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日本語表記と歴史意識

はじめに

本記事は現在の日本語表記のありかたを決定した国語改革について論じたものです。

第一章「背景」では、改革の具体的な内容を理解するために必要な前提を確認します。第二章「漢字」では、漢字廃止運動と簡略化政策について、第三章「仮名遣い」では、仮名遣いの歴史と表音化政策について、それぞれ解説してゐます。その後に簡単なまとめを置き、最後に参考文献を示します。

本記事を読めばなぜ「ひっ迫」「急きょ」「漏えい」といった交ぜ書きが生まれたのかが分かります。また、なぜ「ずつ」と「づつ」の両方がつかわれてゐるのか、どちらが正統であるのかが分かります。

しかし、本記事の主眼は、そのような目で見てパっとわかるような表記の差異を取り上げて、「あちらが間違ってゐる、こちらが正しい」と主張することではありません。

国語改革の経緯とその後の歴史を知ることを通じて、戦後日本の無責任体制と歴史意識の欠如について考えることです。

本記事は約3万字あります。パソコンのディスプレイやスマートフォンで読むものとしてはかなり長いですから、分割して全体をお読みいただければと思います。

内容に関心をもたれましたら、是非とも参考文献に挙げた本を手にとってみてください。

それではどうぞ。

背景

国語改革

いま通用してゐる日本語表記は、敗戦後の占領下で実施された「国語改革」によって決定されました。国語改革の目的は日本語表記から歴史性を除去することでした。当時の日本人は極度の自信喪失におちいり、自分達を過去から切り離したい考えてゐました。

志賀直哉が「日本語を捨ててフランス語を国語にしよう」と言ったのは有名な話ですが、そういう空気でした。

「日本語表記から歴史性を除去する」というのは、まづ漢字の全廃です。そして、漢字を全部なくすと仮名文字だけになるわけですが、その仮名の遣い方、仮名遣いからも歴史的連続性をはぎとり、「いまここ」の発音にしたがって書くようにする、すなわち仮名遣いの表音化です。

アメリカの教育使節団が漢字の廃止とローマ字の採用を勧告したというのもありますが、漢字廃止も表記の表音化も戦前からあった議論ですから、国語改革を「GHQの押し付け」と呼ぶことはできません。

敗戦後の虚脱状態があり、GHQのお墨付きがあり、戦前からの改革派が力を得てようやく実現したというのが妥当な理解と考えます。

国語改革は具体的には1946年11月16日の当用漢字表および現代かなづかいの公布を指します。直後から公文書、教育、新聞がこれにしたがって書くようになり、急速に普及しました。興味深いことに、その二週間前に公布された「日本国憲法」は旧漢字および歴史的仮名遣いで書かれてゐます。

この二つの措置はいわば「第一段階」であり、漢字の全廃も仮名遣いの表音化も、いきなり完全にやってしまうと混乱するからとりあえずこのくらいで、というような暫定的な性質のものです。

国語改革から時間が経ち、占領軍が去り、冷戦構造のなかで復興を果たすなかで、日本語表記は第一段階の状態で定着し、いつのまにか漢字の全廃と仮名遣いの表音化という当初の目標は忘れ去られました。そうして政府国語機関は「中途半端」な状態を追認し、微調整を加える方向に政策を変えました。

それを示す文書が1981年の「常用漢字表」および1986年の「現代仮名遣い」です。途中の状態を追認し、1946年の「当用漢字表」および「現代かなづかい」をアップデートして体裁を整えたものがこの二つの文書です。

漢字の全廃と仮名遣いの表音化を諦めるとすれば、これは根本的な方針転換ですから、国語改革の徹底的な検証が必要なはずですが、それをせず、なしくづし的な現状肯定ですませてしまいました。

なぜそれが可能になったかというと、本当の目的を隠してきたからです。ことの経緯をみれば、国語改革はあきらかに漢字の全廃と仮名遣いの表音化が目標であり、「当用漢字表」と「現代かなづかい」はそのための一里塚にちがいないのですが、政治的な文書ですからそのように明示的に宣言してはゐない。だから「なかったこと」にできる。

検証もなく、反省もなく、状況の変化にあわせてなんとなく態度を変えて、既成事実をつくってすべてをウヤムヤにしてしまう。国民のほうは理非を問わずに適応して時間が経てば忘れてしまう。

戦後日本の無責任体制の問題は、国語政策にも実によくあらわれてゐるのです。

歴史、アイデンティティ、言語表記

国語改革の経緯も意味も、国民の記憶からは完全に消えてしまいました。国語改革批判を続けた著名な人物としては、学者では高島俊男(2021年没)、作家では丸谷才一(2012年没)が最後だと思います。

漢字廃止を本気で目指してゐたことや、「歴史仮名遣い」と「現代かなづかい/現代仮名遣い」の関係性など、もう知らない人がほとんどでしょう。漢字にしろ仮名遣いにしろ、いまぼくたちは日本語の表記についてなんら不自由を感じてゐません。だから国語改革は成功したのだという議論がありますが、どうでしょうか。

たしかに現在の日本語表記は安定してゐますから、これでよいともいえます。が、ぼくがここで国語改革を取り上げるのは、表記そのものについてここがダメだあれがダメだと指摘するためではありません。上述した無責任体制と、いまここで自分が困ってゐなければいいのだという歴史意識の欠如を批判するためです。

言語表記には民族・国民の歴史意識が反映されます。人間はいつも自分はなにものなのか、どこからきてどこへ行くのか、どうありたいのかを問いながら生きてゐる。それは過去とどう向き合うか、現在の人間がいかに歴史を生きるかということです。

その問いを引き受け、問い続けることによって、アイデンティティが成熟してくる。

表記とアイデンティティの関係を理解するための最適の例は朝鮮のハングルでしょう。史上最も効率的な表記システムといわれる朝鮮のハングルが発明されたのは15世紀ですが、何世紀ものあいだひろく用いられることはありませんでした。

なぜなら当時の朝鮮は華夷秩序のなかに自分達を位置づけてをり、漢字から離れることは野蛮に堕ちることだったからです。

近代に入り、清朝が衰退し華夷秩序の力が弱まり、民族意識が高揚するのにともなってハングルの使用もひろがっていきましたが、帝国主義化した日本に侵略されて日本語を強制されました。1945年に大日本帝国が崩壊した後にハングルは一気に普及し、漢字使用は極めて限定的なものとなりました。

日本の仮名はもちろんつかわないし、漢字世界からも離脱してハングル(大いなる文字)だけで書く。民族の自立の意識が表記に反映されるわけです。

 

戦後の日本のアイデンティティはどうでしょうか。端的にいって、ぼくたちはこの問題をきちんと考えてこなかったのだと思います。

サンフランシスコ講和条約での独立から70年を経ても、中国、韓国、ロシアとの間に領土問題を抱え、北朝鮮とは国交さへなく、「捨て石」にされた沖縄に新基地を建設中である。ソ連の崩壊から30年を経ても「反共」でまとまった親米保守政権がいまだに権力を握り、政権交代可能な野党が登場しない。

冷戦構造のなかでアメリカの属国として反共の砦の一部となり、その負担は沖縄に押し付け、属国化の見返りとして大日本帝国的価値観を温存する。そしてあの戦争の総括や敗戦処理の問題については経済成長でごまかして先送りにする。

そういう状態をあまりに長く放置し過ぎた結果が、いまの日本の衰退なのだと思います。

政権をになう「保守」派の国家観は正視に耐えないほどに劣化し、対米従属とアジア蔑視が露骨に出てきてをり、現実から遊離した観念的な愛国勢力となってゐます。これに代わる大きなビジョンを打ち立てなければ日本の没落は止まらないと考えます。

一度あの敗戦にまで立ち返って別の国家像を構想する必要があるのではないでしょうか。

国語改革の目的は日本語表記から歴史性を除去することでした。そしてその試みは途中で挫折したとはいえ、そうとう程度の成功をおさめました。

国語改革批判の最大の功労者は保守思想家の福田恆存という人物です。福田は1987年刊行の全集第四巻の覚書に次のように書いてゐる。

かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後倉皇の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる餘裕のない隙に乘じて、慌しく覆されてしまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。
 
しかも一方では相も變らず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化である。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。
(引用に当たり改行を追加した)

福田の言葉はいまなお価値を失ってゐません。やはり国語改革批判は必要であると考えます。それは大日本帝国を肯定するためでも「美しい日本語」を守るためでもなく、歴史意識を回復するためです。伝統や文化の依って立つべき言葉をないがしろにしてゐるから、「お題目」ばかりの空疎な愛国心が流行する。

現在の日本語表記にとてつもない問題があるわけではありません。表記から歴史性を除去するために行われた改革が途中でとまり、そのことを忘れ、中途半端の状態をなんとなく「このくらいでいい」くらいに思ってゐること。このだらしなさが問題です。

歴史とか学問というものへの敬意があまりにも欠けてゐる。

正統ということ

上に引用した福田の文章に「正統表記」という言葉があります。正統とはなんでしょうか。辞書を引きますと「正しい系統や血筋」「始祖の学説や教義を忠実に伝えてゐること」とあります。「正しい」ことの基準として歴史性が問題とされてゐる。

つまり「正統」というときの「正しさ」とは、自然科学のように実験できるとか誰がやっても同じ結果になるとかではなく、「由緒正しい」ということです。表記に限らず、言語についてなにかを「正しい」といえるとすれば、その基準は由緒正しさ、「昔からこうだった」ということに置くしかありません。

その由緒にしてもフィクションであると相対化することは常に可能です。しかしフィクションであっても正統という基準を仮設しておかなければ、現実を立体的に把握することができません。「なんでもどうでもいい」では困るので、どうしても正統という観念が必要になります。

