学校の教科書で読んだ雑種文化論を二十年ぶりに読み返したくなって書庫から出してもらった。著作集前半におかれた日本文化の雑種性を論じたいくつかの論文よりも、後半の「戦争と知識人」や「日本人の外国観」などが強く印象に残った。緻密で明瞭な文章と底知れない教養に圧倒された。
「戦争と知識人」という論文で、日本人が超越的価値を理解せず、国家や天皇や生活全体を包括するぼんやりした「日本」が絶対化されてしまったという議論をしてゐる。追記に、この議論の延長が「日本文学史序説」であると記し、予告的に、13世紀の鎌倉仏教は例外的に日本を超える超越性を持ってゐたと述べる。
日本人が超越性を理解しないという問題系について、わたしは学生時代に福田恆存の諸論文で出会って以来ずっと頭にあった。福田と思想的には対立する進歩的文化人の加藤周一が同じ問題意識で仕事をしてゐたのをこれまで知らずにゐた自分の理解力のなさに愕然とした。
(福田恆存は「クリスト教の無免許運転」を自認し、加藤周一は死の直前にカトリックの洗礼を受けてゐる)
なぜならわたしは加藤周一の「羊の歌」と「日本文学史序説」を、同じく学生時代に読んでゐた。「日本文学史序説」をぱらぱら見返してみると、たしかにそういうことが書いてある。赤線も引いてある。けれどもまるで読めてゐなかった。読むということのむづかしさを思う。こちらに用意がなければ、たとえ言葉がそこにあっても、相手は語ってくれないのだ。
超越性の不在からくる問題は克服されてゐない。日本人の集団志向は弱まったように見える。現在では一人世帯がいちばん多く、転職も当たり前、地域の絆みたいなものはほとんどない。濃い人間関係いっぱんを避けようとしてゐる。
といって個人主義を貫くほど強くない。個人を支える超越的価値がない。不安である。そういうわけで集団の力も個人の力もうまく発揮できなくなってゐるのではないか。両者を調整し、効果的に機能させる原理がまだ見つかってゐないと思われる。日本人の生きづらさの核心はこのあたりにあるとわたしは考えてゐる。
「日本文学史序説」を再読することに決めた。いまなら読めるはずだ。
以下ノートをば。
近代日本の文明史的位置 1957
しかし、美のために何事でも忍ぶことのできた国民は、同時に観念のためには、何事も忍ばない国民であった。殉教も、宗教戦争もおこりようがない。超越的な神が考えられなかったように、すべての価値も人生を超越しなかった。価値の意識は常に日常生活の直接の経験から生みだされたのであり、本来感覚的な美的価値でさえも容易に生活を離れようとはしなかったのである。 74-75頁
戦争と知識人 1959
(・・・)そこで大ざっぱに要約すると、問題はこうなる。
第一、『古事記』の昔、日本の精神構造のなかには、超越的な動機が含まれていたか。「神ながらの道」には、超越的な彼岸または価値または真理の概念があったか、なかったか。
第二、もし第一の問いに対する答えが否定的な場合に、その後の日本の歴史のなかで、大衆の精神構造を、そこに超越的な契機を導入することで、根底から変革する影響の及んだことがあるか。仏教あるいは儒教あるいはキリスト教のいずれかが、「神ながらの道」の伝統を根本的に変えたかどうか。
その問題を歴史的に検討するのは、「戦争と知識人」を扱うこの文章の枠を越えるし、そもそも「近代日本思想史」の枠を越えるだろう。しかし結論だけをいえば、第一の問いに対する答えは、否であり、第二の問いに対する答えも、そこには註釈の必要があるけれども、つまるところ否でしかないだろうと私は考えている。 330-331頁
日本人の外国観 1962
一九四五年に日本の軍国主義は破産した。国家至上主義はどうなったろうか。現行憲法は、日本史上はじめて人権宣言を国の基本的な原理とした。人権は国家を超える価値で、普遍的なものである。「民権拡張」はもはや「国権拡張」の手段ではなく、自己目的であり、むしろ「国権拡張」が「民権拡張」の手段でなければならない。現実の国家が理想なのではなく、理想の立場から国家が導かれる。国家至上主義の論理は、憲法において否定されているといえるだろう。しかし実際に日本人の意識のなかでも完全に否定されたのであろうか。もし否定されたとすれば、普遍的な価値は、日本の国家を超えるばかりでなく、地上のすべての国家も超えるから、日本人の外国に対する態度も変ってきたはずだろう。すなわち戦後の「一辺倒」は、政策としてはともかく、一般的な態度としては、おこりえないはずであった。ところが実際には、「ソ連一辺倒」がおこり、それ以上に「アメリカ一辺倒」がおこった。それはソ連やアメリカ、またそのほかの外国を批判するのに、普遍的な価値の基準が当方に確立していなかったという事実を、意味するほかあるまい。国家を超える価値が、戦後ただちに日本人の意識のなかにあらわれたとはいえないようである。 356-357頁
日本人の死生観 1977
第四に、日本における大衆的な世界観のもう一つの特徴は、一種の調和的宇宙観である。この場合の「調和的宇宙(コスモス)」は、物理的自然ばかりでなく、すべての生物を含み、死者の魂(日本語のカミ)さえも包摂する。観察者がそのなかに含まれるから、この宇宙は明瞭な認識の対象にはなりえず、したがって知識としてよりは、自分自身を包み込む宇宙的な感情としてあたえられる。この宇宙は、今日では一般に人格化されないが、調和的であり、幸福の場ではないとしても、少くとも悲惨の場ではない。正義・不正義、倫理的な善・悪の区別も、階層的構造もそこにはない。これは本居宣長の「神ながらの道」が行われる空間とも考えられるが、それほど人間中心ではなく、西洋人の「母なる大地」を思わせるが、それほど具体的でなく、中国人の「天地自然」にも似ているが、それほど合理的でないといえるだろう。
(・・・)現代の日本人の多くは、その人自身の死を、特定の集団の(ことに家族の)なかの存在から、以上の意味での「宇宙」のなかの存在への移行と感じているように想像される。たとえば「宗教を信じていません、しかし宗教的感情はもっています」と彼らがいうとき、最初の「宗教」は、特定の宗教の教義を意味し、後の「宗教的感情」は、ここでわれわれが宇宙感情と呼んだものを意味しているといえよう。 442-443頁