手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

王と姫と関西のおばちゃん

ダンスクラスにラジャさんというひとがゐる。ラジャさんは日本が好きで日本語が上手で、ときどきメールの遣り取りをする仲だ。ヌータン先生はラジャさんを呼ぶとき「ヘイ、ラジャ」と言う。名前がラジャさんだから当たり前だ。

それは分かるのだが、ラジャさん以外のひとにも「ヘイ、ラジャ」と呼びかけることがある。かねてからそのことが気になってゐた。考えた。「ラジャ」という音をもつ言葉で「あなた」を意味するものがあるのではないか。

ラジャさんに訊いた。「ヒンディー語かマラティ語で、ラジャという音で you を意味する言葉があるのですか? 先生があなた以外のひとにもラジャと呼びかけることがあります。私はその度に少し困惑します」

ラジャさんは応えた。「素晴らしい質問です。ヒンディー語でラジャ(Raja)は王(King)という意味で、親しみを込めて相手を呼ぶ Dear の意味でつかうことがあるのです。私も子供を呼ぶときに言うことがあります。その通り、私の名前ラジャ(Lajja)と音が似てゐますね」

なるほど「ラジャ」は「踊るマハラジャ」の「ラジャ」だったのか。ラジャさんの名とはRとLの違いがあるが、日本人の耳には似た音だし、どういう言葉か知らない状態だったから、私には同じに聞こえてゐた。King が Dear の意味になるというのは興味深い。階級社会の永続を前提としたインドにおける王の特殊な位置と関係があるかしら。

ちなみにいまクラスの生徒は私以外全員女性であり、先生が「ラジャ」と呼びかけたのも女性である。私が「ラジャ」と呼ばれたこともあると思う。この「ラジャ」の用法に性差はないようだ。また大人にも子供にも同様につかうことが出来る。

と書いたら似た例を思い出した。あなたのことを王ではなく姫と呼ぶ例だ。ハリウッド映画で自分の娘を姫(Princess)と呼ぶのをよく耳にする。私が思い出したのはそれではなく、皮肉として、マッチョな男に「お姫様!」と呼ぶ例だ。

映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」で宇宙美女のガモーラが宇宙マッチョのドラックスに「あんたを助けてやっただろ、お姫様!」と言い、ドラックスが「オレはお姫様ぢゃない!」と返すところ。

ガモーラは皮肉として言ってゐる。つまりふつう姫(Princess)は男に対してつかわないことが前提である。ところがドラックスは設定として比喩が分からないバカ男ということになってゐる。だからマッチョな男を姫と呼ぶ皮肉が分からない。それで言葉をそのまま受け取り「オレはお姫様ぢゃない!」と怒る。

私はこの場面が大好きで、観るたびに笑い転げてしまう。これがギャグとして成立するのは、この会話に至るまでに示される文脈が共有されてゐるからだ。おそらく、ここだけを切り取って見ても何のことだか分からない。

ツイッター(あ、いま「X」か)で「皮肉が通じない、比喩を理解しないひとが多くて困る」と嘆いてゐるのをよく見る。それはSNSでは文脈の共有が出来ないため、ドラックスよろしく「オレは○○ぢゃない!」と怒ってゐるひとが多いためと思われる。

関西のおばちゃん

と書いたらまた別の例を思い出した。文脈を足場とすることである言葉を反対の意味でつかう例を上に見たのだった。インドの王は親しみのために、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の姫は皮肉のために、意味の飛躍が為されてゐた。

ドラックスは意味の飛躍を理解しないから怒り出し、観客はそれが分かるので落差がおかしくて笑うのだった。私が次に思い出したのは、ドラックスの例とは逆に、文脈が深いレベルで共有されてゐる状況で、言葉の飛躍に乗って遊んでゐる例だ。

淡路島のホテルで住み込みバイトをしてゐたときの話だ。私はいろんな仕事をしたが、そのなかに食器洗いがあった。洗い場はいわゆる関西のおばちゃんが仕切ってをり、おばちゃん達の熾烈な政治闘争が繰り広げられてゐた。そしてその緊張を緩和するかのように、様々な笑いもまたあらゆる場面で営まれてゐた。

おばちゃんAが遠目にも目立つような派手な靴下を履いて来た。それを見たおばちゃんBが「あらあんた、今日は地味な靴下やね~」と言った。これに対しておばちゃんAは「あらそうですか、ほな明日はもうちょっと派手めのんを履いてきます~」と応じた。

ホテルではこの種の高度な(!)あいさつが日常茶飯のことで、非関西から来てゐる学生などはこのレベルの文脈の共有になかなか到達できないようで頭を抱えてゐた。文脈から疎外されるとひとはドラックスになるのだ。

淡路島はいいところです。