手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

手作り漢字表(日曜大工🛠️)

ちょっと検索すれば、何万もの漢字を表示できるソフトウェアや、異体字を網羅的に集めたウェブサイトを見つけることができる。国境を越えた文字コードの統一規格である Unicode は世界中の文字を吸収すべく拡張を続けてゐる。

この文章を書いてゐるパソコンの OS は Unicode に対応してゐるので、手間さへ惜しまなければほとんどあらゆる漢字を表示することができる。でもその漢字をどうつかったらよいかは教えてくれない。

ぼくが知りたいのはそれである。どの字体が正しいのか、ある語を表記するのにどの漢字をつかうのが好ましいか、あるいは妥当であるか。合理的で説得力のある規範がほしい。戦後の漢字政策を前提に、これに微調整を加えるかっこうで、自分なりの用字法をつくろうと思う。

ここに示した考えは暫定的なもので、これは違うなと思ったら上書きします。書きながら考え、考えながらつくり、つくりながら訂正していきます。悪しからず。

(と書きながら、長いあいだほったらかしの雨ざらし、漢字表は仮名遣いのようには気楽にリフォーム出来るものではないと悟ったのであります)

まえがき

戦後日本の漢字政策

戦後の漢字政策を図にしてみた。

時系列にそって見ていこう。

1,康煕字典(1716年)

康煕字典清朝康煕帝の勅命により編纂された字書。1716年に成立し、約4万7000字を収める。最後の皇帝の勅命によるという経緯、「説文解字(西暦100年)」以来の字書の伝統に則るという正統性、そして文字数と字解の包括性により、現在においてもゆるぎない権威をもつ。

19世紀末に甲骨文字が発掘され文字学がおおきく進歩したため、康煕字典は誤りも多く指摘されてゐるが、これに代わるような権威をもつ字書は存在しないため、漢字についてなにか議論する場合の基準、座標軸はいぜんとして康煕字典である。

国語改革以前の日本ではいっぱんに康煕字典に基づく漢字が正統とされ使用されてゐた。ただ「すべて」ではないために「いわゆる康煕字典体」と呼ばれることが多い。また国語改革以後の「新字」にたいして「旧字」ということばがあるが、この「旧字」は「いわゆる康煕字典体」を指す。

なお、台湾はいまでも康煕字典体をもちい、中国共産党の大陸中国はこれを簡略化した簡体字をつかってゐる。

2,当用漢字(1946年)

戦後日本の漢字政策の出発点はここであり、あらゆる問題の起点もここにある。ここでは話をわかりやすくするために、「当用漢字」というひとつのことばに「当用漢字表」「当用漢字字体表」「当用漢字音訓表」の三文書を代表させることにする。

「当用漢字」は1946年に公布された漢字使用の指針で、「漢字の制限があまり無理なく行われることをめやすとして選んだ」1850字について、新しい字体と音訓を示す。ここで正規の字体とされたのはこれまで俗字や略字とされてゐたものだった。

漢字の巨大な体系のなかから1850字だけを切り取りその1850字もいづれつかわないようにする、漢字全廃という最終目標を実現するための「第一段階の制限」という性格をもつ。この性格ゆえに生じた致命的な問題は、上記の図における縦の連関および横の連関が切れてしまったことである。

この1850字がこれまでの漢字の伝統と、日本人も正統と認識してきた康煕字典体とどのような関係にあるかについて「当用漢字」はあきらかにしない(縦の連関)。

また表外の漢字、1850字以外の漢字についてはいかなる言及もない。漢字全廃を目指すのだからこれは当たり前のはなしで、「当用漢字」にとって1850字以外の漢字は「存在しないもの」なのである(横の連関)。

「漢字全廃のため」という根本動機が間違ってゐるために、またそれを不可能とわかっても誤りを認めないために、この後の漢字政策は現実を後追いする継ぎ接ぎ的なものとなった。

3,人名用漢字(1951年)

人名につかえる漢字は戸籍法が定めてゐる。戦後の改正戸籍法が1948年に施行され、子供の名前には「常用平易な文字を用いなければならない」、そして「常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める」とした。当時の法務省の規則によれば「常用平易な文字」は当用漢字の1850字となる。

ここで問題が生じた。人名をあらわすのに1850字では足りず、名前はひとのアイデンティティと密接に結びついてゐるために容易に捨てられるものではない。国民の不満がおおきかったことから1951年に「人名用漢字別表」が告示され92字が示された。

それで人名につかえる漢字が「当用(常用)漢字」+「人名用漢字」になった。その後、追加と削除をくりかえし、人名用漢字は現在863字である。

なお、法務省は戸籍につかえる文字として「統一戸籍文字」を定めてをり、ここには5万字以上の漢字が入ってゐる。ところが名のほうは「当用(常用)漢字」+「人名用漢字」に制限されてゐるので氏と名でつかえる漢字にそうとうの差がある。

4,同音の漢字による書きかえ(1956年)

1956年発表。これまで表外漢字をつかって書いてゐたことばを表内漢字だけで表すための書き換え案である。報告書の第一条に説明がある。

「当用漢字の使用を円滑にするため、当用漢字表以外の漢字を含んで構成されている漢語を処理する方法の一つとして、表中同音の別の漢字に書きかえることが考えられる。ここには、その書きかえが妥当であると認め、広く社会に用いられることを希望するものを示した。 」(こちら

例えば、陰翳の「翳」が表外字なので「陰影」と書く。同様に「臆測」は「憶測」、「稀少」は「希少」、「障碍」は「障害」と書き換える。

ここでもう当用漢字の理念(と呼んでよいとすれば)が破綻してゐる。当用漢字は漢字廃止のための漢字制限だった。だからこの方向性でいくならば書き換え案など出さずにもっと削減するのが道理である。

ところが当用漢字から10年が経ち、どうも全廃は無理らしいと考えて現状追認の方向へ舵を切り始めたのだろう。この報告には「これからどうしよう」という腰の定まらなさがよく出てゐるように感じる。

漢字廃止をあきらめるなら制限の枠をはづして「翳」や「臆」を追加するのが筋である。もともと複数の表記が存在してゐてわづらわしいから統一しようという施策には合理性があるが、それをやるなら当用漢字を検証してからだ。

ビジョンのない具体案は説得力をもたない。だからこの書き換え案は国語審議会が「広く社会に用いられることを希望」したにもかかわらずあまり定着しなかった。そして半端に定着したためにむしろ表記を混乱させることになった。

古稀/古希」、「訣別/決別」などはぱっくり分かれてゐるし、「障碍/障害/障がい」は背景が忘れられて人権意識の観点から論じられるようになり、三様の表記が流通してゐる。

