーボール」の構成要素を結びつけておく役割を果たす。そしてこの力と場こそが、ものを個体として感じさせるのだ。原子や原子核のような小さいものを突き詰めるとき、「物質」と「空っぽの空間」の区別は意味がなくなってくる。原子核はサッカーボールのような「物質」であるとか、隣の原子核までに「空っぽの空間」があるという表現は、実は正しくない。

個体物質は「通り抜けられないもの」と定義される。あなたが壁を通り抜けられないのは、原子核と隣の原子核を一定の一関係で結びつけている謎の力のせいである。それが個体というものなのだ。 87頁 

「謎の力」といってゐるから、ここはまだ解明されてゐないのだろう。物理学者のみなさん、ファイティン!

原子核は実はサッカーボールに似ていない。あれは単なる大ざっぱなモデルだったのだ。原子核はサッカーボールのように丸くない。そもそも「形」があるものとして話すべきかどうかもはっきりしていない。「個体」という言葉と同じで。「形(shape)」という言葉そのもが、ごく小さいサイズでは意味を失うのかもしれない。そして私たちが話しているのは本当にごくごく小さいもののことだ。 89頁

面白い。人間はこの世界を、人間の能力で認識できるようにしか、認識してゐないということ。その限界を假説やら実験やら推論やらで拡げてゐるわけだから科学って凄いなあ。人間の知力って凄いなあ。

免疫の話。これはひょっとしたら女性にはよく知られてゐることかもしれないけれど、流産と免疫システムの動作とは関係してゐると書いてあって、あ、そうかと思った。男が挿入して射精する。性器と精液という異物を受け入れて、赤子というさらに巨大な異物を体内で育てる。異物を攻撃するのが免疫システムだ。

しかし、免疫システムは赤ん坊と闘ってはならない。これは、哺乳類の祖先が進化して妊娠するようになったとき、解決されるべき難題の1つだった。そして解決されたーーなにしろ、たくさんの赤ん坊が子宮の中でなんとか生き延び、生まれてくるのだ。しかし流産も多いことから、進化はこの問題の解決に苦労し、その解決策は完璧でないことがうかがえる。今日もなお、医者がそばにいなければーーそして、たとえば免疫システムの過剰反応が極端な場合は、生まれてすぐ血液を完全に交換しなければーー生き延びられない赤ん坊も大勢いる。 244頁

なるほど。「進化はこの問題の解決に苦労し、その解決策は完璧でないことがうかがえる」っていい文章だな。ハっとした。私は男性で、かつパートナーの妊娠出産という経験もないので、流産と免疫システムの関係なんて考えたことがなかった。でもそうだよね。精液アレルギーなんてのもあるそうな。異物ですものね。

種としての人類が科学で認識を拡げていくように、個人は幅広い読書で経験の不足を補っていかねばなりませんね。こんなしみじみした気分にさせてしまうドーキンス博士の筆力に感服ですわ。

がんの話も面白かったな。がんは自分の細胞がわづかに変化したものだから免疫システムは異物と認識できない。免疫システムは他者を攻撃し自己を守るものであるが、がんは自己である他者だから、対処できないのだ。治療薬をつくろうにも、がんを殺す薬は自分の健康な細胞も殺すおそれがあるので、むづかしい。

ドーキンス博士は臆測と断りながら、自己免疫疾患は人類とがんとの闘いの副産物のようなものではないかと問いかける。そうかもね。

免疫システムは、前がん細胞が完全な悪性になるチャンスを与えずに抑え込んで、闘いに何度も勝利している。私が思うに、前がん細胞に対してつねに用心している免疫システムは、やりすぎて無害の組織を攻撃してしまう、つまり自分自身の細胞を攻撃してしまうことがあって、それを私たちは自己免疫疾患と呼んでいるのだ。自己免疫疾患は、進化ががんに対して有効な武器を製作中であることの証拠だと説明できないだろうか? 245頁