5月3日、日曜日、もう少し谷中を歩きたいと思い、再び北へ。二日前は日暮里で降りたが、今回はひとつ手前の鶯谷で下車する。言問い通りを歩いていくと、左手に寛永寺が見える。江戸の霊性の中心である。
雨が降ってきたので寛永寺事務所に入り雨宿りをする。このくらいの雨は嫌いぢゃない。いい匂いがする。雨が降ると人が減り、街はもっと静かになる。幸田露伴の「蒲生氏郷」を読み始める。
大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に価する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。
中々の仕事をした人物として蒲生氏郷の事績が語られる。氏郷は信長秀吉に仕えた戦国末期の武将で、秀吉の北条攻めに功あった後に会津に封ぜられ、奥州の伊達政宗を抑え込んだ。
(・・・)秀吉、家康は勿論の事、政宗にせよ、氏郷にせよ、少し前の謙信にせよ、信玄にせよ、天下麻の如くに乱れて、馬烟や鬨の声、金鼓の乱調子、焔硝の香、鉄と火の世の中に生れて来た勝れた魂魄(たましい)はナマヌルな魂魄ではな無い、皆いづれも火の玉だましひだ、炎々烈々として已むに已まれぬ猛燄を吹き出し白光を迸発させてゐるのだ。言ふまでも無く吾が光を以て天下を被はう、天下をして吾が光を仰がせよう、といきり立つて居るのだ。政宗の意中は、いつまで奥羽の辺鄙に鬱々として蟠踞しようや、時を得、気に乗じて、奥州駒の蹄の下に天下を蹂躙してくれよう、といふのである。
この調子で「火の玉だましひ」を持った武将達の人間模様が語られていく。べらぼうに面白いので頁を繰る手が止まらない。しかし雨がやんだので街歩きを再開。浄明院を訪ね、徳川慶喜の墓を拝み、言問い通りに戻る。人通りは少ない。芸術通りに折れて谷中方面へ足を進める。そこでまた雨が降ってきたので近くの喫茶店に入って雨宿りをする。
ここの喫茶店で食べたスイーツがとびきり美味しかったのだけれど、店名は書かないでおこう。男店主はしばしばエゴサーチをしてゐるようで、店のことをいろいろ書かれるのを嫌ってゐるようだったから。彼は典型的な「コロナはただの風邪」論者だった。誰かが裏で糸を引いてゐる、これで利益を得るのは誰だろう、みたいなことを言ってゐた。また言葉の端々に知識層への呪詛が感じられた。
飲食店はテレビのインタビューでは「もうダメだ~」みたいに答えるでしょ、けれど、みんなけっこうしたたかにやってますよ、というのは無担保・無利子のコロナ特別融資があるでしょ、あれを借りるんですよ、そらきちんと返す人もゐるでしょうけどね、けれどほら、無担保・無利子ですから、ね、暗黙の了解で、ほら、ほとんど飛んぢゃいますよ。そういうわけで、言われてるほど潰れてないでしょ、町中華でもなんでも。
別に素晴らしい相槌を打ってゐたわけではないのだが、どうも仲間と思われてしまったらしく、この調子で20分ばかり店主の演説を聞くことになった。いろんな人がゐるものだ。ぼくはコロナはただの風邪ではないと思うし、借りた金は返すべきだと考えるけれど、たとえ彼が特別貸付を踏み倒したとしても、それはそれでよいと考える。責められるべき巨悪は他にある。政治だ。
店主からのLINE交換の誘いを固辞し、街歩きに戻る。道なりにすすんで朝倉彫塑館通りに入る。お目当ての「散ポタカフェのんびりや」を発見。古民家を改装してつくったオシャレなカフェだ。コーヒーと胡麻団子を注文する。
今すぐもう一度このカフェに行ってコーヒーを飲み胡麻団子を食べたい。それくらい幸せな気分だった。ゴマの香り、油の旨味、もちの触感、アンコの甘味、そして、気を付けて食べても飛び上がってしまうほどの、熱さ。ああ胡麻団子はどうしてこんなにおいしいのだろう。
ここで一気に「蒲生氏郷」を読んでしまう。露伴はよほど蒲生氏郷のことが好きらしい、この男の「火の玉だましひ」を描くために、修辞の限りを尽してゐる。ベランメエ口調ですっと緩めたかと思うと、異様に格調高い漢文調でグイグイ攻めてくる。やはり好きな人のことを語ってゐる熱い文章はいい。痛快で、胸のすくような気持になる。
此の政宗は確に一怪物である。然し一怪物であるからとて其の政宗を恐れるやうな氏郷では無い。洄(うづまき)の水の巻く力は凄まじいものだが、水の力には陰(かげ)もあり陽(おもて)もある。吸込みもすれば、湧上がりもする。能く水を知る者は水を制することを会して水に制せらるることを為さぬ。魔の淵で有らうとも龍宮へ続く渦で有らうとも、怖るることは無い。況や会津へ来た初より其政宗に近づくべく運命を賦与されて居るのであり、今は正に其男に手を差出して触れるべき機会に立つたのである。
お店のお姉さんに街歩きのオススメコースを聞いてみる。地元の方らしく、とっても素敵なプランを提案してくれた。
築坂を通り、このあたりの寺の多い道を歩いてヒマラヤ杉に出ましょう。ヒマラヤ杉は昨年の台風で折れてしまいましたが、谷中のシンボルです。つづいて三浦坂を下りて、下りたところで右に折れ、ヘビ道を歩きましょう、ここはかつて藍染川という川でした、その名残でクネクネ曲がってゐるんです。ヘビ道の先はよみせ通りですから、そのまま谷中銀座を通って日暮里駅に出られてはどうでしょうか。
言われた通りに歩いたら、これが本当に最高で、大満足の街歩きができた。感謝です!