日本語は漢字と仮名という二種類の文字をつかって表記します。福田が述べてゐる正統表記とは、漢字については「康煕字典体」、仮名遣いについては「歴史的仮名遣い」を指してゐます。仮名遣いは後に説明しますので、まづ漢字について見てみましょう。

文字は書かれる媒体と書く道具の発達に応じて変化していきます。ひとつ文字を記すといっても、青銅器に鋳込む作業と紙に筆で書くことのあいだには大きな距離がある。この距離によって字体にもまた変化が生じます。

また、漢字はひとつの文字がひとつの語をあらわす表語文字ですから、時代を経るにつれて、すなわち新しい言葉(語)が増えるにしたがって、文字の数がどんどん増えていきます。異体字も流通します。

漢字はその「かたち」によって意味と成り立ちを示しますから、あまりに簡略化が進んだり変化が速すぎたりすると昔の文章が読めなくなる。いにしえの聖人が追求した王道政治を実現するためにはたくさん古典を読まねばなりませんから、それでは困ります。

ここで学問のある人が「字書」を編纂し、字の形、音、義を説きます。これが権威として存在することで、漢字がとめどなく変化し増殖していこうとする遠心力に抗する力となります。

 

字書の歴史は漢代の「説文解字」に始まり、清代の「康煕字典」まで続きます。中国の官僚制度である科挙の試験では膨大な典籍を暗記してその知識をもとに論文や詩を書くことが求められました。ある字が正しいのか間違ってゐるのかその正否の基準となったのも、この「字書」です。

そういうわけで、漢字について「正統」という場合にはこの「字書」に載ってゐる字体や字義を指し、またその字を「正字」と呼びます。1716年に完成した康煕字典が最後の字書ですから、正統という観念を認めるならば、いまでもこの康煕字典がそれにあたり、康煕字典体の字を「正字」と呼ぶほかありません。

現在の学問に照らせば康煕字典におかしなことはたくさんあるでしょうが(甲骨文字が発見されたのは康煕字典よりかなりあとです)、基準がないことには修正も改訂もできないわけですから、やはり康煕字典が正統であると認めておくのが妥当と考えます。

中国共産党が支配する中華人民共和国ではこの康煕字典体を大幅に簡略化した「簡体字」が使用されてゐます。他方、共産党との戦いに敗れた国民党が逃れた台湾では、康煕字典体に近い字体である「繁体字」が使用されてゐます。

そしてこの繁体字という呼称は簡体字共産党の側が名付けたものであり、ホントはこちらが正統なのだという意味で、台湾では「正體字」と呼ばれてゐる。文字表記とアイデンティティ政治の問題がここにも見てとれます。

 

では日本はどうでしょうか。福田のいうように、戦前の日本では康煕字典体がいっぱんに使用されてゐました。この字体は現在「旧字」と呼ばれてゐます。国語改革によって誕生した「新字」に対する「旧字」です。

本記事はその新と旧の、すなわち戦前と戦後との二項対立構造を生んだ国語改革そのものを批判するものですから、以下「旧字」ではなく「正字」と呼びます。

戦後の漢字政策がどういうものであったかを見る前に、いくつか前提を確認しておきましょう。

まづ、いつの時代も様々な字体が並行して通用してゐたということ。正字という観念があるにしても、その通りに実践するかは別問題で、実際には俗字や略字もたくさん用いられてゐました。理念と現実とのあいだには常にずれがあるということです。

次に、ここがとても重要なところですが、近代に入り国民国家システムが普及すると、この理念と現実とのズレ、あるいは遊び、ばらばらでも気にしないという緩やかな安定が壊れます。

領域内部は均質でなければならない。国民みんなが学校へ行って同じ教育を受け、同じ国語を同じ文字で読み書きする。言語と文字に対して強い均質化・統制化への力が働きます。

そうなると習得する漢字の数や字体が問題となります。「みんな」が同じくらい出来るようになる必要がありますから、すごく頭のいい知識人を基準にして考えるわけにはいきません。

ここに「漢字は数が多すぎるし字体も複雑だ、効率が悪くて国民に負担である、欧米に追い付けない」という議論が出てきます。

漢字

漢字全廃のための字数制限

漢字廃止の議論は幕末の1866年、郵便制度の創始者として知られる前島密徳川慶喜将軍に「漢字御廃止之議」を建白したことに始まります。ここで前島は、教育を普及させるためには文字も文章もやさしいものでなければならない、だから漢字を廃止して仮名文字を用いるべきであると主張しました。

明治から戦後まで、国語・国字を簡単にしようという主張がさまざまな論者によってなされることになりますが、前島の「漢字御廃止之議」はその出発点といえるものです。

背景にあるのは脱亜入欧という大きな歴史の趨勢です。中華文明の凋落はあきらかであるから、西洋の進んだ文明に参加しなくてはらない。そのために漢字を捨てようというのです。

明治政府は1902年(明治35年)、国語政策を策定するための国語調査委員会という文部大臣直属の組織を設けました。同会が発足時に定めた調査方針の第一は、

文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトトシ、假名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト

でした。つまり明治以来、政府機関がすすめる国語政策は漢字廃止が前提であり、そのうえで仮名文字とローマ字のどちらを採用するかを決めようというのが既定路線だったわけです。実際にその路線にしたがって漢字制限案、簡略化案がつくられましたが、戦前は保守派の力が強かったので実施されるには至りませんでした。

しかし敗戦により状況が変わりました。アメリカにひどい負け方をしてしまったことによって、強烈な自己否定の気分が日本を支配しました。志賀直哉のフランス語採用論はすでに触れました。もう一つの象徴的な例として、1945年11月12日、讀賣報知新聞(現在の読売新聞)の社説「漢字を廢止せよ」を見ましょう。

敗戰とその後に續く危機が深くかつ大きいだけに、行はるべき改革また徹底的に餘すところがあつてはならぬ。上は天皇制から政治經濟、衣食住萬般の問題、下は便所の在り方まで鋭いメスの批判と冷嚴な科學的反省の俎上に上せられねばならぬ。だから問題と政策が複雜多岐に亙るのは當然であるが、こゝに民主主義の發達と密接に結びついた問題で、いまだに忘れられてゐる重要なものがある。それは國字問題だ。

(・・・)

漢字を廢止するとき、われわれの腦中に存在する封建意識の掃蕩が促進され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追隨しうるのである。文化國家の建設も民主政治の確立も漢字の廢止と簡單な音標文字(ローマ字)の採用に基く國民知的水準の昂揚によつて促進されねばならぬ。

封建意識から脱却して「てきぱきしたアメリカ式能率」に追随するために漢字を捨ててローマ字を採用しようと主張してゐます。新聞社がこのような主張をした背景にはタイプライターを使いたかったという事情があります。

ローマ字で表記すれば26文字ですむので、まさに「てきぱき」と文章を打ち出すことができます。漢字は一語=一字なので字数が多い。当時漢字に対応したタイプライターは存在せず、また印刷には膨大な活字を組まねばなりませんでした。だから漢字廃止論なのです。

 

以上、幕末と敗戦時の漢字廃止論の根拠をまとめると次の三つになるでしょう。

第一に、劣った中華文明から離れて進んだ欧米文明に入りたい。言語や文字も真似をすべきである。第二に、国民全体に教育を普及させるためには漢字は数が多いし字体もむづかしい、習得に時間がかかりすぎる。第三に、タイプライターに適応してゐないし、活字を組むのに手間がかかる。すなわち、脱亜入欧、教育、技術。

幕末からの準備があり、敗戦の自信喪失があり、占領軍の勧告があり、文豪も新聞社も賛成してゐる。天皇が統治する大日本帝国は滅び、日本はアメリカの指導のもとに新しい国になる。

こういう状況ですから漢字廃止というのはちっとも奇異な政策ではありませんでした。「当用漢字表」が漢字廃止を実現するための、まさに「当用=さしあたって」の漢字表であると理解すべきゆえんです。

字数の制限と字体の簡略化を、どうせ全部なくすのだからと、かなりいい加減にやってしまったために、漢字体系は大きく歪んでしまいました。

当用漢字表」には1850字の漢字が載ってゐます。これはつかってよしとする。そして「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。」と使用上の注意事項にあります。

これに律儀にしたがったところに「交ぜ書き」が誕生します。

「ひっ迫」「急きょ」「漏えい」「ぜい弱」「殺りく」「だ液」「ほ乳類」「えん戦」「改ざん」「隠ぺい」「せん滅」「うっ滞」「皮ふ」

「憂うつ」「けん制」「ねつ造」「払しょく」「忖たく」「信ぴょう性」「へき地」「抜てき」「安ど」「分水れい」

などです。複数の漢字を結合させてつくった熟語の一部を仮名書きしてゐるわけですが、ここで仮名書きされた部分は「意味のない音」なので、もはや本来の熟語とは別のなにかです。変態的な表記といえます。

「子ども」「彼ら」「私たち」なども漢字と仮名を交ぜて語を書いてゐますが、これは和語(大和言葉)を漢字の意味喚起力を借りて書いてゐるものであり、性質がまったく異なります。

交ぜ書きした表記が登場するのは、これら熟語が必要だから、他にふさわしい言葉がないからそうするのです。とすると漢字全廃はさっそく無理ということですから、ここであっさりそう認めるべきでした。字数制限を撤廃し、難字だけは合理的な簡略化を行い、効果的な教育法を考えるという方向に転換すればよかった。

ところが間違いを認めたくない。間違いを認めなくてすむように表向きは「漢字廃止」を謳ってゐない。根本がおかしいのにそこを認めないので、ここから先の漢字政策はつぎはぎ的なものになっていきます。全体の設計を考えずに場当たり的にリフォームを続けた結果、妙な間取りのヘンテコリンな家が出来上がったみたいなものです。

