無限の絶対者と対峙したときに有限なる自己が無にすぎないことを知り、同時のその自己の無性こそが無限の超越者への通路であることを悟ること、イスラームを学ぶことの本当に意味はそのことにのみあります。
中田考氏の「あとがき」から
イスラームの勉強が楽しい。
今は新書を中心に読んでゐる。基礎的な知識を詰め込んで、足場ができたら、もっと学術的な、より本格的な書物に挑戦したい。
イラン革命がどれだけ大事件であったかとか、ソ連のアフガン侵攻がどういう意味をもってゐるのかとか、ようやく分かってきた。
以下、付箋をはった箇所を読み返しながら、メモ。
・日本のイスラーム研究のレベルはどんどん落ちてゐる。現在の大学システムでは、大学院の修士課程から業績を出していかないと助成金がもらえない。しかし一般に日本人はイスラームについてほぼ知るところがなく、その状態から、アラビア語を学び、クルアーンやハディースを学ぶ、これではとても修士の段階で業績を書くことなど不可能。
・ムハンマドは「最後の預言者」。イスラームでは、モーセやイエスなど、それまでの預言者たちは、当時のユダヤ人たちの状況に応じた形で神の法を説いてゐたと考える。それに対してムハンマドは「人類全体に遣わされた預言者」であり、彼の後には預言者は決してあらわれない。
・クルアーンは天地創造に先立ち、天の書板に書き記された一冊の「書物」である。天使ジブリール(ガブリエル)はそれを22年かけてムハンマドに伝えた。
・モスクは基本的に寄進により作られる。イスラームの相続は均分相続で、兄弟で均等に分けることになる。しかしそれだと財産が細分化してすぐにつぶれてしまうので、みんな寄進してアッラーのものにする。これを「ワクフ」という。そしてその子孫を管財人にする。所有権が神にうつるので、王様から財産を没収される危険もない。
・最後の審判。キリスト教では、イエスの死後すぐにイエスが再臨して、天国に行く人間と地獄に行く人間が選別される最後の審判が起こると考えられてゐたが、それが訪れないまま2000年経った。イスラームにおける最後の審判は、まづ世の中が乱れ、預言者ムハンマドの末裔であるマフディー(イスラーム世界での救世主)とイエスが救世主として再臨する。そこでいったんよい世の中になり、その後でもう一度乱れる。そこで最後の審判になる。これが宇宙論的な死を意味し、次の新しい秩序は天国と地獄。
・巨視的に見ると、天皇と将軍、執権の関係は、カリフ、スルタン、ワズィール(大宰相)の関係に似てゐる。
・イスラーム圏には施しの文化が身体的なものとして根付いてゐる。ハディースには「あなたにとって本当の財産とは使ってしまったものだけだ。残して持ってゐるものは、やがて相続人のものになるだけなのだから」という言葉がある。
・イスラームの考えかたでは、礼拝や浄財は来世で儲かる労働である。ハディースに次のような話がある。ある男が預言者ムハンマドに「最も優れた善行は何でしょうか?」と聞いた。預言者は「アッラ-を信じ、彼(の啓示と預言者)を正しいと認め、彼の道でジハードを行い、敬虔な巡礼を行うことです」と答えた。男が去ろうとすると預言者は彼を呼び止めてこう続けた。「それより簡単なことは食べ物を施すことと優しい言葉をかけることです」