「完本 小林一茶」井上ひさし 中公文庫 2020 (初演は1979年)
面白い! 面白い! 面白い! 再演したら見に行きたい!!!
最高すぎた。ほんとうに、井上ひさしはバケモノだ。
いくらなんでも勉強しすぎだし、趣向をもりこみすぎだし、ことばが豊穣すぎですよ!
けれどそういう異常性(そこが好き)が後景に退いてしまうくらい、圧倒的に面白い。グイグイ引き込まれて、大笑いして、あっと驚いて、ホロリとさせる。ああ、なんていい芝居を見たんだという気持ちになる。
井上は「後口上」で芝居の魅力について次のように語ってゐる。
つまりわたしたちの表情は鎧なのです。その下に本心を隠している。その鎧もよほど頑丈でないといけない。さもないと、だれかに本心を見抜かれてしまいますからね。外に出ると自分の本心がだれかに見破られてしまうと恐れる気持が広場恐怖症の原因だと、むかし精神科のお医者さんから聞いたことがあります。
このように本心を隠しながら表情を管理するのが人生のむずかしさで、それをうまく操作できなくなると精神科のご厄介になることになります。
ところで、表の表情と裏の本心を自在に出し入れしてみせる達人がいて、それが俳優です。その微細で精巧な出し入れを観るだけでも芝居はおもしろい。 289頁
戯曲「小林一茶」は入れ子構造になってゐるので、「表の表情と裏の本心」の「精巧な出し入れ」がより複雑で、一種の混沌といっていいかもしれない。
「小林一茶」という芝居のなかで、窃盗の真犯人をさがすための芝居をやる。その劇中劇のなかで、これはネタバレなので詳しくいえないけれど、さらに芝居を打つ。つまり劇中劇中劇みたいなことになってゐる。
そうなるともう、なにがなにやら。みな一人二役で、二つの役を行ったり来たり、さらには表の表情と裏の本心を出し入れするものだから、もうよくわかんなくなってくる。
けれどもそれがストレスにならない。こんがらがっても、歌があり、俳句があり、洒落があり、そのリズムによって、わからない混沌がきれいに腑に落ちる。すごいや!
以下、井上ひさし選「一茶百句」より気に入った句をメモ。
門(かど)の木も先づつゝがなし夕涼
馬の屁に目覚て見れば飛ほたる
秋の夜や旅の男の針仕事
思ふ人の側(そば)へ割込む巨燵(こたつ)哉
もたいなや昼寝して聞(きく)田うへ唄
うつくしき団扇持ちけり未亡人
不相応の娘もちけり桃の花
僧正が野糞遊ばす日傘哉
年よりや月を見るにもナムアミダ
名月の御覧の通り屑家也
蝶とぶや此世に望みないやうに
それなりに成仏とげよ蝸牛
けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ
是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
我と来て遊ぶや親のない雀
大根引(だいこひき)大根で道を教へけり
夜あけまで具合のわるきふとん哉
蟻の道雲の峰よりつゞきけり
ともかくもあなた任せのとしの暮
やれ打つな蠅が手をすり足をする
暇人や蚊が出た出たと触歩く
花の影寝まじ未来が恐しき
ねがはくば念仏を鳴け夏の蝉