手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

Dha dha Kida tak

いまチャッカル(回転、ターン、ピルエット)の熟達に照準した15の連続したトゥクラ(一定の様式を有する基本的なリズム単位)を習ってゐる。Tat Tat Thai Thai Tigdha Tigtig Thai みたいな音の連なり(bol: ボール)をまづ発音して覚え、次にそれに対応する振付を踊る。

7番目まで到達した翌日、欠席してゐた生徒さんが WhatsApp グループに、

「誰か7番目のトゥクラのボールを書いたものをシェアしてもらえないか」

と投稿した。みんな子育てや仕事や学業で忙しいのでレッスンに出られないこともしばしばである。だからビデオアやノートを共有して自習および復習をする。

わたしは直近に習った6・7番目のトゥクラについて、ノートとビデオを投稿した。

すると別の生徒さんが言った。

「ヒロキ!わたしには ‘krutak’ ではなく ‘ki da ta ka’ と聞こえるのだけれど、どうかしら?」

それを見たまた別の生徒が続いた。

「わたしは kit kit だと思う、、、」

なんということだ。わたしには ‘krutak’ と聞こえ、それが別のひとには ‘ki da ta ka’ と聞こえ、いや ‘kit kit ‘ だと言うひともゐる。これは面白い。

実はここ、授業内でも問題となった箇所なのである。先生が発音して、それを何人かの生徒が復唱する。そこでこの箇所をみんなきちんと聞き取れてゐなくていいかげんな発音で言うので、先生が「いや、違う、よく聞きなさい、これこれだ」と注意をうながす場面があった。

わたしはその部分を見返した。そうして ‘krutak’ ではなく‘krtak’ であると判断した。つまり ’u’ は不要であると考えた。口のかたちを見ると ’u’ になってゐない。どうも母音が入らずに krt と子音が三つ続いてゐるように思える。

そこでわたしは先生がゆっくり発音してゐる部分を切り取って投稿し、言った。

「これは ‘krtak’ ではないでしょうか。速く発音するとまた変わるのかも知れませんが、、、」

すると「kit kit だと思う」と言ったひとが応答した。

「オーケー、このビデオを見てわかった。dha dha kida tak だ」

ちょっと待てと思った。わたしにはどうしても ‘kida’ とは聞こえない。 ’i ’も ’a ’も認められない。あるかもしれないが、つづり字に出すにはあまりに弱いと感じる。

どうにも解せないなあと思ってゐたら、ヌータン先生が登場し(こういう遣り取りに先生が参加することはほとんどない)、言った。

「This one is correct.」

マジかよ。‘dha dha kida tak‘ なのかよ。まあでも‘dha dha kida tak‘ なんだな。しかし実際の音としては、すなわち口のかたち、聲帯の振動は ‘krtak’ に近いと思う。

思うに、このズレは、第一に、わたしがヒンディー語の音韻構造とつづり字法を解してゐないこと。第二に、ヒンディー語の音韻をアルファベットで表記することそのものの不可能性からくるのである。

彼らが ‘dha dha kida tak‘ とアルファベットで書くとき、頭のなかには別にデーヴァナーガリー文字での表記があるはずなのだ。で、その表記はヒンディー語の音韻体系およびつづり字法の枠に適合するものである。

適合するといっても、ヒンディー語(インドの音韻)をアルファベットで表記することは不可能なので、そこにどうしても無理が生じる。早い話が、トゥクラはデーヴァナーガリー文字で टुकड़ा と表記するが、そのアルファベット表記は Tukra/Tukda のふたつに割れてゐる。つまり ड़ा は ra でもあれば da でもある。いや ड़ा は ra でも da でもないわけだ。

わたしは、ヒンディー語はちょっとかじっただけなので、インドの音韻を聞く耳が出来てゐない。さらにデーヴァナーガリー文字でつづる場合にどう書くのが自然かが分からない。自分には ‘krutak’ や ‘krtak’ と聞こえてそのように書くのだが、 これがおそらくインド人には妙に感じるのだろう。

この話、どこかで聞いたことがある。文字表記は発音を完全には写し得ない。福田恆存が「私の国語教室」のなかで展開してゐた議論ではないか。

日本語の発音は変化してきたという。いったい録音技術のない昔の音韻がなぜ分かるか。当時の文献から推測するのである。日本の中世の音韻は、布教のためにやってきた宣教師が書き残したキリシタン文献から推測する。ヨーロッパ人が、当時の日本語を聞き、それを彼らにとって分かりよいようなつづり字法で書いたものである。

さて、そこからどの程度のことが分かるか。彼らのつづり字はどれほど正確に当時の日本語音韻を写し得てゐるだろうか。国語学が通説とするところの音韻変化は、彼らのつづりをあまりに素直に受け取りすぎてゐるのではないか。つづりからそのまま音韻を導きだすことは危険である。

福田はそう言って、従来の国語学に対して異論をとなえる。第五章「国語音韻の特質」はこの本のなかでいちばんむづかしく、だからこそいちばん面白いところだ。何度読んでも自分の頭では理解できないのだが、凄いことが書かれてゐるということは分かる。

 表中、私にとつて甚だ疑はしいと思はれるのは、第二期において、母音が〔a〕〔i〕〔u〕の三つになり、〔e〕〔o〕は〔je〕〔wo〕に取つて代られたといふ解釋です。しかも、その根拠となつたものが、室町時代末期の切支丹文献に見られる日本語のローマ字書きであつて見れば、なほさら信用しかねると言へませう。

 それらは多く外国人バテレンと日本人イルマンとの協力によつて作られたもので、主として外国人の日本語習得を目的とし、当時のポルトガル綴字法に基準を置いて書かれたものであります。

(・・・)ことに当時は、文字は活字によるよりも筆写を通じて訴へる機会のほうが多かつたといふことを忘れてはならず、それなら、連続した綴字においては、他の文字とは紛らはしいもの、あるいは連続の仕方によつて他の音韻と誤解しやすいものは、なるべく避けるように注意をしなければならないはずです。

 のみならず、自国の音韻や語に都合よく作られた文字をもつて異国の語や音韻を写さうとした切支丹文献においては、それは特に必要なことだつたと思ひます。

(・・・)いづれにしても、文字として目に訴へる綴字といふ考へが働いてゐるのであつて、単に音韻差の意識からのみとは思へません。