手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

連環記

5月4日、火曜日、上野公園を歩く。気温は25℃に達し、かなり暑い。公園を入るとすぐに西郷隆盛像、少し奥に彰義隊の墓がある。

ここは江戸が薩長に敗れた場所だ。

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こういう場所で幸田露伴を読むと、とても自然に作品の世界に入っていける。東照宮五重塔不忍池などいろいろ見たけれど、数日を経て印象に残ってゐるのは、露伴の「連環記」のことばかり。

環を連ねる記と書く。環は平安時代の僧侶、その妻、愛人など。Aという人がゐました。その人はこういう性質の人でした。AはBという人の弟子になりました。Bはこんな人でした。Aは某所でCという人に会いました。Cはこういう人でした。Cの妻はこんな人でした。という具合に、各人の資質と事績が環を連ねるようにして描かれてゆく。

感じるのは、人の縁の不思議さ、愛欲の醜さと美しさ、業というもののどうしようもなさ、この世の無常。そして、無常を悟り、仏の道へ進む、その求道的態度の厳かさ。死者に接吻する場面では思わず泣いてしまった。

病気の性の故であつたらうか、今既に幾日か過ぎても、面ざし猶生けるが如くであつた。定基は其の傍に昼も夜も居た、夜も臥して、やるせない思ひに、吾が身の取置きも吾が心よりとは無く、ただ恍惚杳渺として時を過した。

古き文に、ここを叙して「悲しさの余りに、とかくもせで、かたらひ伏して、口をすひたりけるに、あさましき香の口より出来たりけるにぞ、うとむ心いできて、泣く泣くはふりてける」と書いてある。

生きては人たり、死しては物たり、定基はもとより人に愛着を感じたのである、物に愛着を感じたのでは無かつた。しかし物猶人の如くであつたから、いつまでも傍に居たのであらう。そして或時思ひも寄らず、吾が口を死人の口に近づけたのであらう。

口を吸ひたりけるに、と素樸に書いた昔の文は実に好かつた。あさましき香の口より出来りける、とあるが、それは実に誰もが想像し兼ねるほどの厭はしい、それこそ真にあさましい香であつたろう。死に近づいてゐる人の口臭は他の何物にも比べ難い希有の香のするもので、俗に仏様くさいと云つて怖れ忌むものであるが、まして死んでから幾日か経つたものの口を吸つたのでは、如何に愛着したものでも堪らなかつたらう。

然し定基は流石に快男児だつた。愛も癡もここまでに至れば突当りまで行つたものだつた。其時その腐りかかつた亡者が、嬉しうござんす定基さん、と云つて楊枝のやうな細い冷たい手を男の頸に捲きつけて、しがみ着いて来たらどういふものだつたか知らぬが、自然の法輪に逆廻りは無かつたから、定基はあさましい其香に畏れおののいて後へすさつたのである。

読み終えて数日が経ってゐるけれど、まだ余韻が消えない。こういう読後感をもったのは初めてのことだ。この作品自体が、仏のようにありがたいものに感じる。寺にお参りするように、折に触れ、何度も読み返すことになると思う。