なお当用漢字が廃止され常用漢字の時代となってもこの報告はこのまま放置されてゐる。

5,JIS漢字(1978年)

当用漢字への最大の打撃となったのはおそらくワープロとJIS漢字の登場である。なんとなれば、「漢字はタイプライターで打ち出せないから」というのが漢字廃止運動の動機のひとつだったからだ。

アルファベットは26文字ですべての語をあらわすことができるのに、漢字は数千字が必要だからタイプライターに対応できない。効率化の時代に漢字は必要ない。というのである。

ところがコンピュータ技術が進歩してワードプロセッサーが発明され、たくさんの漢字を打ち出せるようになった。タイプライターのようにひとつのキーにひとつの文字が対応してゐるのではなく、文字にコードが割り当てられてゐて、このコードをコンピュータに送り、次にコードが文字に変換されるという仕組だ。

日本における文字コード日本工業規格(JIS)が定めてゐる。JISがはじめて漢字コードを発表したのは1978年。この段階ですでに6000字以上の漢字を打ち出せるようになってゐた。

当用漢字よりもJIS漢字のほうがずっと数が多い。ここで「拡張新字体」というものが登場する。森鴎外の「鴎」、冒涜の「涜」などが有名。伝統的にはそれぞれ「鷗」「瀆」が正字であるが、当用漢字の簡略化の方法をこれら表外の字に適用して新しい字体をつくりだした。

拡張新字体は批判されることが多いがJISを責めるわけにはいかない。悪いのは当用漢字である。当用漢字が漢字全廃を目指したものであり、表外の漢字についてなんの指針も出してゐないからこういうことが起こるのだ。

JIS漢字はその後も増やし、現在だいたい1万の漢字をあつかうことができる。

6,常用漢字(1981年)

漢字廃止のために1850字に制限したのに、いつのまにかコンピュータがその何倍もの文字を打ち出せるようになってゐた。当用漢字は完全に時代に取り残されてしまったといえる。

ここでようやく方針転換がおこなわれた。1981年の「常用漢字」の制定である。「当用=さし当たって用いる」から「常用=日常的に用いる」にかわったのだ。

当用漢字は「漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだ」1850字だった。常用漢字は当用漢字に95文字を追加して全体を「現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」と位置付けた。

つまり常用漢字は当用漢字によってつくられた制限状況を追認してこれを「目安」と呼んだものに過ぎず、当用漢字を見直したものではない。土台が当用漢字であることに変わりはない。だから漢字の歴史や伝統とのつながり(縦の連関)についても曖昧なままだし、表外字との関係も(横の連関)も絶たれたままである。

ワープロが数千字を打ち出す状況になっても当用漢字の見直しをせずにそこに100字程度を追加し、「制限」ではなく「目安」と自称を変えることでさも現実に合ってゐるかのような体裁にした。どう考えてもただの現状追認である。

常用漢字は2010年に改訂され現在2136字である。

7,表外漢字字体表(2000年)

当用漢字にとっても常用漢字にとっても、表外の文字は「存在しない」のと同じである。けれども頻度は多くないとはいえ表外の文字をつかうことはあるし、ワープロは万にも届く数の漢字を打ち出せるようになってゐる。

これに対応するために国語審議会は2000年、「表外漢字字体表」を答申し、「常用漢字とともに使われることが比較的多いと考えられる表外漢字(一〇二二)について、その印刷標準字体を示し」また「一〇二二字のうち二十二字については、併せて簡易慣用字体を示した。」

よくつかうならそれは「常用」ということで、それなら「常用漢字」に入れたらよさそうなものなのだが、そうせずにわざわざ「表外漢字字体表」という別枠をつくった。それには理由がある。「表外漢字字体表」ではいわゆる康煕字典体を「標準」としたからである。

これらを常用漢字に入れるなら当用漢字制定時におこなった簡略化をこの1022字に対しても同様にほどこさねば筋が通らない。でもそれをするとまた新しい字体がたくさん出来てしまい混乱を招くからこれを避けたいう。

 このような文字使用の実態の中で、表外漢字に常用漢字に準じた略体化を及ぼすという方針を国語審議会が採った場合、結果として、新たな略字体を増やすことになり、印刷文字の使用に大きな混乱を生じさせることになる。国語審議会は、上述の表外漢字字体の使用実態を踏まえ、この実態を混乱させないことを最優先に考えた。この結果、表外漢字字体表では、漢字字体の扱いが、当用漢字字体表及び常用漢字表で略字体を採用してきた従来の施策と異なるものとなっている。

自分たちが当用漢字によって「新たな略字体」を作り出しておきながら、漢字が足りなくなると「実態を混乱させないことを最優先に考えて」略体化しないという。無責任にも程がある。

簡略化が正しかったならその方法で他の字も簡略化したらいい。間違ってゐたなら簡略化したほうの字を元に戻すべきである。「実態を混乱させない」といえば聞こえがいいが要するに誤魔化しではないか。

「表外漢字字体表」は常用漢字の外の1022字の標準字体を示したものであるが、その前文ではさらにその「外」、すなわち「常用+表外」外の字体についても原則を示してゐる。

 なお、表外漢字字体表に示されていない表外漢字の字体については、基本的に印刷文字としては、従来、漢和辞典等で正字体としてきた字体によることを原則とする。

つまり「常用+表外」外の字についても康煕字典体を正しいものとするといってゐる。結局のところ康煕字典体に頼らざるを得ないわけだ。基準となるものは康煕字典体しかないことを実質認めてしまってゐる。

いよいよ混乱してきた。当用漢字は「正字」という観念を破壊して、かつて略字とか俗字と呼ばれてゐた字体を「標準」とした。常用漢字はこれを引き継いだ。漢字が足りなくなって「表外漢字」を選びここではかつて「正字」とされてゐた字体を「標準」とした。また「表外」のさらに「外」についても同様とする。

自分たちが混乱を作り出しておきながら、混乱を生じさせないためといって別の基準をつくり、そのことがさらに混乱をもたらしてゐる。どこに理念がある。どこに原則がある。

問題の所在はあきらかである。「当用漢字」を否定しない以上、表内/表外という構図が消えず、伝統から切り離され、文字同士の連関も損なわれた、いわば宙ぶらりんの、いびつな、継ぎ接ぎだらけの構築物であらざるを得ないのだ。

なお「当用漢字」「現代かなづかい」にはじまる国語政策のすべてを建議・答申してきた国語審議会は、「表外漢字字体表」を報告した翌2001年に解散した。

8,Unicode(1991年~)