上記のような交ぜ書きの氾濫に対応するために、政府国語機関は1956年に「同音の漢字による書きかえ」を発表しました。表外漢字を使いたいときに、その字を表中の同音の字に置き換える用法をいいます。

陰翳→陰影 叡智→英知 奇蹟→奇跡 古稀→古希 臆測→憶測 障碍→障害 

反撥→反発 日蝕→日食 肝腎→肝心 蹶起→決起 訣別→決別 顛倒→転倒

車輛→車両 註釈→注釈 短篇→短編 象嵌象眼 煽動→扇動 尖鋭→先鋭

などです。1946年には「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。」といってゐた。それが1956年になると「表中同音の別の漢字に書きかえること」を認め、「当用漢字を使用する際、これが広く参考として用いられることを希望する。」とした。

当用漢字の誤りを認めて「陰翳」「障碍」「訣別」と書いてよいことにすればよかったのです。でもそうしたくないので、この方向性でよいかのような体裁を整えようとした。そういうものが権威をもつことはないので、この書き換え案はあまり定着しませんでした。それゆえ上に挙げた語などは複数の表記が並行して流通してゐます。

表内/表外という構図

字体についても見ておきましょう。

1949年、内閣は「当用漢字字体表」を告示し、「当用漢字表」にある漢字について字体の標準を示しました。康煕字典体を簡略化した字体を正字として認めたということです。具体的には、上の讀賣報知新聞「漢字を廢止せよ」から例をとると、

「戰」→「戦」、「續」→「続」、「餘」→「余」、「當」→「当」

「萬」→「万」、「國」→「国」、「學」→「学」、「發」→「発」

などに変えることです。この簡易字体はすでに流通してゐた異体字から採用されました。画数の多い漢字を筆や鉛筆で書く場合に一部を省略して、あるいは単純化して書くことがあります。そういう筆写体からとったのです。

繰り返しですが、字体というのはいつの時代も複数存在してをり、みなが常に正字を書いてゐたわけではありません。ばらばらなのが自然でした。ところが近代に入り活版印刷が普及すると活字を組むための固定的な印刷字体が要請されます。

また国民国家は領域内の均一化/均質化を志向するので、言語・文字についても統制への力が働きます。そういう次第で、ばらばらへの許容度が減っていきます。政府が字体の基準を決めるのは当然のことです。また簡略化が必要なのもその通りでしょう。

しかし問題は、漢字全廃を最終目標としてゐたために、その簡略化をきわめて粗雑におこなってしまったことです。そしてこれを公的に正しい字としての地位を与えた。

また表外の漢字については当初なにも考えてゐなかったので、同じ要素なのに表内と表外とで違うとか、表内の簡易化を表外に及ぼした「拡張新字体」が作られてしまうとか、さまざまな問題が出てきました。

人名は大事だからということで「人名用漢字」を別に立てることになったのも「当用漢字」では間に合わないからです。

当用漢字表」は正統という観念、そして全体という観念を破壊しました。その結果、字源が説けなくなり、文字と文字とのつながり、連関を切断してしまいました。

有名な例では「売」という字。「売」はもともと「賣」でした。貝は古代世界で貨幣の役割をはたしてゐたので、「貸」「賄」「賂」「購」「貪」などお金に関係した漢字の中には「貝」がはいってゐる。「買」にも「貝」がある。が、「賣」を「売」にしたので「貝」が消え、系列から外れてしまいました。

「犬」を含む字に「器」「突」「臭」「戾」がありますが、新字体は「犬」の右上の点をとって「大」に変え、それぞれ「器」「突」「臭」「戻」としました。他方で「犬」はもちろん「然」「献」「状」「嗅」などは右上の点を残してゐます。

どうせ全部なくすのだから点一つのあるなしなどどうでもよい。そう考えてゐたからこのような意味不明な改変を加えるのです。

一斑を見て全豹を推すべし。「貝」「犬」ファミリーの例から他の漢字への扱いを察してください。国語改革による漢字の簡略化とはこういうものでした。整合性がとれてなくてもよい、筋がとおってなくてもよい、体系が破壊されてもよい、歴史性が失われてもよい、なぜなら漢字を全部なくすのだから、というわけです。

 

漢字廃止を目的とした「当用漢字表」による改革は失敗でした。この誤りを認めなかったことに根本的な問題があります。つかってよい漢字を1850字に制限し、それ以外の漢字の扱いについては関知しない。この状態から現実に後追いするかたちで政策をつぎはぎしていったわけです。

当用漢字表」(1946)で字数を制限し、「当用漢字字体表」(1949)によって表内の漢字についてだけ字体を示し、戸籍に登記するための「人名用漢字」を別に認め(1951)、表内の漢字だけで熟語をあらわすために「同音の漢字による書きかえ」(1956)を発表し、「当用漢字表」に100字ほどを加えた「常用漢字表」(1981)を制定し、ワープロの普及によって拡張新字体が問題になったので「表外漢字字体表」(2000)を定めた(「表外漢字字体表」1022字は基本的に康煕字典体)。

どうにもごちゃごちゃしてゐて全体がクリアに見えません。表内と表外とで基準が異なり、さらに別に人名用漢字がある。結果として「これに当たれば漢字使用の基準がわかる」という文書がどこにもない状況になってしまった。おまけにいくら批判しようにも、強制力がない「目安」にすぎないので、のれんに腕押しです。

要するに始めに制定した「当用漢字」が少なすぎたので、これを早い段階で3000字なり4000字なりに増やし、字体についても可能な限り字義と字源が見えて全体の整合性がとれるような簡易字体をつくればよかった。けれどはじめの誤りを認めず、「当用漢字」の字数と字体にこだわったために、表内/表外という無駄な構図が生まれ、こんがらがった妙な様相を呈することになった。

現在、コンピュータが発達して様々な字体を自由に打ち出せるようになり、完全にぼくの印象であり、実証的なデータはありませんが、「反撥」「叛乱」「恢復」「頽廃」など表外字/正字の使用が増えてきてゐる印象を受けます。「拡がる」「廻る」などの表外訓の使用もよく見かけます。

いうまでもないことですが、「ひっ迫」「急きょ」「安ど」のような交ぜ書きは依然として多い。「訣別/決別」「奇蹟/奇跡」「陰翳/陰影」の使い分けはおそらく半々くらいでしょう。「障碍」などは「障碍/障害/障がい」と三様の表記が同程度に使用されてゐるようです。

しつこいようですが、表記はいつの時代もばらばらです。ですからばらばらであることそのものには何の問題もありません。問題は、そのばらばらの背後にきちんと筋がとおってゐるか否かです。

現在の表記がばらばらなのは明確に戦後の漢字政策の失敗に起因するものです。ところがここに至った経緯が忘れ去られ、「碍」の字を「常用漢字」に入れるかどうかといった些末な議論をしてゐる。ぜんぶ入れたらいいのです。

筋を通すことはそんなにむづかしいことでしょうか。もう手遅れなのでしょうか。ぼくはそうは思いません。日本には優れた漢字学者がたくさんゐるのですから、今からでも以下のような全体の構想を打ち立てることは可能ではないでしょうか。

  • 漢字文化の伝統に敬意を表し、康煕字典体を正統表記と認め、正字とする。
  • 康煕字典体は現在の学問の基準から見れば誤りがあり、また画数が多く教育への負担が大きいため、日常使用する4000字(仮)を選び簡略字体を定め、これを行政文書に使用する。
  • 簡略字体のうち2000字(仮)を選び、義務教育において教授する。

こんな具合に、正統という次元を認め、国民国家内の標準字体として簡略字をつくり、その簡略字は表外/表内の対立が生じないように充分な字数を確保しておく。そうすれば誰でも理解できるシンプルなものになります。

そうして「個人の漢字使用を制限するものではないのであとはよろしくやってくれ」といえば、いづれ表記は落ち着くところに落ち着くのではないでしょうか。「落ち着くところに落ち着く」というのは適度にばらばらということです。

原則はちゃんとしてゐて、原則とどう附きあうかは個人が考えればよい。そのようなばらばらが健全であると考えます。

仮名遣い

仮名で語を書く

上に「犬」ファミリーのことを書きました。「犬」「器」「突」「臭」「戾」「然」「献」「状」「嗅」にはみな「犬」が入ってゐる。これら文字はそれぞれがひとつの「語(ことば)」です。

どんな語も単独として存在してゐるのではなく、歴史的経緯のなかで他の数多くの語との関係性のなかで生まれ、育っていきます。だから漢字を簡略化するにしても出来る限りその「かたち」が歴史性と関係性を保持してゐたほうがよい。簡単な理屈です。

では仮名による表記には漢字の「かたち」に相当するものはないのでしょうか。もちろんあります。それが「つづり(綴)」です。

漢字は一字が一語であるのに対し、仮名やアルファベットは多くのばあい複数の文字を並べてひとつの語を表します。この並びのことを仮名では「つづり」といい、英語では「スペリング(spelling)」という。

助詞の「は」「へ」「を」などは一字で一語なのでつづってゐる感じはしませんが、概念としてはつづりに含まれます。仮名を用いて語をつづるための原則とか取り決めのことを「仮名遣い」といいます。

仮名表記は漢字がそうであるように「つづり=かたち」によってその歴史性と関係性を保持してゐる。ただ仮名の場合は漢字のような絵画的な表象ではないために、それが見えづらくなってゐるにすぎません。見えなくてもあるのです。

分かりやすく漢字との類比で述べますと、戦前まで行われてゐた「歴史的仮名遣い」は漢字における「康煕字典体」に相当し、戦後の「現代かなづかい」は「当用漢字」に当たります。したがって「歴史的仮名遣い」が正統表記であり、「現代かなづかい/現代仮名遣い」はその簡易版といえます。

