手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「13歳からの天皇制」堀新

13歳からの天皇制」堀新 かもがわ出版 2020

憲法における天皇の位置付け

大日本帝国憲法の1条に「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」とある。その根拠は神話である。

告文に「皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ」とあり、さらに上諭に「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ」とし、神話と憲政を接続する。

(・・・)日本神話の太陽神である天照大神が孫のニニギノミコト神武天皇の曽祖父)に対して、その子孫である天皇の家系が代々永遠に日本を統治するという「天壌無窮」(天地と共に天皇の支配が永遠であること)の神勅を授けたことが、天皇の地位を根拠付けていました。つまり神道という宗教の神の意思が天皇の地位の根拠とされていたのです。 24頁

(・・・)帝国憲法では、天皇天照大神の神勅に従って、神武天皇以来、統治権を引き継いできたことを根拠として、天皇に日本の統治権、つまり主権があるとされているということです。つまり帝国憲法によって天皇統治権が認められたのではなく、もともと日本を神話の時代から統治してきた(ということにされている)天皇の地位を、改めて帝国憲法で確認したという形になっていました。 25頁

万世一系天皇がずっと日本を統治してきたという物語を創り、これを近代国民国家の中心に据えた。対して日本国憲法において天皇は日本国の象徴であり、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づくとされた。まったく新しい原理に基づく憲法/国家を作ったことになる。

 国家の政治が、主権を持つ国民の信託によるもので、その権威が国民に由来するというのは、日本神話の神が統治を任せたとか、権威が神に由来するとかいう帝国憲法の発想はもはや廃棄したということです。そして権力を国民の代表者が行使するというのも、天皇統治権を行使するのでないということを意味しています。 26頁

八月革命説

1946年10月7日、帝国憲法改正案が可決され、11月3日に昭和天皇により「日本国憲法」が公布され、翌年5月3日に施行された。憲法改正によって、大日本帝国から日本国へと移行した。

統治権を総攬してゐた天皇憲法改正によって単なる象徴になり、ただの臣民だった国民が主権者になった。そんなことが可能なのか。憲法改正にそのような「力」はあるか。いささか無理がありそうだ。この無理を説明するロジックが「八月革命説」である。

 要約すると次のとおりです。

 まず戦争末期の1945年7月25日に連合国が日本に対して発したポツダム宣言では、国民主権を採るように日本政府に対して要求していました。そしてこのポツダム宣言を日本政府は8月14日に受諾したのですが、新しい憲法ができるのを待つまでもなく、この時点で天皇の主権が日本国民に移った、と考えます。このように主権が移ることを「革命」と呼ぶわけです。主権が国民に移ったからには、国民が憲法を制定することができるわけで、当然、主権在民憲法を作ることも可能です。

 そして後に、形式上は帝国憲法の手続を使って、帝国議会での審議を経て帝国憲法の「改正」を行ったものの、これは形式だけを借りたにすぎず、実際には8月のポツダム宣言受諾の時点で既に主権者となっていた国民が、その国民の持つ憲法制定権力を制定した、というふうに解釈するわけです。 72頁

非超越的絶対者としての天皇

政教分離を掲げてゐても、国家と宗教がまったくの無関係でゐられるわけではない。そこで問題となるのが国民の信仰がどのような構造をもってゐるかである。キリスト教の神は超越的存在であるから、君主も国民も神の前では平等という理屈が成り立つため、君主の政治は神の意志に反してゐるとして顚覆させる論理が成り立つ。

中国の「天」も超越的概念だから政治が堕落すれば叛乱が起こり王朝が替わる(易姓革命)。仏教も特定の国や民族を超えた普遍宗教だから「仏」のもとでの平等は成り立つ。日本の天皇制ではそうはいかない。

 これに対して日本の場合、天皇天照大神の子孫であり、子孫であることによって日本の統治権を与えられたという神話に基づいていたのですから、「神の前では天皇も臣民も同じだ」という発想は出てきません。これに対して「天皇の前ではすべての臣民は同じだ」という理屈なら成り立ちますが(実際、「一君万民論」という思想はありました)、現実には、天皇に近い立場や階級の人間と、それ以外の人間とで格差が生まれることが避けられませんでした。 100頁

女系天皇女性天皇

天皇や皇族男子は一般人と異なり婚姻の自由がない。「両性の合意のみ」では成立せず、皇室会議の承認が必要となる。皇室会議は皇族2名、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣宮内庁長官、並びに最高裁判所長官及びその他の裁判官1名から構成され、議長は内閣総理大臣が務める。

