戦況
沖縄本島ノ戦況ニ関シテ大本営発表アリ 上陸米軍ハ着々戦果ヲ拡大シツツアルモノノ如シ
コノママニ推移セバ、最後の血塁ト頼ム沖縄本島モ、失陥ハタダ時間ノ問題ナリ
沖縄喪失ハスナワチ本土決戦ナリ 現兵力ヲモッテ本土決戦ヲ呼号スルモ成算全クナシ
我ラヲ待ツモノ、タダ必敗ノミカ
胸中火ノ如キモノアリ 本作戦ノ使命、ソノ重責ヤ如何ニ ２１頁
沖縄戦。
米軍は着々と戦果をあげてゐる。
沖縄を失えば次は本土決戦であるが、勝ち目はない。
沖縄を死守せねばならない。
議論
一次室（ガンルーム、中尉少尉ノ居室）ニテ、戦艦対航空機の優劣を議論す
戦艦優位ヲ主張スルモノナシ
「『プリンスオブウェールズ』ヲヤッツケテ、航空機ノ威力ヲ天下ニ示シタモノハア誰ダ」
皮肉ル声アリ
設計当時、スナワチ十年ノ昔、無敵ヲ誇リタル本艦防禦力モ、躍進セル雷撃爆撃ノ技術ト圧倒的数量ノ前ニ、ヨク優位ヲ保チ得ル道理ナシ
タダ最精鋭ノ練度ト、必殺ノ闘魂トニ依リ頼ムノミ ２２頁
戦艦大和と米軍航空機の優劣を議論する。
大和の優位を主張するものはゐない。
巨大戦艦が強さを誇ったのは１０年前の話。航空機の性能向上と圧倒的な数量のまえに、もはや大和の優位はない。
練度と闘魂が頼りだ。
作戦
本作戦ハ、沖縄ノ米上陸地点ニ対スル特攻攻撃ト不離一体ニシテ、更ニ陸軍ノ地上反攻トモ呼応シ、航空総攻撃ヲ企図スル「菊水作戦」ノ一環ヲナス
特攻機ハ、過重ノ炸薬（通常一瓲半）ヲ装備セルタメ徒ラニ鈍重ニシテ、米迎撃機ノ好餌トナル虞レ多シ 本沖縄作戦ニオイテモ米戦闘機ノ猛反撃ハ必死ナレバ、特攻攻撃挫折ノ公算極メテ大ナリ
シカラバソノ間、米迎撃機群ヲ吸収シ、防備ヲ手薄トスル囮ノ活用コソ良策トナル シカモ囮トシテハ、多数兵力吸収ノ魅力ト、長時間拮抗ノ対空防備力ヲ兼備スルヲ要ス
「大和」コソカカル諸条件ニ最適ノ囮ト目サレ、ソノ寿命ノ延命ヲハカッテ、護衛艦九隻ヲ選ビタルナリ
沖縄突入ハ表面ノ目標ニ過ギズ 真ニ目指スハ、米精鋭機動部隊集中攻撃ノ標的ニホカナラズ
カクテ全艦、燃料搭載量ハ往路ヲ満タスノミ 帰還ノ方途、正否ハ一顧ダニサレズ ４１－４２頁
大和出撃は米軍の沖縄上陸を阻止するための特攻攻撃と不離一体のものである。
特攻機は爆薬を多く積んでゐため動きが遅く、米迎撃機にとって恰好の餌食である。
したがって特攻作戦を成功させるために、米迎撃機を引きつけ、米軍の防備を手薄にする必要がある。そのための囮（おとり）となるのが大和の目標である。
だから大和もまた特攻であり、燃料は往路の分しか積んでゐない。
苦悩
艦隊敗残ノ状スデニ蔽イ難ク、決定的敗北ハ単ナル時間ノ問題ナリーー何ノ故ノ敗戦ゾ如何ナレバ日本ハ敗ルルカ
マタ第一線配置タル我ラガ命、旦夕ニ迫ルーー何ノ故ノ死カ 何ヲアガナイ、如何ニ報イラルベキ死カ
兵学校出身の中尉、少尉、口ヲ揃エテ言ウ 「国ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイイジャナイカ ソレ以上ニ何ガ必要ナノダ モッテ瞑スベキジャナイカ」
学徒出身士官、色ヲナシテ反問ス 「君国ノタメニ散ル ソレハ分ル ダガ一体ソレハ、ドウイウコトトツナガッテイルノダ 俺ノ死、俺ノ生命、マタ日本全体ノ敗北、ソレヲ更ニ一般的ナ、普遍的ナ、何カ価値トイウヨウナモノニ結ビ附ケタイノダ コレラ一切ノコトハ、一体何ノタメニアルノダ」
「ソレハ理屈ダ 無用ナ、ムシロ有害ナ屁理屈ダ 貴様ハ特攻隊ノ菊水ノ「マーク」ヲ胸ニ附ケテ、天皇陛下万歳ト死ネテ、ソレデ嬉シクハナイノカ」
「ソレダケジャ嫌ダ モット、何カガ必要ナノダ」 ４７頁
敗北は確定してゐる。
自分達はなぜ敗れるのか、なんのために死ぬのか。この命によってなにをあがなうことができるか、この死はなにによってむくいられるか。
ある者はいう。「お国のため、天皇陛下のために死ぬ、それでいいではないか。」
