「すばらしき世界」2021 日本
監督・脚本:西川美和 原作:佐木隆三「身分帳」 出演:役所広司、仲野太賀
見に行ってよかった。素晴らしい映画だった。役所広司さん、凄すぎです。
社会に適応した「ふつうの人」と社会に適応できない「おかしな人」が出て来るけれど、映画の視点はどちらの側にも与しない。フェアだ。
「ふつうの人」と「おかしな人」が出会い、どちらも変化する。どちらの側にもゆさぶって、お前はどう考えるかと突き付けてくる。
ぼくは、いまの社会ってやっぱりバランスが狂ってるよなと思った。この社会に適応して「ふつう」であるためには、捨てなくてはならないもの、我慢しなくてはならないことが多すぎる。「ふつうの人」になってもちっとも楽しくないんだ。かといって相当程度「ふつう」でないとこの社会では生きていけない。
捨てたくないものを捨て、我慢したくないことを我慢してゐる「ふつうの人」がつくる社会は息苦しいに決まってゐる。なぜなら「ふつうの人」はそこから逸脱しようとする人間を「ズルイ」と感じてつぶしにかかる。「ふつうの人」は自分が「ふつう」から脱落することに実存的な恐怖を抱いてゐる。
とするとこの社会は、「ふつうの人」にとっても苦しいし、適応できない人にとっても苦しい、要するに誰にとっても苦しい社会ということになる。
「ふつうの人」と「おかしな人」という書きかたをしたけれど、実際のところはそう截然と別れ、対立してゐるものではない。パーフェクトに「ふつうの人」も、パーフェクトに「おかしな人」も存在しない(だから主人公にも感情移入できるし、ゆさぶられる)。
誰もが、いまの社会で認められる「ふつう」の要素と、排除される「異常な」要素をもってゐる。問題は、そのバランスがどう考えても窮屈すぎることにある。
どうしたものか、、、
いまのぼくたちが観念してゐるところの「社会」と「社会の外」の境界、および「ふつう」と「おかしい」との境界を融解させてグレーゾーンをつくり、そこからいまとは別の秩序を模索していくほかないのではないか。
個人としては、適応したふり、ふつうに見えるよう演戯をしながら、裏で枠外・域外の活動をやっていけばよいと思う。個人の内側のバランスを少しづつ変えていくと、それがやがて社会に反映されるのではないか。ぼくも手探り、手作りでやっていきたい。
最後に。「社会や人間がどうであれ、空や、星や、花は美しい」というのが、この映画の重要なメッセージであるように思う。