1の「康煕字典」は数千年の漢字文化の精華ともいえる正統な字書である。2から7は国民国家としての日本国の内部における漢字使用のよりどころを定めた文書である。そして8の Unicodeユニコード)は世界中のすべての文字をあらわすための文字規格である。

言い換えると、1は歴史と伝統にもとづくゆえに漢字文化圏において知的権威を有し、2から7は国家が標準と定めたものであるから国家内では規範性をもち、8は歴史にも国家にも頓着せず量的な包括性、拡張を目指すものである。

Unicode は権威や規範から自由であり、正字も略字も俗字も、日本の文字も中国の文字も朝鮮の文字も、水平面にならべて吸収していく。

つまり「より多くの文字を打ち出せるようにする」ためには熱心でたいへん便利なものだが、「その文字をどう使うか」については考えない。これは歴史からも国家からも自由であろうとする Unicode の本性からいって当然のことである。

Unicode の量的拡張はこれからも続いていくことは間違いないと思われる。つまり「どんな文字でも簡単に打ち出せる」環境になりつつある。

この状況について日本語学者の今野真二は次のようにいう。

(・・・)漢字にコードを与えるということが、さまざまな制約の中で行われてきた時期であれば、どの漢字にコードを与えるかということが吟味される必要がある。それは「何程かの公性を意識した目安」よりもさらに「公性」の強いものだったともいえる。

 しかし、漢字にコードを与えるということ、それ自体が受ける制約が弱くなり、コードを与えることが容易になってきているとすれば、それは「電子的に漢字を扱う」ということがいわば「手書き」に近づいてきているということになる。手で書けば、どんな漢字でも書けるのだが、そのように、どんな漢字でも電子的に扱うことができる、という地点に到達すれば、「手書き」と「電子的に漢字を扱う」の「距離」が(ある面において)なくなったと見ることができよう。

今野真二常用漢字の歴史ー教育・国家・国語ー」中公新書 2015 131-132頁

この指摘は重要と思う。いまや文字コードによって漢字を打ち出すことが「手書き」化に近づいてきてゐるのである。手間さへかければどんな漢字でも表示できるようになりつつある。そしてその「手間」はどんどん小さくなるだろう。

 

詳細を知りたいかたは以下の書籍および資料集に当ってみてください。

なにをなすべきか

問題は戦後日本の漢字政策が人文知(歴史・伝統)とのつながりを一貫して軽んじてきたことだ。文字数や画数という量的指標にばかり執着して質的充実については考えなかった。だから筋が通らず、指南力をそなえた規範とならない。

では工学知を取り込んできたかというとそうではなく、いまだに「タイプライター時代」の当用漢字が土台にある。数のほうは70年代にJIS漢字に追い抜かれ、いまや Unicode でどんな文字でも出せる時代である。

改訂常用漢字表や表外漢字字体表をつくるのにはすごい手間がかかってゐるのは理解できるが、土台にあるのが当用漢字である以上、そこへなにを積み重ねてもいびつな構築物にしかならない。これでは Unicode 時代の圧倒的な量的拡張に呑み込まれ、やがて無力化するだろう。

漢字制限をベースとしてこれを常用に入れよう、あれも常用に入れようと付け足していくような政策ではなく。どんな漢字でも自在に打ち出せるという前提のなかでどのような規範をつくれるかということを考えなくてはならないのだ。

なすべきことは、表内/表外という対立が出ないようなおおきな枠組みを設定し、これを康煕字典に象徴される漢字文化の直系であるという建て付けにすること。そしてその内部に、「人名用漢字」や「教育漢字」等の枠が収まるようにすることだ。

漢字制限の理由として知識人がむやみに複雑な漢字をつかうので読みづらいというのがあったが、いま漢籍を読んでゐる知識人などほとんど皆無なのだから、制限を取っ払ったところで難字が氾濫するわけがない。

当用/常用のような制限的枠組みはもはや無意味であり不要である。6000字くらいの「日本漢字」のような枠を設定し、これを康煕字典に象徴される漢字文化の直系であるという建て付けにする。

康煕字典の大ユニバースに接続した6000字程度の小ユニバースを国民国家としての日本国が公的に認めた漢字とするのである。そしてこの小ユニバースの漢字は必要に応じて簡略化を行うが、簡略化は最新の漢字学の知見にもとづき合理的になされねばならない。漢字を構成する諸要素は可能な限り統一されてゐなければならない。

正字という普遍的な概念を康煕字典に担わせておくことで国民国家内での漢字を可塑的なものとすることができる。6000字もあれば表内/表外という対立が生じないから無意味な交ぜ書きは減少するだろうし、ひとつふたつの字種について表に入れるか否かといった馬鹿馬鹿しい議論は消滅する。

国語改革は失敗だったが、1946年以後の歴史を無駄にするわけにはいかない。だから必要なことはリフォームをほどこすことだと考える。壊して更地にして新築するのでも、場当たり的に建て増しするのでもなく、きちんとした設計図をつくって「改築」すること。

漢字学者の白川静は1978年に次のような暗い見通しを示してゐる。

 歪められた字形をもう一度回復することは、まず不可能なことだろう。それは敗戦後の昭和の時代の、記念碑的な遺産となるかもしれない。しかし漢字は、その表現のゆたかな可塑性のゆえに、情報時代のなかで、おそらくいっそう重要な機能を追うものとなるであろう。記号的文字として、これにかわる高い機能をもちうるものはないように思われるからである。 白川静「漢字百話」 中公新書 241頁

本当に不可能だろうか。ぼくにはそうは思えない。テクノロジーの発達によって電子的に漢字を打ち出すことがほとんど手書きに近づいたいま、むしろ個人でもこまかなリフォームが可能になったのではないか。

字種・字体・字形・書体

漢字を分析するための概念についてまとめておく。

まづ「字種」。普段ただ「漢字」とか「字」とかいう言い方であらわしてゐる概念がこれにあたる。「読」と「讀」って同じ漢字だよね、などという場合、字種としては同じだということを意味してゐる。

「読」と「讀」は同一字種である。けれども字体が異なる。即ちひとつの字種が複数の異なる字体をもってゐる。このなかで最も規範的とされる字体が正字体と呼ばれ、それ以外のものが俗体や略体と呼ばれる。正字異体字という関係である。ここで注意すべきは字体が抽象概念であるということだ。字を書く前に思い描いてゐる「こんな形」というイメージ。

さて次に字形である。字形とは頭のなかにある「字体」観念を実際に書いたときに目に見える形を指す。抽象から具象へとひとつ階段を下りたわけだ。字体という頭のなかのイメージをなんらかの媒体によって具現化したものが字形である。

