主人公は精神的に問題を抱えてゐて、「ふつう」に生きることができない。「保健室で病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた」とある。推しを推すときだけ、彼女は活力を取り戻す。
若葉を抜けてきた風が、この頃遅れがちだった体内時計の螺子を巻き直して、あたしは動き出す。体操着は見つからなかったけど強固な芯が体のなかを一本つらぬいて、なんとかなる、と思う。 14頁
その目を見るとき、あたしは、何かを睨めつけることを思い出す。自分自身の奥底から正とも負ともつかない莫大なエネルギーが噴き上がるのを感じ、生きるということを思い出す。 15頁
その推しがファンを殴って炎上してさてどうなるという話なのだけれど、それはこっちへおいといて、ぼくの推し、キム・ヨナさんの話をば。
引用箇所を読んだとき、キム・ヨナさんと出会ったときのことを思い出した。2016年秋、ぼくは30歳で、精神の危機とでも呼ぶべき状況に陥ってゐた。誰の人生にもそういう時期が何度かあると思うけれど、当時のぼくはまさにそれだった。
ある日、なぜそうしたのかはわからないのだけれど、キム・ヨナさんのことを思い出して Youtube に彼女の名前を入れた。そしてソチ五輪での「Adios Nonino」と「Send In The Clowns」を見た。こんなに美しいものがあるのかと感動し、救われた気がした。「なんとかなる」と思い、「生きるということを思い出」した。
そのとき以来、ぼくにとってヨナさんは「浅田真央のライバル(だった人)」ではなく、「最高の芸術家」であり、推しである。といってもヨナさんの現在の活動はアスリートでもタレントでもなく「セレブリティ」みたいなもので、あまり表に出てこない。インスタの更新もほとんどなく、たまに国際的なイベントに出るのと、あとはCMや雑誌のグラビアに出るくらい。
ヨナさんはスケートの天才であることを除いては、本当に普通の人で、とんがったところも抜けたところもない。いつもちゃんとしてゐる。普通である自分の人生をちゃんと生きてゐる感じがとにかく素敵だ。引退後のヨナさんは「セレブリティ」をちゃんとやることに徹してゐるように思える。
彼女が体現してゐるのは「努力して夢を実現した人」とか「成功したアスリート」とか「自立した女性」とかそういうもの。ヨナさんはそういうセレブレティがやるべきことをやり、言うべきことを言う。それを、すごくちゃんとやる。
(この「VOGUE KOREA」のインタビューは最高でした✨)
そのちゃんとしてる感じがいつもグッとくるのだし、深く尊敬するのだけれど、ぶっちゃけときどきハラハラしてみたいという気持もあるので、ファンを殴るくらいのことはやってもらってもいいぜ、と思ってます。