手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「MMT 現代貨幣理論とはなにか」井上智洋

MMT 現代貨幣論とはなにか井上智洋 講談社選書メチエ 2019

井上智洋さんの以下の単著、論考、鼎談を読んだ。

「MMT 現代貨幣論とはなにか」 単著

「政府の借金なくしてデフレ脱却なし」 「反緊縮!」宣言収録

「無料は世界をよくするのか」 ゲンロン12収録

「無料より自由を」 同上

いづれもすごく面白かったのでファンになってしまった。岸田首相は給付金を検討中とのことだから、給付対象に入るようなら、決まり次第、井上さんの最新刊「「現金給付」の経済学」を購入するぜよ。

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反緊縮主義と加速主義を悪魔合体させて、「反緊縮加速主義」をここで爆誕させよう。
「無料ではなく自由を」ゲンロン12

二階建てベーシックインカム

井上さんは、ゲンロン12収録の「無料より自由を」において、ITによる既存産業の雇用破壊によって、主に中間所得層が従事する事務労働の雇用量が急速に減少し、雇用種別の分布が、低所得者が従事する肉体労働と高所得者が従事する頭脳労働とに二極化してゐると述べる。このまま行けば超格差社会が到来する。

こういう現実があるから成長を諦めようという「緊縮型脱成長論」が出て来るのだが、井上さんはそれは「敗北の思想だ」という。成長を諦める必要はない。衰退すれば軍事力も衰え、安全保障上の脅威が生れる。国民に対してお金をバラまいて、需要を喚起し、イノベーションを促進しよう。緊縮と脱成長によってではなく、反緊縮と加速主義によって資本主義を乗り越えるのだ。

そのための方策が「二階建てベーシックインカム」である。

(・・・)国民の財布に直接お札を突っ込むのである。税金を財源にする必要は必ずしもなく、お札を刷ってバラまけば済む話だ。

 そうしたら、インフレになると心配する人がいるかもしれないが、そもそも我々はデフレから脱却したかったのではないのか? インフレになる政策を採用しないで、どうやってデフレから脱却しようというのか? 3%程度のインフレ率目標を設定すれば過度のインフレは防げる。デフレ気味の間は給付額を増やし、インフレ気味になったら給付額を減らして調整すれば良い。

 景気いかんで給付額を変動させるので、私はこうした制度を「変動ベーシックインカム」と呼んでいる。ただし、インフレを素早く抑制するために、これまで通りの金利引き上げ政策を補助的に実施することもできる。

 一般に、ベーシックインカムは、生活に必要な最低限のお金を給付する制度を意味している。このような制度は、景気のコントロールが目的ではなく、給付額を変動させる必要はないので、「固定ベーシックインカム」と呼び得る。

 変動ベーシックインカムと固定ベーシックインカムの両方を組み込んだ制度を「二階建てベーシックインカム」と言う。私が、反緊縮政策を具体化するための政策として中核に据えているのが、この二階建てベーシックインカムである。 「ゲンロン12」222頁

「二階建てベーシックインカム」を中核に据えた「反緊縮加速主義」によって資本主義を乗り越える。井上さんによれば、その先にあるのは、直接的な生産活動のほとんどが自動化された「純粋機械化経済」と、人々が遊んで暮らせるような「脱労働社会」である。

そんな夢みたいな世界が到来するとは思えないけれども、ITによる雇用喪失と格差の拡大を肌で感じてゐる身としては、「二階建てベーシックインカム」がぜひ実現して欲しいと願ってゐる。

ぼくは今年の2月に派遣切りにあい、3月は無職で、4月に同じ職場に呼び戻されたのだった。10日分だけ失業給付を受け、同じ職場への復帰だから再就職祝い金は出なかった。事業が縮小したので、呼び戻された労働者は少ない。まだ職が見つかってゐない人もゐる。企業は非正規労働者を調整弁としか考えてゐない(いまや約4割が非正規労働者である)。

仕事内容は米国特許文書日本語訳の校閲である。翻訳⇒校閲特許庁という流れだ。先日、その翻訳パートが人手による翻訳から機械翻訳に置き換った。つまり、翻訳者はAIに仕事を奪われた。これは不可避の流れだ。

派遣切りもITによる雇用喪失もさまざまな領域で生じてゐる。これくらい雇用が流動化して、失業や転職が常態化してゐるのだから、これまでの社会保障システムでは対応できない。いつも不安で委縮した気持でゐては、なにごとにも消極的になる。デフレマインドから脱却できない。

というわけで、「二階建てベーシックインカム」をよろしくお願いします。

反緊縮

「お札を刷ってバラまけば済む話だ」なんて言われると、財源はどうするのか、無責任だ、という反応が返ってくる。ぼくもこれまでそう思ってきたのだけれど、どうもこれは誤った認識に基づく脅しであったようだ。お札を刷ってバラまいてもいいんだって。

国の借金が増え続けてゐて、一人当りこれだけの金額であり、将来世代にツケを回すことになります、財政健全化は必要です、このままだと国家財政が破綻します。財務省や主要メディアの経済論説が国民に提示してきた財政に関する論調はこういうものだった。これが間違いらしい。

MMTによれば、政府の財政が赤字であることそのものにはなんの問題もない、その額が巨大であることも気にしなくてよい。過度のインフレにならない限りいくらでも借金してよい。政府が実質的に貨幣発行権を有する国が財政破綻することはない。

 実を言うと、「自国通貨建てで借金をしている国が財政破綻することはない」というのは、経済学的にごく当たり前のことを言っており、MMTの専売特許というわけではありません。他ならぬ財務省が「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」(財務省ホームページ)と述べています。「デフォルト」というのは債務不履行、つまり政府が借りたお金を返さないことを意味します。