もうひとつ、書体という概念がある。書体とは字形が有する特徴や様式のことをいう。書く道具/書かれる材料の違いによって字形は各々の特徴をもつことになる。紙に筆で書く、活字で印刷する、コンピュータでデジタル表示する。媒体の違いが様式の違いを生む。筆書きの行書や草書、活字印刷の明朝体清朝体、デンジタル表示のゴシック体などがこれである。

漢字源改訂第六版の巻頭文「漢字および字源・語源について」が分かりよい。

 ここで字体・字形・書体の区別を説明しておく。三つは違う概念である。ある時代において文字使用者の頭の中に共通に蓄えられた文字の組み立て方(どんな符号を要素として組み立てるかの規則)の観念が「字体」である。この観念に基づいて個々人が実際に書いたものが「字形」である(ただし本辞典では記号素を図形化した字の形の意味でも使っている)。

 これに対して「書体」とは、書写材料の違いによって字形が一定の特徴を帯びたもの(甲骨文字はナイフなどで骨に刻み、金文は金石などに彫り込み、篆文では筆で書写したので、それぞれ共通の特徴がある)、また意図的に一定の様式でデザイン化したもの(明朝体など)である。

 字源で分析の対象になるのは字形(記号素を図形化したもの)である。字形の構造を明らかにすると字体も明らかになる。漢字は字形が複雑であるため、常に字体が崩れる危険にさらされている。漢字を書くという行為によって絶えず脳を刺激しないと忘却する恐れがある。あるいは機械に任せると字体の観念は消滅するかもしれない。字源の研究は忘却しやすい字体を再構築する役目も負っている。

改行を追加した

「字体」と「字形」は混同しやすい概念だ。それも当然のことで、字体を具体化したものが字形であり、逆に字形から抽象したものが字体であるのだから、字体を示すためには字形が必要で、また字形のあるところに字体が観念されてしまうわけだ。

だからそもそも区別がむづかしい。一般的なレベルでも、学者の書いた文章でも、そう厳密に使い分けがなされてゐるとは思えない。

さて、上に引用した文章の下線分に「漢字は字形が複雑であるため、常に字体が崩れる危険にさらされている」とある。楽をしようとして安易に簡略化などすると成り立ちが分からなくなってしまうし、昔の書物が読めなくなるということだ。

当用漢字の簡略化とはまさにそのような乱暴なもので、手の負担を減らすための筆写体、略字体を正式の字体に昇格させてしまったのである。これによって「正字」という観念は破壊されてしまった。本当にひどいことをしたものだ。

なお「正字」は伝統的には唐代に発達した楷書からとられたらしい。

 隋・唐の時代に科挙制が行われて、経書の解釈や文字の試験によって官吏を登用した。経書はテキスト化され、字形の統一がはかられる。初唐期に楷書の名家が輩出したのも、そのことと関係があろう。

 書の名家として知られる顔真卿の五世の祖にあたる顔師古は、『漢書』の注で知られる人であるが、唐の太宗の貞観中に秘書監(図書寮の長官)の職にあり、経籍の文字に疑義が生じたときは、人びとはみなこれを師古にたずね、師古が楷書で示した字様は「顔氏字様」と称して正体とされたという。

 盛唐の人顔元孫の『干禄字書』は、俗・通・正の三体をもって標準の正字を示したもので、字の筆者は同族の顔真卿である。経書には正字を用いるが、筆記体としては通・俗・の二体を世用として認めるという態度である。

 しかしやがて大歴のとき張参の『五経文字』、太和・開成のときの唐玄度の『九経字様』になると、通・俗の字を認めず、正字を定体と称した。こうして唐玄度は勅旨によってその字をもって開成石経を書した。いわば国定の字様である。

白川静「漢字百話」 中公新書 158-159頁 改行を追加した。

手作り漢字表

以下、漢字表を制作中です。

表という呼びかたは不適かもしれない。字体および用法について、こうしたほうがよいとぼくが考えるところのものを列挙していきます。上の示したリフォーム(改築)を個人で出来る限りやってみようというわけです。

ぼくの手元にある字書は「字通」「漢字源 改訂第六版」「新字源 改訂新版」の三種。いづれも日本の漢字学者たちによる代表的な字書ですが、解釈の方法にそれぞれ個性があり、字釈は一様ではありません。

どの字書が正しいかを判断することはぼくには出来ませんので、いろいろ引いてみて説得的であると思われるものを採用します。

と、日曜大工でときどき手を動かしてみるのですが、実際にやってみると、個人で実践可能な修正は多くない(そこは仮名遣いと大きく異なる点だ)。

第一に、新字のかたちに慣れ切ってゐるために、変更した後の違和感が大きい。第二に、一部を修正しても、修正したことによりまた別の齟齬が出来てしまう。第三に、単語登録や有料の変換ソフトの導入などが必要になり、これは手間である。

「手軽に、違和感少なく、訂正できるもの」となると本当に限られてくるなという実感を得た。以下にいくつかの例を示してゐるが、徒労感を拭い去ることができない。しかし徒労感をもつようではダメなのである。

現実的には「臆測」→「憶測」などの、あきらかに間違った「同音の漢字による書きかえ」をきちんと訂正するあたりが落としどころになりそうである。

「器」「突」「戻」など「犬」を含むもの

「器」「突」「戻」はもともと「器」「突」「戾」で内部に「犬」字を含んでゐた。国語改革はその点一つが余計だとして「犬」を「大」に変えた。これにより「状」「伏」「献」「然」などとの連絡が途絶えてしまった。

まったく不合理な簡略化と思う。「言葉は変わりゆくもの」「字形はつねに変化したきた」というような言いかたがある。まったく正しいが、ぼくはそこから「だからすでに起ってしまった変化に対して抵抗すべきでない」という相対主義および現状追認主義にはくみさない。

この無原則と恣意性を放置してゐてはいけない。整合性を保つ努力をすべきである。努力して無理なら仕方ない。ここは妥協しましょうと言えばよいだけのことだ。この簡単なことがなぜ出来なかったか。

「器」は、新字源によれば「㗊(多くの容器)」と「犬(見張りの犬)」から成り、重要な容器の意を表す。漢字源は「㗊」を空っぽな入れ物と解し、犬は食用にもなり、犠牲にも供されたので、限定符号として利用したとある。

「突」は、新字源も漢字源も「穴」から「犬」が急に飛び出すさまとしてゐる。白川静の字通はこれを俗説としりぞけ、穴は供物としての犬を捧げるための聖所で、「突」は煙抜きの部分としてゐる。

「戾」は、新字源によれば「戶」+「犬」で、犬が戸の下を身をくぐらせて潜り抜けるさま。漢字源は、犬が閉ぢ込められて出ようと戸をはねる情景とする。字通は、戸下に犬牲を埋めて呪禁とする意と解してゐる。

