手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

好きな歌 斉藤茂吉

斉藤茂吉歌集」を折にふれ、読む。

どの頁を開いても、いいなあと、思う。

昔、ワードにメモした好きな歌をアップしておく。

斉藤茂吉(1882~1953) 

「赤光」

明治38年(1905年、24歳)~大正2年(1913年、32歳)

 

 死にたまふ母

はるばると薬を持ちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば

寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

長押(なげし)なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺の我が朝目には見ゆ

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり

死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな

死に近き母が額を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな

母が目をしまし離(か)れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕のねむり

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを

葬り道すかんぼの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや

おきな草口赤く咲く野の道に光がなれて我ら行きつも

わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

はふし火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天のいつくしきかも

灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり

だくだみも薊の花も焼けゐたり人葬所の天明けぬれば

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ

湯どころに二夜ねむりて蓴(ジュン)菜を食へばさらさらに悲しみにけり

山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よ母そはの母よ

 

 みなづき嵐

どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも

蚊帳のなかに蚊が二三疋ゐるらしき此寂しさを告げやらましを

めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり

 

 口ぶえ

ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛吹きて行く童子あり

なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに

 

 おひろ

ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる

愁ひつつ去にし子ゆゑに藤のはな揺る光さへ悲しきものを

あさぼらけひとめ見しゆゑしばただくくろきまつげをあはれみにけり

しんしんと雪ふりし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか

かなしみてたどきも知らず浅草の丹塗の堂にわれは来にけり

あな悲し観音堂に癩者ゐてただひたすらに銭欲りにけり

すり下ろす山葵おろしゆ滲みいでて垂る青みづのかなしかりけり

あはれなる女の瞼恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり

この心葬り果てんと秀の光る錐を畳に刺しにけるかも

ひんがしに星いづる時汝が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ

 

 折に触れて

をりをりは脳解剖書読むことありゆゑ知らに心つつましくなり

現身のわが血脈のやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ

あま霧し雪ふる見れば飯をくふ囚人のこころわれに湧きたり

 

 冬来

けだものは食もの恋ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは

わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを

 

 青山の鉄砲山

ゆふ日とほく金にひかれば群童は眼つむりて斜面をころがりにけり

 

 郊外の半日

いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童のまなこ小さし

 

 葬り火

自殺せし狂者の棺のうしろより眩暈して行けり道に入日あかく

上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を

墓原に来て夜空見つ目のきはみ澄み透りたるこの夜空かな

ものみなの饐ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ

うけもちの狂人も幾たりか死にゆきて折をりあはれを感ずるかな

秋のかぜ吹きてゐたれば遠(をち)かたの薄のなかに曼珠沙華赤し

をさな児の遊びにも似し我がけふも夕かたまけてひもじかりけり

屈まりて脳の切片を染めながら通草(あけび)のはなをおもふなりけり

何ぞもとのぞき見しかば弟妹(いろと)らは亀に酒をば飲ませてゐたり

 

 或る夜

くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは慎しきかなわれのこころの

けだものの暖かさうな寝(いね)すがた思ひうかべて独り寝にけり

 

 木の実

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

山深く谿の石原しらじらと見えくるほどのいとほしみかな

ひとり居て朝の飯食(いひは)む我が命は短かからむと思ひて飯食む

 

 睦岡山中

寒ざむとゆふぐれて来る山の道歩めば路は濡れてゐるかな

山ふかき落葉のなかに光り居る寂しきみづをわれは見にけり

あまつ日に目蔭をすれば乳いろの湛へかなしきみづうみの見ゆ

秋づけばはらみてあゆむけだものも酸のみづなれば舌触りかねつ

赤蜻蛉(あきつ)むらがり飛べどこのみづに卵うまねばかなしかりけり

 

 うめの雨 

汝兄(なえ)よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも

たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣にほこりたまれり

おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも

くろく散る通草(あけび)の花のかなしさを稚くてこそおもひそめしか

 

 をさな妻

細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり

 

 此の日頃

よるさむく火を警むるひやうしぎの聞え来る頃はひもじかりけり

 

 田螺と彗星 

とほき世のかりようびんがのわたくし児田螺はぬるきみづ恋ひにけり

わらくづのよごれて散れる水無田に田螺の殻は白くなりけり

赤いろの蓮まろ葉の浮けるとき田螺はのどにみごもりぬらし

潮沫のはかなくあらばもろ共にいづべの方にほろびてゆかむ

かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧きをれば砂うごくかな

萱(カン)ざうの小さき萌を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ

 

 塩原行

つぬさはふ岩間を垂るるいは水のさむざむとして土わけゆくも

山川のたぎちのどよみ耳底にかそけくなりて峰を越えつも

もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りしも

あしびきの山のはざまの西開き遠くれなゐに夕焼くる見ゆ

かぎろひの夕べの空に八重なびく朱の旗ぐも遠にいざよふ

あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり

来て見れば雪消の川べしろがねの柳ふふめり蕗の薹も咲けり

あづさゆみ春は寒けど日あたりのよろしき処つくづくし萌ゆ

 

 地獄極楽図

飯の中ゆとろとろと上る炎見てほそき炎口のおどろくところ

赤き池にひとりぼつちの真裸のをんな亡者の泣きゐるところ

白き華しろくかがやき赤き華あかき光を放ちゐるところ

ゐるものは皆ありがたき顔をして雲ゆらゆらと下り来るところ

 

「あらたま」

大正2年(1913年、32歳)~大正6年(1917年、36歳)

 

 黒き蛼

ひり灑ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き蛼(いとど)を追ひつめにけり

畑ゆけばしんしんと光降りしきり黒き蟋蟀の目のみえぬころ

 

 一本道

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり

 

しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり

電車とまるここは青山三丁目染谷の紺に雪ふり消居(けを)り

しまし我は目をつむりなむ真日おちて鴉ねむりに行くこゑきこゆ

この夜は鳥獣魚介もしづかなれ未練もちてか行きかく行くわれも

 

 海浜守命

ゆふ渚もの言はぬ牛つかれ来てあたまも専ら洗はれにけり

日のもとの入江音なし息づくと見れど音こそなかりけるかも

さんごじゆの大樹のうへを行く鴉南なぎさに低くなりつも

いくたりも人いで来りゆふ待ちて海の薬草(くすりぐさ)に火をつけにけり

 

 三崎行

旅を来てかすかに心の澄むものは一樹のかげの蒟蒻草のたま

ひたぶるに河豚はふくれて水のうへありのままなる命死にゐる

山峡に朝なゆふなに人居りてものを言ふこそあはれなりけれ

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

 

 小竹林

ひるさむき光しんしんとまぢかくの細竹群(ほそたかむら)に染みいるを見む

ひとむらとしげる竹むら黄に照りてわれのそがひに冬日かたむく

冬さむき日のちりぢりに篁(たかむら)の黄にそよぐこそあはれなりけれ

 

 雉子

こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ

朝森にかなしく徹る雉のこゑ女(をみな)の連をわれおもはざらむ

尊かりけりこのよの暁に雉子(きぎす)ひといきに悔しみ啼けり

 

 漆の木

たらたらと漆の木より漆垂りものいふは憂き夏さりにけり

いそがしく夜の廻診ををはり来て狂人もりは蚊帳を吊るなり

狂人に親しみてより幾年か人見んは憂き夏さりにけり

 

 渚の火

まかがよふ真夏なぎさに寄る波の遠白波の走るたまゆら

まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ

すき透る低く燃えたる浜の火にはだか童子は潮にぬれて来(く)

 

 冬の山

おのづからあらはれ迫る冬山にしぐれの雨の降りにけるかも

いのちをはりて眼をとぢし祖母(おほはは)の足にかすかなる皹のさびしさ

ここに来て心いたいたしまなかひに迫れる山に雪つもる見ゆ

あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも

はざまなる杉の大樹の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず

ぢりぢりとゐろりに燃ゆる楢の樹の太根はつひにけむり挙げつも

稚くてありし日のごと吊柿に陽はあはあはと差しゐたるかも

 

 夜の雪

街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり

夜ふけてこの原とほること多しこよひは雪もこほりけるかも

さ夜なかと夜はふけにけり冴えこほる雪吹く風のおとの寂しさ

 

 深夜

夜は暗し寝てをる我の顔のべを飛びて遠そく蝿の寂しさ

ひたぶるに暗黒を飛ぶ蝿ひとつ障子にあたる音ぞきこゆる

 

 蜩

いささかの為事を終へてこころよし夕餉の蕎麦をあつらへにけり

蜩は一とき鳴けり去年ここに聞きけむがごとこゑのかなしき

卓の下に蚊遣りの香を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり

 