皇族女子にはそのような制限はない。なぜなら天皇になれるのは男系(父親が天皇または皇族)の男子のみだからだ。皇族男子は皇位に就く可能性があるため婚姻の自由がなく、皇族女子は皇位に就く可能性がないため結婚の自由がある。

また皇族男子と結婚した一般女性は皇族となり(美智子さま雅子さま)、逆に皇族女子が一般男子と結婚すると皇族ではなくなる(小室眞子さん)。

華族制度が廃止され、旧宮家もなくなったため、現在の制度では皇族男子の数が足りず、皇位継承の条件を充たすひとが減ってゐる(宮内庁のHPに皇室の構成図が出てゐた。ここに貼り付けておこう)。そこで女性/女系天皇どうでしょうという議論が出てくる。

女性天皇はこれまでの歴史で8名存在するが、女系天皇(父親が天皇または皇族ではない天皇)は存在しない。この伝統を絶やさぬために女性は認めるが女系は認めるべきではないとする議論がある。そうすると、天皇制を維持するためには皇族の数を増やすしかない。

 男系にこだわる論者のネックは、言うまでもなく、現状のままではその要件を充たす皇位継承者が少なすぎるということですが、この点については、過去に皇族だったが現在はそうでない人、またはその子孫に皇族に加わってもらうことで解決しようとしています。

 今のところ議論の対象に上がっているのは、終戦時に皇族から離れて一般国民となったいわゆる旧宮家の人々、または江戸時代の天皇の子または孫で摂関家の養子になった人物の子孫(いわゆる皇別摂家)の男系子孫の人々です。

 このうち旧宮家とは、南北朝時代北朝第三代の崇光天皇の皇子・栄仁親王を始祖とする伏見宮家の男系子孫の人々で、後の多くの家に分かれ、太平洋戦争終了の時点では11の宮家として血を継いでいました。この11宮家は、昭和天皇との血が遠いこともあって(11宮家の人々と明治天皇との最も近しい共通の男系祖先は、前述の崇光天皇の孫の伏見宮貞成親王(1372年ー1456年))、1947年に皇籍を離脱しました。

 一方、皇別摂家とは、江戸時代に、天皇の子または孫で摂関家の養子になった近衛信尋後陽成天皇の第四皇子)、一条昭良後陽成天皇の第九皇子)、鷹司輔平東山天皇の孫)それぞれの男系子孫の人々です。 111-112頁

悠仁さまが誕生する前は皇位継承者問題についてけっこう議論があったと記憶してゐる。要するに愛子さま天皇になるかならないかという話。ところが悠仁さまがお生まれてなって一安心というわけで国民の関心は薄れてしまったようだ。

でも上に挙げた構成図を見るに男系男子がゐなくなるのは時間の問題だ。そしてたくさん筆写して感じたのだけれど、現代人の人権感覚からすると、男系の血が大事なんだという天皇制の根幹は正直きつい。

少なくともわたしには、男系の伝統を守るために旧宮家を復活させるというような改革が国民の支持を得られるとは考えられない。いまのうちに女性でも女系でも継承できるようにしておいたらどうだろうか。

さらに踏み込むと、わたしは江戸以前にように国民が天皇についてそんなに関心がない、知らないひともけっこうゐるくらいの状態がよいと思ってゐる。

天皇制の歴史は国民国家の歴史よりうんと古いのだから、元首とか象徴といった言葉で憲法を中心とする法体系に位置づけるのでなく、その外側で皇統を維持していくようなありかたを構想することが出来ると思うのだがどうであろうか。

そうなれば、国民の天皇への依存も薄れ、皇室の方々の負荷も減るのではないだろうか。雅子さまが心の病に苦しまれたことや、小室圭さん眞子さん夫妻が日本を出たことなどをかえりみると、この身分制度は極めて非人道的なもののように思える。国民の総意としてこれでよいとは言えないでしょう。

わたしがなぜこのようにぼんやりとした意見を書くのかと言うと、普通のひとが普通の感覚で天皇制について語ることをしないと、神武天皇Y染色体を守るのが大事なんだ式の極端な議論を展開する天皇好きのひとたちが影響力をもち、ゆうてる間に継承者がゐなくなって自然消滅しちゃうと考えるからです。

そんならそれが国民の総意ということで仕方ないと切り捨てるひともあるが、それは無責任というものです。

 

最後にしょーもないことを追記しておくと、神武天皇今上天皇Y染色体が同じだからすごいのだという理屈の「・・・」感は、「スターウォーズ ファントム・メナス」でアナキン・スカイウォーカーの血中のミディ=クロリアン含有量(フォースと関係あるっぽいなにか)がスゲーと判明する場面のなんともいえない感じとよく似てゐる。ジェダイの凄さってそういう物質的なあれなわけ?っていう。