 また、主流派の理論について解説した書籍である『新しい物価理論』にもこう書かれています。

 

 銀行券は、もともとは、金貨や銀貨などの本位貨幣への交換を保証する証書だったわけだが、その銀行券自体を貨幣だと決めてしまったときから、銀行券は銀行券としか交換を要求されないという意味でデフォルトしなくなり、その銀行券と信用の基盤を共通にする自国通貨建て国債もデフォルトしないことになった。

 

 国が借金をしていると言っても、国が返す円というお金自体を国が発行しているわけだから、国がお金を返せなくなるという事態は、発生し得ないわけです。分かりやすく雑な言い方をすれば、国がお金を刷って借金の返済や利払いに充てればよいわけです。 「MMT 現代貨幣理論とはなにか」19頁

数年前からMMTを代表とする反緊縮経済学が話題になってゐた。ぼくは「いくら借金しても大丈夫なんておかしいよ」と感じてまったく無視してゐた。しかし今回「MMT 現代貨幣理論とはなにか」と「「反緊縮!」宣言」の二冊を読んで考えを改めた。財政赤字そのものは問題ではないんだネ。

子供のころから「これだけ借金があります、増え続けてゐます、将来みなさんの税金で返さないといけません」とテレビや新聞に言われ続けてきたので、なるほどそうなんだろう、だから増税もしかたないんだろうと思ってきた。いったいなんだったのだ。

兌換紙幣から不換紙幣に変ったときに、貨幣の性質もまた変った。で、その変ったあとの貨幣の働きに基づく経済学の常識(自国通貨建てで借金をしている国が財政破綻することはない)が、まだ一般知にまで浸透してゐないということかしら。

統合政府(政府&日銀)にとっての「債務」や「債権」ということの意味が、生活人にとってのそれとは異なるので、素朴な実感としては理解できない。直感的な理解とは逆になるので呑み込みづらい。けれども、政府が日銀から借りてゐるお金は返さなくてよいお金であり、それがないと市中に貨幣が供給されないのだから、むしろ無いと困るものである。だから政府債務の額そのものにこだわる必要はない。

(という理解であってるかな?)

それにしても、財政赤字が問題かそうでないかとか、デフォルトするかしないかとか、そういう経済政策を大きく左右する基礎的な認識について、人によってこんなに言ってることが違うというのは、なんともウーンという感じだ。

財務省のホームページにはデフォルトしないと書いてあるのに、矢野財務次官は「財政破綻する」と言ってゐる。これはどういうことなんだろか。日本は30年停滞してゐてどんどん貧しくなってゐる。このへん、きちんと整理しないとまづいのでは?

脱成長コミュニズム

ゲンロン12所収の飯田泰之井上智洋、東浩紀3氏による鼎談「無料は世界をよくするのか」において、井上さんは斎藤幸平さんの「人新世の資本論」を批判してゐる。これがまた面白い。

斎藤さんの議論は次のようなものである。

資本主義は決して成長を止めることができず、自然と人からの収奪をやめない、だから資本主義を止めなければ人類の歴史が終る。反緊縮派はまだ成長できると言ってゐるが、それでは成長できても気候変動に対応することができない、だから脱成長が必要である。

従来の脱成長論は資本主義の本質的特徴を維持したままの折衷案にすぎなかった、それではもうダメだ。いま必要なのは、資本主義そのものを超克する新世代の脱成長理論と実践である。

それが脱成長コミュニズムだ。自然の循環に合わせた生産が可能となるように労働のありかたを変革し、〈コモン〉の領域を拡張していく。すると商品化された領域が減るのでGDPは減少する(脱成長)。が、「ラディカルな潤沢さ」は増大する。

〈コモン〉を通じて人々は、市場にも、国家にも依存しない形で、社会における生産活動の水平的共同管理を広げていくことができる。その結果、これまで貨幣によって利用機会が制限されていた希少な財やサービスを、潤沢なものに転化していく。要するに、〈コモン〉が目指すのは、人工的希少性の領域を減らし、消費主義・物質主義から決別した「ラディカルな潤沢さ」を増やすことなのである。 「人新世の資本論」266頁

これに対して、井上さんは、成長が必ずしも環境破壊につながるわけではないと疑問を呈してゐる。環境への負荷を減らしながら経済成長は可能だ。実際、日本は率は低いものの経済成長してゐる。にもかかわらず、2013年以降、二酸化炭素の排出量は減少してゐる。

 いま経済成長を牽引しているのは製造業ではなくサービス業です。日本ではGDPの七割以上をサービス業が占めています。サービス業は二酸化炭素を大量に排出することもないし、大量生産大量消費にもならない。けれどその部分の議論がすっぽり欠けてしまっている。(・・・)産業革命以降、これまで経済成長に応じて二酸化炭素の排出量がふえていたのは事実かもしれません。だからといって、今後デカップリングが不可能というわけではないんです。 「ゲンロン12」187頁

だからバラマキによって需要を喚起して資本主義を加速させる「反緊縮加速主義」によって「純粋機械化経済」と「脱労働社会」を実現したほうが、脱成長コミュニズムよりもてっとり早い、資本主義のオルタナティブは今のところあり得ないだろうと。

なるほど。どちらが正しいのだろうか。「脱成長コミュニズム」も「反緊縮加速主義」もどっちも面白いので、どっちも応援したくなってしまうのだけれど、こういういい加減な態度はダメかしら。なにか読むとすぐに影響を受けてしまって考えが定まらない。

ただ、ベーシックインカムは早急に実現して欲しい。