 蹄のあと

七とせの勤務(つとめ)をやめて街ゆかず独りこもれば昼さへねむし

ひさびさに外にいづれば泥こほり蹄のあとも心ひきたり

 

 初夏

もの投げてこゑをあげたるをさなごをこころ虚しくわれは見がたし

うちわたす墓はら中にとりよろふ青葉のしづけさ朝のひかりに

 

 室にて

墓原のかげよりおこる銃(つつ)のおとわが向つへの窓にこだます

診察を今しをはりてあが室のうすくらがりにすわりけるかも

 

 日暈

をさなごは畳のうへに立ちて居りこの穉児(をさなご)は立ちそめにけり

くもりぞら電柱のいただきにともりたる光は赤く昼すぎにけり

 

 晩夏

電灯の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ

味噌汁をはこぶ男のうしろより黙(もだ)してわれは病室に入る

 

 日日

いらだたしもよ朝の電車に乗りあへるひとのことごと罪なきごとし

夜ふけて久しとおもふにわが臥せる室のそと道をとほる人あり

 

 停電

晩夏のひかりしみとほる見附したむきむきに電車停電し居り

しづかなる午後の日ざかりを行きし牛坂のなかばを今しあゆめる

 

 箱根漫吟

目のもとのふかき峡間は朝霧の満ちの湛へに飛ぶ鳥もなし

石の間に砂をゆるがし湧く水の清しきかなや我は見つるに

 

 長崎へ

おもおもと雲せまりつつ暮れかかる伊吹連山に雪つもる見ゆ

さむざむとしぐれ来にけり朝鮮に近き空よりしぐれ来ぬらむ

あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨

しづかなる港のいろや朝飯のしろく息たつを食ひつつおもふ

 

「つゆじも」

大正7年(1918年、37歳)~大正10年(1920年、40歳)

 

 漫吟

うつり来しいへの畳のにほひさへ心がなしく起臥しにけり

聖福寺の鐘の音ちかしかさなれる家の甍を越えつつ聞こゆ

電燈にむれとべる羽蟻おのづから羽をおとして畳をありく

わが家の石垣に生ふる虎耳草(ゆきのした)その葉かげより蚊は出でにけり

くらやみに向ひてわれは目を開きぬ限もあらぬものの寂けさ

たまたまは咳(しはぶき)の音きこえつつ山の深きに木こる人あり

起きいでて畳のうへに立ちにけりはるかに月は傾きにつつ

石の上吹きくる風はつめたくて石のうへにて眠りもよほす

 

 唐津

砂浜にしづまり居れば海を吹く風ひむがしになりにけるかも

孤独なるもののごとくに目のまへの日に照らされし砂に蝿居り

 

 古湯温泉

秋づきて寂けき山の細川にまさご流れてやむときなしも

胡桃の実まだやはらかき頃にしてわれの病は癒えゆくらむか

 

 六枚板

日もすがら朽葉(くちば)の香する湯をあみて心しづめむ自らのため

かかる墓もあはれなりけり「ドミニカ柿本スギ之墓行年九歳」

油煙たつランプともして山家集を吾は読み居り物音たえつ

 

 小浜

覇王樹(サボテン)のくれなゐの花海のべの光をうけて気を発し居り

 

 長崎より

塩おひてひむがしの山こゆる牛まだ幾ほども行かざるを見し

雨はれし港はつひに水銀(みずがね)のしづかなるいろに夕ぐれにけり

長崎の港の岸をあゆみゐるピナテールこそあはれなりしか

 

 長崎

長崎をわれ去りゆきて船笛の長きこだまを人聞くらむか

 

 林間

松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも

谷ぞこはひえびえとして木下やみわが口笛のこだまするなり

あまつ日は松の木原のひまもりてつひに寂しき蘚苔(こけ)を照せり

 

 燈火

高はらのしづかに暮るるよひごとにともしびに来て縋る虫あり

 

 月夜

ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな

飛騨の空に夕の光のこれるはあけぼのの如くしづかなるいろ

わがいのちをくやしまむとは思はねど月の光は身にしみにけり

 

 あららぎの実

あららぎのくれなゐの実を食むときはちちはは恋し信濃路にして

ゆふぐれの日に照らされし早稲の香をなつかしみつつくだる山路

 

 洋行漫吟

牛車ゆるく行きつつ南なる国のみどりに日は落ちむとす

今しがた牛闘ひてその一つ角折れたるが途の上に立つ

空のはてながき余光をたもちつつ今日よりは日がアフリカに落つ

大きなる都会のなかにたどりつきわれ平凡に盗難にあふ

 

「遠遊」

大正11年(1922年、41歳)~大正12年(1923年、42歳)

 

 独逸旅行

戦にやぶれしあとの国を来てわれの心は驕りがたしも

山かひのさびしき村に立ちてゐる寺の尖塔は心をしづむ

晩年のゲエテの名刺なども遺しあり恋ひて見に来む世の人のため

 

 維也納歌

おのづから牛馬の飲む泉ありて彼等みづからこもごもに飲む

樅樹立くらきがなかにのぼりゆき鹿の臥処をわが見たりける

一区劃(ひとくぎり)とおもふ心のやすけさに夜ふけてかへりわが足洗ふ

大きなる馬を街上に見るときは吾心なごむもの運ぶ馬

 

 伊太利亜の旅

ヴェネチアの夜のふけぬればあはれあはれ吾に近づく蚊のこゑぞする

しづかなる心の興奮をさながらにねむりにつかむときの楽しさ

サン・ピエトロの円き柱にわが身寄せ壁画のごとき僧の列見つ

黒貝のむきみの上にしたたれる檸檬の汁は古詩にか似たる

 

「遍歴」

大正12年(1923年、42歳)~大正14年(1925年、44歳)

 

 ミュンヘン漫吟

はるかなる国とおもふに狭間には木精(こだま)おこしてゐる童子あり

行進の歌ごゑきこゆヒットラの演説すでに果てたるころか

ゆふ毎に我ぞあゆめるしとしとと霧にぬれたる石だたみ道

小脳の今までの検索を放棄せよと教授は単純に吾にいひたる

実験の為事やうやくはかどれば楽しきときありて夜半に目ざむる

かすかにてあるか無きかにおもほゆる草のうへなる三月の霜

中空の塔にのぼればドウナウは白くきらひて西よりながる

ドウナウの岸の葦むらまだ去らぬ雁のたむろも平安(やすらぎ)にして

大き河ドナウの遠きみなもとを尋(と)めつつぞ来て谷のゆふぐれ

み寺より鳴りくる栄の鐘きけばこの国人のごとく身にしむ

樅木立ふかぶか立てる山のべを過ぎて入日の雲ひくく見ゆ

はるかなる国に居りつつ飯たきて噛みあてし砂さびしくぞおもふ

 

 欧羅巴の旅

いただきのアルプの山にめざめたる夜半はいひがたきしづけさの音

角笛のわたらふ音は谷々を行方になしてすでにはるけし

アルプスは空のなかばにつづきたる幾重のうへにやはらかき日あたる

牛の頸にさげたる鈴が日もすがら鳴りゐるアルプの青原を来も

もろもろの海魚あつめし市たちて遠き異国のヴェネチアの香よ

港町ひくきところを通り来て赤黄の茸と章魚を食ひたり

 

 巴里雑歌

ルウヴルはわれには無限の感ふかしボチツエリひとつに相対ひても

木の下に梨果(なしのみ)が一ぱいに落ちて居り仏蘭西田園のこの豊けさよ

糖大根たかだかと積みてゐたりけりある処にては土にうづむる

赤き日が大きくなりて入ることに荷馬車の音ぞ澄みてきこゆる

 

 帰航漫吟

くれなゐのしづかなる雲線(すぢ)なして暮れゆかむとす印度の海は

いのち死にしのちのしづけさを願はむか印度のうみにたなびける雲

 

「ともしび」

大正14年(1925年、44歳)~昭和3年(1928年、47歳)

 

 火難

とどろきてすさまじき火をものがたる穉児のかうべわれは撫でたり

やけあとのまづしきいへに朝々に生きのこり啼くにはとりのこゑ

 

 焼あと

焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空しさのはて

かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火焔の香する沢庵を食む

 

 随縁近作

うつしみの吾がなかにあるくるしみは白ひげとなりてあらはるるなり

ひとりこもれば何ごともあきらめて胡坐をかけり夜ふけにつつ

湯をあみてまなこつむればうつしみの人の寂しきや命さびしき

さ夜なかにめざむるときに物音たえわれに涙のいづることあり

 

