手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「インド古典演劇論における美的経験」上村勝彦

インド古典演劇論における美的経験」上村勝彦 東京大学出版会 1990

いまでは入手困難な本。古本でさがすとすごい値段になってゐる。とうてい買うことはできないので図書館で借りた。品川区の図書館にはないということなので、リクエストして別の地域から取り寄せてもらった。届いたのを見たら練馬区とあった。行き届いた行政サービスに感謝します。

大著であり、内容も難解。おまけに貸出し延長は不可ということなので、全体を把握することもすぐに理解することも不可能、またその必要もない。ナーティヤ・シャーストラの第6章と第7章の和訳はすべてコピーをとり、その他ここぞという記述をメモして完了ということにする。通読は困難。そういう読書もありだ。

以下、メモ。

演劇論ナーティヤ・シャーストラ(Nāṭya‐śāstra)は聖者バーラタ(Bharata)の作とされ、特に第6章は、rasa(美的陶酔)について論じた章として、演劇のみならず音楽、舞踊などに関心を寄せる多くの人々によって重視されてゐる。rasa の実現に必要とされる諸条件、および心的状態(bhāva)について論じた第7章も重要。

ナーティヤ・シャーストラの成立年代に関しては紀元前2世紀から紀元前6世紀にいたるまで諸説あり、定説はないが、遅くとも4、5世紀には存在してゐたと推定される。

rasa は一般に、「味」「液」「エッセンス」を意味する。これが芸術作品を鑑賞する際に生じる美的な快感をあらわす概念に高められた。

Bharata の目的は、演出家や役者など演劇の専門家のための手引きを書くことであった。Nāṭya‐śāstra は、演劇とそれに関するありとあらゆる分野について論じている。即ち、それは、演劇の起源、建築(劇場に関連して)、舞踊、演劇上の表現(abhinaya)、種々のしぐさ、韻律、修辞法(alaṃkāra)、表現上の欠陥(doṣa)と美質(guṇa)、演劇における言語、吟誦法(イントネーション)、演劇(rūpaka)の種類、演劇の構成、衣装とメークアップ、ヒロインに関すること、遊女、音楽理論(楽器、歌)主人公の性格と従者など、多彩な項目を扱った百科全書的な論書である。 4頁

 演劇の鑑賞の場合、sthāi-bhāva は、Rāma や Sītā などの作中人物と、観客との両者に存する。Rāma と Sītā は、互いに愛し合い、恋情(rati)を抱いている。しかし、観客の感じる恋情は、作中人物の恋情と同じではない。観客は Sītā に対して恋情を抱いているのではない。観客にも潜在的に恋情という感情が存するが、それは美的に高められ、非世間的な(akaukika)状態に変容する。その美的に高められた観客の恋情が rasa (śṛṅgāra-rasa)と呼ばれると考えられていたようである。 5頁

bhāva について:

 bhāva という語は、「感情」または「心的状態」と訳されているが、演劇論において、この語の多義性が指摘されている。Dhanañjaya 等によれば、世間的な苦楽などの感情も bhāva と呼ばれるし、観客の心も bhāva と呼ばれる。作中人物の諸々の感情により観客の心を偏充すること(bhāvana=vāsana)も bhāva と呼ばれ、これが術語としての bhāva の定義である。このことから、 bhāva は単なる感情、心的状態ではないことがわかる。この定義によれば、 bhāva とは、演劇上の表現や kāvya における描写を通じて、鑑賞者が作中人物の心的状態を追体験すること、あるいは、その心的状態により彼の心に残る印象のことである。「感情」、「心的状態」という訳語は、あくまで便宜的なものに過ぎない。 350頁

sthāi-bhāva(基本的、潜在的、恒常的感情)と rasa(美的陶酔)は対応してゐる。バーラタはそれぞれ8種づつあげてゐるが、後代の人間が一つ追加していまは9種で定着してゐる。sthāi-bhāva は常に存在する。これが諸条件において高めらたときに高次の、非世間的な rasa があらわれる。その条件とは次のとおりである。

『vibhāva と anubhāva と vyabhicārin との結合により rasa が生ずる。』

これがバータラの定式、ラサスートラ(rasa-sūtra)である。

vibhāva は喚起する条件。諸々の感情を引き起こす条件。即ち、美しい女性、庭園、月の出、春の季節、花など。

anubhāva は感情表現、心的状態を支持する身体的変化。例えば、恋情を抱いた相手に対し、ほほえみ、やさしく話、眉をひそめ、ながしめで見たりすること。anubhāva は言葉・身振りよりなる abhinaya により意味が追体験される。 abhinaya は āṅgika(身体的)、vāchika(言語的)、āhārya(外的)、sāttvika(内的)の4種がある。

vyabhicārin は潜在的、恒常的感情ではなく、浮動的で束の間に消滅する一時的な感情。従属的な感情。sthāi-bhāvaに付随して生じ、これを高めるもの。恋情を感じたときの、喜びや期待など。バーラタは33種をあげる。

なるほど。sthāi-bhāva は常にあるわけだ。そうであるがゆえにこれは rasa と比べて低次の感情なのだ。これが vibhāva と anubhāva と vyabhicārin という三つの条件において高められ、非世間的な高次の rasa(美的陶酔)が生じ、これを「味」「液」「エッセンス」のようなものとして享受する。これは直接的経験や想起とは異なったものであり、ブラフマンの味わいと類似した超世間的な経験であると。

面白いなあ。人間て不思議なものだと思う。ただ作品を見て感動して恍惚となるだけでなく、その恍惚を分析して記述するための理論を構築するのだから。

例えば4、5世紀の演劇評論家が「これは〇〇の rasa が十分でない、なぜなら△△の vibhāva が欠けてゐるからだ」みたいなことを書いてゐるのだろうか。