またある者はいう。「それはわかる。でもそれはどういうこととつながってゐるのか。この自分の死が、命が、また日本が負けるということが、なにか普遍的な価値と結びついてゐなければいけない。いったいこれらすべてはなんのためにあるのだ。」
開戦
雲ノ切レ間ヨリ大編隊現ワル 十数機ズツ編隊ヲ組ミ、大キク右ニ旋回
正面ニ別ノ大編隊 スデニ攻撃隊形ニ入リツツアリ
「敵機ハ百機以上、突ツ込ンデクル」叫ブハ航空長カ
雷撃、爆撃トモニ本艦ヘノ集中ハ必死
艦長下命「射撃始メ」 ７２頁
ついに開戦。
雲間から大編隊があらわれ、大きく右に旋回する。
さらに正面から別の大編隊。米軍の攻撃隊形は整ってゐる。
大和は集中攻撃を受けるだろう。
艦長の命令「射撃始め。」
直撃
整備ニ整備ヲ重ネ今日ノ決戦ニ備エ来シ兵器、四散シテ残骸ヲ認メズ 部品ノ残滓スラナシ
一切ヲ吹キ掃ワレタルカト見レバ、朽チシ壁ノ腰ニ叩キツケラレタル肉塊、一抱エ大ノ紅キ肉樽アリ
四肢、首等ノ突出物ヲモガレタル胴体ナラン
アタリニ弾カレタル四肢ヲ認メ、抱エキテワガ前ニ置ク
焦ゲタル爛肉ニ、点々軍装ノ破布ラシキ「カーキー」色ノモノ附着ス 脂臭紛々
ソコニ首、手足ガ附ケ根ノ位置ヲ確メ得ザルコト言ウモ更ナリ ７８頁
攻撃を受けた電探室の様子。
すべてが粉砕されて部品の残滓すらない。
四肢と首が吹き飛んだ胴体が壁に叩きつけられて樽みたいに見える。
はじかれた四肢を拾う。焦げた肉のにおい、焼ける脂のにおいが鼻をつく。
首、手足の附け根の位置などもちろん判別できない。
米軍
砲火ニ射トメラルレバ一瞬非ヲ吐キ、海中ニ没スルモ、既ニ確実ニ投雷、投弾ヲ完了セルナリ
戦闘終了マデ、体当リノ軽挙ニ出ズルモノ一機モナシ
正確、緻密、沈着ナル「ベスト・コース」ノ反履ハ、一種ノ「スポーツマンシップ」ニモ似タル爽快味ヲ残ス 我ラノ窺イ知ラザル強サ、底知レヌ迫力ナリ ９２頁
米軍機は、攻撃を受けて海に落ちることがあるが、そのときにはすでに攻撃を完了したあとである。
戦闘終了まで体当たりして玉砕するような軽挙に出るものは一機もなかった。
敵ながらアッパレ、底知れぬ強さを感じる。
沈没
「沈ムカ」初メテ、灼ク如ク身ニ問イタダス、ソノ光景ノ余リニ幽幻、華麗ナレバ、唯事ナラヌ予感ニ脅エタルナラン
水スデニ右舷舷側ヲ侵シハジム
乱レ散ル人影 シカモタダ波ニ吸ワルルニ非ズ 湧キ上ル水圧、弾丸ノ如ク人体ヲ撥ネ飛バス
人体ムシロ灰色一点トナリ、軽々ト、楽シゲニ四散スーー見ルマニ渦流五十米ヲ奔ル １２５－１２６頁
いよいよ艦隊が沈む。その光景は幽幻にして華麗である。
沈む巨艦に水湧き上がり、弾丸のごとく人体を撥ねとばす。
その様は楽しげでさへある。
救出
命ノ綱ヲ前ニシテ、赤裸ノ人間ヲ見ル
重油イヨイヨ濃ク、重キ波艦隊ニ打チ返リ、悪寒背筋ヲ走ッテヤマズ
人ヲ求メ声ヲ求メテ見上グレバ、焦慮タダ堪エ難シ
無常ナル僚艦ヨ 垂直ナラバセメテヨシ ツレナクモ手前ニ傾キテソソリ立チ、蔽イカブサル如キ舷側ノ壁
激シキ絶望ヲソソグ
眼底重油ニ灼ケ、下肢スデニ麻痺感アリ
三本程垂レ下リタル「ロープ」、イズレモ泥油ニチヌラレテ光ル
群ガル手モ、ヒトシク油ニマミレテ光ル １４２頁
からだの穴という穴から重油が入り、悪寒が背筋を走る。
目が灼け、下肢はすでに麻痺してゐる。
ロープも手も重油まみれでうまくつかむことができない。
戦果
本作戦ハ遂ニ奏功セズ 艦隊ノ過半ヲ喪イ、途半バニシテ帰投ス
徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス 推進四百三十米
今ナオ埋没スル三千ノ骸
彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何 １６５頁
作戦は失敗だった。
しかし聯合艦隊司令長官は「大和の勇気ある戦いにより、特攻隊は大きな戦果を挙げた」といった。
戦艦大和は徳之島北西２００海里の洋上に四裂して轟沈した。
三千の骸（むくろ）が海底に眠ってゐる。
彼らの胸のうちやいかに。
