「合本 挨拶はたいへんだ」朝日文庫 2013
友人の結婚式で祝辞をのべることになって、どうしたものかと思い、そういえば丸谷さんのスピーチをあつめた本があったよな、と調べたらこれを見つけて、読んでみた。
この人はあんまり文章が上手すぎてそのへんは参考にしようがないのだけれど、なるほどこのくらいの分量で、こういう文句を入れて、こういう構成にすればかっこうがつくのだなということがわかった。
といってマネできるかというと、とうてい出来ないので、あいかわらず頭を抱えてゐるのだが、うまくいかなくても、ゆるせ、友よ。
挨拶・スピーチについての対談が二つ入ってゐて、これがいづれも面白く、ためになる。
なるほど、挨拶は短く、簡潔に、エーとかアーとか言わずにすますのがよい。それから、暗記してスピーチしようなどとかっこつけずに、手にメモをもって、読み上げればよい。
話題がてんてんして、だらだらと話がつづくより、すっきりした文章を読み上げるだけのほうがよほど気が利いてゐる。
ふむふむ。そうしよう。
さて、この本、丸谷さんの短い挨拶を集めただけの本なのだが、これがもう無類に面白い。
第一に文章がすばらしい。
歴史的仮名づかいで書かれた文章は、今様の文章になれた目にはひょっとすると読みづらいものになりがちだけれど、そこをまったく感じさせない流れるような自然さ。なんて気持ちがいいだろう。
これは全体のリズムがよく、語彙の選択と配置が適切で、漢語と和語とのバランスに極めて精妙な気配りがなされてゐるからそうなるので、これはとんでない芸当。まさに文芸。
感激いたしました。
こんなふうに柔らかく馥郁とした文章を書く人というのは彼が最後なのかもしれない。
だって、和漢の古典に通じるということがそもそも現代では不可能なのだから。
そういう人が生まれる素地がぼくらの文明にはもう存在しないし、そんな文章を書いてもそれを読む読者がどんどん少なくなってゐるのだから。
ぼくはそういう古いものに郷愁を抱いてゐるので、歴史的かなづかいの要素を加えた仮名づかいで書いたりしてゐるのだけれど、まあどうにもなりはしないだろう。
しかし旧時代を背負ってゆっくり消えていく人間というのがゐなければ、正しく新しい時代を迎えることができないだろうと思うので、こういう珍妙な試みを続けてゐる次第である。うまく言えないが。
第二に丸谷さんの文学論・文明論に触れることができて楽しい。
作家であるから、祝辞でも弔辞でもやはり文学者・学者がおおくて、挨拶では当然彼等の業績をとりあげることになる。
丸谷さんは自身の文学観・文明観を援用して説明することになるので、文章と文明との関係、批評すること大切さなどについて考えさせられ、多いに啓蒙されることになる。
第三に読書案内として優れる。
これは困った。読みたい作家、読みたい本がぽこぽこでてくるのでちょっと手に負えませんわ。
読みたいなあ。しかし手が回らないなあ。いやあ、参った。
というようなわけで、大変素晴らしい、至福の読書体験でありました。
スピーチどないしよ。