点一つの増減で難易度が変わることはない。字義が解けるよう可能な限り元形を残しておくべきだ。

「器(うつわ)」:器官、器物、器用、器量、火器、楽器、凶器、銀器、公器、銃器、什器、大器、鈍器、容器、便器、祭器、兵器、石器、磁器、漆器、利器 など

「突(つく)」:突貫、突起、突厥、突如、突然、突出、突端、突破、突発、突入、突飛、突風、激突、衝突、猪突猛進、唐突 など

「戾(もどる)」:暴戾、戾虐 など

「淚(なみだ)」:落淚、感淚、催淚、別淚、愁淚 など

「類(たぐい)」:類縁、類句、類似、類推、類例、類型、類語、類書、類別、類例、類題、衣類、縁類、人類、鳥類、魚類、哺乳類、生類、同類、部類、分類、無類 など

「臭(におい、くさい)」:臭名、臭気、腐臭、悪臭、異臭、口臭、死臭、俗臭、体臭、脱臭、防臭、和臭 など

藝/芸

当用漢字は「藝」を「芸」と書くとした。ところが「芸」という字はもともと別にあるので、「藝」を「芸」としてしまうと、「芸」と書いたときに「藝」の簡略体なのか本来の「芸」なのか判然しない。

阿辻哲次の「日本人のための漢字入門」によれば、「藝」はもともと樹木や草を植えることを意味する漢字だった。ここからひとの生活をゆたかにするものとして学問や技術を意味するようになった。それが近代に「art」の訳語としてつかわるようになった。

 ところが、この「藝」の上と下の部分を組みあわせれば「芸」となることから、日本では「芸」を「藝」の略語として使うこともあったので、漢字の簡略化をおしすすめた戦後の当用漢字字体表では、それまでの「藝」に代わって「芸」を正規の漢字の字体とした。

 しかし「芸」はそもそも「藝」とはまったく関係のない別の漢字であり、早い時代には日本でも「芸」と「藝」が区別して使われていた。そのことを示す有名な例が日本最古の図書館の名前で、それは奈良時代末期に石上宅嗣(いしのかみのやかつぐ)が自分の旧宅に設置した書庫「芸亭」であるが、この「芸亭」はウンテイと読む。

 「芸」(音読みはウン)は香りの強い植物の名前で、この草が発散する香りは虫除けに高価があるので、書物を保存しておくところには防虫剤としてこの草をおいておく習慣があった。日本最古の図書館の名前に「芸」が使われているのも、そのためにほかならない。

156頁 改行を追加した

東京藝術大学文藝春秋はいまでも「藝」をつかってゐる。一般的な認知度も高く、「芸」を「藝」に戻してもまったく問題がないと考える。かつて防虫剤として使用された香草には「芸」を、技術や学問には「藝」を用いることとする。

芸香(香草の名、ヘンルーダ)、芸閣(書斎)、芸芸(ウンウン、草木の生い茂るさま) など。

藝術、藝苑、藝人、藝能、藝文、藝事、六藝、文藝、一藝、園藝、学藝、技藝、曲藝、工藝、陶藝、雑藝、手藝、多藝、農藝、武藝、民藝、無藝 など。

なお、康煕字典ではくさかんむりは「艹」ではなく間のあいた「艹」であるが、これを採用するとおそらく収拾がつかなくなるためここは妥協、保留とする。

假/仮

「假」を「仮」に変えたことによる問題点は高島俊男が「漢字と日本人」の冒頭で述べてゐる。

「反」という字形を含む字は、「反」自体のほか、板、坂、版、飯、叛、返などが一グループをなしていて、みなハンという音を持っている。(・・・)

 いっぽう「假」のほうは、この「假」をはじめとして、暇、霞、瑕、葭などがグループで、みなカという音を持っている。このなかの「假」だけを「仮」にして、「板」や「坂」や「飯」のグループの一員のような形にすることは甚だ不都合なのです。 8-9頁

まったくその通りだ。「假」を「仮」とすることは甚だ不都合である。「假」に戾そう。ちなみに「叚」は字通によれば「手(又)を以て岩石を切り取る形。また琢冶を加えない瑕玉の意」。漢字源は「両手でベールのようなものを物の上に覆いかぶせる情景」と説く。

「假」:假寓、假借、假称、假寝、假設、假説、假装、假託、假定、假泊、假名、假死

賣/売、瀆/

「売」はもともと「賣」だった。貝は古代世界で貨幣の役割をはたしてゐたから「貸」「賄」「賂」「購」「貪」などお金に関係した漢字の中には「貝」がはいってゐる。「買」にも「貝」がある。が、「賣」を「売」にしたので「貝」を有する字群との連絡が途絶えてしまった。讀賣新聞」のように正式表記だけ正字を残してゐるところもある。

「賣」は「出」+「買」。字通は以下の如く説く。

金文に贖の字があり、その従うところがおそらく賣の初文であろう。賣はもと贖求・贖罪の意で交付する行為であったと考えられる。すなわち賠償をはらうということであった。

「賣」を「売」とする簡略化を表外字に及ぼしたのが「涜」である。冒瀆、職の「」。」が表外字のために「」は「汚職」と言い換え、「冒瀆」は「冒涜」と書くようになった。

「売」をいま「賣」に戾すのは抵抗がおおきいだろう。それなら瀆/涜」はいかんせん。「売」を許容するなら「」も認めるのが合理的と言えそうだが、それなら贖罪の「」も変えねばならない。それは無理だ。「贖」はこの字体で定着してゐる。

ボウトクは現在冒瀆」と「冒涜」の二様の表記が行われてゐるように見える。完全に定着してゐるなら妥協する。混在してゐるなら原則を重んじる。よって、「」は「涜」とせず、「冒瀆」「職」と書く。

発/發/撥/潑

「発」の正字は「發」。漢字源によれば「發」は弓から矢を勢いよく出す情景、はね返って勢いよく出るというイメージをもつ。

当用漢字は略字の「発」を採用し、同様に「廢」が「廃」になった。また「同音の漢字による書きかえ」は「醱酵」を「発酵」に、「反撥」を「反発」に、「活潑」を「活発」に書きかえよとした。

ところが撥音(「ん」のことは)はやはり「撥音」であるし、弦を弾くばちを漢字で書く場合には「撥」である。また「反撥」という書きかたは生き残ってゐる。

ここに表内/表外の不統一が見られる。これを統一するためには「発」を「發」に「廃」を「廢」に戻せばよいのだが、「発」字の定着度を考えるとこれは無理であろう。したがって落としどころとしては表外の「撥」「潑」についてはこれを書き分けるといったあたりになるか。

