手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「漢字伝来」大島正二

漢字伝来大島正二 2006 岩波新書

すべての人間集団は言語をもつが、そのうち文字を発明するのはわづかである。文字を発明した集団は「進んだ文明」を形成する。ここに権力構造が生まれる。文字をもつ「進んだ文明」がそうでない集団を征服する場合があり、また逆に文字をもたない集団が「進んだ文明」にみづから近づく場合もある。そうして文字の伝播が生じる。

その受容の仕方はさまざまである。中国語を話す人達が漢字という文字を生み出した。だから漢字という文字は中国語を書き表すのに最適である。中国語を書き表すのに最適な漢字という文字は、他の言語を書き表すのには最適ではない。適さない程度はさまざまで、その言語と中国語との(ことに音韻と統語法の)類似度よって決定される。

相性が良くても悪くても、漢字という文字が目の前にある以上、これを使わなければならない。そこで工夫をする。朝鮮、ベトナム契丹、タングート、女真、日本。近隣の各民族はみな工夫をしてそれぞれの対応をとった。言語学的な相性がみな違うから、対応の仕方もとうぜん違ってくる。

言語学的な相性ともう一つ重要なのは、民族的/文化的自尊心の問題である。文字を受け入れることは文化を受け入れることである。受け入れすぎると文化的に屈服することになり、文化的に屈服すれば民族のアイデンティティが失われる。アイデンティティがないと個人も集団も生きていけない。しかし戦争に負けるのはよくあることで、そうなれば屈服せざるを得ない。屈服する、逆に奮起する、そこで文字も表記も変化する。

文字の伝播と受容のドラマには、自言語に適さない文字で自言語を書き表すための悪戦苦闘があり、民族の誇りをかけたアイデンティティ政治がある。それが面白い。

「漢字伝来」で強い印象に残ったのはモンゴル族のつくった元朝パスパ文字についてだ。その顛末が実に面白い。

漢族の文化の同化力はすさまじく、周辺の民族がこれを征服しても、逆に文化的に同化されてしまうのが常である。しかしモンゴル族は違った。モンゴル至上主義を旨とする彼らは、漢字とはおよそ無関係の新しい文字をつくりだした。

チンギス・ハーン(在位1206~1227年)が西モンゴル最大のチュルク系部族のナイマンを討ったとき、ナイマンの人々が表音文字であるウイグル文字を使用してゐるのを知り、それをモンゴル語を表記する文字として採用した。これがモンゴル族が文字を用いた初めである。しかしそんな借り物では我慢ならない。自分達の文字が欲しい。

(・・・)空前の大帝国を築きあげたモンゴル族にとって、自国語を表記する文字が借り物であることは堪えがたいことであったろう。元朝初代の皇帝となった世祖フビライ(忽必烈・在位一二六〇~九四)は、尊崇していたチベットの高僧パスパ(聖者の意。本名はロテ・ギャンツェン、チベットで伝えられているところによれば一二三五年生まれ)に新しい文字(国字)を造ることを命じた。パスパ三五歳のときのことである。

 パスパはさっそく作業にかかり、祖国チベットの文字をモデルとして五四個の表音文字を造り、フビライ・ハーンに献上した。のちの世にいう〈パスパ文字〉である(図19)。皇帝はこのモンゴル新字を国字としてさだめ、勅命によって公布し、そののち国家の公文書はかならずこの文字を正文とすることになった。国号を「元」とさだめる二年前のことである。 145-146頁

ところがパスパ文字はデキが悪かった。あまりに不便で実用に不向きなので、ちっとも拡がらなかった。それでも国が定めた文字だから、正式な文書はパスパ文字で書かねばならない。で、どうなったかというと、誰もパスパ文字で書かれた正文を読まず、ウイグル文字で書かれた副文を読んだり、漢文に訳されたものを読んでゐたらしい。パスパ文字元朝の滅亡とともに歴史から姿を消した。

自尊心の強さから漢字と無縁の文字をつくったが、まったく普及せず、あっというまに砂漠に消えてしまったというのは、実に痛快なエピソードだ。

モンゴル帝国の拡大は、朝鮮のハングルの成立にも一役買ってゐる。朝鮮は古くから中国の文化の輸入につとめ、みづからを〈小中華〉と呼ぶほどに華夷秩序を内面化した国だった。しかし音節構造の相違から、日本の仮名のように漢字を改造した文字を生み出すことができなかった。だから李氏朝鮮の時代にハングルをつくった。

ハングルは二つの文字原理を含んでゐる。第一に、アルファベットのように音素を示す単音文字である。第二に、仮名のように音節を単位とした文字である。

日本語で説明すると、「か」という文字は「k+a」という二つの音素からなる一つの音節を示してゐる。しかし「k+a」という音素は「か」という文字の形態には反映されてゐない。だから音素は読み取れない。ハングルは、「か」と同じように音節単位の文字であるが、「k+a」という音素が見えるようにできてゐる。一つの文字が一つの音節を示し、その音節を構成する音素をもまた示してゐる(!)。

第二の音節単位という特徴は、一文字一音節の漢字に由来する。では第一の特徴である「音素」という原理はどこからきたか。モンゴル帝国の侵略によって。

 ハングルが発明された李氏朝鮮の前の王朝であった高麗のときに、朝鮮はモンゴルの支配下におかれ、モンゴルから直接的な影響を受けた。モンゴルは、前項で述べたように、ウイグル文字から造ったウイグル系文字とパスパ文字の二つの文字を造ったが、これらはいずれもセム起源のアルファベット、つまり一字一音素の単音文字から発したものである。朝鮮はモンゴルを媒介としてこの単音文字の原理を知った。そして、ハングルの特徴である音節単位は漢字がモデルとなった。文化史的にみてきわめて自然である。 151頁

なんて面白いのだろう。朝鮮族は、中華文明を崇拝して漢字から音節原理をとり、モンゴル族に侵略されてアルファベットから音素原理をとり、世界一合理的といわれるハングルをつくったのだ。

日本はモンゴル族のように誇り高くもなく、朝鮮のように中華文明を崇拝せず、またモンゴル帝国に侵略されもしなかった。漢字から仮名をつくり、かといって漢字を捨てず、漢字仮名交り文というハイブリッドな表記法が定着した。

近代にいたり、華夷秩序からの離脱を目指し漢字廃絶を掲げはしたが、漢字が大好きな知識人達の反対にあい、実現できぬうちに戦争に負け、大日本帝国は滅びた。アメリカに占領され、アルファベットにせよといわれ、いまがチャンスと国語改革を行ったが、これも途中でやめてしまい漢字も仮名も残った。

漢字は制限され、字体は簡易化され、仮名遣いは表音化された。すべてが中途半端に行われた。この中途半端さに合理的根拠はなく、明確なビジョンがあったわけではない。たまたまこうなった。たまたまこうなった現実に適応し、慣れ、やがてこのような経緯そのものが忘れ去られた。

いま戦後の日本国が滅びようとしてゐる。文字の運命やいかに。