誤れる漢字政策によって奇怪な字体が登場し、交ぜ書きや複数の書き方が登場したように、仮名によるつづりにもそれに相当するものが登場しました。ただこちらも「歴史的仮名遣い」と「現代かなづかい/現代仮名遣い」は表面的にはそんなに違わないために見えづらくなってゐます。

つづりとか仮名遣いがそういうものであるとはおそらくほとんどの人は聞いたことがないと思います。この理屈にピンと来ていただくために、仮名の誕生にまで遡ってお話いたしましょう。

 

日本には元来文字がありませんでした。古代世界で文字を発明したのは中国、エジプト、メソポタミアなど。日本人は古代中国の漢人がつくった漢字によって初めて文字を知った。古代日本人の前には中国語をあらわすのに適した漢字だけが存在し、その漢字をもちいて日本語を書かねばなりませんでした。

異国の文字を用いて自国の言語を書き記すとはどういうことでしょう。いま大陸から漢字が入ってきた。漢字はひとつの文字がひとつの語をあらわてゐる。語とは意味と音との結合です。

したがって、ひとつひとつの漢字には中国語の意味と音が対応してゐることになります。この漢字を用いて日本語を書くためには、漢字と中国語との対応関係を解除して、漢字と日本語との対応関係を構築せねばなりません。

ここに二つの方法が生まれます。

意味を捨てて音を取る方法と、音を捨てて意味を取る方法と。

第一の方法は、「つき」を「都奇」と書き、「うぐひす」を「宇具比須」と書く類。漢字の意味をはぎとって、音を利用して和語を書く。もちろん中国語と日本語の音韻体系は異なるので、ここで「音を利用して」というのは、中国語の音を日本語の音韻体系のフィルタに通過させることで、いわば強引に、漢字に日本語の音を当てはめることを指します。

漢字の数は膨大であり、日本語の音節数は少ない。したがって、ある日本語の音をあらわし得る漢字が複数存在することになります。それでは当然不便なので、やがて文字と音との関係が一対一に収斂してくる。

この延長に日本語を書くための表音文字である仮名が誕生します。漢字の全体をくづして書いたのが平仮名であり、漢字の一部をとったものが片仮名です。「比」から「ひ」が、「伊」から「イ」が生まれた。

第二の方法は、「山」を「やま」と読み、「川」を「かは」と読むと決め、この対応付けに基づいて書く類。漢字の原音を無視して、その中国語の意味に相当する日本語を当てる。その際の読みのことを訓といいます。音と同様に、語彙体系もまた中国語と日本語では異なるため、漢字と訓との対応関係は複雑です。

「生」という字には「いきる」「はえる」「うむ」などの訓があり、逆に「かなしい」という語は「悲しい」とも「哀しい」とも書くことができる。訓は音の場合とちがって一対一に収斂することはなく、現在でも一字多訓および多字一訓の状態が続いてゐます。

和語はすべて平仮名で書いてもよいわけですが、ひとつには語の識別のために、またひとつには意味の細分化のために漢字を用いて書くことが多い。

意味の細分化というのは、言い換えれば限定ということで、例えば「はかる」などは漢字で「量る」「測る」「図る」「謀る」などと書き分けることで、一目して文脈に応じた意味がわかるように工夫して書いてゐる。

和語としての「はかる」はこれひとつで複数の意味があるのに、漢字で書き分けることで別々の語であるような錯覚が生まれます。いや錯覚ではなく漢字が異なる以上別の語とみなすべきかもしれません。

このように訓というのは中国語と日本語が交じり合う汽水域みたいな性格があり、一筋縄ではいきません。送り仮名などもそうで、「引っ越し/引越し/引越」はすべて「ヒッコシ」と読みますが、どの送り方が正しいかを決定することはできない。

「生れる/生まれる」「持主/持ち主」「祭/祭り」など、どちらでもよく、これが正統だという送り方は存在しません。表語文字である漢字と表音文字である仮名を交ぜて語を書くと、表語性と表音性の領土争いが起こり、表記にゆれが生じるのです。

 

話が横道にそれてしまいました。元に戻しましょう。

漢字に(もとの中国語と同様の意味の)和語を当てる、すなわち「山」を「やま」と読み、「川」を「かは」と読むと決める。この日本語読みが訓でした。さて、この訓を利用してもう一つの方法が生まれます。

こんどはその訓から意味をはぎとって、訓の音を利用して和語を書く。「なつかし」を「夏樫」と書き、「かきつばた」を「垣津旗」と書くというやりかたです。漢字から中国語の意味をはぎとり、和語を当て、次にその和語の意味をはぎとり、音だけを利用するのです。

漢字を用いて日本語を書くのに、漢字の意味を捨てて音を取る方法と、音を捨てて意味を取る方法の二つあると書きましたが、これで意味を捨てて音を利用する方法が二つできたことになります。

すなわち、漢字の中国語音を利用して、「つき」を「都奇」と書き、「うぐひす」を「宇具比須」と書く方法と、漢字に当てた訓の音を利用して、「なつかし」を「夏樫」と書き、「かきつばた」を「垣津旗」と書く方法。前者を音仮名と呼び、後者を訓仮名と呼びます。そして、ふつうこれら二つを合わせて万葉仮名と呼んでゐます。

文字としては漢字なんです。けれども用法としては意味を無視した表音的用法である。

有名な「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」と記された金印は、57年に光武帝倭奴国使節に与えたものです。遅くとも紀元一世紀には、古代日本人は漢字に触れてゐた。彼らは渡来人の助けを得て、まづ漢字の原音を利用して音仮名をつかいはじめ、つぎに漢字に和語を当てる訓を発明し、そして訓の音を利用した訓仮名を生み出した。

仮名が発明されて定着する以前にはこれら複数の方法を組み合せて日本語を書いてゐました。その工夫がある種の洗練にまで到達したところに、古事記万葉集が成立します。八世紀のことです。

九世紀に仮名が発明されて少しづつひろがり、十世紀初頭に古今和歌集が撰進されたことで仮名は一気に公的な地位を得ることになりました。古今和歌集は日本最初の勅撰和歌集であるのみならず、仮名で書かれた最初の公的文書です。

894年に遣唐使が廃止され、時代は唐風文化から国風文化へ移ろうとしてゐた。中国に対する日本というアイデンティティの目覚めが、真名(漢字)から仮名へという表記の変化につながるわけです。

ここから武士の時代までの300年ほどがいわゆる王朝文学の花盛りであり、和歌、日記、物語とさまざまな作品が登場しました。

この時代に習字の手習いとして用いられたのが47字の仮名を一度づつ用いてつくられた「いろは歌」です。仏教の無常観を読みこんだ傑作であり、かつ弘法大師空海の作であると信じられたことから広く普及し、規範的な地位を占めるに至りました。

民族意識が高まり、仮名書きが完全に定着し、優れた文学が生み出された時代に必要とされたのが47文字の仮名だった。だからふつう仮名といったらこの47字のことを指し、最も広義における仮名遣いとは、日本語を書く際のいろは47字(後に「ん」が追加されて現在は48字)の遣い方をいいます。

変わりゆく音、変わらない文字

音声言語は口にした途端に消えてしまう、未来にも過去にもなく、いまここで、あたなとわたしがやりとりするものです。これに対して文字言語は、いまここではなく、時間的にも空間的にも、より遠くの誰かとやりとりすることができます。

音声を文字にしたり文字を読み上げたりすることにあまりに慣れてゐるためになんとも思わないわけですが、音声信号と視覚信号をひとつ同じ言語として了解してゐるのはよく考えると奇妙なことです。

奇妙なことを奇妙と感じないのは、いまここの文字と音との対応関係が、いまここを生きる人間の脳にインストールされてをり、そのコードに基づいて音声信号と視覚信号を交換してゐて用が足りるからです。

しかしそれで済まなくなる場合があります。自分の頭のコードではうまく変換できない。これはどう読んだらよいのか、どう書いたらいいのか悩んでしまう。そういう状況があります。

それは、文字と音との関係に変化が生じたときです。なぜ変化するかと言えば、音声は移ろいゆくものであるのに対し、書かれた文字のほうは動かないからです。はじめ同じ場所に立ってゐたとしても、時間の経過とともに片方は動き、もう片方は動かないとすれば、両者の関係は一定ではあり得ません。

八世紀に万葉仮名の使用が極みに達し、九世紀に仮名文字が生まれて徐々にひろがり、十世紀初頭の古今和歌集の成立により、仮名は日本語表記の文字として完全に定着しました。

「定着した」ということの意味は重大です。なぜなら一度定着した文字はそこで固定される。そして、固定されたとたんにもう「古くなる」。

古くなった程度がある閾を超えると、既存の変換コードでは対応できなくなります。

50音図を掲げます。ここでは煩を避けて、変体仮名や濁音・拗音、それから50音図が上のかたちに整理されたのが十七世紀であることなどは無視します。ポイントを把握することが目的ですから図式的に考えてみましょう。

それぞれの仮名は平安時代から同じ形をしてゐます。1000年以上ずっとそうなのです。ところが音韻体系は時代によって異なるので、この図を見たとき平安時代のひとは平安時代の音韻を想起し、室町時代のひとは室町時代の音韻を想起し、江戸時代のひとは江戸時代の音韻を想起する。

文字はいつも同じだけれど、音のほうは時代ごとに異なる。だから音が変化するにつれて文字-音の対応関係もまた変ってゆく。

とすると、昔からずっとある語の表記は時の過ぎるにつれて混乱が生じるのが道理です。

新しい語が登場したらその時代の文字-音コードに基づいて表記すればよい。それができるのが表音文字のよいところです。では昔からずっとあり、今もあり、これからも存在し続けるであろう言葉についてはどう表記したよいのか。ここに仮名遣いというものへの自覚が生まれます。