「撥」:撥(ばち)、反撥、撥水、撥条(ぜんまい)

「潑」:潑溂、活潑

なお「醱」は字通に「古い字書に、醱を収めるものがない」とあり、そう由緒のある文字でもないようだ。「発酵」がよく定着してゐるからこれは「醱酵」とせず「発酵」のままとする。

聲/声

字通によれば「聲」は「殸(ケイ)+耳」。殸は声(磬石)を鼓つ形。その鼓つ音を聲という。声は磬石を繋げたかたち。「もと神聴に達する音をいう」とも。

漢字源の説明が面白い。曰く、

古人は「聖は声なり」という語源意識をもっていた。声・聖・聴は同源の語で、「まっすぐ通る」というコアイメージがある。空中を通っていく音、また、耳にまっすぐ通って聞える音を声という。

磬という楽器のさわやかな音声のイメージを利用した。聲は楽器の出すさわやかな音を耳で聞く情景を想定した図形。

楽器を鼓つ。その音が空中を通ってまっすぐ耳に届く。また神聴に達する。美しいイメージだ。「聲」を復活させたい。

「聲(こえ)」:聲望、聲調、聲優、聲量、歓聲、罵聲、名聲、美聲、悪聲、天聲、笑い聲、叫び聲、泣き聲 など。

シンニョウ「⻌」「辶」をどうする

「邁進」「逼迫」「逡巡」などの熟語を打ち出したとき、片方のシンニョウの点がひとつであり他方がふたつとなってゐる。これは表内字の簡略化処理として点をひとつ取ったからである。だから同じシンニョウでも表内と表外で点の数が異なる。

阿辻哲次の「日本人のための漢字入門」によれば、シンニョウの原型は「辵」であり、「辵」は道路を意味する「彳」とひとの足跡を示す「止」があわさったもの。漢代の遺跡から発見される木簡や竹簡の字形では一点シンニョウと二点シンニョウの両方がありこの時代ではどちらでもよかったらしい。

それが唐代には科挙の採点のために規範をさだめる必要がでてきて一点シンニョウ「⻌」が規範となった。ところがさらに後になると二点シンニョウ「辶」が正しいとされるようになり康煕字典でのシンニョウではすべて「辶」となってゐる。

《辶》が規範的な形とされるようになったのは、元来の《辵》での第一画と第二画をそのまま残した結果だろう。そしてそれは文字の成り立ちから考えれば、正しい見解といえる。だから現在の中国から出版される書物でも、たとえば中華書局から出ている活字本『二十四史』など伝統的な学術体系をふまえるものでは、シンニョウは《辶》の形で書かれることが多い。 145-146頁

中国と台湾は現在一点シンニョウ「⻌」をつかってゐる。日本は表内字についてのみ点を減らした。「日本人のための漢字入門」は以下の46字を示す。

込、迅、迎、近、返、迫、迭、述、迷、追、退、送、逃、逆、透、遂、途、通、速、造、連、逮、週、進、逸、遂、遇、遊、運、遍、過、道、達、違、逓、遣、適、遭、遅、遵、遷、選、遣、避、還、辺

さて、ぼくは表内と表外の不整合を少しでも減らしたいと考えてゐる。だからシンニョウの点の数をどちらかに統一したい。康煕字典が採用してゐる二点シンニョウに揃えるべきだろうか。あるいは中国台湾のように一点シンニョウに変えるべきだろうか。

どちらに統一するにしても手間がかかりすぎて現実的ではない。手間がかかりすぎるというのは「個人が実践するには」ということである。リフォームは日曜大工の手軽さで可能な範囲にとどめておきたい。より簡単に一点および二点シンニョウを打ち出せる環境になればそのとき考えればよい。

よって、一点シンニョウと二点シンニョウの不統一の問題は棚上げとする。

しめすへん「示」「礻」をどうする

新字源によれば「示」字は「祭事で、神の座に立てて神を招くための木の台の形にかたどる。もと、神を祭る意を表した」。だから「示」を部首にして神や祭りに関する意を表す字ができてゐる。

禮、社、祈、神、祖、祕、祝、禍、福、祐、祥、禪、祀、祠、祇、禊、禱、祭、宗、斎

など。このうち緑色で示した表内字は「示」字をくづした「礻」で表すように変えた。礼、社、祈、神、祖、秘、祝、禍、福、祐、祥、禅。だから祀、祠、祇、禊などの「示」を部首とする字との視覚的統一がこわれてしまった。だから「祈禱」という熟語では前が「礻」で後が「示」という妙なことになる。

中国台湾はすべて「礻」で表してゐる。日本はどうするか。どちらかに統一して表内/表外の対立をなくしたい。どちらに統一してもよい気がする。同時に、ここまで定着してしまった以上どうにもならないとも思う。

シンニョウと同様、日曜大工的リフォームで対処するにはおおきすぎる問題だ。こちらも棚上げとする。

辨/辯/瓣/弁

「辨」「瓣」「辯」「弁」はすべて別字であるが国語改革はすべてを「弁」に統合した。「辨」は区別する、処理すること。「辯」はものを言う、道理を説くこと。「瓣」は花びら、管の端にある調整装置。「弁」は男子の礼装に用いた冠。

統合を解除するならば以下のような語について書き分けねばならない。

「辨」:辨別、辨理士、辨証法、辨明、辨償、辨済、代辨、辨当、駅辨

「辯」:辯論、辯解、辯明、辯疏、辯護、辯才、辯天才、辯口、辯巧、辯士、辯舌、辯駁、詭辯、強辯、答辯、駄辯、雄辯、熱辯、能辯、代辯

「瓣」:花瓣、調整瓣

「弁」:弁冠、武弁(下級の武士)

なるほどこれはたいへんである。特に「辨」と「辯」の区別がむづかしい。まぎらわしい字を整理できてよかったと言えるかもしれない。実際、統合した「弁」の用法は完全に浸透してゐるようにみえる。

しかし形を見れば明らかなように「弁」と「辨」「瓣」「辯」はまるで関係のない字であるから無理筋であることは間違いない。「辨」「瓣」「辯」を「弁」としてしまっては字体から意味を説くことは不可能、形と意味との関係は完全に切れてゐる。

これは難問である。どこかによい落としどころがないものか。保留とする。ちなみに中国では別字のままである。

兩/㒼/両

満足の「満」と欺瞞の「瞞」でツクリ(右側)のかたちが異なる(憤懣の「懣」もまた)。また両方の「両」と車輛の「輛」で「両」の字形が異なる。このように頻用する文字のかたちに不統一があるべきではない。

