手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「日本語のために」池澤夏樹 編

 「日本語のために池澤夏樹 編 河出書房新社 2017

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集の第30巻

最近、じっくり通読する本と、テキトーに通読する本と、必要な箇所だけ読む本とをはっきり分けるようになった。これまで「通読せねばならぬ」という思い込みがあって、そのせいでしんどい思いをしたことが度々あったのだけれど、それではとうてい読みたい本を読めないし、知りたいことを知り得ないとついに理解した。

要するに年をとって人生の短さと自分の限界について思い知ることが多く、諦めが肝心と観念したわけだな。諦めるたびに、心が晴れるようだ。年を取るというのも悪くないものですね。

というわけで、関心のある第7章の「音韻と表記」を中心に読んだ。

池澤氏は言う。

 しかし歴史的仮名遣いは残した方がよかったのではないかとも思う。身に付けるのはさほどの手間ではないだろうし(丸谷才一の基準は参考になる)、それこそ今はワードプロセッサー機能の支援がある。実際、「丸谷君」という「歴史的かなづかひ」支援アプリケーションがある。

 とは言うものの、実際に今から歴史的仮名遣いに戻るのがむずかしいのはぼくもわかっている。無数の矛盾を残しながら、もう我々はここまで来てしまった。歴史とは常にそういう一回的なものなのだろう。 244頁

ぼくは完全に「歴史的仮名遣いは残した方がよかった」と思ってゐる人間なので、この意見は嬉しかった。

けれど、池澤氏の言うとおり、歴史的仮名遣いにもどすことは無理なので、せめてもの抵抗として、

・助詞の「さへ」「づつ」

・存在を意味する「ゐる」「をる」

・「ぢ」「づ」「じ」「ず」、いわゆる「四つがな」を使用した語

歴史的仮名遣いで書く、という原則をつくった。

ただの自己満足で何の意味もないと言われればその通りなのだけれど、ぼくとしては「健忘症」という国民的病にあらがう気持ちでやってゐるんだな。なんでも簡単に水に流しすぎだもの・・・