手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

安倍元首相暗殺から一年

安倍元首相の暗殺から一年が経った。銃撃現場である奈良市西大寺駅前は私の地元と言っていい場所である。また山上徹也被告が卒業したとされるK高校は私の母校でもある。年齢は6歳離れてゐるから校内で会った可能性はないが、生活の動線はかなり近かったと思われる。ある時期、同じ景色を見て生きてゐたわけだ。

私は以下の理由により、安倍に政治家として最低の評価を与えてゐる。

1,愛国の名のもとに差別心を煽り、これを主たる政治資源として利用し、排外主義的な軍事大国への道を拓いたこと。

2,その当然の帰結として近隣諸国との関係は損なわれ、またその意志をくじき、対米従属以外の外交戦略を消滅させたこと。

3,権力におもねるものには利益を与え、そうでないものには恫喝するという政治手法によって、公正・公平という観念を破壊したこと。

4,それが表面化したのが森友、加計、桜を見る会問題だったが、説明はすべて詭弁であり、責任は受け止めるばかりでついぞ取らずに済ませたこと。

5,このような政治が約8年続いたことにより、政治への信頼が失われ、国民はこれまで以上に関心を失い、忌避するようになったこと。

ひどい国になったと思う。政治がひどすぎるから官僚にも自衛隊にも人材が集まらない。まともな政策を立案し、実行するということが出来なくなってゐる。どこかの時点で、選挙によって、安倍を倒しておかねばならなかった。菅も岸田も安倍政治の敷いた道を歩いてゐる。

亡国への道を決定づけたのが安倍晋三であると考えてゐることに加えて、上記したように山上徹也への個人的な「近さ」があることから、私は安倍暗殺事件とそれに対する日本社会の反応に強い関心をもってゐる。

一周忌の今日、何度かヤフーニュースを開き、コメント欄を確認し、安倍を持ち上げてゐた似非愛国インフルエンサー達のツイッターを覗いた。総じて、反応はちいさい。法要が営まれ、現場には献花に訪れるひとがゐるそうだが、ネット上はほとんど無風である。

この無風は死者を静かに悼むこころによるのではない。「愛国」を売りにしてゐた安倍晋三(及び自民党)が「反日」的な旧統一教会と極めて深い関係にあったことが満天下に明らかとなった。これが効いてゐるのだ。

「政治に関心のない普通の日本人」や「経済政策はまあいいよね」くらいに思って支持してゐたひとは、このようなドロドロした宗教がらみの問題には触れたくないから傍観的立場を取る。

安倍のアジア蔑視的政治姿勢を愛してゐた「保守」層のひとたちは、安倍と旧統一教会との関係に真剣に向き合うとアイデンティティが崩壊してしまうため、見て見ぬふりをするか、妄想的並行世界に逃避するかに分かれてゐる。

だから彼らの弔意や無念や礼讃のツイートを読んでも冷めた気持ちになる。安倍を愛国的な人間としてとむらおうとする試みは、安倍自身の無節操さとカラッポさによって撥ね返されてしまうから。

弔意を示すにしても、ただ弔意を示すだけだと、それで?と問いたくなる。だって、旧統一教会が凄く「反日」的な集団であることも、彼らに家庭を壊された日本人がたくさんゐることも、そのひとりが山上徹也であることも、私たちは知ってゐるから。

自民党は旧統一教会との縁が切れないようだから、早く事件が風化してひとびとの記憶から消えたらいいと思ってゐるだろう。

で、実際にそうなりつつある。憲政史上最長の政権を築いた元首相が白昼堂々、手製の銃で撃たれて死んだという事件からわづか一年後に、これほど風化してゐる。あるいはみな忘れたいと思ってゐる。

安倍暗殺事件だけではない。改正入管法にしても、ジャニー喜多川の性加害にしても、知りたくない、触れたくない、忘れたい、無かったことにしたいというのが多数派の本音なのかもしれない。防衛的無関心こそが最高の処世術であるという教えの、なんと強いこと。

最近「大谷翔平の活躍以外にいいニュースがない」という言葉を聞いた。なるほどそんな感じだ。原因ははっきりしてゐる。私たち日本人が、向き合うべき問題から目を背けてゐるからだ。

主語の大きいひとってイヤよね、批判は簡単だ、世の中は単純ぢゃない、自分のことをしろ。そうやって社会問題について考え、意見をもち、表明することを揶揄嘲笑してばかりゐるから、社会問題のほうはほったらかしで、全体が腐っていく。

いくら聲を上げても政治は応えてくれない。そうして鬱屈が蓄積されていけば、右も、左も、右とか左とかが嫌いなノンポリだって、突発的な暴力への誘惑にかられるのではないか。

物価が高騰し、給料は上がらず、増税増税で、それがアメリカへの朝貢やら、利権政治にむらがる中抜き企業やらに吸収され、自分の生活にはまったく還元されないのなら、そらムカツクぜ。

自民党政治を終わらせるしかない。次の選挙までに野党共闘がなんとか体制を建て直してもらいたいと願ってゐる。立憲がしっかりして、共産・れいわ・社民に礼を尽くして、まとまってほしい。90年代以来の政界再編の歴史を活かせるか、完全に無駄にしてしまうか、正念場だと思う。