もちろん当用漢字が原因である。「兩」および「㒼」について、その俗体「両」を採用した。ところがこの方式を表内字にだけほどこし表外字には適用しなかったため、上記の矛盾が生じた。

「輛」は「両」に書き換えよと指示があったが定着せず、「車輛」の「輛」として生き残ってゐる。なお「輛」が標準字体だが、簡略化を拡張した「輌」も「許容」されてゐるらしい。誤れる漢字政策のために起った混乱である。

この混乱に秩序をもたらすためには「両」「満」を「兩」「滿」に戾せばよい。そうすれば「兩」「輛」「滿」「瞞」「懣」となりきれいに揃うわけで、こちらがよいに違いない。しかし、「両」「満」の定着度合いを考慮するとこれは無理であろう。

よって、「両」の採用により生じた不統一については妥協する。

叛/反

「叛」は当用/常用漢字に入ってゐない、表外漢字である。「同音の漢字による書きかえ」は「叛」を「反」と書き換えることを要請した。「叛旗」「叛逆」「叛乱」「離叛」をそれぞれ「反旗」「反逆」「反乱」「離反」と書けという。

これは本当に必要な措置であったろうか。

「反」は、漢字源によれば、反り返ってゐるものが自動的に、あるいは何らかの力が加えられて、元の状態に戻る。ここから裏返す、はね返ってもとに戻る、反対向きになるなどの意味を実現するとのこと。字通によれば、「反」は崖に手をかけてよじのぼる形。そのような地勢のところを坂といい、聖所ならば阪という。

「叛」は、漢字源によれば、そむく、はなれる意。「半+反」で仲間が二つに分かれて背くこと。春秋時代では、小国が、盟友を結んだ大国から別の大国にくらがえすることを意味したとある。字通によれば、「叛」は聖所である「阪」によじのぼる形で、神聖を犯すものとされた。金文tに反を叛逆の意で用いてをり、のちに「半」を加えた。

つまり「反」がまづあり、のちに「半」が加わり「叛」ができ、特に「そむく」「さからう」意にフォーカスしたいときに「叛」字を用いるようになったということだろう。

さしてむづかしい字とも思えないし、「叛逆」などはよくつかわれてゐる。「叛」字が喚起するいかにも逆らうようなイメージがしっくりくるからだろう。「叛」も復活させてよいように思う。

叛逆、叛乱、叛旗、叛徒、叛臣、叛意、叛骨心、叛心、叛亡、離叛、謀叛、背叛 など。

なお「半」部を有する字に「半」「判」「伴」「畔」/「拌」「叛」「絆」「胖」などがあるが、表内と表外でふたつの点の向きが異なる。表内は「逆ハの字」で表外は「ハの字」となってゐる。このあたりを統一したほうがよいと思うがこれをいかんせん。

統一するなら「ハの字」にすべきであるが、「ハの字」点の「半」「判」「伴」「畔」を打ち出すことは現状むづかしいためここは妥協、保留とする。

臆測/憶測、臆説/憶説

「同音の漢字による書きかえ」のうち、漢字学的にあきらかな無理があり不合理であるにもかかわらず、かなり定着してゐる例がこれである。「臆」が表外字なのでこれを同音の「憶」で代用し、「臆測」を「憶測」に、また「臆説」を「憶説」に書き換えることとした。

「臆」は「おしはかる」という意味の字で、ただおしはかるのではなく「勝手におしはかる」というニュアンスをもつ。だから「臆断」「臆見」等の客観性を欠いた判断や意見を意味する語をつくることができる。「臆測」「臆説」もまたしかり。

他方の「憶」は「記憶」の「憶」で「おぼえる」という意味の字であるから、「臆」の代りにはなりようがない。「臆測」→「憶測」、「臆説」→「憶説」への書き換えは完全に間違ってゐる。

さて「臆」は2010年にめでたくも常用漢字に追加される運びとなった。とすると「臆測」「臆説」と書いてよいことになる。ではかつて「臆」は使うな、「憶測」「憶説」と書けといい、実際にかなり定着したことについてどう責任を取るのか。改定常用漢字表「臆」項の備考欄にいう。

「臆説」,「臆測」は、「憶説」,「憶測」とも書く。

「とも書く」ぢゃないだろう。文字を、学問を、人間をなめきった態度と言わねばならない。漢字廃止を目標とした戦後の国語政策は失敗したのである。それを認めないから「~とも書く」式のゴマカシが生じることになる。

書き換えは廃止して「臆測」「臆説」と書くとすればよい。それだけの話だ。

義捐/義援

義捐金ということばがある。「捐」が表外字であるために音が同じ「援」を用いて「義援金」と書かれるようになった。「捐」を「援」とする案は1956年の「同音の漢字による書きかえ」には示されてゐない。

高島俊男は「漢字雑談」で次のように述べてゐる。

 もとは義捐金である。捐は「棄也」。投げ出すことである。金は投げ出すものではないが義のために投げ出す、ということで「義」と「捐」とのあいだに緊張関係があり、語として成り立っている。

 義援金は捐が表外字なので同音「えん」の援に変えたものだが、意味をなさない。ただの駄洒落である。義のために援ける、と思う人もあるかもしれぬが、人をたすけるのはそれ自体義なのだから意は「援金」で足りており、上について「義」が意味を持たぬのである。 

95-96頁 改行を追加した

意味が同じ漢字で代用/統合するなら理解できるが、ただ音が同じという駄洒落で書き換えるのは道理に合わない。

義のために金を捐てるという緊張関係には善行によって優越意識が生じるのを防ごうとする智恵があるように思う。この含羞を生かしたい。

「義援」ではなく「義捐」と書くこととする。

漢字源によれば「捐」における「肙」はまるいという意味で、まるくくり抜いて捨て去ること。字通は「肙」を「おそらくは骨つきの肉の形」とし、それを棄てる意であろうと推測してゐる。

転/顚

「顚」が表外字であるために「同音の漢字による書きかえ」はこれを「転」で代用し、「七顚八倒」を「七転八倒」に、「顚倒」を「転倒」に、「顚覆」を「転覆」に書き換えるとした。

しかし「転」は円を描くようにくるくる回ることであり、「顚」はいただき(頂)のこと。まるで別の意味であるからこの書き換えはやめたほうがよいだろう。

漢字源によれば「顚」には「頂点で極まる」というコアイメージがある。ここから「倒れる」とか「逆さまになる」という意が生じたらしい。

七顚八倒、顚倒、顚覆、顚末、顚狂(常軌を逸する)、顚顚(慌てる、愚か) など。

編/篇

「編」は表内字である。「篇」は表外字である。だから「同音の漢字による書きかえ」は「篇」を「編」で代替せよとした。「長編→長編」「短編→短篇」のごとく。この書きかえも完全には定着しなかった。あるいは半々くらいでばらけてゐるかもしれない。