ここで重要なことは、音韻の変化はとてもゆっくりとしたものであるため、生きてゐる人間は気がつかないということです。変化してずいぶん時間が経って、既存のコードでは用をなさないことに気づいてはじめて、ようやく問題となります。変化はもう起ってをり、みんな過去のことです。

だから仮名遣い問題とは、いまここの人間が過去とどう対峙するかの問題といえます。

 

初めてこの問題に直面したのが藤原定家(1162~1241)でした。

定家は貴族社会が終わり武家社会がはじまる転換期に生きた人でした。彼は当時存在した数多くの文献を集め、校勘し、定本をつくりました。13世紀初頭にはすでにいくつかの音韻が消滅してをり、同じ発音の仮名が複数生まれてゐたために表記の混乱が生じてゐた。彼はそこで「仮名遣い」を定める必要に迫られたのです。

ワ行の「ゐ」「ゑ」「を」がア行の「い」「え」「お」と同音になり、また語中語尾のハ行音がワ行音に変化したために、

「恋」という語を、「こひ」と書くか、「こゐ」と書くか、「こい」と書くか。

「顔」という語を、「かほ」と書くか、「かを」と書くか、「かお」と書くか。

という問題が生じた。

発音に通りに書くことをよしとするならどう書いてもよいわけです。ここで「どう書いてもよい」と考えるなら「仮名遣い問題」は存在しません。「きちんと書き分けたい」という意志があってはじめて「仮名遣い問題」が生まれます。

定家は「どうでもよい」とは考えませんでした。貴族文化の精華を正しい仮名遣いによって書写し、正統なる古典として後世に伝えたいと考えました。

はじめて表記の乱れをはじめて意識的にとりあげ、なんらかの規範によって書き分けるべきだと考え、実践した。これは仮名表記における一大画期というべき事件です。ここにおいて、仮名は単に音を写すための文字ではなく、つづりによって語を示すための文字へと性格を変えました。(橋本進吉「表音的假名遣は假名遣にあらず」)

正確にいうならば、性格を変えたのではなく、文字と音のずれが目に見えるようになってはじめて、仮名の本当の性質が見えるようになったのです。それまでは、文字と音とが一対一で対応してゐたために(そのように観念されてゐために)、仮名のつづり字的性質が見えなかった。見えなくてもあったのです。

福田恆存の「私の國語教室」から引用します。ここがいちばん大切なところですから、ちょっとややこしいですが、じっくり読んでください。

 文字が音にではなく語に仕へるといふ事實は、もちろん表記といふ行爲がおこなはれはじめたときからのことで、ただ定家はその觀念を最初に意識した人といふに過ぎません。が、意識させられて、あるいは意識させられるやうな事態が起つて、初めてかな文字は新しい目でみられ使はれだしたのであります。嚴密に言へば、新しい目にも何も、人の意識に照らされて「見られた」といふのが、おそらくこの時をもつて初めとするやうであります。   

 では、なぜそれまでは「見られなかつた」のか。かな文字が表音文字であるからです。それがなまなか表音文字であるために、音を寫すといふ文字の卽物的能力にのみ、人の意識が向けられてゐて、語を志向するといふ觀念的可能性が見えなつたのであります。が、それはあくまで見えなかつたといふだけのことで、無かつたのではない、最初からあつたものです。たとへ表音文字であるかな文字といへども、文字である以上、それはあつたのです。 

(引用に当たり改行を追加した)

以下、もっぱら丸谷才一編「国語改革を批判する」所収の大野晋の論文「国語改革の歴史(戦前)」を参照して書きます。

定家は歌論集「下官集」のなかで書き分けの例を示しました。後の研究によってあきらかになったところによれば、「を」と「お」の書き分けについては当時のアクセント(高低)に基づいて定め、その他の語については古典に基づいて、語によって個別に定めたようです。当時はまだ音韻が変化することが知られてゐなかったのです。

定家は自分の仮名遣いを周囲の人に強制しませんでしたが、後に「歌聖」と呼ばれるほどの権威ある人物であったため、下官集の写本が流布し、世間ではこれに従った書きかたが広まりました。やがて南北朝時代の学者・行阿(生没年不詳)は「下官集」に多数の語例を増補し本格的な教則本「仮名文字遣」を著しました。世間にこれが広まり「定家仮名遣い」と呼ばれるようになりました。

江戸時代に入ると僧・契沖(1640~1701)が「定家仮名遣い」とはまったく別の原理による仮名遣いを提唱しました。

契沖は「古事記」「日本書紀」「万葉集」などにおいては仮名遣いの混乱がないこと、これらの文献に照らして「定家仮名遣い」には誤りがあることを発見しました。そして「和字正濫抄」を著し、一語一語の仮名遣いを前記のような上代の文献に従って定めるべきであると主張しました。これが「契沖仮名遣い」です。

「契沖仮名遣い」は音韻が変化する前の文献に根拠をおくため、発音の変化によって仮名遣いが動揺する心配がありません。ある語がはじめて書かれたときのつづり、可能な限り古い文献の記載を正統とすれば、正しく実践できるかは別として、少なくとも理屈のうえでは、仮名遣い問題はこれで解決です。

すなわち、「恋」は「コイ」と発音してゐたとしても「こひ」と書く。なぜならそれがいちばん古い書き方だから。明快です。

「契沖仮名遣い」は徐々に支持者を増やし、国学者からも認められ、その延長に補充訂正がなされました。その総体が「歴史的仮名遣い」です。したがって「歴史的仮名遣い」は実はかなり「新しい」ものです。紫式部鴨長明がこれに従って日本語を書いてゐたということはありません。

「歴史的」というのは古いということではなく、歴史的文献に根拠を置く/歴史的一貫性を有する/歴史性をつづりに残してゐる、という意味です。

使用されてゐた期間としては、定家仮名遣いが圧倒的に長く、いま写本として伝わってゐる古典文学の多くは「定家仮名遣い」で書かれたものです。

しかし「歴史的仮名遣い」で書けばいつの時代の日本語も同じ仮名遣いによって表記できるため、いま出版されてゐる古典文学のほとんどはこの「歴史的仮名遣い」に改めて出版されてゐるのです。古語辞典の見出しも当然これによります。

明治時代にいたり、日本は大日本帝国を建設しました。ここでは「国家語」としての「日本語」を「国民」全体に普及させねばなりません。明治政府は、根拠が明確で整然たる統一を示してゐることから、「歴史的仮名遣い」を教科書の表記法として採用しました。こうして「歴史的仮名遣い」は事実上の正書法として定着することとなりました。

 

さて、ここで補足的に字音仮名遣いのことを述べておきます。

字音というのは漢字音のことです。漢字の中国語音を日本人が聞き、それをなんとか仮名で表そうとしたらどうなるか、というのが字音の仮名遣いです。明治政府はこの字音について、本居宣長の研究に基礎をおく古典主義的な仮名遣いを採用しました。

宣長の字音仮名遣いは漢字が移入された当時の音をできるだけ仮名で書き分けるというものです。「できるだけ」というのは中国語と日本語は音韻体系がまったく異なるため、漢字の音を仮名で写すのは厳密には不可能だからです。

例を挙げると「蝶」を「テフ」、「良」を「リヤウ」、「答」を「タフ」、「早」を「サウ」と書く類のもので、これはたいへんむづかしく、ふつうは覚えられません。

和語の仮名遣いと字音の仮名遣いとがひとつ「歴史的仮名遣い」の名で教育されたために国民に困難を感じさせることとなりました。歴史的仮名遣いがむづかしいという印象はおそらくここからくるものです。

字音は外来語の表記ですからこれを現代音韻にもとづいて改めても日本語体系が破壊されるわけではありません。だから和語とあつかいが違ってゐて当然です。当初から和語は歴史的仮名遣いで、字音は現代音韻に従って、というふうに区別して教育が行われてゐれば、その後の改革も違ったものになったかもしれません。

しかし江戸末期に国学が発達し、明治期に西洋の言語学が入ってきてようやくいろいろなことが分かってきた。しかも国民国家をつくって初めて学制をしくという慌しい状況なのですから、不備も失敗もあって当然、明治政府を責めるのは不当でしょう。

なお、いま普通に「字音」とだけいうと現代の発音に合わせて簡略化した表記を指し、「字音仮名遣い」という場合に宣長方式の仮名遣いを指すことが多いように思います。前者を「字音の現代仮名遣い」、後者を「字音の歴史的仮名遣い」と呼ぶこともあります。

ややこしいですが、「小」の「字音の現代仮名遣い」は「ショウ」であり、「字音の歴史的仮名遣い」は「セウ」である。「犬」の「字音の現代仮名遣い」は「ケン」であり、「字音の歴史的仮名遣い」は「クヱン」である。漢字字典にはふつう両方の記載があります。

つづりと時間

さて、ようやく漢字の「かたち」に相当するものが仮名のつづりであること、そしてつづりが語の歴史性を示してゐることが理解できる段に至りました。

仮名は表音文字であり、音と結びつき、音を表してゐる。いまここに生きてゐる人間はいまここの音しか知りません。だからいまここの文字-音コードにしたがって読んだり書いたりします。しかし文字のほうは違います。文字は数百年の歴史をもち、いまここだけではなく、数百年のうちに変化していった音、その変化の歴史に結びついてゐる。

文字言語の役割が人間世界のいろいろを記録・保存し、過去や未来と対話することである以上、文字による表記はころころ変化してはならず、一定であることが求められます。したがって音を表す表音文字であっても、表記は音ではなく語を志向します。それが文字の生理というものです。

言語の本体は意味=語ですから、音ではなく、語を表すという原理に従って文字を並べてその「かたち」を固定すれば、通時的な表記とすることができるというわけです。

(・・・)音聲が文字を規制し、文字は音聲を寫すだけでなく、一度出來あがつた文字は音聲を規制することがあるし、少くとも音聲から離れて別個に行動するものであり、それを許さねば文化も文明もありえないのです。

