近所で美容室を経営してゐるマダムが犬を飼ってゐる。マダム、と書いたのはその年長の女性を表すふさわしい和語がみあたらないからだ。高齢に見えるけれど老け込んでゐない。お洒落で華やかだ。おばさん、という感じではない。老婆、なんてとてもとても。
犬の名をソラという。チャコと同じく保護犬だ。聞けば、チャコよりよほど辛い過去をもつ。それだけに、人間を信用してをらず、苦労も多い。マダムはソラの前にも保護犬を飼ってゐた。こちらもまた飼育にはたいへんな困難があったそうだ。
☟ソラとチャコ。
土手を散歩中、マダムとソラに会った。挨拶をして、犬の話をした。犬にもそれぞれ個性があってみんな違ってゐる。言葉は通じないけれど表情や仕草で感情を伝えてくる。コミュニケーションの楽しさがある。犬の個性を知ること、そこに大きな喜びがある。そういう話。
「ソラはたいへんよ、保護犬はみんなそう」
「やっぱり我が強くなりますかね」
「そうね」
「チャコもなかなか我が強いですよ。長いことケージに入れてゐても、ちっともオシッコしてくれません。外でしたいから、我慢するんです」
ぼくが言うと、マダムはチャコの顔をなでながらこう応えた。
「そうかあ、チャコちゃんも我が強いのかあ。でも、自分があるから生き延びたんだよね」
とつぜんの箴言に意表を突かれてドキリとした。ううむ、深いですね。たしかに犬はイヤなものはイヤと我をとおすことで、こちらが信頼に足る人間かどうか試してゐるところがある。
ソラの鳴き声を聞いたことがある。リードを外してほしくてクーン、クーンと鳴くのだ。家の中は嫌がるし、かといってずっと放し飼いにしておくわけにいかないから、その時は駐車場の端につながれてゐた。
いかにも辛そうに哀れを誘う声でクーンと鳴く。あのクーンに耐えるためには、そうとうな忍耐と胆力と、そして愛情が必要だろうと感じた。
自分があるから生き延びたんだよね。印象深い言葉だったから、散歩のあいだ頭から離れなかった。世に知られない偉い人がゐるものだ。
☟江戸川土手、よい道、犬も人も、ここに来ると歩きたくなるらしい。
☟チャコ、何を待つ。今年ベストショット📷