高島俊男は「漢字雑談」で次のように述べてゐる。

「篇」と「編」とは、日本語で読むとどちらも「ヘン」だが、意味・用法がちがう。「篇」は作品一つ一つをかぞえることばである。一篇、二篇、三篇・・・・・のごとく。また作品のひとかたまりをもかぞえる。「前篇」「後篇」のごとく。

また、作品の篇幅(分量、長さ)をも言う。「長篇」「短篇」、あるいは「小篇」「掌篇」などのごとく。竹かんむりがつくのは、昔の書物は竹片(簡)だったからである。字を書いたものを指す語は竹かんむりが多い。書籍の籍、書簡の簡、便箋の箋、名簿の簿、等々。

「編」は糸へんがついていることでわかるように「あむ」という動詞である。だからひもをあむとかにも用い、新しくは編成、編隊などとも用いられるが、また本をつくることによく用いられる。編輯(編集)、編纂、共編などのごとく。これは昔の本は竹片を糸であんで作ったので、本をつくることを「編」と言うのである。 102-103頁

明快だ。これでもう迷うことはない。編は「あむ」という動詞であるから編成、編集などに用い、篇は作品等なんらかのかたまりを指すとき、短篇、続篇、本篇などにつかう。

広汎/広範

「汎」は当初表外字であったから「同音の漢字による書きかえ」では「広汎」を「広範」に書き換えよとした。ところが「汎」は「汎用」とか「汎神論」などの言葉でそれなりにつかわれ続け、一般的な認知度が高かったために、2010年に常用漢字に追加された。表に入っても書き換えは撤回されない。

高島俊男は「漢字雑談」で次のように述べてゐる。

(・・・)汎と範は音が同じというだけで、意味がちがう。汎は「ひろい」ということである。範は、一つは模範の範でお手本ということ、もう一つは「くぎり」ということで、くぎられた一定の面積・部分を「範囲」と言う。しかし「広範」という語はない。 109頁

漢字源で「範」を引くと次のようにある。これが興味深い。

古人は「範は法なり」と語源を説く。犯とも同源で、上から枠をかぶせると、それをはねのけてはみ出ようとする。かぶせる枠を法・範といい、枠をはみ出ることを犯という。

対して「汎」は「水の上を覆いかぶさって浮かぶ情景」と説かれてゐ。「あまねし、あまねく」という意味。だからこれを「くぎり」を意味する「範」で書き換えるべきではない。「広範」が定着してゐるとはいえ、「汎」は見慣れた字であるし、そして常用漢字にも入ったわけだから、「広汎」に戾しても問題ないだろう。

よって「広範」ではなく「広汎」と書く。漢字制限および廃止を目指してゐた時代の「同音の漢字による書きかえ」がいまなお検証されず放置されてゐることに強い憤りを感じる。

廻/回

「同音の漢字による書きかえ」は「廻→回」「廻送→回送」「廻転→回転」「廻廊→回廊」という変更を提案してゐる。「回送」「回転」は完全に定着してゐる。「廻廊」は多くはないがときどき目にする表記である。

では「廻」が完全に消えたかというとそうではなく、「輪廻」はどうしても「廻」でないといけないし、日本史では「廻船」を習い、最近では「呪術廻戦」という漫画が大人気だ。訓をつかって「廻る(まわる)」と書く表記も見かける。

字通の「廻」項は次のように説く。

廻・迴はともに〔説文〕にみえず、回と同義の字であろう。廴(いん)は延・建など、儀礼の場所やその建造物を示し、聖所を区画する意。迴はその行動を示す動詞的な字。いずれも回の限定的な用法の字であろう。

つまり意味としては「回」と同じであるが、「廻」は限定的に場所や建築物、あるいは動的にあちこち動きまわる、「めぐる」「めぐらす」意でもちいるということだろう。

だからもし「廻」字をつかうとすれば、「廻廊」はこちらのほうがしっくりくる気がする。それから、小説でも書くのでなければつかうこともないと思うが、「廻天」「廻首」「廻旋」くらいだろうか。「回」よりもダイナミックで劇的なニュアンス。

厖大/膨大

高島俊男は「漢字雑談」で次のように述べてゐる。

「厖大は」は数量、分量が巨大なのを言う。「厖大な蔵書」「厖大な数値」などというふうに。

「膨大」は医学用語で、「膨大する」という動詞である。病的、悪性にふくれあがることである。「腕部が膨大して」などと用いる。それを比喩的に、何かが悪くふくれあがる際に用いることもある。

「膨」は肉月の字であることが示すように人体にかかわる語で、「膨れる」とも読み、「膨脹」と熟語にしても用いる。健康に肥満することを「膨」の字であらわすことはない。かならず病的、悪性である。 105-106頁

なるほど、数量、分量が巨大なのを言うときは「厖大」、何かが悪くふくれあがる際に用いるには「膨大」と。

障碍/障害/障がい

「碍」が表外字なので同音の「害」にかえて「障害」と書くようになった。ところが「害」はネガティブな印象が強く、人権尊重の観点からよろしくないという考えがひろがり「障がい」表記が生まれた。そして「障がい」という交ぜ書き表記に対する反撥からか「障碍」と書くひとも出て来た。

「障害」「障碍」どちらでもよいと思う。原則として交ぜ書きは避けたいから「障がい」とは書かない。「害」のイメージがよくないということだが、それなら「碍」も「さまたげる」という意味だから似たようなものだ。「障」も「さわり、さしつかえ」だからいい意味の字ではない。

目が見えないこと、耳が聞こえないこと、手足がないこと。これらは「ふつうの人」の基準で設計された社会で生活するにはさまたげとなる条件、障害である。だから公的な援助がある。それでよいのではないか。ぼくは「障害」で問題ないと思う。

しかし「障害」表記に傷つき、また傷つけたくないと考えるひとが多いのなら「障碍」と書くほかない。それも問題だというなら「障がい」でも、いっそ「チャレンジドパーソン」としてもよいが、どう呼び、どう書いたところで、社会の構成員が普遍的な人間の尊厳について真剣に考えないなら、同じことだ。

人権意識や平等思想を文字表記に反映させることを真剣に考えると収拾がつかなくなるからやめたほうがよい。傷つけたくない、傷つきたくないという思いからあれも配慮これも配慮とやっていくと過敏になってたいへんだ。

「障害」でも「障碍」でも「障がい」でもいい、「子供」でも「子ども」でも「こども」でもいい。気にせずに放っておくべきである。

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