第一、發生的に考へても、まづ音聲が存在し、それを寫すために文字が出來たといふのはどうでせうか。それは表音文字について言へるだけの話で、さらに發生的に考へれば、文字は音聲とは無關係に、かつ音聲を伴はずに、まづ繪文字として出現したのであります。 

福田 前掲書 (引用に当たり改行を追加した)

引用した文章はもちろん歴史的仮名遣いで書かれてゐます。ここには現代のぼくたちが五十音図を見たときに観念する音とは違う読みがなされる表記がたくさんあります。

「考へ」は「カンガエ」、「いふ」は「ユー」、「どう」は「ドー」、「でせう」は「デショー」と発音してゐます。助詞の「は」「を」は現代仮名遣いと同じですから違和感がないかも知れませんが、「は」は「ハ」と発音するのにここでは「ワ」と読ませてゐるし、「を」はかつて「wo」であったのがいまは「オ」となったので「お」とかぶってゐる。「まづ」は後述しますが、いまなら「まず」と書くところです。

これら文字と音とはずれてゐます。ずれてゐるのになぜ読めるのでしょう。どうして「どうでせうか」と書いてゐるのに、それが「ドーデショーカ」であることが分かるのでしょうか。それは語を認識してゐるからです。つづり=かたちから語を認識し、語から音を思い出してゐる。漢字と同じです。

仮名文字は表音文字であるためにつづりによって語を表すという機能が見えずらい。音韻が変化したことで文字と音とのずれが大きくなってはじめて意識されるようになった。ですからつづりにおける文字と音とのずれとは時間なのです。言葉の長い歴史が文字と音とのずれとしてあらわれてゐるのです。

歴史的仮名遣いはその名のとおり表記に歴史性を保持した仮名遣いです。すでに述べたとおり、明治から戦前までは歴史的仮名遣いがいっぱんに用いられてゐました。そして敗戦後の国語改革は日本語表記から歴史性を除去するために行われた。過去はすべてなかったことにして米軍の指揮のもとで新しい日本に生まれかわるのである。

言語表記からも歴史的なものがあってはならないというわけです。漢字については全部廃止することが目指されたことは上に述べました。仮名については、歴史的仮名遣いの歴史性がとうぜん問題になります。歴史をなかったことにしたい、ということは、文字と音とのずれを全部なくそう、という方向への改革になります。

そのための措置が「当用漢字」と同時に公布された「現代かなづかい」です。性格も「当用漢字」と同じで、文字と音とのずれを完全になくすることが最終目標であり、そのための暫定的処置といえます。

 

歴史的仮名遣いでは、文字は現在の音韻だけでなく、平安時代以来のあらゆる時代の全音韻に結びつくことを認めてゐました。国語改革は仮名遣いからこの文字と音との通時的な関係を停止させ、仮名を現代の音とだけ結びついたかたちでつかうようにしようという改革です。これを表音化といいます。

文字と音の関係を一対一で固定し、一音一字、一字一音の原則で表記するということです。同一音はつねに同一文字によって表され、同一文字はつねに同一音を表す。それはちょうど動き回ってゐる昆虫をつかまえて針で留めて標本をつくるのに似てゐます。

仮名文字と音韻との1000年におよぶゆるやかな結びつきを解除し、仮名文字をいまここの音韻に固定するということです。

これはまさに仮名遣いの歴史における革命といえるものです。なぜなら藤原定家が取り上げて以来、仮名遣いとはそういうものではなかったからです。時間の経過により文字と音にずれが生じたことで複数の書き方が可能になったときに、どの語をどうつづるかを決めたのが仮名遣いでした。

ですから仮名遣いの前提は一音一字、一字一音の状態が失われてゐるということです。だからつづりによって語を表すのです。それによって表記の歴史的一貫性を保持し、文字言語としての役割を十全に果たす。

それを「現代かなづかい」は仮名遣いの前提たる文字と音とのずれ(歴史性)を消去して、自分が発音してゐる音に対応する文字をそのまま書くようにしようという。「当用漢字」に「漢字廃止を目指す」と書かれてゐないように、「現代かなづかい」にも「完全なる表音化を目指す」とは書かれてゐません。冒頭に述べたように、これらは政治文書なので責任を回避できるような書き方をしてゐるのです。

「現代かなづかい」はかなり奇異な文書で、腰の定まらない感じというか、ビジョンのなさが全体から横溢してゐます。

仮名を現代の音韻にのみ対応させようということなので、「ゐ」「ゑ」「を」「ぢ」「づ」は不要となります。だから、「ゐ」「ゑ」「を」は「い」「え」「お」と、「ぢ」「づ」は「じ」「ず」と書くよう指示があります。

けれども、助詞の「を」は「を」と書かねばならない。他方で助詞の「は」「へ」は「は」「へ」と書くことを本則としながら、「わ」「え」と書くことを許容してゐる。どちらでもよいのです。

さらには「ぢ」「づ」は「じ」「ず」と書くとしながら、『「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」をいい分けている地方に限り、これを書き分けてもさしつかえない』とあります。

また適用範囲があまりにあいまいです。「まえがき」によれば、「現代語」で書かれた「現代文」のうち「口語体」のものということですが、どうやって現代語か否か、口語か否かを判断するのでしょう。「思ひきや」とか「日出づる国」なんかどうしたらいいのか。

このように、「かなづかい」とは名ばかりで、「現代かなづかい」を真剣に受け取めると、表記はばらばらになりますし、どう書いてよいか分からない語が出現してしまう。あるところでは発音のとおりに書けといい、別のところではアレでもコレでもよいといい、いくつかの語については歴史的仮名遣いから修正したつづりを例として示してゐる。

どこにも基準がありません。「現代かなづかい」では、実に、ある語をどう書いたらいいかを決定できないのです。一部の語について例外的につづり概念を適用して表記を示しながら、他の語については自分の音韻意識にしたがって仮名書きするような体裁になってゐる。それでは表記がばらばらになりますから、さっそく用をなさず、仮名遣いとはいえない。

このことを国語学者の時枝誠枝は「表記の不断の創作」といいました。

 次に問題は、本案の骨子である現代語の音韻意識によつて書き分けるといふ表音主義についてである。この主義に基づいて假名を用ゐるといふことになれば、勢ひ假名遣の根底は、記載者各自の音韻意識の反省に存することとなり、これを徹底さすならば、同一の語も地域的に異なる場合が生じ、又時と場合とでは相當の差異が生ずるのが必然である。

(・・・)云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典假名遣の困難を救はうとして、さらに表記の不安定といふ別個の問題をひき起こすことになるのである。

「國語問題と國語敎育」

では当時の日本人は実際に「表記の不断の創作」をおこなったのでしょうか。もちろんそんなことはありません。「現代かなづかい」が奉じる表音主義がそれを求めたとしても、人々はそんなものを求めるわけがないからです。

だから実際におこなわれたのは、歴史的仮名遣いを元にして、「現代かなづかい」にしたがって修正した表記でした。なぜなら明治以来の正統表記である歴史的仮名遣いが目の前にあるわけですし、それを座標にしなければ表記を確定できないからです。

「現代かなづかい」は日常使用する数千語のひとつひとつについてつづりを示してはをらず、そういう台帳もありません。自分の音韻意識にしたがって書くことを目指したのだからなくて当然です。

でも、それでは文字言語によるコミュニケーションに大きな支障がでます。だから実際の運用においては歴史的仮名遣いに頼らざるを得ないのです。

 

さて、仮名遣いの改革も漢字の改革と同じく、いつのまにか忘れ去られ、なんとなく途中の状態で定着してしまいました。中途半端な状態を追認したのが1986年の「現代仮名遣い」です。本質は「現代かなづかい」と変わりありません。

1946年の「現代かなづかい」の「まえがき」には、「このかなづかいは、大体、現代語音にもとづいて、現代語をかなであらわす場合の準則を示したものである。」とあります。1986年の「現代仮名遣い」の「前書き」には、「この仮名遣いは、語を現代語の音韻に従って書き表すことを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して、一定の特例を設けるものである。」とあります。

「かなづかい」が「仮名遣い」に、「まえがき」が「前書き」に表記が変ったのは、漢字廃止を諦めたので遠慮なく漢字で書いたということでしょう。

「現代仮名遣い」の「表記の慣習を尊重して、一定の特例を設ける」とは文字と音とのずれ(歴史性)を消去しきれなかったところがあるので例外としてつづり概念を適用するということです。

「特例」の代表は助詞の「を」「は」「へ」です。「現代かなづかい」では助詞の「は」「へ」は「わ」「え」と書くことを許容してゐましたが、それがなくなりました。べつに「表記の慣習=歴史的仮名遣い」を尊重したのではなく、それで定着したのを追認したにすぎません。

「前書き」では、

「また、この仮名遣いにも歴史的仮名遣いを受け継いでいるところがあり、この仮名遣いの理解を深める上で、歴史的仮名遣いを知ることは有用である。」

と書いてゐますが、「歴史的仮名遣いを受け継いでいるところがあり」というのは大嘘です。実際は表音化が不可能であることがあきらかとなり、改革が中途で頓挫し、部分的に歴史的仮名遣いが残ったのです。それをやはり政治文書なので、辻褄が合うように、また経緯を知らない人が「そんなものか」と思うような書き方をしてゐる。

ともに「仮名遣い」をの名をもち、片方は「歴史的」で、もう片方が「現代」であるために、このふたつが「昔の仮名遣い/現代の仮名遣い」という二項対立をつくってゐるかのように思われてゐますが、これは名前の印象からくる錯覚です。