 閑居吟

なにがなし心おそれて居たりけり雨にしめれる畳のうへに

ミュンヘンにわが居りしとき夜ふけて陰(ほと)の白毛を切りて棄てにき

焼けあとに迫りしげれる草むらにきのふのけふも雨は降りつつ

今日の日も夕ぐれざまとおもふとき首(こうべ)をたれて我は居りにき

 

 沙羅双樹

いにしへも今のうつつも悲しくて沙羅双樹のはな散りにけるかも

白たへの沙羅の木の花くもり日のしづかなる庭に散りしきにけり

 

 閑居吟

焼あとに草はしげりて虫が音のきこゆる宵となりにけるかも

極楽へゆきたくなりぬ額よりしたたる汗をふきあへなくに

 

 閑居吟

焼け死にし霊(たま)をおくるとゆふぐれてさ庭に低く火を焚きにけり

 

 高野山

ひさかたの雲にとどろきし雨はれて青くおきふす紀伊の国見ゆ

いにしへにありし聖は青山を越えゆく弥陀にすがりましけり

のぼりつめ来つる高野の山のへに護摩の火むらの音ひびきけり

 

 箱根漫吟の中

しづかなる峠をのぼり来しときに月のひかりは八谷をてらす

いそぎ行く馬の背なかの氷よりしづくは落ちぬ夏の山路に

さやかなる月の光に照らされて動ける雲は峰をはなれず

おのづから寂しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿にしづみぬ

夏山の繁みがくれを来しみづは砂地がなかに見えなくなりつ

しづかなる光は夜(よは)にかたむきておどろがうへの露を照らせり

ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻は山こえて飛ぶ

朝明(あさけ)より寂しき雨は降り居りて槇の木立に啼く鳥もなし

 

 霜

国の秀(ほ)を我ゆきしかばひむがしの二つの山に雪ふりにけり

寒水に幾千といふ鯉の子のひそむを見つつ心なごまむ

桑の葉に霜の解くるを見たりけりまたたくひまと思はざらめや

 

 この夜ごろ眠りがたし

しろがねも黄金(こがね)も欲しとおもふなよ胸のとどろきを今しづめつつ

たまきはる命をはりし後世に砂に生れて我は居るべし

 

 山房小歌

ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷近づきぬ

 

 春のはだれ

昼すぎより吹雪となりぬ直ぐ消えむ春の斑雪(はだれ)とおもほゆれども

とどこほるいのちは寂しこのゆふべ粥をすすりて汗いでにけり 

 

 韮

南かぜ吹き居るときに青々と灰のなかより韮萌えにけり

 

 信濃

あたらしき馬糞がありて朝けより日のくるるまで踏むものもなし

はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと

山がひの空つたふ日よあるときは杉の根方まで光さしきぬ

 

 天竜

峡(かひ)すぎて見えわたりたる石原に川風さむし日は照れれども

きはまりて晴れわたりたる冬の日の天竜川にたてる白波

雨はれて寒きかぜ吹く山がはの常なき瀬々の音ぞきこゆる

天竜をこぎくだりゆく舟ありて淀ゆきしかば水の香ぞする

 

 妙高温泉

さむざむと時雨は晴れて妙高の裾野をとほく紅葉うつろふ

道草のうごくを見れば妙高の山をおろしてこがらし吹きぬ

 

 この日頃

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり

北びさし音するばかり吹くかぜの寒きゆふべにわれ黙しをり

 

 折にふれつつ

うつし身は現身(うつしみ)ゆゑになげきつとおもふゆふべに降る寒のあめ

 

 C病棟

おしなべてつひに貧しく生きたりしものぐるひ等はここに起臥す

 

 折々の歌

つらなめて目のまへを行く群集の心おごりをわれ旁観す

 

「たかはら」

昭和4年(1929年、48歳)~昭和5年(1930年、49歳)

 

 日常吟

はかなごとわれは思へり今までに食ひたきものは大方くひぬ

家いでてちまた歩けば午すぎし三時といふに日はかたむきぬ

 

 一月某日

あたたかき飯くふことをたのしみて今しばらくは生きざらめやも

 

 所縁

こぞの年あたりよりわが性欲は淡くなりつつ無くなるらしも

 

 きさらぎ

ひとしきり窓よりいづる部屋の塵いきほひづくを吾は見てをり

せまり来て心はさびしすがのねの永き春日とひとはいへども

 

 明治大正短歌史概観を書く

あたらしき歌のおこれるありさまをしるし置かむと吾はおもひき

あつき日に家ごもりつつもの書くに文字を忘れていたく苦しむ

 

 をりにふれて

章魚の足を煮てひさぎをる店ありて玉の井町にこころは和ぎぬ

 

 一日

なべて世のひとの老いゆくときのごと吾が口ひげも白くなりたり

戒名をおぼゆるときも無かりしか父みまかりてより一年を経ぬ

あかあかと月冴えわたり落ちゆくを紙帳をいでて吾は見にけり

 

 虚空小吟

この身なまなまとなりて惨死せむおそれは遂に識閾のうへにのぼらず

うねりたる襞にふかぶかと陰ありて山のじやくまく見れど飽かぬかも

赤く小さき五重の塔を眼下に見てこころ宗教荘厳の形式に及ぶ

 

 この日ごろ

みまかりし千樫のことなどおもひつつ昼つかたより風ひきて臥す

 

 この日ごろ

金曜の午後のいとまに南より北にむかひてゆく雲は疾し

五月一日一万人あまりの行列はここの十字にしばしば耐えぬ

 

 月山

雨の降る氷のうへをわたり来て月山のみねに手を暖めぬ

 

 高野山

おく谿はここにもありてあかあかと高野の山に月照りにけり

沙羅の花ここに散りたり夕ぐれの光ののこる白砂のうへ

 

 飛鳥

たかむらは川の流に沿ふらむかここよ小さき雷の丘

久米寺凌霄花(のうぜんかづら)の蜂のおと思ひいでなむ静かなる時もがも

 

 蓮華寺小吟

となり間に常臥しいます上人は茂吉の顔が見えぬといひたまふ

左手の利くかたのべてしましくはおのがみすがたををろがみたまふ

 

「連山」

昭和5年(1930年、49歳)秋冬

 

 旅順

年ふれる壕のなかよりわが兵の煙管出でしと聞くが悲しさ

戦の激しさも既(はや)越えはてて一かたまりの迫りゆきにし

 

 満洲

をやみなく雪の降る日に日本人共同墓地に吾と君と二人

春になれば日本人墓地のほとりにも雲雀が群れて啼きのぼるとふ

ものの音ははやも絶えたる国境の町の一夜を心しづめむ

 

 帰途

吹く風は断えざるものかたまゆらも形常なき砂漠の上の雪

 

 吉林松花江(スンガリイ)

松花江の河の中より音ひびくながれのまにま氷(ひ)の割るるおと

はて遠くここに迂回する松花江の氷らむとする音のきびしさ

現身の世のものとしも思ほへず氷りつつゆく河ぞきこゆる

 

 吉林

白雪の降りて氷れる山の上の寺中にして人ごゑ聞こゆ

 

 オポ山

見はるかす天(あめ)の最中におのづから雲も起らずいやはてのくに

まどかなる天をかぎりて蒙古野のきらへる涯(はて)に陽はおちむとす

一つだに山の見えざる地のはてに日の入りゆくはあはれなりけり

 

 帰路

地平のうへに淡然におかれたるものの如くに孤山がひとつ

 

 北平途上

地平より鋭き山の見ゆるとき未だかがやくあかつきの月

黒々と見えはじめたる山なみの前方に一色の平沙あり

旅人は時に感傷の心あり犬ひとつゐて畑を歩く

おもはざる砂漠見え来て直線の運河鑿りあり海に到るか

 

 万寿山昆明

昆明の地海の上に風のむた寒き浪よる水脈のひかる間

古への人も見たりき閣のまへの砂に棗の赤き実が落つ

昆明の湖のみぎはに日はさせど水泡(みなわ)かたより氷りつつゐる

 

 天壇

天壇の白き石階に身をかがむ帝王踏まぬ六つの雲の竜 

 

「石泉」

昭和6年(1931年、50歳)~昭和7年(1931年、51歳)

 

 新年

あたらしき年のはじめは楽しかりわがたましひを養ひゆかむ

 

 この日ごろ

けだものの穴ごもりしてゐるごとく布団のなかに吾は目を開く

あらあらしくなりし空気とおもひつつ追儺(つゐな)の夜に病み臥して居り

ものの音けどほくなりてゆけるらしみなぎりにつつ墓地にふる雪

 

