1、
東日本大震災と福島第一原発事故から10年が経った。今でも4万人以上の人が避難してゐる。原子炉に残るデブリ(溶け落ちた核燃料)を取り出すことができるのか、いまだ不明であり、汚染水処理の目途もついてゐない。廃炉までの道のりは遠い。事故の記憶はどんどん風化してをり、責任の所在は曖昧なまま、今後の見通しも立たない。長期的なエネルギー政策に関する本質的議論も弱い。
2、
「復興五輪」ということが長いこと言われてゐたが、ついに首相の式辞からこの言葉が消えたらしい。東京五輪は石原慎太郎の「オリンピック開催を起爆剤として日本を覆う閉塞感を打破したい」にはじまり、安倍晋三の「(原発事故に関して)私が安全を保証します。状況はコントロールされてゐます」によって決定されたものだ。その五輪の大義であった「復興」は、新型コロナウルスのパンデミックによって使えなくなってしまった。開催そのものが危ぶまれてゐる。
3、
いま五輪は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」として開催するということになってゐる。緊急事態宣言のただなかにあり、ワクチン接種も遅れてゐる日本・東京が「打ち勝った」はないものだ。ウイルスの流入を防ぐために海外からの観客は受け入れない方針というが、とすればやはり「打ち勝った」とは言えないだろう。インバウンド消費は見込めないから、期待されてゐた経済効果もない。ボランティアも聖火ランナーも辞退者が増えてゐる。なぜ中止できないか。
4、
官僚の様子がおかしい。政府が国会に提出する法案に誤字や表記ミス、欠落などが増えてゐるという。肉体的にも精神的にも、限界が来てゐるのではないか。昨年末にGOTOトラベルが突如中止になったとき、官僚が徹夜での対応を迫られたことがニュースになった。これに類することが他にもたくさんあるのだろう。報道によれば、厚生労働省職員の1月の超過勤務は最大で226時間だったそうだ。これでは壊れてしまう。
5、
壊れて自殺してしまった人もゐた。元財務省近畿財務局職員の赤木俊夫氏のことだ。2017年、森友学園問題に関する安倍晋三の虚言を糊塗するために、前代未聞の公文書改竄がなされた。その実務を担当したのが赤城氏である。改竄を指示した佐川宣寿・元理財局長はじめ関係者全員が不起訴となり、誰ひとり刑事責任は問われなかった。「部下が勝手にやったこと」であるから、安倍晋三も麻生太郎も「政治責任」を取ってゐない。
6、
安倍晋三は「桜を見る会問題」関して、国会の場で100回以上の虚偽答弁を繰り返したが、これも「結果として事実に反するものであった」との詭弁で押し通し、責任は秘書に押し付け、自分は「政治責任」を取ってゐない。なぜ彼がまだ国会議員をやってゐられるのか、ぼくには理解できない。安倍政権は「責任」「信頼」「説明」「説得」「誠実」といった概念を破壊してしまった。このダメージは深刻だ。
7、
その安倍晋三を熱烈に支持してゐたのは「愛国者」を自称する人達だった。昨年、大村秀章・愛知県知事のリコール(解職請求)運動を行ったのもまた、「愛国者」だった。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」における《平和の少女像》と《遠近を抱えてPARTⅡ》が「日本ヘイト」であるというのが彼等の主張だ。提出された署名は約43万5000筆。なんと、驚くべきことに、その8割超が偽造だったのである! 人材派遣会社を通してアルバイトを募集し、1000人を超える人が佐賀市内の会議室で作業してゐたらしい。
8、
ウソばかりだ。こんなウソばかりでは言論そのものが死んでしまう。陰謀論が流行るわけだ。映像も音声も文書もいくらでも捏造できてしまう技術が一般化し、あらゆる「エビデンス」が溢れてゐる。既存メディアは権威を失い、どの「エビデンス」を信じるかはその人次第ということになった。となると、これは宗教対立だ。信仰の問題に帰着する。「コロナパンデミックはワクチンを介して人類にマイクロチップを移植するために人為的に引き起こされたものだ」と考えてゐる人は、その「エビデンス」をつかんでゐる。それが「真実」だ。
9、
最近この問題をずっと考えてゐる。事実の次元と信仰の次元を切り分けることが出来るか。この二つを峻別して、事実の次元における言論を回復することは可能か、ということ。事実に基づいて説得することと、信仰を押し付けること。いまはこの二つがぐちゃぐちゃに絡み合って、手がつけられない状況になってゐる。非常にやっかいだ。ある情報を選び、なにがしかの物語を組み立て、こうであると考える。それが「自我」とか「自分の価値」と強く結びついてしまうと「信仰」になる。
10、
事実の次元での情報の真偽を誰が担保するか。プラットフォーマーか、ジャーナリズムか、国家か。いづれかがそれを担うのだろう。いづれであっても、問題は消えないと思う。それなりに知識人の言論を追ってゐるつもりだけれど、まだ誰も答えをもってゐないように見える。過渡期だ。とうぶん混乱は続くのだろう。