なぜなら歴史的仮名遣い」は単独で存在し得るものですが、「現代仮名遣い」は「歴史的仮名遣い」抜きには存在し得ません。「受け継いでいるところがある」どころではなく、完全に依存してゐるのです。

「現代かなづかい」も「現代仮名遣い」も「現代の音韻から仮名による表記を導きだす」という表音主義に足場をおいてゐるものです。したがって、ここから安定した語の表記=仮名遣いを確定することはできません。というか確定することを放棄してゐる。

ぼくたちは自分の発音から語のつづりを導き出してゐるのではありません。学校で習ったつづりを覚えて書いてゐる。ひとつひとつの語について、こう書くのが正しいのだと教わったつづりを書いてゐる。

では学校で習うつづりはどういうものかといえば、歴史的仮名遣いを現代の音韻にもとづいて簡略化したものなのです。「現代かなづかい/現代仮名遣い」にはつづり台帳がないためにそれ以外に語のつづりを確定する方法がないからです。

国語辞典で任意の語を引くと、必ずかっこ書きで歴史的仮名遣いでのつづりが付記されてゐます。

「おかしい(をかしい)」「もちいる(もちゐる)」「はずかしい(はづかしい)」「じゃあ(ぢやあ)」「ゆくえ(ゆくへ)」「おもう(おもふ)」「おはよう(おはやう)」

などです。かっこ書きされた歴史的仮名遣による表記は「昔こう書いてゐた」ということではなく、そちらが正統表記であり、本体です。そしてこれを現代音韻にもとづいて簡略化したものが現代仮名遣いによる表記です。でも「現代仮名遣い」にはそう書かれてゐないので、厳密にいえば「そう思い込んでゐるもの」ということになるでしょう。

ここの記述はおそらく意味不明に感じる方が多いでしょう。ぼくはなにも奇を衒って言葉をもてあそんでゐるのではありません。筆力不足がもちろんありますが、論じる対象の「現代仮名遣い」という概念にそもそも問題があるのです。名前と、中身と、実態と、すべてにねぢれがある。

第一に、これまでの仮名遣い概念とはまったく異なるのに「仮名遣い」を名乗ってゐる。第二に、とはいえ、たしかに従来の仮名遣いを継承してゐるところもある。第三に、「歴史的仮名遣い」が背後で支えてゐるために、たいした混乱がおこらず、あたかも「現代仮名遣い」がうまく機能してゐるかのように見える。

そういうわけで、これを論じようとするときっと混乱してしまうし、現実的にはたいして混乱してゐない以上、批判しても共感を得ることができない。概念の混同と詭弁により現実的な権力を維持する。政治文書としてはよくできたものといえそうです。

歴史的仮名遣いを現代の音韻にもとづいて簡略化する方法を示す。その原則、およびこれによるつづりを現代仮名遣いとしてここに定める」

簡単にこう書けばよいのです。これが実態です。

「日出づる国」か「日出ずる国」か

漢字の改革と同様に、仮名遣いの改革も途中で止まりました。その痕跡が、助詞であり、四つ仮名です。

助詞の「は」「を」などの表記が表音化までの途中の状態であることは、助詞が特殊な機能を担うものであるために、またそれに慣れ切ってゐるためにわかりづらい。ここでは改革が途中で止まったこと、その痕跡が分かりやすい例として、「四つ仮名」を取り上げましょう。

「四つ仮名」とは「じ」「ぢ」「ず」「づ」の四つの仮名の総称です。これらはもと「じ( ʒi )」「ぢ( di )」「ず( zu )」「づ( du )」と異なる音で発音されてゐました。

ところが発音に変化が生じ、「ぢ」が[dzi]に、「づ」が[dzu]に変化したために(つまり「じ」「づ」に寄って行ったために)、十六世紀初頭から「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」のあいだに混同が生じるようになりました。そうして十八世紀初頭には発音上の区別がほぼ消えました。

そうなると一音二字ですから仮名が余ります。音のほうから考えますと「静か」という語を書くのに「しずか」とも「しづか」とも書けることになる。「始まり」という語を書くのに「はじまり」とも「はぢまり」とも書くことができる。

複数の書き方が可能となったときにどう書いたらよいか。これを決めるのが仮名遣いです。

歴史的仮名遣いは音韻変化が生じる前の表記にしたがいますので、「しづか」「はじまり」と書くのです。国語改革は一字一音を目指しますから、字が余ってゐる状態を解消したい。ですから「現代かなづかい」では「ぢ」「づ」は「じ」「ず」と書くという原則を立てました。

これを徹底すればそれなりに筋がとおります。けれど、そうなると「近々」を「ちかじか」と書かねばならず、「綴る」を「つずる」と書かねばならない。でもこれは「ち」および「つ」が濁ったのだからそのまま「ちかぢか」「つづる」と書きたい気がする。この感覚に配慮したのでしょう。「現代かなづかい」は二つの例外をつくりました。

・二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」

・同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」

これらについては、「ぢ」、「づ」で書いてよいとした。すなわち「ちかぢか」「つづる」と書いてよいとした。それはよいわけですが、こうして例外を設けたことによって、仮名遣いに無用の混乱が生じました。

なぜなら、例外に当てはまるか否かの判断基準があいまいで、判断が恣意的なものになるからです。「つまずく」を「爪+突く」に、「さしずめ」を「指す+詰め」に分解する語意識をもってゐるかはひとそれぞれですから、表記にゆれが生じてしまいます。

この問題について「現代かなづかい」の後継である「現代仮名遣い」は、どちらでもよいとして判断から逃げてゐます。以下のような語は「現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等」として「じ」「ず」を本則とするが、「ぢ」「づ」で書いてもよいとします。

せかいじゅう(世界中) いなずま(稲妻) かたず(固唾) きずな(絆*) さかずき(杯) ときわず ほおずき みみずく うなずく おとずれる(訪) かしずく つまずく ぬかずく ひざまずく あせみずく くんずほぐれつ さしずめ でずっぱり なかんずく うでずく くろずくめ ひとりずつ  ゆうずう(融通)

これらの語については「ぢ」でも「じ」でも、また「づ」で「ず」でも、どちらでもよいわけです。しつこいようですが、発音が変化して複数の書き方が生じたときにどう書くべきかを決めるのが仮名遣いです。ですから「こうでもよい、ああでもよい」というのは仮名遣いではありません。規範の否定であり、責任回避といえます。

ここに挙げられてゐる「ひとりずつ」の「ずつ」は助詞のひとつであり、歴史的仮名遣いでは「づつ」と書きます。迷う人が多いからでしょう、「ずつ づつ」で検索するとたくさんのページが出てきて、ぼくが確認した限りすべて「ずつ」が正しいと書いてあります。

でも、「現代仮名遣い」には「正しさ」という観念がそもそもないのです。「ずつ」は「本則」であって、「づつ」と「書くこともできる」とありますから、どちらかを正しいと決めてゐるものではありません。「正しい」という観念を認めるとすれば、歴史的仮名遣いの「づつ」が正しいとするほかありません。

 

「二語の連合」「同音の連呼」に当てはまらなくても、四つ仮名をつかった語には語意識が残ってゐるものが多いため、ちょっと考えれば「ぢ」「づ」で書いたほうが自然であると分かるものがたくさんあります。

たとえば、「難しい」という語。古語では「むつかし」であり、「むつかり」「むつけ」と同根とされてゐます。この「難しい」が現代では澄んだ音と濁った音、すなわち「ムツカシイ」「ムズカシイ」と二様に発音されてゐる。だからこれを自然に書き分けるとすれば「むつかしい」「むづかしい」となるはずです。

しかし現代仮名遣いでは原則として「づ」は使わない、そして「二語の連合」「同音の連呼」という例外に該当しないため、濁った発音のほうは「むずかしい」と書かねばならない。これはヘンです。歴史的仮名遣いでは「むつかしい」「むづかしい」と書きますから自然かつ合理的です。

いづれ」「いづこ」もそうです。この「いづ」は、時の不定の代名詞「いつ」および場所・方向の不定の代名詞「いづ」につながるもので、「いつか」「いつも」などとのつながりが表記にあらわれてゐる。現代仮名遣いでは「いずれ」「いずこ」となるため他の語との関連が消えてしまいます。

日本の美称に「日出づる国」というのがありますが、これも現代仮名遣いでは「日出ずる国」となり、国語辞典にはみな「ず」のほうで記載があります。しかし「出で立ち」などとの関連から、古語「出づ」が「だ行」に活用する動詞であることがわかる。そのせいか、「日出づる国」と「日出ずる国」はかなりばらけてゐるように感じます。

「むづかしい」も「いづれ」も「いづこ」も「日出づる国」も、ちっともむづかしい書き方ではありません。こちらのほうが自然かつ合理的です。現代仮名遣いは「ぢ」「づ」を使わないとし、「二語の連合」「同音の連呼」は除くという例外を設けたことによって、表記をいたづらに混乱させた。

これは当用漢字がもたらした表内/表外の対立によく似てゐます。線引きすべきではないところに線を引いたことによって、合理的で明瞭な原則が存在しなくなってしまったのです。語意識というものがある以上、四つ仮名をつかった語について表音主義的な観点から分割線を引くことは不可能と考えます。

四つ仮名の例からあきらかなように、表音式仮名遣いの試みは失敗です。ほかにハ行点呼音の表記(「おもひでぽろぽろ」の「ひ」など)などはきわめて法則的な変化であるため、残しておいてもまったく問題なかったでしょう。

日本を過去から切り離したいという敗戦後の極度の自信喪失のなかで改革が実行されてしまったために、自然かつ合理的な歴史的仮名遣いに対して、必要のない表音化がおこなわれてしまった。その失敗を認められないので、「現代仮名遣い」は責任回避のための詭弁的文言をつらねることになってゐる。

