「一下級将校の見た帝国陸軍」山本七平 文春文庫 1987
昨今、戦前回帰とか新しい戦前という言葉が現在の政治状況に警鐘を鳴らすために使われる。なるほど第二次安倍政権からこっちの凄まじい劣化をみると確かに大日本帝国の末期はこんな感じだったのかも知れないと思う。
しかしこの本を読んで、妙な感想だが、まだまだこんなものぢゃないと思った。ひどすぎる。直視できないほどの醜悪なまでの愚かさのために、いまだあの戦争の総括ができず、だから戦前を美化する似非愛国者が登場するのかもしれない。
戦争はごめんだ。戦争がなくても不幸や苦難はあるが、戦争だけはごめんだ。戦前を美化する似非愛国者は外交努力を放棄して軍事費増大を叫んでゐる。彼らがあのように楽しげに隣国との軋轢を招来するような議論に陶酔できるのは、精神が完全に宗主国アメリカに依存してゐるからだ。
アメリカに奉仕追随してゐれば安心だという依存心が日本国と日本人から自立心を奪ってゆく。おのづと政治家の質は劣化する。しかしいまの日本人には自前の外交戦略を練り、日米同盟を対等な、つまり現在の信仰の対象ともいえるような状態からニュートラルなものに変えるための構想力がない。
とするとアメリカに奉仕追随するのが最適解ということになる。しかしこれを続けるとさらに自立心を失い、政治はもっと劣化する。どうしたらこのループから抜けだすことが出来るだろう。この最適解はいつまで「もつ」のだろう。アメリカ次第。情けないことに、それもアメリカ次第なのか。
本書の終盤で収容所における日本人と英米人の対比がなされてゐる。英米人はいつのまにか組織をつくり、秩序をたて、その秩序を絶えず補修し、その内部で生活をするが、日本人の場合は秩序はあるにしてもそれは「自然発生的な秩序」であり、その基づくところは暴力で、しばしばリンチが行われたとある。
山本七平によれば諸悪の根源は日本軍が「言葉を奪った」ことにある。
いろいろな原因があったと思う。そして事大主義もおおきな要素だったに違いない。だが最も基本的な問題は、攻撃性に基づく動物の、自然発生的秩序と非暴力的人間的秩序は、基本的にどこが違うかが最大の問題点であろう。一言でいえば、人間の秩序とは言葉の秩序、言葉による秩序である。陸海を問わず全日本軍の最大の特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、「言葉を奪った」ことである。日本軍が同胞におかした罪悪のうち最も大きなものはこれであり、これがあらゆる諸悪の根源であったと私は思う。 303頁
他人の言葉を奪えば自らの言葉を失う。従って出てくるのは、八紘一宇とか大東亜共栄圏とかいった、「吠え声」に等しい意味不明のスローガンだけである。(・・・)こういうスローガンはヤクザが使う「仁義」という言葉と同じで、すでに原意なき音声であり、言葉を奪うことによって言葉を奪われた動物的秩序が発する唸り声と吠え声にすぎない。
日本的ファシズムの形態を問われれば、私は「はじめに言葉なし」がその基本的形態で、それはヒトラーの雄弁とは別のものだと思う。彼のようなタイプの指導者は日本にはいなかった。
”解放者” 日本軍が、なぜ、それ以前の植民地宗主国よりも嫌われたか。それは動物的攻撃性があるだけで、具体的に、どういう組織でどんな秩序を立てるつもりなのか、言葉で説明することがだれにもできなかったからである。 304-305頁