「ご飯をおいしそうに食べる人が好きです」というのは、性別を問わず、好みのタイプを聞かれたときのよくある回答のひとつだと思う。あまりに典型的なので個性を打ち出すことはできないけれど、答えたほうの好感度がある程度担保されるような、まあ無難な答えである。
ぼくは好き嫌いが多いことに強いコンプレックスを感じてゐるので(もちろん好きなものはおいしいと思ってたくさん食べるけれども)、「ご飯をおいしそうに食べる人が好きです」に対しては正直「ケッ」という感情を抱いてきた。なんでもおいしそうに食べる人への嫉妬心である。
友人に「阿星探店」という中国の食べ歩きチャンネルを教えてもらって感激した。この阿星さんという陽気な兄ちゃんの食べる姿を見て、「ご飯をおいしそうに食べる人が好きです」という気持ちがはじめてわかった。といってもぼくは異性愛者なので「好きです」は性愛的好意ではなく人間的好意なのだが、とにかくファンになってしまった。
どれもこれもおいしそうだ!
長嶋茂雄とかウィル・スミスとか、強い陽性のためにみんなに愛されるタイプの人がまれにゐる。阿星さんもその星に属するようだ。身体は大きいけれどチャーミングだ。すごい早口だし字幕もすぐに流れてしまうので内容はよくわからないことが多いのだけれど、極めて的確で楽しいレポートをしてゐることが(雰囲気で!)知れる。
食べ物もいいが、前後に挿入される中国的風景を見るのもまた楽しい。市井の人達の様子が実にいいのだ。見るだけで晴やかな気分になる。かつて中国に一年半ほど住んでゐた。いまでも恋しく思うのは、知らない人と平気で話せる開けっ広げな感覚だ。
日本で「知らない人」は本当に「知らない人」で、だからしばらくさぐりを入れて、相手との関係がなんらかのカテゴリにおさまったところから本当の会話が始まる。でも中国では、ちょっと滞在しただけのぼくの感覚にすぎないのだが、関係性なしでいきなり対等の会話をスタートできる。日本では感じたことのない自由と平等だった。
多民族をかかえ王朝交代が定期的におこる五千年の文明史が、あの公共性をつくったのだろうか。