 病床漫吟の中

試験にて苦しむさまをありありと年老いて夢に見るはかなしも

夜もおそく試験のために心きほひて明治末期を経つつ来たりき

 

 折々の歌

時のまのありのままんる楽しみか畳のうへにわれは背のびす

春の雨ひねもす降れば石かげにかすかになりて残る雪あり

 

 瑞巌寺

きさらぎのはだれのうへに見つつゆく杉の青き葉おちてゐたるを

政宗の追腹きりし侍に少年らしきものは居らじか

海を吹く風をいたみとさかさまに杉の葉ちりぬ春の斑雪(はだれ)に

 

 機縁小歌

をりをりにしはぶきながらみちのくを南へくだる汽車にわが居り

相よりてこよひは酒を飲みしかど泥のごとくに酔ふこともなし

たわやめにいますみ仏もの恋しき心のみだれ救ひたまはね

ながらへてひとりなりけるつひの道かなしき我をいだきたまはな

 

 熱海にて

よひ闇のはかなかりける遠くより雷とどろきて海に降る雨

ひくくして海にせまれる森なかに山鳩啼くはあやしかりけり

かの山をひとりさびしく越えゆかむ願ひをもちてわれ老いむとす

 

 熱海小吟

ひとりしてわが来つつをる松山に地震はゆりて土うごく見ゆ

われひとり来てひそみゐる伊豆山は潮の音の間遠に聞こゆ

岩かげに吾は来たりておもひきり独按摩(ひとりあんま)す見る人もなし

 

 初島

小さなる自治制布きて昔より役人ひとり居たることなし

眉しろき老人をりて歩きけりひとよのことを終るがごとく

うつしみは死にするゆゑにこの島に幽かなる仏の寺ひとつあり

 

 折にふれて

三成がとらはれびとになる時の戦記を読みて涙いでたり

 

 冬靄

うづたかく臥所に書をつみをりて二月(きさらぎ)こなた読むこともなし

狂者らをしばし忘れてわがあゆむ街には冬の靄おりにけり

春寒く痰喘を病みをりしかど草に霜ふり冬ふけむとす

覚悟していでたつ兵も朝なゆふなにひとつ写象を持つにはあらず

 

 銀杏

いてふの実の白きを干せる日の光うつろふまでに吾は居りにき

 

 新春小歌

おとろふる吾のまなこをいたはりて目薬をさすしばだたきつつ

 

 「源実朝」を草す

ふゆの夜の更けゆけるまで実朝の歌をし読めばおとろへし眼や

もの書きつぐわれのうしろにおもほえず月かたぶきて畳を照らす

 

 童馬山房近咏

こゑあげてひとりをさなごの遊ぶ聞けばこの世のものははやあはれなり

やうやくに老いづきにけりさびしさや命にかけてせしものもなし

 

 美男美女毎日のごとく心中す

心中といふ甘たるき語を発音するさへいまいましくなりてわれ老いんとす

 

 亀の子

おほつぴらに軍服を着て侵入し来るものを何とおもはねばならぬか

亀の子の坎にひそむとかなしみし時代のごとくわれひとり居り

 

 折に触れたる

革命者気味にはしやぎてとほる群集の断続を見てかへるわが靴の音

しほはゆき昆布を煮つつわれは居り暑きひと日よものおもひもなし

 

 志文内

うつせみのはらから三人(みたり)ここに会ひて涙のいづるごとき話す

雪ふかきころとしなればこの村の駅逓所より馬も橇もいづ

過去帳を繰るがごときにつぎつぎに血すぢを語りあふぞさびしき

 

 稚内

太々としたる昆布を干す浜にこころ虚しく足を延ばしぬ

 

 南下

つかれつつ汽車の長旅することもわれの一生のこころとぞおもふ

よる一夜おりゐしづめる雲ありて天塩(てしお)のくにを汽車はくだりぬ

山々に光さしくるいとまありて空はひととき赤羅ひくなり

 

 車房漫吟

旅とほく来つつおもほゆ人の生くるたづきはなべて苦しくもあるか

 

 十和田湖

この谿にわきかへりくる白浪に見つつ飽かねどわれは去りゆく

夜もすがら降りみだれくる夏の雨湖(うみ)のなぎさをおほどかにせり

 

「白桃」

昭和8年(1933年、52歳)~昭和9年(1934年、53歳)

 

 朝の海

こがらしも今は絶えたる寒空よりきのふもけふも月の照りくる

 

 早春独吟

春さむき一日(ひとひ)の業は果てねども紙張のなかに吾は入りけり

気ぐるひし老人(おいびと)ひとりわが門を癒えてかへりゆく涙ぐましも

この日ごろ日脚のびしとおもふさへ心にぞ沁む老に入るなり

 

 残雪

冬木立いでつつ来れば原にしもまどかに雪は消えのこりたる

 

 残雁行

むらがりて落ちかかりたるかりがねは柴崎沼のむかうになりつ

あまのはら見る見るうちにかりがねの一つら低くなり行きにけり

春の雲かたよりゆきし昼つかたとほき真菰に雁しづまりぬ

 

 沙羅双樹

沙羅双樹芽ぶかむとする山のうへに一日を居りていにしへおもほゆ

 

 比叡山

咲く花は咲きつつありて芽ぶかむとする山のおとこそ寂しかりけれ

のぼり来し比叡の山の雲にぬれて馬酔木の花は咲きさかりけり

 

 厳島

わが眠る枕にちかく夜もすがら蛙鳴くなり春ふけむとす

 

 伊香保

群山は暮れむとしつつあな寂し北空とほく日あたる山あり

しづかなる形になりし北空の雲をし見れば心こほしも

たえまなくみづうみの浪よするとき浪をかぶりて雪消のこれり

 

 時々感想断片集

あはれあはれ電のごとくにひらめきてわが子等すらをにくむことあり

死後のことなどいろいろ云ひて呉れしかどその点はもはや空想にちかし

あつき日は心ととのふる術もなし心のまにまみだれつつ居り

 

 比叡山上の歌

むら鳥はいまだ鳴かねばあかあかと丹波の方に月かたぶきぬ

やうやくによはひはふけて比叡の山の一暁を惜しみあるきつ

まどかなる月はいでつつ空ひくく近江のうみに光うつろふ

みづうみを見おろす山はあかつきのいまだ中空に月かがやきぬ

 

 比叡山上の歌

杉むらの音をつたへて夏山の十六谷にけふぞ雨ふる

しげ山のなかにこもりて黒谷のみ寺の見ゆるとはのしづかさ

 

 幻住庵址

夕食を楽しみて食ふ音きこゆわが沿ひてゆく壁のなかにて

あはれなる光はなちてゆく蛍ここのはざまを下りゆくべし

 

 白桃

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり

 

 四万

たえまなく激(たぎ)ちの越ゆる石ありて生なきものをわれはかなしむ

いくつかの夢をむすびて覚めにけり四万のはざまに秋ふかむころ

 

 山荘

秋ふけし山のゆふべにわが焚きしひくき炎もこほしきものぞ

 

 高山国吟行

しづまりし色を保ちて冬に入る穂高の山をけふ見つるかも

山すげのみだれふしたる一谷に湧くこもりづの音はきこゆる

さむざむと水泡を寄する風ふきてわがかたはらに生けるもの見ず

鳥がねも今はきこえずなぎさには水泡は白く吹きよせられつ

 

 上ノ山滞在吟

人といふ心となりて雪の峡(かひ)流れて出づる水をむすびつ

上ノ山の町朝くれば銃(つつ)に打たれし白き兎はつるされてあり

いとけなかりし吾を思へばこの世なるものとしもなし雪は降りつつ

弟と相むかひゐてものを言ふ互(かたみ)のこゑは父母のこゑ

 

 続上ノ山滞在吟

この雪の消むかむがごと現身のわれのくやしき命か果てむ

雪降れる山に汗垂りわが心のこのくるしさを遣らむとぞおもふ

 

 寂

山のうへの氷のごとく寂しめばこの世過ぎなむわがゆくへ見ず

落葉せし木立のなかや冬の日の入日のひかりここにさしけり

 

 折に触れたる

わがこもる部屋に来りて穉児は追儺の豆を撒きて行きたり

春あらし吹くべくなりぬわが通るこの小路にも砂ふきあげて

 

 布野に中村憲吉君を哀悼す

こゑあげてこの寂しさを遣らふとはけふの現のことにしあらず

うつつなるこの世のうちに生き居りて吾は近づく君がなきがら

 

