「イスラーム入門ー文明の共存を考えるための99の扉ー」2017 集英社新書
「入門」とあるけれど、イスラームに関心のない人、これまで一冊もイスラーム関係の本を読んだことがない人からしたら、かなり詳細で、場合によっては読み通せないかもしれない。
なので、そういう人は「イスラムが効く!」とか「となりのイスラム」を先に読みましょう。
きっとイスラームに興味がわくし、場合によっては好きになると思います。
その上でこの「イスラーム入門」を読むと、これが本当にいいんです。
中田考先生の本は、いつも「まえがき」と「あとがき」がすごく高貴で背筋がのびます。
イスラームの完全な理解は預言者ムハンマドだけにしかありえません。だから私たちに本当にイスラームが理解できる、と思うのは間違いです。私たちは自分が理解できることを理解するだけなのです。そしてそれで構わないのです。ムスリムを自称する人たちもイスラームを本当に理解してなどいないのですから。
私たちは自分が理解できることしか理解できません。そして自分が理解できることを本当に理解するとは、理解できる限界まで理解することであり、自分の理解の限界を見極めることでもあります。言い換えれば、自分には何が理解できて何が理解できないのかを理解することです。
神からのメッセージであるイスラームを異文化として理解することは、これまで当たり前であると思っていた自分たちの世界観が数ある世界観の一つに過ぎないこと、常識だと思っていたことがある文化の中でしか通用しない偏見でしかないことに気付くこと、つまりは、自己の理解の限界を自覚することによって、理解の地平を広げ自己変容を遂げることです。
「おのれ自信を知る者はその主を知る」
「序」から
中田先生は読者を甘やかさないですね。
そういう言葉で書かれた本をこちらも本気になって読む、ということが読書なのであって、そういう読書をしなければ「自己の理解の限界を自覚することによって、理解の地平を広げ自己変容を遂げる」ことなどできるはずがない。
さて、この本は99の項目に分かれてゐるのでたいへん読みやすい。また、どこから読んでもいい。
1項目あたりが短いから楽ちんである。楽ちんであるけれど、たいへん凝縮された、「核心はこれだ」という文章であるから、こちらはそれなりの集中度を要求される。
なぜ99項目なのか。
99項目という数は、アッラーの美名の数にちなんでいます。アッラーの美名は神を知るための手がかりですが、イスラームの世界観では、この宇宙の森羅万象はイスラーム教徒も異教徒も、善悪禍福もすべてまた神の存在を示す徴なのです、99の項目はどれも、「神に帰依する者」たるイスラーム教徒の織り成す世界を語ることを通じて、世界の彼方にある神を指し示すことを意図して書かれています。
本書が読者諸賢の良い出会いの契機となりますよう、全能なる造り主の祝福と御導きがありますように。
「あとがき」から
ぞくっとしますね。
ぼくは、この文章を読んで自分の知性が奮い立つのを感じた。
なぜだろう。
うまく言えないけれど、きっと「世界の彼方にある神」を想定したときに、人間の知性というのはのびやかに働いたりするのではないかしら。
イスラームがいいなあと思うのは、人間の行動も社会の仕組みも、あらゆることに神が介在するので(人間は神の命令に従うのみ)、人と人とが直接向き合わなくてもいいようになってゐることだ。
これは慈悲深い。
さて、先に書いたように、この本は99項、どこから読んでもよい。
たとえば最近、安倍首相がイランに行った。トランプ大統領の核合意破棄に端を発する米国とイランの対立を緩和すべく、その仲介のために行ったのである。
それについていろんな記事が書かれる。中田先生の寄稿もある。
ここで「イラン革命」という言葉が出てくる。これが分からないとこの記事は読めない。
そこでこの「イスラーム入門」の「イラン革命」の項目を読めば、その概要を知ることができる。
というわけで、この本を座右において、イスラーム関連のニュースなど読んで「タリバンってなんだっけ」「エルドアンってなにもの」などと思ったときに、さっと取り出してパっと読めばよいのであります。