手探り、手作り

樂しみ亦た其の中に在り

どうでもよしの春は来にけり

立春を迎えていよいよ春の兆しを感じる。風はまだ冷たいけれど、昼過ぎの日差しに春の匂いがする。花粉も飛び始めてゐる。目がかゆくなってきたら、あ、春だな、と思う。あ、春だな、と思ったら、大田垣蓮月の歌を思い出す。

死ぬもよし死なぬもよろし又ひとつどうでもよしの春は来にけり

どうでもよしといってはゐるが、題詞は「七十七の春」であるから、古稀の春を迎えられたのがうれしくて詠んだ歌なのだろう。生き死になどもはやどうでもいいと冗談がいえる境地は楽しそうだ。いまの七十七歳はあんまり「稀(まれ)」でもないのでまだ早いかもしれない。

いわんや三十五歳のワタクシをやだ。あれもしたいこれもしたいと思ってゐるので、まだまだ生きたいのだけれど、他方で、チャコがあまりにかわいいので、江戸川沿いをちんたら散歩などしてゐると、ああ、ほんとうに、この世のすべてがどうでもいいぜ、と感じることがある。

チャコは散歩以外では寝てばかりだ。ぼくが寝てばかりだからチャコも寝てばかりなのだろうか。チャコが寝てばかりだからぼくも寝てばかりなのだろうか。寝てばかりだからか、爪が伸びるのがやたら速い気がする。また伸びたか、と毎日感じてゐる。気のせいかもしれない。

こういう時間を常にもてるような生活を続けたいものだ。

 
 
 
 
 
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