 紀州大本海岸

一夜雨晴れて居りけるわたつみの海のなぎさに鳶は休らふ

紀伊の海の塩気のけむりたつ浜に鳶は下り居り寂しくもあるか

浜にゐる鳶をし見ればあな寂し群れ戯るることさへもなし

遠々し白きなぎさに潮気だちそがひの山は雲かたよりぬ 

 

 湯崎白浜

熊野路の中辺路こえはむら山をいくつ越えてし今ぞ磯浪

雲とぢし山を見さけてこのゆふべ海の荒磯にものおもひもなし

ふる国の磯のいで湯にたづさはり夏の日の海に落ちゆくを見つ

横ぐもをすでにとほりてゆらゆらに平たくなりぬ海の入日は

 

 新秋雑歌

唐辛子の中に繭こもる微かなる虫とりいだし見てゐる吾は

おほどかにわれにあれよと人いへばきのうもけふも怒ることなし

 

 日光小吟

風ふけばさやぎの音の絶えまなき山笹のうへに雪ぞつもれる

この山のかなたの市へつらなめて馬は越えゆく嘶くもあり

 

 独吟抄

われもかく育ちしおもほゆをさなきが衣寒さに雪のへに遊ぶ

このごろも鴨山考を忘れ得ずひとり居りつつ夜ぞふけにける

街上に轢かれし猫はぼろ切か何かのごとく平たくなりぬ

 

 十二月

さびしとて心は和ぎぬ昼つかた林のなかに雨ふりそそぐ

 

 冬ふかむ

北空に夕雲とぢてうつせみの吾にせまりこむ雪か雨かも

納豆を餅(もちひ)につけて食(を)すことをわれは楽しむ人にいはぬかも

まどかにも照りくるものか歩みとどめて吾の見てゐる冬の夜の月

街にいでて何をし食はば平けき心はわれにかへるこむかも

 

 歳晩近作

をさな児の飯くふ見ればこのゆふべはつかのハムをうばひ合ふなり

一とせを鴨山考にこだはりて悲しきこともあはれ忘れき

ひそむごとくあり経て来つる一とせをわれの机だにしばし知り居よ

 

「暁紅」

昭和10年(1935年、54歳)~昭和11年(1936年、54歳)

 

 岡の冬草

中空に小さくなりて照り透り悲しきまでに冬の夜の月

 

 みちのく山

うまいより醒めて話をしはじめたるわが子等見つつ心ゆらぐも

 

 一日

休息の静けさに似てあかあかと水上警察の右に日は落つ

美しき男をみなの葛藤を見るともなしに見てしまひけり

 

 平野

下総の朝あけ行けば冬がれし国ひくくして雲たなびきぬ

冬の日のひくくなりたる心沁む砂丘に幾つか小さき谿あり

いろも無くよこたふ砂の山にして鹿島の海は黒く見えたる

ものなべて黄枯にしづむ国はらをいろを湛へて河ながれたる

 

 銚子附近

目のまへの岩のひまなる湛へ潮しろき水泡(うたかた)うごきて止まず

冬風は海よりおこりわれの行く磯の石むらあたたまりけり

ところはに寂しきものかたたまりて段(きだ)にし寄する汀白波

 

 漁村

浪ちかく乾きてありし砂のうへ一つ鷗はしづかに下りぬ

鷗らが心しづかに居るらしき汀をわれは乱し来るかな

 

 夕かぎろひ

ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり

夕街に子を負ひてゆく女ありいかなる人の妻とおもはむ

 

 春雲

「陣没したる大学生等の書簡」が落命の順に配列せられけり

いきどほり遣らはむとする方しらず白くなりたる鼻毛おのれ抜く

あたたかき飯(いひ)をゆふぐれ食ふときに天(あめ)の命も怖ぢておもはず

めざめつつ眼あきゐる暗闇にはや何者も浮ぶことなし

 

 山房私歌

わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り

息づまるばかりに怒りしわがこころしづまり行けと部屋を閉しつ

老いづきていよよ心のにごるとき人居り吾をいきどほらしむ

 

 落日

過ぎてゆく時を惜しみて居りしかど風ひきぬれば昼にこやりつ

うつつにしもののおもひを遂ぐるごと春の彼岸に降れる白雪

 

 四月十五日

いとけなきわが子二人が枕なれべて阿多福風邪を引き臥して居り

旅だちて行かむとすれば雨まじり風の吹きしくゆふまぐれはや

 

 踰矩の歌

燠(おき)のうへにわれの棄てたる飯つぶよりけむりは出でて黒く焼けゆく

 

 吉野山

もえぎたつ若葉となりて雲のごと散りのこりたる山桜ばな

 

 晩夏一日

雨おほき夏なりしかどをりをりの日照りのさまがおもひうかぶも

 

 秋日

戦史家が心をこめて記したるサンカンタン戦をわれも読みたり

雲のうへより光が差せばあはれあはれ彼岸すぎてより鳴く蝉のこゑ

しづかなる秋日となりて百日紅いまだも庭に散りしきにけり

 

 新冬小吟

年老いて山の獣もかかれかも日の暮れざるに疲るれば寝(い)ぬ

 

 大和路

人麿が妻を悲しみし春日なる羽易(はがひの)山をたづねかゆかむ

露じものしげくもあるかと言ひながらわがのぼりゆく天の香具山

 

 伊香保

にほひたる紅葉のいろのすがるれば雪ふるまへの山のしづまり

笹むらは峡(かひ)をひろごりしづかなる色としなれば冬は来むかふ

 

 ガード下

わがこころしづまりがたし万有(あめつち)にわれ迫むるもの何かありつつ

寒くなりしガードのしたに臥す犬に近寄りてゆく犬ありにけり

彼の岸に到りしのちはまどかにて男女のけぢめも無けむ

朝な朝な味噌汁のこと怒るのも遠夜ながらの罪のつながり

 

 晩秋より歳晩

つゆじものしとしととして枯れゆける庭の羊歯むら見て立ちにけり

家蟎(だに)に苦しめられしこと思へば家蟎とわれは戦ひをしぬ

霜ぐもる朝々子等と飯を食ふひとり児だにもなき人思ひて

 

 路地

ゆきずりの吾が見つつゐるこの路地の土凍らむもあと幾日か

壁のなかに鼠の児らの育つをば日ごと夜ごとにわれ悪みけり

若人の涙のごときかなしみの吾にきざすを済ひたまはな

 

 雪

常に見て寂しきものか小野のうへ平らになりて雪ぞのこれる

降り積みし雪のなかよりぬきいでて断えぬ動きをせり笹竹は

 

 楢の葉

楢の葉のあぶらの如きにほひにもこのわが心堪へざるらしも

号外は「死刑」報ぜりしかれども行くもろつびとただにひそけし

 

 東海寺塋域

青葉くらきその下かげのあはれさは「女囚携帯乳児墓」

この墓地にせまりて汽車のひびくとき墓尽く静かにあらず

 

 現身

朝な朝な鋸をもて氷挽く音するころはうらがなしかり

 

 自題

いま少し気を落着けてもの食へと母にいはれしわれ老いにけり

 

 青谿

石のべの乾ける砂のごとくにも吾ありなむかあはれこの砂

 

 月

露のたま高萱のうへに光るまでこよひの月はあかくもあるか

虫のこゑいたりわたれる野のうへに吾も来てをり天のなかの月

あらくさに露の白玉かがやきて月はやうやくうつろふらしも

ひさかたの乳いろなせる大き輪の中にかがやく秋のよの月

 

 十月二十四日

信濃路ゆ帰り来りていのち無き石のごとくにゐたる一朝

 

 歳晩小歌

舗装せる道路のうへを余響をもちて小型のタンクとほりゆきたり

年老いし父が血気の盛なるわが子殺しぬ南無阿弥陀仏

 

「寒雲」

昭和12年(1937年、56歳)~昭和14年(1939年、58歳)

 

 春寒

十日経し春のはだれは小公園に白き巌のごとく残りぬ

北とほく真澄がありて冬のくもり遍ねからざる午後になりたり

入りかはり立ちかはりつつ諸人は誇大妄想をなぐさみにけり

 

 庭前

まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の薹萌ゆべきなりぬ狭き庭のうへ

 

 近作十首

けさの朝け起きいで来れば山羊歯に萌ゆらむとする青のかたまり

石垣にもたれて暫し戦を落ちのびて来しおもひのごとし

鼠の巣片づけながらいふこゑは「ああそれなのにそれなのにねえ」

 

 余響

たのまれし必要ありて今日一日性欲の書読む遠き世界の如く

 

