手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り🌴

「A」「A2 完全版」

「A」1998

「A2 完全版」2002 

監督:森達也

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アマプラに入ってゐたので鑑賞。信者のみなさん結跏趺坐が上手。綺麗。映画を見て知れる限りヨーガの行法は一般的なもの、教義もよく聞く仏教・ヒンドゥー教世界のそれであり、地下鉄にサリンを撒くようなテロとどう結びつくのか分からない。

出家の動機は新興宗教に限らず信仰の世界に入るひとに共通の感覚、すなわち現世への違和感、社会の矛盾に対する怒り、人定法への不信。この社会は狂ってゐる、人が定めた法ではなく普遍法の世界へジャンプしたい。私も似た資質をもつゆえに彼らの言葉には共感した。

しかし森監督が何人かの信者に、サリンを撒くよう命令されたのがあなただったら実行しかたと問い、みなカメラの前だから口ごもりながらも、やったと思うと答えるのを見ると、そりゃダメだよと思う。

彼らは信仰ゆえに、俗世を捨てる決心をさせてくれた麻原を、解脱に導いてくれる唯一の存在である麻原を否定できない。しかし求道の営みがいくら誠実でも、麻原彰晃と彼が指示実行した犯罪行為を否定できなければ社会からは認められない。だから彼らは悪として敵として認定される。それは当然のことだ。

ためらいなく悪として敵として扱ってよい小集団がある。カメラがとらえるのは、そのような小集団に対する際の社会の側の傲慢さ。ヤバイやつらを見て嗤いたいという欲望をマスコミが、いっそやっつけてしまえという暴力性を国家権力が代行する。取材人のニヤニヤ笑いとあまりに露骨な転び公妨の芝居はまことに醜悪である。

そして面白いのは、オウムという安心して叩いてよい集団が登場したことにより、反対運動をしてゐる住民のあいだに地域のきづなみたいなものが生まれることだ。彼らは見張り小屋にやってくるが、時間が経つと緊張感がゆるんでしまい、仲間と茶を飲みおしゃべりするのが目当てになっていく。楽しそうである。

しまいに住民と信者のあいだにも交流が生まれる。信者達は話せばなかなか見所のある真面目な青年ぢゃないか。塩水をがぶ飲みして全部吐く修行とか面白いゾ。毎日見てゐると情がわいてくる、今日でお別れかと思うとなんだか淋しい気さへする。というようなほっこりする場面。芥川の小説みたいな滑稽さがある。

ところで、サリン事件から30年近く経過したいまの日本で、上記の構造がより巨大な規模で再演されてゐるように思う。「保守」を自称する政治家と言論人は現政権に批判的な人々やマイノリティをオウムの位置に立たせるべく頑張ってゐる。

さんざん不当な扱いをしておきながら、ちょっと強く抵抗したとたんに「暴力反対~」「法律守ってくださ~い」「正義の暴走こわ~い」を浴びせかける。「A」がとらえた転び公妨のやり口そのままではないか。

法律を守れという、その法律は国会議員がつくり、行政府が執行する。では、国会議員の倫理観が低下し、行政府が法をほしいままに解釈し、恣意的に執行するとしたらどうか。それでも「法律守ってくださ~い」と言えるか。政治が劣化して信頼を失うほどに、言えない、現在の法秩序は守るに値しないと考えるひとが増えるだろう。

だから政権交代が必要なんだ。だから野党共闘を応援してきた。しかし立憲民主党泉健太代表は共産党選挙協力しないと言い出した。野党共闘は終わりなのだろうか。立憲も「左翼こわ~い」をやるつもりか。これでは野党第一党日本維新の会に奪われてしまう。日本全体を支配するこの堕ちよう堕ちようとする力はなんなのか。