手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「すぐわかる イスラームの美術」桝屋友子

すぐわかる イスラームの美術」桝屋友子 東京美術 2009

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☝の年表はありがたい。いつごろどこにどんな王朝が栄えたかが一目でわかる。こういうおおまかな発展の歴史、影響関係をすっかり頭に入れてしまいたいのだが、なかなかね。

 アッバース朝は七五一年に中国の唐朝とタラス河畔(現キルギス)で戦って勝利し、中央アジア一帯を手中に収めた。その後、トルコ系のカラ・ハーン朝は十世紀にイスラームを受け入れ、現キルギスから現中国新疆ウイグル自治区にわたる領域が、中央アジアムスリム王朝の東限を成した。 36頁

この箇所を読んだとき、以下の動画を思い出した。ウイグルのダンスがカタックの起源だと主張してゐる。

www.youtube.com

この動画は別の記事でも貼り付けたことがあるかもしれない。私はこれを見るたびに「起源を主張するあらゆる言説は眉唾だな」と思う。45秒くらいのところで地図が出てきてウイグルからインド、イラン、さらにはハンガリーにまで矢印が伸びてゐる。

これだとあらゆるダンスの起源がウイグルにあるかのようだ。ウイグルのほうはどこからも影響を受けてゐないみたい。そんな馬鹿な。それが許されるなら矢印を逆にしてまったく反対の主張をすることだって出来る。文化の伝播も影響も一方通行ではあり得ないでしょう。

起源を主張することで「○○スゴイ」と言いたいわけですね。オリジン・マウント。私はこういう言説が嫌いだ。だから「カタックはフラメンコの起源だ」も嫌い。似たもので「漢字の流入前から日本には神代文字があった」も嫌い。劣等意識が根っこにあり、起源の主張と権威付けでこれを糊塗する。

源義経チンギス・ハーンになった、などは突き抜けてゐてむしろおもしろい)

文字といえば、イスラーム美術は偶像崇拝を禁止してゐて人物や動物を直接的に描くことができないので、植物や幾何学や文字を用いた装飾を発達させた。おもしろいなと思ったのは、カリグラフィを探求するあまり、読まれることを前提としない、文字のかたちを真似ただけの倣文字なるものがあるんだって。

こないだもアンモナイトの渦巻きに絡めて書いたけれども、無意味に美しいというのが好きです。「文字ぢゃないのに文字っぽい」というのはなんともおかしいなあ。

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それからこれもびっくりしたんだけれど、イスラーム地域ではコーランとそれを書写する文字の聖性をおかす懸念から活版印刷の普及が遅れたんだって。いい話だなあ。

 活字印刷は中国では11世紀、ヨーロッパでは15世紀に始まったが、イスラーム地域では18世紀まで発展しなかった。聖典コーランを書写以外で記すことへの抵抗や、アラビア文字のそれぞれが単語綴りのどの位置に来るかで形が違ったり、母音記号が文字の上下に記されたりするため、活字組みが複雑であったことがその理由である。実際、コーランを初めて活字印刷したのはイタリア人であった(ヴェネツィア、1537~38年)。18世紀になるとやっとコーラン以外の書物には活字印刷が用いられるようになった(イスタンブル、1727年)。

 活字印刷はしだいに写本芸術を駆逐していくことになる。しかし、コーランイスタンブール地域で活字印刷されるには20世紀まで待たねばならなかった(カイロ、1923年)。 80頁

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