 涓滴

さだかならぬ希望(のぞみ)に似たるおもひにて音の聞こゆるあけがたの雨

乳の中になかば沈みしくれなゐの苺を見つつ食はむとぞする

一冬は今ぞ過ぎなむわが側の陶の火鉢に灰たまりたる

はづしたる眼鏡畳に置きながら危(あぶな)とおもふことさへもなし

 

 近況雑歌

森なかに寒さをたもつかくれ沼に散り浮くものは木の花らしも

水のうへに数かぎりなきもの浮けり木立のなかの春くれむとす

 

 木芽

夜をこめて曇のしづむ山かひに木芽はいまだととのはなくに

花の咲く馬酔木(あしび)のけげに吾が居れば山の獣やすらふごとし

 

 木芽

こよひあやしくも自らの掌(たなぞこ)を見るみまかりゆきし父に似たりや

北平の城壁くぐりながながと駱駝の連(つら)はあゆみそめ居り

行春の雨のそそげる山なかにためらふ間なく葉はうごきけり

 

 湯抱

人麿がつひのいのちををはりたる鴨山をしもここと定めむ

 

 大和鴨公

田のあひに人のかへりみせぬ泉吾手にひびくまでにつめたし

立ちつくす吾のめぐりに降るあめにおぼろになりぬあめの香具山

 

 手帳より

ひむがしの野をわれ行けばさみだれの雲こごりにし中に日は落つ

罪ふかきもののごとくに昼ながら浅草寺のにはとりの声

うすぐらき小路をゆきて人の香をおぼゆるまでに梅雨ふけわたる

 

 随縁雑歌

脳病院火事としいへば背筋よりわれ自らの燃ゆらむとせり

 

 寒の華

寒き日に濃きくれなゐの薔薇を愛でしばらくにして昼寝ぬわれは

 

 虎耳草

きさらぎの寒き日のびて来しかなや衰へて風邪よりたちあがりたり

虎耳草(ゆきのした)生ふるところに日が差せば土あらあらし冬逝くらしも

 

 小生活

冬もはや過ぎ行きけりと部屋中に書(ふみ)の乱れてわれの香ぞする

この夜ごろかぎりなき星かがやきて寒田のうへに雨降らなくに

 

 沼

春いまだ深けて行かざることわりに水より出でし青葦みじかし

 

 梅雨まで

過ぎらむとするのか否か不明にて歩道に来たる黒猫ひとつ

自転車のうへの氷を忽ちに鋸もちて挽きはじめたり

小さなる目的ひとつありしかど渋谷まで来てわれ戻りけり

 

 放水路

草はらの中に小流(こながれ)の泥に住む儚きもの等出でて雨に濡る

 

 酸漿草

バケツより雑巾しぼる音ききてそれより後の五分あまりの夢

 

 その折々

通草(あけび)の実ふたつに割れてそのなかの乳色なるをわれは惜しめり

 

 山房折々

あやしくも動悸してくる暗黒を救はむとして燈をともす

しづかなる午前十時に飛鳥仏の小さき前にわれは来りぬ

 

 山房微吟

ガード下われゆくときに轟きて列車とほれり余響みじかし

地震いくたびとなく揺りて来て棚の書物のはみ出すあはれ

 

 作歌其折々

塩断ちてこやる童を時をりにのぞきに来つつ心しづめ居り

 

 七月二十日暁

うなじより流れし汗をありありとひとりごつさへ面はゆきもの

 

 山荘日記

ひとつ谷に円かなる月かがやきて雷の音する雲ちかづくも

かくばかり竹の落葉のつもりたる山もとの道しばし通れる

 

 続山荘日記

あきらけき月の光に見ゆるもの青き馬追薄を歩く

われよりも七歳あまり年若き彼の英雄は行く手をいそぐ

雲ひくく垂れて樹立に入るときに睡眠(ねむり)は吾を迫めてやまずも

 

「のぼり路」

昭和14年(1939年、58歳)~昭和15年(1940年、59歳)

 

 高千穂峰

神の代のとほき明りの差すごとき安けきにゐて啼く鳥のこゑ

 

 霧島林田温泉

遠々し薩摩のくには日は入りてたなびきにけり天のくれなゐ

大きなるこのしづけさや高千穂の峰の統べたるあまつゆふぐれ

南なる開聞嶽の暮れゆきて暫くわれは寄りどころなし

すでにして黄なる余光は大隅のくにを越えたる空に求めつ

 

 冬

戦死者の墓のちかくをわが汽車は幾たびか過ぐ国をし行けば

悲しみのごとく心もしづまりて日のあたりたる土手背向にす

日は入りて光のなごり及びたる北の地平より冬の白雲

 

 晩秋の園

いにしへの和尚的なる音たててゆふべの風は葦をわたりぬ

 

 行進

日本産狐は肉を食ひをはり平安の顔をしたる時の間

 

 紅梅

一尺に足らぬ木ながら百あまり豊けき紅梅の花こそ匂へ

紅梅の散りたる花をわが手もて火鉢の燠のうへに焼きつつ

 

 塵

書のうへ畳のすみにかくのごと積れる塵をわれは悪まむ

 

 九十九里浜

ひむがしの涯の浜はいつしかもひくき曇に続く白波

雲のむたあきらかならぬ空合にひびき伝ふる浜のしら波

ひとところ立騰りをる潮けぶり曇につづく雨晴れしかば

 

 漫吟

慌しく階下におりて来りしが何のために下りて来しか分からず

 

 山中滞在吟

けふ一日しづかになりぬ土のうへにさせる光も染みて反らず

谷ひくく虹が立ちたり定めなき雨とおもひてわれ居りたるに

 

 温海

朝々に立つ市ありて紫ににほへる木通(あけび)の実さへつらなむ

海べより峡に入りつるこの里に朝な朝な立つ市をたのしむ

 

 雲

爆弾の外形は能くみがかれて冷たき光反射する美貌のみ

 

 晩秋初冬

天井より物のきしまむ音のして冬としおもふひと日雨降る

孫太郎虫の成虫が源五郎虫にしてまのあたりするどき形態あはれ

 

 冬

この部屋にいつとしもなく積りくる塵を憎みて老いつつぞゐる

 

 歳晩

明日よりは日は延びむとすらむしづかなる冬の至(きはみ)とおもひてゐたり

わが父の十三回忌をはるころ淡々として着物をかさぬ

月いりて霜ぐもる夜を起きゐつるわれのこの身お客観に似たり

 

「霜」

昭和16年(1941年、60歳)~昭和17年(1942年、61歳)

 

 アララギ随時

肉体に自浄作用のあることを吾聴きしより三十三年経たり

小さなる矩形の鉢に朝よひに橅(ぶな)の幼木は冬木立なす

きさらぎの鮒をもらひぬ腹ごとに卵をもちていかにか居けむ

飯の恩いづこより来る昼のあかき夜のくらきにありておもはむ

 

 折に触れつつ

冴えかへるこのゆふまぐれ白髭にマスクをかけてわれ一人ゆく

 

 海濤

ゆふまぐれ陸(くが)のはたてにつづきたる曇に触りてわたつ白波

とどろきは海(わた)の中なる濤(なみ)にしてゆふまぐれむとする砂に降るあめ

わたつみに向ひてゐたる乳牛が前脚折りてひざまづく見ゆ

 

 雑之歌

われつひに老いたりとおもふことありて幾度か畳のうへにはらばふ

 

 山中漫歌

過去になりし左千夫翁の小説を読みてしばらく泣きつつゐたり

山なみにひびきて鳴きし晩蝉(ひぐらし)は暗闇となり皆ねむるらむ

みなぎりて雨ふるときにきのふより昆虫は壁につきしままなる

 

 続山中漫歌

ものきびし世相(よさま)にありてはしけやし胡瓜嚙む音わが身よりする

 

 歳晩

こがらしの吹きとほるおと庭隈にすゑたる甕のへにも聞こゆる

 

 笹谷越

雪のこる狭き山路に床なめになめ石古りてむかしおもほゆ

わが父のしばしば越えしこのたうげ六十一になりてわが越ゆ

笹谷のたむけを分水嶺としたる水たちまちにして音たぎつかも

 

 上ノ山小吟

野を来るとけふあらはなる吾が足に蟆子(ぶと)の近より来る幽けさ

くろぐろとして我がそばに咲きゐたる通草(あけび)の花のふるふゆふぐれ

 

 五月二十五日

白きはなむらがり落ちてゐたりけり夏に入るころの我身はたゆく

日にむかふ油ぎりたる青草を目のまへにしてしづ心なき

 

