手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「コーラン」井筒俊彦 訳

コーラン)()()」井筒俊彦 訳 岩波文庫

昨年一年かけてゆっくりと井筒俊彦訳の「コーラン」を通読した。こんなすごいものを一人の人間が創作できるとは思えないので、やはり神の啓示なんだと思う。ぼくはイスラーム教に対して、どういう言葉を選んだらいいのか分らないけれど、親近感というのか憧れというのか、なんしか好感を抱いてゐる。

アッラー以外の権威を否定するので、ほかの存在はすべて平等になる。そして、この世に存在するすべてのものはアッラーに赦されて、慈悲によって存在してゐる。アッラーを讃えるために存在してゐる。この世界観は、なんというか、清潔で、澄明で、美しく、慈悲深いと感じる。

そうは言っても、ぼくはクリスマスを祝って、除夜の鐘を聞いてジーンとして、初詣には神社に行くような、どうにも節操のない「普通の日本人」であるので、一神教の厳格さのなかに飛び込みことはできそうもない。「神を畏れる」という感覚がよく分らない。そういう「普通の日本人」がどういう信仰をもてるだろうかと考えて、聖典を読んでゐる。

f:id:hiroki_hayashi:20220107094532j:plain

人間は善いことを祈ると同じ調子で悪いことを(結局はわが身の不幸になるようなことを)祈る。まことに人間は、大変なあわてもの。 コーラン「夜の旅」17-12

日本人の幸福度の低さや自己肯定感の低さは信仰をもたないこと、あるいは宗教的世界とのつながりが薄いことと関係があると思う。維新時の廃仏毀釈と、敗戦による国家神道の解体がやはり大きいのではないか。経済成長をして豊かになった。けどなんか虚しい、これからは心の時代だ、なんて言われたこともあったようだけれど、95年にオウム真理教事件が起きてしまい、宗教そのものに対する忌避感は依然として強い。

日本経済は30年間停滞してゐる。これからも全体としては確実に沈んでいく。世俗的な意味での豊かさとか成功を感じることがどんどんむづかくなっていく。そういう時代に、幸せを感じ、愉快に楽しくやっていくとか、何かに挑戦して生き甲斐を感じるとかが出来るためには、俗世界とは別の次元に自我のよりどころをもってゐないとむづかしいと思う。

今年はまづ遠藤周作の「イエスの生涯」、それから新約聖書、ロレンスの「黙示録論」を読みたい。いづれも長いあいだ積読になってゐた本だ。どういうわけかこれまでキリスト教にピンとこなくて読むことができなかった。イスラーム教を経ることで、一神教に対する理解がぐっと深まったと思う。いまなら読める気がする。そういうことってあるよね。だから勉強は面白い。