手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

1年

内面

チャコがうちに来たのは去年の8月末だからちょうど1年が経ったことになる。犬との暮らしはほんとうにいい。毎日かわいい。はじめの頃はペロペロなめられるのに少し抵抗があったけれど、いまではペロペロしてくれないと物足りない。オシッコもウンチもまったく汚いと思わない。きれいなウンチをすると、なんていいウンチなんだと嬉しく思う。なるほどペットが家族だというのはこういうことなのか。

 
 
 
 
 
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犬とは言語コミュニケーションができないので、顔とか声とか接触によってメッセージを遣り取りすることなる。こっちは人間であちらは犬であるので、きっと互いのメッセージの解釈は誤解ばかりだろう。相互に勝手に解釈してゐるだけのはずだ。にもかかわらずコミュニケーションが成立してゐる。少なくともそう思い込むことは出来てゐる。

言葉を解さないコミュニケーションが非常に心地よい。言葉が通じなくても、まったく理解し合えてゐなくても、一緒に暮らして楽しくやっていけるものなのだ。これは素晴らしい体験で、ぼくのコミュニケーション観をすっかり変えてしまった。それはぼくの対人意識を根底から覆し、人との附き合いもまるで別のものになった。

 
 
 
 
 
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端的に、ぼくは自分についても他人についても「内面」というものを度外視、とは言わないまでも、カッコに入れて応じることができるようになった気がする。漱石の心理小説なんかが大好きなぼくは、人の内面を知りたいと思うあまりジャッジメンタルに傾きがちで、とうぜん人間嫌いになるのだった。

犬には内面なんかないので、あるいはあっても理解できないので、そういうもんだと思って附き合うしかない。まあよく分からないがそういうもんなのだ、という涼しい諦めがコミュニケーションの出発点にある。いつも遊んでゐるオモチャに突然関心がなくなったり、いつも食べてゐるご飯をある日食べなかったり、そういうことがザラにあるのだけれど、それに対して「なぜ」と問うても意味がない。因果律は役に立たない。

とにかく、遊ばないときは遊ばないし、食べないときは食べないのだ。そういうもんだと思って附き合えばよく、それに慣れるととても楽しい。この感覚はすごく新鮮なものだった。そしてこれを人間に適応するといろいろ楽なのである。自分についても他人についても、なぜそうなのだろう、なんて深刻に考える必要はない。まあよく分からないがそうなんだろうと、犬だと思って附き合う。犬だと思えば、かわいいものだ。

 
 
 
 
 
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ガネーシャ

昨年の9月からヌータン先生のオンラインレッスンを受け始めたので、こちらも1年が経ったことになる。はじめは月曜日と水曜日の21時からのクラスだけだったけれど、10月からは22時からのクラスにも参加するようになった。ぼくは噓偽りなく、この1年で一度も欠席しなかった。これはなかなかむづかしいことで、他にそういう生徒はゐない。我ながらナイス継続である。

一年経ったので、また今月か来月から新しい仕事を始める予定でその負荷を考慮して、今月から22時からのクラスのみに参加することにした。その意思を伝えると先生は "OK, no problem" と言った。そういえば、誕生日に先生がメッセージをくれた。”Wish you a very happy birthday. Hiroki, keep dancing” と。これには感激、ハッピーな気持になった。

継続すると上達する。目も肥えてくる。だから先生のダンスを見てもやはり違ったものに見える。なんて素晴らしいのだ。生徒はみなヌータン先生のダンスに心から敬服してゐて、先生が見本を見せる度に拍手がおこる。

ダンスだけではない。先生はとても綺麗でエレガントでチャーミングな人だ。こんなふうに魅力的な年齢の重ね方をしてゐる人のそばで過ごすことは、若い女性にとってきっとよいことだろう。ぼくはただうっとりするのみである。

 
 
 
 
 
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8月31日は Ganesh Chaturthi という祭りということで授業は休みになった。新しい始まりの神、障害を取り除く神、そして智恵と知性の神としてガネーシャを祝福するんだそうだ。オンラインレッスンという細い通路ではあるけれど、インド世界とつながってゐるとこういうイベントに触れることが多くて面白い。聖と俗があたりまえに交じりあった世界を生きてゐる感じがうらやましい。

WhatsApp グループにいろいろな祝福画像がシェアされた。特にいちばん上のものなどまさに智恵と知性を感じます。気品があり、かわいげと色気もあるようだ。よいですね。祭りは10日ほど続くらしいので今日もまだいちおう期間中だろう。自分もなにかしようと思って祝福のために久しぶりにブログを書いてみた。

いい1年だった。8月はいくつかの障害が道を塞いで行き詰まりを感じたが、いまこうして文章を書き、ガネーシャの画像をじっと見てゐると、なんだか障害が取り除かれる気がするゾ。新しい始まりさへも感じられるようだ。

またよい1年になるだろう。