 ほととぎす

山なかにわれは居れども夏の日にひとり衰ふる心かなしも

あまつ日の高くのぼれば松の樹のながく引く音に鳴く蝉の声

 

 山中遇歌

山鳩をわが身ぢかくに聞いて居り鴎外先生のよはひを過ぎて

 

 山中雑歌

朝あけて露ある萱に大きなる明緑色の蛾が生まれけり

 

 木原

としどしに吾は来りてこころ愛しむこの老木の丹の膚(はだへ)に

かへるでの太樹に凭りてわれゐたり年老いし樹のこのしづけさよ

 

 十四夜月

あしひきの山の峡なる夜の道の月のきよきに蛾は飛びわたる

おくふかく畳にさせる月かげをあはれとおもひわれは座りぬ

 

 初秋小吟 

この丘に月あかきときのぼりぬとおもひ出でむはあと幾年か

この道を後の人あるひは歩まむにわれの如くに草鞋は穿かじ

 

 柘榴

あまのはら冷ゆらむときにおのづから柘榴は割れてそのくれなゐよ

 

 しぐれ

据ゑおけるわがさ庭べの甕のみづ朝々澄みて霜ちかからむ

 

「小園」

昭和18年(1943年、62歳)~昭和21年(1946年、65歳)

 

 新春

過去にして円かなる日日もなかりしが六十二歳になりたり吾は

 

 春

日をつぎて空晴れわたる三月の大切なる時に風を引きたり

橡の木の枝のきはまりにふくれたる芽を見つるとき心いそがし

かへるでのこまかき花は風のむたいさごの上に見る見るたまる

 

 山上漫吟

しづかなる生のまにまにゆふぐれのひと時かかり唐辛子煮ぬ

昼飯を食ひたるのちに板のへに吾は打ち込む錆びたる釘を

隣り間にしゃくりして居るをとめごよ汝が父親はそれを聞き居る

 

 十八夜

山のうへの空は余光のごとくなり見る見るうちに月はいでたり

この家を立ちさらむとしてぐらぐらになりし処に釘を打ち居り

どしやぶりの午後になりつつものをいふことさへもなく木瓜の実煮たり

 

 山上余韻

この峡に起臥のまにしめりたるわづかばかりの紙幣並め干す

堪えがたきまでに寂しくなることあり松かさを焚く土のたひらに

 

 冬の光

おのづから六十三になりたるは蕨うらがれむとするさまに似む

悲しさもかへりみすれば或宵の蛍のごとき光とぞおもふ

 

 強羅漫吟

山をおほふ雨のひびきを聞きたりとのちの世の人われを偲ばね

あらくさに強き光のさすときと空みなぎりて雨ふるときと

 

 歳晩

暗幕を低くおろしてこもりたる一時間半もわが世とぞおもふ

黒き幕窓より垂れて沈黙す薄明の空に雲しづむころ

 

 老

のがれ来て一時間にもなりたるか壕のなかにて銀杏を食む

あかときの雲のくれなゐ老いづけるわれのかうべのうへにかがやく

 

 疎開漫吟

のがれ来てはやも百日か下畑に馬鈴薯のはな咲きそむるころ

すき透らむばかりに深きくれなゐの松葉牡丹のまへを過ぎりぬ

たのまれてたまたま薬あたへたるそのおほむねは貧しく疎開せりけり

秋たちてうすくれなゐの穂のいでし薄のかげに悲しむわれは

よわき歯に嚙みて味はふ鮎ふたつ山の河浪くぐりしものぞ

朝寒ともひつつ時の移ろへば蕎麦の小花に来ゐる蜂あり

こがらしは吹くべくなりてこの村の楢の木原に青き繭さがる

稲を刈る鎌音きけばさやけくも聞こゆるものか朝まだきより

 

 金瓶村小吟

しづかなる時代のごときこころにて白き鯉この水にあぎとふ

一むらの萱かげに来て心しづむいかなる老をわれは過ぎむか

ものなべてしづかならむと山かひの川原の砂に秋の陽のさす

このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね

 

 金瓶村小吟

石の上に羽を平めてとまりたる茜蜻蛉も物もふらむか

いつしかに黄ににほひたる羊歯の葉に酢川の水のしぶきはかかる

星空の中より降らむみちのくの時雨のあめは寂しきろかも

こがらしの山をおほひて吹く時ぞわれに聞こゆるこゑとほざかる

 

 岡の上

くさぐさの実こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

松かぜのつたふる音を聞きしかどその源(みなもと)はいづこなるべき

 

 秋のみのり

灰燼の中より吾もフェニキスとなりてし飛ばむ小さけれども

 

 遠のひびき

秋風の遠のひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く寝にき

空ひくく疾風(はやち)ふきすぎしあかときに寂しくもわが心ひらくる

 

 残生

うつせみのわが息息を見むものは窓にのぼれる蟷螂ひとつ

あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

 

 冬至

あまぎらし降りくる雪のをやみなき冬のはての日こころにぞ沁む

降る雪はみなぎりながら中空に天つ日白くあらはるるなり

 

 氷柱

雪つもるけふの夕をつつましくあぶらに揚げし干柿いくつ

目のまへに並ぶ氷柱にともし火のさす時心あたらしきごと

 

 雪

おやみなく雪ふるときはわが身内(みぬち)しづかになりぬこのしづかさよ

貧しきが幾軒か富みて戦をとほりこしたるこの村の雪

ほそほそとなれる生(いのち)よ雪ふかき河のほとりにおのれ息はく

ひびきつつ峡よりいづる冬川のさざれあらはれて春立つらしも

 

 空の八隅

杉木立ひびきをあげてゆふぐるるこの厳かに堪へざらめやも

雪はれし丘にのぼりてふりさくる空の八隅はいまだくもれり

雪ふぶく丘のたかむらするどくも片靡きつつゆふぐれむとす

 

「白き山」

昭和21年(1946年、65歳)~昭和22年(1947年、66歳)

 

 みそさざい

しづけさは斯くのごとくか冬の夜のわれをめぐれる空気の音す

おしなべて境も見えず雪つもる墓地の一隅をわが通り居り

 

 病床にて

日をつぎて吹雪つのれば我が骨にわれの病はとほりてゆかむ

さ夜中と夜は更けたらし目をあけば闇にむかひてまたたけるのみ

 

 紅色の靄

きさらぎの日いづるときに紅色の靄こそ動け最上川より

われひとり歩きてくれば雪しろきデルタのうへに月照りにけり

 

 春深し

雪ふぶく頃より臥してゐたりけり気にかかることも皆あきらめて

たたかひにやぶれしのちにながらへてこの係恋は何に本づく

 

 夕浪の音

わが病やうやく癒えて歩みこし最上の川の夕浪の音

彼岸に何をもとむるよひ闇の最上川の上のひとつ蛍は

かの空にたたまれる夜の雲ありて遠いなづまに紅くかがやく

 

 蛍火

わが生おぼろおぼろと一とせの半を過ぎてうら悲しかり

 

 蕗の薹

しづかなる曇りのおくに雪のこる島海山の全けきが見ゆ

五月はじめの夜はみじかく夢二つばかり見てしまへばはやあかとき

黒鶫(くろつぐみ)来鳴く春べとなりにけり楽しきかなやこの老い人も

 

 春より夏

ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ

 

 黒滝向川寺

ひむがしゆうねりてぞ来る最上川見おろす山に眠りもよほす

 

 虹

やみがたきものの如しとおもほゆる自浄作用は大河にも見ゆ

朝な朝な胡瓜畑を楽しみに見にくるわれの髭のびて白し

 

 秋

黄になりて桜桃の葉のおるつ音午後の日ざしに聞こゆるものを

 

 松山

ここにして心しづかになりにけり松山の中に蛙が鳴きて

秋の日は対岸の山に落ちゆきて一日ははやし日月ははやし

 

 最上川下河原

われをめぐる茅がやそよぎて寂かなる秋の光になりにけるかも

 

 大石田より

最上川ながるるがうへにつらなめて雁とぶころとなりにけるかも

はやくより雨戸をしめしこのゆふべひでし黄菊を食へば楽しも

 

 晩秋

最上川の支流は山にうちひびきゆふぐれむとする時にわが居つ

やうやくにくもりはひくく山中に小鳥さへづりわれは眠りぬ

 

 鳶

かくのごとく楽しきこゑをするものか松山のうへに鳶啼く聞けば

しづかなる亡ぶるものの心にてひぐらし一つみじかく鳴けり

 

 をりをり

かすかなる吾が如きさへ朝な夕なふかくなげきて時は流るる

またたびの実を秋の光に干しなめて香にたつそばに暫し居るなり

 

