手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

「アマルティア・セン講義 経済学と倫理学」アマルティア・セン

アマルティア・セン講義 経済学と倫理学アマルティア・セン

訳:徳永澄憲、松本保美、青山治城  ちくま学芸文庫 2016

原著は1987年。経済学は「倫理学」と「工学」の2つの起源を持つが、近代経済学が倫理的アプローチを排除してしまったために、現代の経済学は力を失ってゐる、経済学に倫理学の視点を導入して「道徳哲学としての経済学」を樹立する必要がある、と訴える。倫理学的起源はアリストテレスにまでさかのぼる。

アリストテレスの「ニコマコス倫理学」に触れた上で)ここで注目すべきなのは、このアプローチには経済学の大きな基礎となる二つの核心的問題が存在することである。第一に、「人はいかに生きるべきか」という広義の倫理的問いにかかわる人間行動の動機の問題である。この関係を強調することは、人々が常に道徳的に行動すると考えることではないが、実際の人間行動において倫理的思慮がまったく無関係ではありえないことを認める、ということである。私はこれを「動機づけの倫理的な考え方」と呼ぶことにする。

 第二の問題は、社会的成果の判断にかかわるものである。アリストテレスはこれを「個人にとっての善」の達成という目的に結びつけたが、同時に社会全体にとっての善の達成についても言及している。「この目的は一個人が達成するだけでも価値あることだが、国家やポリスが達成することはさらに素晴らしく神的なことである」(『ニコマコス倫理学』)この社会的成果についての倫理的な考え方をとれば、効率性を満たすようなある任意の点で評価が終わるということは起こりえない。さらに十分な倫理性とより広い「善」の観点から評価しなければならない。この点は現代経済学、とりわけ厚生経済学において再び重要となる。 24-25

アマルティア・センは1998年にノーベル経済学賞を授賞し、人文・社会科学全般に大きな影響を与えた人なのだそうだ。倫理的な観点を取り入れた経済学というのはどんなだろうか。8月に読んだ「岩井克人「欲望の貨幣論」を語る」にも、人間がいかに倫理的な存在となりうるかを考えないといけないと書いてあった。

どうしたもんでしょう。

いまの世の中は拝金主義があんまりひどいので、「人はいかに生きるべきか」とか「社会全体にとっての善の達成」という倫理的な問いがむなしく響いてしまうように感じる。「真善美」や「徳」を価値基準に生きるとか、そのために踏ん張るとか、そういうことがとてもむづかしい。社会的に評価されないからだ。その結果、こんな世の中になってゐる。

昨日また安倍政権下における統計不正のニュースが入ってきて、これもあわただしい年の瀬の空気のうちにウヤムヤになってしまうのだろうと考え、ひどく陰鬱な気分だ。このままではいけないのは明らかだが、選挙結果を見る限り、国民の集合意識はこのままでよいと考えてゐるようだ。倫理基準のとめどない切り下げが続いてゐる。この無関心と虚無はいったいなんなのだろう。