小田嶋隆さんは昨年6月に65歳で亡くなった。もう1年近く経つけれどまだ受け入れられない。会ったことのない人の死がこれほど長期的にこたえるという経験は初めてかもしれない。そのことに驚いてゐる。
この10年、欠かさず、月曜にはTBSラジオの「週刊にっぽんの空気」を聞き、金曜には日経ビジネスオンラインの「ア・ピース・オブ・警句」を読んでゐた。それから平川克美さんとの月一対談「ふたりでお茶を」は必ず購入した。
ずっと小田嶋隆ロスだ。淋しい。本当に淋しいですよ、あたしゃ。
レッドテールキャットフィッシュは、口に入り切らない獲物を丸呑みにしようとして窒息して死ぬことがあるということをディスカバリー・チャンネルで学んだ。すべての生き物が常に賢いわけではない。そう思うと生きる意欲がわいてくる。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2011年8月12日
彼らが欲しているのは治癒ではない。病名だ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2012年8月15日
民主党による政権交代がもたらした最大の悲劇は、マニフェストが反古にされたことでも、政治家が官僚にねじふせられたことでもなくて、自民党がネトウヨ野党に変貌したことです。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2012年9月11日
参加や協力をためらっているうちに時機を逸した案件がいくつかあるのだが、現在の時点で検討してみると、「関与しなくて正解だった」と思えるものばかりだ。インターネットによって見知らぬ人間や組織との遭遇機会が拡大したことで、臆病であることの価値がますます高まっている。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2013年3月6日
コミュニケーションの機会が拡大したことで、21世紀の日本人の対人交渉能力が向上したのかというと、たぶん結果は逆で、むしろわれわれは「見知らぬ人間は信用しない」という田舎者のマナーに立ち戻らねばならない事態に直面している。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2013年3月6日
ボサノヴァカバーの「バカにした感じ」は、古市憲寿の芸風に似てると思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2014年3月15日
どんなに強く踏んでも、ダメージを受けるのは靴の方だというのがうんこの強み。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2015年3月7日
3月からこっちの100日あまりを病院の中で暮らしていた人間として言わせて貰えるなら、「一億総活躍社会」という言葉は、入院患者や鬱で休職中の人たちに、実にいやな感じの圧力をかけている感じがするわけだよ。がんばれない誰かの分をほかの誰かががんばるのが社会ってものじゃないのか?
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2015年9月25日
この数年、反対している政策でも、お国が「信念を持って断行」すると、じきに支持に転じてしまう人たちが増えているように見える。もしかして、自己啓発本経由で「起きていることはすべて正しい」式の思想が蔓延していることと関係があるのかもしれない。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2015年10月27日
今村復興相は、記者を怒鳴りつけた後、きちんと日の丸(だと思う。画面の左にある何か)にアタマを下げて、その後にまた記者を指差して怒鳴ってから退場している。なんというのか、人間に対する礼儀は踏み外しても、権威への服従のマナーを失っていないところに本物の奴隷根性を見た。感動した。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2017年4月4日
「一億総活躍」「女性活躍」「人づくり改革」「みんなにチャンス!構想」「岩盤にドリル」と、こうやって並べてみると、従業員からの労働力搾取以外に収益源を持っていないブラック企業経営者がわめき散らしているシバキアゲ自己啓発アゲアゲ思想と区別がつかない
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2017年6月21日
様々な側面から総合的に判断して、日本のおばあさんたちは、日本のおじいさんたちに比べて10倍は上品だと思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年6月2日
あるいはうちの國の社会には、男性が下品にふるまうことにインセンティブを与える何かが介在しているのかもしれない。
投票日が近づくと「いつになく真面目」なツイートをする人が増えるわけだが、問題は、それ以上に
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年7月19日
「なんでそんなに必死なんすか?」
てな調子で「真剣な発言を嘲笑する」ツイートが多投されることだ。この30年ほど、うちの国を衰退にむかわせたのは、この「真面目さを笑う態度」だったと思っている。
病院の大部屋では、カーテンを隔てた隣のベッドの患者と、見舞客の会話がすべて聞こえてくる。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年8月17日
余儀なく気付かされるのは、対等な関係の夫婦がほとんど存在しないことだ。必ずや、どちらかが威張り散らして、もう一方が屈従している。他人事ながら、よくあんな相手と…と思わずにおれない。
思うに、安倍政権の基本姿勢は「法や正義や真実」よりも「人間関係や外面上の体裁」を重視する一種の方便万能主義で、支持している日本人の多数派も「堅苦しい法律だの青くさい正義だのいい子ちゃんっぽい真実なんかより、目の前の現実が第一だろ?」てな調子の人々であるのだね。たぶん。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年2月18日
ムラ社会の固定的な人間関係の内部で暮らす昔ながらの日本人にとっては、原理原則を守ることよりも、互いの顔色と鼻息を忖度しながら「ウソも方便」の微調整で、あらゆる例外処理をイワシの群泳みたいな距離感覚で処理して行く方が楽なんだろうね。その意味で安倍政権は先祖返りなわけだよ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年2月18日
その意味では、別に安倍さんがいまの日本を体現していると考えるよりは、わたくしども日本人の恥部が安倍晋三という特定の人格の中に投影されているというふうに考えたほうがわかりやすい。家に便所が必要なように、オレたちには安倍ちゃんが必要なんあだ、みたいな、そういうお話なのだよ、これは。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年2月18日
安倍さんの無能さは、日本語をネイティブな母語として使いこなしている人間でないと、完全には理解しきれないのではないかと思う。なので、外国人記者や外国のメディアが展開する安倍政権批判には、いまひとつ踏み込みの甘さというのか、底の浅さみたいなものを感じてしまう。個人の感想だが。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年4月7日
安倍さんの支持者の中に日本語読解力の低い人たちが目立つ理由も、もしかしたら同じ理由で、つまり、安倍さんが発信しているあの日本語の気持ちの悪さを感知できない人たちは、安倍さんの本当のダメさを理解していないということなのかもしれない。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年4月7日
ついでに言っておく。小池百合子都知事の日本語は、中身がなくてもなんとなく心地よく聴けてしまうところがむしろ要警戒だと思っている。なんとなく聴いていると素晴らしいことを言っているようにきこえてしまう。その点では安倍さんとは好対照の政治家ですね。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年4月7日
イソジン・ゼアズ・ノー・ヘブン。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2020年8月4日