 寒土

やうやくに病癒えたるわれは来て栗のいがを焚く寒土のうへ

最上川のほとりをかゆきかくゆきて小さき幸をわれはいだかむ

あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに

さびしくも雪ふるまへの山に鳴く蛙に射すや入日のひかり

 

 逆白波

かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだる

この春に生れいでたるわが孫よはしけやしはしけやし未だ見ねども

最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

人皆のなげく時代に生きのこりわが眉の毛も白くなりにき

 

 歳晩

歳晩をひとりゐたりけり寒々とよわくなりたる身をいたはれば

冬の夜の飯をはるころ新聞の悲しき記事のことも忘るる

 

 雪の面

雪の面のみ見てゐたり悲しみを遣らはむとしてわが出て来しが

冬の鯉の内臓も皆わが胃にてこなされにけりありがたや

 

 黒どり

雪の上にかげを落とせる杉木立その影ながしわれの来しとき

短歌ほろべ短歌ほろべといふ声す明治末期のごとくひびきて

 

 寒月

名残とはかくのごときか塩からき魚の眼玉をねぶり居りける

短距離の汽車に乗れれど吾よりも老いたる人は稀になりたり

 

 ひとり歌へる

道のべに蓖麻(ひま)の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日

冬至の夜はやく臥所に入りにけり息切のする身をいたはりて

みまかりし女の夢を見たりなどして冬のねむりはしばしば覚めぬ

ふかぶかと雪とざしたるこの町に思ひ出ししごとく「英霊」かへる

ほがらほがらのぼりし月の下びにはさ霧のうごく夜の最上川

月読みののぼる光のきはまりて大きくもあるかふゆ最上川

かん高く「退避!」と叫ぶ女のこゑ大石田にてわが夢のなか

雪の中より小杉ひともと出でてをり或る時は生あるごとくうごく

勝ちたりといふ放送に興奮し眠られざりし吾にあらずきや

最上川の流のうへに浮びゆけ行方なきわれのこころの貧困

わかくして懺(ざん)の涙をおとししが年老いてよりはや力なし

 

 山上の雪

晩餐の後鉄瓶の湯のたぎり十時ごろまで音してゐたり

をりをりは舞ひあがる音もまじはりて夜の底ひに雪はつもらむ

外套のまま部屋なかに立ちにけり財申告のことをおもへる

歌ひとつ作りて涙ぐむことあり世の現身よわが面(おもて)をな見そ

 

 東雲

老身はひたすらにしていひにけり「群鳥」とともにはやく春来よ

老いし歯の痛みゆるみしさ夜ふけは何といふわが心のしづかさ

運命にしたがふ如くつぎつぎに山の小鳥は峡をいでくる

偶然のものの如くに蠟涙はながく垂れゐき朝あけぬれば

 

 辺土独吟

かくしつつ立ちわたりたるみづ藍の霞はひくし雪に接して

春彼岸に吾はもちひをあぶりけり餅は見てゐるうちにふくるる

人は餅のみにて生くるものに非ず漢訳聖書はかくもつらへぬ

すこやかに家をいで来て見てゐたり春の彼岸の最上川のあめ

冬眠より醒めし蛙が残雪のうへにのぼりて体を平ぶ

穴いでし蛙が雪に反射する春の光を吞みつつゐたり

 

 田沢湖

うつせみは願をもてばあはれなりけり田沢の湖(うみ)に伝説ひとつ

とどろきて水湧きいでし時といふひとり来りてをとめ竜となる

 

「つきかげ」

昭和23年(1948年、67歳)~昭和27年(1952年、71歳)

 

 帰京の歌

この体古くなりしばかりに靴穿きゆけばつまづくものを

感恩は年老いてより切なりといにしへびとも言ひたりや否

一国のことにかかはる悲嘆をも吾はしたりき燈火消して

浅草の観音力もほろびぬと西方の人はおもひたるべし

残年はあるか無きかの如くにて二階にのぼり真昼間も寝ぬ

 

 猫柳の花

過去世にも好きこのんでたたかひし国ありや首(こうべ)を俯してわれはおもへる

われの背にゐるをさな児が吃逆(しゃくり)せり世の賢きもするがごとくに

代田川のほとりにわれをいこはしむ柳の花もほほけそめつつ

現実は孫うまれ来て乳を呑む直接にして最上の善

 

 挽歌

あふむけに臥しつつをりてわが母の中陰の日に涙ぐみたり

すでにして現なる世にいまさねど今よりのちもわが感慕の母

 

 孫

年老いて心たひらかにありなむを能はぬかなや命いきむため

老身のひとり歩きをいましめて友は日暮れぬうちに帰りぬ

 

 鶯(歩道のために)

家ごもりしづまり居れどうつせみの老びとなれば病むときに病む

かしの実のひとり心をはぐくみてせまき二階に老いつつぞゐる

 

 梅雨

ありさまは淡々として目のまへの水のなぎさに鶴卵をあたたむ

ここに来て狐を見るは楽しかり狐の香こそ日本古代の香

 

 わが気息(いぶき)

わが気息かすかなれどもあかつきに向ふ薄明にひたりゐたりき

老身に汗ふきいづるのみにてかかる一日何も能はぬ

蚤渡来のことなどしばし空想しせまき畳に居たる安心

かなしくも自問自答す銃殺をされし女にこだはるかこだはりもせず

 

 鰻すら

ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過ぐと言はむとぞする

 

 歳晩

香の物嚙みゐることも煩はしかかる境界も人あやしむな

 

 赤き石

みづからの落度などとはおもふなよわが細胞の刻々死するを

沈鬱なる日本のくにの一時間のがるべからぬこの一時間

 

 旅路

たかむらの中ににほへる一木あり柿なるやといへば「応(おう)」とこそいへ

 

 無題

たひらなる心のまにまこの一日暮れてゆくとき直ぐ臥しどに入る

外出より帰りきたりて沈黙す十二月二十三日の午後

 

 銀杏の実

薬物のためならなくに或宵は不思議に心しづかになりぬ

 

 一月一日

さしあたり吾にむかひて伝ふるな性欲に似し情の甘美を

朝のうち一時間あまりはすがすがしそれより後は否も応(う)もなし

 

 無題

活動をやめて午前より臥すときに人の来るは至極害がある

生活を単純化して行きむとす単純化とは即ち臥床なり

 

 鍵

さまざまの工夫をしたる鍵ありて諸国の町に運ばれてゆく

目のまへの売犬の小さきものどもよ成長の後は賢くなれよ

 

 好青年

われつひに六十九歳の翁にて機嫌よき日は納豆を食む

 

 朝どり

場末をもわれは行き行く或る処満足をしてにはとり水を飲む

 

 ひもじ

浅草の観音堂にたどり来てをがむことありわれ自身のため

この現世清くしあれとをろがむにあらざりけりあゝ菩薩よ

 

 象

一月になればなべての人は楽しくて狂者のむれもしばし怒らず

 

 夕映

過ぎゆきし仏教にても或るときのさんげの快はしたたるごとし

片づけぬくくり枕より蕎麦がらが畳のうへへ運命のこぼれ

 

 朱美

円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれから先いろいろの事があるらむ

竜のおとしごといふ魚の族あり海浜の沙などに落ちてゐる

われ老いて涙ぐましく来りけるかなや「軍用動物慰霊ノ碑」まで

友をれど言問もなく身のまはり空しくなりて二時間あまり臥す

 

 ゆく春

青梅の空しく落つるつかさには蟻のいとなむ穴十ばかり

 

 内鎌

衰へしわが身親切をかうむりぬ親切はひかりの満ちくるごとく

 

 黄卵

冬粥を似てゐたりけりくれなゐの鮭のはららご添へて食はむと

 

 無題

山中にわれは来りてこもれども甲斐なきかなや身は衰へて

秋の雨一日降りつぎ寒々となりたる部屋にぼう然とゐる

あはれなるこの茂吉かなや人知れず臥所に居りと沈黙をする

わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり

梅の花うすくれなゐにひろがりしその中心(なかど)にてもの栄ゆるらし

いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからかきはまるらしも

 

「補遺」

 

 読伯夷列伝

つちに落るつなみだの真玉その玉ゆ蕨もえいでて春ごとに萌ゆ

春ふかく飢ゑなむとして底つ世の親を呼びつつ詠みにけむ歌

 

 アツツ島

日もすがら夜すがら戦きはまりてもののふ二千つひに帰らず

すくひなき一つの島にたてこもり二千のかばねここにとどめし

はるばると母は戦を思ひたまふ桑の木の実の熟める畑に