手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「精神0」

「精神0」2020 日本/アメリカ 監督・制作・撮影・編集:想田和弘

☟が予告編

☟が公式サイト

コロナ禍で劇場が閉まってゐるので、いま「仮設の映画館」なるバーチャル映画館で上映されてゐる。☟

観客は、どの映画館で作品を鑑賞するのかを選ぶことができます。そして、その鑑賞料金(1,800円)は「本物の映画館」の興行収入と同じく、それぞれの劇場と配給会社、製作者に分配される仕組みです。

ぼくは大分の「別府ブルーバード劇場」というところで鑑賞した。別府に友人が住んでゐて、元気かなあ、と思ったから別府にした。という程度の理由だ。

その友人とは10年以上会ってゐないし、会う機会がくるかもわからないけれど、数ヵ月に一度メールでやりとりをしてゐる。そういう友達。

想田監督の作品は、「選挙」「精神」「演劇1・2」「選挙2」を見てゐる。

どの作品も面白い。

いづれも強烈な印象を残すのだけれど、鑑賞後にどういう感想を述べたらいいのかわからない。

いつも、「すごいものを見た」という感じなのだ。その点ではどの作品も同じだ。

「精神0」の冒頭における山本医師と患者との会話を書き起こす。

患者:ぼくは先生の言われること、ほんま、四六時中思い出しよるんですけど、先生やめられるんですけど、ぼくにまだ、なにか言うことないんかな思うて・・・生涯そうやって・・・

山本医師:ぼくはな、ここまであなたが、今日まで生きて来るためにな、した努力いうたらすげえと思うぞ。ほんと。そりゃお母さんもすごい、お父さんもすごい、みなすごんぢゃけどな、そりゃ努力の量いうたらあんたものすごいぞ。生きるか死ぬかのレベルのものを耐えてきとるんぢゃけん。なあ、実際に。やからお母さんもがんばった、お父さんもがんばたけども、やっぱ、あんたすごくがんばってくれだんぢゃ、耐えてくれたんよ。それでこんにち、こういうかたちで出会えとんぢゃからなあ、もう、ありがとうございます。いや、ほんと。人間のすごさみたいなものを感じさせてもろた。

いや、ほんと。人間のすごさみたいなものを感じさせてもろた。

想田監督の映画を見た後の感想がまさにこれだ。

「選挙」の「山さん」からも、「演劇」の平田オリザさんからも「人間のすごさみたいなもの」を感じた。

「精神0」でもそれは同じで、やっぱり「人間のすごさみたいなもの」を感じた。

立候補者からも演劇人からも精神科医からも患者からも、みな同じように「人間のすごさみたいなもの」を感じる。

想田監督の映画の中で出てくる人は主役級(?)の人でなくても、ちょっと出てきてすっと消えていく人からでも、なにか物凄いものを見てゐるような感覚になる。

それを強いてことばにするならば「業」ということになるだろうか。

ひとりひとりの人の「業」が、ぐっとせり出してこちらに迫ってくるようで、ちょっとおののいてしまうことがある。

そうして、みなそれぞれの仕方で生きて、日常を営んでゐることの、どうしようもない不気味さを感じるとともに、そこから崇高さが見えるような気がするのだ。

「精神0」もそんな場面がたくさんあった。いや、そんな場面ばかりだった。

鑑賞後、一夜明けて思い出すのは、後半、山本医師と奥さんと友人が3人で会話をする場面。

友人が奥さんの手や肩をばんばん叩きながら怒涛のように語りまくる。それを奥さんが黙って聞いてゐる。山本医師は治療さながらに適切な相槌を打ちつづける。

三者三様に「人間のすごさみたいなもの」がせり出てきて、画面がよくわかんない混沌したエネルギーで溢れかえる。

ここはもう壮絶で、なんか変な気持ちになった。

いったいオレは何を見てゐるんだ?という。

前作「精神」(2008)を未見の方はそちらから続けて見たほうがよいと思います。

そのほうが「純愛」の物語がよく見えてくると思います。

想田監督には、

「もう、ありがとうございます。いや、ほんと。人間のすごさみたいなものを感じさせてもろた。」

と言いたい気持ちです。