手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ

サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社 2016年

歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。

日本版刊行からもう7年も経つのか。早いな。そらワイも年取るわけだな。寄る年波。違うか。刊行直後から話題沸騰ですぐに読んだ。スケールのでっかい話が読みたくなって再読。

初読時と同じく、仏教についての説明に関心した。ハラリさんはそうとう仏教に好感をもってゐると思いますね。仏教について記述してゐるところは筆致が優しいといいますか。なんか仏教的な静寂の言葉運びになるんですな。仏恩かしら。

(・・・)苦しみは不運や社会的不正義、神の気まぐれによって生じるのではないことを悟った。苦しみは本人の心の振る舞いの様式から生じるのだった。

 心はたとえ何を経験しようとも、渇愛をもってそれに応じ、渇愛はつねに不満を伴うというのがゴータマの悟りだった。 28頁

(・・・)ブッダは自分の教えをたった一つの法則に要約した。苦しみは渇愛から生まれるので、苦しみから完全に開放される唯一の道は、渇愛から完全に開放されることで、渇愛から解放される唯一の道は、心を鍛えて現実をあるがままに経験することである、というのがその法則だ。 30頁

 幸福に対する生物学的な探求方法から得られた基本的見識を、仏教も受け入れている。すなわち、幸せは外の世界の出来事ではなく身体の内で起こっている過程に起因するという見識だ。だが仏教は、この共通の見識を出発点としながらも、まったく異なる結論に行き着く。 237頁

 人間は、あれやこれやのはかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに初めて、苦しみから解放される。それが仏教で瞑想の修練を積む目的だ。 238頁

 幸福が外部の条件とは無関係であるという点については、ブッダも現代の生物学やニューエイジ運動と意見を同じくしていた。とはいえ、ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇愛するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった。 239頁

うまいなあ。なんて見事な説明なんだ。この本は、各分野の専門家からしたら当たり前の知見を並べたもので特に新味のないものだ、みたいな批判があったと記憶してゐる。それは完全にインテリの嫉妬だと思うぞ。これだけ面白く綺麗に説明できたら充分だよ。それが新味だよ。

ハラリさんは宗教であれ、貨幣であれ、科学であれ、とにかく説明が上手で、その話運びの妙は、何がどういう文脈で登場してきてほかの現象とどういう関係性を有してゐるのかを鮮やかに示すところにある。

上に引用した箇所だけでも、仏教の幸福論が生物学やニューエイジ運動とどう違うのかをさらっと書くことで一気に立体感が出て輪郭がクリアになってゐる。映画のすぐれたアクション演出を見てゐるときのような喜びがある。

最後の一文なんか実にかっこいい。「ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった。」わお。答えは自分の中にあるのだ式の気づきハッピー言説が多いけれども、「真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係である」と。これはたいへんだ。