上に漢字改革で述べたのと同じことを繰り返さねばなりません。表記はいつの時代もばらばらです。なにを正統としても、どういう原則を立てても、いつでも誰でもがそのとおりに書くわけではありません。問題は、そのばらばらの背後にきちんと筋がとおってゐるかです。

「づつ」と「ずつ」がばらけてゐることそれ自体は問題ではない。けれども「づつ」が正統であるということを認めるべきです。観念としての正統という概念をきちんと認める。そのうえで、現実に表記がゆれたりばらけるのは放っておく。それが穏当な態度だと思います。

  • 仮名遣いの伝統に敬意を表し、歴史的仮名遣いを正統表記とする。
  • しかし歴史的仮名遣いによる表記は教育への負担が大きいため、現代音韻にしたがって若干の表音化を行い簡略化表記を定め、これを行政文書に使用する。
  • 漢字音および外来語については表音式に書くこととする。

こんな具合に、正統という次元を認め、それと別に政府公認に簡略化表記を定めて、これを義務教育で教える。こうすればシンプルで筋が通ったものになります。というか、現実にはこれにすごく近いことが行われてゐる。けれどもしつこいようですが、そういうふうには書かれてゐない。

だから「現代仮名遣い」は現実にあった書き方に修正すべきです。そしてすべては無理にしても、ここに挙げたような、「四つ仮名」をつかう語のなかで特に使用頻度の高いものついては、歴史的仮名遣いに戻すべきです。

まとめ

言葉や文字などどうでもいい

言語表記は民族・国民のアイデンティティによって決定されます。アイデンティティを支えるのが歴史意識です。敗戦直後に行われた国語改革は、過去はすべて誤りであった、全部なかったことにしたい、という自棄のうちに為されたものです。日本語表記からも歴史性を除去しようとした。

漢字廃止と仮名遣いの表音化を目指した改革は途中でとまりました。その途中の状態がなんとなく定着し、もはやそのことに誰も疑いを抱いてゐない。背景も経緯もすべてが忘れ去られました。

今年、ロシアがウクライナに侵攻し、ゼレンスキー大統領が「Kiev ではなく Kyiv にしてくれ」と呼びかけたので、ウクライナの首都は「キエフ」から「キーウ」に変わりました。表記を変えても戦況が好転するわけではないのに、政府もメディアも一斉に表記を変え、キーウ(キエフ)と律儀に変更前の名前まで示してゐます。

他国の首都の名前にはこれほど丁寧に対応するのに、日本の美称は「日出づる国」でも「日出ずる国」でもどっちでもよい、気にならない。「現代仮名遣い」にしたがえば「日出ずる国」になるが、問い詰めたら「それは古語なので関知しない」とかえってくるかもしれない。

日本人は日本の美称が「日出づる国」でも「日出ずる国」でもどっちでもよいと考えてゐる。そして政府の定めた「現代仮名遣い」はどちらが正しいかを教えてくれない。これはどういうことでしょう。

まづ、戦後の日本は自国の歴史とアイデンティティについて真剣に考えてこなかったということ。そして、正統という観念を破壊してしまったので、どこにも基準がないということです。敗戦から77年が経過して、まだこの状態が続いてゐる。

福田恆存は「私の國語教室」を次のことばで締めくくってゐます。

國語國字改革運動は國語國字を易しくしようとして、それも國民全體に國語國字を正しく使はせようといふ完璧主義あるいは病的合理主義が動機であつたのに、かへつてそのために、混亂をひきおこし、結果としては難しい國語、不合理な國字を生むことになつてしまつた。

それより困ることは、國民全體に言葉や文字などどうでもいいのだといふ觀念を植ゑつけてしまつたことです。それが戰後の國語屋がもたらしたおそらく唯一最大の效果でありませう。

(引用に当たり改行を追加した)

福田のいうとおりだと思います。日本人は言葉や文字などどうでもいいと考えてゐる。言葉を信じてゐない。それは現在の政治をみればあきらかです。

そこで言葉は人を説得して現実を動かすためにはつかわれず、もっぱら既成事実を押しつけるためにのみつかわれてゐる。それは言葉の体裁をした暴力です。

言葉や文字をどうでもいいと考えてゐる国民が選ぶ政治家が、国会を軽んじ恣意的な法解釈によって権力を乱用するのは当然のことです。なぜなら法もまた言葉や文字にすぎないから。

この10年の政治は言葉と法治を破壊した。その間、日本はすごい速度で没落した。

日本の没落と敗戦後の国語改革とは直接的にはまったく関係がありません。しかし、言葉や文字などどうでもいいと思ってゐることと、日本の没落とは大いに関係がある。

言葉を信じてゐない、ということは、法とか理念とか、抽象的なものいっぱんをまるで信じてゐないということです。「現実を見ろよ」といわれたとたんに黙り込んでしまう。だから野党が育たない。

ぼくが正統という観念を認めるべきであると繰り返したのはこのような問題意識からです。したがってぼくは復古主義者でもなければ、言葉づかいにうるさい人でもありません。「交ぜ書き」はけしからんとか、「日出ずる国」は許さないとかいいたいわけではありません。

日本は敗戦処理に失敗した。そのときにウヤムヤにしてきた問題がいま、戦後日本の崩壊に際して噴出してきてゐる。忘れてゐても、見えないふりをしてゐても、問題が消えるわけではない。

国語改革もそうです。誰も覚えてゐないし、学者も作家もメディアも問題にしない。でも、問題はむかしもいまも、ずっとある。

日本語表記のあちこちに、敗戦の傷跡が残ってゐる。

本ブログの仮名遣いについて

最後にぼくがこのブログで実践してゐる仮名遣いについて書きます。

本文で歴史的仮名遣いが正統表記であると述べましたが、「現代仮名づかい/現代仮名遣い」はすでに75年の「伝統」があるため、特殊な場合を除いて、21世紀の日本で歴史的仮名遣いで書くのは無理があると考えます。

したがってぼくは現代仮名遣いを基準にして、表音化しすぎてゐると認められ、かつ旧に復しても抵抗がないと考えられる箇所に修正を加えます。具体的には、

・助詞の「さへ」「づつ」

・存在を意味する「ゐる」「をる」

・「ぢ」「づ」「じ」「ず」、いわゆる「四つ仮名」を使用した語

これらを歴史的仮名遣いで書きます。

助詞は語と語の関係を示すきわめて重要な機能をにない、使用頻度も高い。だからこそ現代仮名遣いでも「は」「へ」「を」は特例として認められてゐる。それなら「さへ」「づつ」も追加したほうがよいでしょう。これで主要な助詞はすべて歴史的仮名遣いで書くことになります(「て」「に」「が」などは音韻変化の影響を受けてゐないためもともと同じです)。

存在を意味する「ゐる」「をる」もまた使用頻度が高く、「ゐ」は現代仮名遣いでは排除され、「を」も助詞の「を」だけに許容されてゐる文字であるために、強い視覚的印象を与えます。したがって語形と意味とが固定されると高い標識力を発揮し、文章が読みやすくなります。

「ぢ」「づ」「じ」「ず」、いわゆる「四つ仮名」を使用した語については本文に述べたとおりです。現代仮名遣いの原則は例外が多すぎ、かつ例外にあたるか否かの判断も困難です。原則としてまったく機能してゐません。どこかで線引きすることはむづかしいため、すべて歴史的仮名遣いに戻します。

よくつかう語を十づつ挙げておきます。

むづかしい、いづれ、いづこ、はづかしい、まづ、まづい、しづまる、しづか、わづらう、ゆづる

はぢ、すぢ、ひぢ、いぢめ、いぢける、けぢめ、ねぢる、とぢる、こぢんまり、おやぢ

これら三項目を実践すると、文章全体における歴史的仮名遣いの割合がかなり増えます。それは非表音的な部分、すなわちつづり字的な表記が増えるということです。その結果どういうことが可能になるかというと、これまで漢字の標識力に頼ってゐた語を仮名書きできるようになる。

歴史的仮名遣いは現代の音韻とずれてゐるからこそ語形による標識力が高い。そのため割合がおおきいほど漢字の使用を減らすことができます。これはとても重要なことですが、漢字廃止を考えた人はこういうことにまるで無頓着だった。

漢字への依存を減らそうと考えるなら、むしろ歴史的仮名遣いの割合を増やさねばなりません。

参考文献

「私の國語教室」福田恆存 文春文庫 2002

「国語改革を批判する」丸谷才一 編著 中公文庫 1999

「國語問題のためにー國語問題白書ー」時枝誠記 東京大学出版会 1962

「國語問題と國語教育」時枝誠記 中等学校教科書株式会社 1949

「古代国語の音韻に就いて」橋本進吉 岩波文庫 1980

歴史的仮名遣い その成立と特徴」築島裕 中公新書 1986

「訓読みの話 漢字文化と日本語」笹原宏之 角川ソフィア文庫 2014

「日本語はいかにつくられたか」小池清治 ちくま学芸文庫 1995

「知らなかった! 日本語の歴史」浅川哲也 東京書籍 2011

「國語問題論争史」土屋道雄 玉川大学出版部 2005

「日本文字の歴史」山田孝雄 書肆心水 2009

「漢字と日本人」高島俊男 文春新書 2001

「戦後日本漢字史」阿辻哲次 新潮選書 2010

「漢字の字形 甲骨文字から篆書、楷書へ」落合淳思 中公新書 2019

「漢字の構造 古代中国の社会と文化」落合淳思 中公選書 2020

「漢字百話」白川静 中公新書 1978

「漢字伝来」大島正二 岩波新書 2006

「漢字世界の地平 私たちにとって文字とは何か」齋藤希史 新潮選書 2014

「字音仮名遣いを論ず」沼本克明 汲古書院 2014