手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「ウエスト・サイド・ストーリー」

「ウエスト・サイド・ストーリー」2021 アメリカ 

監督:スティーブン・スピルバーグ 

出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、デヴィッド・アルヴァレス、マイク・ファイスト 他

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本作を劇場で見なかったことを心の底から後悔してゐる。もちろん気にはなってゐたけれど、特大ヒットということでもなかったしリメイクだしということでちょっとナメてゐた。見てみたら感激して二日続けて見てしまった。素晴らしい作品だ。

「ウエスト・サイド・ストーリー」は有名な作品で、元ネタの「ロミオとジュリエット」とともに、物語の骨格は誰もが知ってゐる。

街のチンピラによって構成されるジェット団とシャーク団が縄張り争いをしてゐて、いよいよ決闘をばという状況。ここでジェット団の中心人物であるトニーがシャーク団のリーダーであるベルナルドの妹マリアと恋に落ちる。

チンピラたちの誇りを賭けた戦いと許されないからこそ燃え上がる恋。排除しあう集団と結びつきたい個人。遠心力と求心力が、今夜(Tonight~♫)、極限にまでたかまったところで悲劇が起きる。

決闘の末にジェット団のリーダーでトニーの親友のリフ、そしてシャーク団のリーダーでマリアの兄のベルナルドが死ぬ。ベルナルドを殺したのは親友を殺されて我を忘れたトニーである。トニーは当初マリアの恋人候補であったシャーク団のチノに殺される。

リフ、ベルナルド、トニー、男達はみんな死ぬ。女達は助け合い生きていくだろう。

音楽、ダンス、衣装、そしてそれらを総合して語る演出がとにかく見事だ。ああすごいものを見てゐるという感じが最初から最後まで続いた。と同時にすごく切ない苦しい気持ちになった。それはすべての災厄の原因は男の弱さにあるのだということがはっきりと打ち出されてゐるように感じたからだ。

冒頭の30分でその構造がきわめてクリアに描かれる。

ジェット団は欧州からの移民(負け犬の白人)で、シャーク団はプエルトリコ系の移民。古参のジェット団は新参のシャーク団に押されてゐる。ジェット団は自分たちのシマ(territory)を守りたい。白人移民は居場所を失いつつあり精神的にも追い詰められてゐる。決闘を申し込むのはジェット団のリーダー、リフである。

では、両者があらそってゐるシマ(territory)とはどんなところなのか。そこは取り壊しが決まってゐる廃墟のような団地である。勝っても負けても居続けるとこはできない場所だ。つまり反目しあう二つの集団はともに取り残された人々なのである。そんなところで男達は縄張り観念にしがみついてゐる。悲劇を生む第一の要因である。

第二の要因は男の女性観だ。シャーク団のリーダー、ベルナルドは自分の妹を自身の所有物のように考えてゐて、マリアの恋人は自分の認めた仲間内の人間、プエルトリコ系の人間でなければならないと考えてゐる。

だから出会いの場、愛を育む場であるダンスパーティーの同伴相手としてチノを紹介する。あてがう、といったほうがよいかもしれない。こちら側の女があちら側の男に抱かれるなんて耐えられない。悲劇を生む第二の要因である。

女は両集団の対立に(積極的には)関与しない。ベルナルドの恋人、アニータ(アカデミー助演女優賞)がその象徴である。劇中、彼女はスペイン語で話し続ける男達に向かって繰り返し「Speak English!!」という。この台詞は重要だ。民族や言語によって区切られる縄張り意識にしがみついてゐてはいけないと彼女はわかってゐる。

移民が住んでゐるのに有無をいわさず取り壊しをすすめる権力、あるいはシステム。そんな場所で無意味な縄張り争いを続ける二つのチンピラ集団、および男達の実存的不安。別の道を模索してゐる女達。まったくぼくたちの世界の縮図というほかない。

この構造が冒頭でクリアに、あまりにもクリアに説明される。動きと台詞と歌とダンスで、つまり映画的に、ミュージカル的に説明される。その手際の見事さには感嘆せざるをえない。二度見るとすべてがここで語られてゐたのだということがわかる。

これら状況設定と人物紹介が終わった直後にダンスパーティーのシーンが来る。ここでは後に決闘することになるチンピラ達が、もちろん女達も、同じ場所、同じ音楽で踊る。すべての人間が輝いてゐる。

こんな素晴らしいシーンはちょっとないと思う。予告編でダンスホールに入る瞬間の映像がつかわれてゐる。この一連の流れ、入る前から入ったあとの数十秒が、まさに至福の時間だ。いったいなにがおこってゐるのだろう。映画的エクスタシーに恍惚とした。ぼく、泣いちゃった。

ここでトニーとマリアは恋に落ちる。

けれど上記したような構造的かつ人間的障害が邪魔をしてふたりの愛は成就しない。リフはシャーク団に決闘を申し込む。ベルナルドはマリアの恋を認めない。決闘は殴り合いだと約束してゐたのに結局ナイフと銃をもっていく。止めに入ったトニーだったが親友リフが殺されて頭に血がのぼりベルナルドを殺す。最後にマリアを奪われベルナルドを失ったチノがトニーを殺す。

悲惨である。

アニータは恋人のベルナルドが殺されても復讐を訴えはしなかったし、マリアとトニーの恋も認めてゐた。そのアニータがマリアの伝言をつたえるためにトニーが身を隠してゐるバレンティーナの店に行くと、ジェット団の男達は彼女をレイプしようとする。ジェット団の女達はそれを止めようとするも店から放り出される。奥から老バレンティーナが出てきて𠮟りつけ、男達はようやく手をとめる。

縄張り観念と、武器と、女への支配欲。まことに、すべての災厄の原因は男の弱さにある。なぜ男はこんなにダメなのだろう。こんなことを書いてゐるとなんだか暗い気持ちになってきた。いかん、これでは男性嫌悪に陥ってしまう。(楽しい映画なのに)

だから最後に書いておこう。

アニータの存在感は抜群だった。本作を見た人は全員同じ感想をもつと思う。特別に輝いてゐた。彼女のダンスは圧巻だった。けれどもジェット団のダンスも負けてゐなかった。特にリーダーのリフ。彼の躍動感はアニータの輝きに拮抗し得てゐたと思う。リフの身体から目が離せなかった。

ぼくはリフのダンスが好きだ。