先日「ガンディー 平和を紡ぐ人」という本を読んだ。それによれば、ガンディーは塩の行進の際に「Vaishnava Jana To」という歌を歌いながら歩いたという。どんな歌だろうと思って調べてみると、実に美しい歌だった。
Wikipediaの「Vaishnava Jana To」の概要には次のようにある。
ヴァイシュナヴァ・ジャナトーは、15世紀の詩人・ナルシンメータによってグジャラート語で書かれたヒンドゥー教のバジャンである。 この詩は、ヴィシュヌ派の人生、理想、思想について語っている。
「ヴィシュヌ派」とはヒンドゥー教の有力な一派であり、ヴィシュヌ神およびその化身を最高神として崇拝する。ヴィシュヌはさまざまな神格として地上にあらわれ、正義を回復するとされる。ヴィシュヌの化身としてはラーマとクリシュナが重要であり、ラーマとその妃シーター、クリシュナとその妃ラーダーは、文芸作品に取り込まれ、インド全土で愛されてゐる。この信仰が教義としてまとまったのが「バガヴァッド・ギーター」である。
「バジャン」とは宗教的な献身を歌うインド声楽曲の一形式で、バクタ(bhakta)と呼ばれる中世インドにおける新しい形のヒンドゥー教信仰者によって歌われたもの。バジャンとバクタはともにサンスクリットの「分け持つ」という意味の語からきてゐるそうだ。
バクタとはバクティ(bhakti)する人のことである。これがたいへん重要な概念だ。「南インドを知る辞典」で「バクティ」を引く。
これは最高の人格神に、肉親に対するような愛の情感を込めながらも絶対に帰依することであり、ふつう〈信愛〉と訳されている。
(・・・)バクティの概念を前面に打ち出したのは《バガヴァッド・ギーター》が最初であるが、ここにようやく、ヴェーダ以来の正統的宗教が一般民衆に開かれたものになり、ヒンドゥー教が急速には天する基盤が形成されたのである。
ガンディーは「バガヴァッド・ギーター」を愛読した人だった。「ヴァイシュナヴァ・ジャナトー」の英訳を読むと、なるほど「ギーター」の文言に似た詩句がある。Wikipediaの英訳と動画に付された英訳を頼りに訳してみる。
ヴィシュヌを愛する人
人の痛みを知り 悲しみにくれる人を救う者
それを誇ることなく
世界のすべてを 敬い 讃え
いかなる人をも軽んじない
ことば、おこない、かんがえは常に清らかに
このような魂を持つものは祝福される
なにごとも平等に観じ 渇愛から解き放たれた人
すべての女性をみづからの母のように愛する人
その口は決して偽りのことばを吐かず
その手は決して人の富に触れない
放擲のこころを身に付け
俗世の執着にまどわされることはない
ラーマを讃えることに没頭し
聖なる巡礼の場所はすべてみづからのうちにある
むさぼらず いつわらず
欲と怒りを遠ざける
ナルシンは言う
喜ばしきは そのような魂に出会えること
その徳は 連なる者すべてを解放するだろう