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「ムガル帝国とアクバル帝」石田保昭

ムガル帝国とアクバル帝」石田保昭 清水書院 2019

中世は人の命が軽かったんだなあと思った。皇帝はいかにも簡単に人民を殺す。女性の抑圧のされ方もひどいものだ。まるでなんにも感じてゐない。中世の残虐さに比べると、このコロナ禍において、とにかく個人の命が大事だということにはなってゐるので、そこは人類凄いのでは、なんて思った。なんだか妙な気持だ。

ただその反面、「全体」を動かすための政治的決断がむづかしくなってゐるように思う。「暗黒の中世」を乗り越え、個人が大事だということになり、女性も人権を獲得し、戦争は建前上は国際法で禁止された。個人の命がなにより大事という「正しい」方向に進んできて、コロナ禍でもっとも回避すべきものとされたのは医療崩壊だった。

個人の命に直結する医療だけは絶対に守らないといけない。それを基準に民意が動いて、政治が動いて、なんというか、程度とかバランスの議論がずっとできずに来たように思う。医療崩壊を避けなくてはいけないのは、それはそうなんだけれど、「全体」のなかでの「医療」の位置づけ、そのバランスをめぐる議論がすごく薄かった。これを最初から言ってゐた人はほんとうに凄いと思う。

リベラルがこれほど分裂ばかりで弱くなってゐるのは、この「全体」という観念をもってゐないからではないだろうか。あっちの個人が大事だ、こっちの少数者が大事だ。みんな大事だ。みんなを大事にしたいから、全体としてまとまれない。個人がいくら集まっても全体にはならない。全体としてまとまるためには、個人を犠牲にせざるを得ない状況もある。

福田恆存は「悪に耐える思想が必要だ」と言ってゐた。この言葉の意味が、コロナ禍と、リベラルの失墜を目の当りにして、痛いほどよく分かる。

 悪に耐える思想と申しましたが、思想というものはみんなそういうものだと思います。秩序を守るために、あるいは全体感覚をわれわれのうちに植えつけるために、当然犯さなければならない悪というものがある。それに耐えてゆく、それが思想というものだと思います。政治というものはなんらかの意味で悪を犯さなければ成り立たない。ある時は嘘もつかなければ成り立たないのです。政治にかぎらずあらゆる思想というものはみんな悪を持っています。キリスト教すらそれを免れない。どんな思想でも必ず悪を持っている。思想において大義名分というものが必要になってくるのも、そのような悪を行わなければならないからなのです。思想というもの、一つの生き方というものはそういうものであろうかと思います。 福田恆存「人間の生き方、ものの考え方」 40頁

現在のリベラル陣営はちいさな悪もささいな嘘も許せない。そのくらいええやん、と言えない。それくらいええやん、と言うための大義名分=全体感覚をもってゐない。「全体」=「個人を抑圧するもの」という意識がすごく強い。結果として、どんどん権力から遠ざかってゐるように見える。「それくらいええやん」ですべてを笑いに変える維新の会に押されてゐる。

他方で、ずっと支配層に居座ってゐる保守勢力は、勝てば官軍、自分の利益ばかり。なんとかリベラル陣営が盛り返して政権交代して欲しいと思うのだけれど、ううむ、厳しい。「それくらいええやん」を言えないと仲間が増えない/勢力拡大できないと思う一方で、「それくらいええやん」と言ったらオシマイというのも正しい。むづかしいな。

ぜんぜん本と関係ないことを書いてしまった。以下、ノートをば。

信仰の家

 アクバルが首都ファテープル-シークリーに帰還したのは一五七五年一月のことであった。到着後一か月たたないうちに、アクバルは城内に「信仰の家」イバーダット-カーナーの建築を命令した。「信仰の家」は一つのホールであり、そのなかで延臣たちが宗教問題について討議できるようにつくられた建物である。アクバルは子どものころから、イスラームの教育を受けてきたが、このころから旧来の正統派イスラーム教学に満足しなくなり、神秘主義などいろいろの流派のイスラーム学者と討論するようになる。後には、キリスト教の教義にも関心を注ぎ、ついには自らイスラームから離れてしまい、自分自身を神格化した皇帝崇拝の宗教ディーニ-イラーヒーを創始するまでになるのである。 83頁

ベヘーラの感動

 さて、アクバルの一生、このころまで、政治史の常識が追いかけていける。北インドの弱小な権力からはじまって強大な帝国を築き帝権を高めるまでのアクバルの歩みは、容易に理解されうるものである。しかし、一五七八年ごろからあとのアクバルとなると、専制君主の恣意的行動があらわれてきて、政治史にあらわれる力関係などからでは理解できないものになってくるのである。晩年の豊臣秀吉が野望を際限なくのばし、恣意的行動を取ったように、アクバルも一定の時からあと、政治と無関係に行動するようになる。その最初のものがベヘーラの感動である。

 一五七八年五月のはじめ、アクバルはパンジャーブのベヘーラにあり、狩りをしようとしていたが、とつぜん異常な状態においちいった。ブタウニーはそのとき王に「非常な変化があらわれ」と記している。そして、とつぜん、現世のことに興味を失い、狩りの中止を命じ、近在の貧者や行者にお布施を与えた。彼はファテープル-シークリーの貯水池アヌープタラーオを金・銀貨でいっぱいにするように命じた。その金額はおよそ一〇〇〇万ルピーと考えられたが、これを首都の人びとに分配せしめたのであった。国家財政を左右するほどの金額がわけもわらず支出されてしまったのである。このようなできごとが、ベヘーラの感動の経過である。アクバルは神秘主義の側にいたようである。 95-96頁

神聖宗教

 アクバルの野心はますます大きくなっていった。そして、アクバルは宗教界をも自分の管制下におこうとするに至った。

 一五八二年、アクバルはファテープル-シークリーに大会を開いた。大会には首都の近くの学者や高級指揮官が招かれた。その席でアクバルは話をした。

 帝国の一人の主張のもとに統一されたのに、国民がお互いにわけへだたったままでるのはよろしくない。ムガル帝国のなかにいろいろの宗教があり、互いに争っているのは適当でない。だから、すべての宗教を一つにまとめるのがよい。どの宗教のよい点も継承する必要がある。そうすることによって神をたたえ、人びとには平和がもたらされよう。

(・・・)

 この新宗教は地上においてのみならず、精神界においてもアクバルが至上であることを特色とした。その教義は、ヒンドゥー教イスラームジャイナ教ゾロアスター教キリスト教をこねまぜたようなものであった。イスラームではアッラーに対してのみ行われる平身の礼をアクバル帝に対して行わなければならなかった。そして、皇帝に対して喜んで財産、生命、名誉、従前の信仰を捨てることが要求された。 108-109頁