「恩赦」が実施されるそうだ。
政府、55万人を恩赦へ=即位合わせ、18日閣議決定:時事ドットコム
政府は天皇陛下の即位を内外に宣言する22日の「即位礼正殿の儀」に合わせ、約55万人を対象に恩赦を行う方針を固めた。西村明宏官房副長官が15日の自民党総務会で明らかにした。18日に閣議決定する。国の慶弔時に合わせた恩赦は、天皇、皇后両陛下のご結婚以来26年ぶり。
天皇の即位がおめでたいので司法が決定した刑が軽くなる。
どういうことなんだろうか、まったくピンとこない。
しかしことは天皇制にかかわる話なので、軽々に「やめてしまえ」と言うわけにもいかない。
恩赦は奈良時代からはじまって天皇がその権能を有してゐたものらしい。
日本国憲法においては内閣が決定し天皇が認証する国事行為にあたるとのこと。
違和感はここにある。
しかし恩赦という制度自体は残ってをり、その決定権は内閣にある。
したがって行政府が、かつての天皇が有してゐた特権を行使して司法の決定を変えることができる。
ここにおいて三権分立が破られる。
つまり天皇制と近代的統治システムがぶつかってゐるということ、失われたはずの天皇の権能を行政府が行使できてしまうという奇妙さ。
この齟齬をどう考えたらいいか。
象徴天皇制で国家を運営していくためには、この奇妙さと齟齬について、精緻に言語化し、ああだこうだ言って議論することが大切だと思う。
改元のときにも感じたことだが、現在、天皇制にかかわる決め事は実質的に行政府が担ってゐて、ただただ天皇の権威を利用したがってゐるだけのように見える。
だから、ぼくが「恩赦」にピンとこないのは以下の二点ということになる。
一に、天皇家の慶事と減刑が結びつかないこと。これはすなわち、現代人であるぼくのなかで観念されてゐる天皇には、政治的機能はほぼゼロであり、完全に象徴として理解されてゐるということだろう。「恩赦」そのものに実感がもてない。
二に、観念されてゐない天皇の政治的機能を行政府が独断で行使するので、なんだかよくわからぬままに押し付けてくる感じがすること。国権の最高機関は国会ということになってゐるが、行政府があまりにも強すぎて、いろいろなことが国民を無視して進んでゐるように感じる。
上記のとおり、問題は天皇制にかかわることなので、慎重に議論する必要があると思う。
国民の天皇観、天皇制に対して抱いてゐる幻想はかなりのグラデーションがあるだろう。恩赦という制度自体にピンとくる人、こない人、その程度にかなりの濃淡があるにちがいない。
天皇制を近代憲法下における統治システムにいかになじませるか、うまいことしっくりこさせるかという問題なので、ほんとうに広く意見をつのって、どういう制度設計がいいのかじっくりと国会で議論していただきたいと思う。
また、なんらかのかたちで、天皇家の人々の意見も聞けるような制度をつくったほうがよいように思う。